23区のいちばん南、大田区のかたすみで、冬にアートの華ひらく。
そんなわけで上記イベントにスタッフ参加してきた。
参加記を書こうと思う。
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このブログでも書いたが、この夏から2つもアルバイトが増えてしまった、ゴホゴホ。
いずれも短時間ながら専門的なお仕事である。
こんな年齢で採用されるのもすごいなぁと感謝し、研修、研修、身を小さくして、自分が格段に年上の新人として、交流はなく失敗もし、だけどブラックでもなくニュートラルな雰囲気、空気になるのが理想、みなさんに気を遣う日々・・・おかげで過労?でぜんそくになって、嗚呼、咳で空気を乱しているじゃないか・・・ゴホゴホ。
その前に思っていたことがあった。
「もはや創作に期待をしてはいけないのだ。」
そうだ、もう、創作とかじゃないんだ、もう、行くべきところは、そっちじゃない。だって、いまの世の中は人手不足、わたしのような人間でも、必要としてくれる仕事場がある、給料まで、研修まで、用意してくれて。
創作をやればやるほど、作品からは遠ざかってゆく。売れないフリマの積み重ねが、ポエジーの表層を覆いつくし、もうそこに何があったのか、思い出せない。創作の小さな火、わたしにもそれがあったのだろうか。なんでこんなことをやっていたのだろうか・・・。
<今日も売れなかったね、ハハハハ。>そんなふうに「東京フリマ日記」を書いた頃は、まだ余裕があったのかもしれない。ハハハハ。しかし、もはや創作で何かを得ようとは思わないしぐさは、じぶんの精神を護るためでもあった。いや、書くけれど、書くことは呼吸のようなものなので、手は、書いちゃうのだけど。
「銀河鉄道999」の鉄郎はネジになったのだが(※なってない)、わたしも社会という建造物のなかの、目立たないところにはめられるネジになりたかったし、もうそれになりつつあった。ゴホゴホ。
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だからしばらくは出展者として販売イベントに参加するつもりはなかった。
ただ、このイベントは近所で、役立てることもあるかなと思って、スタッフ募集の投稿に手を挙げてみたのだった。
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9時に集合。お客さんは11時入場だが、出展者受付の仕事がすぐに訪れる。
主催の森さんがいろいろ説明してくれたが、すべてを覚えつくせぬまま、あわただしい出展者受付が始まった。トイレに行っておけばよかったと思いつつ、ぼさぼさ頭で、おはようございます。
主催の森さんの後輩さんがお手伝いに来てくれて、なにやら助かる。玉川大学の話をする。自分は桐蔭生だったので近所の小田急の玉川学園前駅はなじみ深いものだが、玉川大学には芸術の学部もあるのだということを知った。
感じたことなど。
わたしは音楽方面なのであまり絵画デザイン方面に馴染みがないが、出展者さんたちは知り合いなのかなと思った。というよりもしかしたら何度もあっている人もいるのかもしれないが、顔と名前と作品をあまりちゃんと覚えられない。すまない。
スペース的にはゆったりしているイベントで、それは本当に良いことだ。だけど、出展者やお客さんがいっぱい居て、賑わいがあるという雰囲気ではなかった。雰囲気としては美術館が近いのかもしれない。販売というよりは、見てもらうのがメインといったような・・・。
そのぶん見通しがきいて、安全な雰囲気はあった。
そしてTシャツというメインの展示が見やすかった。
そう、Tシャツ展をやっており、壁には冬の半袖シャツの華があざやかに咲き乱れていた。衣料はなんぼあってもいいもので、買おうかなと思ったこともあったが、4000円を超えると少しためらう・・・。けっきょく買わなかったが、やっぱり買えばよかったかなあ・・・。意匠の凝ったTシャツは、着ていると日々が豊かになるから・・・。
自分の販売ブースもいただき、商品を置いていた。
インスタグラムの告知をみて、仲間がきてくださった・・・感激。
CDも買ってくださった。本当にありがとうございました。
