駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮が描く東京の風景たち◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆

作品「早く死んでしまえばいいのに」

 

自分が医学部保健学科という学科に行ったのは、理学部数学科にゆけなかったからである。
 
もともと何もやりたいことがなく、「こういう仕事に就きたい」という思いもなかった。親指と人差し指で作った四角形のなかで、日々やることをこなして生きるだけ。籠の中で、若く丈夫な肉体と、赤黒いエネルギーや欲望の松明を持て余しながら、ひたすら小田急線に乗っていた。
 
相模大野を出た急行電車は3駅を飛ばし、なかなか停車しない。
 
わずかに残った細い理性が、「よくわからないけど、自分、教師になったら?」というので、数学教師になろうかと思いつき、数学科を希望した。しかし当然の結果として数学科にはゆけず、第2希望の保健学科に行くことになった。

 

小田急の座間の手前で突然風景がひらける場所があり、窓の外にみえる桜が綺麗だった。

 

若いころ、あまりも社会を知らなかった。ソーシャルワークも福祉も知らなかった。自分のせいばかりではないだろう。両親からも、小中高(公立中ー桐蔭学園)においても、社会福祉の理念や実践を教えられることはなかった。

 
世間知らずで頼りない自分は、友人や先生から支えをいただく、ばかりだった、今になればそう思うのに、守られている実感もなかった。

 

桜の花びらが青空を隠し、未来を急き立てる。 だが両手の親指と人差し指で作った四角形のなかに生きている自分は、そこからフレームアウトする世界のことなど知る由もない。

 

不自由だなっと、籠の中。

詩を書こう。それしかできない。

 

 

I shook free and nodded at Burt. "I'm sick and tired of people making fun of me. That's all. Maybe before I didn't know any better, but now I do, and I don't like it."

 

僕は(二―マー教授の)手を振りほどき、バートのほうを顎でしゃくった。

「気分が悪い。人から笑いものにされるのはこりごり、それがすべてだ。以前はわからなかったけど、今はそれがわかるし、そうされるのは好きじゃない。」

 

ダニエル・キイス「Flowers for Algernon」(講談社)、松岡訳、p62)

  

大学に入っても点数取りの競争時代、暖かく支えあう空気を感じなかった。どこにも所属できない感じ、支えのない雰囲気、友達も少なく、(点数を取るための)シケプリも手に入らず、あいかわらず不安な20歳前後を過ごした。

 

就職への支援もない。国や学校や友人の助けなど得られない。それは当たり前。自分のことは自分に責任があり、自分が生きるためには相応の努力をせねばならぬ。

「目指すべきは、誰にも頼らない、自立した人間だ。」

うむ。がんばろ。

 

そして進んだ保健学科は何するところ?
わからないまま福祉の授業。
当時はICIDHモデルのころ、障害には3種類あるということを学ぶ。
 
ーインペアメント・ディスアビリティ・ハンディキャップー
 
それらを四角で囲んだあと、3つの四角のあいだに右矢印をふたつ。
 
 
ーそう、社会の側に障害があるのですー
 
(ZZZ・・・)
 
シャープペンシルでノートに描くのはただの記号。
単位を取るための暗記の対象。
障害者になじみのない自分には「障害者の身体の外の社会に障害がある」
ということが よくわからない・・・(ね、眠気が・・・)
 
どうやら自分はものを知らない。
「わかってない」ことがわかってきた
 
やりたいことなんてなかった。ペンを持って紙に詩を書いた。自己憐憫と被害者意識に満ちた悲しい詩、あるいは、上っ面な詩ばかり。すぐにくだらない詩ばかりを書いてしまう性格、指ばかり動いて、それってなんて悲しいことだろう。すぐに恥ずかしい文字を書いてしまうこの指、この手が、憎らしい。
 
すぐ眠くなるから混雑した小田急のドアのガラスに頭をゴッチン
膝がカクーン・・・
 
・・・あ、恥ずかしい。
 
・・・それにしても、通学、遠いなぁ・・・。
 
何処に運ばれてゆくのやら。
車掌が見張る、籠の中。
 

 

医師になるための学科ではないが教授は必ず医師であるという、その大きな枠組みに疑いをおぼえるのはまだ先のことで、壊れかけた灰色の三号館、バリアフリーですらなかった保健学科の三号館、車いすの友達はいなかったがいないことにも気づかなかった、自分はとても不幸だと思って詩を書くだけの、あの頃。
 
キャンパスにぽつんと群れない桜の木があり満開の花を咲かせた。
三号館のとなりには綺麗なレンガの動物実験等がそびえ立っていた。
白いマウスを一人1匹ずつあてがわれ、殺し方を教わって実践したこともあった・・・
 
・・・この指で、白く細い首を、ぽきっと外した。
 
だから自分の手は汚れていると感じる。
 
謝りたい。
 
The constant juxtaposition of "Algernon and Charlie," and "Charlie and Algernon," made it clear that they thought of both of us as a couple of experimental animals who had no existence outside the laboratory.
 
「アルジャーノンとチャーリー」
「チャーリーとアルジャーノン」
つねに並列に記されることから、僕らを実験室の外では存在していないも同然の1組の実験動物だと思っていることが明らかである。
 
ダニエル・キイス「Flowers for Algernon」松岡訳,p159,)

 

 

 

ー障害という概念が挟まれると判断を誤りやすいー
 
けして福祉的な環境ではない家庭でボケっと生きていたわたしが保健学科で「障害」を学ぶ。
教科書に書いてあることや板書されたことを学ぶ。
たくさん読み、たくさん書くことで、学ぶ。
その、印刷された文字で語られた内容を、単位を取るための単語や考え方を、自分の障害者に対する思考の枠組みとして、セットして、桜咲く卒業の頃、よし、一人前の、保健学士だ。
 
ーその概念を前にして 無心に接することが 難しいー
 
障害者。
その言葉はあまりにも人口に膾炙し 工業製品のように流通し用いられ ある種の価値観とともに浸透し その言葉を大きな文脈で用いることでそのシャワーを浴びた人の行動すらも変容させる。
 
「ああ、そのことなら知っている。」と即断してしまうことで閉ざされる扉。
 
なぜ、目がその言葉に引き寄せられてしまうのだろう。
そして、人つきあいの判断を誤らせてしまうのだろう。

 

障害者、よく誤った。

障害者、謝りたい。

文字や文章を書くのが得意で知識を詰め込んだだけの人間たちのことをみんなが高学歴だといい、ものをよく知っているといい、先生と呼ぶ。なんでも知っている人のように扱う。

だけどわたしは馬鹿だった。

 

ああ、バカだった。

 

ただ、無心に出会えばよかっただけだ。

 

I’m a human being, a person-with parents and memories and a history- and I was before you ever wheeled me into that operating room !

 

僕は人間だ、両親がいて、記憶も来歴もあってーそして、それは以前からそうなのだ、教授が手術室に僕を運ぶその前から!にんげんだった。

 

ダニエル・キイス「Flowers for Algernon」松岡訳,p160)

 

 

あれから時は過ぎ、わたしはポエトリーアーティストとして作品を書きながら、国家資格をいくつか得て、福祉を教える人となった。

 

・・・WHOによる障害のモデルが、ICIDHモデルからICFモデルになったのですが、どこが違うかわかりますか?

・・・そう、矢印が両方に向いていて、周りにいろいろな要因がちりばめられていますね・・・。

障害をみるとき、その方の外にある、社会にある障害にも、目を向ける必要が・・・

 

・・・なんて、今日も、偉そうに!

 

 

そしてたくさんの障害者に出会ってきた。

 

うまく接することが出来なかった反省が残る・・・

 

いや、「うまく接する?」

そんな言葉もおかしいのだ。

 

ただ、無心に出会えばよかっただけだ。(2度目)

誰に対するものと同じような配慮を もってー

 

 

そして、わたしより少し若い、社会福祉士の宮城永久子さんという方と出会った。

脳性麻痺をお持ちの方で、車いすはピンク。

髪がサラサラ、うらやましい。

 

気さくな方で仲良くしていただいた。

 

エテルナ舎から2冊の著書を出されているが、特に「ピンクの車いすを街の風景に」のピアサポートの項はとても参考になり、自分の講義にも使わせていただいている。

 

eteruna.thebase.in

 

本のなかで印象に残ったのは・・・

 

障害者である自分がマッサージに行くのは、「筋トレ・リハビリのため」じゃない、「美容のため。プロポーションが気になるから・・・悪あがき」

 

という旨の言葉・・・

 

そうなのだ、「障害はその人に対する判断を誤らせる」。

 

知性にあふれる方だが、わたしは脳性麻痺の方と接した経験がほとんどなかったので、紙を持てないこと、ペンを持って字を書くことは出来ないことを知り、驚いてしまった。

専門職として知性と経験の豊かな方が、そんな日常的な行為が難しいのだということを、情けないことに、はじめて実感として感じたのであった。

 

ペンを持って字を書くことが難しい方を目の当たりにして思う。もっと、早く出会っていれば、出会おうとすれば、良かった・・・親指と人差し指で作った四角形のなかに閉じこもっていた あのころに・・・。

 

そして、ペンを持って文字を綴ることができるのは当たり前のことではないことや、文字を綴るのは鉛筆やペンだけではないことを知ることが出来ればよかった・・・。

 

「目指すべきは、誰にも頼らない、自立した人間だ・・・

 

なんてことはないと 気づけばよかった。

 

 

>この障害はもはや治るものではないし・・・。障害を治すために時間と労力と生涯を費やす時代は、もう終わったのです。

 

>私にとって「一人で頑張らない」ことは、とても大事なことなのです。

 

宮城永久子「ピンクの車いすを街の風景に」エテルナ舎。

 

 

 

そんな永久子さんが、Youtube「とわちゃんねる ピンクのお部屋」というチャンネルを開始した。障害がある方の日常を伝えようと頑張っている。

 

www.youtube.com

 

そして、「松岡さんのアーティストとしての面に興味があります」と言っていただき、「とわちゃんねる」にお招きいただいた。

 

そのときに「せっかくなのでコラボしましょう」と言っていただき、永久子さんの詩にわたしが曲をつけて一緒に歌うことになった。

 

その作品が「早く死んでしまえばいのに」。

 

ライブ動画はこのブログでも少し前の記事で紹介しましたが、改めて高音質でレコーディングしてみましたので、聴いて下さい♪

 

youtu.be

 

とても面白い作品。

素直な心情の吐露というだけでなく(素直な心情を書けるだけでもすごいと思うが)、起承転結、明暗、苦楽のバランスもよく、いい作品だなあと思った。

 

作品としての流れがつかみやすく、曲もつけやすかった・・・と思ったら、どうも松岡のほかの作品を参考にしてくださったようであった。

言われてみれば、松岡宮の作品のフォーマットで描かれている・・・気がする。

そんなふうに作風も寄せてくださった永久子さん、ありがとうございます。

 

「多くの皆様に聞いていただきたいです」とおっしゃってくださっていますので、ぜひ、お聴きいただければ幸いです。

 

 

季節は流れ、入道雲の夏となる。

電車の四角い窓ガラスのむこうに広がる青空、夏の日差しに鮮やかな桜の葉の緑。

今日も電車はゴトゴト進む。

何処まで運ばれてゆくのやら。

 

よくわからないままだけど、友達は、いいものだ。

 

Later Gimpy came overlimping on his bad foot and he said Charlie if anyone bothers you or trys to take advantage you call me or Joe or Frank and we will set him strait.

We all want you to remember that you got frends here and dont you ever forget it. I said thanks Gimpy. That makes me feel good.

Its good to have friends...

 

そのあとでジンピィが不自由な足取りでやってきていった。

「おいチャーリィ、誰かがお前を悩ませたり騙そうとしたりしたら、俺か、ジョーを呼べ。俺たちがコテンパンにしてやるから。

ここにはお前の友達がいるってことを忘れるなよ。」

僕は、ありがとうと言った。なんか気持ちがよかった。

友達をもつのはいいものだ・・・。

 

ダニエル・キイス「Flowers for Algernon」松岡の意訳,p299)

 

 

 

お知らせです。

 

松岡宮の書籍や音源は「みやさんBASE」で販売しております。

 

383.thebase.in

 

作品の売り上げで活動を続けてまいります。

ぜひ、作品を聴いていただけますよう、よろしくお願いいたします。

いつもご支援ありがとうございます。

 

お知らせと戻り梅雨


猛暑が続いたと思ったら、梅雨のような日々が続きます。

きり、きり、さめ、さめる、さめる、さめ。

あめ、ではない、さめ。

<太陽はつらかった、ありがたいけれど、あいつ、明るすぎて。>

植物たちは、ほっとしていることでしょうか。

あの日、階段で大量に干からびていたミミズたちは、死に損だと思っているかもしれません。

 

生きていると、タイミングというものが、存外、生死や人生のありようを分けてしまうことがあるのを感じます。

 

ときどき、立ち止まって、考える必要があるようです。

今は、何年、何時、何歳?と、もうぼろぼろになった透明な日記帳を、取り出しながら。

 

階段の途中、わたしはどこに、降りてゆく?

