松岡宮のブログ

詩でうた作り

一度目の串間の旅のこと(2)【閲覧注意/猫ミイラ】

 

この記事では、44年ぶりに行った串間の旅の、2日目の出来事を描く。

 

前記事「一度目の串間の旅のこと(1)」の続きであるが、創作部分もありすべてが真実ではない。

 

ekiin.hatenablog.com

 

行き帰りの経路のみについての記事はこちらである。

 

ekiin.hatenablog.com

 

 

・・・1日目の夜の英会話は残念ながらキャンセルとした。

 

オンライン英会話はずっと続けていたので強迫的な自分は英語力が落ちるのではないかと不安になったが、隣の宿泊者の気配が届くこんな壁の薄いホテルで英会話が出来るような気がしなかった。

 

だが、この旅のあいだ、不思議なほど気持ちがワクワクしていた。

・・・ここはなんだか素敵な街、わたしをまるごと受け入れてくれそうだ!

そして、実家の世話を任されたような気になり、なんて意義深い旅だろうと感じ入り、大義を得て役立っている!そんな自分に酔っていた・・・

 

・・・誰かがわたしを呼んでいる。

・・・松岡さんに出会いたいよ、見つけてよ、と、この街で、わたしを呼ぶのは、誰・・・?

 

・・・ハイテンションになり、トランクの中から「自撮り棒」を取り出した。

・・・よし、明日は動画を撮ろう!

 

そう思って眠りについた。

 

 

それは2022年の晩秋のこと。

まだまだコロナ禍のなかの旅行にためらいもある時期だった。それゆえに旅行への手厚い公的サービス、具体的には宿泊費の割引や、クーポンがあった。

 
そんなわけで、ホテルのロビーで3000円の旅行支援クーポンを受け取り、おもに都井岬の土産物に使った。
 
1度目の都井岬については、以前の記事に書いた。
 
 
 
さて2日目の朝である。南国・宮崎にしては寒い朝であった。
 
昨夜、大きなショッピングセンターである「ニシムタ」で買った鯖のお刺身と酢の物。ホテルの冷蔵庫に入れておいたが、その温度を下げすぎて凍っていた・・・じゃりじゃりと食べて朝食とする。
 
 
ニュースを見ると、ワールドカップサッカーで勝ったので喜んでいる様子が聞こえた。マスメディアの音はいつも発熱中のように浮遊しており、掌返しで喜ぶことすら予定調和の試し行為のように思えた。情動を左右に揺さぶる情報、酔いやすい自分はなんだか情報の波がしんどくなり、テレビを消した。
 
ネットワークを切れば人間が小さく思えるほどの雄大な山や川が広がり、鳥たちが朝の歌を歌っていた。
 
おはくしー。
 
おはくしー。
 

 

上記「1度目の都井岬」の記事にも書いたが、2日目の朝の大きな仕事は「ゆうパックでお骨を送る」ことである。薄曇りの朝の国道、車輪のあげる砂埃を浴びながら、郵便局が開くのを待つ。すれ違う人は少ないので、自然を挨拶をする。郵便局のガラスに映る自分がみえる。みすぼらしい女がお骨を持って座り込んでいる。

そんな人が珍しかったのか、怪しかったのか?郵便局の方が話しかけてくださった。

その直方体は赤いガムテープでぐるぐる巻きにされ、わたしより先に東京に向かうことになった。

 

 

朝の手続き的なことがあっさり終わり、新しくて立派な「道の駅」で少し休む。

 
舗道では「自転車で日本一周している」らしい自転車があり、乗り手がベンチに腰掛けて何かをモシャモシャ食べていた。自転車の後ろ側には沢山の荷物やネギがみえ、日本一周するときの荷物の多さに驚く。きっと自炊をするのであろう。
 
まだ午前9時台だった。少し観光もしてみたいと思って「よかバス」で都井岬に行ってみたのが上記の記事である。コミュニティバス「よかバス」を使うと、都井岬までお安く行って帰ってくることができる。都井岬では生きている馬を間近で見られて、とても良い体験だった。

 

帰りのバスで道路をふさぐように歩く馬たちの姿が見えてテンションが上がった。

 

「・・・ほら、道路に馬がいるよ。動物好きだったろう・・・。」

 

亡くなったばかりの叔父がわたしに声をかけて指さす。

 

「わぁ。馬さんがたくさんいる。親子かなぁ?親戚かなぁ?」

 

幼いわたしは大はしゃぎ。小さくなる馬の家族をいつまでも見守っている。

馬糞から咲く可憐な花の黄色。

死者はいつでもわたしに優しい。

 

野生馬を堪能したあと、昼には串間駅前に戻ることができた。

 

 