それと、過去に近所で習っていた習い事の先生が来ており、偶然会ってしまった。
不義理をしているので、ひゃあーと焦ってしまい、妙に多弁になってしまった・・・。こういうこともあるので、日頃の行いには気を付けないといけない。
創作仲間の青条さんも途中で手伝いに来てくれて、イベント自体の手伝いもしてくれた。気が利くなぁと感心することしきり・・・。
2年前のこのイベントの記録「下丸子で本が売れる」という記事を収録している以下の本が売れたようで、何よりです。
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戦利品は以下である。もっと買えばよかった。
◆インドの仕立て屋さん
服屋さんだと思ったら文芸サークルだった(創作小説)。
無料で配布していた小冊子読ませていただいたが、小説と散文詩って似ているなぁと思うほど、詩を感じる文体であった。文学の雰囲気に出会えるのはうれしい。
◆左下の赤いイラストはSAKKIJEYさん
世界観が日本じゃないという印象で、すごいものをみてしまった(語彙がない)。
自分にない世界だけど、こうしたアートがマインドにもたらす影響を想う。
こういうアートの似合う家に住みたい。
左下はDuiさんという方の絵。けっこう好み(↓)
https://www.instagram.com/endo_yui/
右2つはJohnさんという方のブースで購入。
やっぱり、線が強すぎないというか、かわいい系が好きなようだ。
https://www.instagram.com/john512m
また、いつもの菊水堂ポテチやグッズもいただきました。
ありがとうございます。
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このイベントはシステムが複雑で、出展者のときもよくわからなかったし、スタッフを終えた今でもよくわかっていないのだが、イベントを行う大変さは理解できた。
ドタキャンする人もあり、その時その時のトラブルもある。今回はとくに設営上のご苦労があったときく。とにかくぶじに終わってよかった。主催の森さん、お疲れさまでした。
いつも謎の疎外感を感じるイベントだが、よく考えたらどこにいても疎外感に満ちており、さいきんは自分の事務所にいても疎外感の海に溺れ、息苦しく咳こみ、どこに行っていいのかわからない。たぶんそれはわたしだけのことではなく、創作系のイベントは疎外感がものすごいし、渋谷の交差点だって、新学期の教室だって、疎外感の海である。きっとこの世界は疎外だらけの針金によって張り巡らされ、安住の地をもたぬ民はその肉体を預ける場所を求めてさまよっているのだ。そんな疎外感が集ってひとつのことをやっているだけでもすごいことで、そこに居ることができただけで感謝しなくてはいけない。期待してはいけない。感じてはいけない、ネジになれ。
ちゃんとしたネジになれたのであれば幸いである。
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手伝いで大活躍した青条さん(ありがとうございました)とファミレスで反省会をした。
ファミレスなんて何年ぶりだろう。
広い机。大きなメニュー。置かれたタブレットに誘い文句がつぎつぎ踊る。
小さな子供とその両親。
小さな子供を連れた家族が子どもにクイズを出している声。
子ども、外国語、また子ども。
ここでパソコン仕事をしない理由がなんとなくわかった。
ひとりで来たら、ぼっちで、疎外感で、やられる。
<日暮れて道遠し。>
<日暮れて道遠し。>
何度もつぶやく友の顔が夜の窓ガラスに映る。
文学の仲間が、まだそんなふうに遠くをみていることに感動する・・・人間に期待をしている火のパチパチが、ほのかに暖かい。
背中側の交差点は赤信号で、振り向けばテールランプがつらなっていた。
窓の外でファミレスの駐輪場に自転車を停めた若者が、またすぐに自転車に乗ってどこかに走ってゆくのを見た。
何かを、背負って。
(もはや創作に期待をしてはいけないのだ。ゴホゴホ。)
わたしはぜんそくの薬をいつ吸入しようかと考えながら、ドリンクバーのコーヒーを片手に肉と牡蠣と野菜ばかりを食べた。
牡蠣、美味しかったなあ。
おわりぬ。