- ◆もう誰もライブに来てくれない。
- ◆文学フリマ東京35(11月20日)
- ◆突然、TikTok
- ◆デザインフェスタ56(11月19日)
- ◆NO WAY MAGAZINEリリースイベント@池上(11月13日)
◆もう誰もライブに来てくれない。
Photo: Hiraku K
もう誰もライブに来てくれない
Photo: Hiraku K
その一方、松岡さんに来て/観てほしい(宣伝メール)や、松岡さんに出演してほしい(出演依頼)、オンラインサロンに参加してほしい(参加依頼)の数は増大するばかり・・・その数、100を超え・・・
この押し寄せる100以上のメッセージと、集客の0について、長年ずっと考え続けていたら・・・
病んだ🌟
集客ほぼ0は昔から・・・にもかかわらず届く宣伝メールや出演依頼の、そのすべてに、言葉を選びながら、どうか、まずは松岡の作品を聴いてから、ライブに足を運んでからにしてくれないでしょうか、と伝え続けていたら・・・
病んだ🌟
・・・強迫は めんどいな 我ながら・・・
・・・と被害者のように書いているけれど、自分もそんなふうに誰かを悩ませるメールなどを送ってしまったり、今も送ってしまうことがある・・・この世界にいると、宣伝とか、避けて通れないのはよくわかる・・・ひとを集めたいのもよくわかる・・・ユメという名のうんこぶつけあうアーティスト山は右手をごらんください・・・くさみが出てしまう、表現者として生きていると・・・・身体中から・・・
・・・ごめんなさい、ゆるしてください、どうかゆるしてください、わたしはキャパの少ない、至らない人間で・・・罰として、ちいさく、しずかに生きる・・・誰にも望まれないライブなんて、するべきではなかった、どうか、どうか、ゆるしてください、ゆるしてください、ゆるしてください、ゆるしてください、ゆるしてください、と、強迫のうたが、ひとつ仕上がる。強迫は、仕事熱心だ。そして左脳でいつもの仕事を続ける。お仕事は最高だ、なにしろ、給料がもらえるのだから・・・。
・・・ああ、また、イベントへの誘いが来た。小規模多機能(←介護か?)イベントへの出演依頼が来たのだ。小さなお店に、出演者がいっぱい出るようなイベントだ。わずか数日後の開催、どうか松岡さん出演してくれませんか!!
・・・うん・・・わたしはその誘い主の音楽が好きで、人柄も好きである・・・
「・・・わたしのライブ見に来てくれたらうれしいな・・・」
そう返信をしたら、以下のような丁寧なお返事が来た。
「・・・交通費が無くてデザフェス行けなくてごめんなさい。少しなら松岡さんにギャラをだすことは可能かもしれません・・・」
・・・もう、なんだか、あなたが大好きですよ・・・いっしょに泣きたいね、そう、思った。
◆
そもそもわたしはなぜライブをやっているのだ?
