松岡宮のブログ

詩でうた作り

京都大学について知っている僅かなこと

 

京都大学について知っていることは少ない。

 

京都大学の敷地に行ったのは・・・10年ほど前だろうか。

川沿いに吹く透明な風がまだ冷たいころ。

京都大学の方を含む研究班に入れていただき、班の会議に呼ばれて行くことになったのだ。

 

京都大学に行ったのは、その、ただ一度である(と思う)。

 

もとより京都に馴染みがない。

新幹線に乗れば早いが、心理的には遠い都市、京都。

わたしは外国育ちのせいもあるが、あまり日本的なものに対する馴染みや、親しみがない。日本という国への愛が少ないのかもしれない。京都について熱く語る人の多さは、わたしからますます京都を遠ざけ、その地が何枚ものヴェールに包まれた謎めいた土地であるという印象をもたらした。

 

鉄道もいまだによくわからない・・・。

 

新幹線に乗って京都に到着したのは夕方。

研究班の人たちは百万遍で飲んでいるという。

 

・・・百万遍・・・お店の名前かな。

・・・養老乃瀧みたいなものかな・・・?

 

土地勘がないわたしはタクシーに乗るなり百万遍というお店に行ってください」などと運転手に言ってしまい、運転手からは「はぁ?それじゃ分かりませんよ」などと厳しい反応をいただいた。

 

・・・京都のタクシー、なんか怖かったんだけど・・・

 

・・・などと思ったのだが、ただわたしの知識が足りなかっただけだ。

 

そのときは無事に合流することができ、夜は出町柳のゲストハウスに宿泊した。

 

 

ゲストハウスのことはあまり記憶に残っていない。わたしは宿にあまりお金をかけない。何人かが一部屋に寝るような形式だったことを覚えている。ドミトリーという言葉を知った。

そうだそうだ、本当に家のような建物だった。

部屋にベッドが並べてあった。

・・・知らない人同士で夜を過ごすのか・・・大丈夫かな?と思ったが、夜になると猛獣に変身し襲い掛かるような人はおらず、無事に朝を迎えた。

 

出町柳のゲストハウス・トンボさん。

 

キリリと寒い朝の道を歩き、仲間と合流した。わたし以外は京大に馴染みがあり、「ここは有名なんですよ~」と言われながらナントカカントカというパン屋に行った気がする。

 

そして京都大学の校門に立てば、いわゆる「タテカン」があることにも感銘を受けた。

タテカン、立て看板。その文字は読むと楽しい。

わたしはそれがあるほうが、大学らしくてよいと思う。

東大(本郷)に無いのがおかしいのだ。京大には言論の自由があるのだろうと感じ、単純な自分は、京都大学に良いイメージをもった。

 

昔はピカピカしていたであろうアヒルがいた、首にピンクのリボンをつけて。

 

 

京都のことは何も知らず、京都における自分はいつもお客様であった。だけどだんだん知るようになると、それをだんだん好きになる。

 

その研究班にも参加していた、人類学者の松嶋健さんが執筆を担当し、また紹介してくれた「医療環境を変える 制度を使った精神療法の実践と思想(京都大学学術出版会)」という本は本当に刺激的な良い本で、精神保健に携わるわたしに大きな影響を与えてくれた。

 

 

いくつか引用する。

 

・・・バザーリアらの場合は「施設の論理」を、精神病院という施設だけの問題ではなく病院自体を生み出す社会全体の制度の問題としてとらえ、それを克服する方法を模索していたのである。(第6章、p378より)

 

istituzioneを「施設」と翻訳し、deistituzionalizzazioneを「脱施設化」と解釈しているうちは、人はそれを「精神病院」というハードウェアと、「精神病」や「精神障害」というカテゴリーに関係する人々の問題であって自分には関係ないと考えることができるが、istituzioneを「制度」と訳し、deistituzionalizzazioneを「脱制度化」と理解するとき、まさに私たち自身が問われていることを知るのである。(第6章、p385より)

 

どうして精神病院(というハード)があるのか、それは、自分の意識を含む社会の意識が作っているのだ・・・そんなふうに考えることは、斬新であった。

 

「バザーリア法により、イタリアには精神科病院がない。」

 

そんな聞きかじりの知識を得たわたしは、すっかりいい気分になってしまう。つい理想を語ってみたくなる。人権という言葉の串刺しの串のような鋭利さ。精神科病院をなくそう、精神科病床を減らそう、わー・・・。

そんな動きは、何もわたしだけではなく、確かにあの頃、地元の臨床家の間で熱意をもって行われたムーブメントだった。

 

 

熱かった、少し若かった。40代でも若手と呼ばれた。

地域における精神医療を考える会、みたいな名前の会が出来て、N病院のミーティングなどに行ったっけ。

わたしは半端な知識ですぐに調子に乗ってしまう。あこがれのイタリア、ダ・ヴィンチ、ラ・ストラーダ、道。あこがれのルネッサンス、あこがれのヨーロッパ。

地域、地域、地域という変な高揚感。

 

