松岡宮 詩と音楽

あなたのことばを歌にします

音楽サブスク・ストリーミング1再生で貰えた額を公開します

近年、わたしは製作した楽曲をサブスクで配信しています。

 

サブスクで配信するようになってから、思いもよらぬ作品がヒットすることがありますね。

 

わたしの作品のなかでは以下の作品が多くの方に聴かれ・・・

 

というか、「使われ」ていたのを知って、驚きました。

 

 

youtu.be

 

やっぱり、ヒットするのは、「使える曲」ですよね・・・。

ストリーミングでもダウンロードでもわたしの音楽活動の稼ぎ頭となってくれたこの作品。

ひとつでもそんな作品を生み出せて、よかった。

 

 

音楽をサブスクで配信される方は多いと思います。

きっとみなさん、1ストリーミングでどのくらい稼げるのか、知りたいのではないでしょうか。

 

そこでっ!

2023年5月~11月の「緊急地震速報の夜に」の、1ストリーミングに対する各社の収益を公開します。

 

会社ごとにみた1再生あたりの収益は、以下のようになります。

 

(※ただ、わたしはBIG UP!さんで、年会費が無料のかわりに収益が70%になる「フリープラン」にしており、そのため本来の収益の7割になっていると思われます※)

 

ーーーーーーーーーーーー

 

Amazon Music   

0.870円

 

iTunes Store / Apple Music 

0.512円

 

LINE MUSIC 

0.441円

 

dヒッツ powered by レコチョク / ニンテンドー3DS レコチョク / OTORAKU

10.85円 

 

AWA 

0.583円

 

KKBOX 

0.7円

 

うたパス 

1.4円

 

Rakuten Music  

0.7円

 

YouTube Music 

0.099円  ←桁は間違えていません・・・(;_;)

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

dヒッツ・・・がなぜこんなに高いのかわかりませんが・・・(何が起こってるのだ?)それを除けば「うたパス」が案外、高いことがわかりました。

 

しかし最後のYouTubeの安さを見てしまうと・・・Amazon Music、LINE Musicなどはなかなか良いのではないかと感じました。

 

再生数や、個々の楽曲の契約によっても異なる面があり、一概にはいえないものの、ストリーミングによりいただける額が会社によってかなり異なることを改めて実感しました。

 

わたしの生活はすべてがauのサービスで占められ、au SHOPの人に勧められてついうっかりauPAY ゴールドカードまで作ってしまったくらいですが・・・Pontaがたまりまくっていますが・・・

 

もう「うたパス」に入ってしまおうかしら・・・なんて思ってしまいました。

(この10月に名称が「au スマートパス プレミアムミュージック」に変わったようですね)

 

au.utapass.auone.jp

 

以上、ストリーミング1回で貰える額のご報告でした。

 

 

それにしても・・・配信って楽しいですよね~。

わたしのような無名の人間にとっては、多少、収益が出て、楽しいものです。

 

以下のアルバムも入れたい~

聴いてもらいたい~

 

ですが原盤権がないので・・・いまだにCDのみとなります・・・。

 

383.thebase.in

 

・・・いつか、届くべきあなたに、届きますようにネ ☆彡

 

 

 

配信はBIG UP!さんにお世話になっています。いつもありがとうございます。

 

big-up.style

 

 

 

花巻 銀河と小屋の旅(3)(宮沢賢治記念館)

この記事は、以下の(1)(2)の続きである。

 

ekiin.hatenablog.com

 

ekiin.hatenablog.com

 

ハァハァ・・・

・・・そんなわけで、300段を超える木の階段を、カートを抱えたまま休み休み登り、やっと宮沢賢治記念館にたどり着いた。

 

長い階段の途中、踊り場から外の風景を見やれば、脚の長い蜘蛛がこちらをにらむ。

蜘蛛は苦手だったのに、なんだか美しいという印象をもつ。

 

・・・蜘蛛と結婚でもするか?

・・・何を言ってるのだ・・・

・・・(危険なヤツに惹かれるチルディッシュ・・・)

 

虫たちとともに生きているこの世界のバランスについて思いを馳せてしまったのは、すでに賢治ワールドに入っていたせいだろう。

愛が止まらない・・・ハァハァ。

晩秋の岩手で、汗がぽたり。

名前だけしか知らないような宮沢賢治、そのポエジーがはぐくまれた土地にやっとたどり着いたならば、そこが思いのほか暖かいことに驚いた。

 

 

くどいようだが、わたしはあまり賢治に詳しくない。

 

なので、このブログを書くにあたり本を読んでみたりした(←遅い・・・)。

いろいろ読んだが、断片的なムックみたいなものよりは、一続きのストーリーがあるもののほうが分かりやすく、なかでも、山田野理夫「宮沢賢治 その文学と宗教」という本は読みやすくて良かった。

 

 

この本では、賢治の幼いころからのエピソードを紹介している。

 

例えば、さまざまな色の鉱石を集めて持って帰ってきたこと。

昆虫の死骸のお墓を作ったこと。

顕微鏡で色々なものを覗いていたこと。

夕方から屋根に上って、星座に夢中になったこと・・・

 

そして、賢治が先生だった頃、北海道への修学旅行で生徒をいきいきと引率した話も面白かった。

また、音楽が好きな賢治は音を文字に写し取った・・・いう記述が印象に残った。確かに賢治の詩は音楽を持っていると感じる。

この本はそれらをストーリーとして分かりやすく描いており、また詩の引用も多く、良い本だった。

 

 

澤口たまみ「宮沢賢治 愛のうた」も、面白い本だった。

同性愛的な友への愛、妹トシへの愛のほかに、賢治にとって大きな存在の女性がいたのではないか・・・という内容である。

 

 

「生涯独身だったが、賢治は恋をしていたに違いない」という旨の本で、詩や「シグナルとシグナレス」「やまなし」などの物語なかに、その女性とのかかわりを匂わせていたのではないかと、丁寧に読み解く。

 

いささか妄想的な賢治のデート風景、童貞説の真実なども興味深く、「あとがき」では仮説にすぎなかったその女性との恋愛が、確かなものといえそうであるという旨もあった。ほぉ。

 

この本でも、賢治の教師時代の描写が面白かった。

せっかちなところもある賢治、目に浮かぶ。

ベートーベンのレコードへの愛や、賢治は音楽から色が見えたのだろうとも書かれている。

身長164センチ。当時としては小柄ではない。ぽっちゃり。無駄な知識?。

 

・・・学んで、遊んで、家族を思って、悩んで、働いて、浪費して(!)、看病して、悲しんで・・・手帳には「雨にも負けず」と理想を描き・・・冬の銀河ステーションを見上げながら、精一杯、生きて・・・

・・・知れば知るほど、賢治に、自分と同じものをみる・・・

 

「・・・賢治って、わたしみたいだわ・・・」

 

と、多くの詩人がそのように思っていることだろう。

 

 

以下は、花巻市内案内図。宮沢賢治の足跡だらけである。

 

 

この一帯に宮沢賢治に関連する施設や場所は多く、この一帯のあちこちに賢治の作品ゆかりの場所があることがうかがえる。

 

恥ずかしながら、あまり宮沢賢治に詳しくない自分。初めて知ることが多かった。

例えば、「イギリス海岸」。

同題の賢治のエッセーは、このように始まる。

 

夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処ところがありました。
 それは本たうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。

 

宮沢賢治「イギリス海岸」)

 

北上川の泥岩層の青白さに基づいてそう名付けたという、賢治の教養というか、大地への観察力や関心がすごい。

 

ところで、80年代アイドル歌謡が好きなわたしであるが、小川範子さんの歌に「イギリス海岸」という作品があった(作詞:川村真澄)。

 

www.youtube.com

 

この歌の歌詞にも音にも、とくに花巻っぽさはないのだが、題名は賢治の作品から取ったのだ・・・ということを今更ながら知ったのであった。

 

賢治のワーディングは、広がる、広がる。

 

 

記念館の手前から少し山道を下った周辺には、「イーハトーブ館」という施設もあるようであった。

 

その、イーハトーブ館に向かう道には、こんな看板が!

 

熊目撃情報有!

 


・・・そう、今年は全国のあちこちでクマ出没のニュースを聴くが、この花巻でも熊が例年になく出没しているようである。

思わず周囲を見渡してしまった。

 

星めぐりの歌にも熊は登場し・・・大ぐまのあしをきたに 五つのばしたところ・・・と、どこかロマンチックなのだが、賢治の世界の熊の雄姿に見とれていると・・・食われる!

白い貝殻の小さなイヤリング、拾ってくれてありがとう・・・

じゃない。

熊とはファンタジーではなくリアルな生存であるのだ。

リアルとファンタジーの区別がますます不明確な令和の世、熊と人間の棲み分けも重要だが、リアルとファンタジーの棲み分けも重要かもしれないなぁ、蜘蛛と結婚するわけにもいかないし・・・などと複雑なことを考えてしまった。

 

 

前置きが長くなった。

やっと記念館にたどりつくと、2匹の猫が歓迎して・・・くれているのかな?

 

ずいぶんとぼけた表情で仕事をしているが君たちはファンタジーだ。

 

手を消毒したのち、人間の職員に入場料を払い、ロッカーに荷物を預け、やっと身軽になれた。

 

記念館の中はひろびろとしていた。

大きなガラス窓からみえる紅葉は、無数の色で織られた天然のタペストリーのように素晴らしかった。

 

落ち葉は落ちれば命が終わるのだが、その姿はなかなか消えない。

ボロボロになるのは悲しいけれど、死にゆく仲間がたくさんいて、風のたびに舞いあがり、そしてまた地面に打ちつけられる。心を空にして、ただ落ち葉になってみる。

 

 

そう、たぶん、季節もよかった。

秋というのは、日本の里山を歩くには、素晴らしい季節なのだ・・・

 

 

・・・と思ったが「いや、いい季節も悪い季節もない」と思い直した。

・・・どんな季節も、その土地の季節であり、その土地なりの過ごし方や、よさがあるのだ・・・と考え直した。岩手の冬も、厳しいなりに、豊かなものがあるのだろう、例えば、見上げれば銀河ステーションがみえ、童話の世界を生み出すような、冬の闇はそんなふうに豊かなのかもしれないし、詩とはいかなる土壌からも芽をはやすものである。

 

さあ、記念館の中へ。

 

円形に形作られた記念館、大きな岩手県が出迎えてくれた。

 

 

岩手県、という、今まであまり考えたことのなかった県が、とても大きく豊かなものとしてわたしの前に現れた。

この形のまとまりのよさ、大きさ、チーバ県とは違うものがあるな・・・などとくだらぬことを考えた・・・千葉出身なもので・・・。

 

 

記念館は「農」「宗教(祈)」「宇宙(宙)」「芸術」「科学」の5つのテーマに分けられていた。そのテーマの幅広さが、矛盾なくまとまりながら同居するのが凄いのだが、どのテーマに対してもきちんと向き合い、身を投じてきたからこそ、詩に活かされるのだろう。

 

テーマのなかでは、個人的には自分になじみのない「農」「宗教」に関心をもった

 

以下の文章に感銘を受けた。

 

「おれたちはみな農民である」

 

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

という言葉、そんなピースフルで理想に満ちた言葉は、いまの社会では忘れがちになってしまうが、理想は大事なのだということを思い出させてくれた。

 

しかし以下の文章、「詩人は苦痛をも享楽する」・・・

 

・・・これはなかなか・・・そこまで強靭な精神を持っていない自分には、そんな心境にはなれないが・・・それに続く

 

「永久の未完成これ完成である」

 

との言葉に、少し励まされる。

 

・・・そうよね、完成に向かって生きてゆくすべての生命が未完なのだなと・・・だから、今、この時間を大切に生きねばならぬと教えられる。ありがたや。

 

 

宗教のコーナーは・・・無知な自分には難しかった!

 

指をふれると阿修羅が飛び出すコーナーがあり、しばし楽しんだ。ちょっと撮ったので動画にしてみた。

 

youtube.com

 

・・・なんとなく、自分の分身がいるような感覚になった。

 

ふっと、賢治のパンフレットに書いてあった「賢治の気高い祈りや願い」という言葉を思い出した。

 

 

「科学」のコーナーは「映え」の宝庫であった。古めかしい顕微鏡が印象に残った。

 

 

一般に、大人になってから顕微鏡をのぞくことは少ない。

それゆえ、顕微鏡の向こうにみえる世界には児童期の感性が投影される。顕微鏡をのぞくとそこに別の世界が生きていると感じた、あの感じを思い出す・・・。

なんだろう、あの、感じ・・・。

 

また、並べられた宝石たちも、美しかった。

 

 

そしてこれもまた思い出させる・・・わたしもきれいな石が好きだったし、小さい子は石のなかに世界を見るのだ、ということを。

 

・・・ああ、何だというのだ、この、懐かしさ!

 

賢治の世界は感覚に直接触れる、強い刺激のようなものがあるようだ。

 

 

記念館では「銀河鉄道の夜」の朗読動画も流しており、しばし鑑賞した。

 

それで気づいたのだが、読んだことはあっても、細かい部分をずいぶん忘れていた・・・。

 

また、ストーリーの筋だけでなく、見逃してしまいそうな細かい単語や言葉、小さなエピソードのもつ輝きに気づいた。

 

例えば以下の部分など。

 

見ると、もうじつに、金剛石こんごうせきや草のつゆやあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床かわどこの上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光のした一つの島が見えるのでした。

 

その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架じゅうじかがたって、それはもうこおった北極の雲でたといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。

 

宮沢賢治銀河鉄道の夜

 

こういった文章そのもののもつ美しさに気づいたのであった。

 

 

>「水は声もなくかたちもなく流れ・・・」

>「すきっと」

 

こうした語のもつパワーに気づかされる。

そして、この風景に、やはり、覚えがある、と思う。

たとえば、夜だけれど、きらきらと光る水辺を知っている・・・なんの意味ももたらさず、むやみに光るものがある河原・・・自分の幼いころ、そんな風景に包まれていたことを思い出す。

 

どこの風景かわからないけれど、だれもが確かに知っていると感じる風景が「銀河鉄道の夜」には描かれており、それは誰もが深層で持っている情景、集合的無意識のようなものかもしれない。

 

そして、記念館で体感した展示から得た感覚、「何だろう、この感じ」と思ったものの答えが、わかった気がした。

 

まだ言葉を知らぬ幼いころに得て、しまい込まれたままの感性を、言葉では表現できないような体験を、呼び覚ましてくれるのだ、この世界は・・・きっと・・・。

 

 

学校の見学授業で来たかのような小学生の群れが、賢治の展示物に目もくれず走り回り、はしゃぎまわり、うるさいほどであったが、これもまた無意識のうちに賢治を体験しているのであろう・・・意識下に銀河鉄道を走らせる小学生たち。

 

岩手の小学生のなかに、豊かな実りがはぐくまれる瞬間。そして、自分のなかにも・・・そう、あまり宮沢賢治を知らない自分にとって、賢治記念館でのこうした体験は、スタートなのだろう。扉を小さく開くと、よくわからない世界の、少しのきらめきが感じられる。きっとこれからその世界に触れることになるだろう。

道端にみつける、小さな石の輝きなども、その書物のひとつとして。

 

 

 

バスの時間を気にしつつ、帰りは階段でなく道路を歩いてバス通りまで下りた。

落ち葉がコートの肩に降り続く。

ときおり車が通りすぎる。

風がまた落ち葉をくるくる回転させ、その葉っぱがわたしにまとわりつく。日差しは眩しいくらいだ。

くねくねと長い下り坂を飾りつけるススキの穂影。

花巻は豊かな風景で旅人を包み込む。

 

 

落ち葉は落ちれば命が終わるのだが、その姿はなかなか消えない。

ボロボロになるのは悲しいけれど、死にゆく仲間がたくさんいて、風のたびに舞いあがり、そしてまた地面に打ちつけられる。心を空にして、ただ落ち葉になってみる。

 

花巻の地が賢治の想像を支え、その想像から生み出された世界がまたこのリアルな土地を支えているのだ、賢治と花巻の、永久機関の連鎖のようだ。

 

 

バス停でカナヘビを見つけた。

まるで落ち葉の一種のよう、だけど風になびかない、そんな生命との貴重な出会い。

バスが来ないのを確認しながら、少し動画を撮った。

 

そして時刻表から少しだけ遅れてやってきたバスに乗り込み、新幹線の「新花巻」ではなく、高村光太郎が晩年住んだ「高村山荘」に行くため「花巻駅」まで向かうことにした。

 

(つづく)

 

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◆松岡宮からのお知らせ

 

1)新曲が出ます!

 

新曲「アップアップ後楽園」がいよいよ11月27日にサブスク各社でリリースされます。わーいわーい😃

 

big-up.style

 

 

ほんとに楽しい(?)というか松岡らしい作品。

南北線から丸の内線の乗り換えで、上らなきゃいけなくて・・・アップアップする作品です。

ダメ山さんはカイトにされて!

東京ドームいっぱいの吐瀉物!

お聞きいただければうれしいです。

 

配信会社によるYouTubeフル視聴はこちらです。

 

www.youtube.com

 

BandCampでも視聴できます。

 

miyamatsuoka.bandcamp.com

 

Baseでも販売してます。

383.thebase.in

 

新曲を出せるって幸せですね~。

いつも皆さんに支えていただき、創作を続けられることに感謝しています。

 

 

2)北中夜市(高円寺)出ます

 

人気の夜市、やーっと当選しました・・・ああ、うれしいな。

12月17日(日)16時から20時、高円寺「北中夜市」で「蒲田ポエトリーミュージックショップ」としてCD販売します。

CDご購入者には歌作りサービス、握手など、いろいろサービスします。

そう、路上で歌作りとかパソコン演奏もできるようにします。

 

 

「東京フリマ日記」、「まちにとけこむ公認心理師日本評論社)」ともども、よろしくお願いいたします。

 

383.thebase.in

 

 

3)ブラックフライデーは11月27日まで

 

詳しくはひとつまえの記事をご参照ください。

 

ekiin.hatenablog.com

 

BASEの商品説明もかなり書き替えました。

383.thebase.in

 

店舗名を少し変えようかと思っていますが・・・

「蒲田ポエトリーミュージックショップ」というのはどうかしら?

