・・・屋根に穴があいている家を、はじめてみた・・・。
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それはおそらく、令和4年(2022年)9月の台風14号によって破損したものと思われた。宮崎県知事が「まずは命を守ることが最優先です。今いる場所の安全性に不安がある場合は、ためらわずに避難してください。」とコメントを残していた、その猛烈な台風により、もう誰も住んでいない古い家が悲鳴をあげて傷つき、倒れそうになっていたに違いない。だが、わたしは東京におり、その台風がそれほどひどかったことを知らなかった。
この猛烈な台風は、日南線「南郷~志布志」間の運行中止(代行バスによる運輸の開始)を残した。
そのことは、台風から2か月後の令和4年(2022年)11月末に、わたしが44年ぶりに串間に行くにあたり、どのような経路で行くかを戸惑わせることになった。
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・・・そう、44年ぶり。
串間に最後に行ったのは祖父の葬式であった。
自分が7歳、昭和54年のことだ。
小さかったし、離れて暮らしていたから、祖父のことは写真でしか記憶にない。
お父さんの実家。
平屋の小さな家だったというおぼろげな記憶。
しめやかなお葬式の意味など、子供にはわからない。「お葬式じゃなかったら、遊園地に連れて行ってあげたいけどねぇ・・・」優しい叔父がそんなことを言ってくれた。
今すぐ連れて行ってくれたらいいのに。
その時はそんなことを考えていた。
叔父は父の下の弟で、末っ子であった。ずっと独身で、祖父母亡きあとは一人暮らしをしていたようであった。晩年は年齢もあって病気がちとなり、病院や施設への入退院を繰り返した。そんな時、いつもわたしが家族連絡先となった。
「・・・実際に現地に行けなくとも、良好な関係を持ち続ける親族がいることは福祉の助けになる・・・」「・・・関心を寄せる親族がいることは、その方がよいケアを受けることにも役立つ・・・」
・・・どこからかそんなことを聞いて、自分など非力であるのに、ついつい返信してしまったのだ、そう、あの、役所からの、扶養照会の書類に・・・5年くらい前のことだ。
「(叔父は)自分のことができなくなっているので・・・」
役所の方が言葉を選んでそう伝えてくれたこともあった。それからしばらくたち、「措置制度」により施設に入ることになった。ふだん自分が講義をしている福祉の「措置から契約へ」の「措置」か・・と感慨深く思った。
この街では、介護福祉に携わる人々がずいぶん親切なんだな・・・。
そんな印象は、今も変わっていない。
叔父がその病状に応じて施設と病院を行き来するたびに書類は届き、わたしが何らかのサインをした。親族連絡先。リハビリ計画書。身元保証人。転倒予防の確認書。サイン。サイン。なかには「支払い出来ない場合には数十万円を上限としてわたしが支払います」といった旨の病院からの書類もあった。それには警戒をおぼえ、電話をしたうえでサインしなかった。施設や病院からしばしば電話も届き、その多さにうんざりしてぞんざいな対応を取ってしまったこともあった。
2022年の春頃から叔父は意識を失うことがあり、その都度病院から連絡が来た。夏頃には市の方から成年後見人をつけてくれたという連絡があり、その後見人さんと、電話でなんどか話をした。
病院のドクターから電話が来る。全身状態が悪く、冠動脈も詰まっており、いつ急変してもおかしくはない。もしものときに、確認ですが、しない、しない・・・それでいいでしょうか・・・と、確認のお電話もきた。
こんなに離れている身では、「お任せします」と言うほかない。
山間部に実りの秋が来る。
西の方から台風が来る。
台風14号が来たとき、叔父はまだ存命であった。
古い平屋が台風に巻かれて、ひと瓦、ふた瓦、吹き飛ばされてゆく。屋根に穴があき室内を滝にする。翌朝、穴の開いた天井から青空がのぞく。長い歴史のなかで多くの人を寝かせてきた畳の床が腐って抜け落ちる。心筋が梗塞する。家が朽ち果て火葬に向かって歩みだす。時の流れは誰にも止めることができない、だから。
◆
叔父の訃報を受け、あわててスケジューリングした2022年11月、44年ぶりの串間への旅が始まった。
その時は鹿児島空港を使うという考えがなく、宮崎空港から入り日南線と代行バスを使って串間までなんとか到着した。
行き帰り、および都井岬への旅については、以下の記事に書いた。
すべてが古びた室内には、物品が散乱しているのがみえた。
キッチンの床にはペットボトルが絨毯のように敷き詰められ、蜘蛛の巣が風にきらめいていた。流し台やキッチンのあちこちに無数の汚れた食器がみえた。遠くに食器棚や冷蔵庫も見えたが、床に積まれた物品や床の抜けた穴のために近寄ることは難しそうである。
袋、ふくろ、バケツ、ホース、シャベル、くず、衣類、扇風機の羽根、ゴム手袋、ペットボトル、袋、よくわからない紙、なんだかわからない袋、調味料、くず、フライパン、食品トレー、なべぶた、食器、開封されたキャットフードの袋、新聞、なんだかわからない何か・・・
(ねえみんな、昔は名のある”何か”だったの?)
そして、囲碁の賞状と盾・・・。
英語で言えばStill. 数年間人が入らなかった家の空間は、何もかもが死に絶えた空間のようにみえ、虫すらもそれほど多いわけではなかった。
靴のままですみません、と言いながら、蜘蛛の巣を払い、床の穴に落ちないようにおそるおそる奥へと入ると、おぼろげな記憶がよみがえってきた。
・・・どこか寂しそうな表情の、この兵隊は誰なのだろう。
この時点で、わたしは松岡家のことをあまりよくわかっていなかった。ただ、亡き父が、「先祖には村長もいた」と言っていたことが、おぼろげに頭に残っていた・・・。
天然のあかりは若干の赤みを帯びながら室内をだんだんと暗くしていった。
”死者は 夜 踊る。”
崩壊寸前のこの家に、なぜか心惹かれる自分がいた。
ここで独り芝居でもやったら楽しかろうな・・・そんなことを夢想した。
Stillのなかに何かがいて、「・・・ここまで来てくれてありがとう・・・貴女を喜ばせてあげたい・・・」とそんなふうに、見えないものがわたしを楽しませようとしてくれている。
割れた扉から外の空気が入り込み、どこかの隙間から出て行った。
もっとこの家のことを知りたいと思った。
((2)につづく)
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