 

そんなとき、理想に走る自分に、現実の運用について丁寧に語ってくれる現場の方もいた。精神科病院のおかげで、どれほど助かっているか・・・もっと都内に欲しいくらいです・・・と。

あるいは、精神疾患をもつ方の家族から言われたこともある、精神科病院で入院治療していただけることで、どれほど助かっているか・・・。

 

そんな語らいで、気づかされる。

 

ああ、わたしは現場の人の気持ちに配慮できていなかった。

 

現場を知らずに、理想だけを押し付けてはいけないと思ってきたのに、また、やってしまった。

 

現実ってさ、複雑で、いろんな側面があるものなのよ。

それぞれの力、それぞれの思い、それぞれの色、とても多くのものが関わっていて、繊細なのよ、カラフルなのよ、だから、その現実を知らねばいけない・・・・

 

理想の枠組みに現実を合わせてしまいがちな自分の言動を恥じた。

もっと現場を学ばなくてはならない。

 

 

世の中は複雑で、その場に立たないとわからない。その場に身を置き、自分の目で、たしかめないといけない。

自分の人生として引き受けたときにしか吹かない風の色がある。

その風の色はどんな色か、吹かれてみないとわからない。

愛玩猫には愛玩猫なりの悲哀。

地域にも人文にも専門性があり、その専門性を身につけなくてはわからぬこともある。

 

わたしは文章を書くことだけがなりわいだった。

 

研究者のなりをしていると原稿依頼が来るんだ、また・・・

原稿依頼うれしいんだ、また・・・

知らないことでも書いてしまう、この右手。

 

神さま、この無責任な右手を縛り付けてください・・・

(手じゃなくて左脳だろ)お言葉ですが右脳も言語産生に携わっており・・・

ってそういうところだZO、自分。

 

もうそんな原稿依頼も多くはないが・・・やっぱり、時々、ものを書く。

 

 

わたしが第7章を書いた本が出た。

 

 

自分自身がアカデミズムの定職から離れ、地域でフリーランスとして働き始めて、15年以上が経過した。

外からみるのと、実際にそれを生きるのでは、大きな違いがある。

現場というのは、言葉に出来ないものだらけで、言葉に出来ない・・・。

 

なので今年、「まちにとけこむ公認心理師」第7章には、こんなことを書いた。

 

 

 

 

情報とは、なんと不正確なものだろう。

どんな研究者にもこれは想像が出来ないであろう。

そして、そんなふうに、想像が出来ず豊かなものが、現場にはあふれている。

後戻りのできない人生行路、縁あってこの場に生きるものにしか、その場に生きる気持ちはわからない。

 

偉そうに書いているが、これは反省なのである。

右手だけがなかば自動的にすらすら動いていしまう物書きの、文章だけは書けてしまう物書きの、いとなみの、反省。自分だって、その立場に立たされた相手のこころについて、うまく配慮して差し上げられなかったことへの、お詫び。

 

この本の執筆に誘ってくださった津川律子さんおよび日本評論社の編集者には、たいへんお世話になった。制作にあたり、いろいろ深く衝撃的な出来事があった。またそのことについては書こうと思っている。

 

それにしてもわけがわからないであろう、松岡の文章。いろいろ尋ねられ、章にまとめられた言葉だけでは伝えることが不可能な含みがあり・・・

 

・・・よかったら事務所にいちど来てやってください・・・

・・・この原稿の前身となる「東京フリマ日記」読んでやってください・・・

 

・・・何度もそう伝えたが、その言葉が叶えられることは、なかった。

 

 

東京の秋はだんだん後ろ倒しになるが成人にさせられる年齢は前倒しになっていると感じる。オレンジ色の風が吹く、そんな秋の暖かい日。

とある研究班の飲み会のようなものがあり、少人数で酒を酌み交わした。

その頃、わたしの事務所に、親友と息子さんが泊まっていた。息子さんが都内で中学受験を受けるためである。あまり親子関係の良くなかったわたしには、少年と母の夢に向かう笑顔と信頼関係がまぶしいばかりであった。

子どものいないわたしに、中学受験の是非などわかるはずがない。自分自身が中学受験をしておらず、それに対する意見などない。ただ、こうして女友達たちのお子様が中学受験をしていると、その理由になるほどと思うこともあり、中学受験を行う気持ちもわかるようになってきた・・・

 

研究班の飲み会でそんなことを言ったら、その場にいた人に強烈に否定されたのだ。

 

・・・いいですか松岡さん、日本の学歴なんて、何の意味もありませんよ。

 

なぜあんなに中学受験が否定されたのか、今でもわからない。

 

その場にいた人の卒業した大学は、東大、京大、早大

自分たちが高学歴に恵まれている集団で、なぜあんなに中学受験が否定されたのか・・・今でもわからない。

わたしはただ、子供を持つお母さんである友人たちが中学受験に向かう気持ちがわかるようになってきたと言っただけだ。子供のいないわたしに中学受験の是非など判断できるはずがない。