 

 

この時期はいつも通り仕事の準備に追われておりますが、近年、けっこう大きめの勘違いを何度かしてしまい、あるいは階段で転げ落ち・・・反省する日々です。

 

年齢のせいもあるかもしれませんが、ずいぶん、そそっかしくなってしまい、やらかしています・・・いや、昔からかも・・・そう、わたしは注意力の悪い人間。時間の見積もりなどが甘くなってしまい、結局バタバタしてしまい、反省する日々です。

 

地面をゆっくり見つめ、そのあと空を見上げて、ぼんやりする。

 

ウー ンー と歌ってみる。

・・・

ことばは いらない。

 

自分が使いこなせる日本のことばが、いらない。今は。ほしくない。

この空に穴をあけてみたい。

英会話という窓から、不自由な英語で、Hello!と伝えるとき、いい風が吹いてくるのです。

窓や出口が無いようにみえることは絶望かもしれません。

 

ところでいまTwitterはあまり見ておりません。すみません。必要な告知のみ行っています。

自分の精神をつらくするような情報からは距離を置こうと思ったことも理由のひとつです。

 

フェイスブックは辞め、ツイッター休んで数か月、それでもわたしの作品を大事にしてくださる方とは何らかの方法で繋がることができることを実感しています。

 

SNSは、向かなかった。

 

自分にできることは作品を作り上げるだけ・・・

 

そんなわけで、宮城永久子さんという仲間の詩に曲をつけるお仕事をいたしました。

動画、こちらです。

 

youtu.be

 

永久子さんは、身体障害がありながら、三鷹の相談支援の理事長をなさり、社会福祉士の資格もお持ちのベテラン専門家の方です。

 

障がいのある方、というと、その先入観でいろいろその方に判断を誤ってしまうことがあるなあと反省しますが、本当はそれぞれの方に個別の思いがあり、まずはその思いを聴く耳を持つことが必要なのでしょう・・・・心置きなく心を開けるような、そんな耳を・・・。

なので、詩を頂いたときは本当に嬉しく思いました。

「早く死んでしまえばいいのに」と題されたその詩は、単純ではない構造で、笑いも涙もエロもナンセンスも含まれ、ひとつのイメージにまとまらない、めちゃくちゃな展開がまるでわたしの詩みたいだわ・・・と思ったら、わたしの作品をいくつか観てくださって参考になさったそうです・・・道理で曲がつけやすかった。

動画をみていただくとわかりますが・・・

音程とか

発音とか

リズムとか

もうそんなものは二の次でいいじゃないか

何かのはずみで人が出会い

詩と歌がうまれ

こころを言葉で伝えたいという気持ちがなにより大事なのだ・・・と・・・

そんなシンプルなメッセージを受け取ることができます。

 

また素敵な仲間が出来て嬉しいかぎりです。

 

永久子さんありがとうございました。

 

 

 

お知らせです。

 

少し先ですが、11月20日(日)文学フリマ東京に、事務所の名前でブースを出します。何年ぶりでしょうか。

 

「東京フリマ日記」冊子版の在庫が少なくなってきました。(売れてるわけではなく、もともと部数が少ないのです)そのため、PDF版の販売がBASEで始まっておりますが、文学フリマでもPDF版の販売を予定しています。

 

現在、すでにBASEでお求めになれますので、ぜひどうぞ。

 

383.thebase.in

 

「東京フリマ日記」には文学フリマの記事も数多く掲載しており、ブースを出す方の参考になるかと思います。売れない売れないと書いていますが、そのような中でほっとする時間やユーモアがあり、人と出会い、明るい希望もある、そんな本を目指しました。

 

みなさまと作品のなかで出会うことができましたら最高です。

 

 

音源に関するお知らせです。

 

新宿PePeの「島村楽器」でのCD販売は終了となりました。本当に定員さんが素晴らしいお店で、いままで置いて下さって感謝しております。

 

DiskUnionに関して、通販は中断しております。ひとつ前の記事に書きましたように、松岡のCD「Ltd.Exp.383」が首都圏DUではポップつきで置いてある店舗も多いですので、お近くにお立ち寄りの際にはぜひご覧くださいませ。

 

ブログをみてお求めくださったとご連絡くださる方もあり、本当にありがとうございます。

 

 

2022/7/17 追記

 

以下おとなのバンド倶楽部「2022みんなで曲をつくろう」にて

大倉淳さんという方の「セイギノミカタ」に曲をつけてヘロヘロ歌っています。

 

lbcj.jimdofree.com

 

行き過ぎた正義感の弊害を書く良い詩だなと思いました。

 

40歳以上の音楽人の集まり。

いつもながら女性が一人だけ。

 

へろへろしておりますが良かったら聴いてみてくださいね。

 

 

わたしは作品を通じてこの世界に風通しのよい窓を作りたいと思います。

鉄路が星空に向かって進んでゆけるような窓を、絶望するひとが、少なくなりますように。

 

なんて偉そうに書いているけれど自分はドジっ子で助けられてばかりですが・・・

 

がんばって生きてゆこう・・・。

 

東十条のトンジュウくん、ですって。

 

 

特急ミヤサン・ディスクユニオンの旅(前編)

 

◆はじめに

 

 

少年の3分の1以上は、自分の持つことができる最も重要な資質は、世間的に見ると、強さとタフであることだと考えている。そして、ほぼ同じ割合の少年が、恐怖や悲しみは抑えなければいけない感情だと考えているのだ。

(エマ=ブラウン著 山岡訳 「男子という闇~少年をいかに性暴力から守るか」p20)

 

 

それは、あまりに自分から遠い病名だった。

 

「喘息」。

ぜんそく

 

(ぐおっほ、ぐおっほ うう)

 

咳は出る。

しかし元気だ。

熱は無い。だるくもない。

日々、地下鉄の階段をかけあがるほど元気いっぱい、なのだが、特に夜になると激しくなる咳と、日ごとにダメになってゆくような声。家族が病院に行けというので、やっとのことで医療機関に行く気になったのだ。

「近所の耳鼻咽喉科に行ったら?」という家族の声を無視して呼吸器科を選んだのは良い選択だった。

以前に1度だけ行ったことのある近所の呼吸器科に朝イチでゆくと、待合室にはほかに患者もおらず、すぐに診てもらえた。

 

(ぎほ ぎほ んん)

 

問診のあと、息を吸って、はい止めて、肺の検査。アニメの雲を上に上げるように息を吐いて、呼気の検査。そして血液検査。

クリニックのベンチで次の検査を待つたび、咳、咳、咳。

手際のよい検査たちの結果、肺には問題なかった。しかし呼気中の一酸化窒素(NO)検査が高値であり、明確に「咳喘息です」と診断された。

 

そしてステロイド吸引薬と咳止めの漢方薬もいただいて、ミッション達成。

 

 

「ハイハイ、咳喘息ね、わかりました。」

 

予想よりも首尾よく診察が終わったので、申し込んであった大規模セミナーに午後から出かけることにした。

が、行きの電車で止まらぬ咳、咳、咳。

さあっと離れてゆく乗客たち・・・

このご時世、無理もない。申し訳ない。

自分が咳をすることで周囲にいらぬ緊張と不快感をもたらすこと、たいへん申し訳なかった。

 

 

そこで、新型コロナで社会全体が不安になっている折でもあるので、「ぜんそくバッジ」をつけることにした。(画像は「いらすとや」より)。

ときどき電車内で子供がこういうバッジをつけてるのを見るので、マネをしてみたのだ。

 

だが、こういうものを付けることに、自分のなにかが抵抗する。

 

自分は弱い人間ではない。

 

強く自立した人間は身体の不調を訴えてはならない。わたしは強く大きな人間で、ひとの上に立ちひとを支える職能の人間で、他人に支えられてはいけない。そんな思いが心の深いところでウッドベースを奏でる・・・ドムドム ドムドム・・・キックを4つ打ちする・・・「他人に心配をかけてはならない。」・・・・その残響がいつまでも止まない。

 

そんな「イキガリ」は「ばかばかしい」と、頭ではわかっているのに、その低い音はなぜか止まらないのだ。

 

声がつぶれる恐怖がなければ、薬など飲まなかったことだろう。

自分は弱い人間ではない。

 

(ごっほ ごっほ、んんん。)

 

 

 

さて、わたしのCD「Limited Express 383」(特急ミヤサン)が、ディスクユニオン様で改めてお取り扱い開始ということで、多くの店舗で販売開始となった。ありがたい。

 

それは早くも梅雨入りの気配ただよう6月6日。

本来のリリース日からちょうど8年経過した、記念の日。

 

<プロモーションをどうしたらいいのかわかりません!>と悩むわたしに、インディーズ担当の方が本当に親切で、「例えばあるアーティストさんは店舗をまわってポップを書いたりしてますよ」と助言してくれた。そこで、CDを置いて下さっている店舗をすべてまわることにした。

 

具体的には以下の店舗である。

 

新宿 日本のロック・インディーズ館

ROCK in TOKYO(渋谷)

お茶の水駅前店 

下北沢店

吉祥寺店

池袋店

町田店

名古屋店 ←

 

 

そんなわけで、特急ミヤサン・ディスクユニオンの旅(前編)のはじまりはじまり・・・。

 

◆吉祥寺編(既遂)

 

 

 

ディスクユニオンをすべて回ろうと思っても、仕事の都合もあってあまり時間を割けるわけでもなく、路線図を見ながらまとめて行こうと計画を練る。

 

アルバイトの帰りに行けそうな店舗もあったが、なんとなく仕事帰りに行くのは気が引けてしまう。何しろCD店に挨拶にゆくのはエネルギーが必要なのだ。いつもの受け身でシャイな態度を切り替えて「特急ミヤサン・モード」で行かないと店舗で店員さんに声をかける勇気が湧いてこないのだ。

 

手書きの路線図を作って、どの店舗から行けばいいか、あれこれ計画を練った。

 

 

ここで少し、CD営業の話を書く。

 

「Limited Express 383」は2枚めのプロレコーディング音源である。

 

2005年に1枚目のアルバム「車掌もひとりぼっち」を製作したとき、製作を手伝ってくれた会社の方が「CDリリースシート」みたいなA41枚の書類を作ってくれて、以下のように営業の仕方を教えてくれた。

 

「松岡さん、やっぱりね、アーティストさん本人が、営業に行くのがいちばんなんですよ。試聴用のCDとこのシートを持って、松岡さんの好きなお店や、ご出身など関係のある地域のCD店を廻ってみて下さい。」

 

そのアドバイスをきっかり守って、あちこちの街で、あちこちのCD店の店員さんに声をかけた。結果として、「車掌もひとりぼっち」はタワーレコード渋谷店、浅草・音のヨーロー堂にて大きめに展開していただいた。しかし、もちろんそれ以外のお店への営業もしている。中には、けんもほろろに扱われたり、柔らかではあるが「お取り扱いできません」と言われたりした。

かようにCD店への営業はほろ苦い思い出が多く、あの時の体験、この時の切なさ、苦い思いが胸を刺す。

今回は、すでに置いて下さっている店舗に行くので気持ちは楽なはずなのに・・・やっぱり、自分などが店員さんに声をかけていいのか、お邪魔ではないのか・・・と、気持ちで負けてしまいそうになる。

(ごほごほ。)

 

 

それで、ディスクユニオンめぐりをどこから始めようと思ったとき、吉祥寺はパルコ内にあることもあり、午前中から営業している数少ない店舗のようなので、まず最初は吉祥寺店に行くことにした。

 

我が家からは、渋谷乗り換え、京王井の頭線に乗る。

 

 

 

 

京王井の頭線渋谷駅。

岡本太郎の巨大な絵に見送られ、久しぶりに乗る井の頭線。駅名のもつ感じを忘れている自分に気づく。

 

・・・永福町と西永福の違いとは・・・?

・・・久が原、久我山、どっちだっけ・・・?

 

・・・だが、移動するのは始発から終点、「渋谷―吉祥寺」なので、何に乗っても到着できるだろう。

 

 

井の頭線は始発から終点まで20分程度の短い路線である。

 

窓の外の花たちに夏の気配を見出しながら、すぐに吉祥寺にたどり着いた。

 

 

いつみても美しい頭端式ホーム吉祥寺駅

色とりどりの車両があじさい花のように咲く、6月に似ている井の頭線

 

 

ハイセンスな大人の街・吉祥寺。

ミントグリーンの水森亜土ちゃんの看板も上品な吉祥寺アーケード。吉祥寺にたまに来ると、おしゃれなカフェ、雑貨屋さんなどのお店が目に楽しく、とても上質で文化的な駅だなと思う。プロミスの看板も見えるが・・・。

 

ディスクユニオン吉祥寺店は、パルコの地下1階にあるそうで、すぐにたどり着けた。

トイレに行って身だしなみを整え、ドキドキしながらディスクユニオンに入る。

それなりにバラエティ豊かな層のお客さんが、あちこちでCDやLPをDIGっていた。CD店にもお客さんは結構いるものだなと感じた。

 

静かに店内に目を走らせ、また、ゆっくり店内を練り歩き・・・

 

・・・あ あった。

 

インディーズコーナーに自分のCDをすぐに見つけることができた。

 

しかし、店員さんに話しかけていいものか・・・?

チラチラとレジの方をみて、少し逡巡して、店内をぐるりと廻ったりしたが、勇気を出して接客していない方に近づき、話しかけてみた。

 

緊張のあまり機関銃のような言葉になってしまう・・・

 

「あの、この、ま、きのう、CD発売日で、CDを、お、おいて下さっている、松岡です、松岡です・・・」

 

きっとたどたどしかったと思うが、「ご来店ありがとうございます。担当者お呼びしますね」と、慣れた感じで応対してくれた。

すぐに出てきた担当の方は親切で、「初めてなので・・・」と悶えるわたしにポップを持ってきてくれた。ちなみにこの店舗は黒いポップだった。

 

吹き出し型と四角い形とどちらがいいですか?ときかれて四角い方を選んだ。

 

実は家で少し練習をしたのだが、いざ店舗でペンを持つと、気の利いた文面は思い浮かばない・・・。

 

わけもなく猫も描いてみたりして・・・

 

わりと地味なポップになってしまった。

 

 

 

そしてツイッターでもご紹介いただいた。

 

 

 

元気、元気。チカラこぶ。

 

あの、さわやかな担当の店員さんがかいて下さったのかな。ありがとうございます。

 

その担当の方がとても良い方で、わたしがお店を出るとき、いつまでもいつまでも見送ってくださった。わたしは何回も何回もふりむき、あ、まだ見送って下さっていると気づき、その都度頭を下げながらお店を出てエスカレーターに向かった。頭を下げながら後ろに下がる挨拶ダンス。柱があったらぶつかっていただろう。通行人のみなさん、すみません。

 

はあはあ、ミッション達成。

 

1軒だけでかなり疲れたが、さあ、次はどの店舗にしようか・・・。

 

 

◆下北沢編(未遂)

 

 

吉祥寺から下北沢は、井の頭線で10分ちょっとなので、

「よし、下北沢店に行こう。」

 

 

下北沢駅の変貌は大きい。小田急線が地下化され、井の頭線とのつながりを失って・・・なんて、そうなってからもう何年もたつのに、自分にとって下北沢駅は昔むかしの思い入れが大きすぎて、「この駅は変貌した!」そればかりが口をついて出てしまう・・・。

 

駅を出ると、小田急線がそこになく、代わりに広場があることに、いまだに驚く。

 

変貌する下北沢駅

 

その変貌のぶん、駅前にオープンするお店たちは令和の時代のトレンドを持っているように感じられる。

 

 

ああ、こんな風景はなかった、はずだ。昔はどうだったのか、頑張って思い出そうとする。オオゼキがあったような気がする。そういえば詩友の青条さんの文に「海鮮居酒屋の文字がロマンスカーに映る」というのがあった(「オレンジをアップデート」)。ピカピカのロマンスカーは街の風景を映していたものだが、地下化された小田急線はもう風景を写すことはない。そしてロマンスカーに映されることのなくなった風景も、時代の波にさらされ変化し続けてゆく。ひとつの路線が地下化されることによって生まれた駅前広場ではPCR検査のテントが立っており、今なら無料で検査できることをアピールしていた。なんだかすべてが演劇のようだ。

 

 

 

 

ところでわたしは方向音痴である。

自由が丘や下北沢のように2線がクロスする駅はいつも方向感覚が鈍くなる。もっとも小田急が地下化されて、迷いにくくなったはずなのだが、土地勘がないこともあり、やっぱり迷子になってしまった。

 

・・・ディスクユニオン、こっちのはずだが・・・

・・・ああ、本多劇場の近くじゃなかったのかな・・・・

うろうろしているうちに霧雨も降り始め、傘も無いのでコンビニの屋根で雨宿りをしながらスマホでマップを出す、ディスクユニオンはどこだ、そうか、スズナリの近くか・・・。

 

 

