松岡宮のブログ

詩でうた作り

串間から持ってきた本たち

これまでの記事に書いたように、串間の叔父の家にはそれなりの数の本があった。

 

本好きの自分にとっては魅力的でどれも持って帰りたいくらいであったが、そんなわけにもいかず・・・どちらかといえばレアな本を持ってきた。

 

それらの本を紹介する。

 

 

◆「勝てるには理由(わけ)がある」/仰木彬

 

 

 

1997年の本。

仰木監督は九州出身である。

仰木監督は、わたしにとっては80年代後半の近鉄のイメージであるが、この本は90年代後半の本であるので、オリックス時代の話題が多かった。

 

95年の震災と「がんばろうKOBE」、そんな言葉があったことを思い出す。

 

オリックス・ブルーウェーブ 日本一の軌跡」など、懐かしい球団名と思い出。

 

最後のイチローとの対談も信頼関係が感じられて面白かった。イチローのマスコミ批判で、「記者の方々にももっと野球のことを研究してほしい。」という言葉に、仰木さんは「(記者は)イチローの心理や技術についてゆけないんだろうね。本当は僕らが彼らに伝えてやらないといけない部分かもしれんな」とおっしゃっており、そんな思いやりのある言葉が人望の秘訣なのかと感じた。

 

 

 

青木雄二罪と罰 ナニワ人生学」

 

 

 

 

ナニワ金融道」の青木雄二さんの本。

「現象形態と本質」という漫画が掲載されていますが、融通手形・・・当座取引・・・金融に詳しくないわたしにはチンプンカンプンな漫画であった。

 

青木さんも漫画に賭けて成功した”ギャンブラー”。

またアシスタントのなかで漫画家として活躍できた男は、死に物狂いで必死でやったから成功したとのことで、ありふれた結論ではあるのですが、やはり必死にやることが成功の秘訣なのだなと・・・当たり前のようなことだがそんなことを思わされた。

 

共産主義者の青木さん「この世はゼニである」とマルクスから学んだそうである。

 

58歳で肺がんで亡くなっているのか・・・健康だけはゼニ勘定のように思い通りにならないのだな・・・。

 

 

 

 

さだまさし「長江・夢紀行」

 

 

さだまさしも九州人。

少し前のこちらの記事で、さだファンだったわたしが狂喜乱舞した本である。

 

ekiin.hatenablog.com

 

 

 

この本は

「僕の旅は武漢から始まった・・・」

という言葉で幕をあける。

 

自分が高校生の頃にさだファンだったので、この本も読んでいるはずだが、中国という国に関心も知識もなかったため、いまいちわからなかった・・・今ならわかる、新型コロナウィルスで有名になってしまった、武漢・・・だが、高校生の自分にはさだまさしの中国への愛やロマンがわからなかった。

 

あれから何十年か経過し・・・「陶淵明」の存在を知ったり、実際に中国に行ったり、ある程度、地理の知識を得たりすると、さださんが撮ろうとした映像の素晴らしさ、旅によって試みたことの価値がよくわかる・・・。

 

さださんが広大な中国で「マジ」な旅をしてきたことが伝わる写真集。

 

さだまさし、やっぱり、すごい漢(おとこ)だ・・・。

 

芸能界はよくわかりませんが精神的に過酷であろうことは想像に難くなく、曲がヒットして時代の寵児となったさださんが絶頂期にこうして日本を離れて中国に渡り、どっぷりと旅をすること、それは、ご自分の原点を見つめて、日本で疲れた精神が癒される、そんな効果もあったのではないでしょうか・・・(勝手な想像です)。

 

「中国の人と日本人では、外見は似ていても、ものの考え方が違う」

という文もあり、これも今の自分なら理解できることです。

 

重慶のSL(けっこう写真が多い)や鉄道員の青い制服の写真も、なかなか旅情をそそるものでした。

 

駅員、駅員、いいぞ中国の駅員も!

 

 

丸谷才一文章読本

 

 

 

何でこの本を東京に持ってこようと思ったのか・・・忘れたが・・・

やはり自分がものを書くのが好きということで、うまく書くための一助になるのではないかと思って持ってきたのではないかと思われる・・・。

 

さくさくと読んでみると、ふだん何気なく書いている文章というものを、丁寧に分析しており、言葉や文章への強い関心や愛を感じる・・・そんな本。

 

細かいところへの着目もあり、例えば句読点、感嘆符、ダッシュ、などについての言及もあった。

 

 

わたしは文を書くのが好きだが、思いが突っ走りすぎて雑にたくさん書いてしまうタイプ・・・もう少し一文や単語にこだわってもよいのかもしれない、などと反省させられた。

 

(汚れはひどいものの)本の装丁デザインはとても美しく、それも文章読本の一部であるのかと思わされた。

 

 

●吉村久子 歌集「茜雲」「流れる」

 

 

 

地元・宮崎の歌人の本。

 

けっこう重たい本で、捨てようかとも思ったが・・・しかし自分も詩人であり、このような、発行部数の少なそうな歌集は捨てづらい・・・

 

そして読んでみると、歌がとても面白い。

 

義母の介護、芸能人の名前、東京の風景、加齢する自分を鼓舞する言葉、ユーモラスな歌、生命力というか生活力を感じる歌のかずかずでした。

 

「流れる」より。自転車がたくましいイメージを醸し出す・・・。

 

 

「茜雲」より。尼崎脱線事故のこと。

 

 

短歌は簡単そうで難しく自分にはとても書けない。

吉村さんの歌は面白く、パキッとキレが良く、これが短歌の技なんだな・・・と思いました。

 

 

 

●亡国日本の悲しみ

 

 

 

・・・なんじゃこりゃあ。

 

・・・発禁本ではないかと思いましたが普通にAmazonで売ってる・・・。

 

わたしは世代的にはどんぴしゃで・・・ただ大学では原理研のほうが(問題があるという文脈では)存在感があった。

 

駒場の同級生のK君と、本郷でも同じ学部に進学することになり、それなら少し親しくなったほうがいいのかと思い何かのきっかけで渋谷のフルーツパーラーで食事をしたり明治神宮を散歩したりしたら、すごく追いかけられて・・・驚いてしまったことがあった・・・。のちに彼は、女性が誘う原理のアパートに行ってビデオを観たらしいといううわさや、オウムに入ったという噂を聞き・・・その頃、もう学校には来なくなっていた。

一部の男子大学生の女性を求める希望の強さ、それが新興宗教につながる可能性のことを、あまりわかっていなかった。思い起こせば大学生のころ、新興宗教は身近な誰かが関係する、とても身近な問題だった。

 

 

さて、この本では、Nさんが6000万円のお布施をしたというページが印象に残る。

最初の2000万円に関しては確かにNさんにはためらいがあったようだが、次の4000万円についてはゴルフ会員権を売って、「こういうお布施をしたかったんです!」と大喜びで自発的にお布施しているのだ、だからさきの2000万円をNさんから巻き上げたわけではないのだ、との記述があった。いずれにしても6000万のお布施というものが存在したのだなと、庶民の自分には信じられないことであった。

 

 

以上、まとめると、持ってきた書籍の多くは、あの90年代の暗い雰囲気、少し苦い香りのする本たちであった。

 

叔父さん、すてきな本をありがとう。