 

そんなこともあって、もう人文系の男性研究者がすっかり苦手になってしまった。

 

だが、それも偏見、きっと偏見、現場のことに理解ある人にきっと会える、そんな日を、ドアを開いて待っている。

 

シャンシャン。

 

街がクリスマスに向かうなか、川沿いの繁華街ではヒョウ柄の服を着た女性が誘いをかけている。同じ頃、赤や緑の光を用いて華やかに飾り立てられる自由が丘駅を降り、学びに向かう小さな男子を知っていた。やまない北風の赤い夜、白い雨の夜、寒い季節を超え、小さかった親友の息子さんの合格通知。あれからいくぶん時間がたった。

 

遠くの操車場で終電がいま眠りにつく。

 

 

京都大学について知っていることはそのくらいである。

 

さて本題であるが(前置き長い)、京都大学の映像サークル「そういうの。」さんの映画「山月記」にわたしが作詞した曲が使われ、このたびYouTubeにて公開された。おー。

 

わたしが作詞したとはいえ、あまりに昔の作品で、本歌取りでもあり、お恥ずかしい限りであるが・・・作編曲の「鳩波歌楽」さんからご連絡をいただき、ありがたいと思った。

 

「鳩波歌楽」さんは素晴らしい作曲家&編曲家。

 

20年くらい前だろうか?@Niftyの「オリジナルミュージックフォーラム」で出会い、共作したのであった。

 

曲はこちら。

 

www.youtube.com

 

「山 月 記」  (作詞 松岡宮  作曲 鳩波歌楽 )

 

懐かしい友に出逢った

山の道 針葉樹 夜の果てに

変わり果てた僕が 映る水面

 

流されて最後に着いた

こごえる森で 戻れるなんて

もはや あり得ぬこと・・・

狂気ひとつと 生きている

 

愛しい友よ 君と過ごした

無邪気な日々を覚えているか

唯一の友よ 大それた夢

声高に語るばかりの僕だった・・・


谷間にも 夜闇にさえも

月明かり静かに 声をかける

いつも 優しかった君のようさ

とげとげしい 道をみずから

選んだ僕は・・・笑ってくれよ

やっと"人間"らしく 

誰か求めて 泣いている

 

立派な友よ わかっておくれ

生き抜くことの 出来ない僕を

大事な友よ 見抜いておくれ

強がりの裏に隠した臆病を・・・

 

愛しい友よ 見つめておくれ

獣となりし 愚かな友を

僕が記憶を 無くしたあとも

君だけは 覚えていると言ってくれ・・・

 

けだものに成り果ててしまう

その前に

 

(中島敦山月記」より)

 

 

京都大学映像制作サークル「そういうの。」による映画「山月記」はこちら・・・。

ぜひご覧下さい。

 

youtu.be

 

観終わったあとの感想。

 

主役の演技がうまくて引き込まれた。

脚本とかも、うまいのかな・・・山月記という土台があるせいもあるが、理解力の乏しい自分にも楽しめて、とても面白かった。

観るのが楽しかった。

ドラマっていいものだなぁ。

 

そして、主題歌が単なる主題歌を超えて、この歌そのものが映画の内容にメタ的に関連しているように思えた・・・。あまり言うとネタバレになりそうであるが、歌に大きな役割を持たせてくれてありがたいと思った。

ボーカルの切ない声も詩や曲想に合っていて、とても良かった。

 

それにしても・・・1回生というのは1年生のことかな・・・?そんな若さでこんな作品を作ってしまえるのがすごいな・・・。

 

作品を書き続けていれば思いもよらぬタイミングでそれが生きてくることもあるのだな・・・と思った。

過去作品はどれも振り返ってみれば拙く恥ずかしいが、それでも書き続けていてよかった。

 

わたしの作品、使っていただき、ありがとうございました🌷

 

 

エリートコースから外れる。

そんな生き方にも、いろんな形がある。

老いた猫が今日も事務所のまわりをパトロールしている、にゃあ、おはよ。

 

わたしは獣に変わるわけでもなく人間のまま朝を迎える。

 

世の中は複雑で、その場に立たないとわからない。その場に身を置き、自分の目で、たしかめないといけない。

自分の人生として引き受けたときにしか吹かない風の色がある。

そんな作品を書いてゆきたいと思った。

 

エリートコースから外れた人間として。

 

おやすみなさひ🙀

 

 

追記

 

AmazonでCDを買ってくださった皆々様 ありがとうございます。気に入って下さればさいわい・・・よかったら感想など聞かせてくださいね。

 

そしてなんと・・・メロンブックス様でもわたしのCDを通販してくれています。おお。

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1859970

 

というか下のほうの画像に目がいってしまう・・・

ち、ちからわざのシスター!?

読んでみたい。

 

 

https://www.melonbooks.co.jp/

 

なんかあたらしい世界に連れて行ってくれそうなメロンブックス様、委託販売してくださって、ありがとうございます。