やや駆け足で振り返る、本年の鉄道との淡い出会い。
この記事では、7月~12月のことを書く。
- ◆JRは王者のよう
- ◆小田急はやっぱり面白い
- ◆東武に西武
- ◆やっぱり東京メトロ
- ◆都営にめざめた2022年
- ◆新曲です
- ◆多摩モノレール/東京モノレール/京王/京急
- ◆ホームタウン、東急線
- ◆今年のまとめ
ところで、大田区民にはよくある話だが、今年はほんとうによく川崎に行った1年だった。
多くは自転車で、雨の日にはバスで、ぜいたくな日には、電車に乗って。
マンガ ー モアーズのブクオフか・・・
ゲーセン ー モアーズの1Fでクレーンゲーム
・・・ちょっと~、お菓子の山が倒れないぞ(#^ω^)
カフェ ー 駅ビルのアトレ・・・
・・・といったふうに、食べ物以外は川崎で調達していた気がする・・・いや、食べ物も、二国のドンキが多かったか。なぜか、川崎のほうがお安いイメージがあるのである。
そんな大都会・川崎駅前において、大型商業施設ラゾーナと駅ビルのアトレはライバルである。が、仲良く喧嘩する広告があった。
以下は、ラゾーナに喧嘩を売るアトレ。
・・・「ビジネス不仲」という感じである。
そんな感じで、県境の川のそばに住んでいるわたし、フリーではたらく大田区民のささやかな日々の記録、2022年後半戦、はじまりはじまり。
◆JRは王者のよう
JRの駅では、鉄道開業150周年ということで、この秋頃はそんなアニバーサリーを強調したポスターが目立った。
以下は特にわかりやすい。
このポスターは、絵柄が右に行くほど現在に近づくのだが、真ん中あたりの絵柄に馴染みがあるのが、いかにも昭和生まれという感じだ・・・もはや、ババアである。
ババぁ。
◆
以下の、鉄道の日フェアのポスターは、昭和30年代を思わせる絵柄と色あいである。
この制服、現在の制服でもその前の制服でもなく・・・それこそ国鉄の制服だろうか。駅員らしく、良い感じ。
◆
そして、このレゴスタンプラリーのポスターも、駅長のようなものが目立っており、これはかわいい。
世界はみんなお人形。人形の街は人形町。
ぎこちなく半円を描く指で指差呼称をする四角い顔の鉄道員がなぜかメガネをかけている。レゴという、壊されては組み立てられる永遠の未完成のパズルのような、儚いものと関連づけられた鉄道。だが、鉄道だって、永遠ではない、首都圏の多くの駅で工事のカバーに覆われながら、変貌を続けているのである。神の手が遊ぶ世界、神の子どもは鉄ヲタだ。そう考えれば、鉄道とはレゴのようなものかもしれない。もしかしたら、駅も、家も、家族もみんな、レゴの世界で遊んでいるのかもしれない。そう考えることでしんどい現実を逃れる、人間のこころはそんなふうに別世界を描きそこに遊ぶことで逃れうるのだ、妄想行きの切符を持って。
レゴといえば両国駅のレゴはなかなか良かった。しばらくその世界に魅入ってしまった。
ヒゲの駅員の名はきっとサンチョス!両国駅にある両国駅を守っている・・・両方の国を・・・ガラスのケースのなかで・・・。
12月に両国駅に行ったとき、ステーションギャラリーのイルミネーションが美しかった。
光というのはただ光っているだけなのだが、闇のなかに光があるから、それが眩しく感じられて、感動するのである。
光は競争させてはいけない。
光とは違うものと並べることで、美しく思えるのである、闇すらも、光のおかげで。
ただ光っているだけなのに、それは何かを呼び覚ますのであった。
◆
以下ポスター、これも「鉄道開業150年特別版」とある。
よ~く観るとサルみたいな車掌がいる。サル車掌というのは珍しい。
おさるの車掌が、緑の笛を吹けば、キキーっと緊急停止する山手線、線路に降りて、隣のホームに飛んで行ってしまった乗客がいたのだ、危ないな、そう、この世界では、乗客もニホンザルであり、駅員もニホンザルである、誰がいちばん強いのか、その答えならわかっているのがサル山ジャパン、いちばん強いものに従いながら、キキー、慣れないネクタイを締めながら、叫ぶ乗客たちは、みんなサル、はやく温泉に入りたい。
◆
そして以下は・・・・鉄道開業150年の文字とともに・・・また出たか、駅員アイドル!!