なぜ蒲田にこわだる!

 

AIを活用したBASEブラックフライデーの魅力的なセールイベント(11/21-11/27)

 

 

この記事にわたしがつけたタイトルは

「BASEブラックフライデーによせてAIを有効利用した」

でした。

 

・・・そうだ、AIにこの記事の題名を付けてもらおう!

 

と思い、はてなにもそんな機能があった・・・と思ったら、まだClosedだったので、以下のサイトで題名を付けてもらいました。

 

無料AIブログタイトルジェネレーター

 

その結果、以下のような提案をしていただきました。

 

1. AIを活用したBASEブラックフライデーの魅力的なセールイベント

2. BASEブラックフライデーにおけるAIの効果的な活用方法とは?

3. AIを駆使したBASEブラックフライデーのお得な情報をご紹介

4. BASEブラックフライデーにおけるAIの有効活用術とは?

5. AIがもたらすBASEブラックフライデーの革新的なセール戦略

 

というわけで、1番を採用し、今回の記事の題名となりました。

 

 

わたしのグッズを販売させていただいているBASEで

来週火曜日から1週間、

 

『Pay IDアプリ』限定ブラックフライデークーポンキャンペーン

 

が行われるそうです。

以下のような感じです。

 

 

Pay IDアプリで購入する場合、クーポンコード「2311black」を入れると、1割引きになるようです。

 

BASEといえば最近、AIで商品説明書いてもらえるのが面白いです。

 

AIは、絵をかいたり、翻訳したり、すごいですよね。

そこで、「MyEdit」というAIイラストのウェブサービスを用いて、

うちのBASEで詩集を売っている2名の詩人の名を出して、絵を描いてもらいました。

 

以下の文章です。

 

「詩人の木葉さんと美羽さんが冬場の道路で詩集を売っている」

 

その結果は・・・⇒

 

こちら・・・⇒

 

 

 

 

・・・まともだ・・・かわいいやん・・・。

 

・・・手がちょっと、へんだけど。

 

・・・普通に「いい絵」で、いまどきのAIの性能に驚きました(いまごろ・・・)。

 

いやほんと、創作において、AIとのつきあいは、もう避けて通れませんね・・・

 

というわけで、このBASEブラックフライデーを記念し(?)AIに商品説明を書いてもらいましたので、ご紹介します。

(※ここで紹介する文は、AIが出した最初のバージョンです。実際の商品説明に入れる際には微修正を行っています)

 

 

1.木葉揺(このは ゆり)「アーベントイアー」

 

383.thebase.in

 

以下、AIによる紹介文です。

 

 

木葉揺/アーベントイアーは、兵庫県出身の詩人が贈る最新詩集です。

 

投稿活動で注目を浴び、「びーぐる新人」「ココア共和国」などで知られる筆者のフクザツな世界を、からりと書き上げています。

 

その筆致はさすがのヴェテラン詩人といったところ。

 

アーベントイアーはドイツ語で「冒険」という意味で、読む人の心を冒険に誘います。

 

日常の世界から離れ、新たな視点で物事を見つめることで、心に新たな想いを生み出します。

 

心に響く詩がたくさん詰まった一冊です。

 

時間の流れがゆるやかになり、大切なモノやコトに気づける、そんな冒険が詰まった一冊です。

 

ぜひ、アーベントイアーと共に素敵な旅に出かけてみてください。

 

AIおわり。

・・・最後のほうがAIっぽいというか・・・わたしには書けない感じの文章であります。

大切なモノやコト・・・

AIよ、AIのあなたの大切なものって、なに?

という疑問がわいてくる自分・・・昭和生まれだな・・・。

・・・その言葉で気分は良くなるけれど、ほんとうのところは何を言っているのかわからない・・・でも、そのものを買いたくなる・・・そんな気分にさせる言葉。

 

ふっと思い出した、最近、そんなフリルのような言葉がたくさんあることに。

 

いや、最近だけじゃない、わたしたちの社会が標語好きなのは言霊という言葉のせいかもしれないけれど、言葉が守られることもなく、ただアリバイ作りのように掲示されている言葉がある・・・立場ある人の言わねばいけない良い公約、「今日もあいさつで明るい近所」、道路に張られたポスターやチラシ、「ふれあいが防ぐ非行」、そんな言葉もまるでAIが作ったような言葉のようだ・・・

 

流れに沿って、自然で、柔らかく、優しく・・・言わされている言葉があるね・・・。

だけどAIだとしたら、そこに人はいないのかなぁ・・・。

 

もうAIが詩集を出す時代になっているとは思いますが、この商品であるところの木葉さんの詩集には、たしかに、詩人がいるという感じがありますよね ・・・。

 

良い意味での、ひっかかり。

 

・・・流れに沿わないのが詩なのかもしれない??

 

・・・うーむ、奥が深い。

 

 

 

2.青条美羽「電線上のハクビシン

 

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以下、AIによる説明文です。

 

さまざまな視点から都会や風俗を描いた詩集「Miu Seijo ”Civet on a electric power line” 青条美羽 「電線上のハクビシン」」が登場しました。

 

この本は、早稲田一文が生んだ詩人・青条美羽による、2008年ごろの都会や風俗の観察記録です。

 

固有名詞が懐かしく、まだあの頃は日本もマシだったと思わされる一冊です。

 

時代の背景や社会の変化を詩という形式で感じ取ることができる貴重な作品です。まるで都会の喧騒や風俗の一端に立ち会っているかのような感覚を味わえます。

 

ぜひあなたも青条美羽の世界に触れ、当時の情景や雰囲気を存分に楽しんでください。

 

AIおわり。

・・・一部はわたしが書いたものが使われてますが(すみません)、最後のほうの展開が、やっぱり自分には書けないという感じでした・・・

たとえば

 

「味わえます」

「立ち会っているかのような」

「感じ取ることができる」

「存分に・・・」

 

・・・いいんかい そんなに言い切ってしまって!

 

・・・なんだか不安にさせる、綺麗で前向きで希望のあるふわふわとした文章・・・

これが「AIみ」かぁ・・・と詩人は思うのでありました。

こわい。

まったくこっちの話を聞いてない、とても偉い人のよう。

 

・・・そんなわたしはやっぱりものを売るのに向いてないし、売るための文章を書くのにも向いていないのだと思います・・・

 

そこはAIちゃんに任せよう。

 

・・・さあ、絵はがきは、どう紹介してくれるかしら!

 

3.Hiromi Kobayashi picture postcard ”SKY” 小林浩美 絵はがき「空」

 

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以下、AIによる説明。

 

生活の中で空を見上げる瞬間に、ほっとしたり、心が解放される経験はありませんか?

 

そんな特別な瞬間を、毎日の暮らしに取り入れてみませんか?

 

川崎の美しい空を描いた小林浩美の絵はがき「SKY」は、その瞬間をあなたに届ける一枚です。

 

青々と広がる空には、自由や希望の象徴が込められています。

 

絵はがきならではのサイズ感で、手軽に贈り物やメッセージに添えることができます。

実際の絵と同様に、その写真写りも素晴らしい仕上がりとなっております。ただし、ご了承いただきたいことがございます。写真と実物では色味が異なって見える場合がありますので、予めご了承ください。

あなたの気持ちが、この絵はがきを通じて相手に届きますように。大切な人への贈り物や、自分自身へのプチギフトにも最適です。

 

心温まる瞬間を共有するために、ぜひ「SKY」をお手に取っていただきたいと思います。

 

AIおわり。

 

・・・いや、なんか素晴らしい文章。

絵はがきの説明に、これだけ言葉を連ねて、間違っていないし、なんか前向きな気持ちにさせる商品説明・・・すごいな・・・。

 

しかし、

 

・・・空には自由や希望の象徴が込められている・・・

 

作者に訊かずにそんなことを書いていいのだろうか?

やはり、不安になった・・・。

 

・・・そして、やはり後半のたたみかける感じ、これこそが素晴らしい文、のようであるが、そこには誰もいない・・・AIなんだなぁと・・・周囲を包むけれど芯にたどりつかないような感じ、だんだんAIの書く文章のパターンがわかってきた・・・

 

でもやはり、購買意欲を引き立てるという点では、上手い文章を書くひとだ、AIさんは・・・。

 

さあ、わたしの音源の説明文も、AIさんにまかせたぞ。

 

 

4.松岡宮「Limited Express 383」

 

383.thebase.in

 

以下、AIによる説明文。

 

松岡宮のプロレコーディングによるベストアルバム「Limited Express 383」がついに登場!

 

このCDには、鉄道をテーマにした13曲が収録されています。

 

松岡宮の独特なボーカルと、軽快なメロディーが絶妙なハーモニーを奏で、聴く者を楽しませてくれます。

 

毎日の通勤や旅行のお供にぜひ!このアルバムは、日本の鉄道ファンのみならず、音楽ファンにもおすすめです。

 

山や海、街など、さまざまな風景を楽しみながら、車窓からの景色を眺めるような気分にさせてくれます。

 

松岡宮の歌声は、心地よいリズムとともに、旅情を高めてくれます。

 

きっとあなたも、このアルバムを聴いている間、一瞬でどこか遠くへ連れて行かれることでしょう。

 

この「Limited Express 383」が、あなたの旅の思い出にぴったりのサウンドトラックになりますように。

 

迅速なお届けを心がけておりますので、ぜひお求めください。

 

AI説明文、おわり。

うまいこと書くなぁ・・・AIは文章がうまいのだと気づきました。

旅だよ、旅情だよ、という方向性で攻めていますね・・・しかし、本当のところ、ぜんぶが鉄道テーマのアルバムではありません・・・。

 

きっとこのアルバムを聴いたことが無いのでしょう、AIさんは・・・。

 

・・ああ、思い出した、ライブに来たこともなく、CDを買ったこともない方が、宣伝協力したいと言ってくださったときのこと・・・そんな方は一人や二人ではない・・・

作品も買わずに・・・作品も聴かずに・・・作品のこと、書いて下さったり宣伝してくれたり・・・

 

・・・あれはAIだったんだ!

 

でもAIは文章がうまくてね・・・芯を外したような美辞麗句も、自分の作品のことだとなんか気分がよくなって・・・「ええで ええで」・・・という感じになってしまいます。

ええで。

うん。すき。

もうダメだ。

AIに負けている・・・

キミに負けている・・・

AIを、すきになっている、自分がいる・・・。

AI、キミが好きだ・・・うん。商品の文章書いてくれて、ありがとね。

 

言葉、出されたとたんに、生きてしまう。言葉っておそろしい、それが、詩ですら、ある。

 

 

 

ついでに、

調子に乗って、AIイラストで、わたしの似顔絵描いてもらいました。

 

「宮さんは鉄道員の格好をしてルンルン気分で詩をうたう」

 

という言葉を入れた結果が・・・

 

以下。

 

 

 

うむ・・・似てるかも。

 

・・・かわいいやん(ー_ー)

 

 

・・・というわけでわたしが管理するBASE「みやさん・ざ・べーす・いん」ブラックフライデーの紹介でした。

 

ぼちぼち買っていただくこともあり、本当にありがとうございます。

 

来週火曜日から1週間、Pay IDアプリで購入する場合、上のチラシにあるクーポンコードを入れれば1割引となるこの機会に、ぜひクーポンを使って購入してみてください。

 

383.thebase.in

 

いつかBASEやってみたい方や、みやさんBASEに委託したい人なども、ぜひ体験してみてくださいね。

 

 

相変わらずアホみたいに新曲を書いています。

ほのぼのとした1分弱の新曲でもどうぞ。

 

youtu.be

 

 

 

 

 

デザインフェスタ58感謝&戦利品

 

帰り道、その建物は少し、微笑んでいるようにみえた。

 

 

11月12日、東京ビッグサイトの「デザインフェスタ58」

冬の気配が近寄るなか、南館4階パフォーマンスエリアにて、ライブしてまいりました。

 

 

「アップアップ後楽園」をレコーディングしてくれたアソルハーモニクス森さんが、たまたまご自分が手掛けた曲がショーステージで流れるというのでカフェにおられるというご連絡あり、「ビールおごるよ」というので合流しました。

 

さすがに本番前にビールを飲むわけにいきませんが、甘いもの、ごちそうしてくれました。

本番3時間前。お腹がすいていたので、有難かった。

 

食糧はどこだ 食糧は・・・。

 

本番前は、糖分補給が大事ですね。

とてもおいしかった。ありがとうございます。

 

「宮さんどこでライブやるの?」

「南館の4階ですよ」

「え、ここのフロアじゃないの?」

「ここじゃないですよ~。けっこう遠いですよ~。」

 

といった会話を交わし、南館まで一緒に移動することになりました。

 

冬らしくなってきて、椰子も寒そうです。

森さんが「ねえ宮さん、ここに飛び込んだら死ぬかな~?」とか意味不明なことを言っておりました。無視、無視・・・。

 

 

さて、自分の本番ですが、「ひびえん屋」でご出展中の、FICEえんちん様が応援に来てくれました。

 

えんちん様はパフォーマーとしても素晴らしいのですが、何より作家として、楽曲づくりが素晴らしい方で、たくさんの名作を残しています。

でんぱ組Inc.の「でんぱせいばぁ」作詞も手掛けてゆんゆん。

 

www.youtube.com

 

わたしがいちばん好きな「裸執事のテーマ」貼ろうとしたら18禁でダメだったが・・・。

んっはっ、んっはっ、裸執事~という歌、中毒性があって好きです。

 

 

 

 

自分のライブですが、最近TouTubeショートやTikTokで発表している、戦争体験ショートメドレーを入れてみました。

 

戦争体験は、それぞれの方の部隊などにもよるので、一般的なことは書けませんが・・・具体性のある体験談をもとに、楽曲に起こしてみました。

 

満州・独立守備隊から、千島列島・占守島の警備。

終戦後の8月末にもはげしい戦闘が繰り広げられた占守島

 

この写真は、「拝啓 静枝様」をやっているところです。

youtu.be

 

拝啓 静枝様

戦場から手紙を送る

今日の空襲はいささか激しい 

ゼロ戦が落とされた

慰問文をどうか 

我に与えよ どうか

 

本当に戦場から送られた手紙の文章をもとに、曲をつけてみました。

実話です。

静枝さんからの手紙が来ないので、ほかの兵隊あての手紙を読ませてもらっていたとか・・・。

ちょっとしたお便りや心づかいが、極限状態の戦場において精神を維持する要素になっていたことが伝わります。

 

しかし今回は新曲の多いライブで、とにかく歌詞の暗記が大変でした。

 

キーボード(鍵盤ではなくパソコンの・・・)弾いています。

 

落ちているのは、メークイーン(おいも)。

おなかがすいた・・・おなかがすいた・・

デザフェスもお腹がすくイベントですが、とにかく食糧の足りない戦時中の島の生活。

その兵士は、北のはての占守島で 自活班を命ぜられ 芋を育てていたそうです。

大学の農学部に在籍していた兵隊もいたそうで・・・

工夫をこらし、それはそれは、美味しいお芋が収穫できたようです。

 

占守島のうた」

 

千島列島の 北のはて

お芋 作ります 占守島

戦争中のこと・・・

 

 

youtu.be

 

 

終戦の日に、いちめんに咲いていた満開の馬鈴薯

それは戦地に咲いた食糧の花。

貴重な食糧の花。

このまま去ってしまうのがもったいないと思ったことでしょう。

 

「無条件降伏」

 

無条件降伏の放送を聴いた朝

占守島に一面

馬鈴薯の花 

食糧の花

 

 

 

youtu.be

 

人がたくさん歩いているデザフェス会場も、なぜか広漠たる荒野にみえて、飢えている人がいる。

食糧がじゅうぶんにありますように、平和でありますようにと祈ってしまった。

 

セットリストです。

 

1.戦争体験ショートメドレー

2.アップアップ後楽園

3.それはどこまでも深い大江戸線

4.クシコスしごと

 

感想は・・・必死の稽古の結果、なんとか歌詞をすっ飛ばさずにできましたが・・・歌詞をすっ飛ばさずにやることに夢中で、ぜんぜん余裕がなかったのが反省点ですね・・・新曲が入ると、いつもそうだ・・・。

 

小さなお子様が最前列で反応してくれたり、暖かい応援をしてくださるお客さまもいらっしゃったり、もちろんえんちん様とそのお客様の暖かい応援もあり、こういう場でライブできることが、ほんとに幸せだなーと思いました。

平和だからだ。

平和って、ありがたい。

 



食事にハエが来ないようにするネット、以前「ジモティ」に出したけれど、貰われなくて・・・。こんなライブで活躍するとは!

 

えんちん様、CDも買って下さいました!

CDを買っていただけるの、しかも「~383(ミヤサン)」を買っていただけるの、本当にありがたいです・・・松岡のすべてはそのアルバムの中にあるから・・・。

本当にありがとうございました。

 

「戦争反対」とあえて書いたのは・・・いまの世界の状況もそうですが、こうして戦争体験シリーズをやっていると、なんか、戦争のカッコよさみたいなものに取り込まれてしまいそうで、怖かったのです・・・。

わたしは影響されやすく、どこか危ない人間だなぁと思います。

そして、わたしは自分の世界をうたいますが、それが不快だったり、あまり好まれなかったりすることがあると、最近、気づかされました。自分には思い至らぬことで、申し訳ないなと思います。

そんな状況のなかですが、ライブできることはほんとに幸せだなと感じた一日でした。

 

平和だからだ。

日本が、平和だからだ。

 

わたしの世界を共有してくださったお客様に感謝です、ありがとうございました。

 

新曲「アップアップ後楽園」、BASE&BandCampで購入できます☆彡

 

383.thebase.in

 

miyamatsuoka.bandcamp.com

 

聴いた方には大好評のこの新曲、ぜひアップアップしてくださいね☆彡

 

 

そして、やっぱりデザフェスに来たら、なんか買います。

 

買ったものが宝物になるから・・・大人買いだ!