正当な音楽教育を受けたわけでもなく、楽器が弾けるわけでもない。30歳近くになってやっと始めたDTM。極度のあがり症、恥ずかしがり屋。性に合わないことだと思う。うっかり朗読集団T-Theaterで朗読を経験し、うっかりDTMで曲など作り始め・・・2002年ごろ、Akasaka MOVEというところの出演オーディションに応募してしまったのが運のつき。
そういえば、あれは今一生さん関係の募集だったような気がする・・・「ノルマ2枚」の意味もわからず、2名連れてこなくてはいけないのだと思い込み、知人を動員してのぞんだ赤坂での15分ライブ。ライブハウスでライブするのははじめてだった。
そのとき、金色(こんじき)さんというユニットが対バンだった。
実力派の和風ユニット。キャッチ―で華やかなサウンド。無理やり来てもらった友人に、「金色のボーカルはまっちゃんの元カレに似ている」とか言われたものだ・・・(※似てません)。
金色さんとはそれきりの関係である。が、ボーカルじゃない方の樽兵衛さんは、なぜかツイッターで相互フォローしたりして、入院、透析などなさっているのは知っていた・・・そして、そんな闘病の末、ことし亡くなられたと、FICEのえんちんさんのツイッターで知った・・・
知人の知人くらい、薄い知り合いだったが、まだまだ亡くなるには若い年齢なのではないか・・・。音楽家として有能そうな方であったが・・・きっと、やりのこしたこともあったのだろうな・・・。
ゼロ年代のアマチュアライブシーン。ライブハウスにはノルマがあるし、お客さんは集客できないし、主催をやれとライブハウスに指示されて、慣れない声かけなどをして人間関係に傷ついたり傷つけたりして悩みもあったが、楽屋も「ステージ」もある安全な環境でライブさせていただき、出会う仲間はパフォーマーとして質が高く、店長からもライブへのフィードバックコメントがあり、真剣みのあるイベントが多かった。また素晴らしい仲間もでき、例えばソングライター・パフォーマーで、今でも活動を続けるFICEさんとご縁が出来たことは、一生の財産だ・・・ヲタ芸の元祖。名曲ぞろい。何しろ自分がファンになってしまった。
もう誰もライブに来てくれないとしても、いままでライブに来て下さった方がいる。出会った方がいる。そんな方々に改めて感謝しつつ、これからの創作活動をどうしようかと考え、今後の活動の具体的な方向性を、3つ、定めた。
3つ、定めた・・・
・・・3つ、何だったっけ・・・???
そうそう、そのうちの1つが、デザインフェスタへのライブ出演である。
行くたびに自分が元気になるデザインフェスタ。ライブもそうだが、デザインフェスタの出展者になることで、あの雰囲気のなかに身を置くことで、気分が上向くのではないかと期待してのことだった。
そのようなわけで、この記事では、11月19日の「デザインフェスタ56 ライブパフォーマンス」と11月20日の「文学フリマ東京35」の参加記(+11月13日の、池上Channnel For RentでのNOWAYMAGAZINEリリースパーティーの記録)を残す。
開催順とは逆なのだが、文学フリマのほうから書くことにする。
◆文学フリマ東京35(11月20日)
蒲田から浜松町まで。
京浜東北線をあやうく乗り過ごしそうになる、あぶない、あぶない。
なんとか雨が降らずにすんだ朝、大田区民はみんな不慣れなモノレールにのって、流通センターまで向かう。
「本日は、多くの人が来るイベントが開催されると伺っております。お帰りの切符をあらかじめお求めに・・・」・・・
・・・という、そんな乗務員のアナウンスに少し心が躍る・・・その、温和で優しい声質がまとう制服は、帽子のライトブルーもまぶしく、いかにも鉄道員らしい威厳のある制服で、鉄道員たちはみな立ち振るまいが美しかった。そういえば羽田空港から乗る路線なのだ、我が国を象徴する鉄道員なのだ!と思い至る。
日本の入り口は、こんな風景なのかもしれない。
少し寂しい鈍色、都会の色。
東京モノレールはめったに乗らないので、風景が新鮮に感じる。
そういえば、春ごろハマった八潮へのサイクリング。あのときに遠く遠くこの路線を見かけたなあと思い出す。
運河のある街をなぞり、鈍色の筆、モノレールはあざやかに非日常を描き出す。
高いところから東京を見下ろすと、木々の葉に秋の彩りが感じられた。
そう、東京は、この季節がいちばん美しい。
朝はなんとか雨が降らずに、文学への期待で空はがんばり、曇天のもと、いざ流通センターへ。
◆
それにしても最近はすっかりご無沙汰となっていた、文学フリマ。
そもそも、なんで文学フリマに出ようと思ったのだろう?
それは、前回の文学フリマに出られた「ひやとい」さんが遊びに事務所に来てくれて・・・なんか冗談で、事務所単位でブースを出そうか?それはいいね!などという話になった・・・のだったか・・・?
