松岡宮のブログ

詩でうた作り

串間への二度目の行きと帰り

 

串間市は、宮崎県の南端にある市である。

 

串間への一度目の旅は、こちらの記事に書いた。

ekiin.hatenablog.com

 

この1回目の串間への旅は宮崎空港から行ったのだが、よく見ると串間は鹿児島空港宮崎空港の双方から同じくらいの距離にあるように思え、鹿児島空港からも行けそうに思えた。

 

そして羽田からの航空費用を調べてみると、その季節は宮崎空港よりも鹿児島空港を使うほうが圧倒的に安かった。

 

驚くことに、羽田―鹿児島で片道6000円くらいのチケットがある。

そこで、二度目の串間への旅は行きも帰りも鹿児島空港を使うことにした。

 

 

福岡に住んでいたころのわたしの写真が見つかった。九州のどこかの遊園地であろう。どこかはわからない。

 

 

観覧車がみえるが乗った記憶はなく、おそらく後ろにある芝生の傾斜を滑って遊んでいたに違いない。姉や、兄と、母と、父と、それからほかの写真には叔父が映っていた。

 

昭和47年(1972年)生まれのわたしが6歳ごろだと思われるので、1978年ごろか。

 

九州に住む、平凡な昭和の家庭の、末っ子ちゃんであった。

 

 

ところで、短い新曲つくりました。おっぱいぷるんぷるん。

 

youtube.com

 

15秒くらいの、かわいい唄です。レッツクリック💛

 

 

さて、旅の当日。
あまり眠れず、スマホ2台のタイマーをかけた5時20分より前に起きる。
 
ノロノロとストーブをつけて暖を取り、これからの重労働について思いをめぐらせながらワークマン系の服に着替えた。
数日前のパーティーで頂いたチーズケーキの上に「追いチーズ」をのせて焼き、朝ご飯とし、残りはお弁当にした。
 

 
家を出て、朝の5時54分の多摩川線に乗る。意外に混んでいる。こんな朝早く、鉄道で移動する人がいるのだ。多くは仕事か、旅人か、あるいは飲み明かしたのか。児童はいない、当たり前だ。
東急蒲田駅から、例によって京急まで徒歩で移動する。
JR蒲田駅前にあるリムジンバスの停留所には行列が出来ていた。前回より1時間遅いと、このリムジンを利用する人が多いであろう。
 
立憲民主党の誰かが演説を行う準備をしていた。
政治を志すものは朝型人間でなくてはならないようだ。尊敬する。
 
JR蒲田から京急蒲田へ向かうのだが、距離はそれほどでもない。ただ、まっすぐではない道なので、土地勘がないと迷うかもしれない。蒲蒲線、推進派の新区長になり、どうなるのか。われわれ大田区民はどうしたいのか?地下鉄増築のロマンは点と点なのではないか、地域とは線であり面であり立体であるのかもしれない・・・そんなことを思いながら、ゴミ袋で飾られた夜明けの歓楽街を歩む。そう、東急・JR蒲田ー京急蒲田のいちばんの近道は、綺麗な女性のいるお店が並ぶストリートなのだが、さすがに夜明け頃は客引きもおらず、静まり返った近道を旅の荷物を抱えて歩む旅人の行列が出来ていた。
 
そして京急蒲田がみえてくる、蒲田の街に不似合いなほどの巨大な要塞のような駅舎。
 
やはりここでもれいわ新撰組の演説の準備を行っていた。政治とは朝が早く夜も遅いタフなものだ。
ホームにたどり着くと、今日のはじまりを公式的に告げる光が地平にその姿を現しつつあった。
 

 

京急蒲田でうす赤くなりゆく空、この同じ空の下、日南線も走っているのだろう、そう思った。あとで調べたら日南線には6時台の列車もちゃんとあった。
 
串間が呼んでいるぜ・・・両手に握りこぶしを作る。
いや、嘘だ、勝手に向かってしまうのだ、というか、勝手に首を突っ込んでいるだけのことだ。

 

