この記事は、以下の(1)(2)の続きである。
ハァハァ・・・
・・・そんなわけで、300段を超える木の階段を、カートを抱えたまま休み休み登り、やっと宮沢賢治記念館にたどり着いた。
長い階段の途中、踊り場から外の風景を見やれば、脚の長い蜘蛛がこちらをにらむ。
蜘蛛は苦手だったのに、なんだか美しいという印象をもつ。
・・・蜘蛛と結婚でもするか?
・・・何を言ってるのだ・・・
・・・(危険なヤツに惹かれるチルディッシュ・・・)
虫たちとともに生きているこの世界のバランスについて思いを馳せてしまったのは、すでに賢治ワールドに入っていたせいだろう。
愛が止まらない・・・ハァハァ。
晩秋の岩手で、汗がぽたり。
名前だけしか知らないような宮沢賢治、そのポエジーがはぐくまれた土地にやっとたどり着いたならば、そこが思いのほか暖かいことに驚いた。
◆
くどいようだが、わたしはあまり賢治に詳しくない。
なので、このブログを書くにあたり本を読んでみたりした(←遅い・・・)。
いろいろ読んだが、断片的なムックみたいなものよりは、一続きのストーリーがあるもののほうが分かりやすく、なかでも、山田野理夫「宮沢賢治 その文学と宗教」という本は読みやすくて良かった。
この本では、賢治の幼いころからのエピソードを紹介している。
例えば、さまざまな色の鉱石を集めて持って帰ってきたこと。
昆虫の死骸のお墓を作ったこと。
顕微鏡で色々なものを覗いていたこと。
夕方から屋根に上って、星座に夢中になったこと・・・
そして、賢治が先生だった頃、北海道への修学旅行で生徒をいきいきと引率した話も面白かった。
また、音楽が好きな賢治は音を文字に写し取った・・・いう記述が印象に残った。確かに賢治の詩は音楽を持っていると感じる。
この本はそれらをストーリーとして分かりやすく描いており、また詩の引用も多く、良い本だった。
◆
澤口たまみ「宮沢賢治 愛のうた」も、面白い本だった。
同性愛的な友への愛、妹トシへの愛のほかに、賢治にとって大きな存在の女性がいたのではないか・・・という内容である。
「生涯独身だったが、賢治は恋をしていたに違いない」という旨の本で、詩や「シグナルとシグナレス」「やまなし」などの物語なかに、その女性とのかかわりを匂わせていたのではないかと、丁寧に読み解く。
いささか妄想的な賢治のデート風景、童貞説の真実なども興味深く、「あとがき」では仮説にすぎなかったその女性との恋愛が、確かなものといえそうであるという旨もあった。ほぉ。
この本でも、賢治の教師時代の描写が面白かった。
せっかちなところもある賢治、目に浮かぶ。
ベートーベンのレコードへの愛や、賢治は音楽から色が見えたのだろうとも書かれている。
身長164センチ。当時としては小柄ではない。ぽっちゃり。無駄な知識?。
・・・学んで、遊んで、家族を思って、悩んで、働いて、浪費して(!)、看病して、悲しんで・・・手帳には「雨にも負けず」と理想を描き・・・冬の銀河ステーションを見上げながら、精一杯、生きて・・・
・・・知れば知るほど、賢治に、自分と同じものをみる・・・
「・・・賢治って、わたしみたいだわ・・・」
と、多くの詩人がそのように思っていることだろう。
◆
この一帯に宮沢賢治に関連する施設や場所は多く、この一帯のあちこちに賢治の作品ゆかりの場所があることがうかがえる。
恥ずかしながら、あまり宮沢賢治に詳しくない自分。初めて知ることが多かった。
例えば、「イギリス海岸」。
同題の賢治のエッセーは、このように始まる。
夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処ところがありました。
それは本たうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。
(宮沢賢治「イギリス海岸」)
北上川の泥岩層の青白さに基づいてそう名付けたという、賢治の教養というか、大地への観察力や関心がすごい。
ところで、80年代アイドル歌謡が好きなわたしであるが、小川範子さんの歌に「イギリス海岸」という作品があった(作詞:川村真澄)。
この歌の歌詞にも音にも、とくに花巻っぽさはないのだが、題名は賢治の作品から取ったのだ・・・ということを今更ながら知ったのであった。
賢治のワーディングは、広がる、広がる。
◆
記念館の手前から少し山道を下った周辺には、「イーハトーブ館」という施設もあるようであった。
その、イーハトーブ館に向かう道には、こんな看板が!
熊目撃情報有!
・・・そう、今年は全国のあちこちでクマ出没のニュースを聴くが、この花巻でも熊が例年になく出没しているようである。
思わず周囲を見渡してしまった。
星めぐりの歌にも熊は登場し・・・大ぐまのあしをきたに 五つのばしたところ・・・と、どこかロマンチックなのだが、賢治の世界の熊の雄姿に見とれていると・・・食われる!
