わたしは小学生の頃、三原順の「はみだしっ子」にハマっていた。
今でも全巻、持っている(※実は、姉の、だけど)。
意地っ張りでさみしがりやの少年「アンジー」君が、母親から拒絶されたときに街で荒れ狂い、雨の中でつぶやいたセリフを、ふと思い出す。
それは、こんなセリフである。
みんな雨から逃げてくよ・・・
雨は・・・
ボクなんかにでもふれてくれて・・・
雨音まで聞かせてくれるのにね・・・
雨は・・・こんなにも優しいのにね・・・
(「われらはみだしっ子」p107「だから旗ふるの」より)
雨は誰の肩にも平等に降る、そしてそれは優しいものだ。そんなふうに感じたひとつの休日があった。
豊洲に行った日のことである。
そう、豊洲(とよす)。
東京都江東区にある人口の島、豊洲。
地図をみると東京湾の奥のほうにある長方形の島。
わたしにとっては最近市場が移転したくらいの知識しかなく、そこには静かな海の風景が広がっているのではないかと期待して、有楽町線に乗って行ってみた。
日比谷線・日比谷駅から、有楽町線・有楽町駅への乗り換え。滅多に乗らない有楽町線は意外と混んでいた。豊洲は有楽町から4駅ほどですぐに到着したが、乗車していた乗客の多くが豊洲で下りるので驚いた。降りた人のすべてが外国人観光客にも見えず、みんなが市場に行くわけでもなさそうだ。
わたしが知らないだけで、豊洲は人間が行き交う駅だったのだ。
◆
駅のホームの中央部分に、ホームドアに囲まれた不自然な通路があった。ここにはかつて2つの線路があったのだろうとすぐにわかる通路。何かが埋まっていることが伝わってくる通路。ここを歩いていいのか最初はわからず、他の通行人のあとを追うように、こわごわと歩いた。線路の上の空中を浮遊するような気分だった。
改札を出て地上に上がると、いきなり激しい雨が風に乗って襲い掛かってきた。細い屋根だけがある通路では横からの雨をよけられず、わたしはあっという間にびしょ濡れになってしまった。その時着ていた服が濡れて、もともとヨレヨレだった服がますますみすぼらしくなった。
雨の洗礼を受けながら周りを見渡すと、ビルやマンションだらけの整った風景が広がっていた。
あわてて近くの「ららぽーと」に入る。初めて入った「ららぽーと豊洲」は、中庭を挟んでU字型に店舗がならぶ、比較的大きなショッピングモールだった。
https://mitsui-shopping-park.com/lalaport/toyosu/floor/
濡れながら入ったららぽーと豊洲は混雑していた。その客層は、若い夫婦と小さな子供が多いようにみえた。子どもの声、子どもの声。母の声。お店やサービスの呼び込みの声。さまざまな声が交錯していた。ベビーカーが次々に現れては轍を残して去ってゆき、母親と手をつないだ少年が何かを見つけて母親に告げている秘密の声たちとすれ違った。
この雰囲気、どこかに似ている・・・・
そうだ、武蔵小杉に似ているんだ。Not for me、もうあまり行かなくなってしまった街、武蔵小杉に。
ここでは自分は、はみ出し者のように思えた。最近、東京近郊にオープンする大規模な施設の多くは子ども連れをターゲットにしてる。そんな場所に来ると子どものいない自分は疎外感を感じてしまう。わたしは子ども嫌いではないし、子育てには外からは見えない深い悩みもあるだろうことは理解しているものの、子育て中の方々はみな若くて美しくみえてしまう。お金がありそうに見えてしまう。立派な服を着ているように感じてしまう。まぶしくて、そこには入り込めない世界だ。
・・・喘息の咳が出そうになり、あわててマスクを着用する。
Not for meだったんだ。豊洲自体、来ちゃいけなかったんだ。ウィンドウに映る自分の姿が貧相だ。壊れかけた財布の中身がスカスカだ。もともとヨレヨレだった古い上着が、雨に濡れてもはやダメになった雰囲気を醸し出す・・・本当はわたしも仲間に入れてほしかったんだ、「こどもまんなか社会」と日本政府が提唱するなか、国から目をかけてもらえる、注意を向けてもらえる、お金をつけてもらえるその明るい未来の対象者に、自分だってなりたかったんだ・・・
・・・うん、買うか、上着を!
めずらしくそう決意し、まずは2階のユニクロに行って、あれこれ見て回った。
しかし、なかなか決めることができず、1階のZARAに行き、ブティックに行き、値札を見ては、あれこれ悩み・・・結局ユニクロに戻ってミントグリーンのシャツを購入した・・・安かったので・・・
つくづく、お金を使うのが苦手。
試着室で着替えると、少しだけ新鮮な気持ちになった。しかし、たかが上着を1枚買うのに1時間くらいららぽーとに居たら、とても疲れてしまった。
子ども向けスポーツの体験サービスが展開される通路に反響する声のベクトル。
子どもを叱る女性の声、子どもの泣き声、笑い声。ああ咳が出る、ゲホゲホ。
息苦しくなり、出口に向かうドアを開けると、そこは中庭であった。
・・・ああ、ここはいい。ほっとする。
雨露の滴る雑草を踏みながら中庭に歩み出すと、買ったばかりのシャツが潮風で波立つ。
ときどき「本日は迷子が多くなっております・・・」というアナウンスが建物のほうから小さく聴こえるほかは、とても静かだ。
自分が、誰もいない風景を必要としていたことがわかった。
雨は人を減らしてくれるのだ。
海に注いでゆく大切なものなのに。
「はみだしっ子」のアンジーのように、雨はこんなに優しいね・・・と心のなかで呟いた。
中庭の向こうにカフェのようなものがみえたので、「コーヒーでも飲むか」と思って行ってみた。
しかしそこはカフェというよりはブッチャー・リパブリックという肉料理のお店だった。
まあいいや、軽食でもいただこうと思ってお店に入ると、黒いシャツを着た店員が窓際の席を案内してくれた。海がダイレクトに見える良席。開け放した窓からは涼しい風が吹き、濡れた髪を乾かしてくれた。ハの字を描く跳ね橋が不思議な絵本のようだ。
食事の注文はお店のLINEと友達になってから行うようであった・・・LINEを立ち上げ、友達になってメニューをみてみると・・・むむ、高いな・・・ひとまず、コーヒーと「水餃子のジェノベーゼ」を注文した・・・安かったので・・・お金を使わないタイプだなとつくづく思う・・・。
ほどなく注文した品物がやってきた。
わたしの好きな緑色。
さっき買ったシャツと同じ色のカップ、同じ色のバジル、その向こうに霧でおおわれた海がみえた。この風景がとても良かったので、置き所のなかった自分の精神は、やっと落ち着くことができた。
・・・ほんとうはさびしかったのだな、今日は・・・。
帰り道も雨は止まず、空を見上げれば高いマンションの上階のほうに低い雲がかかっているのが見えた。わたしが帰る大田区も同じように雨が降っているようだ。東京湾をぐるっと囲んでいる大田区と江東区は、地図でみれば意外に近い。だが、同じ東京に住んでいても、街を構成する人間のグループは街によって意外と違ったりするんだな・・・そんなことを実感した。
ー この地上は2階建ていや5階建て違うフロアがあるという世界観 ー
ー 泣いている迷子の子どもが親を見つけさらに激しく泣く 海は凪 ー
ー 炊き出しで知り合った友 達筆な友 歴史もつ友に雨は優しく ー
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以上が豊洲に行った記録である。
次に豊洲に行くことがあれば、市場にも行って、マグロでも食べたいと思う。
おわり。
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