ザ・スズナリのあたりは、駅前の新しいお店が立ち並ぶ風景とは異なり、昭和の雰囲気を残している。このあたりは小劇場も多く、古びた小さな建物は時代の流れに抗っているようにも見えた。

 

降り出した霧雨の粒が髪に浮く。

 

やっとディスクユニオンにたどり着くことができた。

 

ごっほごっほ。

 

 

古きものが抵抗するかのように残っている街のなかで、中庸を保つように静かに佇むディスクユニオン。店内は広く、多くの男性客が真剣な手つきでDIGをしていた。

 

このお店はUSEDの音源が多いように見えた。自分の挨拶という要件がなければ買ってしまいそうな魅力的なCD・LPが見受けられた・・・例えば昔のアイドル、斉藤由貴岩崎宏美・・・ほしいなあ、買っちゃおうかな・・・いや・・・。

 

平らな倉庫のような雰囲気の店内に、JAZZ、洋楽、クラシック、クラブミュージックなど、自分が知らなかったジャンルの音源が数多く並べられている。少しダークというかくすんだ雰囲気のなか、自分のCDがこの店舗のどこかに置いてあるような気がしない。どこにありそうだか、よくわからない。いや、この雰囲気のなかで、自分のCDが売られているという気がしない。店のせいではない、自分の疲労のせいだ、ごっほごっほ、CDを抱えた店員さんとすれ違う、ぶつかりそうでよけて、すみません、という・・・ああ、ダメだ、疲れてる、探せない・・・

 

ダメだ。帰ろう。

 

けっきょく、店員さんに声をかけられずに、お店を出てしまった。

 

霧雨が髪にふりそそぐ道を、すごすご、駅まで戻る。ひとり猫背になって濡れながら歩くと、新しくできたと思われるガード下のカフェなどはカップルや友人たちでにぎやかだったので、一人歩いている自分がなんとなくみじめに思える。

 

負けたのだ。

自分をおとしめる自分に、負けたのだ。

 

駅の改札口で立ち止まり、一休み。

 

そうだ、いい機会だからこのまま小田急線で町田に行こう。

 

 

◆町田編(既遂)

 

 

・・・丸々太った3人兄妹の末っ子。身体が丈夫で負けず嫌いで可愛げのなかったわたしは、母からあまり構われることのない子どもだった。

どうして姉ばかり関わられ愛されケアされるのか。どうして。どうして。

うまく言葉に出来ない思いを・・・

ほん、ほん、ほん。

あの頃、わたしは親に心配してほしくてわざと咳をしていた。

 

ある日、母が姉に言っているのを聞いた。

 

<あの子の咳は わざとやってる咳だから> 

 

 ・・・ああ なぜ ばれてしまったんだろう

 ・・・ ああ 恥ずかしい。

 ・・・ わたし もう一生 咳なんて しない

 

そしてなぜか詩を書き始めた。ほん、ほん、ほん。

 

 

(ごっほ、ごっほ、うう。)

 

咳き込みながら下北沢駅の長いエスカレーターをいくつも降りる。

 

地下化した下北沢駅にはまだ慣れない。深いホームにたどり着くと、すぐに快速急行がやってきた。車内はほどほどに混んでいたが、ひとつあいている席にすわった。次の咳は出ないようで、ほっとしながら、タブレットで「男子という闇」という本を読む。男性が自分の弱さをいかに出せないかということがそこには書かれていた。

 

私が今ここで言いたいのは、まずは「有害な男らしさ」という言葉を捨てようということだ。その言葉は、少年たちが直面しているプレッシャーを簡略的に表現している一方、議論の余地をなくし、反発を招くような意味合いも含んでしまっている。私が出会った多くの少年や男性は、「有害な男らしさ」を男性に対する攻撃だと、また男性を本質的に有害だと決めつけるものだと解釈している。

(エマ=ブラウン著 山岡訳 「男子という闇~少年をいかに性暴力から守るか」p27)

 

となりに座っていた女性が反対側の手すりに頭をもたれかけて寝ている。七分丈の白いトレーナー。幾筋もの傷跡をその腕に見つける。何も感じない、感じなかった、ように、目をそらす。そして、快速急行が登戸に停まるころにはわたしも転(うたた)寝のなかに溺れていた・・・

・・・夢うつつの中で聴いた男性の声、「空調は自動となっております。お寒い方は弱冷房車の2号車をご利用ください」というアナウンス。低音が響くいい声だなと思ったが、そのあとに英語のアナウンスが続き、自動音声だったと気づく。鉄道員の声が自動の声だということ、うん、知っている・・・知っている・・・小田急のことなら、良く知っている・・・まかせろや・・・

 

快速急行は町田に向かって快調に進む。

春木立、緑の梢を揺らしながら、西へ、西へ。

 

 

若いころは神奈川県厚木市在住で、柿生駅が最寄りの桐蔭学園(神奈川)に通っていたわたしにとって、町田はふるさとのような街である。よくCDや古本を買いに、高原書店に行った。

亡き父も生前、町田の高原書店を愛用していたらしい。

 

そういえば、厚木の病院に入院する末期癌の母を見舞った帰りになぜか町田に立ち寄って、どこかのCD店でさだまさし「夢百合草」を買ったことを覚えている。

 

紡ぐ幸せ 不幸せ

夢見る夢子の夢百合草が

あるすとろめりあ 

あるすとろめりあ

そっと昨日を消しに来る

あるすとろめりあ

あるすとりめりあ

愛しい人を連れて来い

さだまさし「夢百合草~あるすとろめりあ」より)

 

 

あるすとろめりあ・・・

あるすとろめりあ・・・

そんな歌を口ずさんだのも、ちょうど20年前の6月だったと思い出す。

 

 

 

町田には楽しい思い出もある。まだ20代の頃、女友達のAが男子2名を連れてきて、4人で居酒屋で飲食したことがあった・・・駅ビルの上のほうの居酒屋で・・・いま思えば合コンじゃないか・・・競馬が好きな男のコたちと、何事も起こらなかったな・・・。

 

 

 

・・・ふと思い出す。厚木のCD店「タハラ」に、CD「車掌もひとりぼっち」を置いてほしいと営業に行ったことがあった。「自分は厚木の出身だから、CDをぜひ置いてほしい」とお願いをしたのだ。そして、お店の方は丁寧だったけれど、2度目に「いかがでしょうか」と行ったときに、「あ、はい、話し合いましたが、申し訳ありませんが、置くことは難しいという話になりました」と言われたのだった・・・。

 

あの時、ちょっとがっかりして、やっぱり神奈川県はダメなのかなあ・・・と思ったものだ。

 

だが、元気を出せ、自分。

 

町田は東京都だ!

 

わたしのCDを置いて下さっているという事前情報を得て行くのじゃないか・・・

元気を出せ、自分。

 

 

町田といえば、最近は仕事で幾度か訪れた。

原町田の繁華街にある「町田市民フォーラム」のボランティアセンターで、わたしがレクチャーする機会をいただいたのだ・・・大田区から仲間を2名、連れて行ったな・・・

・・・などと思っていたら ディスクユニオンがその同じ建物にあった。びっくり。

 

やだわー、そこにいたの?

 

書店「久美堂」も同じ空間にあったが、郊外のおかげなのか、他の店舗よりも広々としている、やけに落ち着いたディスクユニオンであった。ここもまた年配の男性客が多く、このような時代でもCD店にお客さんはいっぱい来るんだなあと思いつつ、ジャズ、ワールド、パンク、クラシック、巡り歩く広い店内・・・

 

あった。

 

片隅に自分のCDを見つけた。しかも町田店は、ジャケットが見えるような配置で置いてくださっていた。

高鳴る胸の鼓動を落ち着かせるために数分待ち、思い切って店員さんに声をかけてみた。

 

すると、とても親切な店員さんがペンを貸してくれ、無事、ポップを描くことができた。

 

 

 

お店のツイッターはこちらです。

うん、なかなかいい写真。

 

 

 

わざわざ店外で撮影してくれたが、CDを持って出るときにゲートの安全装置が作動して大変だった・・・。すみません、お騒がせしました。

 

ミッション達成!

 

しかし、この日はシャツワンピース1枚にスラックスの格好で、暖かめの素材の服だったが、どんどん寒くなってきた。うっすら降る雨と寒さで身体が弱って行くのを感じ、ひとまず、カフェで休憩をすることにした。

 

原町田の商店街を歩くとカフェ・ヴェローチェがあったので入り、サンドイッチとブレンドを頼み、電源のある席で、パソコンを広げて、いろいろな方に必要な連絡をした。

 

たとえば森社長に、「いま例のCD、ディスクユニオンさんで展開してもらってますが・・・良かったでしょうか・・・」とメッセージを入れると「すごい!」と返信が来た。

 

勝手に営業しているので、認めてもらえて、安心した。

 

 

やがてカフェ・ヴェローチェの広い店内がどんどん混みはじめた。ご高齢の男性のお一人客が多い。ひとりひとりが島となって、会話を交わすわけではないけど、輪郭の際立った男性の身体がそこにあり、島のような際立った存在が、ぽつんぽつんと並ぶ、きっとそれだけで十分にふれあっているのだ。その、輪にならぬ広がりのもつ、交流なき交流が、いかにも郊外の町らしく感じた。

 

ホットコーヒーをすすると、冷えた身体に血が通い、少し生き返る。しかし、梅雨入りの東京は、しだいに寒さを増してくる。ミッションを2店舗クリアして、だいぶ疲れている自分に気づき、帰宅することにした。

 

そうなると小田急ではなく、横浜線のほうがいい。

 

 

というわけで横浜線に乗った。

ディスクユニオン町田店からは横浜線のほうが近いのだ。

 

咳はもう出ないようだ。ああ、治った。鞄に付けた「ぜんそくです」のプレートを 外してもいいかな・・・と、その時、両脇に乗客に挟まれたわたしの喉ががむずがゆくなってきた。静かに悶えたが、我慢をすればするほど出るのが咳だ。

 

・・・なんで 出てほしくない時に咳は出るんだ・・・

 

困った場面でばかり咳が自己主張をするのだ。

わざとじゃない。

心配してほしいのじゃない。

大したことはない。

だけどご迷惑をかけてごめんなさい。

次の駅で降りた方がいいのかなあとドア際に移動し、ガラスに手をつく。

外に見えるのは郊外の風景。

横浜は土地の起伏の激しい街である。せりあがった小高い山の側面に、ぎっしりと建て並んだ家々の群れが見えた。その整った住宅街の風景は、都内とは違う神奈川らしい風景で、わたしの思春期はこんな街で育ったのだということを思い出した。どこか荒涼とした風景、人の温もりが欠如した住宅街、

 

次は十日市場です・・・

 

次は鴨居です・・・

 

次は新横浜です・・・

 

 

そして菊名で下車。

 

そういえば菊名駅も改良工事を行い、東横線への連絡通路が以前と異なっていた。東横線と新幹線をつなぐ重要な駅なのに、いまいち存在感がうすい菊名駅であるが、そんな菊名駅オリジナルの扇子の広告が目を引いた。

 

というか、なんじゃこりゃ。

 

 

・・・闘球!

 

もちろん「東急」とかけているのだと思われる。

 

また、ここはいわゆる「日産スタジアム」の近くなので、サッカーにもかけているの・・・だと思うが・・・

 

東急の許可はとったのか?

 

・・・どことなくおしゃれな「東急(トーキュー)」という音が「闘う球」になり、思考のなかで「闘牛」に変わりつつある菊名駅コロッセオ・フィールドを、のろのろと歩き、上りホームに降りた。

 

そこに滑り込んできた東横特急に乗り込む。すいた電車だ。優先席が空いていたので座ってぼんやりしていたら、ヘルプマークをつけた女性が隣にいた。その女性は「わたしは電磁波に弱いのでご理解をお願いします」という旨のマークを鞄に付けていた。そして、優先席でスマホを操作するひとに、どうかそれをやめていただくように依頼をしていた。自分はその時たまたまスマホ操作をしていなかったので、声をかけられることはなかったが、世の中にはいろいろな側面の弱さを持った人がいるものだということに気づかされる。

 

そして、そういう方は、昼間の電車に多いのかもしれない。

 

自分が弱っているとき、ひとの弱さにも気づくことができるのだ。

 

家に帰ったら暖かいお風呂に入ろう。

 

 

 

ー----2日目ー-----

 

 

御茶ノ水編(既遂)

 

 

1日目は薄着で寒かった。その反省もあり、2日目は、縦ストライプのシャツに白いセーターでディスクユニオンに向かうことにした。

そうだ、今日は、お茶の水店に行こう。

我が家から御茶ノ水駅までどのように行くか、けっこう悩みどころだが、東横線で中目黒までゆき、日比谷線に乗り換えて霞が関駅で丸の内線に乗り換え、「新御茶ノ水駅」へ行くことにした。

 

その日は朝から眠く、昼寝もしたのに、電車でも寝てしまう日だった。乗り込んだ東横線中目黒駅でのろのろと起きて下車し、ホームの向うにどんより移動し日比谷線に乗り換える。そしてまた目を閉じて、意識がおちる。咳は出ない。

 

そんなダウナーな気分であったが、久しぶりのお茶の水に、なんとかたどり着いた。

 

 

お茶の水橋」はずっと工事中で、かなり大きな工事を行っている。

歴史と伝統のあるこの駅も、古いものと新しいものが混在している。

橋の上で立ち止まるわたしの後ろ、信号が変わるたびにものすごい勢いの人波が橋を渡ってゆく。橋がまたきしむ。歴史の重みに耐えながら、新しいものを受け入れながら、川は流れて雨を呼び、その時なぜか「あずさ号」が東へ向かって走って行った。

 

 

 

お茶の水明治大学をはじめ多くの大学のある学生街であり、音楽の街でもある。楽器店が数多く立ち並ぶ。若者が多く行き交い、若いエネルギーにあふれている。駅前はいつも工事中だが、そんな風景さえも、若く途上にあるものの陽のエネルギーを暗示しているようである。

 

若い街で、ビルの間にふいに見えるニコライ堂の存在感もお茶の水らしい歴史を感じさせる。

 

しかし、人波に押されながら、わたしがそのとき考えていたことは・・・

ああ、トイレに行きたい。

 

んん、トイレに行きたい。

 

が、トイレを借りられるコンビニが周辺に見当たらない。

 

トイレのあるコンビ二、どこだろう・・・。

 

・・・結局、駅前の大きな建物、レストランなどが多く入るモールでやっとトイレに入ることができた。とにかく人の多い駅で、女子トイレも混んでいた。

鏡越しに若い女性と目が合う。すぐに目をそらす。若い女性はみな綺麗な顔と髪をしている。それに比べると自分は、だらしのない顔、よじれた白髪をしている。

若者の街のエネルギーに自分がだんだん負けてゆくのを感じつつ、また地上へ出ると、御茶ノ水駅の変貌にも驚かされる。

 

丸善の向かいに聖橋口の出口が移動しており、それがいちばん驚いたことである。

 

 

この新しい聖橋口の改札並びに、赤と黒ディスクユニオンをみつけた。

 

・・・ああ、ここなのかな・・・?