・・・で、その「ひやとい」さんは病欠となり・・
(もうお元気なようです、お大事に・・・)
詩友の青条さんと2名で行うブースとなった。
青条さんはライブに何度も足を運んでいただいて、事務所にもお助けマンに来てくれる、いつも本当に有難いお客さまである。
流れみずさんは、松岡のCDを買ってくれたことが縁で出会い、ライブにも時々来てくれて、いつも事務所に足を運んでくれる、頼りになる漫画家青年。ほんの1部だけ彼の「コミックエッセイ」があったので、なんとなく勢いで売ることにしたが、のちに、この流れ水さんの本が効いてくることになるとは予想もしなかった。
ブースをデザインするのは、わたしのセンスに任されたのだが、最近、上の看板にみられるように、あいまいな緑色で看板を描くことが多い。結果的に5名の作家のブースとなるが、この5名には共通点があるのだろうか、しばし考えた。ひやといさんには「蒲田に集う有象無象」と言われてその表現がおもしろかったが、無理やり共通点をひねり出すと・・・・みんな自然派、みんなナチュラリストでリアリティある情景を描く作家、みんなどこか作品の線が細く淡く、穏やかで優しい作風の作家たちだ・・・(ただし松岡を除く)
そういうこともあって、天然風味あふれるグリーンで統一することにしたのだ。背後に背の高い看板を立てたが、棒がかさばって持ち運びが大変だった。移動のさい、青条さんにずいぶん助けられた。
12時開場のアナウンスとともに、お客がなだれ込んできた。
最初は、人は多いが立ち止まってもらえず、なかなか商品が動かない。どちらかといえば青条さんの本のほうが、よく手に取られていたと思う。
最初に売れたのは、わたしの「東京フリマ日記」。知り合いではない方だった。
良かった、これで坊主を免れる・・・。
◆
ふと、事務所のハガキに目をとめて下さった方がいた。
知人ではない方だ。
その方が事務所のハガキを手に取りながら、言った・・・
「昨日のデザフェスでライブを観させていただきました・・・調べちゃいました。」
・・・え、ほんとですか?
ライブを観て、印象に残って、調べてくださったなんて・・・うれしい。
「次回のデザフェスもライブで出る予定です・・・」とお伝えしたら、「じゃあまた見られますね」とおっしゃって下さった。
・・・もう誰もライブに来てくれないし、自分のライブなんて、誰にも望まれていないと思っていた・・・でも、・・・いいのかな?もう少し、ライブ活動を、続けても・・・いいのか?
ありがたいお言葉が、じんじんと、心に染みた。
◆
青条さんとお菓子を食べながらまったりしていた時、与謝野鉄幹に似た雰囲気の男性が、こちらのブースの中央、流れみずさんのコミックエッセイをじっと見ていた。
有能そうにキラキラ輝く目をもっているその男性は、流れみずさんの知り合いだと告げ・・・
・・・あ、あのときの・・・
・・・その方は、実は、わたしが「早稲田あかね」に行ったときに配信をなさっていた方だったのだ。
奇跡のようにその方の目に留まったコミックエッセイの細い線。流れ水さんの「コミックエッセイ」の絵柄が、この膨大な文学フリマのなかで、作品として立派に自己主張したことを意味するのであった。
そしてその鉄幹は「コミックエッセイ」と「東京フリマ日記」、買って下さった。
ありがとうございました。
◆
また、ツイッターなどで言葉を交わしたことのある宇津井俊平さんが立ち寄ってくださった。
宇津井さんは、こちらの、バス運転士&絵描きをなさってる方である。
実はお会いするのは初めてであり、なぜかロン毛・茶髪のおしゃべりな男性を想像していたが、そうではなく、修行中といった雰囲気の真面目そうな雰囲気の方であった。
シャイなふたりが旧知の友のように都営線の話などを交わす。
CD「エメラルドグリーン区」買ってくださった。ありがたい。
宇津井さんの絵は、線が太く、色が鮮やかで、強い東京といったたくましさと、どこか都市の「汚れ」や「儚さ」も感じられ、リアルに迫りくるものがある。
またの再会を誓う。