この駅員アイドルの一員だろうか、神田ではこんなふざけた名前の駅員がいた。
カヤマリヒト、カレーありきで名付けられた飯粒のように個性のない悲しい駅員のむなしいロン毛が薄らいでゆく・・・
何か・・・画面が変化する・・・
「駅員からアイドルへ変身中・・・」
駅員がいったい何に変身するというのだ・・・
ねずみに変身したりするのか?
「駅員からアイドルへ変身中・・・」
その言葉がまるでねじれの位置にある2単語のように結びつかず、あるいは意味の分からない現代詩のように響いて、共通項を引き出そうと認知機能が踏ん張ってゆく・・・
そして、思い至る、駅員とは、すでに変身後の姿。駅員のなかにアイドルが包含されており、駅員がトランスフォームしてアイドルになるのではなく駅員のなかに対人サーヴィスに長けたアイドル的要素があるのではないか、そんなことを思った。
だから、こんな駅員ですらも、アイドルを薄皮一枚の下に有している。いつか変身できるというポテンシャルを、その細い目の下に、隠して。
あなたもいつかアイドルに変身する。「キップ・アレコレィ」という名のロシア人アイドルへ・・・いつか変身する。
◆
・・・ああ、そろそろ夕飯の準備をしなくては・・・西友に行かなくちゃ。
と思った駅の階段で、
駅員 × 西友
というすごいポスターを見つけた。
カニよーし、エビよーし。
駅員が指さす先は、食品売り場!?しかもご丁寧に、手袋までつけて・・・なんか、あなた、役者さん?
・・・ああ、なんて合わないんだ!
食品売り場に、手袋の駅員、なんて合わないんだ!
駅員、何しに来たんだ!
その、意味の分からないマッチングが、駅員の駅員らしさを際立たせ、駅員が駅員としてしか存在できぬことを証明する。駅員は(このままの衣装では/装備では/精神性では)西友の客になることは難しいし、もちろん働くこともかなわない。駅員に出来ることは乗客の安全確認だが西友の客の安全確認をするわけではないのだ、線をはみ出している客のことを笛を吹きながら注意するわけではないのだ、西友に電車が走っているわけではないから・・・
「西友で駅員が指差呼称」というおかしな風景が、なんともいえぬ味わいだ、冬だ、カニよし、エビよし、駅員よーし。
これはすごいポスターだと思った・・・
もう、今年のMVPといってよいのではないかと思った(なんのMVPだ)。
◆
それから、このポスターもなかなか良かった。
このポスターの駅員は、手袋なしの素手なのか・・・と、へんなところに目が行く。
ステーションサービスの人としてなんら不足のない制服が、光のなかの闇のようで、むしろ輝いている。
最近、時代も変わったのか、制服でなくてもこの仕事は出来るということに気づいてしまった。15年前ロンドンに行ったときの、駅員の制服って無いんだと気づいた、あの驚きの正体が、いま非正規雇用に満ち溢れる都内の駅で、複製される・・・だからこそ、制服という、過剰で無理のあるものがいとおしく感じる。
制服の寿命はそろそろか、いや、復活するのか。
制服がこよなく大切にされる時代、それは、どんな、時代なのだろうか。
体罰も辞さなかったというオールド桐蔭生の血が騒ぐ。
◆
そんなある日、登戸駅で、かっこいい特急列車を見つけた。
見慣れない列車だな・・・なんだろう?
