ポエトリー松岡宮のブログ

詩人のくらしです

沖縄への初訪問 (5・完結)備瀬の民宿

 

2日目は、沖縄本島の中央付近、北に大きく突き出した半島にある備瀬(びせ)の民宿に宿泊した。

 

沖縄のことをまったく知らない自分にとっては「備瀬(びせ)」という地名も初めて聞くものであったが、「フクギの並木が有名」とのこと。海辺にある、野趣あふれる場所のようである。

 

見事なフクギの並木。

太い枝から生えた葉の重なりは陽射しをさえぎり、雨をよけ、下を歩く人間に癒しの空間を作ってくれる。

木々の配置は、線ではなく面。その一帯が木々に覆われているので、いわば森のようであり、細い経路が砂の迷路を作り上げていた。

肉厚の葉が茂り、車はその谷間を遠慮がちに進む。

 

今夜のお宿は、民宿「岬」というところである。

 

このお宿も友人のセレクションであるが、とても良いお宿であった。

実は、自分の蒲田事務所で民泊を行う計画があり、その見学も兼ねた旅だったが、とても良い例を拝見できたと思う。

 

食事も野菜が多めで嬉しかった。

人生初の海ブドウは、プチプチとした歯ごたえ。磯の香り。新鮮な味わいであった。

 

 

「はぁ、やっと到着。」

 

畳のお部屋で荷物を広げて、だらーんと横たわるわたしの隣で・・・

 

「ちょっと海で泳いでくる」

 

友人はそう言って水着に着替え、海まで出かけていった。

 

・・・元気だなぁ・・・すごいわ。

 

一方、運転もせずに助手席に座って運ばれただけのわたしは、精神の緊張を緩めるべく、ひとりでゴロゴロ。

小さな蟻が腕に乗ってくる、プチっとつぶす。

 

さあーん。

窓を開けても静かだ。

ざあーん・・・パランパラン。

開けた窓から風が渡り、ときに通り雨が屋根をたたいていった。

 

 

30分ほど横になって、少し復活してきたので、わたしも海を見に行くことにした。

 

海岸までは数メートルの道のり。もはや雨なのか晴れなのかよくわからない天候のもと、砂だらけの細い道を踏みしめ、フクギのアーチを抜けて、光のさすほうへ・・・

 

 

ああ、海だ。誰もいない。

 

 

ただ、貝殻たちが、そこに佇んでいる。

 

よくわからない穴があいた石。

むかしは元気に生きていて、今はもう生きていない生き物の骨のようにもみえた。

そうか、時間の骨だ、ひとつひとつに時間や歴史が描かれているのだと気づく。

 

雨と晴れが短時間に繰り返される空。

もう、靴下の濡れも、気にならなくなってきた。

 

ちなみにこの個性的な靴下は危機裸裸商店のKiKiさんにいただいたものです。

 

kikirarashoten.shop

 

(この日のファッション、ぜんぶ頂き物か、手作り・・・)

 

 

友人の話だと、この砂浜にはウミガメが卵を産みに来るという。

ウミガメも、寄せては返す波も、連鎖のなかにあり、生きているものだなぁと思う。

波を追いかけ、小石を投げたが、ホップせずにそのまま沈んでいった。

誰も乗っていない小さな船が、行き場を失ったように、ゆわゆわと漂う。

痩せたカラスがカァカァ啼いて近寄り、ホバリングをしつつ、カーブを描いて遠ざかっていった。

 

波打ち際の彼方に、平たい島が見えた。

伊江島である。

 

戦中の激烈な戦いのみならず、戦後も米軍基地により住民が住む場所を追われるなど大変な歴史のある島だと、あとで知った。

 

www2.nhk.or.jp

 

 

 

 

グリーンの海はこんなに穏やかなのに、ここは、戦争の記憶が残っている海岸だったのだ。

 

建物も生き物も、それから貝殻も、時間をかけて丹念に作られたもので、それらを雑に壊してしまう戦争はもったいないことだな・・・と思う・・・丁寧なら良いわけでも無いが・・・そしてわたしだって、さっき、蟻さんをプチプチつぶして殺生してしまったのであるが・・・。

 

ブーゲンビリア

 

マイペースな猫たち。

 

旅も終わりに近づてきた。

沖縄のことを何も知らないわたしがこの旅行で知った情報の断片は、まるでサンゴのかけら、砂の文字・・・

 

