三行でまとめると・・・
●ドケルバン病の手術は2時間ほどの日帰り手術で痛くなかった。
●手術で痛みが取れた
●費用は保険がきいて1万円弱の支払いだった。
スタジオ練習する患者(女性/50代)。
2月の上旬、左手首が痛むことに気づいた。
何もしなければ痛まないが、立ち上がるときに左手に力を入れると、「イテッ」という感じ。見た目にはほとんど変わったところはみられない。特別な動作をしなければ痛むこともないし、それほど大きな痛みでもないので、しばらくそのままにしておいた。
しかしその痛みはじわじわと存在感を増大させ、放置できない痛みへと成長していった。
いてて。
いてて。
四谷でからあげ。
◆
ところで、コロナ禍以降、楽器をちゃんとやりたいと思い、少しずつ練習を続けている。とくにピアノを頑張っている。
憧れのピアノ。習っていたのにやめてしまったピアノ。ピアノを真面目に練習すれば、夢の弾き語りができるかもしれない、「あなーたー、あなーたー、あなたがーいてほしい・・・」と歌えるかもしれない・・・(例が昭和である:小坂明子「あなた」)。
いわゆる「リスキリング」と呼んで良いのだろうか?
わたしにとって新たに身につけたいスキルのひとつが、楽器演奏であった。
そう・・・実は小学生の頃、少しだけピアノを習っていたことがあった。
この間、クリーガーのメヌエットを弾いたとき、「あ、この曲は弾いたことがある」と思い出した・・・宇宙の星々がきらめいてみえるような曲で、大好きだった。
「ピアノの森」という漫画にもはまった。カイ、雨宮、誉子お嬢様の弾く漫画からはキラキラした音が聴こえるようだった。ピアノって素敵だなぁと思った。自分のMIDI打ち込み製作でもピアノを活かした作品を作れるようになってきた。演奏という点でも、このところやっと楽譜をみながら何曲か弾ける曲も出てきてレパートリーが増えてきた。
やっとピアノが楽しくなってきた。
しかし、2月以降は左手が痛んで練習できない状態が続いた。
右利きの自分にとって酷使しているのは右手だと思うのだが、いつも不調になるのは左側だ。なぜかいつも思い通りにならないのは左側なのだ。
そして痛みはその後もだんだん悪化し、とうとう生活に支障が出てきた。親指は痛くて指を広げられない状態であり、左手で鞄を持つことや、パスケースに保険証を入れるなどの動作がつらくなってきた。いちばん症状が重いときは左手で自転車のブレーキをかけることが出来なかった。よって自転車乗車時は右手のみでブレーキをかけることとなった(←乗るなや・笑)。
あまり病院好きではないが、しかたなく近所の整形外科クリニックに行った。
そのクリニックはリハビリ室も併設されており、さながらスポーツジムのようだった。待合室には高齢者の姿が目立った。杖をついた高齢者が来ては常連のような挨拶を交わし、リハビリの人に大きな声で名前を呼ばれて去ってゆく。皺深い女性の高齢者は他者とつながるためのへこみとでっぱりを持っているようで、だれかれともなく話しかけ、つながってゆく。とても賑やかな待合室。
一方、高齢ではない人も待合室にはおり、そんな若年層のほうがみるからに腰が痛そうだったり、苦悶の表情を浮かべていたり、病人という雰囲気を醸し出していた。そしてわたしもままならぬ左手をぶらさげて、タブレットで本など読みながら診察を待っていた。
いくぶん時間がたったあと、名前を呼ばれた。そして、触診のあと両手のレントゲンを撮られた。患部は左手だが比較のために右手もあわせて撮られた。レントゲンを撮るときは、なんとなく習慣で息を吸ってしまう。
そして自分の両手の画像を見ながら、診察の続きが行われた。
骨は何ともなかった。ただ骨の周囲をみると左手のほうが膨らんでおり、骨折はないが腫れていることはわたしにも見て取れた。
診断名は「腱鞘炎(ドケルバン病)」。
帰宅して「ドケルバン病」を調べると、「女性ホルモンの低下する更年期の女性に多い」とのことで、いかにも自分にあてはまった。わたしは更年期どんぴしゃの世代である。しかし、今のところあまり友人で腱鞘炎になったという話はきかない。今度の同窓会で聞いてみようと思う。
自分は閉経がとても早かった。
もしかしたら老化が早いほうなのか?
精神は若いつもりでいても、身体は加齢が進んでいるであろう。そういえば認知機能の衰えも感じる。例えば抑制なく勘違いをしたまま先走ってしまったり、あるいは動作に慎重さが欠け、階段で転んだり、コーヒーをこぼしたり、行き先を確認せずに出かけて失敗することもあった・・・そんな失敗が増えたような気もするが、昔からうっかり者だった気もする。うっかり者がますますうっかりの度合いを強めているのか・・・?