と思ったら、こんな文字。
修学旅行で、関西に行ったりするのだろうか、いや、新横浜に行くのか。(※自分の中学時の経験)。さだかではなかったが、修学旅行、という言葉には、あまずっぱい印象がある。
とても儚く、若く、あやまちを含んで美しい四字熟語。そして、「修学旅行」という言葉は、大人になってしまったらなかなか口に出されない言葉でもある。
そういえば、わたしが学生だった頃、桐蔭学園では修学旅行という言葉を使ってはいけなかった。修学旅行は遊びで意味がないと理事長は言い、団体訓練と呼ばねばならなかった。
だからこそ、せつなく美しい言葉だと思ってしまうのだ、「修学旅行」の4文字は。
◆
浜松町、という駅は、以下のように便利な駅である。
今年、やっと、浜松町の便利さに気づいたのであった。
そんな浜松町のキャラは・・・こちら。
はて。
はて。
はてぼうや。
これは浜松町に誕生したての新人キャラのよう。これから育ってゆくのだろう、おじいちゃんだけど、妖精だそうだ。HATEぼうやにならぬことを祈ろう。
◆
そして以下の写真は、どうやら錦糸町駅らしい。
そうだ、なぜか錦糸町にも行ったのだ。
あれは、精神的にかなり沈んでいた時のことだ。ふと、懐かしくなって行ったのだ。しかし駅前の変貌は激しく、思い出を引き出すトリガーもない。
駅前の階段に腰掛け、ぼんやり休んでいると、大きな音が聴こえてきた。
左側に山岳音楽を演奏している方がおり、すごい大音量だが、演奏は上手い。
それとは逆側のほうに、弾き語りを行っている青年もいた。歌、ギター、トーク。そちらもすごい音量である。
2つの異なった音楽は、競い合うように音量を増しながら、ただでさえ人の多いにぎやかな錦糸町駅前を、さらに賑やかなものに替えていた。
そのとき、今の広告や宣伝の多さは、大声競争のようだなと思った。
そして、自分も何かを宣伝するとき、それに負けまいと大声を出していたなと思い至り・・・もうそういうことはしたくないなと反省した。
どこまでも増大するパワーやチカラでねじ伏せようとすることにはしっかり抗わないといけない。小さな声を聴くためにはあまり大きな音に慣れすぎてはいけないのだ。だがそのためには小さな声の自分がつぶされてはならないという難しさもある。どうしたらこの大声競争の都内できちんと自分なりの世界を守りながら生き延びられるか。この大声競争の都内で生き延びることは、とても難しいことなのだ。みんな、そんなことは無理だと思い、評価や競争にとても傷つきながら、そうでなくては生きられぬから競争やいじめに加担させられてしまうのだ。どうしたら自分を、自分の作品性を守れるというのか。松岡さんのもとへは誰も来ないですねと清水くんが言う。もう声を出して人を呼ぶことはやめよう。ひとりで、静かに、生きていこう。そうして、静かな小屋で、奇跡的に誰かに出会えれば、幸いなのである。
◆小田急はやっぱり面白い
小田急もあまり乗らなくなった・・・のだが、たまに乗ると、やはりインパクトのあるポスターをみせてくれる。
以下は運転士の横顔が美しいと思ったポスター。
ポスターの左側、淡い光と風がみえるような美しいポスターだと思った・・・
だが・・・
・・見ないようにしても目に入る右側の黄色のポスター・・・
なぜ並べたのだ、「カッとしても暴力はダメニャ!」&「安心への眼差し。」を!!
・・・ちっとも安全じゃない感じをもたらすこの並び。暴力をまなざすことが安全への第一歩だということを教えてくれる、のかにゃー?
なお、わたしが小田急を使うというとき、登戸駅を使うことが多いのだが、いつもホワイトボードアートに少女漫画風の駅員がおり、楽しませてくれる。
細く波立つ多摩川のようなものを指さすストライプの駅員。
ん、これも、アイドル活動なのか?ホワイトボードの駅員、アイドルに変身中・・・・??
