いま、少し気持ちが弱くなっているので、あまりツイッター(X)にログインしておりません・・・。
たまにログインしたら、DMで連絡など来ていたりして、ご迷惑をおかけします。
ツイッターのアカウント、削除しました。
ご連絡はメールでお願いします。
相鉄のソウは、相模のサ。
相鉄はソウ で JR相模線は サ。
JR相模線の このさみし気なたたずまい・・・。中学生のころの心象風景だ。
軽井沢シンドローム読んでいたときの荒涼とした風景だ。
そう、郊外そのものだ。
振り返れば、高層ビルが建築されており、それは令和の胎動であるのだ。
どしゃぶりの雨の朝。
東急の、新横浜まで急行だった列車が、新横浜から相鉄線内各駅停車となって直通する。
あたかも相鉄の権力を示すように、東急から来たヤツを格下げするのは、相鉄のほうがエライのか・・・・
と、そんな気分になる。
うちから直通列車でたどりついた海老名は・・・やはり、どしゃぶりの雨。
これはもう中止だろうと思ったが、はじめてのフリマで 中止連絡の勝手がわからず・・・大粒の雨のなか、ひとりで途方に暮れていた・・・。
実はツイッターにログインして主催のツイッターを見なくてはいけなかったのだが、上記のような理由でログインしておらず・・・中止だと知るまで右往左往してしまった。
メールでの案内をよく見ない自分が悪いのだが・・・なんか、間がわるい日だった。
そうにゃんです。
けっきょく、来て、すぐに、帰ることに・・・。
大荷物をかついで雨のなか、海老名からまた事務所へとんぼ帰り。
自分のアホさ加減に泣きそうな気分だったが、ふと見渡せば、海老名の街は懐かしい相模の風景。
都内とはやはり違う、緑濃い風景が広がっていた。
雨雲で見えないけれど西には阿夫利嶺が見守っている。
厚木に住む桐蔭生だったわたしにとって、海老名は故郷のような街。
いまや本厚木よりも大都会になり厚木人も買い物に行くという海老名、友人が結婚して家を買ったらしい海老名、そんな変貌いちじるしい海老名のいまを、目に焼き付けることができた。
なにより気づいたことは、駅員の制服のかっこよさ。
紺色の駅員が都会の風味でそこかしこに立ち、駅を守る。
かつての、不思議な色の制服を来た駅員はいない。いかにも映画などに出てきそうな駅員らしい制服、紺色に袖口のゴールドのラインがきらり輝く駅員がそこにいるのでした。
・・・あ、そうか、駅員らしい駅員が、いま、ほとんど居ないから、だから、普通に駅員が駅員ダンスを踊っているだけでも新鮮に思えたのかもしれない・・・・。
駅員は銀の魚たち。
駅員の背は青魚、ドコサヘキサ、ここさ!
駅員たちがエビの水槽を泳ぐ、みごとなクロール。
雨風に、サイドベンツがはためく、それは背びれ。
身をひるがえして列車が滑り込むたびにその水辺では鮎が跳ねる。
その背中のまっすぐな線のうえ、相模川の鮎が跳ねる、雨がぴちょんと落ちて、またはじける。
エビの水槽はいつしか相模川になり、なぜか新宿や渋谷へ注ぎ込まれる。
「全世界海老名化計画」
エビの野望は洪水だ。
紺色の形よい帽子、ビニールをしっかりとかけて、雨をはじく駅員たち。
紺色の群魚はラインダンスを行い、小田急と並走しながら走る流れを見送る・・・
・・・雨だれのガラス窓、並走する小田急がみえる・・・
・・・もう小田急に敗けていないぞ相鉄は!
リヴァー!
わたしはその四角形に積まれて運ばれながら、相鉄の変遷を感慨深く思った。
おれたちは都会につながっている路線のひとつなのだ
伸びゆく棒のさきっぽには、こいのぼり、はたはた、はためく、横浜ネイビーの色をして。
・・・そう、横浜ネイビーの列車は、クロスシート。
内装の色がモノトーンで、かっこいい電車だった。
海老名で不思議だったのは「東急に直通する旨の案内」が無かったことである。
(JRに直通する電車の案内はあった。)
新横浜までは相鉄線なので、東急とつながっているという感じではないのかもしれないが、海老名では「東 急」の2文字をあまり見なかったなぁと・・・わたしが見つけられなかったせいかもしれないが・・・。
海老名から出る列車は多方面に行く可能性があるので、頭が混乱する・・・
・・・あれ、JR埼京線直通は、新横浜に行くのだったかな・・・?