 

 

◆クレイの「キノコ」

可愛くて毒がありそう・・・・。うまく作るなぁ・・・。

◆ケータイっぽいキーホルダー 

80年代っぽくて(でも80年代に携帯はない・・・)とてもかわいいです。画面部分が透明になっているのが気に入りました。

◆靴とお花のハンコ 

ハンコは案外使いますので、いろんなブースでチェックしました。

これは上品で、使いやすそうだなと思いました。

◆ひびえん屋のかぼちゃパンツ 

夏場には大活躍ですが履いてるところをまだ人には見せられないな・・・。

 

もっと買いたかったのですが19時で終了になり・・・寒い風のなか、帰宅しました。

 

 

寒い~。

 

 

帰り道、その建物は少し、微笑んでいるようにみえた。

 

ビッグサイトは夜の闇のなかでも夢の残り火をうっすら照らしているように、紫色に輝いていました。この建物が、どれほどたくさんの人の夢を支えてきたことでしょうね。

 

自分にはいろいろな支えのあることを実感したデザフェス58のライブでした。

 

みなさん、ありがとうございました。

 

 

どうでもいい追記

 

以前から薄々思っていたのですが、わたし、もしかしたら、トランスヴェスタイトクロスドレッサー)・・・なのかな・・・?

自分には女らしさがまったくなくて、お化粧も自分からやろうと思ったことがなくて。

スカートは、だんだん苦手になって・・・履かないことはありませんが、なんだか冷え冷えして・・・って、ただの冷え性

男性の文化へのあこがれが強いのかもしれませんし、女性になりきれなかったコンプレックスもありそうです。

デザフェスはそんなふうに性の自由もありそうで、居心地がよいです。

 

 

新曲「アップアップ後楽園」出ます!

 

◆新曲が出ます!

 

 

松岡宮の新曲「アップアップ後楽園」

 

11月27日 サブスク各社にて、リリースされます。

 

big-up.style

 

後楽園駅をアルバイト通勤で使うようになり・・・構想2年・・・やっと完成させることができました。

 

わたしの人気作に「それはどこまでも深い大江戸線」という作品があります。

その作品は題名のとおり、どこまでも深く潜ってゆくテーマなのですが、それなら今度は上昇する作品を書こうと思って、後楽園駅で、南北線から丸ノ内線に上昇してゆく作品を書きました。

 

ジャケットのもとになった写真です。

 

構想3年・・・(←増えてる)、

メロディやらアレンジやら、パーカッションやら・・・あれこれ悩み・・・

やっと、形になりそうに思い、等々力のアソルスタジオさんでプロレコーディングいたしました。

 

 

そう、等々力。

いまどき地上を走る、雰囲気のある大井町線の、小さな駅。

 

東急大井町線等々力駅周辺は、のどかな高級住宅街です。

 

 

プロレコーディング風景です。

「宮サンの高さにしておきました、ん?背が縮んだんじゃない?」などと言われたりしましたが・・・レコーディングはスムーズに終わり、森さんのミキシングも冴えわたり、とても良い感じに言葉が押している作品になりました。

褒めてもらえたり、励ましてもらったり。そういうプロの方が傍にいるってありがたい・・・でも背は縮んでないと思うが・・・。

 

短くてシンプルな曲です。ぜひ多くの方に聴いてもらえたらうれしいです。

 

というわけで、「BANDCAMP」および「BASE」にて音源Wavデータの先行販売を開始しました。

 

なんと・・・宴会芸に使えるカラオケも同時に販売です。

 

 

◆BandCamp

 

miyamatsuoka.bandcamp.com

 

miyamatsuoka.bandcamp.com

 

 

◆Base

 

383.thebase.in

 

383.thebase.in

 

 

BandCampのほうではフル試聴が可能ですので、ぜひいちど、お聴きくださいませ。

 

 

◆11月12日デザフェス出演します。

 

 

17時半から・・・パフォーマンスエリア、東京ビッグサイト南館4階、最後の出演者です。

 

(大きなショーステージ―ではありません。)

 

 

 

デザフェスで「アップアップ後楽園」、初披露です。歌詞がちゃんと出るのか、心配ですが・・・。

みなさんの笑顔に出会えたらうれしいです。

 

CDご購入の方には握手をサービスします。

 

本番に向けて、お気に入りの無人スタジオで練習しています。

無人スタジオ・・・今どきっぽいですね。

 

ライブもデザフェスだけになってきましたが、出演のご依頼などございましたら、お立ち寄りいただき、お声かけ下さいませ。

 

デザフェスはいいところ~。

日曜日、みなさんにお会い出来ますことを楽しみにしています。

 

 

花巻 銀河と小屋の旅(2)

この記事は、以下の「花巻 銀河と小屋の旅(1)」の続きである。

 

ekiin.hatenablog.com

 

(1)と重なる部分もあるが、この(2)では、新幹線の新花巻から、徒歩で「宮沢賢治記念館」まで行ったときの記録をしるす。

 

結論からいえば、風光明媚な道のりをテクテクあゆみ、徒歩20分少々でたどり着けた。

荷物が多くなく、天候がよければ、徒歩はおすすめである。

 

 

 

北国にしては暖かな秋の朝。日差しがまぶしいほどで・・・・岩手・・・温暖なのか?とすら感じた。

 

新幹線の駅を出ると、銀河鉄道を乗せたモニュメントが出迎えてくれた。「銀河鉄道の夜」のイメージであろう。

 

 

しかし降り立った時刻を考えると「銀河鉄道の朝」といったほうがいい雰囲気である。夜になればきっと星も美しく輝き、このモニュメントともあいまって、ロマンチックな駅前広場なのだろう。

 

Googleマップによれば、新花巻から宮沢賢治記念館までの道のりは、このようになる。

 

 

駅から1.6キロ程度、道は大通りでわかりやすいのだが、目の前に広がっているのは秋色に染め上げられたごく普通の農村風景であり、はたしてこの先に「宮沢賢治記念館」があるのだろうか?と不安に思った。

 

そんな不安を解消してくれたのが、記念館までの道に置かれている、賢治の作品にちなんだブルーのモニュメントだった。

 

そのモニュメントがあることで、正しい道を歩んでいることがわかり、有難かった。

 

よだか発見。

 

 

「お前はよだかだな。なるほど、ずいぶんつらかろう。今度そらを飛んで、星にそうたのんでごらん。お前はひるの鳥ではないのだからな。」

(「よだかの星」)

 

 

よく整備された美しい広場に、よだかの星のモニュメントがきらめいている。広々した背景とあいまって、よだかも楽しそうである。もちろん、君は、みにくくなんか、ない。

 

そういえば、記念館までの道のりを歩いた感想は、よく整備されているというか、人が丁寧に手入れをしていることが感じられる道であった。

もっとも、歩いているのはわたしひとりであったが・・・。

 

クルマはぶんぶん走っていた。

釜石線はときどき走っていた。

トランスファーリン・イーハトーブ

 

あ、きつね発見。

 

星の先っぽに、きつねがぶら下がっている。このモニュメントは額絵の鉄道が良い感じであった。

 

こんなふうに、日本の里山といったふぜいの風景のなかに、明るいブルーの賢治のモニュメントが建っているさまは・・・意外に似合ってるように思われた。

どのモニュメントも同じ青色で、統一感がある。

モニュメントは、目立ってはいても悪目立ちはせず、きちんと風景に調和するように作ってあるのだろう。

 

踏切手前の交差点のセブンイレブン前、曲がり角で、猫のカップル、発見。

女の子のドレスがかわいいが、なぜかハダシ。

 

このカップルも、そこまで悪目立ちせず、風景に溶け込んでいた。

花巻が宮沢賢治だらけなのは確かだが、それらは過度ではなく、華美でもなく、秋の落ち葉が色づく美しい風景のなかで、賢治の物語の世界が全体の色彩に調和しているようにみえた。

 

つぎは・・・

 

ネズミがぶら下がっている!

 

なんだか、農村で、ネズミ捕りに引っかかってしまったような、微妙な表情。

 

「どうして自分はずっとぶら下がっているのだ?」

とでも言いたげに・・・。

 

・・・たしかに、おかしいNe!

・・・この写真、なんかおかしいNe!

・・・そうなんだ。わたしなどはうっかり賢治の世界というメガネからこの風景を見ているけれど・・・(しかも、それほど宮沢賢治に詳しいわけでも無いのに・・・)賢治が生み出した世界の根幹にあるものが、この農村そのものであり、この農村にいるネズミであるはずなのだ。

 

賢治の物語をこの地で感じるためには、賢治の物語、というメガネを外さなくてはいけない・・・という、逆説に気づいた。

 

深呼吸。

 

踏切のあたりで周囲を見渡す。日本の里山の秋は、穀物の実りのなごりを感じさせ、ゆたかな郷愁を誘う。しかし今日も世界のどこかで戦争がおきており、岩手県も震災で大きな被害にあった。この大地はけっして平和なものではないからこそ、この穏やかな風景が貴重なものであるように思える。

 

 

・・・野原の松の林の蔭の小さな萱ぶきの小屋にいて・・・

・・・東に病気のこどもあれば行って看病してやり・・・

(「雨ニモマケズ」一部改変)

 

やがてトンネルがみえてきた。

 

文字のない風景。

東京の風景になれると、「文字が(ほとんど)無い」風景がとても貴重なものに思える。広告もない。宣伝もない。人はいない。文字が無い。木々がある。草がある。風が吹く。そんな風景の中に身を置くことがありがたい。

 

・・・しかし、この向こうに本当に記念館があるのか・・・?

 

何度も抱いた疑問が、また浮かぶ。

 

そんな疑問を、ふたたび青いモニュメントが解消してくれる。

 

カエルが干物のようにぶら下がっていた・・・。百舌のハヤニエのようだな・・・。

 

カニもいた。2匹。

あ、これは、あれだな・・・。

これはわかるぞ、「やまなし」だ。

 

二疋ひきの蟹かにの子供らが青じろい水の底で話していました。
クラムボンはわらったよ。』
クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

(「やまなし」)

 

クラムボンはかぷかぷわらったよ・・・」って教科書にあったなぁ。

授業中にこの童話を呼んでいると、ふいに自分が川底にいるような気分になり、見上げれば川面のきらめきが見えてくるような、ときに「外敵」の存在をまぶたに感じるような・・・そんなキラキラした光に満ちた物語だった。

 

やっぱり賢治の世界に、心すくわれていた自分がいた。

 

やがてバス停にたどり着いた。

以下の写真は、記念館の近くのバス停。右に上がってゆく道路は、記念館まで車でゆくときの坂道。

 

バス停、あったんだ。

事前に調べたとき、バスもあるのではないかと思ったのだが、よくわからなかったのだ。

ふむふむ、岩手県交通、「賢治記念館口」というバス停か・・・。

 

ここに到着するバスの時刻表はこんな感じであった(2023年11月撮影)。

 

本数もそれなりにあるので、次に来ることがあれば、バスを有効利用したいと思う。

 

こんなふうに20分以上歩き、やっと賢治記念館口に到着した。

三角屋根が印象的な入口であった。

 

 

ここから、ものすごい階段を登らなくてはならない。段数は367段だそう。なかなかの段数。

 

旅のカートを担いで、えっちらおっちら登ったが、踊り場で息切れ、何度も休憩。わたしのほかに人はおらず、休憩して汗を拭きながら周囲を見渡すと、巨大な蜘蛛が巣の真ん中で神妙な顔をしてこちらをみていた。目があう、微笑む。

 

・・・虫たちは自然の作り上げた神さまだ・・・。

 

蜘蛛の苦手な自分が、なぜかそんなことを思う。葉ずれの音が、カサカサと心地よい。

 

 

イーハトーブには山がありました・・・

山には神さまが住んでおりました・・・

山の神さまに会いに行くには、けわしい道のりを乗り越えてゆく必要がありました・・・

やがて悲願の階段ができて、山の神さまへのアクセスがよくなりました・・・

 

そんな物語を勝手に作り上げる。階段とは、ありがたいものではないかと思い至り、一段、いちだん、踏みしめる。

賢治の世界にたどり着くには、その宇宙までのアクセスには、少し汗をかいて苦労するくらいがいいのかもしれない・・・

 

・・・などと考えながら、カートをかかえて休み休み、やっと頂上まで到着した。

 

ふう。

 

見晴らしがすばらしい。神さまがきっといるのだろう。

 

 

以下の(3)に続く・・・

 

ekiin.hatenablog.com

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆松岡宮からのお知らせ◆

 

新曲「アップアップ後楽園」という作品を書きました。

 

この曲は気に入ったのでぜひプロレコ―ディングしようということで森社長にお願いして、月曜日に無事にレコーディング終わりました。

 

レコーディング楽しかったな。

また記事にしますね。

 

新曲、こんどの日曜日、デザフェスで披露しますね。

 

 

 

 

17時半30分から15分間。

 

半年ぶりのLIVE、ほんと楽しみだなあ。

 

たくさんのお客様にお会いできますことを楽しみにしています。

 

花巻 銀河と小屋の旅(1)

 

東北新幹線で、小松健一さんの「啄木 賢治 北の旅」を読んでいた。

 

これから賢治の記念館などをめぐる旅だったので、賢治のことを読もうと思って持ってきたのだが、啄木のキャラが濃すぎて啄木の部分ばかり印象に残ってしまった。

 

 

「モーリオ=盛岡」

イーハトーブ=岩手の理想郷」

「ハナムキーヤ=花巻」

独特の言語感覚で語られる地名、広大な大地は未知なる地、透明な地図にピンでしるしをつける。

賢治のもつ科学への造詣。

白衣の天使への初恋。

賢治の世界観は空高く広がり続ける・・・

美しい写真も豊富に掲載され、作者の思い入れが強くて面白い本。

 

夢中で読んでいるうちに、ミントグリーンの新幹線が1時間ちょっとで新花巻に到着した。

 

仙台から北へ、県境を超えて。

花巻は仙台から意外に距離があるということを知った。

 

 

新幹線の「新花巻」駅に到着すると、11月の、しかも東北なのに、暑いくらいの日! 

暖かな日差しに守られた風景のなか、新幹線と垂直の方向に、釜石線の単線が延びていた。

のどかな農村という雰囲気だが、この雄大さが賢治の作品を生み出す源泉になったのだろうか・・・。

 

 

宮沢賢治記念館までは、新花巻から1.6キロほどの距離である。徒歩では20分ほどであるが、旅行の荷物を引っ張りながら移動するのは大変であった。

 

まぶしいほどの日差しのなか、釜石線に沿いながら、ゴロゴロと東へ向かった。

あまり刺激のない風景のなか、ブルーの賢治のモニュメントが目立ち、そして記念館までの良い道案内となっていた。

 

歩いている途中、ささやかな空気の振動を伝えながら、釜石線がゆっくりと走っていった・・・そのさまは・・・「銀河鉄道のよう」・・・といいたいところだが、どちらかといえば「農村鉄道」という言葉が似合う風景だった、ごとんごとん、収穫は終わったかい、ごとんごとん・・・。

 

 

宮沢賢治記念館に行き、賢治にとって「農」がいかに重要であったかを、改めて知るのであった。

この岩手には、夜にしかみえない、昼間は見えない、そんな汽車がある。

ひとの良い車掌が腕時計を見やって、思う存分笛を鳴らし、夜になれば、銀河鉄道が満点の星へと向かって走っているのだろう。

 

もう会えない友達のもとへ。

 

 

このたび、わたしが第7章を書きました以下の本が、発売となった。

 

 

皆さんは立派な実践について語っているが、わたしの原稿はいろいろ至らないオフィスであったことを懺悔している・・・。

 

この本のなかでは「2022年の小さな発表会」について書いた。

 

「小さな発表会」はそれ以前にも何度か行っている。

あるときの「小さな発表会」で宮沢賢治星めぐりの歌」を歌ってくれた方がいらした。

 

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。

 

(「星めぐりの歌」 宮沢賢治 作詞)

 

ピュアな情感のある歌だった。

この歌を歌ってくれた仲間・・・わたしと同世代の仲間が、最近、お亡くなりになったときいた。

 

 

その方とわたしは、すごく親しいわけでもなかったが、どことなく波長のあう方だった。ふと、「松岡さんにカミングアウトしますが」と連絡をくれたこともあった。

 

・・・ウクレレでオリジナルの歌を作ったよ、あらわたしも・・・それなら多摩川で一緒にウクレレで弾き語る会でも・・・なんて約束をしたような気がする。

 

約束は、かなえようとしなければ、叶わない

 

賢治記念館へ向かう道すがら、ピュアなマインドをもった彼女の歌う「星めぐりの歌」を思い出した。

そんなにしばしば会う仲間ではなかったので、まだこの線路の向こうに生きているような気がする・・・

 

青空のはての、夕暮れのむこうの、銀河のとおくの、川べりに、彼女が・・・。

 

 

約束は、かなえようとしなければ、叶わない。

 

若くない年齢ともなると、特にそう思う。

 

会いたい人には会いに行こう。

 

(続く)

 

 

◆松岡宮からのお知らせです。

 

次回ライブは11月12日(日)デザインフェスタです。

東京ビッグサイト、南館4階のパフォーマンスステージ。

なんとラスト、17時半より。

 

そのあとのライブ予定は今のところ、ございません。

ぜひ観にいらしてCDをゲットして握手もして下さい。

 

 

 

 

 

CDやZINEだけでなく、なぜか手芸品を売っているBASEもぜひご覧ください★

友人たちの詩集(の紹介)も面白いですよん。

 

 

383.thebase.in

 

 

 

人が死にました

そのお便りは突然に

 

人が死にました

 

わたしに訃報は要りません 

 

あまりに最近、人が死にすぎているから。

 

さあ電車に乗るぞ、神奈川県が呼んでいる!

 

またしても相鉄線に乗るので子供のようにはしゃいでいる

 

紺色の素敵な駅員さんに会いに行くぞ、神奈川の駅員さんはすてきだ。

 

郊外という言葉が似つかわしい街で育ち大田区に来たが大田区は郊外ではない

ニュータウンの冷たい家々のシルエットや坂道すらも懐かしく

神奈川県の郊外には

おさなき孤独と青春が住まうと思う

鉄道がその闇を縁取ってゆく

行くぞ、あの、神奈川へ・・・

 

だが東急民、考えがあまかった。

 

何も計画しないで家を出たら東急の駅から相鉄大和までの乗り換えがおそろしく悪かった

相鉄経由で愛する小田急江ノ島線までたどり着くのは至難の業だ

もうしません えのしません・・・

 

さっそく日吉でおろされた

すぐ新横浜でもおろされた

 

亡骸はもう逃げないけれど

新横浜での待ち時間の 長いこと

そのひととの思い出がふとよみがえる、明るい笑顔を思い出す。

死をみたくない気持ち、細切れ時刻表。

 

 

SHとは・・・何線の略なのだっしゅ?