◆
売れてない時間帯は、考え事で過ぎる。わたしのブースなどひとつの風景のように通り過ぎる人々の身体の側面、目の前を行き交う人波、みんな脳をもち、スキーマをもつ。文学フリマの商品も、文学そのものも、いわば情報であるのだな・・・そんなことをボンヤリ考えていた。言葉は記号であり、その解像度を超えた熱い肉体性みたいなものは、なかなか伝わらない。自分だって、なかなか、たくさんの本を初見で読みこなすことは出来ない。文学を知るには、知ろうとする側にも熱い期待と手間が必要であり、それには余裕や余力も必要かもしれない、そんな余裕が社会全体に無いのかもしれない・・・少なくとも自分には不足しているかもしれない・・・そんなことを思っていた。
文学フリマの知り合い、という方が何名かいらしたように思うが、あまりお会いすることはなかった。若い方が多いと感じた。
◆
後半は青条さんの本がよく売れて、わたしも嬉しかった。そして青条さんはご自分の売り上げを全額、事務所に寄付してくれた。ありがたい。
税務署にちゃんと言っておく。
なお青条さんの本は以下のミヤサンBASEでも購入できます。売れたら少し寄付入れてくれるそう。
文フリでの活躍も、日ごろの松岡のお世話も、いろいろと、ありがとうございました。
いつもの文学フリマと同様に、まったりとした、優しい参加でした。
出会い、ご縁のありましたすべての皆さまに、ありがとうございました。
◆突然、TikTok
数日前、ふとしたきっかけで、わたしの作品がtiktokで素材としてかなり使われていたのを知った。「緊急地震速報の夜に」の1曲だけであり、TikTokとしてはそんなに多くないのかもしれないが、60個くらいの動画のBGMとして、使われていた。
TikTokは「収益化無し」なのでここからの収入は無いが、
こんなふうに作品が活かされているさまをみて、喜びというよりは、驚いた・・・この、2分もない適当に作った作品の、「緊急地震速報の夜に」が、こんなふうに見ず知らずの方の動画に生きているとは・・・。
こうして楽曲がみずから広がってゆくさまをみていると、作品が生き抜くには作家性は不要であることを認識する。いや、むしろ邪魔なのか。
「もう誰もライブに来てくれない。」は、「ひとでなく作品をみてください」と言い続けてきた自分に戻ってきた手痛いブーメランであった。が、「もう誰もライブに来てくれない。」ことは、天からの声でもあったのだ・・・
「松岡宮は下がれ、作品は進め」
「松岡宮は誰にも会うな 作品を逢
わせろ」
・・・私を殺して、私を生かせ・・・By草加少佐
(「ジパング42巻」をチェックしてみたら、正しくは「手を放し ”私”を生かせ・・・」でした、すまぬ。)
松岡の存在は誰にも顧みられず、作品だけが生きのびる、なんて、夢のような幸せじゃないか・・・それをめざせばいいのだ、それであるなら、安心して海に沈んでゆける・・・そうだろう?そうじゃないか
?By草加少佐。
わたしの作品が生命を持ってみずから伸びてゆく。なんてありがたいこと。
でも実は、TikTokはやってなかったので、よく知らなかった。
そこで、こっそりTikTokにアカウント作って、1作品だけアップしてみたところ、1日で700再生を超えてびっくりした。しかしそれ以降は再生数が増えず、それにも驚いた・・・いまどきのスピード感って、こんな感じなのか。へえ。
3つ定めた今後の活動性の、二つ目。
作品をちゃんと作ろう。音楽をちゃんとやろう。
音楽家です、と、自信をもって名乗れるように・・・。
◆デザインフェスタ56(11月19日)
さかなの駅員「りんかる」が泳ぐ「りんかい線」へようこそ。(・・・いや、哺乳類かもしれない・・・)
この路線は大井町から国際展示場まで乗るのだが、こういうイベントの時にしか乗らないので、いつも、わくわくしながら長いエスカレーターを降りる。深い海の底を渡るようなりんかい線。意識のなかへ非日常へのトランスフォームを促されているような気がする。ようこそハレの国へ!
