青条さんの新刊「コロナウィルスと燕」完成めでたい。
この12月に完成した青条さんの新刊「コロナウィルスと燕」の解説を書いた。
青条さんは、知人の作家さんで、都市の風景をずーっと描き続けている、すごい作家。
NOTEで文章を更新し続けています。
わたしの人生で初めての解説のお仕事であった。
わたしは専門書を中心にそれなりに物書きの仕事をしてきた、が、解説の仕事は初めて。あわてて事務所にある文庫本の解説などを読みあさった。
それで、解説といってもさまざまな形や文体があるものだなぁと気づき、どちらかといえば解説らしい解説を書いたつもりである。
「この本には4つの見どころがあります」・・・とかなんとか・・・
それで見どころを5つ書くとか、そんなボケは・・・しません 笑。
本当にすばらしいコロナ禍の記録集だったので、解説もやりがいがあった。そしてちゃんと原稿料もいただき、ありがたかった。
松岡のはじめての解説仕事、ぜひ読んでほしい・・・。
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青条さんは古くから知り合いの創作仲間で、「東京フリマ日記~風が吹いても売れません。」にもよく登場するので、お読みになった方は名前を聞いたことがあるかもしれない。
この「東京フリマ日記」に青条さんが描いてくれた「虎と虚」もすごい文章だった。
路上で詩集を売りつづけて、立ち続けて、心がだんだんしおれてゆく・・・という感じの文だけど、わたしが説明すると陳腐になってしまうので、ぜひ読んでほしい。
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字数の関係で「コロナウィルスと燕」の解説に書けなかった話をここに書いてみる。
青条さんとの初対面はおそらく渋谷のオープンマイクイベントであった・・・と覚えていること自体すごいと思うのだが、「NTTの通風孔」という詩を朗読した。その文章がとても良かったので、よく覚えているのだ。
それと、自分はポエトリーミュージックをやりながら「CD買ってください~」とか言ったと思うが、青条さんも詩を読みながら「僕の詩集を買ってください~」と言っていたので、親近感を覚えたのかもしれない。
そのときは文章がうまい人だなと思っただけで、別に知り合いになるとかではなかった。それでも鉄道の文章などがとても良くて、気づけば著作を全部買っていた。
そう、鉄道の文章。
わたしと青条さんは描くものが似ていた。
だけど、思いつきと感情がまさって散漫な自分の文とはちがい、青条さんは文体が一貫していた。きらびやかなネオンをとらえる鼠のような目線で、都会にはびこる文化の残滓と、それが人間にもたらすエフェクトの残響のようなものを、キレのある文章で描き続けていた。
明らかにわたしより上手いし、読み手への配慮があることがわかった。
ところで、父の遺品のなかにドナルド・キーン「日本人の戦争」という文庫本があった。
永井荷風や高見順、その他あまり知られていない作家の、第2次世界大戦時における日記を集めて、その頃の世相を読み解こうとする本である。回想録や小説は含まず、その時に書かれた、その個人の日記に意味があると述べ、たとえば高見順の戦時中の日記に、鎌倉と東京を結ぶ電車のなかに学生が少ないことが書いてあり、そのような記述に意味があると主張していた。
その文章を読みつつ、青条さんの2009年頃の都内風景描写が面白い理由がわかった気がした。
そうなのだ、その時に書かれた文章というのは面白くて価値があるものなのだ。
だからわたしは青条さんの文学はすごいと思ったし、ご本人にもそういうことを伝え続けていた。
だけどあまり言わなかったことがある。
それは、描くテーマが似ているがゆえに、嫉妬を感じていたことだ。
わたしなどよりブレずに芯があることに、嫉妬を感じていたことだ・・・
新宿、港区、池袋。ずっと都市の風景を描き続けるとか・・・
面白いに決まっているだろう!