と思ったら

東急新横浜線のナンバリングらしかった

っしゅ。

 

・・・なぜSHになるのだろう・・・

あ、「しんよこはま」の「し」、「SH」なのかもしれない・・・

 

・・・また「し」に出会ってしまった。

 

新横浜では相鉄と東急がしのぎをけずり・・・新幹線の風さえ、吹いて。

 

 

新横浜で見上げた案内板、もはや東急でなく相鉄風味だった

相鉄はすっかり東急のほうへと侵食する

 

新横浜からは湘南台行き 

なかなか大和にたどりつけない・・・

しかたなく二俣川で乗り換え 

相鉄、だんだん、混んでくる、その体格の良い人員に圧され囲まれ、相鉄の勢いを感じさせる。ジャケットをぬいだ鉄道員のシャツの肩口があまりに美しく驚く。

制限のある車内では恋が芽生えやすい。

高校のころを思い出す

Uちゃんが年下男子に告白したのも相鉄線

ガタン ガタン

なぜか相鉄線の車内には不思議な鏡があったっけ

ガタン ガタン

神奈川県民の体臭につつまれ、つり革を握りながら

やっと 大和に たどり着いた。

 

 

ああ、改札を出ればもう小田急ワールド!

 

やっほー、小田急だ、江ノ島線だ。

 

 

小田急は自分の路線という気がする・・・もう、小田急ではなく東急民となってしまったのに。

小田急が好きだ。

 

突然はじまる小田急のこういう「ノリ」にほっとする

 

たとえばこんな・・・駅員による川柳もあった。

 

「じいちゃんが モバイル覚えて ファイブじぃ」

 

・・・きっと身内でウケた川柳なのだろうな・・・

 

(「ばあちゃんがモバイル覚えてINFOBAR」も可能か・・・古いな・・・)

 

モバイルPASMOの宣伝だった。

 

ちなみにわたしは普通のPASMOと、モバイルSUICAを持っています。

前者にはメトポが、後者にはクレカのポイントが溜まるしくみになっており・・・一元化したらもっとポイントがたまるかと思うが、2枚あることの安心感も捨てがたい。

 

駅員さんはすばらしい。

 

鉄道員さんはすばらしい。

 

いいなぁ・・・これ・・・。

やっぱりわたしは相鉄よりも小田急っ子・・・

 

・・・しかし いつのまにか 小田急に へんなゆるキャラが出来ていた。

 

みんなのおともだち おだきゅうの もころん・・・???

 

それは鼻なのか口なのかわからぬが、ウサギであることは、間違いないようだ。

 

・・・腰にロマンスカーどんだけ大きいねん・・・もころん・・・

 

 

ふむふむ・・・ロマンスカーはポシェットだったのか、そんな大きいポシェットをつけて乗客はすべてキミのものか!

 

名前が「のるるん(東急)」みたいね・・・もころん・・・でものるるん氏よりは控えめな顔、控えめなおくち、のるるんよりも、中に誰かいるんだろうと感じさせる輪郭のはかなさ、その大人し気な雰囲気の裏で控えめな吸い込みでむしろすべてを吸収するタオル地のやさしさをもつニューフェイス小田急、もこもこりん・・・・。

そういえばMSEの青のようにも見えてきました。

 

うん、そう、人が死にました、という記事でした。

小田急でコ-フンしてしまった。

どう考えても間違ったルートで行ってしまったが・・・目的地は相模大野でありました。

 

大都会・相模大野!

ビックカメラ、Gongcha、相模大野。

 

 

適当に頼んだらタピオカが入っていなかった・・・・

全商品に入っているわけではないのか、タピオカ。

注文しないと出てこないのか、タピオカ。

 

 

相模大野は分岐点。

若いころの背景にこの駅はあった気がする・・・が、こんな都会じゃない、もっともっと静かな団地と住宅地だった・・・気がする。

 

わたしの作品「危ない相模大野」、限定公開してみました。

 

www.youtube.com

 

駅のコンコースを歩む鉄道員のチョッキ姿が愛らしい小田急

そうだ、相模大野は人生の分岐点

おだーらとえのしまの分岐点。

 

むね、あつ、相模女子大の脇を歩けば、小学生の行列とすれ違う、小学生は虫を拾ったり木陰に隠れたり、余計なことばかりして列を乱していた。相模の国の小学生、小田急のメロディと駅員ダンスを浴びて大きくなぁれ。

 

相模女子大もうすぐ文化祭らしい。

郊外は大田区よりも若者の息吹を感じる・・・気がする。気のせいかもしれない。

 

郊外は鉄道がイキイキしていることに気づいてしまった。

自分が大田区育ちだったらきっと駅員シリーズはなかった・・・

鉄道員に出会うこともなかった・・・

 

 

いや違う・・・

 

 

この記事は鉄道員がかっこいいという記事ではなく

人が死にましたという記事を書くつもりだった

(記事の方向性が違う路線に乗ってしまった・・・)

 

ちょっと最近 人が死にすぎる

明るい歌をうたう人でも死んでしまう

明るい方の死に顔はやっぱり明るい歌声が聞こえてきそうだった

いやでもやっぱり死に顔は死に顔だった 口をあけていたし何か言いたそうだった

お棺に移したりくつしたを履かせたり木で作られたお花を入れたり、あの世で使えるお金を入れたりした

それにしても火葬まで長すぎないか、10日間!?

それにしても闘病中とはいえ突然ぽくっと死ぬなんて驚きだった

もうそんな年齢なのだと唇をかみしめる

死ぬことばかり考えてしまうし死ぬことがそばにありすぎる

理想的ですらある、なんて言ったら不謹慎だろうか

 

かなちゅう運転士、かっこええ。

 

 

もう誰も死なないでほしい

 

もう制服の世界でだけ生きてゆきたい規律正しく

 

そうレールの幅は遠近法を教える規則正しく

 

秋のあとには冬が来るように誰もが約束を守ってくれたらいいのに

 

うちの事務所のアシナガバチスズメバチに襲われて冬を越せなかった

 

わたしに訃報は要りません 

 

あまりに最近、人が死にすぎているから。

 

 

 

 

CD「特急みやさん」

 

アマゾンで売れた!

 

買っていただき、本当に、ありがとうございます。

 

LimitedExpress383

LimitedExpress383

  • アーティスト:松岡宮
  • Candy Recorder
Amazon

 

あやしくも美しい特急ミヤサンの世界・・・松岡と接する機会のある方には聞いていただくようお願いしています。

アソルハーモニクス製作の素晴らしい音の世界を知っていただければ幸いなり・・・

よろしくお願いします。

 

 

気持ちが落ち込んでいるときの回復法

 

最近、詩の本「近代詩 人道主義の周辺」を読んで、やっぱり詩は面白いなぁと改めて思いました。

 

その本で紹介されていたのは、宮沢賢治や、白鳥省吾など・・・

東北、汽車、農業、工場、労働者・・・。

 

自分は、そういった詩人たちの、ドッシリとした(あるいは実体にみちた)言葉たちが好きなようです。

 

また北原白秋「散文は詩といえるか」からはじまる「詩とは何か?/それは詩なのか否か」という論争も面白かった・・・しかし人の言葉を「否詩/詩ではない」といいきるのすごいな・・・・。

 

あまり何が詩だとか考えたこともなかったが・・・「現代詩フォーラム」の投稿作品をみると、確かに時々「これは詩じゃないかも」と思うことはあります。それでも故あって文章はそこに出されたのであり、詩であるかどうかは二の次でしょう・・・定義よりもそのものをそのものとして受け止める・・・自分も詩人ですが、詩のもつ寛容さに救われるときがあります。

 

そんなわけで、前の記事で殴り書きした詩「膣は穴じゃない」を「現代詩フォーラム」に投稿しましたところ、いつもよりポイントとコメントが多い気がする・・・。

 

po-m.com

 

いろいろ反応してくださるのはありがたいことですね・・・いやほんとに、こうして詩に対して、いろんな反応ありがたい・・・・

 

女性が「膣」とか書くと、喜ばれる感じがあるのかな・・・。

 

女性のことを、ただの穴だとか、そんなふうに対象化してみられることに慣れて女自身もそんなふうに自分を取り扱ってしまうとしたら、悲しいことです・・・

 

生きている、膣は生きている。

膣はこころである。

 

生きている限りは、生きているものとして、わたしも、膣も、きっと生きているだれかと出会い、相互作用を重ねたい・・・そう思うのです。

 

わたしはあなたに出会いたい。

 

そんなふうに思っているはずなのに・・・

 

 

・・・ツイッター、やめました。

 

連絡を取りにくくなった方がいらしたらごめんなさい・・・。

 

フェイスブックもやめてしまい・・・

インスタグラムを始めましたが・・・いつまで続くやら。

本当にSNS向かない人間で、ご迷惑をおかけします。

 

YouTubeチャンネルは再生リストなどを少し整えました。

 

www.youtube.com

 

こうしてみると、自分、よくがんばってきたなあと思います。

 

 

また、YouTubeでは最近、「限定公開」の素晴らしさにハマっています。

 

たとえば、ブログ読者のみなさま向けの限定公開動画をこうしてリンクしたりするの、楽しい。

 

youtube.com

 

TikTokでフォローをするのは美女ばかり!」

 

この歌、けっこうウケて、嬉しかったものです。

 

ウクレレも少しずつ、上達してきた気がします。

 

 

 

近年、メンタルがつらい・・・そんな仲間が多いです。

自分も気持ちが落ち込むことがあります。

 

もともと繊細な人が創作活動をするのかもしれませんが、創作活動することでますます心を病みやすくなる可能性もあるなと思いました。創作活動はほんとうに精神にわるい。

書いても 書いても 誰にも受け止めてもらえない年月は、いくぶん水分も残っていたはずの孤独を焼きあげ、いぶし、焦がしてしまう・・・創作活動はほんとうに精神にわるい。

創作する人は目に見えない純粋なものを描こうとしているのだけど、外からは別のものを目指しているようにみえるようで・・・

 

創作をやっていると、身近にいた人は離れてゆき、別のいろんな人が近づき、そして離れてゆく。

近づいてくる方は悪くない・・・近づいてくる方には、こちらにしてほしいことがあって、わたしはその期待に沿えないことを、申し訳なく思います。

 

創作はそとからみえないことがありすぎて、それを伝えたくて作品を書くが・・・作品を書くほどに作品を書く松岡という概念だけが伝わって、作品そのものが伝わることは無く・・・

 

性善説が終わった。

 

悪いのは自分・・・じぶんがわるいの。そんなふうに自分を責めて精神的におちこんだときに、何をしたらいいのか?

 

鏡の前で笑顔を二カッと作り、あれこれ、試しています。

効果のほどはわからないが試した方法を書きます。

 

 

(1)Barに行って、優しいバーテンダーさんとお話しする。

 

 

自分が加齢して、Barの役割って素晴らしいと気づかされました。

 

考えすぎて自分をいじめてしまうとき、お酒のもつ忘却の力を、さいきん実感します。

 

わたしのお気に入りのBarは、新宿の星男さんとかデカバーさんです。

 

barhoshio.shopinfo.jp

www.tokyodecadance.com

 

いずれも、ライブイベントに出させていただいたり、イベントにご縁があったりして、素敵なインスピレーションを下さるお店。

 

星男さんは白くて清潔な雰囲気。アート展示をやっていることも多く、楽しい。

デカバーさんはカラフルで怪しいけれど、どこか守られている安心感。

 

いずれもバーデンダ―さんって話が上手で、癒されます。

また行きますね。

 

 

(2)英会話の先生とのおしゃべり

 

「英会話の先生と話すことで英語上達とともに癒しを得る」

 

そんなことが出来ると思っていたのは・・・甘かった。

それを出来るようになるには、年単位の準備が必要でした。

何しろ、心が落ちこんだときの話し相手は、誰でもいいわけではなく・・・ああ、このひとなら・・・・と思う相手と会話がしたいのです。

 

英会話を始めてから1年半以上が経過し、やっとそんなふうに、なじみのバーテンダー・・・じゃなかった、Tutorが出来つつあります。

 

癒されたいときは、ゆるい英会話課題を選択し、会話を楽しんでいます。

 

 

(3)漫画を読む&音楽を聴く

 

やっぱり、漫画の世界に浸ったり、音楽の世界に浸ったりするのは、癒しです。

じぶんが小さい頃に好きだったものなどは癒されますね。

 

最近、かわぐちかいじ先生の漫画をかなり読んでいます。

あとは「星空の切人ちゃん」とか「闇金ウシジマくん」とか好き ←落差

 

80年代の歌とか、さだまさしさんとか、癒されるな・・・。

 

 

(4)キレイになりたい☆彡

 

いきなり美容で落ち込み回復をはかるわたし・・・。

 

外側から元気になるかな?なんて思って、顔のパック、化粧水、ヘアカラーなど買ってみました。

 

このパック、30枚も入ってて・・・毎日やるものなのかな・・・どうしたらいいのだ。

 

 

よーし、きれいになるぞ~(※個人比)。

 

 

(5)よくわからんが薬のむ

 

不安時のベンゾジアゼピンは持っていますが、それは今のところあまり飲まず・・・

 

風邪薬の「改源」をなぜか飲んで、ふぁー、げほげほ、粉の苦味でなんとなく元気になるのではないかと期待しています・・・って、ほんとに保健学科卒か?笑

 

そういえば古い天仙液(癌の特効薬・・・)もあった。

飲むか!?

 

(6)友人とおしゃべり

 

創作のことをわかってくれる友人は貴重です・・・創作そのものに対する基本的理解とリスペクトがなければ、友人のCDを購入したりライブに足を運んだりできないことでしょう・・・

そんな方の存在が、落ち込みを助けてくれます。ありがたい。

 

 

(7)お仕事でも癒されること、多し。

 

非常勤講師、オンライン講師、オンデマンド講師、今季は忙しいです。

その忙しさで気持ちが紛れ、ありがたい。

学生さんが積極的に質問とかしてくれると嬉しくて、落ち込んでいる暇はないぞ!って思わされます。

 

創作活動での落ち込みを、リアル仕事で癒される・・・リアルのほうが優しい世界だとは思いませんでした。

 

そう考えると、人間関係や活動を多角化することで、落ち込むリスクを減らすことが出来るのかもしれませんね。

 

落ち込んだ時の対処法、以上です。

オンラインカウンセリングも、試してみようかな?

 

 

 

次回ライブは11月12日(日)デザインフェスタです。

 

東京ビッグサイト、南館4階。なんとラスト出演、17時半からです。

 

 

 

 

デザフェスに出演枠をとれたこと、ほんとに幸運です。いつもたくさんの方の応援をいただけ、CDもお求めいただいて、とてもありがたい機会です。

 

そこで、次回は、CD「Limited Express 383」お求めの方に 握手します!

 

もうそのCDは持ってるよーって方は、持ちこんでいただければ握手できると思います・・・

 

・・・って、大丈夫かな?

 

がんばりまっする。

 

心血注いで/膣は穴じゃない。

中止になった海老名のフリマでは、やや地元(?)、母校の桐蔭学園校歌を歌う予定でした。

 

加藤楸邨先生の作詞。

春夏秋冬の構成になっている素晴らしい詩。

 

ほのぼのと萌えいでし草・・・と柔らかに始まるその詩は

2番のくろがね、

3番の阿夫利嶺、という単語で力強さを加え、

最後の4番「寒き 厳しき 果てしなき 世の荒き道つらぬきて この冴ゆるもの 身をひたせ」では思わず涙してしまう・・・。

若人よ枝を交わして競いあえ、そして冴えあるもの、その冷たき水に身をひたせ、という、厳しくも暖かい励まし。

学生だった頃、行事では1番と4番しか歌わなかったのですが、1~4まで続けてひとつの作品になる、すばらしい校歌だなと思います。

 

そんな桐蔭学園の先輩である、デーモン小暮閣下のこの有名な言葉を、ふと思い出しました。

 

attrip.jp

 

この議論はずっと前から見ており、初期は「行けないけど頑張って、という言葉は、わざわざ励ましを伝えているのだからいいじゃないか」と思っていました。

 

でも今は、デーモン閣下の言いたいことがよくわかります。

その言葉だけを伝えようとする方の思いがしんどいということを・・・。

 

この文中にある

「心血を注いで」

という言葉に、ぐぐっと来てしまいました。

 

そうなんだ・・・。

表現者は心血を注いでライブをしたり音源を作ったりしているのだ・・・。

 

リスナーの方にとっては、そんなことを言われても困るかもしれませんし、しらけてしまうかもしれませんね。

「作品は自分のいのちなんです」と言えば、お客さんをしらけさせ、遠ざけ、自分を傷つけてしまいます・・・

 

だから上の記事の

「心血を注いで」

に感動したのです・・・ああ、そう言っても良かったんだ・・・と・・・。

 

ほんとうに、創作する人は、みんな作品に心血を注いでいるのだと思います。

 

聴き手として、そんな思いを受け止められたら・・・。

 

1億総表現者の時代、すべてを受け止めることは出来ませんが、生きる世界を小さくしながら、自分も誰かの表現をそのようなものとして丁寧に受け止められたらいいな・・・桐蔭学園校歌にこめられた思いが、今更、じんわりと伝わるみたいに。

 

・・・そういえば聖飢魔Ⅱの「ステンレスナイト」のレコード持っていたなぁ・・・どこやったかしら。

いちばん好きな歌は「ファラオのように」。

デーモンのソロアルバム「小暮伝衛門」も大好きで・・・かなり暗記して歌えます!

 

地上絵・・・

アクエリアス・・・

・・・諸行無常のむせび泣く鐘のこーえ-!

 

・・・また聴きたい。

 

 

「穴モテ」という言葉を教えられて、思ったこと・・・

 

・・・膣は穴じゃない。(←そこか?)

