松岡宮のブログ

詩でうた作り

花巻 銀河と小屋の旅(5)(高村山荘)

この記事は、以下の記事の続きである。

ekiin.hatenablog.com

 

「花巻で賢治と光太郎をめぐる」シリーズはこちら。

ekiin.hatenablog.com

 

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JR釜石線「花巻」駅からタクシーで20分ちょっと、片道4200円!

いよいよ岩手県の山深いところにあるという高村山荘にたどり着いた。その場所は、鬱蒼とした山奥というよりは、おだやかに開けた農村という雰囲気であった。稲刈りを終えた田圃雄大に広がり、豊かな収穫を想像させる。

 

以下の写真の奥にたたずんでいる、木々の枝に案内されているかのような白い建物が、「高村山荘」である。

 

 

以下は掲示されていた「周辺案内図~光太郎さんぽ道~」。こちらの周辺案内図をみると、光太郎にちなむ場所ばかりである。

 

「虫・ヒルに注意!!」という案内を興味深く見つつ、光太郎にちなむ場所、たとえば「雪白く積めり」の詩碑や「智恵子展望台」など、いずれもさほど遠くない場所にあることを知る。これは行きたい。

 

だが、さらに注意しなくてはいけないものがあった。

 

以下のような注意書きを見つける。

 

 

 

熊 出 没 注 意 ! 

 

・・・いや・・・今回の旅、花巻のどこにいっても、この注意書きである。

 

今年は熊の被害が例年になく多いようだが、この花巻も例外ではないようだ。

 

「えっ、熊が出るんですか?」

 

そう答えたわたしの目は、きっとキラキラしていたのだろう。スタッフの方が苦い顔になった。

 

「・・・お客さん何処から来ましたか?」

 

「東京です」

 

「・・・ああ、東京の方は、熊を可愛いと思っていらっしゃる!」

 

「ある日森の中」

 

「本当に怖いですからね、まあ、最後は、自己責任ですが・・・」

 

 

たしかに熊は怖いという知識はある。だが、その怖さに対しての実感が確かにない。花さく森のみち。東北の晩秋にしては暖かい風がざあっと吹きつける。もしかしたらこのあたりにもそれはいるかもしれない。あらためて周囲を見渡すが、おだやかな林と草むらにしか見えない。だが、危険を隠していることに気づくと、その林はどこか特別な輝きを持ち始める。


注意書きには「鈴を鳴らしてください」と書いてあった。実は「智恵子展望台」に上る階段の手前に、カーンと鳴らすための鈴があったのだが、この時はそれがあることに気づかなかった。カバンの中に鈴はない。どうしようかと思ったが、GRANBEATで鈴系の音を演奏しながらざくざくと歩くことにした。しかし生音には負けるだろうし、効果あるのかな・・・。

 

”枯葉茶色く積めり”

 

落ち葉の深い道をザクザク踏みしめ歩く。

 

 

 わたしは昔からどことなく高村光太郎の詩が好きだった。

光太郎の書いたエッセイは読みやすく、率直な書きぶりに共感を覚えた。智恵子を亡くした光太郎は詩文でその才を認められ戦争協力をし、戦後その責任を感じてこの山荘にこもって「暗愚小伝」を書いた・・・??くらいのあいまいな知識しかないが、詩人が世間から認められる嬉しさのあまり筆が走り、あとからそのことを悔やむことがありうるのは、なんとなくわかるような気がする。自分を戒めるように当時としても不便な暮らしを強いる。その思い。

 

自分語りになってしまうが、わたしも自分の事務所を「小屋」と称して住んでおり・・・水道・電気・ガス、全部通って、何不自由ない贅沢な暮らしのはずなのに不平不満をもらす自分に嫌気がさし、「粗末な小屋」に住んでいることにして、自分をゆるし、自分を慰めることがある。アーティストさんたちが自分の小屋でアクトを見せてくれる会について「粗末な小屋の粗末な発表会」と言ってしまい、出演者に不快な思いをさせたこともあった。そんな愚かな自分だが、「粗末な小屋」という言葉にどこかロマンを感じてしまうのは、光太郎の影響がありそうだ。

 

以下の案内にも、また山荘に入ると自動的に流れ出す案内テープに「粗末な小屋」という言葉が含まれている。

 

 

粗末な小屋。その言葉には、どこか自分を罰し、落とすことで安心させる響きがあるのだ。

 

そんな粗末だったであろう小屋も、今はこのように、2重の覆いによって囲われ、白く整った外見となっている。晩秋の晴れた日には黄色や赤茶色に色づく木の葉のまにまに白い高村山荘が屹立し、光が葉から漏れるすじとなって落ち葉のひとつひとつに影をもたらす。豊かな恵みを約束する。こうしてみるときれいな別荘のようにもみえる。

 

 

智恵子展望台に行く前に、まず、光太郎の住まいだった山荘に入ってみる。

ほかにお客はおらず、貸し切り状態である。

 

 