そしてまた、誰もいない父の実家へと向かった。

まだ何も決まっていない。相続をするにあたり、相続人がどのくらい居るのか、万が一、借金があったらどうすればいいのか・・・途方もない道のりに思えたが、少しでも片づけを進めなくてはならない。

 

 

この家には、いずれも小さな平屋建てである「母屋」と「離れ」がある。母屋と離れの双方を行き来しながら、片付けをどうすればいいのか途方に暮れた。

 

母屋は、立派な屋根瓦や外壁に大きなヒビが入っており、建物自体に問題がありそうだった。かつて知的な手紙を残してくれたおばあちゃんがここでご飯を作っていたのかな?と想像させる広い台所は外壁がくずれ、もはや内と外の境界が崩れかけていた。

 

老化とは、劣化とは、道の締まりのなくなること、あるべき境界が崩れることなのかもしれないと思い至る。

 

 

夕食どきで、止まった時計。

 

 

たぶん立派だった食器棚が、中途半端にその窓を開いている。やはり、締まりを、失って・・・。

床に散らばるチリトリや掃除機などの掃除道具が、役目を果たせず無念そうであった。

 

 

一方、叔父が元気な頃に暮らしていたと思われる離れは、まだ建物自体はマシなようであったが・・・中は同じように荒れ放題。

 

印象的だったのは、母屋にも離れにも、からのペットボトルが床を埋め尽くすように捨てられていたことだった。そのそばには、いくつものゴミ袋が中途半端に口をあけており、ゴミ袋の束もあった。

 

 

あとから知ったが、串間市は環境への意識が高く、ゴミの捨て方が(やや)難しいようである(少なくともわたしの住む東京都大田区よりは)。

 

自分でものを考えることが難しくなった叔父が、ゴミ捨てに苦労するようになった、その年月の形跡が、こうして透明な地層を作り上げたのであろう。

捨てようかとも思ったが、自分一人でなんとかできる分量ではなかった。

 

また、離れにあったトイレはあまり近寄りたくない風景を醸し出していた。

 

 

だが、これも、誰かが生きていた証なのだ。生命がそこにあったという印なのだ。

 

トイレのそばにあった本棚には、面白そうな本が並んでいた。新田次郎森村誠一。近所の女性の句集。ナニワ金融道の本。

本自体の傷みも激しいものの、こんな状況でなければ読んでみたいと思う本の数々は、叔父の知性と好奇心を想像させた。

 

 
本を布団の上に広げると、古本屋さんになったようでようでわくわくした。しかしこれじゃあ片づけに来たのじゃなく、散らかしに来たようだなぁと反省しつつ、ここにこういう人がいたという痕跡を残したくなり、本はそのまま広げておくことにした。

 

そういえば父も本が好きで、死んだ後の片づけが大変だったのを覚えていてる(ブックオフに来てもらった)。父は長男であり、貧困のさなか奨学金で高校・大学に行った。そして右肩上がりの時代にサラリーマンとなり、それなりの厚生年金を得ることができた。

叔父は3男、末っ子であり、この家を継いで老両親とともに有限会社を営んでいた。生前、父がよく叔父のことを、「あいつの年金はわずかな国民年金だけだろう」と言っていたのを覚えている。

そんな父の、変な自負心みたいなものが父の子である我々兄姉に乗り移り、我々はどこか叔父のことを、優しいけれど父のように知的で有能ではない、といった目でみていたように思う。

この見方はやがて覆されることになる。

 

それにしても採光の良い家だ。

ガラス窓から晩秋の日差しが優しく降り注ぎ、さらには穴のあいた屋根からも青空がみえ、光のきざはしを作っていた。そのきざはしは抜けた床へとまっすぐに向かうのであった。

 

 
「ギャッ!」
 
段ボールの奥に大きな蜘蛛が動いて、驚いてしまった。蜘蛛のほうも驚いたことであろう。
 
 
生き物は死に絶えたようなこの家にも、少しは生き物がいるのであった。
 

 

窓辺には、カマキリの卵のようなものも見えた。

 

 
生き物はみなこうして、自らが生きた証を次の時代へと残してゆこうとするのであろう・・・そう・・・わたしも・・・
 
ー自撮りでもするかっ!
 