 

・・・うん、保健学科卒だからね・・・。

 

 

 

膣は穴じゃない

日頃、閉じている扉の向こうにあるものは

それは穴じゃない

迷いこんだ樹林の枝を入れるべき穴はない

天空に唾するとき岩の戸は閉ざされ空が落ちる

雷鳴 豪雨の闇の中 

あれは穴じゃなかったと知るとき

はじめてひらくひだがある

急峻の水源から落ちる水は赤い

赤い靴履いてた女の子

とどまることを知らぬ清水は湾へと注ぎこみ異国の波打ち際で歌うジ・アース

それは穴じゃなかった

ふくらみ 動き ぬかるむ生き物の名はザ・シー 

循環する心血を注がれ 終わらない瞬間を刻み続ける

リズムヶ浦の大地だったのです

 

 

海老名のフリマは雨天中止

いま、少し気持ちが弱くなっているので、あまりツイッター(X)にログインしておりません・・・。

たまにログインしたら、DMで連絡など来ていたりして、ご迷惑をおかけします。

 

ツイッターのアカウント、削除しました。

 

ご連絡はメールでお願いします。

 

 

 

相鉄のソウは、相模のサ。

相鉄はソウ で JR相模線は サ。

JR相模線の このさみし気なたたずまい・・・。中学生のころの心象風景だ。

軽井沢シンドローム読んでいたときの荒涼とした風景だ。

そう、郊外そのものだ。

振り返れば、高層ビルが建築されており、それは令和の胎動であるのだ。

 

どしゃぶりの雨の朝。

東急の、新横浜まで急行だった列車が、新横浜から相鉄線内各駅停車となって直通する。

あたかも相鉄の権力を示すように、東急から来たヤツを格下げするのは、相鉄のほうがエライのか・・・・

と、そんな気分になる。

 

うちから直通列車でたどりついた海老名は・・・やはり、どしゃぶりの雨。

これはもう中止だろうと思ったが、はじめてのフリマで 中止連絡の勝手がわからず・・・大粒の雨のなか、ひとりで途方に暮れていた・・・。

 

実はツイッターにログインして主催のツイッターを見なくてはいけなかったのだが、上記のような理由でログインしておらず・・・中止だと知るまで右往左往してしまった。

メールでの案内をよく見ない自分が悪いのだが・・・なんか、間がわるい日だった。

 

そうにゃんです。

けっきょく、来て、すぐに、帰ることに・・・。

 

 

 

大荷物をかついで雨のなか、海老名からまた事務所へとんぼ帰り。

自分のアホさ加減に泣きそうな気分だったが、ふと見渡せば、海老名の街は懐かしい相模の風景。

都内とはやはり違う、緑濃い風景が広がっていた。

雨雲で見えないけれど西には阿夫利嶺が見守っている。

厚木に住む桐蔭生だったわたしにとって、海老名は故郷のような街。

いまや本厚木よりも大都会になり厚木人も買い物に行くという海老名、友人が結婚して家を買ったらしい海老名、そんな変貌いちじるしい海老名のいまを、目に焼き付けることができた。

 

なにより気づいたことは、駅員の制服のかっこよさ。

紺色の駅員が都会の風味でそこかしこに立ち、駅を守る。

かつての、不思議な色の制服を来た駅員はいない。いかにも映画などに出てきそうな駅員らしい制服、紺色に袖口のゴールドのラインがきらり輝く駅員がそこにいるのでした。

・・・あ、そうか、駅員らしい駅員が、いま、ほとんど居ないから、だから、普通に駅員が駅員ダンスを踊っているだけでも新鮮に思えたのかもしれない・・・・。

 

駅員は銀の魚たち。

駅員の背は青魚、ドコサヘキサ、ここさ!

駅員たちがエビの水槽を泳ぐ、みごとなクロール。

雨風に、サイドベンツがはためく、それは背びれ。

身をひるがえして列車が滑り込むたびにその水辺では鮎が跳ねる。

その背中のまっすぐな線のうえ、相模川の鮎が跳ねる、雨がぴちょんと落ちて、またはじける。

エビの水槽はいつしか相模川になり、なぜか新宿や渋谷へ注ぎ込まれる。

「全世界海老名化計画」

エビの野望は洪水だ。

紺色の形よい帽子、ビニールをしっかりとかけて、雨をはじく駅員たち。

紺色の群魚はラインダンスを行い、小田急と並走しながら走る流れを見送る・・・

・・・雨だれのガラス窓、並走する小田急がみえる・・・

・・・もう小田急に敗けていないぞ相鉄は!

リヴァー!

わたしはその四角形に積まれて運ばれながら、相鉄の変遷を感慨深く思った。

おれたちは都会につながっている路線のひとつなのだ

伸びゆく棒のさきっぽには、こいのぼり、はたはた、はためく、横浜ネイビーの色をして。

 

 

・・・そう、横浜ネイビーの列車は、クロスシート

 

内装の色がモノトーンで、かっこいい電車だった。

 

 

海老名で不思議だったのは「東急に直通する旨の案内」が無かったことである。

(JRに直通する電車の案内はあった。)

新横浜までは相鉄線なので、東急とつながっているという感じではないのかもしれないが、海老名では「東 急」の2文字をあまり見なかったなぁと・・・わたしが見つけられなかったせいかもしれないが・・・。

 

海老名から出る列車は多方面に行く可能性があるので、頭が混乱する・・・

 

・・・あれ、JR埼京線直通は、新横浜に行くのだったかな・・・?

 

土地勘あるほうのわたしでも、JR直通と新横浜線直通と、似て非なるルートを走るので混乱してしまった。

 

以下の図を、しみじみと拝見し、そして、答えが、わかった。

 

 

JR直通は、新横浜を通らない(答え)。

 

思ったこと2つ

 

1)武蔵小杉が2つある!(※時間はかかりますが、互いに乗り換えできます)

2)西谷が出世駅になった。

 

昭和の時代から乗っているわたしにとって、相鉄線はほんとに変化が激しい。

横浜―海老名を結ぶ、神奈川の地味な一路線(・・・いずみ野線も、あったか・・・)

それが今じゃ、新幹線接続路線、渋谷へ新宿へ向かう路線、西へ東へ・・・というより東へ北へ。

ハザーヨッコク、とつぶやけば、なんとなくイギリスの田舎の駅のよう。

相鉄のソウは、相模のサ。

大山はあちら、両親のお墓のほうに、手を合わせ・・・

相模地区の鉄道の発展を目の当たりに出来た、海老名への小さな旅だった。

 

 

フリマ中止になり、戻る相鉄の揺らぎのなかで、つくづく、自分はものを売るのが上手くないな・・と自己嫌悪してしまい・・・ヤケをおこしてインスタ始めてしまった。

 

詩人仲間の木葉ゆりさんの詩集「アーベントイアー」も委託され、事務所などに置いてありますが・・・詩を売るノウハウが自分になくて申し訳ない限り。

「ねー奥さん←、フリマで詩集売ろうと思ったけど中止になっちゃった・・・」なんてメールしたりしました。

 

詩って、ときどき、いいなと思うときがありますよね。

中学生の頃、塾で国語の勉強していたとき、詩のセクションがとても好きだったものでした。その時もっとも好きだった詩は金子光晴の「さくらふぶき」だったのですが、がんじがらめの日常のなかで、詩の言葉がふっと救いになること、ありますね。

ゆりちゃん(←なれなれしい)の詩はそんな感じの、明るさもあり、決めつけることのないような、抜け道のあるような言葉たちだと思います。

 

解説つきの販売ページ、こちらです。

 

383.thebase.in

 

BASEでは、自分のCDや手作り帽子などはこちらで販売しています・・・へんなバレッタもあるのでよかったらみてみてください★

 

383.thebase.in

 

つくづく、ものを売るのがうまくないことを申し訳なく思う。

作品を売るのも対人コミュニケーション、誘われれば受け、いろんな会合に顔を出して、人たらしをして・・・自分にそんな技量がないことが心苦しい。自分って駄目だな。「東京フリマ日記」ではそれをユーモラスに描くことが出来たのに、いま、あんまり笑えない・・・他人からの誘いや宣伝がしんどく、他人の成功に嫉妬し、他人を思いやる余裕がなくなり、手伝いを頼まれても動けなくなってしまう・・・。

 

だけど自分が売れないと思うのも自分の「認知の歪み」であり、思い起こせばたくさんの方がライブに来て下さって、作品を聴いて下さって、CDも買って下さったことを思い出す・・・・「”針金で出来たお母さん”が好き」「”針金で出来たお母さん”はすごい曲」って幾人かの方が褒めて下さったの思い出した・・・というか褒められるのその歌ばかりだナ・・・・みなさんに、ありがとう・・・。

 

「自分がしっかり支えられていないと、人を支えることはできない」

支援の教科書につねに書いてある、そんなことを思い出します。

 

ああ・・・だから、売れないアーティスト同士が売れようとしてグループを作ると、うまくいかないことが多いのか・・・。

 

自分がアーティストとして自信がないのに、委託販売とかするのは、時期尚早というか、実力に見合わぬことだったよね・・・ごめんなさいね・・・と、BASEで委託販売している、ゆりちゃん、青条さん、絵描きのひろみさんに言うのですが、みなさん「売れなくてもいいですよー、おいて下さることが嬉しいですよー」と言ってくれて・・・涙。

自分に必要なのは、他人へのそんな信頼と、感謝なのかもしれません。

 

そんな出会いにも、こんな文章読んで下さっている方にも、ほんと、感謝です。

 

(↑)

そしてこんなふうなアレコレを書いた日本評論社「まちにとけこむ公認心理師」、10月末に発売です。

第7章を担当。

自分は公認心理師としてだめです、だめだったです、と懺悔しています。

よかったら読んでみてくださいね。

 

 

 

日本画家・高田先生のアトリエ訪問

この記事は、多方面でご活躍中の日本画家・高田先生のアトリエに訪問して楽しかった記録である。

 

 

近年、ときどき参加させていただいている、原宿クロコダイルの「ウクレレエイド」。

 

ウクレレを中心に、ピアノ、ヴァイオリン、ギター、などなど・・・みんなとても上手なヴェテラン演奏者ばかり。プロ演奏家の方、楽器を教える立場の人も多いようである。

 

奇数月はウクレレ以外の人も参加できるということで、最初はおっかなびっくり・・・最近は自分ワールドを表現しつくして・・・

 

・・・なんといってもクロコダイルは最高の音響。爆音を出せる素晴らしいお店・・・ここで自分のオケを出し尽くさぬことには、もったいない!

 

音響のお兄さんも、優しくて、「今日は何やるの?」って言ってくれるのが社交辞令でも嬉しい。

コロナ前からの参加なので、もう足掛け5年以上、参加していることになる。

 

そして、森社長と製作したCD「Limited Express 383(Candy Recorder)」も販売させていただいている。このアルバムは、森社長と喧々諤々、アレンジしなおし、歌詞の書き直しも命じられたりしながら、プロのディレクションとレコーディングとミキシング、プロのアートワーク、本当に時間と手間をかけて等々力のスタジオで製作してくださった素晴らしいアルバムなのだ。

 

LimitedExpress383

LimitedExpress383

  • アーティスト:松岡宮
  • Candy Recorder
Amazon

 

・・・どんなに素晴らしくとも、無名のわたしのCDを聴いてくれる方は少ない。

 

だが、わたしのこのCDをまっさきに購入してくれたのが、日本画家の大家・高田先生であった。

 

そして、「僕のアトリエに遊びにおいでよ~」と言って下さった。

 

・・・ああ、有難うございます・・・でもわたし、画家でもないし、美術には疎いのでお話をきいてもチンプンカンプンなのでは・・・

 

と、最初は社交辞令かと思ったが、わりと自分の家から行きやすく、なじみのある場所にそのアトリエはあるそうで、少し気になっていた。その後わたしが、たまたま仕事場の近くでやっていた高田先生の「文京美術会展」を観にいったりすることで芸術作品に関する共通の話題が増え、次にクロコダイルで逢った時に、ふたたび「ほんとにアトリエにおいでよ!いつにする?」と言って下さったので、お伺いさせていただくことになった。

 

 

場所は都内の高級住宅地。先生はメールとかSNSはなさらないようで、携帯電話もしくはショートメッセージでやりとりの予定。待ち合わせは駅の改札。小さな駅のようで行き来する人が多い。車いすでエレベーターを待つ人もいた。約束の時間通りに先生はいらしてくださった。

 

地下の改札から、階段をよっこらしょと登る。国道246に出る。

 

三茶方面にテクテク歩き、そこから少し入ると、住宅や英会話カフェなどが見えた。品がよさそうな街。こんなところに住んでいたら便利だろうなぁと思いつつ坂を登る。家々の軒先に木々が茂り、細い道に車がゆっくり走るので身をひるがえす・・・危ない危ない、ここは都会。

 

 

 

白く素敵な建物があった。そこで先生が立ち止まられたので、ここがアトリエかな?と思ったら、それは高田先生の娘さんが運営しているダンス&ヨガスタジオ(?)とのことであった。一家でいくつもアトリエやスタジオをお持ちのようで、うらやましい。

その近隣にアトリエはあった。これもまた白い瀟洒な建物。1階はアパートで何部屋か貸しているとのこと。階段を上がって、ドアを開き、入らせていただく。

 

こんこん、ギー、っと 扉を開けると・・・

 

そのアトリエは、予想以上の広さ!

 

やはり白い色の家具が印象に残る。

画材や書類、トルソーやオブジェでいっぱいの広い部屋であった。カーテンの奥もちょっとした空間で、奥様も美術家で、生徒に教えたりすることもあるそうだ。とにかく、想像以上に広い。体育館のよう。

 

高田先生はパックのお茶を淹れてくれ、久しぶりに飲む緑茶がとても美味しかった。

それから時間が許す限り、いろいろな話をしてくれた。わたしは主に聞き役だったが、どのお話も自分の精神にすっとしみこむものであり、感銘を受けつつメモを取った。

 

そのお話のなかで、印象に残ったものをここに残す。

 

 

法隆寺の夢殿のスケッチを広げて見せて下さったこと。

実は、相続した串間の土地に、日出処の天子」に出てきた夢殿を立てたいなどと夢想したことがあった。

厩戸皇子が毛人を思って泣いていたあの小さな夢殿。

なんとなく、一人用の防音スタジオくらいかと思っていたが・・・高田先生の精緻なスケッチのおかげでそんなことはない意外に大きいとわかった。

 

その大きくて精密なスケッチは、絵画を仕上げるための下書きとのこと。

たくさんの下書き、資料、道具、そして手間。経験、知識、時間、時間。

 

・・・画家は一枚の絵を仕上げるのに、出向いてスケッチ、それを下書き、それをトレース、それから遠近が正しければいいというものでもないのでアレンジをして・・・などなど、実に手間をかけるのだとわかった。

 

・・・一枚の作品にとんでもない手間がかかっているのは、CDを製作する自分だって同じ。

自分も、焦らず丁寧に作品を作りこんでゆかねばいけないな・・・と改めて思わされた。

 

 

 

 

高田先生の墨絵の習作を見せて下さったときも同じようなことを感じた。

墨絵の線など、素人のわたしにはみんな同じ色にみえるが、先生によれば12種類の濃淡・色があるという。そして、いろいろな動物の毛で作られている筆たちも、どれを使うかによって、あるいは筆の使い方によって墨絵の線も変わるとのこと。描きたい要素に応じて使い分けるそうである。

プロならではの、技の使い分け。技術を身につけ、それを使い分けて描くということ。

描かれた習作のスズメや果物たちの、リアルな質感は、そんな技術に裏打ちされていたのだ。

 

完成品を作るには時間がかかっていいのだと、他人にその過程など見せなくてもいいのだと、励まされる思いがした。

 

 

お部屋にもちょこっとした美術家のアトリエらしさがふんだんにあった。

おっぱいのある、重たいトルソ。

ピエロみたいな、物悲しいドール。

金属のバケツをゴミ箱にしていたこと。

(それはいい、すばらしいアイデアだと思い、さっそく事務所で、実践・・・。)

 

それと、膠(にかわ)を見せて下さった。

茶色い液体!?何から出来ているのだっけ・・・説明もしてもらったけど・・・忘れてしまった・・・。絵の具を溶くのに使うのかな・・・。

この知識、講義で、神経膠細胞(グリア細胞)の説明をするのに役立ちそうである。

 

 

お手製の素晴らしいスピーカーで音楽を聞かせて下さったのは、とても感激だった。

ダイナミックスあたりに工夫のある、素晴らしいスピーカーで聴くクラシックオペラ「誰も寝てはならぬ」・・・わたしはやっぱり音が好き。

幸せな試聴の時間であった。

住宅地のなかなのに、結構大きな音で聴いていても文句が出ないのかなと、それも羨ましく思った。自分の事務所はさらなる密集住宅地なので、音に関しては逃げ腰であったが、自分が音楽をやる人間なのに音の設備投資をさほどしていなかったなと反省した。

 

自分の事務所に薄型スピーカーなどを壁に設置したいと夢想中である・・・・まだ実現してはいないが・・・

 

ともかく事務所の設備をケチってはいけないのだと学ばされた。

 

 

そうそう、照明も。

 

こういうの自分の事務所にも導入したいと、ずっと思っているのだが・・・がんばろう。

 

 

そして、クロコダイルのイベントのことについて、熱いトーク

 

こんなことを言われた。

 

「君のライブのやりかたを嫌っている人はいるよ、だけど、嫌われるってのは、それだけのことをしているからだ。何か表現したいものがあるのは伝わる」

 

褒めるつもりで言って下さったようだが・・・

わたしは

 

「えっ、あの素敵なイベント空間のなかに、わたしのライブが嫌いな人がいるのか(・_・)」

 

と、別方向に気になってしまった・・・しょんぼり。嫌いな方、すみません。

 

・・・嫌われているから、なんか、余計に、かばってくれているのかな・・・。

 

それと、あのイベントに関して、「君はもう中堅」と言われたことも、ずしっときた・・・

そうなのだ。もう5年くらい参加しているこの「ウクレレエイド」、イベントを開始された、亡くなられた浦上さんと、ギリギリ交流があるわたし・・・

浦上さんは本当に気さくでよいおじ様だった。海上自衛隊にいらしたというその背筋はぴんと伸びていた。

 