そんな感じで、あまり小田急に乗らない1年だった。
◆東武に西武
東武と西武。
いずれも我が東急東横線とつながった路線ではあるが、今年はあまり乗らなかった。それだけに、たまに乗るとテンションが上がり、写真など残していた。
野方(のがた)。
ふとオープンマイクに出たくなって調べたら、Iwooさんというライブハウスのオープンマイクがよさそうだったので、行ったのだった。
はじめて降りる駅。
各駅停車の駅、小さめの規模のなかに、お店や人がたくさん。
ライブハウスまでの1~2分の距離だが、路上に倒れてる人がいて警察官などもいてびっくりした・・・
野方ってよく人が倒れているものなのか?
お店はとても良いお店だったし、オープンマイクも、女性が多く、何とはなしに品が良かった。
矢部りんごさんというピアノ弾き語りの方が愛嬌のある方で初めてのわたしによく声をかけてくれた。ピアノお上手だったな・・・。
こういう番組を作るのも大変だと思うが、面白いね・・・。
お店の壁に、うろ覚えだが、「他のイベントの勧誘・出演交渉をしないでください」みたいなことが書いてあり、そんなことを書いてあるライブハウスは初めてだが、「わかるわかるわかる!」と思ってしまった。
なお、「Iwoo」は「いおおお」でなく「あいうう」と読むらしい。
◆
そして、西武に乗った思い出と言えばそのくらいである。
◆
東武もそれほど乗らなかった。23区の西側にいるわたし、あまり東側に行かなかったと思う。
東武にもライナーがあるのだということに、いまだに驚いてしまう。
上とは別の路線であろうが、池袋でTJライナーの案内を見かける。
小川町!
小川町!
小川町!
小川町!
小川町ゆき、すいているらしい。
2023年は森林公園とか行けると良いな・・・。
◆やっぱり東京メトロ
都心へのアルバイトが始まり、東京メトロに乗ることが増えた。
後楽園駅を使うことが増えた。この駅は、丸ノ内線が高いところにあり、南北線が深いので、乗り換えの上下差がすごいことになる。
南北線から行くときは、標高差の激しい上りの乗り換えだ。ひとつの登山のよう。
東京ドームがふわりと待ち構え、コースターが上下運動を続けるなか、後楽園もそれはそれで遊園地というかフィールドアスレチックのような趣がある。
そしてこれは東西線。
東西線といえば青色ばかりだと思ったらオレンジ色の東西線もあるのである。
色合いも表情もかわいいメトロの駅員。
さらにかわいい「駅街かける」くんは、七夕にお仕事中である。
以下は、水害でも東京メトロは大丈夫、ということを説明した横断図。
わたしはこういう図を見るのがとても好きである。自由研究で作るガラスの入れ物の中の蟻の巣の断面のよう、よく見ると駅員がたくさんいる。賢い蟻は制服をまとって、水や空気の上下運動を支配しようとする。
◆
東京メトロの掲示物やグッズはデザインが良く、カラフルで洗練されているイメージがある。
このポスターなど、色合いが毒々しいのも納得で、伝えたいことがクリアですばらしいなと思う。
そして地下鉄成増にも行ったらしい・・・いまだに自分の認知地図には記されないままで、よくわからない駅だが、なります、なります、とダジャレだけは捗る駅名。
小竹向原駅も、東急とつながっているが、やはり馴染みのない駅だ。
雑司が谷は、葬儀に出向いた護国寺から歩いて行ったのだと思う。かなり距離があったが、葬儀の後というのは身も心も重いので、たくさん歩いて身を清めたい、精神を奮い立たたせたい、そんなことを思ったりしたのだ。
東京の人はよく歩くといわれるが確かにメトロの数駅ぶんくらいなら歩いてしまおうと考える。歩く。そしてその風景を楽しむ。
疲労がつのったころ、メトロの駅の入り口に出会えるのである。
冬あたり、こんなポスターが目立っていた。東京リベンジャーズというアニメがあるらしい。
公式サイトで調べてみた・・・
なになに・・・
東京卍會(東卍)と芭流覇羅(バルハラ)による抗争「血のハロウィン」の終結後、現代に戻った花垣武道(タケミチ)は東卍の最高幹部になっていたが、裏切り者として総長代理の稀咲鉄太に捕らえられてしまった。稀咲の凶弾によって、千冬が目の前で殺されてしまい、その銃口はタケミチへと・・・
STORY | TVアニメ『東京リベンジャーズ』公式サイト
・・・1ミリも意味がわからない!!