・・・もう 、そこには、誰もいない、のに。

・・・もう、そこには、誰もいない、から。

 

・・・何のために行くのだろう?とここを読んでいる方は思うかもしれない。しかしわたしもよくわからないのだ。ただ、それをしなくてはいけないと、思い込んでしまうのだ。自分の背中は見えず、歩んだ軌跡も見えず、理由も意義もあとからやってくるのだ。それを見つけにゆくのかもしれない。

 

早朝であるが、要塞のような京急蒲田に次々に列車が滑り込む。空港方面だけではなく、横浜方面、品川方面、うっかりすると千葉県まで運ばれてしまいそうだ。この日も間違って品川方面に乗ってしまいそうになり焦ったが、何台かやり過ごしやっと乗り込んだ空港線はとても混んでいた。

 
終点で降り、スカイマークは第1ターミナルにあるので、後ろ側へと向かう。
 

 

羽田空港にもすっかり慣れてしまった(のであまり写真がない)。空港の案内板をみると、自分が寝ている時間にもたくさんの空の便が行き交っていることに感銘をおぼえる。北ウィングから女満別、南ウィングから広島 福岡 そして徳島・・・わたしたちは行こうと思えば日本中のどこへも行けるのだ・・・ただそういう意識が無いだけなのだ。

 

 

小さな子供が眠って起きて育ってゆく間にどれほどの飛行機が空を交錯したことだろう。

人間は移動して生きてゆくいきものだ、船で、飛行機で、鉄道で、移動、移動、また、移動。

出会い、むつみあい、また別れ、だけど思い出の中であなたに会える、父の故郷で、なにかに出会える、そんな予感がする。

 
末っ子さん、ウェルカム、そんな声を捏造する。
 
そういえば叔父さん、あなたも末っ子でしたね。
 
 
荷物を預けるとき、ドンキで買った安物トランクの取っ手が引っ込まないので困った。「初期故障ですね」という書類にサインをさせられ、哀れなおんぼろトランクには「取っ手故障」のタグがつけられ、ベルトの上を流れてゆく。
 
前回の反省を踏まえ、はさみは預けるトランクに入れ、モバイルバッテリーは手元に持った。
トイレが近いわたしはやたらにトイレに行く。トイレに入ると、どこかの便の最終案内が聞こえる。関係ないのに焦ってしまい、ペーパーをガラガラあわてて巻き取り・・・さあ出発だ!
 
天気はまずまず、いざ鹿児島へ。
 

 
前回ほど「閉所恐怖のあの感じ」が来なかったのは、1時間遅い時間だったからかもしれない。やはり自分は朝に弱いのだ。
機内では、ネスレとのコラボでインスタントコーヒーとキットカットを出してくれた。
 
昨年末のゲンロンカフェで観たイベント「「人文的、あまりに人文的」な、2022年人文書めった斬り!」でリストにあがっていた「東京大学ボーカロイド音楽論」講義 (鮎川ぱて著)をタブレットで読んだ。
 
DTMをやっているのにボーカロイドの世界に馴染みがないわたしにとっては、「・・・ハー、そうなんだ・・・ホー、そうなんだ」と知識や枠組みを得たような気分になったが、当然なのだが音を知らないので、どことなく自分の実感が伴わない読書となった。
音楽で喜ぶときの、あの感じは、文章にはない。
音楽や創作を論理や言語で語ることは難しいものだ、と思った。
 
