串間市は、宮崎県の南端にある市である。
串間への一度目の旅は、こちらの記事に書いた。
この1回目の串間への旅は宮崎空港から行ったのだが、よく見ると串間は鹿児島空港と宮崎空港の双方から同じくらいの距離にあるように思え、鹿児島空港からも行けそうに思えた。
そして羽田からの航空費用を調べてみると、その季節は宮崎空港よりも鹿児島空港を使うほうが圧倒的に安かった。
驚くことに、羽田―鹿児島で片道6000円くらいのチケットがある。
そこで、二度目の串間への旅は行きも帰りも鹿児島空港を使うことにした。
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福岡に住んでいたころのわたしの写真が見つかった。九州のどこかの遊園地であろう。どこかはわからない。
観覧車がみえるが乗った記憶はなく、おそらく後ろにある芝生の傾斜を滑って遊んでいたに違いない。姉や、兄と、母と、父と、それからほかの写真には叔父が映っていた。
昭和47年(1972年)生まれのわたしが6歳ごろだと思われるので、1978年ごろか。
九州に住む、平凡な昭和の家庭の、末っ子ちゃんであった。
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ところで、短い新曲つくりました。おっぱいぷるんぷるん。
15秒くらいの、かわいい唄です。レッツクリック💛
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・・・もう 、そこには、誰もいない、のに。
・・・もう、そこには、誰もいない、から。
・・・何のために行くのだろう?とここを読んでいる方は思うかもしれない。しかしわたしもよくわからないのだ。ただ、それをしなくてはいけないと、思い込んでしまうのだ。自分の背中は見えず、歩んだ軌跡も見えず、理由も意義もあとからやってくるのだ。それを見つけにゆくのかもしれない。
早朝であるが、要塞のような京急蒲田に次々に列車が滑り込む。空港方面だけではなく、横浜方面、品川方面、うっかりすると千葉県まで運ばれてしまいそうだ。この日も間違って品川方面に乗ってしまいそうになり焦ったが、何台かやり過ごしやっと乗り込んだ空港線はとても混んでいた。
羽田空港にもすっかり慣れてしまった(のであまり写真がない)。空港の案内板をみると、自分が寝ている時間にもたくさんの空の便が行き交っていることに感銘をおぼえる。北ウィングから女満別、南ウィングから広島 福岡 そして徳島・・・わたしたちは行こうと思えば日本中のどこへも行けるのだ・・・ただそういう意識が無いだけなのだ。
小さな子供が眠って起きて育ってゆく間にどれほどの飛行機が空を交錯したことだろう。
人間は移動して生きてゆくいきものだ、船で、飛行機で、鉄道で、移動、移動、また、移動。
出会い、むつみあい、また別れ、だけど思い出の中であなたに会える、父の故郷で、なにかに出会える、そんな予感がする。
同じ鹿児島県内であるが、鹿児島空港から志布志に向かうまでの距離が長い。空港から志布志まで直通のバスがあり、9時40分発に乗ることができた。所要時間は1時間50分。
それは、エアポートリムジンと聞いて想像するようなバスではなく、普通の路線バスのような車体であった。乗客は少なく、空間が広い。荷物が自走しないようにおんぼろなトランクをしっかり固定する。
各停留場でこまごまと停車するそのバスは、おおむね住宅街を走り、「霧島」「国分」など、名前だけ知っていた街を走った。それらの街は思いのほか都会で、蒲田にも似ていた。しかしよく考えれば、山や谷には街の名前が書いてあるわけではないので、文字として街の名前が認識できるというのは、都会を走っていることのあらわれなのかもしれない。
それにしても志布志。
はじめて向かう志布志。
上から読んでも下から読んでも志布志。
誰かに伝えたい、わたしこれから志布志に行くのよ!って。
・・・そこで、なんとなく鹿児島にゆかりのある友人にメッセージを送り、文字のおしゃべりが始まった。
すぐに東京の話題になり、いま自分がいかに東京から離れた場所にいるかを実感した。
そして到着した志布志は、白さを感じさせる、明るい街であった。
ファースト志布志の体験は以前の記事に書いたので、そちらを参照されたい。
さて、次は志布志から串間に行かねばならない。
本来であれば日南線で数駅の場所にあるのだが、以下のように日南線が不通となっており、志布志から福島今町までは代行タクシーで行かねばならない。
一度目の旅と違うのは、福島今町から串間の間は、日南線が復旧していたことである。よって、志布志から代行タクシーで福島今町までゆき、福島今町からは鉄道となる。串間まで(最後の一駅間であるが)鉄道で向かえることになり、テンションが上がる。
志布志で代行タクシーに乗り込んだ。バスというよりはワゴンのような小さめの車である。乗客はわたしのほかに2名だったが、そのうちの1名は首にタオルを巻いた男性であり、ほのかに汗の臭いが感じられた。
その方は、「まるちょんラーメンで食べてきたよ」と運転手に話しかけ、運転手も笑顔で返答していた。
・・・えっ、みんな顔馴染みなのかな?
