荷物ちらかるホテルで自撮り。にゃー。
【これまでのあらすじ】
このシリーズは、独身の叔父が死んで誰もいなくなった父の実家の片づけをしに行った記録であり、この記事は、2度目に行ったときの記録のパート2である。
2度目に行ったときの記録のパート1は、こちら。
敷地には「母屋」と「離れ」があり、崩壊寸前の母屋に猫の亡骸を2匹見つけたので、仏壇に弔った。
そして「離れ」に来たところから、この記事の、はじまり、はじまり。
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「離れ」も母屋と同様、小さな平屋建てである。母屋ほどではないが、中身はやはりどこか荒廃した雰囲気が漂う。
前回来た時に少し片付けて、このような状態であった。
写真にも写っているが、時間をかけて構築された広大な蜘蛛の巣が天井から広範囲に幕を下ろし、室内や窓辺を、ここは人が住めない部屋ですよと語るように飾っている。どこかおそろしい。「魔」がいる。 ”東京から獲物が来たぞ” 目には見えないが虫たちがささやきあっているような気がする。
床にはなんだかわからない土くれ、紙くず、わらくず、ティッシュのくず、キャットフードのかけら、虫の死骸、ごみ等が落ちており、歩くとそれらが心身に付着する。ひとが住まう床ではなかったし、簡単な掃除でなんとかなるレベルではなかった。叔父には悪いと思ったが、靴のままで歩行させていただいた。ここを裸足で歩いたら、もう違う世界に吸い込まれて、戻ってこれないような気がして、この世界観とはいくぶん、距離を置いたほうが良いと察知した。
そう、なぜかわからないが、ここにずっといると心身が疲弊する。息が苦しくなる、呼吸が浅くなる。何かがそこにいるような気がして油断ができない。6月で止まったカレンダー、7時37分で止まった時計。そこにも蜘蛛の巣がみえる。生き物は何もいないようにみせかけて、この空間は何か生きているものがいまだに漂っているのではないか。
”東京から獲物が来たぞ”。
とても恐ろしいことが、始まるのではないか・・・。
と、そこに、降ってきたのは蜘蛛の死骸!
しかも、大きい・・・。
九州の虫は大きい気がする・・・。
この一間の離れのもっとも奥には扉のついた事務棚があり、半開きになった扉からは茶ばんだ「知恵蔵」や文庫本たちが見える。この棚は部屋の奥にあるため、1回目に来た時、蜘蛛の巣などに阻まれて手が回らなかった部分だ。
今回はきちんと片付けなくては・・・と思った。
みてのとおり、この部屋は、なんだかわからない道具たちで丘ができて、下着を含む衣類たちで山や谷ができている。からみつく電気ケーブルで川ができており、キッチンの床にはペットボトルの海ができている。
・・・晩年、叔父はその海で溺れていた。
もがけども、もがけども、岸に辿り着かず、ペットボトルの潮の流れに吸い込まれる、認知症の叔父の手足、そして意識。
・・・本当はこの旅で、床を埋め尽くしていたペットボトルの山を廃棄しようと考えていたのだ。だが、その分量があまりに多く、ペットボトルを前に立ち尽くしてしまった。いずれ家屋全体の片づけを行うと考えれば、そこに労力を割くのは割に合わないと思われた。
ペットボトルの海のなかに、同じ殺虫剤が何本も立ちすくんでいた。
最初は、なぜ ほとんど減っていない同じ殺虫剤の缶がこんなにたくさんあるのだろうと思った。
ふと気づいた、それが認知症なのだ。
この同じ殺虫剤の本数が、叔父の苦労を物語る。
きっと、ゴキブリをはじめとした虫たちがこの家には巣くったことであろう。叔父は、なにも虫を気にしないわけではなかったのだ。虫だらけの家が不快だったから、こうして殺虫剤を買って対処しようとしたのだ。
「虫が出ないような生活を送るように努める」・・・そんな根本的な対策を行うことができず、誰もそれを手伝うこともなく、つぎつぎに現れる虫に対策をしなくてはいけないと思って買ってくる殺虫剤、殺虫剤、また、殺虫剤・・・・。
記憶機能や遂行機能の弱った叔父が取った対策のあかしなのだ、この殺虫剤の山は。
人間が自然に圧倒され征服され追い立てられる死への旅路において、わずかに抵抗した剣なのだ、この殺虫剤の山は。
そして部屋の片隅に馬糞が落ちている。さすがは都井岬をもつ市である。否、馬糞じゃない。乾ききって、匂いなどは、もう、ない・・・
・・・まちの福祉の方には、とても丁寧によくしていただいた。だけどこうして部屋を片付けていると、もう少し早ければ、と、思わないことも、なかった。自分だって何もできなかったし、ときには「また叔父のことで書類が来た、面倒だなぁ」なんて、思ってしまった。
◆
そう、叔父の生前、病院や施設から、「面倒だな」と思うくらい、書類がたくさん届いた。
今わずかに残った書類、病院からの封筒には、「心筋梗塞」、「アルツハイマー型認知症」という診断名が残されており、拘束すること(つなぎを着ること)の許諾と、万一のときに延命措置をしないということへの許諾を求めていた。
こうして亡くなってしまえば、「面倒だな」なんて思った自分を悔いてしまう。ひとつの命が終わるということはその方へと続く星の光の道がそこで終了するという大きな事態である。その方が孤独で類縁に恵まれていないならなおのこと、そこまで続いていたはるかな流れがそこでばっさりと途切れることを意味するのだ。
独身、末っ子。叔父の輝きの星の砂を、さらさらと自分に手に包み込む。その弱い光は暖かい温度を放ちながら、虫たちといまは共存し、すっと静かに消えてゆく。わたしに何かを訴えかけるように、とても、暖かい光で。
叔父が、というより、目には見えない何かが、自分にギフトを送っている・・・
串間に来てから、そんな思いが止められない。
亡くなった叔父からのギフトだろうか?昭和54年のお葬式のとき、わたしを遊びに連れてゆけなくて申し訳なかったから、いまこうして串間にきたわたしに、何かプレゼントを届けてくれているのだろうか?
