松岡宮のブログ

詩でうた作り

4度目の串間の旅 その3(不動産屋で出した結論)

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串間シリーズのあらすじ

 

宮崎県串間市は父の故郷。

わたしは、ずっとそこに住んでいた叔父(独身)の身元引受人であったが、叔父が亡くなって家の片づけをしているうちに、気づくとその土地+壊れかけの建物の相続人になっていた。

 

移住か?二拠点か?売却か?どうしよう・・・。

 

いよいよ不動産屋さんと逢う日となった。

 

 

これまでの記事はこちらに。

ekiin.hatenablog.com

 

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いよいよ不動産屋に行く日となった。

岡田不動産(仮名)の岡田氏は、電話で話した感じでは気さくで話しやすい男性だった。こんな小さな町の、駅前にある不動産屋が、悪徳な不動産屋であるはずがない。わたしは誰と話すときもあまり緊張しないタイプなので、それほど緊張していなかった・・・と言いたいところだが、無人ホテルのダブルベッドにもぐりこんで寝ようとしてもあまり眠れなかった。やはり多少は緊張していたのかもしれない。そしてむやみに早起きした。

 

仕方がない、もう起きるか。散歩でもしよう。

 

無人ホテルなので、入るためのパスワードが書かれたレシートが鞄のなかに入っていることを確認し(※スマホで写真に撮ったけど紙がないと心配)、外に出る。

 

うあっ、まぶしい。

2月というのに、強い朝の光。

 

夜、到着したときにはわからなかった風景。草たちが朝日を浴びてその生命力をまさに放出せんとばかりに溜めていた。

 

 

まだ時間はたっぷりあったので、「串間スマートホテル」の周辺を散歩する。

心地よい風を浴び、踏切で立ち止まる。そのまま体を90度回転させ、線路の遠くを眺める。

 

日南線の線路は単線であった。使い込まれた輝きをもつ線路が家や木々のはざまに違和感なく溶け込んでいた。それは使われている線路なのであった。

 

 

ときおり奇跡のように通る日南線は、街の深呼吸のよう。白地に青のその姿をカメラに収めたいと思ったが、タイミングが合わず、残念ながら出会えなかった。

 

 

このレールが鹿児島の志布志まで届いている。途中には海を見下ろす地点もあった。そういえば2年前の台風でしばらく不通だった日南線

宮崎の方に、「このあたりは台風銀座で・・・」と言われたこともあった。空ゆく雲も風も生き物、気候は呼吸のひと吹き、そして地盤も生き物であり、鉄道が走るためには日々の手入れが必要なのだろう。

そしてそれは、家だって、仕事だって、人間関係だって、そうなのだ。

叔父が施設に入って死ぬまでの数年間、放置されていた松岡の家。わたしが行ったときにそれがいかにボロボロであったかを思い出す。わたしはさほど裕福でもなく、宮崎からずいぶん遠くに住んでおり、ろくに管理できる見通しもないのに、わずかな思い出にほだされて、そんな家をうっかり相続してしまい・・・東京と串間の往復に疲弊しながらも、この地からは何か大切なメッセージを受け取っている気がしてならない。

そこにあって誰もが見過ごしてしまうようなものが放つ伝言を受け取る仕事、それは詩人の仕事。

 

2月というのに強い日差しが道路に濃い影を作る。

ふと足下を見ると、マンホールに何やら歌が書かれていた。

 

調べたところ、若山牧水の歌だそうだ。

 

 

日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端にひとり海見る

 

(読みは・・・ひうがのくに といのみさきの あおしおに いりゆくはなに ひとりうみみる・・・かな?)

 

そういえば中学生くらいのころ、「牧水のうた」という文庫本を愛読していたことを思い出した。その本はわたしが買った本ではなく、おそらく父の本棚にあったのを勝手に読んだのだ。父は詩が好きだったし、牧水が宮崎出身だと知らないはずがない。あまり宮崎を語らなかった父の、わずかな里心をいまさら感じてしまった。

 

牧水の世界は中学生の自分にもわかりやすく、その言葉たちは何か特別な世界への入り口のようだった。しかし牧水が宮崎出身だとは認識していなかった。

改めてその本を開いてみる(←わたしは物持ちがよい)と、たしかに宮崎県の地図が冒頭に掲載されている。そして牧水の祖父と父は医師だったと書いてある。

 

いづくにか父の声きこゆこの古き大きなる家の秋のゆふべに

 

納戸の隅に折から一挺の大鎌あり、汝の意志をまぐるなといふが如くに

 

