駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮が描く東京の風景たち◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆

作品「早く死んでしまえばいいのに」

 

自分が医学部保健学科という学科に行ったのは、理学部数学科にゆけなかったからである。
 
もともと何もやりたいことがなく、「こういう仕事に就きたい」という思いもなかった。親指と人差し指で作った四角形のなかで、日々やることをこなして生きるだけ。籠の中で、若く丈夫な肉体と、赤黒いエネルギーや欲望の松明を持て余しながら、ひたすら小田急線に乗っていた。
 
相模大野を出た急行電車は3駅を飛ばし、なかなか停車しない。
 
わずかに残った細い理性が、「よくわからないけど、自分、教師になったら?」というので、数学教師になろうかと思いつき、数学科を希望した。しかし当然の結果として数学科にはゆけず、第2希望の保健学科に行くことになった。

 

小田急の座間の手前で突然風景がひらける場所があり、窓の外にみえる桜が綺麗だった。

 

若いころ、あまりも社会を知らなかった。ソーシャルワークも福祉も知らなかった。自分のせいばかりではないだろう。両親からも、小中高(公立中ー桐蔭学園)においても、社会福祉の理念や実践を教えられることはなかった。

 
世間知らずで頼りない自分は、友人や先生から支えをいただく、ばかりだった、今になればそう思うのに、守られている実感もなかった。

 

桜の花びらが青空を隠し、未来を急き立てる。 だが両手の親指と人差し指で作った四角形のなかに生きている自分は、そこからフレームアウトする世界のことなど知る由もない。

 

不自由だなっと、籠の中。

詩を書こう。それしかできない。

 

 

I shook free and nodded at Burt. "I'm sick and tired of people making fun of me. That's all. Maybe before I didn't know any better, but now I do, and I don't like it."

 

僕は(二―マー教授の)手を振りほどき、バートのほうを顎でしゃくった。

「気分が悪い。人から笑いものにされるのはこりごり、それがすべてだ。以前はわからなかったけど、今はそれがわかるし、そうされるのは好きじゃない。」

 

ダニエル・キイス「Flowers for Algernon」(講談社)、松岡訳、p62)

  

大学に入っても点数取りの競争時代、暖かく支えあう空気を感じなかった。どこにも所属できない感じ、支えのない雰囲気、友達も少なく、(点数を取るための)シケプリも手に入らず、あいかわらず不安な20歳前後を過ごした。

 

就職への支援もない。国や学校や友人の助けなど得られない。それは当たり前。自分のことは自分に責任があり、自分が生きるためには相応の努力をせねばならぬ。

「目指すべきは、誰にも頼らない、自立した人間だ。」

うむ。がんばろ。

 

そして進んだ保健学科は何するところ?
わからないまま福祉の授業。
当時はICIDHモデルのころ、障害には3種類あるということを学ぶ。
 
ーインペアメント・ディスアビリティ・ハンディキャップー
 
それらを四角で囲んだあと、3つの四角のあいだに右矢印をふたつ。
 
 
ーそう、社会の側に障害があるのですー
 
(ZZZ・・・)
 
シャープペンシルでノートに描くのはただの記号。
単位を取るための暗記の対象。
障害者になじみのない自分には「障害者の身体の外の社会に障害がある」
ということが よくわからない・・・(ね、眠気が・・・)
 
どうやら自分はものを知らない。
「わかってない」ことがわかってきた
 
やりたいことなんてなかった。ペンを持って紙に詩を書いた。自己憐憫と被害者意識に満ちた悲しい詩、あるいは、上っ面な詩ばかり。すぐにくだらない詩ばかりを書いてしまう性格、指ばかり動いて、それってなんて悲しいことだろう。すぐに恥ずかしい文字を書いてしまうこの指、この手が、憎らしい。
 
すぐ眠くなるから混雑した小田急のドアのガラスに頭をゴッチン
膝がカクーン・・・
 
・・・あ、恥ずかしい。
 
・・・それにしても、通学、遠いなぁ・・・。
 
何処に運ばれてゆくのやら。
車掌が見張る、籠の中。
 

 