到着。空は快晴、海は凪。東京の秋の美しさを感じさせる。
実は、ここからビックサイトまでがけっこう長い。今回は南館なので、なおさら、長い道のりとなる。
のこぎりが出迎える、東京ビッグサイト。
仕事のあとの会場入りだったが、思ったよりも早く会場入りが出来て、ほっとした。
ビッグサイトはとにかく大きい。南館にたどり着くまで、いや、たどり着いてからが長かった。南館の動く歩道に乗り、運河に注ぎ込む日差しの照り返しに守られるように運ばれながら、出演者パスを見せてスムーズに会場入りし、にぎわうブースの海をすり抜け、5階の控室まで行った。
出演者リストはこのような感じである。出演時間は経済力に応じてまちまちである。
わたしは15分のコースにした。
控室は商談ルーム。
電源も使えて着替えも出来る控室があるの、本当にありがたい。充電器やヘアアイロンを使えたのが嬉しかった。
早めに着替えて4階に降りると、子供たちのダンス教室発表会が行われるところであった。キッズダンスは出演者も多いのだが、お客もすごい賑わいである。保護者にお客に警備員に・・・多くの目がキッズに降り注ぐ。わたしが観たそのキッズダンス・ステージは、自在に踊るというよりは、集団できちんとした型があり、規律正しい雰囲気のダンスだった。ヒップホップダンスも剣道や空手のように型があるのかもしれないと感じ、いまの時代の子供たちは、ダンスを行うことが必修なんだなぁと改めて思った。
それにしても小さな子が集団で踊ってるのは、どこか胸を打つ。小さな体がおそろいの衣装を着て踊っている、それだけであやうく涙が出そうになる。
そしてキッズダンスが終わるとお客さんがさーっと居なくなってしまい、次演者のTRNさんという背の高い男性がオケをバックに歌っていた。最前列あたりに空席ができている。
(これは松岡の次の演者のCelephaisさん)
さあ、次はわたしの番だ。
ステージはシンプルな構造。「音のかえり」のモニターが無いので自分がどんな声を出しているのかよくわからなかったが、自分としては、いつもながら緊張で声が震え、ほんの少し詩を間違えた。反省。
楽曲
1)シャープペンシルの芯
2)VESPA!
3)それはどこまでも深い大江戸線
4)むすこ削り
衣装の装備はこちら・・・。
1曲目「シャープペンシルの芯」で股間から金のチェーンを出す・・・つもりが、うまく出すことができなかった。なぜなら、ヘッドセットマイクの発信器と物理的に干渉して、チェーンを動かすとノイズが出てしまうように思ったのだ・・・。
結局、ほんの少しだけ金のチェーンを出して、かわいく「みてよ、みてよ」と終わる。
マイクの発信器、おしり側に入れればよかったと反省。
2曲めの「VESPA!」で、子供が2名、あいていた最前列に来てくれた。椅子にすわって、こっちを見上げる。
子供が寄ってきてくれるのはとても嬉しい・・・おばさんは怖いんだぞ・・!この時点でやっと引き出すことができた金のチェーンを振り回し、ときどき子どもたちに向けて歌った・・・
スズメ―バーチ!スズメ―バーチ!スズメ―バーチ!スズメ―バーチ!