・・・まるちょんラーメンというのは有名な店なのかな?
自然に話が弾む様子を伺いつつ、違う文化の人の輪の中にいるのだと思い知らされ、手荷物をぎゅっと握る。
そして代行タクシーが「福島今町」駅に到着した。
駅名表示板などに古さが感じられ、全体的に古びた駅であったが、この駅に降り立ったとたん、胸が熱くなるような懐かしさを感じた。
幼き日の自分が来たことはあるだろうか・・・まだ国鉄だった、あの頃。
あとで調べたところによると、数年前の串間駅の1日の乗降者数は2桁らしい。
この時刻表をみて、「列車の本数、意外に多いじゃないか!」と思う自分がいた。
「福島」は宮崎県串間市の地名である。
父の卒業高校はこの地の福島高校である。
いよいよ串間市に入ったようで、駅の看板に出迎えられる。
そして日南線に乗り込む。
珍しい黄色の車両である。トレードマーク(?)のイルカが夏を思わせた・・・いやいや、いまは、冬である、のに。
黄色にブルー、補色の組み合わせが、海のイメージを強めてくれる。
電車に乗れば、わずか1駅。わずか数分だが、串間まで鉄道で向かえる、ということがこんなに嬉しいとは思わなかった。
カメラを取り出し、車窓を録画しようと試みるが、がっこんがっこんと身体が揺れ、うまく撮影できない・・・そして、また酔いそうになる・・・ダメじゃないか・・・。
日南線の車窓風景は懐かしい日本の風景という印象であった。ほどなく家々やススキや木々の向こうに目的地が見えてきた。2度目の串間、もう懐かしい気分にすらなってきた。
<次は、クシマ、クシマ・・・>というアナウンスの「ク」が低いアクセントであることに気づく。
列車が静かに停車する。
「ああ、とうとう、また、来ましたよ。」
何やら工事中の、低い建物ばかりの駅。出迎えは無い。誰に告げることもなく串間駅で降り立ち、カートを引きずりながら、冬なのに眩しい日差しの恩恵を髪に浴びる・・・
恩恵。
ギフト。
Gift。
わずか1駅間であっても、鉄道に乗れたこと。その喜びは、なにか、先祖からのギフトのような気がしてならなかった。それはなかなか気づかない。生きている人の有難味がなかなかわからないのと同じで、何もかも無くなってから初めて気づくGiftがある。
わたしは誰かに護られているのだ、と、気づく旅となった。
ーようこそ、末っ子ちゃん。ほらほら、鉄道だよ。ゴトンゴトンだよー
滞在中のことはまた別の機会に書くことにする。
◆
さて帰りである。
行きとは逆に、串間から福島今町まで、鉄道で向か
待った。
「日南線も、いつまであるかわからないよな・・・。」
兄の言葉が思い出され、この風景を大事に目に焼き付けておこうと思う。
時刻表どおり、いかにも日南線らしい白地に青の車両が来る。
車内の自動放送のアナウンスは「この列車は志布志行き」と言っていたし、表示も「志布志ゆき」なのだが、上記のように不通区間があるので、この列車の終点は福島今町。
ずっと乗っていたかったが、すぐに「次は~終点、福島今町です」というアナウンスとともに吐き出される。
福島今町駅でワゴンのバスタクシーに乗り換える。例の壊れかけのおんぼろトランクをよいしょっと中に入れ、何分かの待ち時間のあと、黒い代行タクシーが出発した。
ほとんど自家用車のようなノリで、親戚じゅうで出かける、とても楽しいドライブのようだ。
あっ、海だ!
お父さん、叔父さん、みて!
冬の海だ!
串間ー志布志は、海沿いの道を走る。
鉄道の車窓風景も良いのだが、クルマの車窓はさらに良い。地図で見ると、道路のほうが線路よりも海に近く、眺めも抜群だ。これもまた、先祖からのGiftであったのかもしれない。
そして、丘の上に観覧車がみえた・・・
・・・えっ、観覧車!?