以下の写真は10年前の自分の脳。
扁桃体の左右差を指摘されるとともに「年齢相応の萎縮」と書かれ、がっかりしたものだ。この時からさらに脳も委縮しているに違いない。
もはや何もしてないのに痛む左手首をさすりながら、創作活動というか創作行為を続けてゆくことの物理的な難しさを実感するのであった。
◆
一回目の診察ではギブス(?)を作っていただき、なるべく左手を動かさないように、とのことだった。
ギブスで固定されて包帯でぐるぐる巻きにされた左手をみて、正直、大げさだな・・・と思った。
確かに痛くてあまり仕事をする気も起きないが、そのギブスを外すといくぶん仕事がはかどることに気づき、ギブスを外して、イテテ・イテテと叫びながらどんどん仕事をしてしまった。そしてやはり改善することはなかった。先生ごめんなさい。
そういえば手芸で猫手を作ったのを思い出した。
にゃあ。
これを左手にはめると、さすがにその手を酷使しないので、それなりに良かった。
しかし絵面が面白すぎて仕事にならぬ。
この猫手で出かけるわけにいかないしにゃあ・・・。
痛いけれど見た目はなんともない腕です。
2回目の診察で、安静にしてもあまり痛みが改善しない旨を告げると、注射をされた。
注射をされたあとは少し痛みが和らいだ、おお。
嬉しくなって仕事をした。
そしてピアノを・・・と思って試しに弾いてみたが、やっぱりピアノは難しい状態だった。
注射して、そのまま痛みが引くかと思ったが、そんなことはなく、注射から1週間くらいたつと、また鋭い痛みがぶり返してきた。
◆
左手に不安を抱えつつ、クロコダイルのライブ、がんばった。
誕生日だった。
ゆらゆら溶け出すろうそくが短くなっているのが見えて不安だったが、舞台に上がれば作品の世界が自分をどこかに連れて行き、もう自分の心身が自分のものじゃないみたいだった。もちろん痛みなどは感じなかった。
その時の記事はこちら・・・。
ふぅ。
ライブとは傷を広げるだけのものだけれど・・・
楽しかったね、自分・・・・。
その場にいらした皆さんには喜んでいただけたようで、後述するYoutube番組参加につながった。
◆
またそんな折、仲良くしてもらっているniroさんのライブがあるというので碑文谷のAPIA40に行った。
APIA40はとても良いお店である。店長やスタッフさん、真理さん、高井つよしさんなどに逢えてよかったし、ライブもムーディーかつフレッシュだった。
白黒ドレスの不思議な衣装のniroさんは淡々と歌いつつお客さんを吸い込む余白みたいなものがあって、楽しいライブ、堪能した。
それは、まだまだ左手が痛い時期だった。ピアノの真理さんに、腱鞘炎について知っていることをおたずねしたら、「痛いときは動かさないほうがいいといいますね」と教えてくれた。
また、整体で全身を整えてもらうのも良いと教えてくれた。ありがたや。
・・・やっぱり、動かさないほうが良いのか・・・。
・・・無理やり動かしたら、いつの間にか治るとか、そんなことは・・・ないのか。
◆
ところで、「腱鞘炎」というと、わたしにとっては「ピアノの森」の「誉子」が浮かぶ・・・。絵を描いてみた。
本物のピアニストになるため、治療することを選んだ、誉子お嬢さま。
一方、わたしなんて、ピアノは初心者で始めたばかりなのに腱鞘炎になってしまって・・・レベルはまったく違うが、こんな痛みがあったらピアノ弾くのは難しいよねぇと思ってしまう。こんなにちょっとの動きで痛んでしまうなんて・・・。ものごとを始めるのに年齢は関係ないと思ってきたが、やっぱり早い時期に始めるに越したことは無い・・・。そして更年期になって創作行為を続けてゆくのって、実は、大変なのだと気づく。
注射でも完治しない、ぶり返す痛み。
ネットで「ドケルバン病」などで検索し、あれこれ学ぶ。
そして決めた。
「手術する!
ちゃんと治す!
いい仕事したい!