(「牧水のうた」社会思想社、p18より)

 


色鮮やかに咲きほこる椿。

 

 

その近くのブロック塀のかたわらには、椿がいっせいに落ちていた。あなたの役目は終わりましたよ、とでも告げられたような花弁は、色が鮮やかなだけに痛ましくも思えた。

 

街はとても静かで、ときおり車が走る音がよぎるが、また静寂、それから風がもたらす木々の歌。

豊かな自然を感じるものの、街の建造物には老朽化している家屋もみられた。

特に、大通りぞいには、廃墟となっている建物が目立った。

 

例えば以下の建物。

 

「仏壇の修理 安く承ります」

と書かれ、屋根のアーチがどこか仏教遺跡を思わせる荘厳な建物であるが、いまは無人のようであり、「売物件」の看板が掲げられていた。全盛期はきっとにぎわった建物であろう。

 

また、壁面や窓に、草がつるを伸ばしている建物もあった。

 

こういった建物は東京にも多い。宮崎だからというわけではなく、東京都内でもこのような建物はよく見かける(というか隣にあった・・・)。なぜ地主は放置するのだろうと謎だったが、建物を撤去するのにはかなりの費用がかかり、固定資産税のこともあり、また撤去に際して公的補助もないため、建物が放置されるのだとわかった。

そんな空き家には、支柱を得たとばかりに草が萌えさかる。建物は朽ちても植物は生き延びることを、わが国の令和の風景は教えてくれる。

 

 

そろそろ時間だ。ホテルに戻って身支度をし、筆記用具を確認し、岡田不動産(仮名)へと向かう。

 

「こんにちは、約束した松岡です・・・。」

 

と挨拶しつつズカズカ入ると、書類が積まれたデスクの向こうにいる岡田さん(仮名)が明るい声で「はい-」と返事をしてくれた。

 

初対面の岡田さん(仮名)は、俳優の岡田将生(おかだ まさき)に似た長身

東京に住んでいたことがあるそうで、わたしの住む大田区にも詳しかった。「目蒲線沿線・・・・にお住まいなんですね」と言われ、「はい、目蒲線は2つに分かれ、目黒線東急多摩川線という名前になってしまいましたが・・・」と返事をした。

 

 

岡田さんは、わたしが相続した土地について、丁寧に評価を行ったカラーの冊子を作ってくださっていた。それにそって説明していただいたおかげで、改めて自分が相続した家や土地について理解を新たにすることができた。

そう、わたしが相続したその土地は、なかなか良い場所にある。

特に、これから子育てをする人にとって、良い場所なのだ。

不動産屋の岡田さん(仮名)が、「20代、30代の若いファミリーが家を建てて子育てをするのによさそうな立地ですね」と言ってくれた。

 

そうか、串間にも若もの(わけもん)は居て・・・この自然が豊かな街で、「つがい」となり、子を育て、産業を行い、次の時代へとバトンを渡してゆくのだ・・・この街で営まれるべきそんな当たり前のことに、改めて気づかされた。

 

あの土地がそんなふうに活かされるのであれば、それは理想的なことのように思われた。

 

 

不動産売却ガイドブックも用意して説明して下さったが、自分は不動産売却の経験もないので右から左へ抜けてゆく。ただ感じたことは、何か古い家が乗っかっている土地は家の処分費用が余計にかかるのだ・・・ということである。

 

むかし東京に住んでいたこともあるらしい岡田氏(仮名)の、「串間の人は東京の人とペースが違うので・・・最初は戸惑ってしまいましたね」という言葉が印象に残った。確かに宮崎というところは、どこか悠然とした雰囲気がある。

なんとなく思い出す。この地で、壊れかけの家と土地をうっかり相続してしまったのは、東京ではないこの地に、東京とはまったく違うという点に、何らかの希望を見いだしたから・・・

 

ここは東京ではない。

 

そのことが、どれほど自分の精神の救いとなったか。

 

 

そういえば、朝、燕を見た。

 


2月に燕が来る温暖な地域。そう、ここは東京ではない。

 

それから夕べ、ホテルで考えたことを思い出した。

ホテルの鏡で自分の顔を見たとき、そこには年齢なりに老け込んだ自分の顔があったこと。自分はもはや子供を作れる年齢でもなく、1から新しいことに取り組める年齢でもなく(そのつもりもなく)、もう自分の人生は老境であり、ひとつひとつ他人にゆずり渡す段階にあるということ。

 