 

だが、そこは「ハードロック/ ヘヴィメタル館」だった・・・。

 

・・・さすがにここではないだろうなあ・・・わたしのCDが置いてある、大きな店舗とは、どこなのだ・・・?

 

学生街の人波の中で立ち止まる。

 

そこで初めてスマホで調べたら、なんのことはない、さっきトイレを使った駅前の建物の2階にあった。

 

 

外階段をのぼって店内に入り、ドキドキしながら自分のCDを探す・・・

 

あ、あった。

 

そこで、レジをちらちら見ながら、手が空いた瞬間の店員さんに、「あの・・・おととい、きのう、リリースの、CDを、置かせていただいている、ま、松岡宮と申します」と、今日は家からちゃんと持ってきた歌詞カードを示す。

 

すると若く愛らしい女性の店員さんは笑顔になり、慣れた手つきで白いカードとカラーマジックと、そしてその店員さんが胸にさしていたボールペンを貸してくれた。

 

白いカードに、ドキドキしながら文字をつづる。

 

面白いことを描いてやろうと思ったりもしたが、やはり1枚目は失敗し、2枚目でなんとか描き上げた。

 

 

聖橋からの旅!


さだまさしの「檸檬」!(←古い)

 

そのときに店内で写してくださった写真をツイッターに載せていただいているが、無理やり作った笑顔から疲労が伝わってくる。

店員さんがとても良い文章で紹介してくれた。

 

 

むりやり作ったひきつった笑顔で、「アーティスト様、ご来店」。

この写真を撮ってくださった店員さんが若くてかわいい方だったので、「もう、この店員さんでいいじゃないか・・・」などとつまらぬことを思ったものだ。

 

若者が多い学生街。

音楽のまち御茶ノ水

学生時代と同じように逡巡しつつ、なんとか、ミッション達成。

 

 

◆池袋編(未遂)

 

夜は神楽坂に用事があったので、方向的に近い池袋店にご挨拶に行こうと思った。

 

またふたたび丸の内線に乗って、池袋まで向かう。

 

ディスクユニオン池袋店は、池袋駅の東口にあるようだ。

お茶の水よりさらに人の多い池袋で、人並みに流されるように地上に出た。

 

すごい人数。すごいざわめき。

一見さわやかなのだけど狂った風がうずまく池袋東口

強くないとこの町では生きてゆけない。いっしゅんも油断してはならない人ごみに流され外に出れば、ふぅ、やっと息がつける。

 

地下道から地上へ出た場所にはゲームセンターがあり、誰かが楽しそうに太鼓を奏でている。背の高い並木が都会に夏の彩りを添える。

 

この大都会で、ディスクユニオンはどこにあるんだろう?

と、ふと周囲を見渡せば、そこはすでに目的の地、ディスクユニオン池袋店の真下だった。

 

そして、質屋の真下でもあった。

 

 

エレベーターで4階にあがり、手を消毒しつつ中に入る。

 

整った雰囲気の、明るい大きめのフロアで、ここも男性客が多い。

 

自分のCDは、どこにあるんだろう・・・おっ、斉藤由貴ちゃんの中古CDだ、1300円か、いや、これは持ってるんだが・・・などと思考は脇道にそれつつ、自分のCDを探してみるのだが、インディーズコーナーみたいなものが見当たらない・・・・次の予定も気になる・・・焦る・・・焦る・・・

 

結局、店内くまなく歩きまわってみたが、自分のCDを見つけることが出来ない。

 

ダメだ。

今日は・・・ダメだ。

 

(せーこーとろおー  

(せーこーとろおー × 100回

 

・・・TMNのセルフコントロールがプレイされている軽快な店内には男性客がたくさん居て、CDやレコードを熱烈にDIGしていた、おしゃべりはない、TMNのセルフコントロールのサビが明るく渦巻く、緊張を増す、その、遊びの入る余地のない真剣な店内の雰囲気に気おされ、また時間も足りず、店員さんに声をかけることができないまま、お店を出てしまった。

 

負けた。

池袋で・・・負けた。

池袋のもつ空気に、圧されたのだ。いや、池袋のせいではない、自分の弱さのせいなのだ。

 

 

ちなみに、この日向かった神楽坂「神楽音」のイベントはこちら。

 

kagurane.com

 

「HEAR to LISTEN」3回シリーズの第1回、とても面白かった。表現としての音というより、社会のなかでの音の意味付けというか、もう少しだけ社会的、技術的、構造的な視点をもたらしてくれる音のレクチャーイベント。

 

このイベントは7月、8月もあるので、それが終わったら感想などを書こうと思うが、ここをお読みの皆さまにもお勧めします。

 

 

帰りの南北線電車で咳発作が一度だけ出た。やっぱり混んだ電車の中だ。

 

寝るときの咳は収まってきた。吸引薬はちゃんと服用しているが、漢方を飲み忘れることが増えてきた。

治ってきているのだと思う。

 

 

 

 

 

心配はいらない。

地下鉄の階段を駆け上がり、空に向かって駆け出すほど、特急ミヤサンは、元気、元気、元気。

 

ー----3日目ー-----

 

・・・だから、別にいらないって言ったじゃないか。おせっかいはやめてください。

 

わたしは飴を舐めないし、トローチを舐める習慣も無い。はちみつもそんなに好きでもない。なんで頼んでも無いのに買ってくるの?え、喉にいいって?

 

うん・・・でも、困るの。

 

親切にされるとどうしていいのかわからない。

 

 

心配してくれているの?

どうして他人のことなのに、自分のことのように心配に思うの?

あなたが咳出るわけじゃないのに、なんで他人のことをそんなに心配するの?

え、それって、当たり前なの?

 

わたしは元気いっぱいだから、どうか、心配しないでください。

ばーかばーか。

ばーかばーか。

 

・・・ふと気づけば、もうほとんど咳は出なくなっていた。

 

よーし、特急ミヤサン、残りのディスクユニオンへ、出庫!

 

◆新宿「日本のロック・インディーズ館」編(既遂)

 

次なる店舗は、ディスクユニオンの本場、新宿である。

 

ディスクユニオンといえば新宿。

 

以下のように、新宿だけで5軒もあるらしい・・・。

 

 

あまり詳しい場所は調べないまま、なんとなく「あのへん」だろうと思いながら副都心線に乗り込み、「新宿三丁目」で下車した。

 

 

「あのへん」。そう、南口から東口にかけてのあたり、大塚家具に出るあたりだ。

「このへん」だろうと、適当に地下道からの階段をあがる。

 

すると、赤と黒のいつもの店舗が見えてきた。

 

 

 

しかし、これはレコード店のようなので、たぶん違うだろう・・・

 

・・・というか令和に「レコード店」(!?)なのか・・・そういえばどこの店舗も、LPレコードが数多く売られており、お客さんも多かったように見受けられた。

レコードもすっかり流通が戻ってきたようだ。

 

この道を進むと、左右にまたディスクユニオンが見えてきた。

 

・・・困った、どっちにもディスクユニオンがあるぞ。

お前のCDを置いているのは

左のディスクユニオンか?

右のディスクユニオンか?

 

・・・右の、こちらの店舗に行ってみよう。

 

 

で、こちらの店舗で、正解だった。

 

ここが「日本のロック・インディーズ」だったのだ。

 

思ったよりも小ぶりな店内だが、CDばかりでなくレコードも売っていた。それを探すお客さんはやはり男性ばかりであったが、その数は多く、みな真剣なまなざしで音源をDIGっているのが見える。

ざっくざっく。

ディッグ・ディッグ。

すれちがうのもやっとの店内をこわごわ見渡す・・・

「あ、あそこが光っている」・・・

と、ひらめきがあった・・・

 

あの、レジの前の売り場にわたしのCDがある。たぶん。

 

何件か回るうちに、自分のCDがありそうなコーナーの気配が、なんとなく、わかってきたのだ。

 

狭い通路をカニ歩きしながら、気配を消してレジの前を通りすぎ、「ま」行をちらりと見る・・・

 

あ、あった。

 

そして、レジにお客さんがいないのを確かめ、店員さんに声をかけた。

 

「あ、あ、あの、この、これ、(と自分の売り物のCDを持ち上げる)この、松岡です。」

 

店員さんは最初、不思議な顔をされたが、すぐに理解していただき、奥からポップ用の白い紙と、カラーマーカーをくださった

 

ディディディ。

ディディディ。

 

 

ブルーやグリーンで「ディ」「ディ」と書いてみたが、その色合いは文字を読むには淡く思われ、文字は別の入れ物に入っていた黒マジックで描くことにした。

 

新宿のポップ用にいろいろくだらない冗談を考えていたものの、そういえば「大江戸線」の曲も収録されていることに気づき、あまりひねりのない以下のような文面となった。

 

 

 

お店の方のツイートは、こちら。

 

 

 

・・・「かわいい素敵なPOP」と描いていただき恐縮するが・・・しかし、だんだん顔の相が悪くなっている・・・疲れが隠しきれていない・・・。

 

「ありがとうございますありがとうございます」と頭を下げながら、狭い店内をまたカニのように横歩きして外に出た。すれ違うお客様たちと譲り合いながら階段を上がり、感謝と、緊張と、達成感で、まさに茹であがったカニのような気持ちだ。

 

・・・ミッション達成!

 

疲れた。少しカフェで休もう。

できれば電源のあるカフェが良い。

しかし、どこも混んでいる。

 

新宿は人が多くて賑やかだ。誰もが誰かと連れ立って思い出を作っているように見えた。

こんな週末、わたしは一人で何をしているのだろう・・・悩むひまもないほど忙しく、不自由のない日々だが、こんな生活でいいのだろうか・・・

 

そういえば咳も出なくなったな・・・ぜんそくバッジも、付けることは無くなったな・・・。

健康って、幸せなことだな。

 

彼が学んだのは怒りへの対処法だけではなかった。私が訪問したある日、彼は自分がとても悲しいことに気づき、そのことに対処するために、クラス全員の前で、スパロウに抱きしめてほしいと頼んだ。モーリー小学校の4年生にとって、男子も女子も感情的になったり慰めを求めたりすることは恥ずかしいことではないのだ。

(エマ=ブラウン著 山岡訳 「男子という闇~少年をいかに性暴力から守るか」p331)

 

ドムドム ドムドム・・・新宿の街に4つ打ちキックの重低音が鳴り響く。爆音で近づく広告トラックの絵姿が現実感なく押し寄せる。側面に描かれたホストの綺麗な顔たち。みな、健康で幸せな老後を迎えてほしいと思うし、街を歩くみなの願いがかないますようにと祈る。

 

そして、いま、わたしの願いは・・・

 

降らないで、雨!

 

どよん。ビル群を包み込む、重たい雲。

早くカフェを見つけなくては・・・。

 

降らないで、雨。

 

・・・などと思って歩いているうちに、やはり、いつもの、西口へ来てしまった。

 

ぽつ。ぽつ。ぽつ。

とうとう降り始めた雨に慌て、梅雨よりも速く歩道橋を駆け上がり、いつものエクセルシオール・カフェに駆け込んだ。

 

低糖質のチーズケーキとアイスコーヒーをいただき、電源席でWiFiを充電する。

 

 

冷えたアイスコーヒーを少しずつ含み、甘みが控えめなチーズケーキを口にはさみ、それらを少しずつ消化して元気が出てきたところで、残務も気になり帰宅することにした。

 

ほんと、元気になったな、自分。

元気、元気!

息を吸って、息を吐いて、無数の隘路、肺胞に元気がしみわたる・・・。

 

無数の隘路。それは地下道。

 

この写真は、夜のビル地下。西新宿駅に向かう道、少し駅からは離れてゆく方向。ビルに勤務しているらしい男性とすれ違う。心で「お疲れさま」と告げる。新宿は地下道が多すぎてもはや把握できないくらいだが、たいがいの場所から駅まで地下道で行けるので、雨の日は助かる。

 

そして乗り込んだ丸ノ内線。乗り換えた副都心線。いずれも夜間の通勤時間帯。かなりの混雑であるが、その混雑すらも自分のムードに合ったノイズミュージックのように楽しむ自分がいる。込み合った電車で込み合った時間に移動するのは、健康そうな人が多くみえる。地下鉄のドア際に立てば、咳がおさまり健康になった自分がガラスに映る。いくぶん老けて疲れた顔だが、元気、元気、元気、と呟く。電車内にいる人全員がスマホをのぞき込んで、ひとり笑っている人もいる。

 

通勤帰りの働き盛りのラッシュ、活力ある空気に満ち溢れ、自分のなかで、弱いひとの存在はもう想定の外になっていた。

 

頑張ったぞ自分、と、自分の行動が奏効したとき、いい気になって、路肩に静かに咲いている花のことを見落とすのだった。

 

 

鏡に映る自分。

頑張っている自分。

自分で自分をほめるとき、誰かを踏みつけ傷つけることに、気づかない。

 

愚かな自分は、すぐに、強くなってしまう。

 

だからわたしは失敗したほうがよい。あるいは、咳に苦しんでいた方が良い。そのほうが、ずっと世のためであることに、気づく。

だけど、治ってしまったから・・・。

 

喘息さん、また会いましょうね。

 

 

そんなわけで、4店舗にポップを書くことができた。

 

残りは、

まだ行っていない「渋谷店」、

行ったけれど自分のCDを見つけられなかった「池袋店」と「下北沢店」、

そして「名古屋店」・・・

 

はたして、残りの店舗も、行けるのだろうか?

 

 

 

後編に続く。(続かないかも・・・)

 

 

 

◆追伸

 

松岡の音源はネットでも買えます。

 

ディスクユニオン通販ページはこちらです。

 

diskunion.net

 

ミヤサンBASEはこちらです。

 

383.thebase.in

 

ぜひご覧くださいませ。

 

こんな長い記事をここまで読んでくださってありがとうございました。

 

 

「来て」~東京・APIA40から福島・双葉へ

 

1年半ぶりのライブ

 

ライブハウス「APIA40」のブッキングに誘われ、1年半ぶりにライブを行うこととなった。

 

お客さんに「来て」ほしいなと思った。

 

仕事を休んで作品を作りこみ、毎晩スタジオを予約して稽古し、初見の方でも伝わるような明るくわかりやすい作品を組み、歌詞カードにもなるライブ来場者特典の冊子を製作した。詩の暗記が本当に大変だったけど、カンペなど観ずに暗記を頑張って、ちゃんと暗記をこなせた手抜きのないライブ。

 

「来て」

「来て」

 

と思ったがお客さんは殆ど来なかった。

 

ライブハウスに足を運んでいただくのって、なんて難しいのだろう・・・。

 

ライブ活動もうやめようーと涙ながらに帰宅する途上、脳室のなかで「来て」「来て」と囁き往復する巨大な文字があった。

 

それは、駅でみた明朝の文字、あの「来て」だ。

 

 

 

 

そう、福島県公式による「来て。」ポスターの文字。少し前は、都内の駅にもいっぱい貼ってあったポスター。その「来て」の声を、わたしはビンビンと受けてしまったのだ。

 

・・・「行く」か!