自撮り棒を握りしめ、自分ではなく道路から家の動画を撮っていた。
 
すると、
 
「何してるのー?」
 
と、通りがかった小学生の集団に、からまれた・・・。
そうか、この道は通学路だったか。
 
「自撮り棒?何それー? えー、あっ、映ってる!!」
 
小学生たちがわたしの周りでスマホの画面を観ながら興奮していた。
 
・・・わたしは、小学生なら当然のように自撮り配信してネットで承認欲求を満たしている、そんな文化のうちにあるのだろうと思っていた。しかし(当たり前だが)そんなことはなかった。東京に住む自分に子供がいないから、そんなふうな偏った小学生観を持ってしまったのだろう。
わたしは、こんな知らないおばさんに声をかけて絡んでくる小学生の純朴さに感動してしまった。
 
君らはランドセルを背負った蛾か蝶か・・・。
 
きらきらと眩しく見える。
 
そして、なかなか離れて行かない子供たちと会話をしていたら、坂の上から大人も歩いてきた・・・
 
・・・まずい。このままでは変質者か、空き家に入る泥棒のようではないか・・・。
 
そう思い、とっさに「こんにちはー、わたしはこの家の相続人です。怪しいものではありません」などと、相続人と決まったわけでもないのに言い訳をした。
 
しかし通りがかった人は本当にただ通りがかっただけの人だったようで、「は、はぁ」と困惑しつつ、そのま坂を下りていった。
 
 
子供たちが去ったあと、片づけをしつつ、ゆっくりと動画撮影を行った。
まずは母屋だ。
もう叔父もあまり立ち入らなかったようにみえ、すべてがひっそりと死んでいるような空間。押し入れに段ボールがたくさんあった。
 
それらを引き出してみると、段ボール箱に入っていたものはすべて、囲碁の表彰カップや楯だった。
 
きれい。

 

きらきら輝く、カップカップ、盾、盾。

 
本当にたくさんの盾や賞状。
 
劣化を免れたそれらは金色に輝き続けており、非常に場違いな雰囲気を醸し出していたが、南国の日差しを受けて誇らしそうに深呼吸をしていた。
 
「栄光です。いえ、光栄です。見つけてくれて、ありがとう。」
 
まるで、そう言っているかのようだ。
 

 

父も囲碁が強かったが、叔父も相当に強かったようで、次から次へと表彰状や盾が出てきた。金箔がまばゆい巨大な盾、シルバーの重厚な盾、赤と白の目出度いリボン、それらは叔父の知性をあらわし、叔父の栄光を教えてくれるものであった。
 
叔父はこれほどまでに知性にすぐれ偉大な人間であったのだ。
叔父は素晴らしい人であった。
 
手を合わせつつ、ふと、くだらないことを思いついた。
 
ー畳が腐って抜けた床の穴を、このカップ類で埋めたら面白いのではー
 
もはや誰も来ないであろう家のなかで、その試みは誰も見ないアートのようなものであった。
 
だが、この家に来て心を揺さぶられ、たぶんブログに書くであろうことを予見したわたしは、床の穴に沿って、そっと表彰カップ類を並べていった。
 

 
ギシギシ。
ギシギシ。
音を立て、家がまた一歩崩壊へと近づいていった。
 
空気中を舞いきらきらと輝くのは、埃か、誇りか、言霊か。
光のきざはしをのぼりゆくのは精霊か。
床に穴のあいた部分はちょうど屋根に穴が開いた部分でもあり、優勝カップや表彰状に日差しが注ぎ込む。
 
ーみんな、見てください、こんなに囲碁の得意な叔父さんが生を全うしましたよー
 
 
そして、押し入れのなかのダンボールもあと少しだと思ったときだった。
 
穏やかな冬の日差しが差し込む押し入れのなかに、あやしい影を見つけた。
 
・・・なんか、見えるぞ・・・
・・・もしかして・・・
 

 

手前に囲碁の表彰状、そして、その向こう、箱の中に頭を入れているようにみえるものは・・・

 

もしかして・・・もしかして・・・

 

そう、その、「もしかして」であった。

 

 

 

【以下、閲覧注意】

 

 

 

 

・・・猫・・・だ・・・よね?
 
 
 

 
そう、それは、猫の亡骸だだった。
 
いや、本物の猫ではないかもしれない・・・剥製?置物?ぬいぐるみ?
 
・・・見つけてしまったからには仕方がない。押し入れの毛布でくるみながら、それをゆっくりと引き出して、机の上に置いた。
 
コロッ。
 
それはすっかりカチカチに渇いており、石膏で作ったトルソーのようであった。たたくとコンコンと音がした。悪臭はしない。
 

 
「おはしで ネコを たたく」コンコン。
「ネコで 机を たたく」コンコン。
まるで失語症検査のように、猫をいじる。
 
苦悶の表情を浮かべるでもなく穏やかにお昼寝をしているかのような表情のネコで、わたしはこの「置物」にすぐに好意をもった。そして、無駄な肉のない、スリムで硬いそれを、くるっと裏返したり、持ち運んでみたり、話しかけてみたり、動画撮影をしてみたりした。
 
やっぱり、オモチャみたいだなぁ・・・。海外のお土産ものかしら。
 
ふっと、ある可能性に、思い至る。
 
これは、叔父からのギフトなのだ。優しい叔父がわたしに気を使ってプレゼントしてくれたのだ。
 
「・・・ほら、末っ子のお前はネコが好きだっただろう・・・せっかく宮崎まで来てくれたから、叔父さんから、これ、プレゼントだよ・・・」
 
・・ああ、叔父さん!!そんなに気を使わなくてもいいのに・・・(^^;)
 
・・・だけど、ありがとう。とっても、とっても、気に入りました!
 