たとえば・・・猫ちゃんのごみ捨てを見つけた。
つくづく、叔父は猫好きだったのだなと気づかされる。
ええ、わたしも猫が好きですよ。叔父さん、ありがとうね。
そして奥の棚の整理にとりかかる。
文庫本が詰め込まれた最上段を片付けていると、そこには「ネコと気持ちが通じあうちょっとしたコツ」という本があった。
つくづく、叔父は猫好きだったのだなと気づかされる(2度目)。
・・・いや、猫が好きなわたしに、この本をプレゼントしてくれているのだろうか・・・いま・・・?
もしかしてこれもギフトか?と思ってぱらっと読んだら、なかなか面白く、役立ちそうな本であった。
そして、「タバコはなぜやめられないか」という文庫本もあって、苦笑した・・・。
・・・なぜなら、ベッドのマットレスや枕に、タバコの焼け焦げが数多く残っていたからである・・・。灰皿と、吸い殻も多く残されていた。寝たばこで焼死しなかっただけ、運がよかったようだ。
・・・この本はギフトではなさそうだな・・・。
◆
そして、文庫本のなかに、こんな本を見つけて、狂喜した!
さだまさし「長江・夢紀行」!
・・・ほら、お前、さだまさし好きだったろう・・・?
とでも言っているような優しい叔父の顔が浮かぶ。
(あ、あ、ありがとう、な、何で知ってるの・・・・は、はははは・・・(照))
いやはや、本当に、誰かがわたしにギフトを送ってくれているんだなぁと、このとき確信したのである。ちなみにこの本、読んでみたらすごく面白くて、さだまさしの凄さを再確認したのであった。
◆
また、奥のほうの床を掃除していたら、蜘蛛の巣とわけのわからない埃や土くれの隙間に、なにやら、ネコのような、あやしい影をみつけた・・・。
・・・何しろ、これまで2匹の猫死体を見つけてしまったので、ここにも何らかの死体があるのではないかと、身構えてしまったが・・・
にゃー。
それは、口を開けてかわいらしく鳴いている、仔猫のオブジェであった。
にゃー、みつけてよー。
うむ、かわいい。
(かわいい かわいい こねこちゅわーん♪)
つくづく、叔父は猫好きだったのだなと気づかされる(3度目)
これこそ、まさに叔父からのギフトで・・・猫好きなわたしのために、ありがとう、と手を合わせる。
ちなみにこのオブジェは事務所に持って帰って綺麗に洗い、いまわたしの目の前に飾られてある。
◆
その日はごみを捨てられる日で、お布団類を捨てたいと思った。
ただ、ゴミ捨て場まで少し離れているなぁと思ったが、そういえば庭に「荷車」があることを思い出した。
うち捨てられてあるが・・・。
これを使えば、お布団類をゴミ捨て場まで運ぶのにちょうどよいということに気づいた。
からみついた草を引きちぎって、持ち手を両手でもちくるりと返し、ごろごろと引きずる。重たい。当然タイヤにほとんど空気は残っていなかったが、それでも運ぶのにとても役立った。
布団をゴミ捨て場に一度に何枚か運ぶことができ、これもギフトだな、ありがたい・・・と思いつつ、すごいことに気づいてしまった・・・
・・・これも「ネコ」じゃないか!
・・・ネコが好きなわたしのために、叔父や先祖がたくさんのネコを用意してくれたのだと感じることができた。
この宮崎の地方都市は自然が豊かだ。大きな家のあいだに広々とした草原が広がっており、2月というのに緑濃いその草の風揺れのあいだに地域猫が気持ちよさそうに佇んでいた。
それはまさに、アンドリュー・ワイエスの絵画の世界だった。
ここは猫が住みよい街なのかもしれないと感じ、わたしもここに住みたいような気になってきた。
◆
しかしこのあと、衝撃的なものを見つけてしまう。
◆
前半に出てきた写真を再掲する。
部屋の左奥の本棚。
蜘蛛の巣が撚り集められ、茶色にゆらめいてゆく手を阻むが、勇気を出して蜘蛛の巣を切り刻み、空間に風を入れながら片づけを行う。そうすることで魔を払うように。
この左奥の棚の片付けもだいぶ進んだ。文庫本を取り出してだんだんすっきりしてきた。さあ、棚の中の片付けもあと少しだ、そう思って棚の上段の奥を覗いたときだった。
にゃー、みつけてよー。
それは、棚に入れられた仔猫の亡骸。
それは、本棚のいちばん上にしまわれた、文庫本と同化する、仔猫の亡骸。
(かわいい かわいい こねこちゅわーん♪)
ギャアアアアアア!
見つけた瞬間、叫んでしまった。
ひとりぐらしで認知症をわずらう方が猫を飼ってはいけない!
・・・いや、これも、ギフト、なのか?
これが、わたしにできる、数少ないことだった。