 

 

 

今回のライブのために、新作「いわき2019」という作品を制作した。それは、2019年に上野から仙台まで常磐線のみを用いて移動した時のことを書いたが、その頃、富岡ー浪江間は代行バス区間であったので、代行バスから見えた風景を、Bachのトッカータとフーガを原曲に用いた音にのせて歌う作品だった・・・。

 

そういえば、「たびぽえ」という雑誌で「浪江の駅のバス乗り場」という短詩を掲載していただいたこともあった。代行バスを降りて常磐線にまた乗り換えた、曇り空の浪江駅。波打つタクシー乗り場の屋根のこと。掲載されてうれしかったな・・・

 

・・・と、わたしはそんなふうに、2019年にただ一度通り過ぎただけの街を、作品にしたり、情報として消費したりして、自分ひとりでいい気分になっていたのだが、日常のなかではしばしばそれらの地のことを忘れ去り、浪江や富岡に思いを寄せているようでもそれから足を運ぶことはなかった。

 

>2020年3月14日、常磐線全線開通。代行バスは役目を終えた。

 

そのくらいのことしか 知らなかった。

 

あの震災の日からずっと、富岡ー浪江の間の街や、そこから北西にのびた地域は帰還困難区域であり続けた。その長さ、重さ、大変さを思う。そして、近年、少しずつ「特定復興再生拠点区域」を定め、街に人が戻ってきつつあるときく・・・主に、会社などが、少しずつ・・・。

 

調べてみた。

 

福島復興再生特別措置法の改正(H29.5)により、将来にわたって居住を制限するとされてきた帰還困難区域内に、避難指示を解除し、居住を可能とする「特定復興再生拠点区域」を定めることが可能となった。

復興庁 | 特定復興再生拠点区域復興再生計画

 

 

避難指示区域の概念図(令和3年3月31日時点)

(避難指示区域の状況 - ふくしま復興ステーション - 福島県ホームページより)

 

 

だが、こうしてウェブサイトの情報だけでは、実際の様子はわからない。

 

「来て」

「来て」

 

と、福島県がそういうのなら、足を運ぼうじゃないか。

 

 

富岡にいきなり宿泊予約

 

今回のライブでも7作品中3作品に「常磐線」という言葉が含まれており、漢字で書けば「盤」ではなく「磐」であるということ、漢字のそこは「皿」ではなく「石」なのだと初めて知りながら、常磐線を作品にしがちな自分、どんだけ常磐線が好きなんだと思いますが、品川から乗れる常磐線「ひたち号」に乗って富岡―浪江をめぐる予定をたてた。

 

いきなり楽天トラベルで予約できるのかな・・・あ、できた。

GWだったがそんなにお客さんが押し寄せるような場所ではないのだな・・・とわかった。

泊まったのは富岡駅から徒歩5分くらいの、丘の上にあるホテル。仕事を終えて、品川で「ひたち号」に乗り換え、「え、上野から水戸までノンストップなの!?」などと驚きながら、常磐線はすいすいと静かに北上する、海に沿って。

 

ところで、今回のライブでも歌った「ダイヤモンドヘッド茨城」というカバー曲は2019年に茨城の高齢者施設にて慰問ライブさせていただいたときの書きおろしである。

歌詞は「とりで ふじしろ さぬき うしく」、今回もその歌詞で唄ったが、「佐貫駅」はいま、「龍ヶ崎市駅」になっていたことを知った・・・。

 

りゅうがさきし・・・う、歌に乗りにくいな・・・。

 

電車に酔いやすいほうだが、常磐線特急なら本を読んでも大丈夫かなと思い、父の遺品の本のなかから、なぜか勢いで「流れる星は生きている藤原てい)」をもってゆき、時間があれば読んでいた。

満州引き揚げ者の父の遺品には、藤原ていさんの本がたくさんあり、いつか読みたいと思っていたので、良い機会であった。

 

 

私は貨車に乗ったとたんに頭がくらくらッとした。馬糞がうず高く積もった貨車の中は嘔気を催すような臭気が充満していて、その中にぎっしり閉じ込められた人いきれのために息が何度でもつまりそうになった。発車してから雨になった。

藤原てい流れる星は生きている」p185)

 

いわき駅で特急を降り、普通列車に乗り換え、さらに北へ。

自分の作品「いわき2019」と同じ乗り換えパターンを経て、富岡駅に到着したのは20時すぎだった。

歩いている人がいない、駅員もいない、誰もいない駅前。

 

夜の向こうに波がある。

海のそばにある富岡駅。

津波被害のあった駅舎が新しくなって、何もかも、ピカピカと新しい。

本当に海のそばの駅で、ホームから見える海の風景がミニマムな造形美で、風のそよぎも、とても美しい。

そよ、と届く風が、縮毛矯正したてのわたしの白髪を梳いてゆく。

5月の夜風はとても気持ち良い。

駅からの道は暗く、迷ってしまったが、なんとかたどり着いた丘のホテル。GWの土曜日なのに、いきなり宿泊できるほどすいていたホテルも、丁寧なおもてなしをしてくれ、素泊まりで快適に過ごせるお部屋だった。

 

徒歩5分くらいのところにローソンがあるとのことで、闇のなか、国道6号を右折し、食料品を買い込む。このローソンも9時で閉まるそうで・・・21時を過ぎると、本当に静かな闇がこの一帯に訪れるのだろう。

リーリー、じーじー、しゃかしゃか、虫の声が響く。

 

パソコンを持って行っていたので、夜中の0時に英会話を予約し、日曜日のぶんを消化。


・・・I'm on a trip to an area which had been damaged by the earthquake, tsunami, and the accident of Atomic Power Plant in 2011・・・・

 

・・・などと用意した英語は、結局、使わなかった。

 

そして、ベッド際のソケットでスマホの充電をしながら、ふかふかのベッドで就寝。よく眠れた。

 

早朝覚醒の朝、ホテルを出て駅の方に向かい、海を観にゆく。

 

駅員さん、おはよう。

 

写真には写っていませんがすぐ右手が海です。

 

今日も朝のたよりが訪れた駅で、朝陽に向かえば、ああ、まぶしい!

 

銀紙をいちめんに広げたように反射する朝陽、打ち寄せる波の穏やかなリズム。

 

 

この向こうから恐ろしい津波が押し寄せてきたなんて、信じられない。

だが、自然はそんな一面も持っている。そして人間も自然の一部なのだ。

人間も海の一部であり、海も人間の一部である。わたしはいつもつながっている。水温が上がってゆく。低い血圧が上昇を始める。

 

さあ、どこを、めぐろうか。

 

 

とみおかアーカイブミュージアム

 

 

 

旅の予定はこんな感じ・・・(適当な地図です)。

 

 

軽い食事のあと、富岡から徒歩で北上し、国道6号をテクテク歩いて「とみおかアーカイブミュージアム」まで向かう。

 

 

まだ朝の8時台というのに眩しい日差しにクラクラし、日陰を求めて途中で立ち寄ったこの池が、とても良かった。

 

ホーホケキョ

ホーホケキョ・・・

 

・・・なんて声は、都内では駅のトイレから効果音として聴こえてくるだけだが、ここでは本物のホーホケキョがかなり頻回に鳴り響く、人間は誰も聴いていないコンサートをしている、愛する仲間に届けるための声が、透明な楽譜を伴って澄んだ音域で空にほどかれる・・・。

チュンチュン、ざいざい、クエクエ、コエコエ。

そんな自然の織りなす音たちが、日差しのレース糸とともに惜しげなく降り注いでくる。

ときおり車のエンジン音も混ざる。

道路を歩いている人は誰もいない。

 

鳥も 虫も 木々もみな 震災のときは大変だったよね・・・いや、動物はそんな長寿じゃないか・・・。

 

虫たちは原子力災害のことなど、理解することはない、ということも、ない、のかもしれない。

 

私たちは互いにはげまし、どなりあいながら焼けつける道を登っていった。朝から私の周囲をぶんぶん蠅が飛び廻っている。平壌からついて来た蠅に違いない。咲子は背中でひっきりなしに下痢をしている、それを私はかまってやれない。きたないものは私の背中を通し、半ズボンの下まで流れ落ちる。蠅はこの臭気を追ってくるのに相違ない。(藤原てい流れる星は生きている」p220)

 

時間もあったので、この草原で録音をしたり、録画をしたりしつつ、富岡駅から40分ほどで「とみおかアーカイブミュージアム」に到着。向かいの学びの森で顔を洗ったりしながら9時の開館を待つ。

 

 

「とみおかアーカイブミュージアム」は被災ばかりではない富岡の歴史が丁寧に展示してあったが、やはり震災のパートに入ると緊張感が高まる。

富岡駅の被災に関する記述と、殉職した警察官の乗っていたパトカーが、災害の激しさを物語る。

 

 

ミュージアムのパンフレットには、東日本大震災の影響で生じた原発事故は、富岡町で暮らすという「あたりまえの日常」を、突然奪いました」「ご自身がお住まいの地域で、「富岡のような複合災害が起きたら」どうなるか、を想像してみてください」とあった。

 

今回、あちこちで「複合災害」という言葉を見た。

これまでにない要素の加わった複合災害。

もしも自分の街だったら・・・混乱と、悲しみと、怒りと、不安と・・・いろいろな感情が湧いてきそうだが、きっと想像ができない、想像を超えるようなものなのだろう・・・。

 

 

さて、10時10分に「夜の森駅」を出る常磐線に乗らなくてはならない。

それを逃せば、しばらく常磐線の電車は来ない。

 

徒歩40分あれば間に合うだろうとアーカイブミュージアムを早めに出て、グーグルマップと向かい合いつつ、短足でのろのろと歩いていたが・・・歩く道はだだっ広い一面の農地という感じで、5分歩いても10分歩いても風景が変わらず、駅は近づかない。

地図をみたときの距離感が都会とは違うのだ。ここでは駅は果てしなく遠いのだ。新緑のあざやかな生命感に押され、日差しが照り付けるなか、のどが渇いたがそれを補給するすべもなく、走り続ける体力もなく、もう電車はあきらめだ・・・と思ったときに駅がみえ、結果的にはギリギリ列車に間に合った。

 

はぁはぁ。

 

災害前はツツジや桜など花が美しい駅だったということで、少しずつ桜のイメージをもとに戻そうと試みているようであった。

駅の壁面のつつじが綺麗だった。

 

それにしても、夜の森、とても夢想的な駅名。

最寄りの駅は、夜の森です、って、いちど言ってみたい。

 

ほどなく浪江駅に到着。常磐線は便利だなあ・・・。

 

震災遺構 浪江町請戸小学校

 

 

浪江からは「震災遺構 浪江町立請戸小学校」に行く。

タクシーが1台だけ駅前に止まっており、「予約待ちだけど片道だけならいいですよ」と、乗せていただく。

 

親切な運転手さんだった。

 

<ほら、あそこの木は津波の塩害で枯れてしまったのです、この町は人は住めないことになりました。双葉駅周辺も、まだ人は住めないけれど、会社とかは少しずつ出来てきたところです、そうそう、ここは神社だった、このあたりは家がずらっと並んでいたんです、よく見ると家の基礎みたいなものが見えるでしょう・・・>

 

などと説明してくれた。

 

わたしには、平和でおだやかな広い平原にみえる。

かつてにぎわった住宅の面影を観ようとするが、背の高いススキが揺れている穏やかな平原が広がっているだけだった。ここに住むのは良いだろうなと思った。海のそばは内地ほど寒くならないだろう・・・気候もよく、広々として食べ物もおいしそうで、良いところだ・・・ここを去らねばならなかったすべての住民の、言葉にできぬ寂しさを思った。

 

生徒が近くの山へ奇跡的に全員避難できた(しかし校舎は津波被害で壊された)請戸小学校。

 

2階のバルコニー、青い看板が、「ここまで津波が来ました」というしるしである。

どれだけ大きな津波だったのか・・・。

 

 

今回、富岡ー浪江の旅をして思ったのは、まったく観光地化していないということだった。

観光客はほとんどいない。ただ、静かに、あの震災は何だったのかと、残された品々を大事にし、震災の風化を防ぐために展示をしているという感じである。

 

津波の被害の激しさそのままに展示されている教室。

 

当時、請戸小学校にいた生徒たちの現在の様子も作文展示されていたが、「現在は愛知にいます」「今は山形にいます」「埼玉にいます・・」など、居住地がバラバラになってしまったのだと知る。

 

それでも、その生徒たちにとっては、こうして痛々しい姿であっても残っている校舎や海が精神のよりどころ、ふるさとなのだろう。

 

 

さて、ここからどうするか。

浪江駅までは5kmくらいあるらしく、徒歩は難しい。

もちろん電話でタクシーを呼べばいいのだが、さっき乗ったタクシーの運転手さんによると、双葉・富岡方面に歩いて2kmくらいのところに「双葉町産業交流センター」という場所があるらしいので、そちらに向かうことにした。

 

「南のほうに、福島第一原発が少し見えるかもしれません。」

 

そうも教えてくれた。

 

 

しかし、直射日光のもと、乾いた大地を歩くとき、原発事故のことを考える余裕はなかった。歩きやすい靴で来たつもりだが、重い荷物を抱えての移動で、だいぶ疲れてきた。水分不足で汗も出ない。

 

 

ふと気づいた、なぜ「流れる星は生きている」をこの旅に持ってきて読んでいたのか・・・その意味を・・・それは、徒歩の旅の疲労感を、わずかながら慰めるための「杖」になるかもしれない、そんな思いで選んだのだという気がした。

 

あの本で描かれた、子どもを3人抱えて半島を南へ下る母の足の痛み。

 

自分のことだけで重たい荷物を抱えて福島第一原発へと向かう自分の、まだまだ綺麗な靴下と、足の痛み。

 

津波に流された町は、いちめんの荒野のようにみえた。

 

しかし、かつては、誰かの家と、産業と、小学生の笑い声が。

 

・・・塩害の腕 荒野の痩せ木「来て」福島へ・・・

 

 

双葉町産業交流センターまでの道は長い。

心を無にして歩いてたが、なんと途中で「立ち入り禁止」の看板が・・・。

 

たぶんここを突っ切って行っても問題なく到着できそうに思ったが「・・・最近、マイナンバー作ったしなぁ・・・」などと考え、戻った自分がいた。

 

いいんだ。

いいんだ。

流れる星は生きている

いつかはどこかにたどり着く。

 

気持ちを立て直し、どこまでも平らな道を戻り、グーグルマップの通りに川をみつけ、新しく整備された橋を渡ると、遠くに産業交流センターらしきものがみえてきた。

周辺にあまりに何もないので、遠くにあっても、すぐにわかるのだ。

 

2つの立派な建物に、なんとか到着。

 

 

双葉町産業交流センター」と「東日本大震災原子力災害伝承館」は隣どうしである。

 

ひとまず、「産業交流センター」にて、一休み。とても立派で新しい建物に、フードコートやお土産もの屋さんがあった。会議室などもあるようである。

 