いい曲を書きたい!」
そう、1度目の注射が効かなかった時点で、手術に心が動いていた。
なので、3回目にクリニックに行ったとき、手術しますか?ときかれ、手術します!と即答した。
手術はクリニックでは出来ないとのことで、病院への紹介状を書いてもらった。たまたま近所に手の専門医がいるとのことで、手術を前提に、病院に向かう。
◆
その病院の名は、目蒲病院。
以下の、「めかま、めかま、めかま病院~♪」という曲を書いたのは、手術を考えていたころのこと・・・。
こんなふざけた歌を作って、やっぱり少し不安があったのかもしれない
◆
はじめて診察に行ったとき、かなり待ち時間が長かった。
さすがは病院だと思いつつ、待ち時間はタブレットに入れた「ブラックジャック英語版」を読み、わからない単語はスマホで単語帳に入れたりした。
この数時間の「ブラックジャック英語版」読書で、実はあまり得意でなかった「英語のリーディング」が上達した気がした。
こういう、拘束されている時間は、こういった「いつかはやらねば」と思っていた学習がはかどる。だからときには何か拘束されることがよさそうに思った。
最初の病院の診察で「手術します!もちろん。」と宣言をした
ので、早くもつぎの週に手術となった。
・・本日はお日柄もよく・・・
オペを行う日は、春らしくよく晴れた日であった。
病院まで向かう背の高い並木道が、若葉の黄緑で空に鮮やかな春の線を描く。
日帰り手術ではあるが、少しドキドキしつつ、この痛みが治りますようにと願いつつ、病院に向かった。
◆
さすがに手術は時間どおりで待たされなかった。
看護師に呼ばれ、控室のようなところで指示されたとおり、服の上下を着替えた。下半身なんて関係ないのに上下パジャマのような服装になり、手術というのはやっぱり大変なことなんだなあと実感が湧いてくる。
手術室の台は高く、足の短いわたしは踏み台を使ってよいしょっと上にあがった。上方に巨大な明かりがあって、さっき漫画のブラックジャックで観たライトだなぁと実感がわく。これから刻まれる予定の左腕をまな板に投げ出し、患部ではない右腕には血圧計が巻かれた。これは身体を縛られているも同然で、ああ、動けないんだなぁと思うと、なぜか笑いを止められない自分がいた・・・。
たとえば、手術室に入るスタッフはみなキャップで髪を隠しているが、<手術室の人はみんなシャワーキャップかぶってるね温泉地のようだねアハハ・・・>とか、自分のなかで自分が冗談を言うのが止められず、その冗談でつい口元が緩んでしまう・・・笑いを隠すのは難しいというが、これから手術だというのにニヤニヤして変な患者である。遠くにスタッフの男女の雑談が聴こえ、やけに仲がよさそうだなと思って、また、にやりとしてしまう・・・いかんいかん。笑いは不安の裏返しだ。
それから自分を覆い隠すように青いシートがかぶせられ、「目隠ししますね」と言われた。さすがに手術の様子は基本的に見えないようにするらしい。患部が見えないためか、言葉の案内が丁寧になる。「左腕をこれから麻酔しますよ」とか「これから消毒しますよ」 など進行が説明される。「麻酔しますね、ちょっとちくっとしますね」と言われた注射はほとんど痛みもなく、そして麻酔のおかげで手術の痛みもなかった。執刀医が「コリコリ」「サクサク」と何かをしているのは感じた。
血液を止めて手術をするとのことで、手術中は左肩に血流を止めるためのバンドがあり、ぎゅっと締められる感触が届く。
数分たった頃だろうか。「大事なところは終わりました。見てみたいですか?」と聞かれた。
「はい」と答えると、目隠しのシートが剥がされ、まさに手術中の自分の左手首が、まるで「本日の板前のおすすめ握りセット」のように、目の前にそっと運ばれた。
目の前に現れた自分の左手には、思いのほか深い穴が掘られていた。
その穴のなかにまるで送電ケーブルのように白いヒモが通っており、医師がその白いヒモを示しながら、これが腱だと説明した。
あ、このヒモ、なんか見覚えがある。
それはまさに、ささみの中にあるアレであった。
そう、ささみの白いアレ。
そうか、ささみの白いアレは、腱だったのか・・・と思ったらささみの白い筋は「神経」なのだそうで、腱とは違うそうです(修正。)
しかし、わが腕のなかに走っているものは、これによく似ている。
医師はその白いヒモを支えながら、「親指を動かすと腱も動きますよ」と言った。親指を動かしてみると、ぎこちないながらも親指がちゃんと動くので、そして確かに例の痛みも無いのでほっとした。
また「(患部内に)けっこうゴミがあった」と医師が言うので、「ゴミって何ですか?」と聞くと、 何か返事をしてくれた。あまり正確に覚えていないのだが、動かしにくい状態が続くとさらに何か不要物がたまっていくのかなと、そんな感じで理解したが・・・・長く生きているとそのぶん老廃物が蓄積するということなのかもしれない・・・。