白い貝殻の小さなイヤリング、拾ってくれてありがとう・・・
じゃない。
熊とはファンタジーではなくリアルな生存であるのだ。
リアルとファンタジーの区別がますます不明確な令和の世、熊と人間の棲み分けも重要だが、リアルとファンタジーの棲み分けも重要かもしれないなぁ、蜘蛛と結婚するわけにもいかないし・・・などと複雑なことを考えてしまった。
◆
前置きが長くなった。
やっと記念館にたどりつくと、2匹の猫が歓迎して・・・くれているのかな?
ずいぶんとぼけた表情で仕事をしているが君たちはファンタジーだ。
手を消毒したのち、人間の職員に入場料を払い、ロッカーに荷物を預け、やっと身軽になれた。
記念館の中はひろびろとしていた。
大きなガラス窓からみえる紅葉は、無数の色で織られた天然のタペストリーのように素晴らしかった。
落ち葉は落ちれば命が終わるのだが、その姿はなかなか消えない。
ボロボロになるのは悲しいけれど、死にゆく仲間がたくさんいて、風のたびに舞いあがり、そしてまた地面に打ちつけられる。心を空にして、ただ落ち葉になってみる。
そう、たぶん、季節もよかった。
秋というのは、日本の里山を歩くには、素晴らしい季節なのだ・・・
・・・と思ったが「いや、いい季節も悪い季節もない」と思い直した。
・・・どんな季節も、その土地の季節であり、その土地なりの過ごし方や、よさがあるのだ・・・と考え直した。岩手の冬も、厳しいなりに、豊かなものがあるのだろう、例えば、見上げれば銀河ステーションがみえ、童話の世界を生み出すような、冬の闇はそんなふうに豊かなのかもしれないし、詩とはいかなる土壌からも芽をはやすものである。
さあ、記念館の中へ。
円形に形作られた記念館、大きな岩手県が出迎えてくれた。
岩手県、という、今まであまり考えたことのなかった県が、とても大きく豊かなものとしてわたしの前に現れた。
この形のまとまりのよさ、大きさ、チーバ県とは違うものがあるな・・・などとくだらぬことを考えた・・・千葉出身なもので・・・。
◆
記念館は「農」「宗教(祈)」「宇宙(宙)」「芸術」「科学」の5つのテーマに分けられていた。そのテーマの幅広さが、矛盾なくまとまりながら同居するのが凄いのだが、どのテーマに対してもきちんと向き合い、身を投じてきたからこそ、詩に活かされるのだろう。
テーマのなかでは、個人的には自分になじみのない「農」「宗教」に関心をもった
以下の文章に感銘を受けた。
「おれたちはみな農民である」
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
という言葉、そんなピースフルで理想に満ちた言葉は、いまの社会では忘れがちになってしまうが、理想は大事なのだということを思い出させてくれた。
しかし以下の文章、「詩人は苦痛をも享楽する」・・・
・・・これはなかなか・・・そこまで強靭な精神を持っていない自分には、そんな心境にはなれないが・・・それに続く
「永久の未完成これ完成である」
との言葉に、少し励まされる。
・・・そうよね、完成に向かって生きてゆくすべての生命が未完なのだなと・・・だから、今、この時間を大切に生きねばならぬと教えられる。ありがたや。
◆
宗教のコーナーは・・・無知な自分には難しかった!
指をふれると阿修羅が飛び出すコーナーがあり、しばし楽しんだ。ちょっと撮ったので動画にしてみた。
・・・なんとなく、自分の分身がいるような感覚になった。
ふっと、賢治のパンフレットに書いてあった「賢治の気高い祈りや願い」という言葉を思い出した。
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「科学」のコーナーは「映え」の宝庫であった。古めかしい顕微鏡が印象に残った。
一般に、大人になってから顕微鏡をのぞくことは少ない。
それゆえ、顕微鏡の向こうにみえる世界には児童期の感性が投影される。顕微鏡をのぞくとそこに別の世界が生きていると感じた、あの感じを思い出す・・・。
なんだろう、あの、感じ・・・。
また、並べられた宝石たちも、美しかった。
そしてこれもまた思い出させる・・・わたしもきれいな石が好きだったし、小さい子は石のなかに世界を見るのだ、ということを。
・・・ああ、何だというのだ、この、懐かしさ!