人文になじみのない自分にとって、人文はいつも「進んだ」考え方の枠組みを教えてくれ、心がなごんだ。現場にその考え方を取り入れようと考えることは、自分に力があることを証明するようで、ウキウキとした。
しかし、自分が思うほど世の中は単純ではなかった。
・・・若い頃からずっと、「心理の人」もしくは「なんだかわからない人」として精神疾患や精神医療の世界に投げ込まれ、現場でもうまく振舞えずにつるんとした表情の裏側で反省ばかりの自分の姿がみえる・・・そんな自分にとって人文には救いがあった・・・精神疾患に関する人文書を「ホー、わからないけどすごい」と読み、その見方などに感銘を受けつづけたこの30年・・・だけどいま、地域にさらされすぎた自分にとって、それらの言葉は新築住宅のカタログのようで、もはやウキウキできない自分がいた・・・古い家にはいろいろなものが積み上げられる、おうちの片づけ、しなくちゃ・・・・
 
・・・音楽もそうだろう、あああっというものが、あああっという言葉では、伝えられない、それが音楽・・・わたしは言葉を使う仕事ではあるけれど、もう自分は言葉ではないようなところに向かってしまい、先祖!先祖!と会話をする日々だ。
 
東京大学ボーカロイド音楽論」講義」の読書体験は、行ったことのない星の案内のようで、どこか楽しい読書体験ではあった。
ボカロ曲はおおむね好きで、聴けば楽しい気分になるので、いっぱい聴いてみたい。
 
・・・そして自分が乗り物に弱いことを忘れていた。
・・・自分が酔ったと気づいたのは、タラップを歩いていたときのことであった・・・
 
よ、よ、よろよろ、げふげふ・・・。
 
予定よりも早く到着した鹿児島空港。ふらつく視界を快晴の朝が出迎えてくれた。
 
 

このいいかげんな地図にあるように、串間は宮崎県の最南端、鹿児島県の志布志に近いところにある。

 

同じ鹿児島県内であるが、鹿児島空港から志布志に向かうまでの距離が長い。空港から志布志まで直通のバスがあり、9時40分発に乗ることができた。所要時間は1時間50分。

 

それは、エアポートリムジンと聞いて想像するようなバスではなく、普通の路線バスのような車体であった。乗客は少なく、空間が広い。荷物が自走しないようにおんぼろなトランクをしっかり固定する。

 

各停留場でこまごまと停車するそのバスは、おおむね住宅街を走り、「霧島」「国分」など、名前だけ知っていた街を走った。それらの街は思いのほか都会で、蒲田にも似ていた。しかしよく考えれば、山や谷には街の名前が書いてあるわけではないので、文字として街の名前が認識できるというのは、都会を走っていることのあらわれなのかもしれない。

 

それにしても志布志

はじめて向かう志布志

上から読んでも下から読んでも志布志

誰かに伝えたい、わたしこれから志布志に行くのよ!って。

 

・・・そこで、なんとなく鹿児島にゆかりのある友人にメッセージを送り、文字のおしゃべりが始まった。

すぐに東京の話題になり、いま自分がいかに東京から離れた場所にいるかを実感した。

 
バスはカーブを曲がり続け、車窓が緑濃い風景になってきた。太陽光パネルの大群がみえてきた。すべてが同じ大きさ・同じ形の大量の太陽光パネルが平原に群れ立つ風景は、なんらかの畑のようであった。
 
 
バスは乗客を少しずつ降ろし、最後はわたしと男性客の2名になった。
 
風景はいま山のなか、都内に住む友人とのメールのキャッチボールを繰り返す、ガッコン、ガッコン、そのうち、ぜんぜん不快感はないのに突然胃が動き出し、ゲップが出てきた。
 
再び思い出す、自分は乗り物に酔いやすいのだということに・・・。
酔いやすい人はスマホをみてはいけない。
 
だが、もはや「気持ち悪さ」が足りないのだ。飛行機の中でも、バスの中でも、それほどに自分が乗り物に酔っていることに気づかなかったのは、気持ち悪いという感覚が少なかったせいだ。だからつい欲望のままに好きなことをしてしまう。自覚が起きないところが加齢であるのかもしれない。大丈夫、大丈夫と笑いながら、次の瞬間、嘔吐する・・・可能性。
 
