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串間シリーズのあらすじ
宮崎県串間市は父の故郷。
ずっとそこに住んでいた叔父が亡くなって姪のわたしが家の片づけをしているうちに、気づくとその土地+壊れかけの建物の相続人になっていた。
移住か?二拠点か?売却か?
迷いながら不動産屋さんと会談した結果、売却することに決めたのであった・・・。
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これまでの記事はこちらに。
これが都井岬灯台で買ったおみやげ。光を当てると都井岬灯台が美しく浮かび上がる。
都井岬で買ったお土産をどっさり抱え、「よかバス」で実家のあった土地へと戻る。
昨年夏、業者に依頼して「室内の物品は全部廃棄してください」と頼んだ空き家だったが、まったく片付いていなかったので業者に電話して片づけていただく。
終点でバスを降りて見に行ったときには、女性の方がせっせと分別していた。
あとは業者にまかせ、宿泊地である串間スマートホテルへ向かう。宮崎の17時はまだまだ明るい。ホテルのそばの田園を散歩することにした。そよ風が心地よい。
「家も土地も売ります。」
そう決めたとたん、風景の見え方が変わる。ありふれた里山の風景が刹那のきらめきを放ちはじめる。
・・・なんて美しいテンションを保っているのだ、この風景は!
雲を映した水面の向こうに、別の世界が沈殿し息づいている。
人間よりもそれ以外のほうが権力を持っているが故の水の表面の穏やかさ。
ふと、ある思いが浮かんだ。
ここは厚木に似ている。
父が最後に住んでいた、そしてお墓もある、山のまち・厚木市に。
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あれは2016年のこと。まだ生きていた父が、「串間にある(父の)両親と弟のお骨を厚木のお墓に入れるぞ」といって、わたしを驚かせた。
父の希望でその儀式を済ませたあと、父もすぐにその墓に入ることになった。
父の死については「東京フリマ日記」に書いた。
「東京フリマ日記」にも掲載した以下の写真は、厚木の大山をのぞむ、どんど焼きの風景である。
いまや松岡家のメンバーの多くが眠っている神奈川県厚木市と、宮崎県串間市は、なんとなく似ている。
日本の農村風景などどれも似ているといわれればそうかもしれないが、冬でも温暖な草木の茂る風景、秋の収穫を感じさせる肥沃の大地、枯草深い野をわたる細い川の存在。
平地の遠くに山なみがそそり立つ風景。
串間出身の父が厚木を終の棲家に選んだ理由がわかった気がした。
そしてわたしもこういう風景が好き。
行きつく果てもないほど広い田んぼをいつまでも歩く。カラスがぬかるみに止まり、また飛び立つ。
やがて単線の線路を守る踏切が見えてきた。そして、踏切のそばに、色鮮やかな赤い鳥居があった。
この鳥居はなんだろう。近づいてみた。
排水溝をまたぐ鳥居の奥の看板に「毘沙門天」とあり、「参道入口」と矢印があったので、そちらに向かうことにした。
華やかな仏像でもあるのだろうか・・・?