しかしなんだかキャラクターたちが駅員の制服がよく似合う青年たちであるということがわかった。
ということは、東京メトロは血で血を争う抗争をしているのか・・・?
◆
それから、比較的最近乗り換え駅となった、半蔵門線・水天宮前駅ー日比谷線・人形町駅の乗り換えも使ったらしい。なぜそんな乗り換えをしたのか、まったく記憶にないが・・・。
この乗り換えは、驚きの「改札外乗り換え」なのである。
Via above ground!
ヴァイア・アバヴ・グラウンド!
英語でそう言うのか・・・覚えておこう。
都内のにぎやかな風景に溶け込みながらテクテク歩く、だけどこの歩行は散策ではなく乗り換えなのである。
ここもひとつのレゴの街。
都内の路上に透明な通路があり日比谷線・人形町駅へと案内する。透明な駅員人形たちが案内する、こちら、こちら、日比谷線は、こちら、だけど美味しいデザートのお店で、お茶なんかするのも、いいかもですね・・・はい。
レゴの世界は平和でもろい。
ブロックのパターンは少なく 誰もが同じ顔に見える
そんな世界はいい世界だろうか、レゴの世界にルッキズムは無いのか?どうなのか?教えておくれ、駅員よ・・・。
ああ、メトロのマークが見えてきた。
曇天のもと、人形たちの応援の声に導かれ、地上乗り換えは完成されるのであった。
あたかもこの地上歩行のほうが幻であるかのようにこの身は地下鉄に吸い込まれ、レゴランドのご案内は終了した。
さあ日比谷線に乗ろう。
ふぅ。
最近、乗り換えに要する時間が、30分→60分まで、と、延びたように思うので、乗り換えの枠内でショッピングくらいなら出来るのではないかという気がしてきた。
東京メトロを知りつくして、利口な都民になろうじゃないか。
◆
そういえば、山手線「高輪ゲートウェイ」と並ぶもうひとつのカタカナ新駅・「虎ノ門ヒルズ」駅も使ったのであった。
新しい駅。
かっこよさげな「ヒルズ」に直結しているから駅もゴージャス・・・というわけでもなく、あちこち工事中といった、なんとなく雑多な雰囲気だった。
あと、自分が探せていないだけかもしれないが、虎ノ門ヒルズ駅から虎ノ門ヒルズまでは直結していないようで、思いっきり地上に出てしまって・・・
ヒルズはどこだ。
・・・うわーん、虎ノ門ヒルズってどこなの~?
・・・あれなの?うん、でも、あのヒルズに行くにはどうしたらいいの~?
遮る道路、激しい車の往来。そもそも虎ノ門ヒルズの入り口がどこなのかわからない・・・半泣きになりながら、工事の人2名ほどに道を尋ね、やっとたどり着いたのだった。
道には工事の人しかいない祝日。
虎ノ門駅周辺は、ひたすら工事中。
世の中には手をかけてもらえる土地とそうでない土地があり、虎ノ門をはじめ首都圏はいま、工事ラッシュである。それらは鉄道の路線を変化させてゆく。
◆都営にめざめた2022年
今年は都営の良さに目覚めた1年であった。
そう・・・大田区にだって、いや大田区こそ、都営線の恩恵を受けている街だったのに・・・。
この写真は都営三田線。西高島平ゆき、そなたは、どこの世界にある駅だ?