ああっ ちくしょう!!!面白いに決まっているだろう!!(島本和彦「アオイホノオ」第11巻より)
無名の作家が無名の作家に嫉妬をおぼえた。
そう、その作品の面白さにも関わらず、青条さんは世間的にはそれほど名前を知られているというわけではなかった。
いろいろ縁あってうちの事務所で青条さんの本を売り、BASEのほうでも取り扱うことになった。また、よさそうなカフェなどがあればそこでも販売してみた。
委託初期はそれほど売れるということもなく、委託を受けてるのに申し訳なく思った。
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以下は、北中夜市で通行人と歌う詩人の動画です。
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多摩川に草いちめんに萌え、春から夏へ、秋から冬へ。
コロナ禍で在宅仕事に押しつぶされそうな自分と違い、青条さんはずっとコロナ禍や旅行の文章を書き続けていた。いつもすごいなぁとNOTEを読み続けた。
そして、コロナ禍の、真ん中くらいの時期だろうか。その文章に明るさとエネルギーが加わったような気がした。新刊「コロナウィルスと燕」でいえば「電動アシストサイクルを貰う」のあたりであろうか。
自転車を得てイキイキする詩人といえば、萩原朔太郎に、夏目漱石。
自転車を得ると、詩人の精神が拡大するような面があるのだろうか。
わたしの折り畳み自転車は、もう、ボロボロだが・・・。
特にわたしと頑張った「文学フリマ東京35」の文章とかすごく面白いので、読んでいただきたい(※「コロナウィルスと燕」に収録されています)。
自分の本だけが、ほとんど誰からも手に取られることが無く、全く売れる気配がない。ごく稀に、立ち読みする人が居ても、少し目を通しただけで首を傾げて立ち去る。仲間の著作物が売れていくごとに、自分の本を置くスペースが少しずつ広くなる。焦燥と憤怒が時と共に蓄積されていく。
会場には、これほど多くの来場者が居るのに、誰一人として僕の本を買わない。この惑星には、六十億人の人類が生息しているのに、誰も私を認めない。孤立感。世界人類全体に対する烈しい敵意が、血管の中で増幅して体内を駆け巡る。久しぶりの感覚だ。自分が生きていることを再確認出来る。生の実感がここにある。
青条さんが、あたかも、わたしのものが売れることに嫉妬しているかのような文だが・・・そんなことはないのに・・・逆なのに・・・
売れない作家同士は、助け合っているようで、どこか競いあってしまうのだ。
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草が枯れ、また草が萌え、季節が巡るうち、だんだん青条さんの本が売れるようになってきた。
この間、とあるカフェで青条さんの本が売れたときは・・・本人嫌がるかもしれないから内緒なのだが、「早稲田一文卒の俊英 就職氷河期に傷つき かまたてらこやに来た」とかなんとか思いつきで書いたんだったな・・・それで福祉系の職員にサクっと売れたらしく、わたしが驚いた(・_・)。
BASEでも青条さんの本が何冊か売れることがあった。ああ、ええ、わたしもうれしいですよ・・・売り上げのいくらかは事務所に入れていただけるご配慮も、それからうちのBASE通販が欲しい読者の役にも立ったという気持ちがうれしくて・・・クリックポストを印刷し、納品書とともに、封筒に入れて、封をする。
そのとき思い出してしまった。
今年は自分のCDがBASEでは1枚も売れなかったことを。
いちど、CDが売れたという通知が来て喜んだら、フィッシング詐欺だったなぁ・・・見事にひっかかり、みなさんに謝罪メールを出したっけ・・・
・・・うむ・・・
・・・目から・・・汗が(;;)
・・・なんだ、この、黒い気持ちは・・・
Ans. 嫉妬です。
Ans. 嫉妬です。
そのときわかった。なぜ売れないアーティスト同士でグループを作っても壊れてしまうのか。乏しいもの同士が集まっても助け合えることはまれであること、売れたい売れない作家が集まって、売れるようになるのは、なかなか難しいことだということ。
なにより、わたしが自分の売れなさに傷つき、それを克服していないこと。自分が弱っているのにひとを助けられるなどということはないこと。
だけど、縁あって委託販売してくれた仲間が売れて嬉しいのも本当の気持ち。
その売り上げのいくばくかを事務所に入れてくれる配慮も嬉しい。
いま、わたしの事務所やBASEで委託販売を受けている作家さんは多くないが、みんなその人柄や配慮でわたしを幸せにしてくれた方ばかりだなぁと気づく。
ちなみに以下の木葉さんも癒しメールをくださるよいお方である。
助けられているのは、自分なのだ。
青条さんがNOTEで良い文章を更新していると、あーいい文章だなぁーと思い、自分も頑張って文章を書きつづけられたじゃないか。
そして、自分が創作をすることに幸せをくれた、たくさんの方々がいたじゃないか・・・感謝しないといけない。
自分が弱っていると視野狭窄に陥り感謝できなくなるし、人の幸せを祈れなくなるし、人を助けられなくなる。まずは自分を元気にして、嫉妬や焦りを自分が頑張るエネルギーに変えてゆこう、そう思うのであった・・・つうかそんなせまいところで競うのがおかしいZe!
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おでかけしよう、空が大きく見えるところへ。
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そんなわけで青条さんの新刊「コロナウィルスと燕」完成めでたい!
めでたくうちの事務所のBASEで通販を開始しました。
ここにはコロナ禍の東京があります。
松岡の解説デビュー作、ぜひお手元にどうぞ☆彡
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