中止になった海老名のフリマでは、やや地元(?)、母校の桐蔭学園校歌を歌う予定でした。
加藤楸邨先生の作詞。
春夏秋冬の構成になっている素晴らしい詩。
ほのぼのと萌えいでし草・・・と柔らかに始まるその詩は
2番のくろがね、
3番の阿夫利嶺、という単語で力強さを加え、
最後の4番「寒き 厳しき 果てしなき 世の荒き道つらぬきて この冴ゆるもの 身をひたせ」では思わず涙してしまう・・・。
若人よ枝を交わして競いあえ、そして冴えあるもの、その冷たき水に身をひたせ、という、厳しくも暖かい励まし。
学生だった頃、行事では1番と4番しか歌わなかったのですが、1~4まで続けてひとつの作品になる、すばらしい校歌だなと思います。
そんな桐蔭学園の先輩である、デーモン小暮閣下のこの有名な言葉を、ふと思い出しました。
この議論はずっと前から見ており、初期は「行けないけど頑張って、という言葉は、わざわざ励ましを伝えているのだからいいじゃないか」と思っていました。
でも今は、デーモン閣下の言いたいことがよくわかります。
その言葉だけを伝えようとする方の思いがしんどいということを・・・。
この文中にある
「心血を注いで」
という言葉に、ぐぐっと来てしまいました。
そうなんだ・・・。
表現者は心血を注いでライブをしたり音源を作ったりしているのだ・・・。
リスナーの方にとっては、そんなことを言われても困るかもしれませんし、しらけてしまうかもしれませんね。
「作品は自分のいのちなんです」と言えば、お客さんをしらけさせ、遠ざけ、自分を傷つけてしまいます・・・
だから上の記事の
「心血を注いで」
に感動したのです・・・ああ、そう言っても良かったんだ・・・と・・・。
ほんとうに、創作する人は、みんな作品に心血を注いでいるのだと思います。
聴き手として、そんな思いを受け止められたら・・・。
1億総表現者の時代、すべてを受け止めることは出来ませんが、生きる世界を小さくしながら、自分も誰かの表現をそのようなものとして丁寧に受け止められたらいいな・・・桐蔭学園校歌にこめられた思いが、今更、じんわりと伝わるみたいに。
・・・そういえば聖飢魔Ⅱの「ステンレスナイト」のレコード持っていたなぁ・・・どこやったかしら。
いちばん好きな歌は「ファラオのように」。
デーモンのソロアルバム「小暮伝衛門」も大好きで・・・かなり暗記して歌えます!
地上絵・・・
アクエリアス・・・
・・・諸行無常のむせび泣く鐘のこーえ-!
・・・また聴きたい。
◆
「穴モテ」という言葉を教えられて、思ったこと・・・
・・・膣は穴じゃない。(←そこか?)
・・・うん、保健学科卒だからね・・・。
膣は穴じゃない
日頃、閉じている扉の向こうにあるものは
それは穴じゃない
迷いこんだ樹林の枝を入れるべき穴はない
天空に唾するとき岩の戸は閉ざされ空が落ちる
雷鳴 豪雨の闇の中
あれは穴じゃなかったと知るとき
はじめてひらくひだがある
急峻の水源から落ちる水は赤い
赤い靴履いてた女の子
とどまることを知らぬ清水は湾へと注ぎこみ異国の波打ち際で歌うジ・アース
それは穴じゃなかった
ふくらみ 動き ぬかるむ生き物の名はザ・シー
循環する心血を注がれ 終わらない瞬間を刻み続ける
リズムヶ浦の大地だったのです
♪