人の住まない街に、先進的なコングレス施設があるなんて、不思議な感じ。

 

生き返る・・・。

 

そして、どうやらここでは「レンタルサイクル」があるらしいと知った。

それは、とても有用な情報だ・・・それなら自転車で双葉駅まで行けるかもしれない。

 

その前に、時間もあったので、隣にある「原子力災害伝承館」にも行った。

 

 

原子力災害を中心とした展示や語り部講話を通じて、震災の記録と記憶を教訓として防災・減災に役立てる。」とパンフレットにはある。

 

今振り返っても、この建物のなかにあった展示は・・・確かに事故に関する情報なのだが、なにか自分には消化できないものがあった。自分事として考えるための資料を提供してくれているのだろうと思うが・・・自分に予備知識が足りないため、消化できていない・・・。

 

印象として、原子力発電所がこの町を潤し、この町の発展をささえてきたことがわかった。原発とともにあったのだと感じた。円形ホールのある建物がとても美しかった。

 

そして、事故当時 ネットでよく非難された

  「原子力 明るい未来のエネルギー」

の看板が 裏に飾ってあった。

 

負の遺産として飾ってあるとのことだが、原子力とともに歩んだ街の、原子力に対する捨てがたい思いを感じたりした。

あらゆる過去を口腔内にふくみながら言葉少なに自動草刈り機がかわいらしく仕事をしている。

 

5分間の動画のあと、館内をめぐる。

やはり印象に残るのは、常磐線の全線開通。

駅員たちが持っている垂れ幕の「おかえり常磐線」の文字。

 

うっかり泣きそうになるじゃないか・・・。

 

それから、テレビでよく流れていた、水素爆発の風景が模型になっていた。

 

この「原子力災害伝承館」は、建物も、窓からみえる草原も、ほんとうに、ただ、綺麗だった。そして、観光客はほとんどいなかった。

 

 

レンタルサイクルで双葉駅へ

 

 

隣の「産業交流センター」に戻り、自転車を借りる。

なんと、実質無料・・・100円を入れて鍵を開けるだけ。100円はあとで返却されるようだ。

 

いわゆるママチャリ。

不慣れなサドルとハンドルさばきに苦労しながら、サイクルポートのある双葉駅まで、重いペダルを踏み、向かう。

 

日差しがあいかわらずまぶしく、すいぶん日焼けしてしまった。

車は通るが通行人はいない。

産業交流センターで買ったお土産の袋をハンドルにぶら下げながら、ゆっくりギコギコと西へ。

 

 

 

・・・なんとなくここ周辺は立ち入り禁止なのではないかと思わないでもなかったが、でも駅前で自転車の貸し出しをしているし、いきなり街アートが登場したり、一方で壊れそうな店舗や家があったり、立派な建物が建造中だったり、帰還困難地区でもあったり、電車は走って車も走っていたり、産業交流センターではお土産も売っていたり・・・

 

いまだにそこでの身の処し方がよくわからない双葉駅周辺であった。

 

この春の読売新聞の記事によれば

 

東京電力福島第一原発事故が起きた福島県では今春、帰還困難区域に設けられた「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」で避難指示の解除が始まる見通しだ。唯一全町避難が続く双葉町では、早ければ6月に住民の帰還が実現する。

唯一全町避難続く双葉町、6月にも帰還実現…避難先と行き来する2地域居住も推進 : ニュース : 東日本大震災 : 読売新聞オンライン

 

とのことで、今まさに変化のときを迎えているのかもしれない。

 

誰も歩かない駅前の「ふたば、ふたたび☆」の文字がやけに明るかった。

 

様々な人がさまざまな立場で、双葉のことを考え、動いているのだろう。そのメッセージは、けして単純なものではない。

 

双葉駅周辺に立ち寄る人へのメッセージもあり、今はこんな状況なのかと参考になった。

 

前述のように、双葉駅と産業交流センターの2か所にサイクルポートがある。

ここで自転車を置いて帰りの電車に乗る予定であったが、少し時間もあったので、双葉駅周辺を自転車で巡ってみた。

 

 

衝撃を受けた。

 

本当に11年前のままの建物が多いのだ。

 

つぶれたまま資生堂の看板だけが残るお店。

倒れたままのお寺の門。

屋根瓦がまばらに落ちた大きなお屋敷。

そこには、あの日のままに残されて、時間の流れに風化してゆく建物たちが、あった。

 

残した家のことが気になっても、立ち入りが出来ないなんて、住むことができないなんて・・・・ありえない事態だとわかった・・・それは、どれほどの苦悩であるだろう・・・その事態のすさまじさを実感し、「複合災害」という言葉の重みを、初めて感じたような気がした・・・。

 

・・・ああ、すごい、すごい災害だったのだ。

 

今頃やっと 気づくなんて。

 

 

「お母さん 僕のをお母さんに上げるよ、お母さんお腹すいておっぱいが出ないでしょう」

 今までじっと見ていた正弘が突然こういって、まだ半分食べ残して歯の跡がついているお芋を私に差し出した。私は正弘が本気でそう言ってくれるのをその眼ではっきり受け取ると、胸をついて出る悲しさにわっと声をあげて泣き伏してしまった。

 七歳になったばかりのこの子が自分が飢えていながらも母の身を案じてくれるせつなさと嬉しさに私は声をたてて泣いた。

藤原てい流れる星は生きている」p103)

 

そのとき「良い客になる」という考えが浮かんだ。

 

良い客になる。

 

それはライブハウスでも、カフェでも、いいのだ。

友人でも、仲間でも、福祉の会でも、いいのだ。

 

「来て」

 

という声があり、自分がそうしたいのであればそれにこたえ、お金を使い、よい言葉を伝える、そんな、良い客になる。それが、もはや若くもない自分に出来ることではないか・・・。

 

そして、今日は福島の、双葉の良い客になろう。

 

というわけで、やたらと買った、土産物。

 

 

袋いっぱいのお土産をガサガサ言わせながら立ち寄った双葉駅の駅舎には「休憩スペース」があり、2名の職員さんがいた。

 

トイレにでも行こうとわたしがふとそこに立ち寄ると「いらっしゃいませ。わあー、たくさん買い物してくれたんですね。ありがとうございます。コーヒーいかがですか?」と親切に声をかけてくれた。

 

紙コップのインスタントコーヒーを作っていただきながら、ぐるりと周囲を眺める。

 

これまでのこと、これからの予定、などが掲示されている。それに加え、これから未来に向けての願いを書いて貼り付けるピンクの付箋と、その付箋で出来た桜の付箋アートがあった。

どうぞ書いてください、とばかりに、ペンが何本か置いてある。

 

わたしはその付箋に、こう書いた。

 

「来て というから 来た。」

 

そして桜の幹が描かれたガラスに、ぺたりと貼り付けた。

 

「双葉サイコー!」「双葉駅好きです」「また来るね双葉」などの文字が書かれた付箋の間に、それは静かに埋もれて、遠目に桜の姿を形作っていた。

 

希望が必要なのだ。

そして、希望のためには、ひとの存在が必要なのだ。

 

復興に向けて、設備を作り、お客をもてなすための人を配置するが、住民もおらず、観光地でもないので客もいない。この雰囲気を描く言葉を知らない。膨大な情報の海のなか、一つの言葉や方向性では語りえぬものを抱えているようだった駅前広場。アートで町おこしをしようと描かれたリアルな人物画の向こうに、消防詰所のゆがんだシャッターもみえた。

 

これは、あの日、あわてて消防救助に出るために停電で開かないシャッターを人力であけたのだと、ネットには情報があった。あれから、ずっと、そのままだったのだ。

 

次に来るときには また違う風景になっているだろうか。

 

「ふたば・ふたたび☆」と、つとめて明るくふるまう双葉駅の周囲ではあちらこちらで建物の建設や工事が始まっていた。

 

そろそろ帰る時間となった。

 

この町で受けた、静かな親切の数々、紫外線の数々、何もないことが美しいと感じさせる風景、苦しいことの想像と追憶、ホーホケキョの森と、背の高いススキの群舞、よく減った靴底、あちこちで貰って来たマップやパンフレットなど、ローソンで買い込んだけどドレッシングがなくて食べられなかったサラダなど、さまざまなものを荷物に詰め込み、鞄のファスナーを閉める。

 

双葉駅のタッチパネルにPASMOを「ぴっ」とかざし、ひとまずこの旅はさようなら。

 

 

線量計は0.078マイクロシーベルト。その意味すら正確には分からず、去る双葉。

 

わたしの乗った常磐線は南へ進み、さらば富岡駅。ひたむきに働く重機たちとも、ひとまずお別れだ。

 

運転士と車掌が前と後ろにいる。

常磐線に乗るというのは、常磐線を信じるということだ。

そうだ、ひとを信じよう。

災害にあってもなお、前向きに行動を起こせる人間の英知を。

自分自身のもつ可能性を、自分のなかにある、ひとを支えることのできるパワーを信じよう。

そして、足を運ぼう。

文字だけの情報で何かをわかったような気になるのはやめて、足を運ぼう。

そして良い客になろう。

ひとに会おう。

ゆっくり足を運んで、ゆっくりと生きよう。

 

常磐線は海とともにある。

海とわたしは常磐線でひとつになり、規則正しいリズムを刻む。

そのとき海とわたしと常磐線は、うまく調和し、生きている。

自然はときに過酷だが、天の教えに従って、ダイヤのとおりに今日も駆け抜ける鉄道。

月の教えに従いながら、微妙に上下するわたしの血圧。

 

生きていたことを忘れられてしまう生き物があったとしてもそれは確かに生きていた。

どんな生命にもそこに希望の星があったことを

願う。

 

 わたしの胸に生きている

 あなたの行った北の空

 ご覧なさいね 今晩も

 泣いて送ったあの空に

 流れる星は生きている

 

 私はこの歌を覚えてから、無事に国へ帰りつくまで心の中で歌い続けていた。ちょっとした空虚が出来ると、口をついて出てくるものはこの悲しい歌であった。私だけではなかった。私たちの団体が最後まで歌いつづけた歌がまたこれであった。

藤原てい流れる星は生きている」p65~66)

 

寄せて帰す波もまた、生きている。

わたしもなんとか生きている。

お腹すいた。

帰りの「ひたち号」ではやけに甘いものが恋しくなって、おみやげにと買ったマカロンをあけてバリバリ食べた・・・どっちにしても、パステルカラーのマカロンは、自転車の荷台でガタゴト揺らされ、ボロボロの状態だったのだ。色とりどりの砂糖の粉になってしまっていたが、生き返る甘味だった。

 

福島や茨城から都内へ向かう、少し寂しい心持ちになる。だがわたしにはまだ都内での仕事が待っている。

 

ただいま東京。

 

おお、そういえばライブ頑張ったんだったな・・・。

 

この、383腕章も手作りで・・・やけに頑張ったライブのあと・・・「来て」という声に従って行ったんだった、福島へ。

 

福島との約束、ほんの少し、守れた、かしら?

 

 

それからのこと

 

 

・・・そして家に戻ったら、友人AがわたしのAPIAライブのアーカイブグループラインでみんなにお知らせしてくれていた。

 

 

 

そして、過分な紹介文も・・・(許可を得て掲載)。

 

 

 

・・・「電車は媒体であり」・・・

 

・・・えっ そうだったのか・・・。

 

・・・と作者自身が気づかされるコメント、ありがたい・・・。

 

いつも洞察と文才の素晴らしい友人なのだ。

そして、それをグループラインで知り、観て下さった方から、ちらほらラインが届く。

みんな気を使って「旦那と観たけど旦那が気に入ってたよ」「中毒性ありやな」などと書いて下さり、社交辞令とは知りつつも、ありがたい。今までにない観客が、観て下さったことが、うれしかった。

 

・・・仕事を休んで作品を作りこみ、毎晩スタジオを予約して稽古し、初見の方でも伝わるような明るくわかりやすい作品を組み、歌詞カードにもなるライブ来場者特典の冊子を製作し、詩の暗記が本当に大変だったけど、カンペなど観ずに暗記を頑張って、ちゃんと暗記をこなせた手抜きのないライブ。お客さんの少なさに嘆いていたけれど、こんなところに観てくださったお客さんがいたとは・・・その頑張りが報われるとは・・・。

 

手抜きしないで本当によかった。

 

また、わたしとは面識のない方からの投げ銭と、当日は観られないけれどあとから観るためにひとまず投げ銭してくださった方がいたことを、あとで、知った。

 

ライブへのフィードバックに心から感謝します。

本当にありがとうございました。

 

日頃、質の高い配信を行っているアピアだからこそ、皆様に観ていただけて投げ銭もいただけたのだなとアピアに感謝し、その旨、店長にメールしました。

重たいカメラかついで頑張っている撮影隊の励みになればいいな、と・・・。

 

わたしの出演したアーカイブはもうないですけど、こちらのリンクのAPIA40のチャンネルでは今日もライブが行われています。

 

www.youtube.com

 

良い客になろう。

今度は、わたしが。

 

 

それから数日が経過し、ライブの感想の流れで友人Aとカフェへ行くことになった。

ライブがきっかけになって久しぶりに会え、たくさんおしゃべりして、楽しかった。

 

 

創作の支えになってくれる友人の有難みを実感する。

わたしもそんな人になりたい。ならねば。

足を運ぼう。

ひとに会おう。

お金を使おう。

「良いお客になろう!」

 

というわけで朝からおいしいものをモグモグ、完食。

みんなありがとう~。

 

 

 

 

 

 

松岡宮からのお知らせ

 

1)「東京フリマ日記」在庫わずかとなりました。

 

 

中野ブロードウェイタコシェさんから「東京フリマ日記が完売し、問い合わせもあるので、10部補充お願いします」と嬉しいメールをいただきました。

 

しかしもともと50部しか作っていないので、10部補充すると、手元には4冊程度しか残りません・・・。

 

1年で売りきって、本は作らず、あとはPDF販売にするか?とも思っています。

 

依頼された10部はすでに納品ずみです。

現物を読んでみたい方はタコシェさんか、模索舎さんか、以下のみやさんBASEにどうぞ・・・。

 

383.thebase.in

 

2)ディスクユニオンで「Limited Express 383」の販売がはじまります。

 

わたしの代表作アルバム「Limited Express 383」は2014年6月6日リリースなのですが、このたびディスクユニオンさんであらためて2022年6月6日に販売開始してくださることになりました。

 

過分なご紹介のウェブサイトまで、作っていただいて・・・なんとありがたい・・・。

よかったら以下リンク、クリックしてみてくださいませ。

 

https://diskunion.net/jp/ct/detail/DS1122-127

 

 

 

応援して下さってる方はすでにお持ちかと思いますが、まだの方はディスクユニオンさんでもお求めになれます。

 

あるいは前述タコシェさん、新宿PePe島村楽器さん、もしくはみやさんBASEでも通販しています。

 