うう。
 
山道を走るバスのなか、春を告げる日差しにつつまれるバス車内で、内臓から木漏れ日のように漏れ出すこの息は、吐息か、嘔吐の前兆か・・・。
あわてて荷物のなかからビニール袋を探して備えた。
自分がもはや自分のことを管理しきれず暴走する可能性を戒めの綱として、この旅への気持ちを引き締めた。

 

そして到着した志布志は、白さを感じさせる、明るい街であった。

 

ファースト志布志の体験は以前の記事に書いたので、そちらを参照されたい。

 

ekiin.hatenablog.com

 

さて、次は志布志から串間に行かねばならない。

本来であれば日南線で数駅の場所にあるのだが、以下のように日南線が不通となっており、志布志から福島今町までは代行タクシーで行かねばならない。

 

 

一度目の旅と違うのは、福島今町から串間の間は、日南線が復旧していたことである。よって、志布志から代行タクシーで福島今町までゆき、福島今町からは鉄道となる。串間まで(最後の一駅間であるが)鉄道で向かえることになり、テンションが上がる。

 

志布志で代行タクシーに乗り込んだ。バスというよりはワゴンのような小さめの車である。乗客はわたしのほかに2名だったが、そのうちの1名は首にタオルを巻いた男性であり、ほのかに汗の臭いが感じられた。

その方は、「まるちょんラーメンで食べてきたよ」と運転手に話しかけ、運転手も笑顔で返答していた。

 

・・・えっ、みんな顔馴染みなのかな?

・・・まるちょんラーメンというのは有名な店なのかな?

 

自然に話が弾む様子を伺いつつ、違う文化の人の輪の中にいるのだと思い知らされ、手荷物をぎゅっと握る。

あとで調べたら志布志はそれなりに楽しそうな飲食店がありそうなところ。
 
・・・よし、帰りには、志布志の素敵なカフェでランチをするぞ。
 
そう、決意する。
 

そして代行タクシーが「福島今町」駅に到着した。

 

 

駅名表示板などに古さが感じられ、全体的に古びた駅であったが、この駅に降り立ったとたん、胸が熱くなるような懐かしさを感じた。

幼き日の自分が来たことはあるだろうか・・・まだ国鉄だった、あの頃。

 

 

あとで調べたところによると、数年前の串間駅の1日の乗降者数は2桁らしい。

この時刻表をみて、「列車の本数、意外に多いじゃないか!」と思う自分がいた。

 

 

 「福島」は宮崎県串間市の地名である。

父の卒業高校はこの地の福島高校である。

いよいよ串間市に入ったようで、駅の看板に出迎えられる。

 

そして日南線に乗り込む。

珍しい黄色の車両である。トレードマーク(?)のイルカが夏を思わせた・・・いやいや、いまは、冬である、のに。

 

 

黄色にブルー、補色の組み合わせが、海のイメージを強めてくれる。

 

 

電車に乗れば、わずか1駅。わずか数分だが、串間まで鉄道で向かえる、ということがこんなに嬉しいとは思わなかった。

 

 

カメラを取り出し、車窓を録画しようと試みるが、がっこんがっこんと身体が揺れ、うまく撮影できない・・・そして、また酔いそうになる・・・ダメじゃないか・・・。

 

日南線の車窓風景は懐かしい日本の風景という印象であった。ほどなく家々やススキや木々の向こうに目的地が見えてきた。2度目の串間、もう懐かしい気分にすらなってきた。

 

<次は、クシマ、クシマ・・・>というアナウンスの「ク」が低いアクセントであることに気づく。

 

列車が静かに停車する。

 

 

「ああ、とうとう、また、来ましたよ。」 

 

何やら工事中の、低い建物ばかりの駅。出迎えは無い。誰に告げることもなく串間駅で降り立ち、カートを引きずりながら、冬なのに眩しい日差しの恩恵を髪に浴びる・・・

 