ウソ・・・・どうしてこんなところに観覧車があるの!?(←失礼)
あとから調べたところによると、この丘の上に「ダグリ岬遊園地」というのがあるらしい。鹿児島の観光案内に「ダグリ岬遊園地」があるという旨が書いてあり、ああそうか、もう鹿児島県に入ったのかとわかった。
「どうぞ、また来てね!」
はいっ!
また行きます、必ず・・・。
鹿児島空港ゆきのバスは、2時間後である。
駅前のこの広々した感じがとても良い。
2月なのになんという日差しの強さであろう。あまりにお天気がよいせいか、道路に寝そべっている若い男性がいた。
急病人・・・ではなく、志布志の空気を楽しんでいるかのように、寝そべって空を見上げている。
志布志ではそんなふうに路上に寝そべって空を楽しむことが許されているのかもしれない。いいな。
ところで、写真にあるわたしのカートはいっけん可愛いが、実は安物でボロボロ・・・前述のように取っ手が閉まらない。あちこち不調である。そんな荷物を引きずりながら、そういえば志布志には良さそうなカフェもあったのだと思い出し、イタリアンのお店があるようなので、そこに向かった。
イタリアントマト・Cafe Jr.や、auショップや、カレー屋さんがある商業ビルの横を通り過ぎた。
CDショップもあるんだ!妙に感動した。
てくてく、ゴロゴロ。あまり速く進めない。クルマは通るが人は少ない志布志の目抜き通り。
ソテツが茂る市役所もあった。
グーグルマップではイタリアンのお店がありそうなのだが、それらしいお店が見当たらず・・・。
結局、イタリアントマト・Cafe Jr.に戻り、そこで昼食をいただくことにした。
Cafe Jr.は蒲田サンライズ商店街にもあり、志布志に来てまで利用するのは何か敗北のような気がしたが・・・広大な志布志の地、ほかに食事できそうなお店が見当たらないのであった。
ホットドッグとアイスティーをいただいた。
なんかずっと食べてばかりいるようだが、前回のこともあるので、腹ごしらえをしておこうと思ってしまう。
その後、知ったことだが、なにやら工事中だった串間駅の駅舎は、新しく素敵な感じになったそうだ。
呼ばれている、串間に。
呼ばれている、串間に。
というわけで、三度目の旅も予定されている。こうご期待。
◆
串間の滞在中は、いろいろと心を動かされることが多かった。
受け取るのはたぶん世界でわたしだけしかいないのだろうと思われるGiftを受け取った。
ひとの顔は前側についており、自分の背中を見ることはできない。だから、あとから知るのである、自分には尻尾があり、その尻尾はどこかに続いて、誰かにつながっているということに。きっと誰もが尻尾を持っており、その存在を信じられるとき、自分の小ささや透明さに気づき、小さく小さくなれるのだ、おりこうさんになれ、末っ子ちゃん。
◆
そんなふうに心もじゅうぶん動かされたが、布団を捨てたりゴミを捨てたり、身体も動かされた旅だった。
東京に戻ってきてから、左手が少し痛むことに気づいた。串間で骨折でもしたのかと思ったが骨には異常なかった。腱鞘炎と診断された。
なかなか痛みがひかず、結局手術した記事はこちらである。
・・・やっぱり、串間で力仕事をやったせいだと思うなぁ・・・。
これもGiftなのか!?
◆
以上。
串間への二度目の旅の行き返りの記録、でした。
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◆松岡宮からのお知らせ
新曲リリースされます!!
2023年6月18日
「水槽列車」
「いわき2019」
同時にサブスクリリースです。
ヤッター!!
「作曲・J.S.Bach」とか書いたサブスク申請がRejectされないでよかったなぁ・・・。
リリースしたら、サブスク環境の方は聴いてみてくださいね。
楽曲の説明と、サブスクへのリンクはこちらです。
よく考えたらどちらも鉄道の作品ですね。
なお以下のBandCampでは既に試聴できます。
いちど聴いてみてね。
◆
Amazonでも松岡宮のCDが買えるようになりました。
そこそこ売れているようでありがたいです。
お求めの皆さまありがとうございます。
メロンブックスさんでもこちらのCDを販売しています。
メロンブックスさんってすごい品ぞろえですよね・・・ぜひチェックしてみてください。
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1859970
これからも素敵な作品を作り続けてまいりたいと思います。
おっぱいぷるんぷるん。
記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。