この記事は、以下の「花巻 銀河と小屋の旅(3)(宮沢賢治記念館)」の続きである。
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小高い丘の上に建つ宮沢賢治記念館。
つづらおれの下りの坂をてくてく歩いて、バス通りまで、ススキの群れをすり抜けながら降りる。実りの秋が頬に優しく風となって吹き付ける。
晩秋の花巻は・・・暖かいところだ。
このバス停から、岩手県バスで、釜石線の「花巻」駅へと向かった。
晩年の高村光太郎(詩人・彫刻家)が住んだ、山の小屋(「高村山荘」)に行くためである。
宮沢賢治にはなじみのなかったわたしだが、高村光太郎はもともと好きで、詩集もいくつか持っている。
高村の詩はとにかく「わかりやすい」、そして「わかるわかる!」という感覚を覚えるものが多く、けっこうセンセーショナルというか流行りのポップスの歌詞のようでもあり(?)、面白いなぁと思って好きになった。
妥協は禁制
円満無事は第二の問題
己は何処までも押し通す、やり通す
それだから吹いて来い、吹いて来い
秩父おろしの寒い風
(「狂者の詩」)
高村光太郎の弟さんが書いたこの本が、とても面白かった。
本人の視点ではない、第三者的な視点で描かれる光太郎。
人付き合いが得意でなく人見知り、商売がうまくなく、商業と創作のあいだに悩み、生前は彫刻があまり売れず金銭的にも苦労をし、むしろ文筆で名をあげることで文が走り出した光太郎、じっと黙っていろいろものを思い、考え、本人は親不孝をしたつもりでいるが、意外と親孝行もしていた、多くの人に慕われていた・・・ある意味、普通の常識人という側面も垣間見えて、それでいて芸術家肌で生真面目な側面を知り、人間的魅力を感じるとともに・・・おこがましいが、「なんかわたしみたいだわぁ・・・」と思ったりした。
きっと多くの人が高村の思い悩む言葉に自分をみるような共感を持つであろう。
また、高村光太郎は、冬の詩人といわれる。
冬が好きで、また、すきっとした冬を描かせたら一級品の詩となる、冬の詩人。
そしてこうして岩手の里にこもる、手の大きい詩人。
「わたしは雪が大好きで、雪がふってくるとおもてにとび出し・・・」とはじまる「山の雪」を読むと、本当に冬や雪が好きなんだなという思いが伝わる。
・・・わたしも・・・冬山にこもるような生活が・・・できるかしら?
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そんな高村が晩年住んだという、山の粗末な小屋。小屋を建て、山中独居の生活をしたという、その晩年は、いかなる心持ちであったのか。
わたしも「小屋」を運営するものとして、そして質素を好むものとして、晩年の暮らしにシンパシーを感じないわけにいかない。
機会があれば行きたいと思っていたので、今回、仙台への仕事のついでに行くことにしたのである。
そう、宮沢賢治記念館は・・・その、おまけであった・・・。
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これまでの人生で岩手県には縁がない。
大学生の頃、寝台列車「北斗星」に乗って一ノ関を通った記憶があるくらいだ・・・。
北斗星ロビーカーにて。1994年(約30年前)の写真です。
降り立つのは、今回が初めてかもしれない。
そして盛岡でもなく一関でもなく、花巻がファースト岩手になったのは、詩人と詩情のパワーであろう。
それでもやつぱり牛がのろのろと歩く
何処までも歩く
自然を信じ切って
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につつみ込み食ひ込んで
遅れても、先になつても
自分の道を自分で行く
(高村光太郎「牛」)
宮沢賢治記念館前のバス停で高村のことを考えていたら、時刻表から少しだけ遅れて、大きな路線バスがやってきた。
バスはすいており、大きな荷物をもったわたしは後ろのほうに陣取り、ふーっと息をついた。
新幹線の新花巻から宮沢賢治記念館までは重たい荷物をゴロゴロ引きずって移動したのだが、やっぱりバスはラクだ・・・いいものだと実感する。
記念館から花巻駅まで約20分。
ブルンブルン、古めの車体が震わせるエンジンの音も耳に優しく、一息つく。
日差しにきらめく秋色の風景も目に優しく、賢治の世界の残響の中、ぼんやりしているうちにバスはほどなく花巻駅に到着した。
花巻駅ターミナル。
さあ、高村光太郎の山荘に行こう。ずいぶん遠そうだ。
駅前の案内所で高村山荘へのアクセスを訪ねてみたところ、とにかく遠くて不便な場所にあること、タクシーだとお金もかかってしまうので、途中までバスでゆき、バス停の近くにあるコンビニからタクシーを呼ぶことをすすめられた。そのバスの時間が、ちょうどあと20分後くらいにあるという。
うーん・・・どうしようかな・・・?