遠くのお客さんがリズムを取っているのが見えてうれしかった。
3曲目の「それはどこまでも深い大江戸線」
この頃になると、だんだんライブの快感が押し寄せてきた。体が自然と動いてゆく・・・声が自然に出てくる・・・ライブって、なんか、すごいな・・・と思っていた。なんてすばらしい体験なのだろう、作品の世界が体の芯に入り込み、自分を動かしてゆく、ああ、これも、やっぱり、「私を殺して 私を生かせ」なのだろうか・・・作品の世界が自分より先んじて、自分を動かしてくれる、なんだ、この、意識体験は・・・
あまりちゃんと覚えていないが、ジャケットの左袖をむしり取りながら声を出し、最後、なぜか四つん這いになっていたような気がする・・・・。
4曲目「むすこ削り」
ズボンの内側に縫い付けてあったハサミを取り出し、シャツの左袖を切りながらパフォーマンスを行って、無事、終了。
あとで声をかけて下さった皆様からのコメントでは、ボーカルを褒められることが多かった。モニターがなかったので自分ではよくわからない。恐縮する。
キッシュ。
その後は物販に励み、CDがけっこう売れた!おお。
思いのほか、CD「Limited Express 383」が売れて、本当に嬉しかった。ライブも、情報ではあるけれど、生身に近く・・・ライブというくらいだからね・・・・ただCDを置いて売るよりは作品性が伝わりやすいのだろう。CDが売れない売れないと苦悩していたが、ライブをするとちゃんと売れるのである。
何かが伝わった方がいらっしゃったのではないかと思うと、嬉しいことである。ありがとうございました。
ほんとうはスタッフパスがあるので、知人が来てくれるならお渡しできるかなぁと思ったが、知人はもう誰もライブに来てくれない。
お客さんを呼ばなくても大勢の前でライブできる、してもいいんだと思える、それが、デザインフェスタ。
出演料が無駄にならない売り上げが出る、出演しただけのことはある、それが、デザインフェスタ。
次回のデザフェス(5月)も、出演しようかな・・・どうしようかな・・・迷いつつ、少しお腹がすいたので、物販コーナーでサーモンのキッシュを食べながら、19時過ぎに会場をあとにする。
帰り際、そういえば、デザフェスに出ている知人といえば、FICEの「えんちん」さんが主宰する「ひびえん屋」があるなあと思って、同じ南館だったこともあり、帰りに立ち寄った。
ひびえん屋さんは、手作りのかぼちゃパンツやTシャツなどを売っているブース。広い空間をなんとか探し出したところ、白い布をかけて、もう店じまいという雰囲気だったが、えんちんさんと、ひびきさんが笑顔で迎えてくれた。
えんちんさんが言う。
「えー、ライブやってたんですか~?言ってくださいよ、観にいきますから。」
「ありがとう。次回のデザフェスもライブで出るつもりなので、決まったらお知らせしますね。」
「デザフェスもいいけどライブハウスみたいな暗いところの宮さんがみたい、ひびきもつれていきますから!」
そんな有難い言葉をいただいた・・・さすがは、神楽坂EXPLOSIONで出会った仲間である・・・・もう誰もライブに来てくれないし、自分のライブなんて、誰にも望まれていないと思っていた・・・でも、・・・いいのかな?もう少し、ライブ活動を、続けても・・・いいのか?
ふと思い出した。
あの「金色(こんじき)」さんもデザフェスに出演なさっていたことがあったことを。
亡くなられた樽兵衛さん、きっと、もっとライブがしたかったよね・・・ライブ出来るって、本当に、ありがたいことだよね・・・うん。
ライブは素敵なものだ。ひとつひとつのライブに立ち会う奇跡を、観る側でも、やる側でも、大事にしたい。
そして、FICEと金色さんはよく一緒にイベントをやっていたので、FICE主催の金色樽兵衛さんの追悼イベントがあるという話題にもなり、行けたらいくとお伝えした。
こちらです。
ライブの興奮がずっと体の芯に残り続け、売り上げもそこそこ多く、やはり勇気を出して出演してよかったと思うデザフェスからの帰り道だった。
ビックサイトからみえる街のあかりが、楽譜のように楽し気な音を奏でている。
誰も知り合いのいない都会に来たばかりのネズミのような気分で帰路につく。
新しい世界を知ったように、なぜか、心は、わくわくしている。
出会い、ご縁のありましたすべての皆さまに、ありがとうございました。
3つ定めた今後の活動性の、二つ目、リプライズ。
作品をちゃんと作ろう。音楽をちゃんとやろう。音楽家です、と、自信をもって名乗れるように・・・。
◆NO WAY MAGAZINEリリースイベント@池上(11月13日)
それよりさかのぼること1週間。池上の「Channel for Rent」さんの「NO WAY」イベントに、即興演奏とCDの販売で参加した。
12月、4月と下丸子に参加したが、4月は売り上げが無く・・・それでがっかりしたものだった。
そのときの記事はこちら。
12月のときの話は、青条さんのNOTEが面白い!
この、NO WAY~ は、美術家(?)の森けんじさんが行っているマーケットみたいなもので、良い意味で癖のある、楽しいマーケットである。
森さんといえば、こういう感じのクッキリしたイメージのアートワーク。
歯並びがいい。(←そこか?)