東急目黒線の駅にいると、東京メトロ南北線あるいは都営三田線につながる列車が入れかわり立ちかわり行き交い、もう東急も都営もメトロも同じようなものだと思いつつ、南北線を使うことが多かった自分は、三田線直通がくると、賭けに負けた気分になっていた。
しかし、三田線も便利だ!ということを知った2022年。
都営だってかっこいいのだ。そんなことに気づき、幸せの総量が、増えていった。
以下は素敵な都営のポスター。
夕暮れの、逆光のなか、黒いシルエット。闇色だから光り輝く。孤独な置物のような車掌。
光はいつも輝いているわけではない、夕には暮れる、だから愛しく、名残惜しい。
このポスターは少し見づらいが、「急病人が出たときには、他のお客さんの気持ちも考えてアナウンスする」旨が書かれている。車掌、という役職名を添えて。
以下の写真、運転士の軍手が、明るい昼間の光に照らされて、人間のいとなみが描きだされて美しいと思った。
◆
今年は都心への通勤が始まったこともあって、よく乗ったものである。
この冬、作品作りのために光が丘まで行った。
練馬という遠いイメージの地区が、案外近いということを感じた。
路線図は日ごと月ごと更新され、ご近所ランキングを塗り替えてゆく。実際のデータばかりではなく、脳内で近いと感じることが大事なのだ。ほら、パリ、ロンドン、ニューヨークも近い。そう思うことができれば、練馬だって、埼玉だって、この手のひらのなかに現れるマイシティー。
ほら、もう、練馬だ。
なぜ柱に彫る練馬・・・。
ほら、もう、終点光が丘。
6の字の起点、あるいは盲腸の、終点の駅。
なぜ柱に彫る光が丘・・・。
◆新曲です
そのようなわけで松岡宮の新作「光が丘駅を小野さんと歩く」が完成し、公開しました。
「小野さんって誰?」という感じだと思いますが、それがわからなくても大丈夫。
この作品には本物の詐欺の声(?)が入っています。
無駄に声質の良い詐欺電話・・・かな?詐欺だと思うのだけど・・・
ぜひ聞いてみて下さい。
しかし何を作っても鉄道の作品になってしまう・・・
来年もそんな作品をたくさん作ります。
◆多摩モノレール/東京モノレール/京王/京急
あまり乗らなかった路線たち。
多摩モノレールは、コロナ前はよく乗っていたのだが、仕事がオンラインになった今年は1度しか乗ることがなかった。
この駅員が多摩モノレールだったように思う。
以下の写真のタマオは・・・駅員のようで、編集部員のようである。そもそも人ではなさそうだが・・・。
◆
そして京王もあまり乗らなかった。だいたい多摩センターあたりに用事があるのだが、行くときはつい小田急を使ってしまう。
京王は、こんなポスターを撮影していた。
やっぱり手袋はよきものだ。
◆
東京モノレールは大田区民は原則として乗らないのだが(←ウソ)、文学フリマのために乗った。
文学フリマのことは少し前の記事に掲載したが、そこに乗せていないこの写真、会場である東京流通センターの文字と、モノレールの映り込みが、いい感じである。
ガラスに映りこむモノレールを見るとき、モノレールのなかのわたしもまたこちらを見ているのだ。
文学フリマの日は曇天。
このあと雨になったのだった。
ずいぶん昔のことのようにも思えてくる。
すべての思い出は、過去へ向かう一方通行のモノレールに乗って、遠ざかってゆくようだ。いまも、明日も、あさっても。
◆
それから京急線。
うちから近いわりにそれほど乗るわけではなかったが、どちらかといえば川崎駅や多摩川河川敷から見上げることが多かった路線である。
対岸は川崎。大田区民は川崎へ買い物に行く。
今年は本当によく河川敷に行った。心が寂しいとき、なにか葛藤があったとき、うまく言えない感情を自然のなかで無言のままに放出するために行った。あるいはギターやウクレレの練習で、あるいは少しだけハマったTikTokの動画を撮るために行った。しかしTikTokはすぐ辞めてしまった・・・。
鉄道がいつも涙を運搬してくれる。
◆ホームタウン、東急線
東急沿線民であるので、東急はもっともたくさん乗車した線といえる。
とはいえ、最近あまり降りなくなった自由が丘。現在の様子。
ここから駅舎を見上げると、列車がこちらがわにパタンと落ちてきそうで怖い。
自由が丘はこれから長いスパンで開発が進んでゆくだろうと思われる。写真を撮っておこうと思う。
