この記事は、以下の「花巻 銀河と小屋の旅(1)」の続きである。
(1)と重なる部分もあるが、この(2)では、新幹線の新花巻から、徒歩で「宮沢賢治記念館」まで行ったときの記録をしるす。
結論からいえば、風光明媚な道のりをテクテクあゆみ、徒歩20分少々でたどり着けた。
荷物が多くなく、天候がよければ、徒歩はおすすめである。
北国にしては暖かな秋の朝。日差しがまぶしいほどで・・・・岩手・・・温暖なのか?とすら感じた。
新幹線の駅を出ると、銀河鉄道を乗せたモニュメントが出迎えてくれた。「銀河鉄道の夜」のイメージであろう。
しかし降り立った時刻を考えると「銀河鉄道の朝」といったほうがいい雰囲気である。夜になればきっと星も美しく輝き、このモニュメントともあいまって、ロマンチックな駅前広場なのだろう。
Googleマップによれば、新花巻から宮沢賢治記念館までの道のりは、このようになる。
駅から1.6キロ程度、道は大通りでわかりやすいのだが、目の前に広がっているのは秋色に染め上げられたごく普通の農村風景であり、はたしてこの先に「宮沢賢治記念館」があるのだろうか?と不安に思った。
そんな不安を解消してくれたのが、記念館までの道に置かれている、賢治の作品にちなんだブルーのモニュメントだった。
そのモニュメントがあることで、正しい道を歩んでいることがわかり、有難かった。
よだか発見。
「お前はよだかだな。なるほど、ずいぶんつらかろう。今度そらを飛んで、星にそうたのんでごらん。お前はひるの鳥ではないのだからな。」
(「よだかの星」)
よく整備された美しい広場に、よだかの星のモニュメントがきらめいている。広々した背景とあいまって、よだかも楽しそうである。もちろん、君は、みにくくなんか、ない。
そういえば、記念館までの道のりを歩いた感想は、よく整備されているというか、人が丁寧に手入れをしていることが感じられる道であった。
もっとも、歩いているのはわたしひとりであったが・・・。
クルマはぶんぶん走っていた。
釜石線はときどき走っていた。
あ、きつね発見。
星の先っぽに、きつねがぶら下がっている。このモニュメントは額絵の鉄道が良い感じであった。
こんなふうに、日本の里山といったふぜいの風景のなかに、明るいブルーの賢治のモニュメントが建っているさまは・・・意外に似合ってるように思われた。
どのモニュメントも同じ青色で、統一感がある。
モニュメントは、目立ってはいても悪目立ちはせず、きちんと風景に調和するように作ってあるのだろう。
踏切手前の交差点のセブンイレブン前、曲がり角で、猫のカップル、発見。
女の子のドレスがかわいいが、なぜかハダシ。
このカップルも、そこまで悪目立ちせず、風景に溶け込んでいた。
花巻が宮沢賢治だらけなのは確かだが、それらは過度ではなく、華美でもなく、秋の落ち葉が色づく美しい風景のなかで、賢治の物語の世界が全体の色彩に調和しているようにみえた。
つぎは・・・
ネズミがぶら下がっている!
なんだか、農村で、ネズミ捕りに引っかかってしまったような、微妙な表情。
「どうして自分はずっとぶら下がっているのだ?」
とでも言いたげに・・・。
・・・たしかに、おかしいNe!
・・・この写真、なんかおかしいNe!