そう、わたしも山の小屋すまいにあこがれていた。今も、串間(宮崎)にうっかり土地を相続してしまったので、そこに住む可能性について考えている。

高村の影響もあり、北の方の山に住むことにもあこがれる。少し地縁のある信州・松本に住むことも考えたことがある。

雪山の小屋に住む・・・それは根っこのないロマン。できもしない妄想だ。しかし東京生まれながら、高齢になって実際にこの地に移り住み、7年間もそこに根を生やして暮らした高村を尊敬してしまう。

  

路を横切りて兎の足あと点々とつづき
松林の奥ほのかにけぶる。
十歩にして息をやすめ
二十歩にして雪中に坐す。
風なきに雪蕭々と鳴って梢を渡り
万境人をして詩を吐かしむ。

高村光太郎「雪白く積めり」)

 

 

雪を愛し、雪は詩を書かせると書いた、冬の詩人、高村。この山荘をみたあと、「雪白く積めり」の詩碑にも立ち寄り、朗読してみた。それは雪への賛歌であり、雪が降るとテンションがあがる東京人を思い出す詩でもあった。

 

 

山荘の中は、いろりや酒瓶?など、生活感がそのまま残っている。

こうしてガラス窓の向こうにみえる「粗末」。東京にも岩手にもおそらくは生きて存在している「粗末」を、ガラスごしの観賞用として何か格調高いものとして味わっている不思議。昭和20年代としても、やはり質素なほうだったのだろうか。不便ながらも、豊かな詩情がうまれそうな雰囲気がある。

 

そして今回、インパクトがあったのが、この写真。

 

・・・光太郎サンタ!

 

・・・ずいぶん、また、お茶目な・・・。

 

これも贖罪のようなものだったのだろうか?高村といえば硬派なイメージがあるが、子どもを喜ばせてあげたいという意外なサービス精神、思いやりを感じる。また、令和のいま、ドンキで買える衣装よりも、しっかりしたコスプレのようにも見える・・・とくにすごいのが、帽子の高さ。どうなっているんだ・・・。

 

それと、晩年の高村の写真でよく着ている作業着のような服は、特別に注文して作ったものだと知った・・・そうか、今みたいに既製品の服が当たり前ではなかった時代・・・大柄な光太郎にあわせてポケットに至るまで丁寧に作られたそうだ・・・

 

大柄・・・!

 

そうか、大柄か。

 

高村光太郎は手が大きい詩人という言葉が印象に残っていたが、要するに背が高く、足も大きく、あれもこれも大きく、大柄な詩人だったのだ。

光太郎がこの冬山の住まいを気に入ったのは、寒さに強い体質だったということもあるのだろうな・・・と気づかされた。

よって、どう考えても南方系で寒さに弱いわたしがいくら光太郎の雪山暮らしにあこがれても、無理だなと悟った。

雪山での小屋暮らしは夢のままで・・・。

 

 

 

そして、トイレも、懐かしい作りであった。

 

昔の家のトイレは、このように「離れ」にある。用を足すの、寒かっただろうな。

光太郎によって彫られた「光」の文字が、なんとなく華やかに踊っているようだ。こんなところにも詩人の遊びをみる。

 

日本は敗戦から立ち上がるところだろうか。小屋をぐるりとめぐり、ひととき昭和20年代へトリップした。みな貧しかったと言われても、何かそこには反省したり生まれ変わったり立ち上がったりする存在や勢いがあるように感じられる、そんな時代。わたしの父と母と高村はこの同じ昭和20年代を生きていた、なんて。

 

 

せっかくなので智恵子展望台に行こうと思った。だが前述のように鈴を持ち歩いていなかったので、GRANBEATで高い音を出しながら、落ち葉だらけの山道をザクザクと上った

 

すると、地元のスタッフのような方が後からついてきて、お供してくれた。

 

熊害の心配をかけたのかと・・・申し訳ない。

 

智恵子展望台からの風景。おだやかな風景。空の占める割合が大きく、平らかな田畑がいちめんに広がってどこまでも遠く見える。

 

 

光太郎は、(ここにはほんとうの空があるのかなぁ、ちえさん・・・)なんて思ったのだろうか。

 

一緒についてきてくれたスタッフの方が、爆竹を炊きながら、柱の新しい傷が熊によるものだと教えてくれた。

 

 

この智恵子展望台は熊のお気に入りの場所らしく、最近よく遊んでいるらしい。そのため天井に大きな音のなる鈴をつけたとのこと。

 

カーン、カーン・・・

 

・・・この巨大な鈴は、愛を誓うためのものではないし、光太郎が智恵子を思うために鳴らすものではなかったのだ。

光太郎も畑仕事をするときは熊よけの鈴を鳴らしていたとどこかに書いてあった。山の暮らしは昔から熊と共存してきたのだろう。さきほどの看板の「ヒル、虫に注意」を思い出す。山の暮らしは、というか人間の暮らしには危険がつきものなのだ。東京23区に住んでいるとそのことを忘れがちなのだ。そして、おろかなわたしは、光に飛び込む蛾のように、ふわふわと危険にひきよせられ、飛び込みたくなってしまう、ある日、森の中、何と、出会った・・・?