◆
わたしの事務所があるのは矢口渡。
いまどき珍しい地上にぽつんと立つ、昔ながらの木造ホーム。
東急電車は、やっぱりグレイ・シルバーの色をしている。
園児の列車が走り出す。
鉄道を描くとき心のなかの鉄道が動力を得て走り出す。
絵筆を持つとき鉄道のある世界は季節を重ね、木々の緑は濃くなったあとに落葉し、ひとつの世界の車輪が廻り続ける。レゴの世界のようなものが子どもたちのなかには生まれ、広がり、鉄道の路線や世界は住民を増やしながらダイヤどおりに走り続け、今日の葛藤、今日のけんか、今日の涙を鉄道模型に乗せて走らせながら幼稚園児は成長してゆく。気をつけて、きっちり制服を着た駅員がそっと笛を吹く。それは未来へのあこがれに結実する。
◆
そして、やっぱり下半期にも、宮崎台の「DENBUS ワークプレイス」に行ったらしい記録がある。
本当は毎日でも行きたい、魅力的なワークプレイス。そのために、宮崎台に急行を停めてほしいくらいだ。
鉄道のある場所は、折り目正しく規律があり、そのような空気のもとでは人間が正しくさせられる感覚があり、どこか安心感があるのだと、ふと気づかされる。
のるるん装飾大会、テーマは「冬」、という掲示が面白かった。
こういう装飾を行う担当の駅員がいるのだろうか。(手芸担当・・・そんな職員がいれば便利かも・・・)
この中では、長津田は「のるるんの共食い」のようにみえて特に面白いと思った。
こういう点に、東急らしい遊び心を感じる。
◆
大崎広小路は、この間イベントを見に行ったゲンロンカフェが近くにある。
ゲンロンカフェでのイベントは、2022年に出た人文書を読書家の3名がまとめるもので、面白かった。
「人文的、あまりに人文的」な、2022年人文書めった斬り! – ゲンロンカフェ
山本貴光さんのリストに、自分が本業で少しだけ書いた本があって驚いた。そんな本を書いたことも忘れていたから(書いたのは数年前なので・・・)。
その本は、本当にマニアックというか専門家むけの本で、他の業界の人が読むような本ではないと思うのだが、読書を仕事にしている方はそんなものまで射程に入れているのかと、その博覧強記ぶりに感動した。
本をたくさん読むと、あらゆる本についての座標や変数のスキーマが完成し、知識のネットワークが完成され、新しく書物を得たときにすいっと頭に入ってきやすいのかもしれない。
そういえばわたしの本業での別の出版物(これも専門家向け)の印税を初めて貰えることになった。売れているらしいのは知っていたが、初回以外では初めての印税となる。少なくない額である。今年は音楽の収入も少しだけあり、経費を考えれば赤字ではあるものの、だんだん、だんだん、文筆や創作で生きてゆけるかもしれないという、そんな手ごたえを感じた2022年であった。
大崎広小路はほぼ五反田であるが、飲み屋の連なる活気ある街。
東京に住んでいることがいかに恵まれたことか、などとは(いまも)あまり思わないのだが、やはり良いこともあるのかなと、ふと思ったりした。
◆
JRの鉄道開業150年アニバーサリーに負けじと、東急も100周年記念のポスターを各駅ごとに出している。上の大崎広小路のポスターもそうであるが、各駅ごとに集合写真を撮っており、それも今年らしい駅員ポスターの傾向である。
駅員の群れはシャツでも暑く、熱く、あつく・・・・
・・・その暑さにおもわず画像を小さくしてしまったが(東急の駅員はどこか暑い)、ポスターには、目黒蒲田電鉄が東急の始まりであった旨、書かれている。
それなら、蒲田は東急の始まりの地と言っても良いのではないか。目黒蒲田電鉄、つまりは目蒲線、いまは目黒線+多摩川線に分かれてしまったが、大田区がいよいよ蒲蒲線の建設に本腰を入れそうなので、そうなるとまた多摩川線が渋谷方面などとつながるのではないか・・・などと期待が膨らむ。矢口渡は通過となるであろうが、それでも羽田空港が近くにあることを、それがどんなに恵まれたことであるかを痛感し、感謝などした2022年。
目黒蒲田電鉄、それは過去の名前であるが、そこから歴史は紐解かれ、面となり、立体となり、展開し続け・・・
そして、近い未来に向けて、膨らむ夢がある。
「そうにゃん × のるるん」手をつなぎ・・・
そう、相鉄ー東急の連結が、もうすぐだ!