そういえばCandyRecorderというレーベルだったなあと思い出しました・・・このアルバムだけ自分のレーベルではないので、同じレーベルのCDを見ても、そうそうたる音源で・・・わたしのがいちばんイロモノという感じですが、本当に良い作品集ですので、多くの方の耳に届くことを祈りたいと思います。

 

(ちなみに、これ以外の音源は車掌レーベル・・・わたしが適当に名付けた。)

 

 

楽しみな共作の予定もいくつかあり、これからも詩と音楽を製作してゆきます。

 

これからもどうぞ松岡宮をよろしくお願いいたします。

 

 

いわき2019
(作詞 松岡宮 原曲 J.S. Bach 編曲 松岡宮)

 

 

2019年秋 

上野から仙台まで常磐線で向かう

いわき駅で富岡行きの列車に乗り換え 

もうすぐ終点 富岡駅だ

 

  (ざわめきの音 列車のアナウンス)

 

いわき 2019 

 

いわき 2019

 

点字ブロックのあざやかな黄色 富岡駅から見えたものは 

海だ

階段を上って跨線橋の窓から見えたものも 

海だ

工事中の黄色と黒の踏切のバーの向こうに見えたものも 

海だ 

海だ 

海だ

開通を待つ踏切を背に 

わたしは代行バス乗り場へ向かう

 

ウィンカーを鳴らしながら青信号で右へ曲がり 

途切れてしまった常磐線を結びなおして走ってる

浜通りを 代行バスは 

そして浪江まで

 

背筋を伸ばして両手を広げた送電塔の群れが 

荒野の果てまで連なりながら海へと続いている

浜通りを 代行バスは 

そして浪江まで

 

いわき2019 

 

いわき2019

 

「バス車内での写真撮影はご遠慮ください」

それからシートベルトを締めるように添乗員はいった

青信号を右折したバスは浜通りを北上する

細い川を渡る

黒と黄色に塗られたバーのむこうに重機の群れがみえる

誰もいないドラッグストア 

誰もいないホームセンター 

誰もいないガソリンスタンド

バスがまた 川を渡る

 

透明なサーファーが並んで走ってる

ようこそ福島へ と 笑顔で手を振って

浜通りを 代行バスは 

そして浪江まで

 

透明なランナーが並んで走ってる

ほどけてしまった靴の紐を結びなおして走ってる

浜通りを 代行バスは 

そして浪江まで

 

透明な常磐線が並んで走ってる

透明なひたち号が並んで走ってる

夜の森駅 大野 双葉 そして浪江まで

 

透明な常磐線が並んで走ってる
透明なひたち号も並んで走ってる
夜の森駅 大野 双葉 そして浪江まで
 
いわき2019 
 
いわき2019
 
 
2020年3月14日、常磐線全線開通。代行バスは役目を終えた。
 

 

 

新宿御苑・模索舎さんに「東京フリマ日記」委託しました。

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「常識なんかぶっ壊せ」と叫ぶトラックが街をめぐるので

ロープ、リング、第1ラウンド始まりました。

血液をよこせ血液を、傷をくださいなま傷を、ジンジャーエールをもうひとつ、グッドだね、いいね、イイネをください、やわ肌を。

リストカットしたくなったら大人に言ってね>なんて言うんだぜ大人ときたら

<常識なんかぶっ壊せ>なんて言うんだぜ大人ときたら、そしてトラックに踏みつぶされた、可愛く不幸な妖精たち。

右手と左手のこぜりあい。

2つの命令の間で惑う浮き輪の春の海、ジンジャーエールをもう一つ。

ロープ、リング、第2ラウンド始まりました。

 

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オンライン英語 続けています。

 

オンライン英語の先生はわりとコロコロ変えていますが、どの先生からも、たくさん読んで語彙を増やそうといわれました、そこでピーナッツシリーズも読んでみたりしました。

さいころ、谷川さんの訳で読んでいたのでなつかしいです。

ペパーミント・パティは、チャーリーブラウンのことが好きなんですよね。

シュローダー、スパイク、マーシー・・・

思い出してきました。

 

ピアノやギターも、細々とですが続けており、上達はしませんが、手が動くようになってきたかなあ・・・。

どうも体を動かすこと全般が苦手に生まれてきたようですが、がんばって少しでも上達したいと思います。

 

 

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松岡の近著「東京フリマ日記」。

読んだ方からは好評をいただき、ありがたいです。

 

このたび、ミニコミ誌を委託販売してくれる「模索舎」さんで委託販売させていただくこととなりました。

 

模索舎さんは、新宿御苑の近くにありました。新宿駅からも徒歩圏ですが自然が多くなってきます。

 

このあたりの風景、好きだなあ・・・。

 

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模索舎さんは、この写真の「Curry草枕」の下にあります。

奥は意外に大きく、本がた~~~くさん売っていました。

書店の方が、「東京フリマ日記」の裏表紙をみて、「高円寺ですね、素人の乱さんのある・・・」とわかってくださったのが嬉しかったです。

 

そして、早くも通販ページに入れていただいておりますが、この本の長く単調な目次をちゃんとすべて正確に入れていただいており、びっくりしました。

 

どうやって入れたのか・・・。

 

OCR

 

目視?

 

そういうAIでもあるのか・・・?

 

 

mosakusha.com

 

長い長い目次、見てやってくださいませ★

 

そのあとは、やっぱりカフェに立ち寄ります。

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近くのヴェローチェでお仕事しました。

最近は電源のあるカフェが増えてありがたい。

そしてわたしはどこにいっても仕事できるよう、そんなキットをそろえるのになれてきました。

 

 

帰りみち、新宿駅の地下通路にはこんなポスターもありました。

 

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そうか、オウム真理教を知らない方も増えてきたのですね・・・。

わたしの世代では、オウム真理教の思い出はわりとあります。

 

たとえば駒場祭で見たなあ・・・白い服の集団・・・教祖のオッサンが女性の長い髪を握って移動していたのを覚えている・・・。

バブルもはじけて、それでいて日本は先進国だというへんな驕りと、どこか管理されて満たされないものを、神秘や、精神の傷や、魂レベルで満たそうとしていた。

・・・大学の同級生がオウム真理教に入ったままだな・・・・たぶん卒業していない彼は、いまごろどうしているのやら・・・。

 

そんな話も上記の「東京フリマ日記」でほんの少し触れておりますので、よかったら読んでくださいませ★

 

 

 

apia-net.com

 

そして、5月5日のAPIA40のライブで お会いしましょう!

 

春のNO WAY MANIACSに寄せて

 

このブログの記事は わりと創作・作り話である。

 

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桜 ぽろりん ぽろり

ある春の日に、桜の下で歌いました。

ウクレレは軽くていいですね。

 

 

・・・その日は雨の日曜日。

高校時代の同級生たち、女子部の友人たちのグループがオンラインお茶会を企画していた

子育ての合間の お仕事の合間の 懐かしい友との 交流のひととき

おや、松岡のことも誘ってくれてありがとう、でもわたしは下丸子の「NO WAY MANIACS」というイベントで音源などを売るから出られないの・・・。みんなで楽しんでね。

 

それでもその日は雨のなか 

わたしを同報したメールを交わす友人たちのチームス

つぎつぎに着信ランプが点灯する

 

 

チームスのURLはこちらです

 つながらないよー

こっちはどうかな?

 再設定するね

わー

 わー

 楽しかったね

楽しかったね・・・

 

 

やがてそれらのメールは来なくなった・・・。

 

どんな話が出たのかなぁ?

 

 

「松岡さんは自己治療のために創作をしている」

 

と、元上司が言っていたらしい・・・

瞬時に「ち が う」と思う。

その「ちがう」という結論を決めてから、それを説明するために、いろんな理由をつける・・・

 

・・・わたしには 何か 治療しなくてはいけないことが あるのか?

 

・・・創作表現活動をすると治る何かがあるのか?

 

・・・創作をしないと悪化するのか?

 

勝手にひとを病気にするなや・・・。

 

「ものを書くのは道具でも手段でもない」ということが なかなか伝わらない、生まれてこのかた50年・・・詩なんて書かないで済むならそのほうがいい、でも書いてしまうのが詩人とか表現者・・・ほら、あなたの、真夜中の牛丼やラーメンと同じ・・・かな?

 

書いちゃうのよ。

書いちゃうの、しょうがない、しょうがない生物なのだ。

そして詩といえば綺麗に行分けされたものだけでなく、このブログの文だって・・・すべてが詩なんだと思う・・・書く人はひたすら書くだけなのであった。そんなふうに生まれてきた。しょうがない。他人が書いた物語を生きているわけではない。でも物語にしてしまう気持ちもわかるし、自分も他人に対してそうしてしまう・・・。

 

そして、創作をしない元上司が、わたしの活動を自己治療と言った動機が 理解不能な物事に対する精いっぱいの思いやりであることも知っている・・・。

 

わ=からんもの

か=んがえないことがだいじ

ら=すと だんす

ん・・・

 

この世界も 人間も そんなに簡単に評価できるものではないのね・・・

 

誰にも 良さも 悪さも あるわ・・・。

なめこにも なまこにも 良さも 悪さも あるわ・・・。

 

・・・なまこ、38円くらいで売ってたね・・・間違った、なめこだった。

駅前の、ハナマサで。

 

・・・先入観で排除したりしないで 何かのご縁で あらゆる人に出会いたいのだ・・・オープンなマインドで・・・曇りのない なまこで・・・違った、まなこで・・・ 

それから おつきあいして 相性がよければ ゆっくり 知ってゆけたらいい・・・ひとはみな ひとしく 素晴らしく いとおしいと思うから・・・

 

・・・なんて、ごめん、うそをついた。

 

きれいごとだった。

 

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2010年代の10年間・・・自分を取り巻くアトモスフィアが・・・もう、音源を売るとかそんな感じじゃないかも・・・ということを書いたのが「東京フリマ日記~風が吹いても売れません。」であった。(宣伝)

 

こちらでお求めになれます。

 

383.thebase.in

 

自分はいちいち驚いているけれど、いろんなことが、当たり前の方には当たり前なのですよね。昭和47年生まれのせいか、なんか、令和の空気に、にぶくて、ごめん。

 

売るというより売れるためのつながりを得る場というのがあるのだ。なんかそういう風に、売れるためのつながりとか、つながりとか、つながりとか、つながるイベントが増殖を続けており、そんな会合に呼ばれ続けてきた気もします・・・

 

ありがたいのに、何が不満なんだ?

 

いえ、なんだか、もったいない・・・

 

そういう空気に鋭敏になってしまうのは、福祉の世界も、研究の世界も、そう変わってきたからです・・・連携とか、協働とか、むやみにつながることを目的としすぎたこの20年・・・・大田区民なら酒を酌み交わすのも仕事、会合は居酒屋で、女性は1000円でいいから・・・えっ?・・・・

 

・・・強いちからで染めあげる風の絵の具に染まること 顔を伏せることで避ける日々・・

 

詩人とつながってどうしようというのだろう・・・あの絵の具の赤い色がこちらを染め上げに来ないように、両腕を立てて、ガードしていると、いうのに・・・

 

警戒心があるからこそ・・・あまりつながりを求めないからこそ・・・20年くらい新作を制作して活動していられるのかもしれない。昔の文学系マーケットに、どれほどの天才少女詩人やおしゃれ女流詩人がいたことだろう・・・そして今はみんなどうしているのだろう・・・

消費の螺旋が、水車を廻す。

 

 

坂道で子供の手をひく お母さんの影 

追いかける花びらの影

昔こぼした液体の影

 

物語を描くことには 慎重に。

 

身体と影の間にあるものを 見ようとして

 

あ、猫だ。

 

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愛されなかった人は世界全体から大きな愛を求めるらしい。

友達もお金も名声も足りなすぎるひとは透き通る目で遠くの星々を見つめてものすごい量の友達とお金と名声を求めるようになることがある。ああ、規模は小さいがわたしだってそんな面がある・・・幼稚園児のわたし、あまりの愛されなさにかんしゃくを起こし、ますます愛されなかったのに、本当はケイちゃんになりたかったのだ・・・

 

古いな 古いぞ ピンクレディ・・・。

 

「子どもさんのいる主婦の方とか向けのクラスを作りたい、松岡さんの事務所で。」

 

そう話す彼の彼女の脳裏に明かりがともる。煙が揺らめく。

アロマ、ヨガ、プラス、お習字の、クラスを考えている。

彼も彼女も、ひとが、おおむね苦手という・・・あら、わたしと同じね。彼が彼女が苦手にしているAさんに彼の彼女の話はしてはいけないというし、Bさんとは絶交中らしい。

人として認められる基準が高い令和の世の中はまことに厳しく、人として価値があるという基準を満たすのは日本の人口の2.5%くらいに過ぎないのではないか・・・。つまり、わたしもあなたもダメじゃん。ダメじゃん。基準を満たす人が、いないじゃん。うん、ちゃんと生きてない人ばかり、私の周囲はつまらない人ばかりと彼は彼女は言って、炎をふっと吹き消した。

フルーティーな、いい香り。

アロマな言葉、その香り高さで、敵を生む。

わたしだって腐臭にまみれ敵だらけ、褒められたもんじゃないのに、心を許してくれて、ありがとう。その夢を、話してくれて、ありがとう。

 

(子どもさんとか、主婦の方とか、疲れている方を、癒したいんです。

ごく普通の若いお母さんが、お客さんで、来てくれたら、いいなあ・・・。)

 

 

・・・今頃わたしの同級生たちは チームスでお茶会しているのかなあ・・・

 

ふと、そんなことを思い出す。

 

 

何かについて、何かを学習し、わかったように思っても、わからないことが多い。情報が多すぎるのだ。物差しが多すぎるのだ。考え止めることも大事かもしれない。愛するために。

 

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どじょっこだーの ふなっこだーのー 

てんじょこはったと思うべな

(「どじょっこふなっこ」)

 

 

 

最近のオープンマイクは参加費が高い。ライブのほうが安いくらい・・・需要と供給の関係か・・・。

そして本当の意味でオープンなマイクではないことも多い。

それも仕方がないかもしれない。

「汚い人に来てほしくない」といわれたことがある。

「あのひとがいるなら行かない」「子どもさんのいる普通の主婦に来てほしい」

ふむ。

 

誰でもいい、みんな来てね、いや、嘘です。誰でも、よくない。

 

・・・今度また渋谷QWSの無料の日に見学に行くのですが、会員制ってなんだろうね、と、そんなことが気になって仕方がない・・・でも、会員制の場所は、きらめいて見える、よく見える。夢があって、素敵にみえる。

掃除で働く誰かのおかげで、その会員制の空間は、とてもきれいにお掃除してある。

 

なぜ 人は人を選ぶの?

 

評価はなんと恐ろしいものかと気づく・・・というのは、心理職は心理測定の専門なので・・・責任があるかもしれない・・・いろいろ自分の業績を考えると反省するところがある・・・ウェースとかビネエとか、大事だけど、そんな一般の人の世界で広まるようなものではないだろうに・・・ビネエ先生の子供に対する最初の思いを読む・・・せめてガードナーの多重知能とかもあわせて考えてみては・・・いや、もう、ひとは生きてるだけでいいじゃないか。

 

生きてるだけでいいじゃないか。

 

なぜ ヒトはヒトをエラぶの?