 

スタッフの方が、智恵子展望台の上空にスズメバチの巣があることも教えてくれた。

 

 

見事な、模様の入った壺のような、スズメバチの巣。駆除されるわけでもなく共存している。働きバチがせっせと動き回っている姿が想像できる。

 

このように、智恵子展望台は、想像を超えてスリリングな場所であった。熊が気になりゆっくり居られなかったが、機会があればまた上りたいものである。

 

 

高村山荘のそばにある、高村光太郎記念館にも立ち寄った。中は撮影禁止。

ここでは高村の彫刻を観ることができる。有名な「手」の彫刻は、目の不自由な方むけに、レプリカを触れられるようになっていた。美術の教科書にあるあの手を、よく真似したっけな・・・。

 

そして「あーっ」と思い出した・・・ずいぶん前、自分も十和田湖に行ったことがあることを。そのころはあまり光太郎への知識もなく、ただ「大きな像だな」と思いつつ、ふっくらした乙女の像を見上げたものであった。20年以上前の記憶が、記念館でつながっていった。そう、すべては、つながっているのですよ、と。

 

 

この記念館は、朗読コーナーがよかった。

音楽と映像にのせて以下の4編の朗読を聴くことができる。

 

「道程」

「メトロポオル」

「レモン哀歌」

「雪白く積めり」

 

あまりに良かったので、ぜんぶ聴いてしまった。詩の朗読はいいものだ・・・。

とくに「メトロポオル」の以下が印象に残った。

 

運命は生きた智恵子を都会に殺し


都会の子であるわたくしをここに置く

 

高村光太郎「メトロポオル」)

 

都会と地方が異なるものであること、「都会の子」であるわたしもやっと気づく、そして今は、無理な願望ではあるが、今のわたしは自然のもつ威力に包まれてしまいたいという願望に囚われている。その先人であるところの高村の詩は、はやる心にじわっとしみ込んできた。

 

記念館を出て、また振り向けば、少しだけ傾いた陽ざしに葉っぱが黄色く踊っていた。数分ごとに変化する光と葉の織物。この自然に含まれるものはみな、生きて、老いて、朽ちて、亡くなるのだ、そしてこの林のどこかに数多くの危険を、本当の危険を隠しているから美しいんだ、そんなことを思った。

 

砂漠があんなに美しいのは どこかに井戸を隠しているからなんだよ

サン=テグジュペリ星の王子さま」より)

 

ああ、それは、星の王子さまの言葉だ

 

 

タクシーを呼んで、花巻駅まで帰る。

タクシーの運転手が、「今年はもう稲の刈り取りが終わってしまって・・・」と残念そうに語った。行きの運転手も同じことを言った。稲刈りはそんなに車窓において大事なことなのだろうか、よくわからなかった。刈られてすっきりした田圃風景も美しかった。

 

「ここを左に曲がると、あの東校が・・・」

 

突然、運転手がそんなことを言った。

 

何を言われてるのかわからなかったが、野球の大谷選手の卒業高校だと言いたかったらしい。我が町から世界のヒーローが生まれるのは誇らしいことだろう。

 

大谷ワールドと賢治ワールドが、互いに領地を広げつつ、交錯する。両者の世界観は押し合いながら空に舞い上がり、線路は宇宙へとほどかれ、世界へと、宇宙へと飛翔する。空に輝くこぐま座の星。熊と宇宙も共存する。

 

花巻のすごさ、スケールの大きさに包まれながら、東京に戻ることになった。

 

赤トンボもまったり。

 

 

花巻駅から東京へ。帰りの交通については新幹線で帰ろうという以外はあまり考えていなかったが、これは反省点である。東海道新幹線と違って、それほど本数が多くないので、計画すべきであった。

 

花巻駅で何も考えずに新幹線の自由席券を買って、新花巻で「はやぶさ」に乗りたくなって指定席券に変更したのだが、せっかく「えきねっと」に登録したのだし、事前に買っておけばお得だったような気もする。

 

この旅行は、行きが、「品川―仙台間「ひたち」号」というゆっくりな旅だったので、帰りの「はやぶさ」号の速さに驚いた。

あっという間に東京に到着してしまった。

新幹線、すごいな・・・。

 

帰宅して、土産を整理しながら思い出すのは、岩手の地の豊かな田圃、平らな地平、夕陽のまぶしさ。そして銀河鉄道のイマジネーションを地中に秘めている、その自然の秘密たち。

 

わたしの住む東京の蒲田には熊も出ないし、こぐま座も見えない。ビルのネオンが眠らない街・蒲田で、小屋と称する普通の家に住んでいるが、光太郎のマインドを思い出しつつ、便利さに慣れすぎない暮らしを心がけたいと思う。

 

でも寒いのだけは・・・勘弁・・・

 

自分の小屋に、コタツを入れて、また光太郎の詩を読んでみようと思った。

 

(おわり)

 

以下は投げ銭です。おまけの記事を書きました。

 

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