医師になるための学科ではないが教授は必ず医師であるという、その大きな枠組みに疑いをおぼえるのはまだ先のことで、壊れかけた灰色の三号館、バリアフリーですらなかった保健学科の三号館、車いすの友達はいなかったがいないことにも気づかなかった、自分はとても不幸だと思って詩を書くだけの、あの頃。
 
キャンパスにぽつんと群れない桜の木があり満開の花を咲かせた。
三号館のとなりには綺麗なレンガの動物実験等がそびえ立っていた。
白いマウスを一人1匹ずつあてがわれ、殺し方を教わって実践したこともあった・・・
 
・・・この指で、白く細い首を、ぽきっと外した。
 
だから自分の手は汚れていると感じる。
 
謝りたい。
 
The constant juxtaposition of "Algernon and Charlie," and "Charlie and Algernon," made it clear that they thought of both of us as a couple of experimental animals who had no existence outside the laboratory.
 
「アルジャーノンとチャーリー」
「チャーリーとアルジャーノン」
つねに並列に記されることから、僕らを実験室の外では存在していないも同然の1組の実験動物だと思っていることが明らかである。
 
ダニエル・キイス「Flowers for Algernon」松岡訳,p159,)

 

 

 

ー障害という概念が挟まれると判断を誤りやすいー
 
けして福祉的な環境ではない家庭でボケっと生きていたわたしが保健学科で「障害」を学ぶ。
教科書に書いてあることや板書されたことを学ぶ。
たくさん読み、たくさん書くことで、学ぶ。
その、印刷された文字で語られた内容を、単位を取るための単語や考え方を、自分の障害者に対する思考の枠組みとして、セットして、桜咲く卒業の頃、よし、一人前の、保健学士だ。
 
ーその概念を前にして 無心に接することが 難しいー
 
障害者。
その言葉はあまりにも人口に膾炙し 工業製品のように流通し用いられ ある種の価値観とともに浸透し その言葉を大きな文脈で用いることでそのシャワーを浴びた人の行動すらも変容させる。
 
「ああ、そのことなら知っている。」と即断してしまうことで閉ざされる扉。
 
なぜ、目がその言葉に引き寄せられてしまうのだろう。
そして、人つきあいの判断を誤らせてしまうのだろう。

 

障害者、よく誤った。

障害者、謝りたい。

文字や文章を書くのが得意で知識を詰め込んだだけの人間たちのことをみんなが高学歴だといい、ものをよく知っているといい、先生と呼ぶ。なんでも知っている人のように扱う。

だけどわたしは馬鹿だった。

 

ああ、バカだった。

 

ただ、無心に出会えばよかっただけだ。

 

I’m a human being, a person-with parents and memories and a history- and I was before you ever wheeled me into that operating room !

 

僕は人間だ、両親がいて、記憶も来歴もあってーそして、それは以前からそうなのだ、教授が手術室に僕を運ぶその前から!にんげんだった。

 

ダニエル・キイス「Flowers for Algernon」松岡訳,p160)

 

 

あれから時は過ぎ、わたしはポエトリーアーティストとして作品を書きながら、国家資格をいくつか得て、福祉を教える人となった。

 

・・・WHOによる障害のモデルが、ICIDHモデルからICFモデルになったのですが、どこが違うかわかりますか?

・・・そう、矢印が両方に向いていて、周りにいろいろな要因がちりばめられていますね・・・。

障害をみるとき、その方の外にある、社会にある障害にも、目を向ける必要が・・・

 

・・・なんて、今日も、偉そうに!

 

 

そしてたくさんの障害者に出会ってきた。

 

うまく接することが出来なかった反省が残る・・・

 

いや、「うまく接する?」

そんな言葉もおかしいのだ。

 

ただ、無心に出会えばよかっただけだ。(2度目)

誰に対するものと同じような配慮を もってー

 

 

そして、わたしより少し若い、社会福祉士の宮城永久子さんという方と出会った。

脳性麻痺をお持ちの方で、車いすはピンク。

髪がサラサラ、うらやましい。

 

気さくな方で仲良くしていただいた。

 