わたしは、「自分なんて楽器も出来ないし・・・」と深い人付き合いを避けてきたが、遠慮がちのようで、ただの臆病というか無責任だったのかもしれない。

自分の多忙もあり、毎回は参加できないものの、今となってはそのイベントに関して、他人のために盛り上げたり、イベントのためを思ったり、中堅ならば、そんなふうに尽くす気持ちも必要なのかもしれないな・・・と反省させられた。

 

高田先生が「君は吸収力が良い」とも褒めてくださった。

聞いてるふりをするのがうまいだけかもしれないが・・・長い間、表現や創作で生きている芸術家の方のお話はとても身にしみ入り、今日からまた自分を奮い立たせてくれる、そんなお話だった。

 

心理学の講義、講義、講義で、なかなか余裕のない日々であるが、学生さんたちと過ごす時間のなか、ふとした瞬間に表現者の自分が顔を出す・・・。

 

自分のなかにある、出てゆきたいものを、うまく出してゆきたいな・・・。

 

そんなことを思う、秋であった。

 

 

ギターも練習してます。

 

 

松岡宮からのお知らせです。

 

 

◆手作りフリマで唄作り

←雨っぽいナ・・・

 

2023年10月15日(日)

相模国分寺手づくりマーケット」@海老名 初参加。CD販売します。

またCD購入者にはその場で唄を作って差し上げます。

この回だけは、ビナウォークでなくJRの海老名駅の近くのららぽーと前で行うようです。厚木人だった自分にとっては故郷のような海老名。両親のお墓も近い・・・。

お近くの方はぜひ。

 

 

◆デザフェス@東京ビッグサイト

 

11月12日(日)17時から、屋内パフォーマンスステージで15分。

どうやらこの場所の最後の出演者のようです。

今日の記事に書いたように、わたしのライブはみんなに嫌われるライブなのかなぁ・・・と思ってしまいますが、やっぱりCDが売れるのもライブ会場なので、がんばります。

松岡に逢いたいという方は、ぜひライブにどうぞ・・・。

 

 

 

◆森社長とまたレコーディングするよ~

 

本文にも出てきた森社長とまたレコーディングします。

 

アルバム「~383」作るのに出会った頃はあんまり仲が良くなかったのに、今もこうして細く長く音楽制作で関わっているのがウソのよう。嬉しいです。

 

森社長も今日の記事の高田先生と同様、芸術表現のためにすんごい設備投資をして、本気でやっておられる方。

そんな方と一緒に仕事していただけるのは、うれしいですね。

 

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追記

 

ふと思ったのは、高田先生も、森社長も、芸術家であって、商業とは違うところを目指しているのだなということです。

世俗にまみれ強迫神経症なわたしはCDが売れないことを悲しくすまなく思っていますが(強迫症状)、森社長は、作ったらそれでいいんだよ~という感じで、ゴッホも生前売れなかったという話をしてくれたりしたな・・・。

そんな方々と交流できると、表現活動の本質を教えてもらっているようで、ほんとうに感謝です。

 

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さらなる追記

 

●サブスクで新曲「その嘘を信じることができたなら」リリースしました。

 

脳性麻痺の宮城永久子さんが書かれた、とても率直な詩に、わたしが音楽をつけました。

 

 

big-up.style

 

見た目にわかる重い障害がある方の言葉は重いですが・・・・なにか、伝わればいいなと思います。

障害があろうとなかろうと、仲間になれば、仲間なんだという気持ちです。

 

新作「脳に障害をおった私から大切なあなたへの7つのお願い」

 

Seven Wishes from a Person with Brain Injury(脳に障害をおった私から大切なあなたへの7つのお願い) - YouTube

 

こちらも障がい関連のポエムです。昔つくったもので、講演会で朗読すると、とても好評でした。

この世界が、脳が傷ついた方々にも、優しい世界でありますように・・・。

 

 

日本評論社「まちにとけこむ公認心理師」第7章執筆

 

10月末に出る以下の本の第7章を、仕事の名前にて執筆しました。

 

 

またそれについては詳しく書かせていただきますが、もとより資格を前提としていない自分の活動の愚かさゆえ、いろいろ苦しい執筆でした・・・

 

公認心理師」と「松岡宮」は両立してはいけないのか・・・とも思い、

松岡宮を葬り去るべきなのかと悩んでしまいました。

 

地域ってつらいのよ・・・なんてことも書いたりして。

とても個性のある本になっていると思います。

 

 

祝祭のシュクメルリ、その代償

これは、プリン。1個のプリン。

これは・・・2個の・・・プリンス?

 

・・・ごめん、わたしには無理だった。

 

(いつもそんなふうに謝っている気がする。)

友人との楽しい会食

素敵なお店の美味しいディナー、贅沢な一夜 

小さなボートにプリンの黄金を詰めて漕ぎ出した・・・が・・・無理だった。

 

「小食ぶる」という言葉を知った、わたしはそれなの?

確かにダイエットを気にしてあまり糖質を摂らないこの10年

そうそう、糖質制限では肉が神聖視される、だからわたしは肉が好き、モツが好き。お刺身も好き。

好き嫌いはない、モツとか スパイシーな食べ物とか好き。

 

・・・だけど今週の2度の会食でわたしはそれほど食べなかったと思うし

それでもわたしには無理だったのか(結論はわからない)

わたしはとても楽しかったし、お金を使うというのはとてもいいことだと分かった

そうなのだ、今まで自分がセーブしていたことを、 少し「ゆるし」てみたら

それはとても楽しいことだったし

飲み食いすれば 人格は丸くなった

パアパア プリン プリン プリン

「飲んでればいい人 ずっと酒を飲んでいればいいのに」と言われる

お金って不思議 たくさん使うと明るくなる

お金って不思議 食べ物が美味しくなる魔法

・・・しけたことをいうなよ。

・・・そう、ここは、日本一の歓楽街、歌舞伎町だから。

身が壊れるのはどんな音

ひとの不幸をスパイスに今日も肉食で痩せましょう!

 

 

バーニラ バーニラ 

新宿という場所が背中を押した

冷蔵庫のなかで古くなったバニラエッセンスがすべてを染め上げ

どうしたの先生たち、職員室はバニラの香り

そんなふうに瓶のなかの欲望がふと零されてなんともいえない腐臭を放つ

 

 

「ひとは生まれながらにみな平等な権利を持っているんだよ」

 

 

(ひとのことなど思いやっていたら身動きがとれないよ)

優しいひとがまたひとり消えた

 

・・・もうさ、歌舞伎町って場所はわけがわからないよ、奥さま、億さま、ごちゃまぜのようでそこには決まりがある、わたしには見えない決まりがある、同じものを、みていても、ある線引きがあって、あなたはそこから進んではいけない、あなたはとどまっていなければならない、できることなら空中浮遊、負けるくらいならはやく病気になりたかったんです、嘘、なんでもありません、ああ、体は重くてたまらないし、骨って、邪魔だな・・・。

 

鉄骨をくみ上げ工事中だった場所に新たなビルがそびえたつ

「美しい時代へ。」

それは、東急の歌舞伎町タワーだった。

 

 

・・・タワぁぁぁ、神さまぁぁぁ、もう、わけがわかりません、また、また、大きなスタチュー立ち並び、空を飛べよと背中押す、東急、東急は責任をとってはくれまいか?このカオスの、この、同じ身体のなかを貫く、矛盾したタテとホコのことを、欲望が生まれちゃう組織の起始部のことを・・・・地面を歩くのは体が重すぎて大変だし、星は見えてもニセモノだし、少し空が飛べるといいのになぁ、神さまぁぁぁ、咳が出なくても咳止め飲んでいいの?浮ついた環境で身を守るのは意外に大変なのです、創作やるひと、表現するひとならば、なおのこと、表現するたび身は削られ、芸術療法が無に帰すSNS、わたしには無理だった。漕ぎ出した舟は泥で、プリンを頬張りながら、沈んでいった・・・

 

お店、あった、ズラストブイチェ!

 

その日わたしが居たのは、ロシア・ウクライナジョージアグルジア)料理的だった。螺旋階段を下りれば別世界。いかにも高給そうなエレガントなお店で、乏しい財布が心配になったが、懐かしい雰囲気、自分が知っている日本という感じで、安心する。

 

(そういえばわたしは第2外国語がロシア語だった。駒場祭で「ミール」という名のお店を出した。)

 

 

ロシア・ウクライナジョージアグルジア)のお料理はそれぞれに混ざり合いこの新宿でひとつのお店を形成していた。大陸のお料理同士は喧嘩せずにうまいダシをもたらし、どこか酸味があって、しかも、馬のお肉に、イノシシのお肉。よだれが出ちゃう、今夜はごちそうだ。

 

いただいたお料理で印象に残ったのは「シュクメルリ」。

ジョージア料理だそうだ。

 

あたかも祝祭のような名前で、予備知識もなくテーブルに置かれたその料理の中には、鳥の足が「ボンっ」と入っていた。

 

ボンっ。

 

・・・なに、この、めでたそうな、姿・・・。

 

鳥の足(だけ)がミルキーな温泉に浸かり、食べられるのを待っている。

 

・・・美味しそうだな・・・と思う自分は、捕食者(プレデター)なのか、それともこの温泉のなかの骨なのか。食物連鎖のどのあたりにいるのか、肉食な自分はたぶん大きな罪を背負う。

 肉を食えば報いが来ること、この時は知らなかった。

 

シュクメルリの鳥の脚を2つに切ったら、すっと切れて驚いた。骨のないポイントがあったのだ。

 

 

骨を分解できる秘密。女性ホルモン。人間関係や社会生活をうまく営める人には秘密の技術があるのだろう。その時突然思い出した、自己破産をした親戚のこと。けっして不真面目な人ではなく商売を頑張っていたけれどうまくいかなかったそうだ。破産する人には真面目な人も多いのだ。

失敗しない人などいない。

弱みのない人もいない。

この年になって、思った以上に「できない」人が多いということも知った。

でも「できない」ことは許されないから、外見だけでもできるような形をしているだけで、中はとろとろ、骨は溶け、いたいけな身体はしゃぶりつくされる、大陸の豊かな味わいとともに、美味しいね、ごめんね、食べてしまって、鳥さんも、せっかく生まれてきたのにね、ダスビダーニャ。

 

 

なんて大きな一億の文字。右下の一期よりも一億のほうが伝えたいことなのだ・・・すぐに、すぐに、消えてしまうよ・・・ただの文字なのに、明朝体はときに精神に刻印を押す、1億の、お金の、「すごい!」、評価の言葉のスパイスかけられて、わたしもお鍋のなかにいるのだった、そう、もう、この骨は昭和の小さな建物、柔らかに錆びて、女性ホルモンも無いし、ぐにゃっと痛んでダメになってしまいそう・・・

 

会計を済ませて外に出れば空にそびえる東急歌舞伎町タワー!

 

 

地面に目をやれば、トー横広場。シートを敷いて酒盛りする若者のことをもう楽しい目で見られない。無私の優しさみたいなもの、思いやりが、この街のどこかに落ちてますように。

ごみと若者と観光客のあいだ、兵隊のように客引きのボードを持った容姿端麗が立ち並ぶ。

 

 

東京ではこんな星座を楽しめます、LEDの星がまたたく新宿歌舞伎町。

似てればいいでしょう?もっと輝かせることできるし。やっぱり美人は得をする、顔だけでいいから偽ろう、年収だって偽ろう、1億と10億はもう同じ数だから・・・東京の街はいつもそんなことを言っていたっけ、大事なのは大きいことではない、大きく見えることだと。

 

(掃除をする人こそ高給取りであるべきなのだ)

 

街を歩けば浮遊感。この風景のどこかに鎖を放つ鍵がある、幼稚園でなく保育園、福祉マターのピンクの温泉、開放感のただなかで、骨格とろけた自分は加齢臭など放ち、結果的にはダメだった。危なっかしいぞともう一人の自分が警告をするので財布とスマホをカバンの深いところに入れてにらみをきかせる。

 

歌舞伎町。今はこんなに賑やかだけど、そのうち人が消えてゆく、そんな予感がする。

 

壊れたままの蛍光灯を直さないままの隅っこのビルの脇をすり抜け、帰宅。

シュクメルリのかけらが靴に残っている。

まだ足は痛んでいない。

 

 

すぐに次の物語の幕はあがる。

友人に誘われ、行ったのは新国立美術館の「テート美術館展」。

これもまたギンギンギラギラの欲望の街、六本木の近くに新国立美術館はあった。ここ数年で東京メトロの制服が微妙に変化したことに気づいたが駅員の骨格はたくましいままだ。

 

(駅員はしっかりしていて、いいですね)

 

 

印象に残った絵。

英国の画家ダービーが描いた、ポンペイのヴェスヴィオ火山。

煙がボウボウと上がり、避難する人の姿もみえる。

 

 

わたしもポンペイに行ったことがある。

数年前のイタリア旅行、ナポリ経由でポンペイ遺跡に行ったとき、あまりの広さに感銘を受けた。噴火がなんとすさまじかったことかと、歴史的想像力を新たにしたのだが、この画家もそうであったらしい。いや、この画家のこだわりはものすごい。画家のなかで火山はいつも噴火している。

 

先生の火山は、ある日突然噴火する。

 

「このコーナーでは撮影は禁止となっております・・・禁止となっております・・・禁止となっております・・・」

 

こだまのように響く禁止の声の主は四面四角のスーツの女性

学芸員を「禁止器」にするのが国立のアート、ルールを拡声する「禁止器」というアートが飾られている新国立美術館・・・

 

(いや、ルールは大事です)

 

(そういえば警備員も骨組みのしっかりしたアートであった)

 

また、バチェラーの「ブリック・レーンのスペクトル2」も印象に残った。

さまざまなレクタングルのなかに色とりどりの蛍光灯が収められている。

長方形は健康的で、骨格が崩れかけているわたしには、とてもうらやましい。

 

 

・・・人間がこのようであったなら、世界は平和で争いもなく 人間と人間がうまく積み上げられ 互いに役立ち リスペクトしあえたであろう

だけどわたしは長方形ではなかった

人付き合いのマナーをしばしば破った液体であり、きれいごとの世界で生き抜けなかった気体だった

 

この展覧会で、光のまわりは影があることにあらためて気づいた

わたしの母校は桐蔭学園

桐のかげと書く桐蔭学園

 

誘ってくれた高校時代の友人と ツーショット・・・。

 

それからわたしは、踵の高い靴で友人の背中を追いかけながら、夜の宴会の場所へと向かった。

六本木は意外に人が少なく、人間の姿より光のほうが多いくらいだった。

影の地平からヒルズを見上げていると、ときおり車がクラクションを鳴らした

秋風が心地よい。

 

西麻布までかなり歩き、もう2人の友人と合流し、祝祭のシュクメルリ・・・

 

ああ、なんて楽しい夜!

 

 

そう、またシュクメルリをいただいたのだ。

 

 

中年女性が4名で骨のないシュクメルリをいただく。お肉はプリンと柔らかく崩れて、噛み切る必要もなかった。熱いのでフーフーと息を吹きかけながら、もちもちと、ちびちびと、いただいた。

わたしは付き合いだからと少しだけ飲んだ梅酒でさっそく酔ってしまい、すっかり大人しくなってしまった。骨がない、もうダメだ、沈没だ、骨がない。でもみんなの話を聞いているだけでとても楽しかった。

わたしの作品をすごく聴いてくれている友人がいて(ありがとう!)、サービスで「それはどこまでも深い大江戸線」お箸をドラムスティックにして披露した。その様子を友人がスマホで撮っていた。

 

高校時代、わたしが数学教師Sに気に入られ、わたしもSを気に入っていたという話題が出た。

「まっちゃんに、S先生のどこが好きか聴いたら、”おしりがプリンとしているところ”って言ったよ」

・・・そんなことを言った覚えはないが、わたしなら言いそうだ・・・。

別の友人が、S先生はスラックスのポケットに指を入れ、やたらとヒップを強調する姿勢を取っていたと大笑いした。また別の友人は女子部の卒業アルバムを全てデータ化してスマホに入れており、それを見せてもらったら意外に若いS先生の姿があった・・・

S先生、あの頃30代前半とかだったのですよね。女子高校生にとっては、おじさんだったけれど・・・。

 

数学の能力はあると褒めてくれて、ありがとう、S先生。

 

プリンは欲望のシンボル。

 

西麻布は人が少なかったが、近隣に住んでいる雰囲気のオシャレな常連さんたちで小さなお店はにぎわっていた。我々中年女性がS先生の思い出話など不毛なネタで騒いでしまったのではないかと反省するが、お店の方は感じがよく、また来てくださいと言ってくれた。

 

友達はいいものだと思い、もうなんだかそれ以上のものって無いかもしれないという気がした。ほとんど終電で帰ったわたしは、友人たちの次の約束を苦笑しながら眺めた・・・。

 

みんな、元気で、うれしいよ。

 

 

その2日後くらい、左足が腫れて痛むことに気づいた。外傷はない。

 

その痛みは少しずつ大きくなっていった。

 

 

けっこう歩いたせいかな、靴が合わないのか、外反母趾か・・・などと思いつつ、ネットで症状を調べたところ、ある病名に行き当たった。

 

 

それは意外な病名だったが、「・・・間違いない・・・」

と思った。

 

プリン、プリン、プリン。

 

そう、痛風

 

女性ホルモンの作用により、女性には起こりにくいと言われているが、女性ホルモンが少ないと、女性でも痛風になるらしい。わたしは閉経が早かった。もう女性ホルモンなど枯渇しているであろう・・・。

 

左足の親指あたりが痛み、お気に入りの踵の高い靴が履けないので、しばらく自宅生活を余儀なくされつつ、ヒョコヒョコと近所の内科に行ってみた。

医師も「痛風っぽいね」と言ったが、検査をしたところ、尿酸値についてはそれほど高くなかった。

 

結局、「症状としてはどうみても痛風だが、痛風とは確定できない」という結論になった。

痛み止めで痛みは軽減し、現在はほとんど痛みはない。

 

しかし・・・痛風疑い、か・・・。

その可能性はわたしをガッカリさせた。

 

(・・・病気になりたかったんじゃないの?)それは、若い頃の話ね・・・。

 

ひどいときは階段を下りるのも苦労した左足の痛みの中、自分の食生活、ことにこの「週に2回のシュクメルリ」を反省することとなった・・・(食べ過ぎやん・・・)。

 

・・・なんか別世界のように楽しい週だったね・・・

背後で花火が立ち上がり、火山の炎が空を染め上げる

祝祭のシュクメルリ!