矢印の方向へ歩いて行ったところ・・・
草むらしかなかった。
・・・どこかで道を間違えたらしい。
あわてて戻り、ビニールハウスが立ち並ぶ農道をふたたび歩く。
その地は広大で、わたしのほかに人はみえない。
カラスが上空を旋回し、その動きにつられて振り向くと、黄色い列車が静かに横切ってゆくのがみえた。
めったに見られない日南線の、しかも黄色い車体であった。
ー 海岸線をなぞる菜の花 1両 日南線のある世界は まもなく 春 ー
そしてまた、別のある考えが浮かんだ。
「中高生だったころの父や叔父は、この風景をみていた」
という考え。
写真でみた俊足の父の詰襟姿、甘い顔立ちの叔父の詰襟姿が浮かぶ。老人は少年に戻って、わたしの空想のなかで野山に駆け出す。服はボロボロ。靴もボロボロ。ゆるやかな黄昏に包まれ、少年たちは川面や土くれのなかにエネルギーをぶつけ、気が済んだら母親の待つ家へと帰る。そんな1日を日南線は演出し続ける。変わりない川沿いの風景にはその残滓がきらめく。次の世代の生命のきらめき、何かが土中で準備をしている。
ふと気づくと「ひっつき草」がわたしの黒いスラックスにいくつも刺さっている。生命力の荒々しい地では、面倒を避けるためのふるまい方があるが、わたしにはまだその術がない。
うーん、面倒!と思いつつ、ひとつずつ取り去る。さよならお父さん。
どこかの家の猫がいた。
誰かのだいじな猫。生きてこの地で朽ちて行くはずの猫。
あなたは旅人なんでしょう?見ない顔ね・・・とでも言いたげな、けげんな表情。
そういえば独身を貫いた叔父は猫好きであったことを思い出す。
歩いているうちに、やっと暗くなってきた。野の日暮れはどこか不安にさせるものがある。道を間違えぬよう、明るさが残っているうちにホテルに戻った。
昨日買ったお惣菜を食べ、すぐに就寝。2日目の夜はさすがによく眠れた。
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参考までに、九州のJR鉄道網です。
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そして3日目の朝。
帰りのフライト時間が11時台なので朝早い列車に乗らねばならない。目覚まし時計より2分だけ早く目覚め、服を着替えながら残り物を朝ごはんにした。一昨日「ニシムタ」で買った食材はすべて食べつくし、相変わらず食事代の少ない旅となった。
無人ホテルなのでアプリでチェックアウトしたのだが、ドアにもチェックアウトボタンがあり、それも押してみた。すると、メールでチェックアウトしましたという通知が来た。スマートホテルに泊まるには、スマホとメールアドレスが必須であることがわかった。
曇り空の下、カートをゴロゴロ引きずりながら、駅へと向かう。
朝の串間駅はほどほどに混んでいたが、駅にいる人の口数は少なく、おしゃべりの中にも静寂があった。
時刻表どおりに日南線がやってきた。菜の花色の車体の、海側の窓のそばに乗り込む。
ガコンガコン、相変わらずの振動が全身をつらぬく。窓の向こうに広がる田んぼと林と広い空。冬らしい色合いのなかに次の季節の予感をはらみ、相変わらず笹の枝や木の枝が窓をたたく日南線の、この全身に刺激を受けるような体験も、しばらくはさようならだ。
きのこ。
日南線に乗ると、とても贅沢な気持ちになる。わたしは本当に思うのだ、ここには東京にないものがある。ここにしかないものがある。ただのノスタルジアなのだろうか?胸をしめつけるような懐かしさのある駅の風景。ここにしかないものがある。去るのがとても名残惜しいが、縁あってこんな風景に出会えたことに、感謝する。
東京にはないもの、静けさがあるのかもしれない。
やっと全線開通した日南線、窓をたたく枝のドラミング。
振動、うたたね、夢うつつのなか、もうすぐ南郷駅だ。
南郷は西武ライオンズのキャンプ地のようで、「歓迎 埼玉西武ライオンズ」の幟がみえた・・・
ここで「埼玉」の文字を見るとは。
「歓迎 海幸山幸」という幟もみえ、そのめでたい駅を過ぎると海が見えてきた。
海に接近する列車の窓から白い波がしらの寄せる砂浜がみえる。
いまの季節は冬だが、シャコ貝のかたちのステージには夏の名残が残っており、どこか楽しそうな雰囲気を醸し出す。
そして列車はゴトゴト揺れながら、ほどなく「油津」駅に到着した。
油津ではたくさんの人が降りていった。
広島カープのキャンプ地のようで、鯉のぼりがおよいでいるのがみえた。