・・・そうなんだ。わたしなどはうっかり賢治の世界というメガネからこの風景を見ているけれど・・・(しかも、それほど宮沢賢治に詳しいわけでも無いのに・・・)賢治が生み出した世界の根幹にあるものが、この農村そのものであり、この農村にいるネズミであるはずなのだ。
賢治の物語をこの地で感じるためには、賢治の物語、というメガネを外さなくてはいけない・・・という、逆説に気づいた。
深呼吸。
踏切のあたりで周囲を見渡す。日本の里山の秋は、穀物の実りのなごりを感じさせ、ゆたかな郷愁を誘う。しかし今日も世界のどこかで戦争がおきており、岩手県も震災で大きな被害にあった。この大地はけっして平和なものではないからこそ、この穏やかな風景が貴重なものであるように思える。
・・・野原の松の林の蔭の小さな萱ぶきの小屋にいて・・・
・・・東に病気のこどもあれば行って看病してやり・・・
(「雨ニモマケズ」一部改変)
やがてトンネルがみえてきた。
文字のない風景。
東京の風景になれると、「文字が(ほとんど)無い」風景がとても貴重なものに思える。広告もない。宣伝もない。人はいない。文字が無い。木々がある。草がある。風が吹く。そんな風景の中に身を置くことがありがたい。
・・・しかし、この向こうに本当に記念館があるのか・・・?
何度も抱いた疑問が、また浮かぶ。
そんな疑問を、ふたたび青いモニュメントが解消してくれる。
カエルが干物のようにぶら下がっていた・・・。百舌のハヤニエのようだな・・・。
カニもいた。2匹。
あ、これは、あれだな・・・。
これはわかるぞ、「やまなし」だ。
二疋ひきの蟹かにの子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』(「やまなし」)
「クラムボンはかぷかぷわらったよ・・・」って教科書にあったなぁ。
授業中にこの童話を呼んでいると、ふいに自分が川底にいるような気分になり、見上げれば川面のきらめきが見えてくるような、ときに「外敵」の存在をまぶたに感じるような・・・そんなキラキラした光に満ちた物語だった。
やっぱり賢治の世界に、心すくわれていた自分がいた。
やがてバス停にたどり着いた。
以下の写真は、記念館の近くのバス停。右に上がってゆく道路は、記念館まで車でゆくときの坂道。
バス停、あったんだ。
事前に調べたとき、バスもあるのではないかと思ったのだが、よくわからなかったのだ。
ふむふむ、岩手県交通、「賢治記念館口」というバス停か・・・。
ここに到着するバスの時刻表はこんな感じであった(2023年11月撮影)。
本数もそれなりにあるので、次に来ることがあれば、バスを有効利用したいと思う。
こんなふうに20分以上歩き、やっと賢治記念館口に到着した。
三角屋根が印象的な入口であった。
ここから、ものすごい階段を登らなくてはならない。段数は367段だそう。なかなかの段数。
旅のカートを担いで、えっちらおっちら登ったが、踊り場で息切れ、何度も休憩。わたしのほかに人はおらず、休憩して汗を拭きながら周囲を見渡すと、巨大な蜘蛛が巣の真ん中で神妙な顔をしてこちらをみていた。目があう、微笑む。
・・・虫たちは自然の作り上げた神さまだ・・・。
蜘蛛の苦手な自分が、なぜかそんなことを思う。葉ずれの音が、カサカサと心地よい。
イーハトーブには山がありました・・・
山には神さまが住んでおりました・・・
山の神さまに会いに行くには、けわしい道のりを乗り越えてゆく必要がありました・・・
やがて悲願の階段ができて、山の神さまへのアクセスがよくなりました・・・
そんな物語を勝手に作り上げる。階段とは、ありがたいものではないかと思い至り、一段、いちだん、踏みしめる。
賢治の世界にたどり着くには、その宇宙までのアクセスには、少し汗をかいて苦労するくらいがいいのかもしれない・・・
・・・などと考えながら、カートをかかえて休み休み、やっと頂上まで到着した。
ふう。
見晴らしがすばらしい。神さまがきっといるのだろう。
以下の(3)に続く・・・
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◆松岡宮からのお知らせ◆
新曲「アップアップ後楽園」という作品を書きました。
この曲は気に入ったのでぜひプロレコ―ディングしようということで森社長にお願いして、月曜日に無事にレコーディング終わりました。
レコーディング楽しかったな。
また記事にしますね。
新曲、こんどの日曜日、デザフェスで披露しますね。
17時半30分から15分間。
半年ぶりのLIVE、ほんと楽しみだなあ。
たくさんのお客様にお会いできますことを楽しみにしています。
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