土地勘あるほうのわたしでも、JR直通と新横浜線直通と、似て非なるルートを走るので混乱してしまった。
以下の図を、しみじみと拝見し、そして、答えが、わかった。
JR直通は、新横浜を通らない(答え)。
思ったこと2つ
1)武蔵小杉が2つある!(※時間はかかりますが、互いに乗り換えできます)
2)西谷が出世駅になった。
昭和の時代から乗っているわたしにとって、相鉄線はほんとに変化が激しい。
横浜―海老名を結ぶ、神奈川の地味な一路線(・・・いずみ野線も、あったか・・・)
それが今じゃ、新幹線接続路線、渋谷へ新宿へ向かう路線、西へ東へ・・・というより東へ北へ。
ハザーヨッコク、とつぶやけば、なんとなくイギリスの田舎の駅のよう。
相鉄のソウは、相模のサ。
大山はあちら、両親のお墓のほうに、手を合わせ・・・
相模地区の鉄道の発展を目の当たりに出来た、海老名への小さな旅だった。
◆
フリマ中止になり、戻る相鉄の揺らぎのなかで、つくづく、自分はものを売るのが上手くないな・・と自己嫌悪してしまい・・・ヤケをおこしてインスタ始めてしまった。
詩人仲間の木葉ゆりさんの詩集「アーベントイアー」も委託され、事務所などに置いてありますが・・・詩を売るノウハウが自分になくて申し訳ない限り。
「ねー奥さん←、フリマで詩集売ろうと思ったけど中止になっちゃった・・・」なんてメールしたりしました。
詩って、ときどき、いいなと思うときがありますよね。
中学生の頃、塾で国語の勉強していたとき、詩のセクションがとても好きだったものでした。その時もっとも好きだった詩は金子光晴の「さくらふぶき」だったのですが、がんじがらめの日常のなかで、詩の言葉がふっと救いになること、ありますね。
ゆりちゃん(←なれなれしい)の詩はそんな感じの、明るさもあり、決めつけることのないような、抜け道のあるような言葉たちだと思います。
解説つきの販売ページ、こちらです。
BASEでは、自分のCDや手作り帽子などはこちらで販売しています・・・へんなバレッタもあるのでよかったらみてみてください★
つくづく、ものを売るのがうまくないことを申し訳なく思う。
作品を売るのも対人コミュニケーション、誘われれば受け、いろんな会合に顔を出して、人たらしをして・・・自分にそんな技量がないことが心苦しい。自分って駄目だな。「東京フリマ日記」ではそれをユーモラスに描くことが出来たのに、いま、あんまり笑えない・・・他人からの誘いや宣伝がしんどく、他人の成功に嫉妬し、他人を思いやる余裕がなくなり、手伝いを頼まれても動けなくなってしまう・・・。
だけど自分が売れないと思うのも自分の「認知の歪み」であり、思い起こせばたくさんの方がライブに来て下さって、作品を聴いて下さって、CDも買って下さったことを思い出す・・・・「”針金で出来たお母さん”が好き」「”針金で出来たお母さん”はすごい曲」って幾人かの方が褒めて下さったの思い出した・・・というか褒められるのその歌ばかりだナ・・・・みなさんに、ありがとう・・・。
「自分がしっかり支えられていないと、人を支えることはできない」
支援の教科書につねに書いてある、そんなことを思い出します。
ああ・・・だから、売れないアーティスト同士が売れようとしてグループを作ると、うまくいかないことが多いのか・・・。
自分がアーティストとして自信がないのに、委託販売とかするのは、時期尚早というか、実力に見合わぬことだったよね・・・ごめんなさいね・・・と、BASEで委託販売している、ゆりちゃん、青条さん、絵描きのひろみさんに言うのですが、みなさん「売れなくてもいいですよー、おいて下さることが嬉しいですよー」と言ってくれて・・・涙。
自分に必要なのは、他人へのそんな信頼と、感謝なのかもしれません。
そんな出会いにも、こんな文章読んで下さっている方にも、ほんと、感謝です。
(↑)
そしてこんなふうなアレコレを書いた日本評論社「まちにとけこむ公認心理師」、10月末に発売です。
第7章を担当。
自分は公認心理師としてだめです、だめだったです、と懺悔しています。
よかったら読んでみてくださいね。
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