今思えば、その提案に従えば、かなり交通費が節約できた・・・のだが、この「バスで向かってタクシーに乗り換える」というやり方が、土地勘のない自分には少し不安に思い、多少お金がかかってもこの花巻駅からタクシーで行こうと思いなおした。
花巻駅は秋の青空に包まれ、気持ちよく、暖かいくらい。きっと作物はよく実っていることだろう。
わたしが初めてゆく都市にも住んでいる人がいて、何らかの営みが行われている、不思議。
あまり高い建物がないので、空が一面に広がっている。
とりあえずお昼ご飯を食べようと思った。
旅先ではコンビニで済ませることも多いが、ここはひとつ、飲食店でちゃんとしたものをいただこうと思った。
キョロキョロ・・・レストランはないものか・・・?
東京の駅前のように、駅ビルのレストラン、あるいはおしゃれなカフェレストラン・・・などというものはない・・・と思いきや・・・
あっ、おしゃれなカフェがっ!
そう、下の写真の左にうっすらみえる黄色い屋根が、カフェであった。
リットワークプレイス、という名の、いっけん無造作だけれど、考え抜かれた雰囲気の、お店。
わたしはこういうお店にめっぽう弱く、見かけたらすぐに入ってしまう。
ベーグル、コーヒーなどをいただけるようなので、ここでお昼ご飯を食べることにした。
食事以外にも、質の高そうな物品の販売をしていた。
内装がとても凝っていて、トーンがきちんと整っていて、居心地がよかった。
ベーグルバーガーとコーヒーをいただいた。ウッディーなデスクにベーグルが似合う。
ふっくら豊かなサーモンのベーグル、口を大きくあけて、はむっ、といただく。
美味しい、おいしい・・・語彙がない・・・。
まさか花巻に来て、こんなハイカラなランチをいただけるとは思わなかったが、こういうお店があることに驚くこと自体が、岩手や花巻への偏見なのだろう・・・
あとで調べたら花巻によさそうなカフェがたくさんあることを知った。
自然に囲まれた里山ではあるが、若く先進的な雰囲気を持っているのだ、きっと。
わたしのなかの花巻のイメージが、また刷新される・・・銀河鉄道があって洋風のカフェのまち。
お手洗いもスッキリすませ、さあ、高村山荘へ。
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駅前でタクシーをひろい、「高村山荘まで」と告げると、運転手は慣れた感じで連れて行ってくれた。
駅前を出ると車窓はすぐに豊かな自然風景へと変化してゆく。
賢治の創造をはぐくみ、高村の心の傷つきをCureした風景。
中年の運転手が「もう稲刈りが終わってしまったんだよね」と残念そうにつぶやいたが、その言葉の語用論的な意味はよくわからなかった。稲刈り前の風景を見せたかったということだろうか。
のどかなドライブ。山というよりは、平らな平野をタクシーはどこまでも走る。その道は山奥ではなく、うっそうとした森でもなく、ひらけた雰囲気の道路ぞいの風景。
思ったよりもその経路は長く、ついついメーターに目が行ってしまう。
ああ、2000円、ああ、3000円・・・
結局、片道4000円ちょっとかかった。
意外に遠かったので、観光案内の方の言うとおりにすればよかったかもしれない・・・などと後悔もよぎった。
しかし無事に目的地に到着し、ほっと一安心。
小屋は二重の覆いで囲われ、その囲われた部分を回廊できるようになっているようだ。
高村山荘の周囲には、詩碑や「智恵子展望台」などの散歩道もあるようだ、体力はじゅうぶん回復、よし、廻ろう・・・
・・・と意気込むわたしに、スタッフの方が言った。
「・・・このあたりも最近は 熊が出るので、通行止めにしてあります・・・」
「えっ、熊が出るんですか!?」
(続く)
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◆松岡宮からのお知らせ
Merry Christmas~。
いまもっとも苦しい人から順に、満たされますように・・・。
◆新曲「アップアップ後楽園」が出ました~。
ほんとうに楽しい曲なので、ぜひ聴いて下さいね~。
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12月17日(日)
高円寺・北中夜市にお店を出します。
16時~20時。
高円寺から歩いて数分の北中通り、路上です。
そういえば最近、北中夜市のことが記事になっていましたね。
なかなか面白い記事でした。
わたしはイケてる若者ではないので申し訳ありませんが、この活気ある雰囲気のなかに身をおくことができるのは幸せです。
夜市では、CDを販売させていただきます。また、その場で短い言葉をもらって唄作りをさせていただきます。(CD購入者無料または投げ銭)。
わたしはこれまで戦争体験や脳性麻痺の方の言葉に音をつけてきました。
次はあなたの言葉をうたにさせてください。
うたでつながると、作品はずっと残ります。
ぜひ、すべての方と、うたでつながれたらと願っています。
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また、わたしのCDを販売しているBASE「みやさん ざ べーす いん」ですが、
「蒲田ポエトリーミュージックショップ」という名前に変更しました。
さりげなく商品を追加したりして、だんだん面白いBASEになっています。
ときどきご購入して下さる方もあり、本当にありがとうございます。
AIが描いた「宮さんは詩をうたう」
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