恩恵。

ギフト。

Gift。

 

わずか1駅間であっても、鉄道に乗れたこと。その喜びは、なにか、先祖からのギフトのような気がしてならなかった。それはなかなか気づかない。生きている人の有難味がなかなかわからないのと同じで、何もかも無くなってから初めて気づくGiftがある。

 

わたしは誰かに護られているのだ、と、気づく旅となった。

 

 

 

ーようこそ、末っ子ちゃん。ほらほら、鉄道だよ。ゴトンゴトンだよー

 

 

滞在中のことはまた別の機会に書くことにする。

 

 

さて帰りである。

行きとは逆に、串間から福島今町まで、鉄道で向か

う。志布志まで300円の切符を買って、日南線

待った。

 

都民ならば、電車が走ることは水や空気のように当たり前のように感じるであろう。
しかし、1度目の旅のときは、串間駅に向かう日南線が台風被害の影響で不通であった。
そして2度目の串間の旅。
鉄道に乗れることの有難味をかみしめる。

  「日南線も、いつまであるかわからないよな・・・。」

兄の言葉が思い出され、この風景を大事に目に焼き付けておこうと思う。

 

時刻表どおり、いかにも日南線らしい白地に青の車両が来る。

車内の自動放送のアナウンスは「この列車は志布志行き」と言っていたし、表示も「志布志ゆき」なのだが、上記のように不通区間があるので、この列車の終点は福島今町。

 

ずっと乗っていたかったが、すぐに「次は~終点、福島今町です」というアナウンスとともに吐き出される。

 
 
こうして日南線に乗れることが、とてもありがたいと思った。
みえない鉄道員が側にいてエスコートしてくれる幻想を抱く。
窓が開くのにも驚いた、わたしのほかには誰もいない車両に風が入る。
 
誰かが自分を護っている、わたしを、末っ子ちゃんを、喜ばせようと、誰か、大人が守護している、そう感じる旅だった。
 
・・・だが守護霊がいたとしても荷物を持ってくれるわけではないが・・・冗談だ、そんなことまで望むのはよそう・・・
 
こんな旅には背中を押す見えないちからが必要なのだ。
そして、それをたくさん感じたのだ、いや、くじけそうな旅だったので、それをむりやりに感じようとしたのだ。
 
2月なのに夏のような日差し。暖かくてほっとする。ありがとうみなさん。わたしは串間がとてもすきです。
 
 ◆

  

福島今町駅でワゴンのバスタクシーに乗り換える。例の壊れかけのおんぼろトランクをよいしょっと中に入れ、何分かの待ち時間のあと、黒い代行タクシーが出発した。

 

不通区間ゆえ開きっぱなしの踏切が悲しいが、これを書いている現在、この踏切はカンカンと音を立てながら規則正しく仕事をしていることだろう・・・。
 

ほとんど自家用車のようなノリで、親戚じゅうで出かける、とても楽しいドライブのようだ。

 

あっ、海だ!

 

お父さん、叔父さん、みて!

冬の海だ!

 

串間ー志布志は、海沿いの道を走る。

鉄道の車窓風景も良いのだが、クルマの車窓はさらに良い。地図で見ると、道路のほうが線路よりも海に近く、眺めも抜群だ。これもまた、先祖からのGiftであったのかもしれない。

 

 

そして、丘の上に観覧車がみえた・・・

 

・・・えっ、観覧車!?