・・・現実に戻る。

いま自分は不動産屋におり、相続した土地や家をどうするか、方向性を決めないといけない。若い燕が胸に去来し、また巣に戻る。自分はとっくの昔に若者ではなくなっており、そして新しい時代を作ってゆくのは若者のはずだ。先ほど「20代、30代の若いファミリーが家を建てて子育てをするのによさそうな立地」と言って頂いたことを思い出す・・・

 

そうだ、このご時世、相続した土地が「ちゃんと売れそう」なのは、幸運なことであるのだ。

 

結論が出た。

 

「売ります。売ることにします。」

 

わたしは、岡田氏(仮名)に、そう告げた。

 

 

ここで後日談を・・・。

 

仕事用の名刺(芸名は書いていない)を岡田氏に渡したところ、

 

「(この)ブログ見つけちゃいました☆アイコンが日南線ですネ☆」

 

などと電話で言われた・・・

 

それで急遽、岡田将生にした次第・・・笑

 

 

 

閑話休題

 

・・・そうなるのが当然だった。

 

最初から、売る以外の選択肢なんてあろうはずがないのに、なぜか移住するつもりになっていた。

東京で面倒をみなくてはいけない相手もおり、東京で仕事もあり、事務所もあるのに・・・免許も車も持っていないし、乗り物に酔いやすく、体力も財力も最弱な自分は移住どころか二拠点も難しいだろうに・・・なぜか「移住もアリかな」と思っていた。

 

ろくに帰ってこない主人を待つ家より、毎日誰かが住まうほうが、家も土地も幸せなのだ。木々も花も、猫も虫も、きっとそのほうが幸せなのだ。そして、そうすることが、この街のためでもある。

今回、不動産屋さんとお話して、そんなことに思い至ることができた。

 

 

「売ります」。

 

心を決めて、そう告げて、不動産屋を出た。

 

そして、売ると決めたからにはもうあまり串間に来ることもないだろうなと思い、午後は都井岬に行こうと思った。

 

都井岬ゆきのコミュニティバス「よかバス」の時刻表を調べると、発車時刻までいくぶん余裕があったので、相続した土地を見に行くことにした。昨年夏に壊れかけの1棟は撤去してもらい、もう1棟は中の荷物をすべて廃棄してもらった。さぞかし様子が変わっていることだろう・・・。

 

歩くこと数分。

 

坂の途中にある我が土地は、確かに、無くなった建物のぶん広々として、白い砂利が広がっていた。

 

しかし、わたしはそこで驚くべきものを見てしまったのだ!!!

 

・・・あああ、なんてことだ!!

 

 

(その4に続く)

 

 

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◆松岡宮からのお知らせ

 

 

誕生日を迎え、音源・本など買ってくださった方には感謝申し上げます。ありがとうございました。

これからもよい作品を書き続けたいと思います☆彡

 

 

ところでこの記事にも燕が出てきますが、燕の本の紹介です。

わたしの詩友にして永遠のライヴァル・青条さんの新刊「コロナウイルスと燕」が出ました。わたしが解説を書いております。

 

383.thebase.in

 

氷河期世代がCOVID-19に翻弄された全記録、三島由紀夫のように美麗な文体で綴られるチンマリした暮らし(失礼)。なかなか手に入らないこの希少本、わたしのBASEで通販しています。ぜひ読んでくださいませ。

 

 

3月31日(日)午後、「第3回秋葉原「超」同人祭+」に「車掌レーベル」としてブースを出してCD・車掌帽などを売ります。

初参加で、自分なんて浮いてしまうのではないかと思いましたが、以下の「参加サークル一覧」を見ていると意外と鉄道系が多く、なんか自分に合っている気もしてきました。(エロが苦手な方はごめんなさい。)

楽しみになってきました。

 

https://www.melonbooks.co.jp/special/b/0/fair_dojin/202312_akihabaradojinfes/circle_list.html

 

チケットはこちらで買えるようです。

 

t.livepocket.jp

 

 

次回LIVEは5月19日(日)デザインフェスタ東京ビッグサイト

パフォーマンスステージ室内です。14時ごろだったかなと思います。

アイドルっぽい鉄道系新曲をやります。

車掌帽子も(余っていれば)売ります。

こちらも楽しみです。

 

 

戦争体験をうたうシリーズ新作はこちら。

いよいよシベリア抑留に入ってまいりました・・・。

 

youtube.com

 

戦争体験を歌い継ぐことも、家の相続をしっかり行うことも、いずれも自分が川の流れの一端だと気づかされる大事な営みですね。

 

詩人にもシゴトがあるなぁと気づかされる今日このごろです。作品づくり、がんばります。