その個性に呼応して、ゴシックやロリータ、ダーク系など、アクの強い作家たちが集まっているという印象。おもしろいグループ。
わたしは先月の高円寺で、道ばたDTMやうたづくりの試みを行い、売り上げにはつながらなかったものの、反応が多かったので気をよくしており、森さんからイベント出展の誘いを受けたときに、池上でも投げ銭制の路上DTM&CD販売を行うこととした。
しかし、にぎやかな高円寺と異なり、大田区の池上は、こんな、さびれた・・・いや、閑静な住宅地。
盛り上がりそうもない住宅地である。(大田区はいつも平和のさなか)
この緑のシートがわたしの区画で、鍵盤を出して、演奏の練習などを行う。
そう、練習。
ふつうの鍵盤もうまく弾けないし、パソコンの鍵盤はなおさら、うまく、弾けないから・・・同じ曲しか弾けないし、ずっと練習をしていたのだった、池上の、片隅で。
機材はすごくたくさん持って行った。
スピーカーはメタルスライム!
そんなパソコン弾きのもようを、主催の森(け)さんが中継してくれた。
松岡宮さん即興演奏中!#c4r #大田区 #池上 #nowaymagazine#松岡宮 pic.twitter.com/Dq1dJbHH33
— NO WAY MAGAZINE #20 出ました。 (@nowaymagazine) 2022年11月13日
結果的に、路上DTMで、おひねりまでいただいた。路上音楽を開始して、はじめての投げ銭。自分でいうのもなんだが、今思えばけっこう頑張ったのだ。機材を新調したり、日々路上で練習したりした、その甲斐があった。
16時を過ぎると雨が強くなり、皆さんのご協力もあり、機材を室内に搬送して、あとは絵を描いたりEVERNOTE日記を書いたりしてまったり過ごした。
店内BGMで「運転士が燃えている」を流していただいたことがきっかけで、CD「Limited Express 383」買ってもらえてうれしかった・・・この歌は、尼崎脱線事故にインスパイアされて作った歌で・・・この歌には高見運転士の名前を織り込んでいて・・・やっとそんなことを言えるようになった。
わたしは「UROBOLOS CLOTHING」さんのTシャツを買った。
グロテスク・・・ではない、結構かわいい。
この日もいろいろな作家さんにお会いした気がする。
あまり覚えていなくてすみません。
雑誌、ステッカーなどもいただいた。ほんとに個性がある絵なのだが、歯並びがいいな・・・二度目。
NO WAYイベントはやたらお土産が多くて、おもてなしを感じる、いや、それも、イベントとしての個性なのだ。
次回のマーケットがあれば、自宅の古物を売り払うブースなどを出したいと思った。
晩秋の雨のなか、地元・大田区での、まったりイベント。カルチャーとアートの香りただよう一日であった。
出会い、ご縁のありましたすべての皆さまに、ありがとうございました。
◆
そんなわけで芸術の秋、3連続イベント出演を果たし、それぞれに売り上げもあった。
稽古と準備に忙しくて悩む暇もなかったが、自分の進むべき道もみえてきた。
すごい音楽家はたくさんいて、自分など音楽家を名乗る資格もまだないと思うが、それでも他人は自分を音楽家だとみなしてくれるんだな・・・そんなことに気づく。
音楽をがんばろう。
作品作りをがんばろう。
そんな方向性を見つけて、希望の見えてきた秋、なのであった。
◆
最後に、やぐちのわたしの事務所からのお知らせです。
12月24日夕方 事務所で0円フリマをします。大きめの女性の服が多く(男性も着られるかも)、マグカップ、紳士靴下、バッグやコート、古本やCDも出そうかなと思います。すべて無料でドリンクと軽食があります。
2023年1月29日夕刻、小さな発表会。しずかな発表会です。500円でドリンクと軽食。関心ある方はお問合せください。
◆
そして
3つ定めた今後の活動の進むべき方向性の・・・
3つ目は・・・
わすれた♪
記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。