ウソ・・・・どうしてこんなところに観覧車があるの!?(←失礼)

 

あとから調べたところによると、この丘の上に「ダグリ岬遊園地」というのがあるらしい。鹿児島の観光案内に「ダグリ岬遊園地」があるという旨が書いてあり、ああそうか、もう鹿児島県に入ったのかとわかった。

 
今日は楽しい遊園地。
 
観覧車を見上げて胸を膨らませる子供の顔が見える。
 
ぷるんぷるんとした丸顔、好奇心旺盛な黒い瞳、それは幼き日のわたしだ。
 
冒頭の写真は、時代的にダグリ岬遊園地ではないのだが、またそんなふうに楽しい思い出を作っている末っ子ちゃんが令和の今、いるのだろう。時代は巡りめぐって、古びたものは新しいものに置き換えられながら思いは次の世代へ継がれてゆく。ばらばらになった破片をつなぎ合わせ、片づけ、そうして自分は生きてゆくのだ。
 
やがて、「大隅夏井駅」が見えた。
 
 
撮影時は2月だが、夏の雰囲気すら漂わせる影の濃さ。国鉄の雰囲気を残すこの駅舎、鉄道が走っているときに、またこの駅を利用したいものだと思う・・・
 

「どうぞ、また来てね!」

 

はいっ!

また行きます、必ず・・・。

 

タクシーはすぐに志布志に到着した。運転手さんにありがとうを告げ、また降りる志布志

鹿児島空港ゆきのバスは、2時間後である。

 

駅前のこの広々した感じがとても良い。

 

2月なのになんという日差しの強さであろう。あまりにお天気がよいせいか、道路に寝そべっている若い男性がいた。

急病人・・・ではなく、志布志の空気を楽しんでいるかのように、寝そべって空を見上げている。

 

志布志ではそんなふうに路上に寝そべって空を楽しむことが許されているのかもしれない。いいな。

 

ところで、写真にあるわたしのカートはいっけん可愛いが、実は安物でボロボロ・・・前述のように取っ手が閉まらない。あちこち不調である。そんな荷物を引きずりながら、そういえば志布志には良さそうなカフェもあったのだと思い出し、イタリアンのお店があるようなので、そこに向かった。

 

イタリアントマト・Cafe Jr.や、auショップや、カレー屋さんがある商業ビルの横を通り過ぎた。

CDショップもあるんだ!妙に感動した。

 

 

てくてく、ゴロゴロ。あまり速く進めない。クルマは通るが人は少ない志布志の目抜き通り。

 

 

ソテツが茂る市役所もあった。

 

グーグルマップではイタリアンのお店がありそうなのだが、それらしいお店が見当たらず・・・。

 結局、イタリアントマト・Cafe Jr.に戻り、そこで昼食をいただくことにした。

Cafe Jr.は蒲田サンライズ商店街にもあり、志布志に来てまで利用するのは何か敗北のような気がしたが・・・広大な志布志の地、ほかに食事できそうなお店が見当たらないのであった。

 

ホットドッグとアイスティーをいただいた。

 

 
いつも通りのホットドッグは、とても美味しかった。
このカフェの入っている商業ビルにはさまざまな店舗があるようで、「占い」やら「ヤマハ音楽教室」やら「英語教室」などが混在していた。中央の広場のようなところではまるでフリマのように出店を出して何かを売っているがお客は少なく、従業員同士で楽しそうにトークを行っていた。
 
落ち着いて食事をすることができた。アイスティーの残りを氷ごと水筒に入れ、ホットドッグを半分残して弁当箱へ入れた。行きの道中はチーズケーキを入れていた弁当箱である。
 
食事を終え、トイレをすませ、濃い影と一緒にカートを引きながら駅に戻ったら、さきほど舗道の上で寝そべっていた若者が警察官に囲まれていた・・・
 
・・やはり志布志でも道に寝そべってはいけないようであった。
 
 
 
時刻表通りに、また大きな路線バスが来たので乗り込み、空港に向かう。
 
空港までの1時間50分間、トイレにも行けないのかぁと思うと緊張するが、ほどなく眠ってしまった。
バスは、ごとごとと、山をのぼったり下りたりした。途中の道で、錦江湾が近いことを感じさせる看板があり、目を凝らしてみたが錦江湾は見えなかった。
 