・・・すでに命なきものの形跡のみに包まれた、いわば絶命の家に居続けると、自分の生命力もすり減ってゆくのであろうが、自覚的には異様にテンションがあがっており、栄光のカップや盾に囲まれながら、声なきものの声を聴いていた。
誰かがわたしを呼んでいた。だからこの街に来た。呼んでいたのはこのネコだったのかもしれない。「わたしはここにいます、わたしを見つけてください」と鳴く猫の声に呼ばれて、わたしはここまで来たのかもしれない。
 
この家は素敵な舞台なのだ、そしてもはや舞台の幕はあがっており、死者によるリアリティーショーが始まっていた。その舞台の俳優でもあり観客でもあるわたしは、演じられている最中の「死をテーマにした舞台」に引き込まれ、その世界に浸っていた。
 
見つけてくれてありがとう。ネコがそう言った。
いえいえ、どういたしまして。わたしは答えた。そしてカチカチに折れている耳を撫でた。
 
それにしても、なんて綺麗な猫だろう。腐敗もなく、ウジ虫が湧いているわけではない。肋骨がリズミックに配置されている。その細い胴体には臓器を持っていたという気配もない。この猫は、やはり、剥製というか、飾り物なのではないか、このときは本当にそんなふうに思っていた。
 
顔を見ると、目玉が落ちた形跡がある。
 
 
・・・人形にしてはリアルだなぁ・・・目玉を落とし視神経(?)まで造作する人形があるだろうか・・・お茶目だな・・・。
 
・・・この時点では、こんなに美しい亡骸があるはずない、これは作り物だと思い込んでいた、思い込もうとしていた。
 
ー次に来たときには、このネコちゃんのおもちゃ、おうちに持って帰るぅー
 
そう誓って、家をあとにした。
 
ーうん、待ってるよー
 
ネコがそう返事をしたような気がした・・・。
 
・・・またね。

 
帰り際、外から家を眺めてみた。
 
 
裏側からみると、木々が壊れかけの母屋を覆いつくしていた。
すべては太陽の導きのまま、自然の動きのままに育つ枝や葉っぱはむしろ、主を失った家を崩壊から守っているようにも見えた。
 
そろそろ帰らなくてはならない。
 
この時点で相続について何も決まっていなかったが、ともかくまたこの家に来ることになるであろうと思った。
 
ーそう、あの、素敵な剥製を東京にお迎えするために。
可愛いネコちゃん、かならず、お迎えにきますからー
 
そうして家をあとにし、不通の日南線代行バスで乗り継ぎながら、宮崎空港へと向かった。
 
 
帰路については以下の記事のとおりである。
 
 
いちおう予約を入れていた英会話は、この夜もキャンセルすることになった。
 
(つづく)
 

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◆松岡宮からのお知らせ

 

 

メロンブックスでCD販売中です。

 

営業さんがDMを送ってくれたので、なんかフラフラと、音源をメロンブックスさんで取り扱っていただくことになりました。

 

以下、リンクです。

 

melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1859970

 

でもメロンブックスさんって男性向け同人誌に強いようで、自分の音源とか、売れる手だてが分かりません・・・

 

販促をどうしてよいのかわからないのですが・・・クリックだけでも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

◆8月20日(日)高円寺・北中夜市に出店します。

 

 

CD販売とともに、投げ銭の歌作りブースを出すかな?と思います。

16時~20時、路上です。

たのしみです~。

わいわい。

 

 

 

◆11月12日(日)デザインフェスタ パフォーマンスステージ

 

出演決まりました。こちらも楽しみです。わいわい。

 

 

◆新作です。

 

ポエトリー作品「その嘘を信じることができたなら」公開いたしました。

 

youtu.be

 

脳性まひの障害をもつ宮城永久子さんの詩に、音楽・動画をつけさせていただきました。

ほっとするような優しい音ですので、よかったら聞いてみてください♪

 

見た目にはっきりわかる障害をお持ちの方は、偏見にさらされたり、厳しい視線を浴びたりすることもあるだろうなと思い、わたしも至らない人間ですけど、味方であり続けたいなと思います。

 

わたしなどに作品を預けてくださった永久子さんには心から感謝申し上げます。

宮城さんの本の販売ページはこちらです。

 

www.eterunasha.com

 

◆松岡宮のBASEでも物販しています。

 

383.thebase.in

 

ひとにやさしい、小さな再生工場。

廃材バレッタがなかなかイケてると思うのですがまだ売れてません・・・。ははは・・・。

 

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

 

この続きはcodocで購入