君の欲望、解放しチャイナ・・・

はい!

もりもり食べて、欲望のまま、遊んで豪遊して眠れと誰かが言うので わたしは頑張ってお金をつかい、人と会い、弱いお酒を飲み、東京に住む楽しさをかみしめ、がんばって欲望のままに生きてみたのに・・・・

 

残ったものは「風が吹いても痛い足」だけだなんて・・・。

 

どんだけ貧乏性な器なのだ、わたしの肉体は。

 

女性ホルモン不足したわたしの身体は泥の船、骨組みは腐って溶けかけて、少しの荷物で沈んでゆく泥の船、豪華なディナーなど、もとよりわたしには無理だったのだ。

 

・・・・そう思いながらも、尿酸が高くなかったので、痛風ではない可能性もあるぞ。

 

そこで、以下のようなことを考えた。

 

・・・また、プリン体を含む食べ物をいっぱい食べて、足が痛むかどうか、実験してみようじゃないか!?

 

お肉にモツ、おさしみ、お酒!欲望の街・東京で 背中を押されて舞い上がり 楽しことに万札崩す、食欲の秋は、プリン、プリン。

 

祝祭のピストルが鳴り響き、紙テープのように咲くシュクメルリ

 

死に近い秋は、まだ、始まったばかり・・・。

 

これは・・・3プリン。

これは・・・よんプリン。

 

小さなボートにプリンの黄金を詰めて漕ぎ出して・・・次は大丈夫!

 

じぶんの不幸をスパイスに今日も肉食で痩せましょう!

 

 

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記事はこれで終わりです・・・・

しかし、年を取ると病気がちになりますね・・・。

 

松岡宮からのお知らせです。

 

💛

 

欲望といえばメロンブックスさんで松岡宮のCDをお取り扱いしてくださっております。「他の人はこんな商品もチェックしています」が祝祭にあふれ面白いので、ぜひ見てやってください。

 

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1859970

 

 

💛

 

 

また、BandCampでも松岡の楽曲をほぼすべて試聴できます・・・

というかまさかの「スズメバチの敗北」リリースしました・・・。

 

miyamatsuoka.bandcamp.com

 

わたしの作品は面白いので、良かったら作品を聴いてみてください★

その人が作品を作っていることを知ることと、実際の作品を知るのはぜんぜん違うことで・・・前者と後者は違うことだというのを知ってもらえたらうれしいな。

 

色々な方が近寄ってくるのに、どうしてこんなにCDが売れないんだろう・・・って、いつも悲しくなります。

だけどいつだって創作意欲盛んなわたし。

PCで作品を作って、声を入れて、配信して、それがお仕事になったらいいなと思っておりました。

 

・・・それで、いろいろあって、この秋は複数の教育機関におけるオンライン講義・オンデマンド講義に追われています・・・

・・・YouTubeライブ配信して、チャットに返事して、動画作って、配信して、それでお金貰って・・・・

 

・・・ん、なんか、夢、叶ってる!?

 

あ、次回ライブはデザフェス11月12日(日)17時ごろです💛


三度目の串間の旅のこと(体調不良というギフト)

この記事は、以下の記事の続きである。

 

ekiin.hatenablog.com

 

三度目の串間の旅が、これまでと違うのは、わたしが単独の相続人になったということであった。

 

末っ子、次女、背は低い・・・

 

おまけにどっかの家へと嫁に出た・・・。

 

こんなわたしが松岡家の当主である!

 

よって、かかる金銭は自分ひとりでなんとかしなくてはならない。そのぶん、自分で土地や家のことを決められる気楽さはあった。

 

最初の仕事は、母屋の撤去である。

相続した敷地には、「崩壊寸前の”母屋”」と「そこまで壊れそうではないが、中はゴミだらけの”離れ”」の2棟ある。

撤去もしくはリフォームの相談を業者にしてみたら、さっそく見学に行ってくれ、状態が悪い母屋のほうは「台風が来る前に早急に撤去しなくては危ない」と忠告された。

 

宮崎は「台風銀座」であり、秋ではなく7月~8月にも台風のリスクがあるという・・・「台風銀座」・・・それは想像を超えた言葉であり、わたしの知っている銀座ではなかった。

 

東京とは違う世界、南九州の気候があるのだと気づいた。

 

そして業者から届いた撤去工事の見積額は、思った通りの高額であった。

 

いまの時代、何かを手に入れるということは、そこに「さいごまでめんどうをみてください」という責任の札が紐づいているということである。

だからみんな、手を引いてゆく。

何かを得ることは費用負担のほうが大きいのだ。

「これは父の故郷への寄付なんだ」と思って自分を納得させ、「了解しました。工事を進めてください」とお伝えした。

 

実際の工事の前に、業者さんといちど顔を合わせて話し合おうということになり、6月末に行くことにしたのが、この「3度目の串間への旅」である。

 

 

2023年6月末、3度目の串間の旅。
以下の便をネットで安く取った。
1万円未満。
鹿児島行きは安くてよい。
 
便  名:SKY301
発着空港:東京/羽田 - 鹿児島
発着時間:06:35 - 08:25
 
今回が今までの2度の旅と違うのは「夏である」という点だ。
 
庭はおそらく草ぼうぼう、虫対策が必要だな・・・ということで、もっともハードなブーツを履いてゆくことにした。服装も、長袖、長ズボン。自分は暑さに強い体質なので、厚着してゆこうと決めたのだ。ただ着替えを持って行かなかったのは失敗で、現地でシャツを購入することになった。
 
旅行前日の夜中0時から英会話だったが、眠さでうまく答えられなかった。今思えばそんな時刻に英会話を入れなくてもよかった。
 
就寝してすぐに起床時刻の4時半が来た。外は明るい。
これまでの冬の旅とは違うな、夏なのだなと思う。
 
わたしはケチなのでいつも弁当を持ってゆく。
この時は、歴史に残る、ひどい「しりある弁当」だった。
 


この頃、美容と健康に良いのかと思って低糖質シリアルを買ってみたのであるが・・・鳥の餌のようで、あまり好みではなかった。
余っていたので持って行けばいつか食べるだろう・・・と弁当箱に突っ込んだが、その予想は外れ、結果的にこのシリアルは食べきれず、捨てるわけにもいかず持て余した。
自分はこういうシリアルが好きではないのだなと実感した。そういえば実はあまり牛乳も好きではなかった。
 
串間への旅を思うとき、トイレの近い自分は空腹の恐怖よりトイレが無い恐怖のほうが大きい。そのため、朝のコーヒーも控えめに、買ったばかりの黒いトランクを引きずり、出発した。
 
矢口渡から蒲田へ向かう始発列車は5時11分、それなりに乗客がいた。黒いスパッツの同世代の女性がみえたが、仕事に行くのだろうか?朝が弱い自分の知らない世界があるようだ。
 
JR蒲田駅東口ロータリーには空港行きリムジンバスのバス停があり、すでに行列が出来ていたが、わたしはケチなので徒歩で京急まで向かう。
いちばん近道はいちばん色っぽい通りで、結婚恋愛相談所の看板が目立っていた。
 
 
早朝であるので呼び込みもなく、鳩がエサを探して群れだっていた。
 
徒歩10分ほどで京急蒲田に到着した。朝の5時半ごろであったが、もう暑いくらいの気温であり、汗ばんできた。
京急ホームの3階まで直通する長いエスカレーターに乗り、要塞のように巨大なホームから乗り込んだ空港線優等列車。高架線の蒲田を出てゆるやかにカーブする風景の左手に、お世話になった精神科病院の南晴病院のさびた鉄枠が見えた。
周囲から浮いて黒ずんだその病院の姿は、自分が地上から見ているときよりも古びて見えた。
 
第1ターミナル、北ウイングからスカイマークへ搭乗する。
3度目ともなれば慣れてきて、ハサミを手荷物から除き、逆に一つだけ持ってきたモバイルバッテリーは手荷物に入れる。ブーツは脱げと言われることを予想し、脱ぐ準備をする。
ずいぶん空港慣れした自分に気づく。

 

 

空港に「ラウンジ」という空間があるらしく、自分には縁のない空間だとは思うし、それに入り込んだわけでもないのだが、どんなところなのか、気になった。

 

えらばれしひとが入れるのか・・・?

わくわく・・・。

 

「ラウンジ」について考えることが、この旅の宿題となった。

 

 

飛行機は3人掛けの窓際の席、しかも隣は空席となっており、快適に過ごすことができた・・・と言いたいところだが、朝はやっぱり体調が悪い。早起きは心身に悪影響を与え、いつものパニック発作がひたひたとこちらに来そうである。頓服も持ち歩いているがそれは最後の手段とし、あわててグランビートでジャズを聴いて心を落ち着かせた。

 
そう、この頃は友人の影響でよくジャズを聴いていた。
 
「第3の男」、「スターダスト」、「サマータイム」・・・英語を聞き取ろうとがんばる。
 
パニック対策は作業を拮抗させることなのだ。
飛行機は本当にパニックとの戦いなのだ。
 
個人差はあろうが自分は離陸までがもっとも緊張感が高まる時間であり、自分の精神が膨張するのをなんとか収めるために、ジャズを聴く、英語を聴く、英語を思う、学びまくる。閉ざされた飛行機はゆっくり進み、やがてカーブしながら滑走路に位置する。あっ、いまから離陸するとわかる。皮膚全体から周囲の様子を推し量るのは警戒心の強い人間の癖だ。そしてわたしを乗せたスカイマークは轟音をたてて離陸する、その瞬間、角度が変化し、体が斜めになる、その無力。この世界にGがあることを感じる。Gはゴキブリではない。Gのコードは何だっけ。ジャズは相変わらず流れている。パニックはわたしの神経に来てはいないが油断をすると来てしまいそうで、第3の男、スターダスト、サマータイム、子音の聞き取りに集中する。そして、パニック除けには演技が大事だ、わたしね、これからニューヨークにジャズ留学なんだ・・・HAHAHA、それなんて大江千里
 
 
今回も機内でキットカットとインスタントコーヒーをサービスしてくれたが、長時間トイレのないバスに乗るのでコーヒーは喉を湿らせる程度にした。
トイレの近い人間は、つまりキャパの小さい人間は、のちの廃棄のことばかり考えてしまう。
 
また、機内でNHK放送大学認知神経科学」PDFを読んでいた形跡があった、が、なぜかあまり覚えていない。不眠に悩む夜は、実は寝ているのだといわれるが、飛行機に乗っているときはやたらと研ぎ澄まされて「眠れそうで眠れない」と思っていても、あとから考えると半分寝ている。薬は飲んでいないが、記憶に薄い霧がかかっている。
 
飛行機は早い。思いのほかすぐに着陸態勢に入る。窓の外、雲間から緑の田園がギラリと光り輝いてみえる。もう九州上空なのかと思う間もなく飛行機は高度を下げ、轟音をたてて鹿児島空港に滑り込む。時は8時25分。
 
手荷物を受け取って外をみたらスコールのような雨が降っている。大粒の雨音が響く。鹿児島の天気は変わりやすいのか。
 
志布志行きのバスは9時40分発なので、鹿児島空港で1時間ちょっと待つ。飲み物は控えるが、食べ物は補給しようと思い、鹿児島空港のベンチでおやつを食べる。
 
 
 
そして9時40分、定刻で出発したバスには10人ほど乗り込んだ。わたしは最前列の座席の足元にトランクを詰め込み、ぎゅうっと身を細めて乗り込んだ。固定されているような狭さが心地よかった。

 

さあ、いざ、志布志まで。

 

 

真夏のような太陽の下、あちらこちらで咲く花を見る。

 

志布志までの1時間50分をどのように過ごしたのかは記憶にないが・・・おそらくGRANBEATでジャズを聴きながら、睡眠を取っていたのだろうと思う。

 

志布志に到着する予兆は風景でわかる。山がちの、緑に覆われた風景から、少し住宅が現れはじめる。最後に商業地が現れる。

 

坂を下って右に曲がり、見慣れた市役所のある通りが現れると、志布志駅に到着。

 
空は快晴。
夏の志布志は一段と空が青い。
 

 
日傘を持ってきていなかったので港に行くことはあきらめ、駅から徒歩5分ほどの「オリーブ ド ラブ」というお店で昼食をとることにした。
 
 
 
このお店は、外からは想像もできないほど広々しており、綺麗でセンスの良いお店だった。
お客さんもそれなりに居たが、一人客のわたしも4人掛けくらいの広い席に案内してくれた。広々としたテーブルがうれしい。
 
 
ガーリックトースト、サラダ、アイスコーヒーを、「南日本新聞」を読みながらいただく。
イタリアの高級パスタを使っているようでとてもおいしかった。また、ガーリックトーストもフレイバーが強く、とても美味しかった。(←語彙がない)
 
志布志まで来るとなんだか安心する。
これから行く串間は宮崎県、志布志は鹿児島県、別の県なのに、同じ地域だなという感じがする。
 
志布志から業者さんに連絡をし、15時に現地集合の予定を確認した。
そして、そういえば志布志駅は始発駅なのだから早く行ってもいいかもと思い、ふたたび志布志駅まで向かった。

 

「ぼくはすっかりげんきになりました!」

 

やっと全線復旧した日南線が出迎えてくれた。

 

 

3度目にして、やっと志布志駅から串間駅まですべて日南線の鉄道で行くことができる。「日南線で串間まで日南線で行く」ことは、当たり前ではないのだ。奇跡のトランスポートを引っ張る運転士のたくましい肩に夏の日差しが差す。
 
白い車体は、数人の客を乗せて出発する。
 
ガタンガタン・・・伸び盛りの木々の合間から見えるエメラルドの海。鬱蒼とした森の生命力は嘔吐となり広い海へと収斂される。海側の切り立った崖の風景が言葉に尽くせぬ迫力で、海に対する地上は小さいものであり、人間などはさらに小さいものだと実感する。

無力で小さな自分が、ガタンガタンと身も心も揺らされて、なぜかテンションが上がる。
 
無力は力なのだ。
 
  
 
そう、無力は力なのだ。
 
東京に居ては尊大になる自分が、ここでは無力であることを学ぶことは、先祖からのギフトなのだ。わが精神が新緑に染まる。ああ宮崎に住みたい。
 
思えば、この時は元気だった。
 

そして志布志から20分弱で到着した串間駅は・・・あれ、前回と何かが違う・・・

そうだ、工事が終わったのだ。

 

・・・なんと、駅舎が綺麗にリニューアルされていた!

 

 
駅舎や周辺がとても綺麗になっている。こじんまりとした駅舎は、まるで鉄道模型に出てくる駅のようにピカピカ、新しく夢のある空間に自分が身を置いているようだ。
これは、鉄道の駅が市によって大事に思われている証ではないだろうか。
 
駅の小さな待合室には、昭和天皇が来た時の写真が飾ってあった。SLの写真も飾られ、地元の手作り品も販売されていた。
 
記念に買えばよかったな・・・。
 
そう、この時は元気だったが・・・いま思えば、なんか、気負いすぎていたと思う。
「そこでちゃんと休め自分」ってあのときの自分に言ってあげたい・・・。

 
日差しは厳しく、かなり暑い日。駅から家までは徒歩10分程度。炎天下、カートを引いて、ごろごろと向かい、最後は坂を上ってたどり着く「我が家」
 
汗を流しながらたどり着いた「我が家」の庭は、予想通り、背丈をはるかに超える草に埋もれ、草原というよりは森林のようになっていた。
 
 
この写真右手の「離れ」にたどり着くためには、まず、木を切らないといけない。
 
軍手をはめ、飛行機で没収されずに済んだ「はさみ」で草を切りながら、「離れ」までの通り道を作った。そして、足元にマムシやムカデがいるのではないかと警戒しながら、縁側に向かった。
 
よいしょと縁側に上り、常に開いている離れのガラス戸を横に引いた。
 
前回、片づけに来た時と変わらない風景がそこにある・・・はずなのだが、なぜか蔓草が室内の戸棚へと延び、つるを巻いてぐんぐん育っているのが見えた。
 
どこから入ってきたのかわからない。生命力はおそろしいものだ。
 
縁側は少し高さがある。室内にある「卓袱台」などを庭に出して、台にしようとした。
 
 
その作業の途中、縁側から不用意に降りたとき、不安定な石の上に右足をついてしまい、転倒してしまった。
 
草むらにしりもちをつき、右足首をひねった。
 
足をひねったことよりも草むらに投げ出された髪や衣類に虫がひっついていないかと、そんなことが気になり、パンパンと草をはらう。実際、このときは足は痛くなかったのだ。
 
暑い中、最後の片づけを行っているうち15時になり、業者さんが家の前まで車で来てくれた。能力の高そうな若い方で、会話が弾む。「台風が来る前にやりましょう。もう、急ぎで。」とせかされる。
 
見積もりでは母屋の撤去だけをお願いしたが、それにプラスして、離れの建物の中身をすべて廃棄し、庭も綺麗にしていただきたいとお願いをする。また、入り口付近の枯れ井戸は撤去することにした。そのぶん間口が広まり、重機が入りやすくなると言われたからである。当然ながら見積もりが増えるが、それも行ってくれることになった。
 
いよいよ、撤去への道が始まる。
 
わたしの一存で、歴史あるものたちがどんどん撤去されてゆく。
 
じくじくと刺すような日差しのもとで、立ち話をしたあと、業者さんが「ホテルまでお送りしましょうか?」と言ってくれたのだが、「いや、もう少し片付けがあるので・・・」と断ってしまった。

これは良くない選択だった。
休むことも、大事な仕事なのだ。
 
この時、ちゃんとホテルに行って休んでいれば、その後苦労しないで済んだだろう。
 

 
さあ、片づけだ。
 
トイレも使えない猛暑の家のなか、ドリンクも飲まずに最後の片づけを行う。3度目の、そして最後の片づけで、唯一にして最大の気になる荷物があった・・・

 

それは「パソコン(3台)」。

 