少し客が増えてきた。女性客が多い。
 

トイレが近いわたしは、この日、あまり水分補給をしないようにしていた。
だが、暑くなってきて、空港まであと40分程度になったので、水分を解禁することにし、さっき詰めたアイスティーを飲んだ。氷が入っていたのでとてもおいしかった。弁当箱に詰めたホットドッグの残りも食べた。
 
鹿児島というのは都会だなと思わされるが、とくに国分というところは都会っぽいんだなと感じた。
オシャレなホテルというか、まるでインターナショナル・カンファレンスでも出来そうな建物が見えた。スーツ姿の女性2名が乗り込んでくる、すらりとして、仕事が出来そうだ。その洗練ぶりに、空港が近いことを感じる。
 
滞りなく鹿児島空港に到着した。まだ時間に余裕がある。スマホを充電したくて、ロイヤルホストに入った。
 

 

なんかずっと食べてばかりいるようだが、前回のこともあるので、腹ごしらえをしておこうと思ってしまう。

 

この日は帰りもスカイマークであった。
 
前回のような遅延もなく、無事に帰宅できた。
 

 

その後、知ったことだが、なにやら工事中だった串間駅の駅舎は、新しく素敵な感じになったそうだ。

 

呼ばれている、串間に。

呼ばれている、串間に。

 

というわけで、三度目の旅も予定されている。こうご期待。

 

 

串間の滞在中は、いろいろと心を動かされることが多かった。

受け取るのはたぶん世界でわたしだけしかいないのだろうと思われるGiftを受け取った。

 

ひとの顔は前側についており、自分の背中を見ることはできない。だから、あとから知るのである、自分には尻尾があり、その尻尾はどこかに続いて、誰かにつながっているということに。きっと誰もが尻尾を持っており、その存在を信じられるとき、自分の小ささや透明さに気づき、小さく小さくなれるのだ、おりこうさんになれ、末っ子ちゃん。

 

 

そんなふうに心もじゅうぶん動かされたが、布団を捨てたりゴミを捨てたり、身体も動かされた旅だった。

 

東京に戻ってきてから、左手が少し痛むことに気づいた。串間で骨折でもしたのかと思ったが骨には異常なかった。腱鞘炎と診断された。

 

なかなか痛みがひかず、結局手術した記事はこちらである。

 

ekiin.hatenablog.com

 

・・・やっぱり、串間で力仕事をやったせいだと思うなぁ・・・。

 

これもGiftなのか!?

 

 

以上。

 

串間への二度目の旅の行き返りの記録、でした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

◆松岡宮からのお知らせ

 

 

新曲リリースされます!!

2023年6月18日

「水槽列車」

「いわき2019」

同時にサブスクリリースです。

 

ヤッター!!

 

「作曲・J.S.Bach」とか書いたサブスク申請がRejectされないでよかったなぁ・・・。

 

リリースしたら、サブスク環境の方は聴いてみてくださいね。

 

楽曲の説明と、サブスクへのリンクはこちらです。

 

big-up.style

 

big-up.style

 

よく考えたらどちらも鉄道の作品ですね。

 

なお以下のBandCampでは既に試聴できます。

いちど聴いてみてね。

 

miyamatsuoka.bandcamp.com

 

 

Amazonでも松岡宮のCDが買えるようになりました。

そこそこ売れているようでありがたいです。

お求めの皆さまありがとうございます。

LimitedExpress383

LimitedExpress383

  • アーティスト:松岡宮
  • Candy Recorder
Amazon

 

メロンブックスさんでもこちらのCDを販売しています。

 

メロンブックスさんってすごい品ぞろえですよね・・・ぜひチェックしてみてください。

 

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1859970

 

これからも素敵な作品を作り続けてまいりたいと思います。

おっぱいぷるんぷるん。

 

 

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

 

この続きはcodocで購入