また、空港にほど近い「木花」駅の駅前には「読売ジャイアンツ歓迎」の文字がみられ、ジャイアンツの帽子をかぶった若い女性が降りていった。
2月の日南線は、スポーツの春、花盛り!であることを感じさせた。
そして到着した宮崎空港も、野球グッズが花盛りであった。
ものが売れない2月というが、宮崎の2月は、人が訪れ、かなり盛り上がる季節なのだ。
◆
11時半、わたしをのせたソラシドエアは定刻通りに離陸した。
帰りの飛行機はやや混んでおり、3人掛けの座席の反対側に足の長い男性が座っていた。トイレの近いわたしはスミマセンスミマセンと言いながらその足をまたいでトイレに行って、スミマセンスミマセンと言いながらトイレから座席に戻った。
窓からは緑濃い本州と紺色の海がみえた。
途中、個性的に尖った半島がみえた。
おお、みごとな鋭角だ。この半島はどこにあるのだろう。静岡県か、神奈川県のどこかの半島か?逗子?横須賀?などといろいろ考えたが、あとで調べたら千葉の富津(ふっつ)のようであった・・・
フッ、フッツだったか。
海に機影が映り、自分がいま飛行機のなかにいるのだなと改めて気づかされた。
定刻通り、飛行機は羽田空港に到着した。土産物いっぱいの荷物を受け取り、京急線で事務所に戻った。
蒲田の繁華街を通ると、さまざまな商品が売られている。チョコザップのチラシが熱心に配られる。人情の街・蒲田もいいところであり、過剰な人間と過剰な情報とそれに基づく推測がそこにはある。東京は過剰な軸が行き交い、わたしたちは過剰に評価する、過剰にジャッジする、人をジャッジするとき自分もジャッジされる、山もないのにマウントされる、東京のそんな過剰に身を置くと、串間で鎮められた精神がまた混乱させられてゆく。それでも、こうして複数世界を往復していれば、東京の過剰な音に沈まずに済むかもしれない。身体性を取り戻すことができるかもしれない。すべてが金銭換算される価値観、差異と外観と先入観がすべてだと思わずにいられるかもしれない。ジャッジされない世界に行きたい、なにもジャッジしない自分になりたい。
串間に住んでいたわけでもない自分にとって宮崎は故郷とはいえないが、自分の精神が起始する地と言えないこともなく、そう思うことは自分を奮い立たせる。自分が本当に生まれた地は千葉であり、起始点は千葉でもいいのだが、ルーツが遠ければ遠いほどその地は聖地として精神のなかに生き続ける。野生の馬がいる岬、工事をやり忘れる業者のいる街、そんな不思議な遠くの街が、自分のなかにある。
爆買いした串間のお土産を、数日かけて、もりもり食べた。
◆
そんなわけで、4度目の串間の旅が終わった。
いろいろ相談に乗ってくれた親友に「やっぱり売ることにしたよ」と告げたら「なんかもったいないね。遠くに拠点を持つことはいざというときに役立つこともあるから・・・」という旨のお言葉をいただき・・・確かにそうよねと、またしても迷い始めた。
それとちょうど同時期に東京の事務所のお風呂が壊れ、東京ガスの修理の方に来ていただいた。ウンジューマンのその見積もりを見て、家を持つことのコストは馬鹿にならないなぁ・・・と実感した。
家を守ることは、それ自身が手間のかかる仕事であり、別の仕事の片手間ではなかなかできない。もはや自分は家守(やもり)がなりわいとなってしまったので、自分が出会ってしまった物件については、放置せず、手をかけてゆきたい。
そうだ、家守(やもり)だ。
残りの人生、そういうふうに生きてゆこう。
そう思った旅であった。
(4度目の串間の旅シリーズ、おわり)
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◆松岡宮からのお知らせ
◆相変わらず曲を書いてます
毎日、おんがく。
レッツセックス井戸の中~という曲を書きました。1番だけですが。
◆2024年5月19日(日)デザフェスでライブ
デザインフェスタ59でライブさせていただきます。
室内パフォーマンスエリア。東京ビッグサイト南館4階。14時半から15分間。
もうあまりライブしなくなったので、この機会にお会いしましょう☆彡
◆BandCamp 少し更新
BandCampはいいサイトですよね。ときどき試聴&購入していただき、ありがとうございます☆彡
(プロフィール写真がなぜかジャビット)
また作品の世界でお会いしましょう。
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