こんどの3月、もうすぐだ。
新横浜がやってくる!
我らが東横線(目黒線)が、いよいよ、新横浜と連結する日が来るのだ。
これで、新幹線に乗りやすくなる。(なお、新幹線に乗る予定は無い)
これで、相鉄線に乗りやすくなる。(なお、相鉄線の駅に行く予定は無い)
厚木へのお墓参りに良いのかもしれないな・・・。
それにしても鉄道の変貌というのは思いのほか速く、そして大きすぎて、なかなか思考がついてゆかない。神様の指先がレゴブロックを動かして、そのつど変わる近道、その都度変化し続ける街の風景。近所ランキングが変わり、友達も変わる。レゴブロックの世界のなかで、わたしもささやかにスナップを撮る。
新行動主義のTolmanは、ネズミも試行のなかで脳内地図を構築し、エサが得られる方角を正しく知っていると述べた。もちろんヒトも持ち合わせているであろう脳内地図、大田区民のその地図に、神奈川県や練馬区が寄ってきた。東ではない、南ではない、西であり、北の方角が接近してきた。
◆今年のまとめ
こうしてまとめてみると、あまり日常のなかでは電車に乗っていないことに気づく。
ちょっとしたイベントとか、そういう特別なお出かけでもないと、遠くに出かけることも無さそうだ。もしかしたら、いろんなライブイベントや演劇に足を運ぶのが、良いのかもしれないな・・・。出かけるまではおっくうでも、出かけると、良かったなと思うものである・・・もう少し、がんばろうか。
◆
今年は、デジタルデトックスにつとめ、外から入ってくる声を排し、作品を作り上げることにめざめた1年であった。
構想している作品もあり、2023年も良い作品を作り上げてゆくことを目指したい。
また今年は英語のオンラインレッスンが始まった1年であった。まだまだであるが、このまま続けて、2023年には「使い物になる」ことを目指そう。
また来年は、コンピューターミュージックのスキルアップにつとめるとともに、楽器演奏、特にピアノをがんばろうと思う。演奏のレパートリーが増えてくると、作品にも活きてくるだろうと思う。良い作品を編み上げたい。
公認心理師の国家資格を得て、その前から運営していた事務所の意義がアップデートされ、心理師関連の問い合わせやお仕事が増えたのも今年の特徴である。
といってもわたしはカウンセリングを行う専門性はないので、この事務所では、ものを教えたり、よろず相談をお受けしたりしているが、最近はあちこちから、「事務所を放送局にしてほしい」という相談を受ける。前向きに考えたいと思うが、あまりそういう方面のノウハウがない・・・どうなることやら。
◆
今年1年ありがとうございました。
2023年、良い年になりますよう
2023年1月29日(日)に蒲田の事務所で「小さな発表会~新春シャンソンショー」という新年会を予定しています。参加費500円。小さい音なら発表も可能。ご希望の方は何らかの方法でご連絡ください。
(↓)松岡宮の代表作、まだお持ちでない方はぜひ聴いてやってください。
そして、ときどき売れて驚くのだが、松岡宮と事務所の仲間による通販ページも、よろしくお願いいたします。
今年、ご購入くださったみなさまには心から感謝申し上げます。
ありがとうございました😊
記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。