賢治の世界は感覚に直接触れる、強い刺激のようなものがあるようだ。
◆
記念館では「銀河鉄道の夜」の朗読動画も流しており、しばし鑑賞した。
それで気づいたのだが、読んだことはあっても、細かい部分をずいぶん忘れていた・・・。
また、ストーリーの筋だけでなく、見逃してしまいそうな細かい単語や言葉、小さなエピソードのもつ輝きに気づいた。
例えば以下の部分など。
見ると、もうじつに、
金剛石 や草の露 やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床 の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射 した一つの島が見えるのでした。
その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い
十字架 がたって、それはもう凍 った北極の雲で鋳 たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。
こういった文章そのもののもつ美しさに気づいたのであった。
>「水は声もなくかたちもなく流れ・・・」
>「すきっと」
こうした語のもつパワーに気づかされる。
そして、この風景に、やはり、覚えがある、と思う。
たとえば、夜だけれど、きらきらと光る水辺を知っている・・・なんの意味ももたらさず、むやみに光るものがある河原・・・自分の幼いころ、そんな風景に包まれていたことを思い出す。
どこの風景かわからないけれど、だれもが確かに知っていると感じる風景が「銀河鉄道の夜」には描かれており、それは誰もが深層で持っている情景、集合的無意識のようなものかもしれない。
そして、記念館で体感した展示から得た感覚、「何だろう、この感じ」と思ったものの答えが、わかった気がした。
まだ言葉を知らぬ幼いころに得て、しまい込まれたままの感性を、言葉では表現できないような体験を、呼び覚ましてくれるのだ、この世界は・・・きっと・・・。
◆
学校の見学授業で来たかのような小学生の群れが、賢治の展示物に目もくれず走り回り、はしゃぎまわり、うるさいほどであったが、これもまた無意識のうちに賢治を体験しているのであろう・・・意識下に銀河鉄道を走らせる小学生たち。
岩手の小学生のなかに、豊かな実りがはぐくまれる瞬間。そして、自分のなかにも・・・そう、あまり宮沢賢治を知らない自分にとって、賢治記念館でのこうした体験は、スタートなのだろう。扉を小さく開くと、よくわからない世界の、少しのきらめきが感じられる。きっとこれからその世界に触れることになるだろう。
道端にみつける、小さな石の輝きなども、その書物のひとつとして。
バスの時間を気にしつつ、帰りは階段でなく道路を歩いてバス通りまで下りた。
落ち葉がコートの肩に降り続く。
ときおり車が通りすぎる。
風がまた落ち葉をくるくる回転させ、その葉っぱがわたしにまとわりつく。日差しは眩しいくらいだ。
くねくねと長い下り坂を飾りつけるススキの穂影。
花巻は豊かな風景で旅人を包み込む。
落ち葉は落ちれば命が終わるのだが、その姿はなかなか消えない。
ボロボロになるのは悲しいけれど、死にゆく仲間がたくさんいて、風のたびに舞いあがり、そしてまた地面に打ちつけられる。心を空にして、ただ落ち葉になってみる。
花巻の地が賢治の想像を支え、その想像から生み出された世界がまたこのリアルな土地を支えているのだ、賢治と花巻の、永久機関の連鎖のようだ。
バス停でカナヘビを見つけた。
まるで落ち葉の一種のよう、だけど風になびかない、そんな生命との貴重な出会い。
バスが来ないのを確認しながら、少し動画を撮った。
そして時刻表から少しだけ遅れてやってきたバスに乗り込み、新幹線の「新花巻」ではなく、高村光太郎が晩年住んだ「高村山荘」に行くため「花巻駅」まで向かうことにした。
(つづく)
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◆松岡宮からのお知らせ
1)新曲が出ます!
新曲「アップアップ後楽園」がいよいよ11月27日にサブスク各社でリリースされます。わーいわーい😃
ほんとに楽しい(?)というか松岡らしい作品。
南北線から丸の内線の乗り換えで、上らなきゃいけなくて・・・アップアップする作品です。
ダメ山さんはカイトにされて!
東京ドームいっぱいの吐瀉物!
お聞きいただければうれしいです。
配信会社によるYouTubeフル視聴はこちらです。
BandCampでも視聴できます。
Baseでも販売してます。
新曲を出せるって幸せですね~。
いつも皆さんに支えていただき、創作を続けられることに感謝しています。
◆
2)北中夜市(高円寺)出ます
人気の夜市、やーっと当選しました・・・ああ、うれしいな。
12月17日(日)16時から20時、高円寺「北中夜市」で「蒲田ポエトリーミュージックショップ」としてCD販売します。
CDご購入者には歌作りサービス、握手など、いろいろサービスします。
そう、路上で歌作りとかパソコン演奏もできるようにします。
「東京フリマ日記」、「まちにとけこむ公認心理師(日本評論社)」ともども、よろしくお願いいたします。
3)ブラックフライデーは11月27日まで
詳しくはひとつまえの記事をご参照ください。
BASEの商品説明もかなり書き替えました。
店舗名を少し変えようかと思っていますが・・・
「蒲田ポエトリーミュージックショップ」というのはどうかしら?
なぜ蒲田にこわだる!
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