エテルナ舎から2冊の著書を出されているが、特に「ピンクの車いすを街の風景に」のピアサポートの項はとても参考になり、自分の講義にも使わせていただいている。

 

eteruna.thebase.in

 

本のなかで印象に残ったのは・・・

 

障害者である自分がマッサージに行くのは、「筋トレ・リハビリのため」じゃない、「美容のため。プロポーションが気になるから・・・悪あがき」

 

という旨の言葉・・・

 

そうなのだ、「障害はその人に対する判断を誤らせる」。

 

知性にあふれる方だが、わたしは脳性麻痺の方と接した経験がほとんどなかったので、紙を持てないこと、ペンを持って字を書くことは出来ないことを知り、驚いてしまった。

専門職として知性と経験の豊かな方が、そんな日常的な行為が難しいのだということを、情けないことに、はじめて実感として感じたのであった。

 

ペンを持って字を書くことが難しい方を目の当たりにして思う。もっと、早く出会っていれば、出会おうとすれば、良かった・・・親指と人差し指で作った四角形のなかに閉じこもっていた あのころに・・・。

 

そして、ペンを持って文字を綴ることができるのは当たり前のことではないことや、文字を綴るのは鉛筆やペンだけではないことを知ることが出来ればよかった・・・。

 

「目指すべきは、誰にも頼らない、自立した人間だ・・・

 

なんてことはないと 気づけばよかった。

 

 

>この障害はもはや治るものではないし・・・。障害を治すために時間と労力と生涯を費やす時代は、もう終わったのです。

 

>私にとって「一人で頑張らない」ことは、とても大事なことなのです。

 

宮城永久子「ピンクの車いすを街の風景に」エテルナ舎。

 

 

 

そんな永久子さんが、Youtube「とわちゃんねる ピンクのお部屋」というチャンネルを開始した。障害がある方の日常を伝えようと頑張っている。

 

www.youtube.com

 

そして、「松岡さんのアーティストとしての面に興味があります」と言っていただき、「とわちゃんねる」にお招きいただいた。

 

そのときに「せっかくなのでコラボしましょう」と言っていただき、永久子さんの詩にわたしが曲をつけて一緒に歌うことになった。

 

その作品が「早く死んでしまえばいのに」。

 

ライブ動画はこのブログでも少し前の記事で紹介しましたが、改めて高音質でレコーディングしてみましたので、聴いて下さい♪

 

youtu.be

 

とても面白い作品。

素直な心情の吐露というだけでなく(素直な心情を書けるだけでもすごいと思うが)、起承転結、明暗、苦楽のバランスもよく、いい作品だなあと思った。

 

作品としての流れがつかみやすく、曲もつけやすかった・・・と思ったら、どうも松岡のほかの作品を参考にしてくださったようであった。

言われてみれば、松岡宮の作品のフォーマットで描かれている・・・気がする。

そんなふうに作風も寄せてくださった永久子さん、ありがとうございます。

 

「多くの皆様に聞いていただきたいです」とおっしゃってくださっていますので、ぜひ、お聴きいただければ幸いです。

 

 

季節は流れ、入道雲の夏となる。

電車の四角い窓ガラスのむこうに広がる青空、夏の日差しに鮮やかな桜の葉の緑。

今日も電車はゴトゴト進む。

何処まで運ばれてゆくのやら。

 

よくわからないままだけど、友達は、いいものだ。

 

Later Gimpy came overlimping on his bad foot and he said Charlie if anyone bothers you or trys to take advantage you call me or Joe or Frank and we will set him strait.

We all want you to remember that you got frends here and dont you ever forget it. I said thanks Gimpy. That makes me feel good.

Its good to have friends...

 

そのあとでジンピィが不自由な足取りでやってきていった。

「おいチャーリィ、誰かがお前を悩ませたり騙そうとしたりしたら、俺か、ジョーを呼べ。俺たちがコテンパンにしてやるから。

ここにはお前の友達がいるってことを忘れるなよ。」

僕は、ありがとうと言った。なんか気持ちがよかった。

友達をもつのはいいものだ・・・。

 

ダニエル・キイス「Flowers for Algernon」松岡の意訳,p299)

 

 

 

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383.thebase.in

 

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