それから縫合に入った。縫合の方が時間がかかっているような印象であった。やがてパチンパチンと音がして縫合も終わり、わたしの左腕には包帯がぐるぐると巻かれた。
思ったよりもすぐに、ベッドから起き上がり、隣の部屋に入って着替えてくださいと言われた。痛みは全くなかったが、血流を止めていた左腕に血液が戻り、正座のあとのようなしびれが長く続いた。
その日の手術でわたしが払った費用は1万円弱だった。
オペ直後の腕、まだしびれてる・・・。
手術後。大げさな感じだけど、もう痛くないぞ。
親指はむしろ使いましょうと言われたが、お風呂などで濡らすのはNGと言われたので、手術した日はお風呂に入らなかった。
2日目は左腕をビニールで覆い、かなり厳格に包みこみ、濡らさないようにお風呂に入った。右腕だけで髪を洗ったりするのが大変だった。
3日目に術後の診察があり、やっと包帯が外された。
オペ後に巻いた包帯を次の診察で外し、患部はN字に切ったのだとこの日はじめて知った。また、下の方の赤い筋は内出血だそうで、こんなに派手に内出血するのかとびっくりした。
そして、包帯がいくぶん小さくなった。
ネットで、防水で傷のなおりがよくなる絆創膏があると知り、「ケアリーブ 治す力」を買ってきた。
手術から3日目以降はこの絆創膏を張り付け、お風呂でも体を洗えるようになったが・・・のちの診察でこの絆創膏はこの傷には良くないと医師に言われた・・・。
それなら、ガーゼのある普通の絆創膏のほうがマシ、と言われました・・・参考まで・・・。
一週間後。もう普通の生活が過ごせている。内出血も薄らいできた。
以下は追記。
手術から10日後。抜糸前。
縫い方が想像と違う・・・黒いのは糸の結び目、5~6か所あり、あたかも昆虫の触覚のようだ!
痛みなどはほとんどない。
◆
動きに関しては、ほとんどOKである。いちばんきつい動きをすると、ちょっとだけ痛むが、日常生活は何の支障もない。ピアノに関しても支障なく弾けるのがうれしい。
そして、気づいたことがある。
数週間休んでいたのに、ピアノが上達している気がする。
これが学習心理学でいうところの、間欠学習なのかもしれない。休むことはただの無ではない、休むことで、より一層のスキルの獲得が可能になるという・・・
クリーガーのメヌエットを弾くと、小さな部屋が銀河に包まれていった。嬉しくなった。
どこか不調なとき、外科手術という手段はなんか大胆すぎる気がして、薬や食べ物や体操、投薬、運動などで治れば良いなぁと思ってしまうが、やっぱり外科手術というのはすごい技術なのだなと改めて気づく。
待合室で読んだブラックジャックのスゴ技を思い出し、医学への敬意が自然と湧いて来た。
◆
はしゃぐ患者(女性/50代)
これを書いている時点で、手術から9日後であり、抜糸もこれからなのであるが、今のところ手術をしてほんとうによかった。
何より痛みが取れた。
そして手術はそれほど痛くはなかったし、すぐに日常生活を営むことができた。
暑すぎず寒すぎない季節に手術したのも良かったと思うし、早く決断したので新学期の仕事に障ることもなかったのが良かった。
手術をしないままであったら、仕事中でも痛い痛いと言っていたであろう。
手術を受けられるのもいろんな条件に恵まれてのことである。
国民皆保険の日本、近所の専門医、家族の家事の協力。さまざまな幸運に感謝しなくてはいけない。
痛む左手首をさすりながら、創作活動というか創作行為を続けてゆくことの物理的な難しさを実感したあの日。その痛みが無くなったという喜び。
せっかく手術をしたので、もっともっとよい作品を書きつづけよう!
そう決意する春であった。
手術記、おわり。
◆松岡宮からのお知らせ
●5月21日(日)ビックサイトで行われる「デザインフェスタ」
パフォーマンスエリアにて17時前後にライブ出演いたします。
5作品/15分の濃い舞台、自分でも楽しみです。
松岡にライブ出演を依頼をされる方は、まずライブを御覧くださいませ・・・
よろしくね☆彡
●Youtubeチャンネル「きやんのCAT TV」に出演予定です。
お誕生日にクロコダイルで演じた「シャープペンシルの芯」を改めて取り上げてくださるようで、有難いです。
またお知らせします。
「シャープペンシルの芯」は松岡の人気作。
こちらに収録されています☆彡
●松岡宮のグッズの多くは以下BASEで購入できますが、このたびなぜかハンドメイド帽子を入荷しました、というか作りました・・・。
手芸品を増やしてゆきたいと思います、あまり上手ではありませんが・・・・。
なお、好評の「東京フリマ日記」の冊子版は、上のBASEでは売り切れとなっていますが、以下の「タコシェ」さんのサイトではまだ販売しているようです。
もう残り少ない冊子版をGETしたい方は、タコシェさんの通販などをご利用ください。
すてきな春を楽しみましょう!
記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。