これはやはり東京に送るべきだろうなと思い、まとめてファミリーマートで送った。送料は1950円であった。

 

 

 

宅急便のなかに一緒に突っ込んだ懐中電灯がふと灯りを放った。




 
 
崩壊寸前の母屋にはもう立ち入らない。
壊れそうな玄関には黒い大きな虫がおり、ぶんぶん飛びまわる羽音が聞こえてきた。
撤去工事が決まった母屋を最後まで守るかのようだった。
 
 
「離れ」も、中はゴミだらけで、物静かな昆虫が息をひそめ、つる草だけが繁殖するような、あまりに不健康な空間であった。
 
ここにずっと居ると病む。そう思った。
 
ぷーんと耳元でうなる虫たちに悩まされたが、虫よけパウダーが役立った。
近づく虫。
はねつける自分。
虫よけパウダーをシューっと出しすぎて、むせかえる自分。
そのたびに具合が悪くなる。
汗がどんどん出ているのに、この家のトイレは使えないからと、飲み物を飲んでない。それが体に良くないことは理解していたが、ひとまず、家の片づけをしなくては・・・と、そればかり考えていた・・・
 
がんばれ。
 
がんばれ。
 
・・・いや、誰もがんばることなど要求していなかったのに、勝手に頑張って、消耗して、この相続には何か意味があるのだろうか・・・
 
いや、さっきの業者さんとの話では、駐車場ができるって!?車が停まれるってさ!・・・
 
それが何だというのだ・・・
 
もう休みたい、もうこの事業の全てを捨ててしまいたいよ、さっき転倒したときに袖口についた草たちは、まるで貧乏くじ。おじいちゃん、もう全て捨ててしまいたいよ・・・わたしの乏しい老後資金を痩せ細らせるこの事業から・・・
 
 
もとより逃避だった、串間の相続。
1回目に来たときは初冬の街、広々とした風景が新鮮だった・・・。
だけど3度目は夏の街、猛暑に心身を搾り取られ、「田舎ゆえの新鮮さ」などを感じる余裕が失われた自分がいる。
 
おろかだ。自分の覚悟はその程度だったのか・・・
 
「いよっ、相続人!」
 
甘いマスクのおじいちゃんが笑顔で背中をたたく。
 
そうだ、覚悟はなくても責任はある。がんばれ自分。
 
(・・・わたし50代なんだけど、地域の福祉の輪のなかではなぜか若者扱いなのよ・・・)
 
愚痴ともつかぬ独り言を放ちながら、最後の片づけを終わらせる。
 

 
6月の九州の18時は、まだまだ昼間のような明るさである。日焼けを気にしながらホテルへと向かったが、そのとき右足が痛むことに気づいた。体調も悪い。
 
まずいな・・・。
 
夕食の買い出しの前に、少し横になる。
 
 
少し休んだあと、ニシムタに買い物にゆく。痛む足にブーツはきついので、ニシムタで運動靴を買った。
 
 
また、シャツの替えもなかったのでシャツを買った。夕食用に、刺身、トマト、ドレッシングも買った。
 
ニシムタは大きなお店で、要するになんでも売っているのだ。
 
 
夜の8時になっても九州の夏はまだどこかに昼の名残りが残っていたが、さすがに涼しくなってきた。
 
買い出しの帰り、夜の道を歩く高齢の女性がいた。小さな灯りを握り、すたすた歩いている。都内では灯りを持って歩くのは多摩川サイクリングロードくらいであるので、興味深く思ったが、そういえばこの街の歩道は暗い。
 
ずいぶん遠くに来てしまった。ここを故郷に出来るのだろうか?
 
痛む足、頭痛、この体調不良・・・
 
先祖一同に「わかったからもう休め」と言われているようだ。
 
明日は温泉に行ってのんびりしようと考え、早めに就寝した。

 

 
翌朝目覚めると、ひねった右足の痛みは薄らいでいたが、頭痛と吐き気はひどくなっていた。
いつものあれだ。40代になってから、吐き気・げっぷを伴う片頭痛は持病となっていた。

バファリンを飲み、あまり効果がみられないので、胃腸薬も飲んだ。
 

 
3度目の串間の2日目の予定は、以下のようである。
8時33分 「よかバス」で串間駅から串間温泉へ 
11時26分「よかバス」で串間温泉から串間駅に戻る
11時55分 日南線志布志駅 
13時59分 バスで志布志駅から鹿児島空港

 

飛行機は遅い時間だが、体調が悪いときは早く空港にたどり着きたい。もはや「我が家」に立ち寄る予定も入れず、温泉で回復を期待しつつ、早めに鹿児島空港に行こうと考えた・・・

 

 

・・・ごめんね「我が家」・・・さようなら。

・・・建っている母屋を見ることは・・・もう無いのか・・・。

 
 
 
東京への帰路がフラフラな足取りで始まった。
こういう状況のときは、ものを見るのがつらい。
薄目になって、歯磨きをし、髪を整える。もちろん朝食などをいただく気にはならない・・・弁当箱の中には、例のザラザラしたシリアルが入っていたが見ると吐き気がするばかりで食べる気にならず・・・ああ、なんであんなものを持ってきてしまったのだ!
 
マスクで呼吸がさまたげられるのがしんどく、帽子のあご紐もつらい。ノーマスクでホテルを出て、ヨレヨレと歩きながらたどり着いた駅の待合室で温泉行きの「よかバス」を待った。
 
乗り込んだ「よかバス」からは新しくきれいなカフェがみえた。
マスコミの情報では、「東京一極集中、地方には何もない」という論調もあるが、この串間が新しい街へと変わりつつある息吹がわたしには感じられた。欲を掻き立てるような街に戻りたくない、結婚・恋愛相談所の看板が無い街で暮らしたい、うっぷ、吐き気が治らない。

 

「よかバス」はすぐに串間温泉に到着した。

 

 
串間温泉で、さっそく温泉に入る。500円とお安く、素晴らしい施設である。
寝そべるタイプの湯船で横になると、茂れる木々の枝先で黒い蝶々が戯れているのをみた。うーっぷ、げっぷ。森の生き物はめまいに酔ったりするんだろうか?
 
大好きな温泉でも吐き気は収まらず、だれもいない脱衣所の奥で横になり、どうしてこんなことになってしまったんだと嘆く・・・昨日、ドリンクも飲まずに片づけをしたことで、熱中症になってしまったのか・・・早く治らないかなぁ・・・。
 
しかし自分はケチなので、クーポンを無駄にしてはならぬと、よれよれとみやげものコーナーに行った。
中学生男子数名とすれ違う。キビキビと挨拶をしてくれた。職場体験だろうか。
その従順な男子たちの声が耳のなかで反響する。
 
自分が学生の頃を思い出す。甘ったれな末っ子は朝が弱く、与えられるばかりの学びに感謝せず、第2次世界大戦に向かう世界史の頃、低血圧の海のなかで睡眠に溺れていたことを、めまいと共に思い出す。
 
 
少し意識が薄らぐ。うつらうつら、何か不思議な夢をみていた。関係のない友人たちがわらわらと出てきては消えた。風景に夢がさしはさまれ、帰路は夢か現実か、よくわからない。
 
「・・・え、カラスには白いのもあるの?」
 
「・・・Aという治療方法はBに代わってゆくの?」
 
夢のなかでそんな話をしていた。意味がわからない。
 
 
温泉に浸かったあとは、上記のスケジュール通り、串間駅から日南線志布志駅に向かったが、めまいの只中であり、ほとんど写真を撮っていない。
 
帰り道の移動もつねに断続的な眠りの中にいた。日南線で、志布志駅の待合室で、夢を見た。まだ吐き気の収まらぬ志布志駅の待合室で目を閉じると、燕が左右に飛び交っていた。巣があるらしい。
 
グッタリしているわたしのことなど気にせず近くを飛び交う燕。
 
かろうじて撮った写真はこれである。
 
 
 
そのとき、ひらめいた言葉がある。
 
「船には乗るな!」
 
・・・そうだ、志布志といえばフェリー。わたしは、今後も行くであろう志布志に、大阪からフェリーで行くのも良いなと思っていたのだ・・・・が、
 
「他の人がフェリーに乗って楽しめていたとしても、お前は無理だ。船に乗ってはならない。」
 
それは天からのメッセージだった。
乗り物に酔いやすい、すぐにパニックになる、自分には弱点が多いのだということを、先祖は戒めてくれたのだ。無理するな、無理するな。それを教えるために、わたしにめまい・吐き気が与えられたのだ。
 
・・・うっぷ、はい、わかりました・・・・(ー_ー)うぅ。
 
・・・無力を突き付けられるって・・・素敵(ー_ー)うぅ。
 
志布志から鹿児島空港行きのバスのなかで、また眠る。森の中で誰かと笑顔で過ごしていた、あれは誰との思い出だったろう、福山高校前で3人の高校生が乗ってきたのに気づいた直後、また眠りに入る。山道はカーブしながら上下する。霧島から、風景が都会らしくなってきた。国分を経て、鹿児島空港に到着した。
 
 
 
当初の予定より早いバスで来たので、鹿児島空港では時間が余った。
 
やっぱりどこかで休みたいなと思い、「ラウンジ」はどうかと思ったが、「ラウンジ」なる場所は敷居が高いというか自分が行ってもよい場所なのかどうか自信がなかった。
 
 
空港のロビーの片隅の席でずっと眠っていた。ぼんやりした意識のなかで、土産物屋のディスプレイは魅力的だなと感じていた。旅の子どもがアンパンマンのぬいぐるみをねだって、父の肩車でほだされてゆく。
 
 
空港で休んでいるうちにだいぶ回復してきたので、パソコンなどを充電できるロイヤルホストへ行った。この日初めての食事はヨーグルトパフェ。甘い点滴のようで、元気が出てきた。
このあたりでやっとめまいから解放されてきたので、この日初めてパソコンを開いて文書を入力することができた。
 
鹿児島空港で土産を買おうと思い、「かるかん」などを買った。鹿児島の土産に描かれたキャラクターは西郷さんばかりで、西郷さんが愛されているようであった。
 
 
空港では、最終コールがひっきりなしに流れていた。
どこかの綾子さんが、乗る予定の飛行機の保安検査がもう締め切られますとしきりに呼び出されていた。野球帽の子供が「あやこさん呼ばれてるよ」と母親に告げていた。
 
帰りの飛行機はスカイマーク
SKY308便。20時10分発、
4番搭乗口から乗り込んだ。
どうやら無事に東京に戻れそうだ。
 
青い日暮れに見送られ、さようなら九州、So long「我が家」
 
また行きますね、必ず・・・。
 

以上が、三度目の串間の旅の記録である。
 
この旅でわたしが得たギフトは、「旅先の体調不良はつらくて不安だ」ということ。
 
「病気のひとはとてもつらい」のだと、そんな当たり前のことに気づかされた。
知っている人でも、知らない人でも、つらそうな人がいたら症状を思いやってさしあげたい。そう心に誓った。

 

自らの弱さや無力に気づくことは、なんて素晴らしいことだろう。旅はいつも素晴らしいことを教えてくれる。

 

そして翌日には汗だくの衣類とパソコン3台が宅急便で届いた。

 

 

(おわり)

 

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記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

 

 

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串間から持ってきた本たち

これまでの記事に書いたように、串間の叔父の家にはそれなりの数の本があった。

 

本好きの自分にとっては魅力的でどれも持って帰りたいくらいであったが、そんなわけにもいかず・・・どちらかといえばレアな本を持ってきた。

 

それらの本を紹介する。

 

 

◆「勝てるには理由(わけ)がある」/仰木彬

 

 

 

1997年の本。

仰木監督は九州出身である。

仰木監督は、わたしにとっては80年代後半の近鉄のイメージであるが、この本は90年代後半の本であるので、オリックス時代の話題が多かった。

 

95年の震災と「がんばろうKOBE」、そんな言葉があったことを思い出す。

 

オリックス・ブルーウェーブ 日本一の軌跡」など、懐かしい球団名と思い出。

 

最後のイチローとの対談も信頼関係が感じられて面白かった。イチローのマスコミ批判で、「記者の方々にももっと野球のことを研究してほしい。」という言葉に、仰木さんは「(記者は)イチローの心理や技術についてゆけないんだろうね。本当は僕らが彼らに伝えてやらないといけない部分かもしれんな」とおっしゃっており、そんな思いやりのある言葉が人望の秘訣なのかと感じた。

 

 

 

青木雄二罪と罰 ナニワ人生学」

 

 

 

 

ナニワ金融道」の青木雄二さんの本。

「現象形態と本質」という漫画が掲載されていますが、融通手形・・・当座取引・・・金融に詳しくないわたしにはチンプンカンプンな漫画であった。

 

青木さんも漫画に賭けて成功した”ギャンブラー”。

またアシスタントのなかで漫画家として活躍できた男は、死に物狂いで必死でやったから成功したとのことで、ありふれた結論ではあるのですが、やはり必死にやることが成功の秘訣なのだなと・・・当たり前のようなことだがそんなことを思わされた。

 

共産主義者の青木さん「この世はゼニである」とマルクスから学んだそうである。

 

58歳で肺がんで亡くなっているのか・・・健康だけはゼニ勘定のように思い通りにならないのだな・・・。

 

 

 

 

さだまさし「長江・夢紀行」

 

 

さだまさしも九州人。

少し前のこちらの記事で、さだファンだったわたしが狂喜乱舞した本である。

 

ekiin.hatenablog.com

 

 

 

この本は

「僕の旅は武漢から始まった・・・」

という言葉で幕をあける。

 

自分が高校生の頃にさだファンだったので、この本も読んでいるはずだが、中国という国に関心も知識もなかったため、いまいちわからなかった・・・今ならわかる、新型コロナウィルスで有名になってしまった、武漢・・・だが、高校生の自分にはさだまさしの中国への愛やロマンがわからなかった。

 

あれから何十年か経過し・・・「陶淵明」の存在を知ったり、実際に中国に行ったり、ある程度、地理の知識を得たりすると、さださんが撮ろうとした映像の素晴らしさ、旅によって試みたことの価値がよくわかる・・・。

 

さださんが広大な中国で「マジ」な旅をしてきたことが伝わる写真集。

 

さだまさし、やっぱり、すごい漢(おとこ)だ・・・。

 

芸能界はよくわかりませんが精神的に過酷であろうことは想像に難くなく、曲がヒットして時代の寵児となったさださんが絶頂期にこうして日本を離れて中国に渡り、どっぷりと旅をすること、それは、ご自分の原点を見つめて、日本で疲れた精神が癒される、そんな効果もあったのではないでしょうか・・・(勝手な想像です)。

 

「中国の人と日本人では、外見は似ていても、ものの考え方が違う」

という文もあり、これも今の自分なら理解できることです。

 

重慶のSL(けっこう写真が多い)や鉄道員の青い制服の写真も、なかなか旅情をそそるものでした。

 

駅員、駅員、いいぞ中国の駅員も!

 

 

丸谷才一文章読本

 

 

 

何でこの本を東京に持ってこようと思ったのか・・・忘れたが・・・

やはり自分がものを書くのが好きということで、うまく書くための一助になるのではないかと思って持ってきたのではないかと思われる・・・。

 

さくさくと読んでみると、ふだん何気なく書いている文章というものを、丁寧に分析しており、言葉や文章への強い関心や愛を感じる・・・そんな本。

 

細かいところへの着目もあり、例えば句読点、感嘆符、ダッシュ、などについての言及もあった。

 

 

わたしは文を書くのが好きだが、思いが突っ走りすぎて雑にたくさん書いてしまうタイプ・・・もう少し一文や単語にこだわってもよいのかもしれない、などと反省させられた。

 

(汚れはひどいものの)本の装丁デザインはとても美しく、それも文章読本の一部であるのかと思わされた。

 

 

●吉村久子 歌集「茜雲」「流れる」

 

 

 

地元・宮崎の歌人の本。

 

けっこう重たい本で、捨てようかとも思ったが・・・しかし自分も詩人であり、このような、発行部数の少なそうな歌集は捨てづらい・・・

 

そして読んでみると、歌がとても面白い。

 

義母の介護、芸能人の名前、東京の風景、加齢する自分を鼓舞する言葉、ユーモラスな歌、生命力というか生活力を感じる歌のかずかずでした。

 

「流れる」より。自転車がたくましいイメージを醸し出す・・・。

 

 

「茜雲」より。尼崎脱線事故のこと。

 

 

短歌は簡単そうで難しく自分にはとても書けない。

吉村さんの歌は面白く、パキッとキレが良く、これが短歌の技なんだな・・・と思いました。

 

 

 

●亡国日本の悲しみ

 

 

 

・・・なんじゃこりゃあ。

 

・・・発禁本ではないかと思いましたが普通にAmazonで売ってる・・・。

 

わたしは世代的にはどんぴしゃで・・・ただ大学では原理研のほうが(問題があるという文脈では)存在感があった。

 

駒場の同級生のK君と、本郷でも同じ学部に進学することになり、それなら少し親しくなったほうがいいのかと思い何かのきっかけで渋谷のフルーツパーラーで食事をしたり明治神宮を散歩したりしたら、すごく追いかけられて・・・驚いてしまったことがあった・・・。のちに彼は、女性が誘う原理のアパートに行ってビデオを観たらしいといううわさや、オウムに入ったという噂を聞き・・・その頃、もう学校には来なくなっていた。

一部の男子大学生の女性を求める希望の強さ、それが新興宗教につながる可能性のことを、あまりわかっていなかった。思い起こせば大学生のころ、新興宗教は身近な誰かが関係する、とても身近な問題だった。

 

 

さて、この本では、Nさんが6000万円のお布施をしたというページが印象に残る。

最初の2000万円に関しては確かにNさんにはためらいがあったようだが、次の4000万円についてはゴルフ会員権を売って、「こういうお布施をしたかったんです!」と大喜びで自発的にお布施しているのだ、だからさきの2000万円をNさんから巻き上げたわけではないのだ、との記述があった。いずれにしても6000万のお布施というものが存在したのだなと、庶民の自分には信じられないことであった。

 

 

以上、まとめると、持ってきた書籍の多くは、あの90年代の暗い雰囲気、少し苦い香りのする本たちであった。

 

叔父さん、すてきな本をありがとう。