国際通り、リゾート地、半島に海、ハイビスカスにブーゲンビリア、異国情緒に米軍に、戦争体験、緑の濃さ・・・

 

無知な人間にとってのそれは形を成さず、情報として結ばれず、波にさらわれてゆく。イメージの断片は異なった種類の光を放ち、自分のなかでまとまることが無い。

 

「沖縄の旅はどうだった?」

 

その答えをまだ見つけることができない。

ただ思うことは、このタイミングで友人と旅が出来たことは幸運であり、必然であるかもしれないということ。いまが沖縄を知るべきタイミングだったということ。

 

複数の人間で旅をするのは難しいことであるが、つねにわたしに気を使ってくれて、気難しいわたしがマイペースで行動することを許してくれた心の広い友人に感謝したい。

 

ありがとねー。

 

 

「ありがとねー。」

 

大して膨らんでいないカートを引きずり、帰路につく。

 

沖縄に残る友人と別れてひとりになってこの旅を振り返ると、もっとも印象に残っているものは・・・・「モノレール」かもしれない・・・

 

モノレール、東京にもあるじゃん・・・笑

 

でも「ゆいレール」は独特のよさがあったのだ。

街なかに溶け込みながら、堂々とそそり立つその威容、ビルの間をくねりながら進む曲線的な経路。

 

 

例えば東京の「多摩モノレール」は、すっきりとした郊外の市街地や山林を、高く大きくダイナミックに走る印象がある。カッコイイ。

一方「ゆいレール」は、ビルの際をすり抜けるようにくねくねと走り、それもなんだか温かみがあって魅力的に思えるのだった。

 

 

フライトを待つ間、空港のラウンジでコーヒーを飲む。

狭くて人が多く、あまり快適とはいえないラウンジだったが、なんとか充電できる席をみつけ、今回行った友人とは別の友人Rに手紙を書き、土産を入れたスマートレターを出した。

 

 

いつも詩人の青条さんが旅先からお土産を送ってくれるから真似してみたのだが、確かにこれは、ちょっと楽しい・・・多摩市で暮らすRの顔を思い浮かべたり・・・。

 

旅巧者は、いろんなTipsを与えてくれる。

青条さんの旅行サイトはお役立ちがいっぱいです(↓)

note.com

 

 

帰りの飛行機の窓からは、雲海の模様を鮮やかに照らしだす満月がみえた。

 

 

雲のクッションがあれば海の上よりも怖くないだろうと、先祖が引いてくれた安心のお布団のよう。雲海は形を変えながらずっとついてくるようで飽きない。ずっとこうして雲海を見つめていたかったが、あと10分で羽田への着陸姿勢に入るというアナウンスのあと、航空機は雲間に突入してしまった。細胞膜への突入だ。そしてシートベルト着用サインが点灯し真下に街の灯りがみえてきた頃、ふと見上げれば満月はもう雲の遠くに離れてしまっていた。

飛行機は定刻通りに着陸し、いくぶん涼しい羽田空港がわたしを出迎えてくれた。

 

こうしてわたしの沖縄の旅は無事に終わった。

 

数日後、レターパックを送った友人Rから「ありがとう。沖縄の旅はどうだった?」というメールが届いたので、「雨、雨、雨でしたよ」と返事を書いた。

 

次は、もっと晴れた沖縄に出会えるはず。

 

沖縄への旅は、まだ、始まったばかりだ。

 

(おわり)

 

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◆松岡宮からのお知らせ

 

沖縄旅行の記事はいかがでしたか?

沖縄には、きっとこれからも縁がありそうで・・・

またお知らせします。

 

 

新作「レッツゴー!道塚商店街」書きました。

 

youtube.com

 

蒲田の近くにある商店街をテーマにした1分の作品。とても面白い作品なので、ぜひ試聴してみてくださいね。

 

この作品を書いて、自分にとって「うた」とは、つねに頭の中で鳴り響いているものだとわかりました。

空に浮かぶは、母雲か。

口うるさい母は、もう居ないのに、つぎつぎ誕生する泡のようなものが身を包みこみ、うたをつくっていないと呼吸ができなくなってしまいます。

口うるさい日本社会の、まぼろしの声。

わたしのようにガードのうすい人間は、こうしてうたづくりするしかないのかもしれません。

 

食べたら吐いて。

吐いたら食べて。

 

そんなうたばかりのアルバムですが?「Limited Express 383」どうぞよろしくお願いいたします

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