 

・・・もはや自分だって、あるところでは評価外、切り捨てられているのだ・・・わたしもひとが、おおむね苦手。そんなダメなじぶんだって、人を評価するし、どこかで切り捨てているし、しょうがない、でも、ころしあわないことは出来る、距離をたもち、衝突しないようにすることができれば、それでいい。

 

とてつもない緊張感のなかで生きてはいるが、また誰かが近づいてくる。

いつか離れてゆく誰かが近づいてきて、ありがたい。

 

がんばろっちねー。

 

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さて下丸子のNO WAY MANIACSは、とても素敵な出会いや会話に恵まれました。

詳細は省きますが・・・いろいろな奇跡がありました。

 

例えば、わたしは実は第2外国語はロシア語でしたが、それを披露する機会に恵まれたりしました。

あと、もう売れないなあと思ったので、DJのところにいって、WINK「寂しい熱帯魚」で踊ったりして、なんか喜ばれました(?)

 

あの痴態がどこかの動画に収められている・・・(ー_-)

 

そう・・・売れないなあと思ったので・・・

 

売り上げがゼロでした。

 

売り上げがゼロも悲しいことですが、それ以上に、「作品が望まれていない雰囲気」に、圧倒されてしまいました。

 

・・・ここは作品を売る場所ではなかったのか・・・?

 

・・・これまでで一番大田区民の来場が多かったそうですが、大田区に住んで23年ほど、大田区のライブハウス等でCDを売っていると、それに対して苦言を呈する方がいたことなどを思い出しました。もちろん買ってくれた仲間も多く感謝しなくてはと思う・・・ありがたい・・・ただひとつの苦言のほうが印象に残っているだけだ・・・買いましたが聴かないと思います、とメッセをくれたのも年上の男性だった、いつもそばにいるのは男性ばかり、自分の好きな洋楽のCDを貸してくれる方、邦楽のCDを貸してくれる方、自分の演奏している動画DVDをくださる方、「いま松岡さんの知り合いの〇〇さんと飲んでるから来てよ」とお店に呼び出す方、いろんな殿方に出会ったものだ・・・もうほとんど会うこともなくなりましたが・・・あまりノリもよくなくて申し訳ない・・・ダメだな・・・

 

・・・あ、同級生からの連絡は来なくなったな・・・。

 

・・・みんな、チームスお茶会、楽しかったかな?

 

わたしはここで音源や冊子を売っているのだ、売れなかったのだ、みんなとの会合をせずに「売れないを行為した」のだ・・・。

 

もちろん、売れるばかりが価値ではない。会場で、事前に依頼した「運転士が燃えている」PLAYしていただいて、とても嬉しかった。(余談ですがサイズ制限のために96くらいに圧縮したMP3だと、やっぱり音がいまいちなんだなとわかりました。)

お手伝いの方が、松岡さんの声だと気づいてくれて、ありがたかったし・・・ああ、神様ぁ~・・・かなり恥ずかしかった・・・。

 

売るための場で売れないのは仕方がないと思うのです。

問題は、本当にここは売る場だったのかなということ、なのです。

 

ズレてる自分が、またいろいろ間違えてしまったのではないだろうか・・・。

 

神様 僕は間違っていますか 

このまま 走り続けたら

大きな ものに食われて

消えそう・・・

(「運転士が燃えている」)

 

「運転士が燃えている」 こちらに収録されています~。

 

383.thebase.in

 

いつもわたしは求められていることをわからず、違うことをしてしまうので、心配になっています。

そして書く。書く。書く。

 

この「書く」、自己治療なのだろうか・・・。

 

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以下は、チラシ交換などした出店者の皆さまです。

 

◆切り絵アーティスト・田中良平さん

 

r.goope.jp

 

事務所で委託された青条さんの詩文集をみて「あっ青条さんの本だ。懐かしい。10年くらい前、同人誌の会によく来てたよ。よろしくー。」という旨のことをおっしゃって、青条さん有名人なんだなと思いました。

 

長くやっていれば再会もあるのが人生・・・。

 

それにしても切り絵かあ、不器用な自分には奇跡のような手技でした。

 

●StalkingP(すとっぴ) さん

 

日本語の堪能な、異国ルーツの方でした。

英語・日本語対応サイトです。かわいい。

 

www.stalkingp.com

 

個性ある女の子の絵!

 

いただいたチラシを見ると、コミケ100はじめいろんなイベントに出られるようです。

 

イラストレーターさんも絵だけ描いていればよいというのではなく、いろいろ出てゆくのですね。

 

◆柿境 泰輝(かきざかい やすあき) さん

 

青を主体とした奥行きのある作品を販売していました。

ブースだけでみるとなんか流れてしまうのだけど、ウェブサイトなどで理念を読むと、そういう考えが込められていたのかと気づかされます。

 

壁などにも行える、スプレーアートか・・・。

 

とても若いころになんかやけを起こしてテレビとかポット・電気釜とか、青いペンキで塗りたくったのを思い出しました。

プリミティブな動機で色を付けたくなったのですが、仕上がりはなんじゃこりゃあでした・・・。

 

akispraypaint.com

 

桐生市のカフェ本屋(?) カイバテラス

 

おとなりの出展関係者の家族がやっているということでチラシをいただきました。

いんすたばえするご飯のある本屋さん?

自然のなかでおいしい空気の深呼吸が出来そうですね。

 

何県か いっしゅんわからぬ 桐生市よ・・・

 

www.kaibaterrace.com

 

◆夜の図書館 小説家の書斎(バー) →引継ぎして?  バーノスタ

 

いずれも大田区・六郷のバー、のようです。

こういう場に酒場が出てくるのが、おっ、おっ、大田区らしい・・・・。

近所だな・・・行ってみようかな?

 

◆キクノキノコ

 

菌類を観察してアクセサリーにしているのかな?

きのこは美味しい。

冷蔵庫にえのきが残っているのを思い出しました。

しみじみ観察しながら食べてみよう・・・。

 

www.kinoko-mono.jp

 

◆危機裸裸棺工務店

 

Kikiさんに話しかけるチャンスを失ってしまった・・・。

棺に入るきっかけも失い・・・今回も入り損ねた、棺。

死がとてもそばにいるので、準備しなきゃと思ってしまいます。

 

このブースに占い師が居て、500円の占い、わたしのブースのスタッフもすすんで占いを受けに行っていました。

 

ふと、500円の占いに、500円の心理相談とかは勝てないような気がしてきました・・・いや、勝ち負けでなく、心理相談・心理療法には占いとは違う専門性があり、いずれもそれぞれに尊いものですが・・・「それ」が見せるもの、それが期待させるもの、それのイメージ、みたいな部分において、あるお客さんが心の中で競合をしたときに、占いは強いものがあるなあと感じました。

 

わたしは・・・あまり占いを信じていない気もしますが、受けてみたいかも。

 

kikiraracoffin.com

 

以上。手元にチラシなどがあるのは、そのくらいかな・・・。

 

NO WAY MANIACS 次回は7月17日とのこと・・・松岡先生の繁忙期だな・・・どうするか。

 

でも近いのは良いですね。

先のことは先になってみないとわかりませんが、貯金をためておこうと思います。

 

 

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そう・・・貯金。

 

いろんな場面で、自分に出来ることは何かと思ったとき、お金を使うことが手っ取り早いのかなあ・・・

お金がない人もないなりに出来ることはたくさんあるけれど・・・。

どっちも大事ね。

 

今回、売り上げゼロだったから、きれいなまんまのおつり箱(中身入り)・・・文学フリマで使えば、恩返しになるのかな?

すこし前の文学フリマでもずいぶん大人買いしましたが、新しい世代の文学、楽しかった。

また素敵な文学に出会えると期待すること・・・その期待ことが、いまの世界に大事なことで、自分に出来ることなのかもしれません。

 

ご縁。

ご縁。

抜け出す努力、出会う努力、愛する努力、がんばろう。

 

でもおつりを食べるラー油とかに消費してしまったら、すみません。

 

 

長々書いてしまいましたが最後にお知らせです。

 

◆松岡関連のウェブショップ

 

こちらです。

作品みてやってくだされ。

委託したい人も応相談ですが・・・売れづらいと思いますが・・・。

 

383.thebase.in

 

 

◆2年ぶりかな?ライブ出演します。

 

2022年5月5日(祝日)碑文谷APIA40

日本全国鉄道の旅、みたいなライブになります。オファーありがとうございます。

Youutbeにて無料配信あるので見てくださいね。マスクに隠している頬の傷が治ればいいのだけど・・・

またお知らせしますね。

 

いま思い出しましたが、APIA40の通販でも松岡の2枚のプロレコ音源を販売しています。

 

apia40.shop-pro.jp

 

アピアさんもお世話になっていますので、ライブ出演で恩返しができればと思います。

 

 

気づくと7000文字書いていた・・・・あほか。

 

さあ

新年度。

がんばってまいりましょう。

 

50歳になりました

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・・・よく育ったな・・・

 

・・・この3月で 50歳になりました。

 

自分が50歳になるなんて・・・びっくりです。もう大人じゃないか・・・いや・・何を言っているのだ・・・老人じゃないか・・・自分が・・・老人か・・・??

いやいやいやいや・・・

 

ぜんぜん 成熟していないと思いますが・・・

身体は正直で、頭痛がちになり、老眼は進んだ!

そんな萎れたBODYで よれよれと個人事業・フリーランスで元気に働いており

仕事は増えて・・収入はあれですが・・・

周囲に感謝する次第です。

 

 

ハチと自撮りのツーショットwith洗濯物。

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小田急線から神奈中に乗って 墓参りに行ってきました。

 

登戸で「すいっ」とやってきたのは、小田急快速急行・小田原行き。

 

「あっ、クリーム車掌」とつぶやく・・・

車掌の制服が白い、はっとする。

おなかすいた。

 

まるで人間の男性ような白い背中の肩甲骨のあたり

オレンジ色の横一本線のライン

それは春の陽気をあらわすジャムで描かれたサインのよう

春の白い車掌はとても眩しくみえた、おなかすいた。

マスクの白の青みとはまた違うジャケットの白、黄身の多いクリームにもみえた。

ガラスの向こうの小さな車掌室でくるくる廻るその車掌のシルエットは見ているだけで愛らしいシンボルのようにみえた

 

遠くに見える小田急の車掌が 可愛らしくみえたのだ。

 

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相模大野で車掌が交替すると その白い車掌はなぜかわたしのいる客室に入ってきた

 

そのとたん

 

(びゅうっ・・・寒いっ・・・)

 

ギンギンとした冷風が白い車掌から吹いてきた。

 

(この列車 換気のために窓を開けております)

 

それは 車掌のもつ厳しい視線と雰囲気だった

それが 車掌の身からブリザードを吹かせていたのだった

<・・・不審者はどこだ。この白い制服で凍らせてやる・・・>

 

その後わたしは相模大野から海老名まで白い車掌と一緒の車両にいたが あのときガラスの向こうでくるくる廻っていた愛らしい車掌と同一人物とは思えぬ緊張感がここまで伝わって来た・・・

寒い。

列車のガラスがびんびんと揺らされる音が響くがそれは車掌の警戒が鳴らす地響きだった

 

快速急行、いま、相武台前を通過・・・

 

(へっくしょい。)

 

車掌はね・・・

同じ空間にいる車掌はね・・・

そんなに お人形みたいに 何か 愛らしいだけのもの ではないのだ・・・

ね。

はい。

車掌の身は、約束たちによって厳しく鍛えられた存在であり、その姿は、いかにクリームの衣をつけていようとも怖いものでした。

 

それがわたしの精神性にシンクロし つらくさせ、そして愛させるのだったと思い出しました。おなかすいた。

 

f:id:miya_ma:20220308104048j:plainVSEめしあがれ。

 

小田急はスマートな路線ですね。

 

小田急 小田急 ピポピポ♪

 

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本厚木は厚木の中心地で、駅前はこんな感じです。

そして鉄道の駅は小田急だけです。

というわけで厚木人にとって小田急線は特別な路線なのです。

 

神奈中バスに乗って 墓場に向かいます。

 

自分以外の家族といるときは車・タクシーで向かうことが多いのですが、自分ひとりのときは路線バスの終点までゆき、そこから10分程度、歩きます。

 

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森林浴もできて、自然を感じられる、その経路がむしろ好きなのです。

 

墓場に車で行って、すぐ去る、というのは、点と点という感じで、風情もないし・・・経路のなかで厚木の街並みや霊園の風を感じることも墓参りだなと思うのです。

 

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ダウンでは暑いくらいの良い天気。

見下されっぱなしの末っ子も生誕50年。

両親の眠るお墓にまいりました。

いろいろあったけど元気です。

 

父一家が満州から引き揚げるときに 2歳で死んだ弟がいたそうで・・・

いわば叔父にあたるわけだがその戒名を知りたくなった。

 

そこで、墓碑を見ながらメモをした

「帰眞如釋賢雄童児

 

とあった。

 

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「帰」の文字が先頭についており 昭和21年6月没だった

 

神奈中バスの終点からさらに歩いて10分ほど

ここは静かな森の霊園

幼児の叔父が

眠ってる

 

いくさは そんなふうに弱いところに被害が押し寄せる 

あまり父は 語らなかったけれど

2歳で亡くなる叔父がいたというのにわたしなど50まで生き延びてしまった

ひとの生き死にがただ単なる運だというのがわかる

運が良いのなら運が良いことをかみしめて生きねばならない

しかし戦争はだめだと思うが自分は危なっかしいところがあり 

ある種の美を肯定して理想は否定し なにか 虚無に飛び込んでゆきそうな自分がいる・・・

 

あぶない あぶない。

影は自分を追い抜こうとする

 

50歳はこれから下降してゆく年齢だがあわてて降りると怪我をする

 

墓場のモノレール

オルゴールの音を耳にしながら 

影とともにゆっくりと下降する

 

 

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さよなら おとうさんおかあさん

 

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これからも作家として生きてゆきます。

これからの10年、さらによい作品を作り続けたいと思います。

 

ぼけ防止にと独学で練習しているギターとピアノとウクレレ、少しずつ上達していますので・・・(※個人の感想です・・・)生楽器も使って音楽の幅が広がったらいいなと思います。

 

女性がひとりで作品作り・トラックメーキングをなりわいにしているというのは、あまり先達も仲間もいませんが・・・

もし仲間になってくれるひとがいたらうれしいです。

 

これからも作家として生きてゆきます。どうぞよろしくお願いします。

 

4月3日(日)は下丸子駅前「区民プラザ」にて販売会「NO WAY MANIACS」にブースを出します。

徒歩数分の河川敷には名物の21世紀桜の並木があり、見ごろだと思います。

お近くの方はぜひお会いしましょう。

 

 

作品はこちらのBandCampとBASEにて試聴・購入できます。

 

miyamatsuoka.bandcamp.com

 

383.thebase.in