石垣島に行ってきた。
いかにもライブをしにいったように書いてきたがきっかけはそこではなく、石垣に住む友人が「泊まりにおいでよ」と言ってくれたので、じゃあ行くかということになったのだ。
相変わらずエネルギーの足りない旅の記録を残したいと思う。
◆
◆旅の準備:石垣について知る準備。
石垣島について、恥ずかしながら知っていることはなかった。
昨年那覇に行ったときも、沖縄について知らな過ぎて恥ずかしい限りだったが・・・
那覇の記事はこちらから(↓)
石垣島のことはなおさら知らない。
地図をみると、さくらんぼのような形の、南側がふくらんで北側が細い、かわいらしい島の形。あまりイメージが湧かない・・・。
友人も「どこに行きたいとか、何をしたいとか、ありますか?」「シュノーケリングとか、シーサー作りとか」「いっしょに民宿にも泊まりましょうか?このカフェでご飯食べましょうか」と丁寧にたくさんの提案を下さった。しかしやりたいことの足りない自分、ガイドブックを見ても、これをしたいとか、ここに行きたいとか、そんな気持ちが湧いてこない。ただ綺麗な風景を観たい、ドライブは素敵、灯台は好きかも、そんな返事をした。
「石垣島に行く」というと、皆にうらやましがられた。
海に入るのがいいよ、生き返るよと勧めてくれた友や、金ちゃんラーメンというカップラーメンがあるよと教えてくれた友。台湾がすぐそばにあることを教えてくれた家族。
わたしの物書きのライヴァル・青条さんがうちの事務所に来た時は、石垣島のガイドブックを見ながら「与那国島に足を延ばせば日本最西端ですよ」と教えてくれた。
そのような解説をきいて、石垣島が想像以上に南西にあることが理解できた。
気候もずいぶん暖かいようだ・・・コートはいらない感じだな・・・。
宿泊に関しては最後まで迷ったが、最初の2泊を友人宅に、最後の1泊は一人でホテルに泊まることにした。
◆ライブの準備。
わたしのライブなんて誰も望んでいないのだが、ライブするからには練習しないといけない。というわけで1か月ほど音源製作と練習を行い、最後の仕上げは川崎の無人スタジオであった。そこで声の調子をモニタリングした。
ぜんそくでステロイド吸入を開始して半年ほど。副作用で声が枯れるのではないかと心配したが、声自体がそこまで変わったわけではなさそうだ。しかしすぐに咳込む弱さは治らない・・・もう半年くらい、こんな状態なので、永遠に歌など歌えないのではないか・・・。
今回はもう治らないと開き直って、小さな声でやるしかないと思った。
せっかく川崎に来たので、川崎モアーズの「10円でお菓子を落とすゲーム」をやった。珍しくたくさんのカルパスを落とすことができた。そのカルパスは旅にもってゆき、夜中にこっそり食べて空腹をみたすなど、たいへん役立った。
◆手土産の準備
石垣の友人から、いろいろな物品をお土産に買ってきてくださいと頼まれ、あちこちで買い物をした。
しかしそれだけでは何なので、おみやげとして「大国(おおくに)屋」の羊羹を持って行った。大国屋は池上に本店のある和菓子屋さんで、矢口渡のそば、環八沿いにあるが、これまで買ったことはなかった。
上の写真ではわかりづらいが包み紙に、環八と飛行機が描かれていた。世界にはばたく羊羹という意味だろう・・・か?
そのほかに準備したこと:
ハサミを機内に預けるほうの荷物に入れ、モバイルバッテリーを持ち運ぶほうの鞄に入れた。
なんとなくスマホにポケモンGo!を入れてみた。
飛行機で読むため、夏目漱石「それから」と「ゴールデンカムイ 第3巻」をKIndleで購入してダウンロードしておいた。
◆
さて当日。
東京は晴れていたが、すごい風だった。昼空があまりに強風で赤みを帯びていた。
飛行機はちゃんと飛ぶのだろうかと不安になった。
東急運転士の高らかな出発進行。
新しくなった制服。袖口の白いマークは、ひとむかし前の東急の制服の白いラインに似ていることに気づいた。東急駅員の袖口のように、鋭角ではなく柔らかい角度で日差しは差し込む、また風が吹く。
東急蒲田駅に到着し、さて羽田までどのように行こう?
ここから京急蒲田までをつなぐ蒲蒲線・・・はまだ完成していないので(※作ってもいないが)、この日はリムジンバスで行くことにした。
蒲田駅東口を出てすぐにバス停がある。
バス代は300円、路線バスよりちょっと高い。15分ほど待って、時間通りに来たバスに乗り込んだ。
黒いボディにFUEL CELL BUSのロゴがかっこいい。
バスはラクでいいのだが、やや時間がかかる。信号で止まりながらゆっくりと羽田に、そして石垣に近づいていることを実感する。
空港に近づくと風景が大味になってきた。
ひとつ前の記事(品川のWHAT)でも書いたが、埋め立て地の風景は独特の大きさを持っている。大田区民の自分は埋め立て地に囲まれて住んでいるんだなということを実感する。大きな建造物はカッコイイと思ってしまう自分がいるが、やはり四方を海に囲まれている石垣島では、埋め立て地などはあるのだろうか・・・。
バスだと羽田空港に入ってからやや時間がかかるが、終点の第1ターミナルで下車した。今回はJAL(JTA:ジャパントランスオーシャン航空)だったので、第1ターミナルなのである。
チェックイン機がすぐそばにあることに感動しつつチケットを発行して、荷物も預けた。
案内板をみると、羽田空港からはひっきりなしに飛行機が飛び立っていることがわかった。
まだ時間があったのでラウンジに行こうと思った。手荷物検査場に入る前だったがパワーラウンジというところに行った。初めて行ったラウンジだったが、すっきりとした作りで、電源等が整っており、たくさんの人が利用していた。
わたしは手前の席に陣取り、スマホの充電をしながら、夏目漱石「それから」を読みはじめた。主人公の代助は30歳くらい、高等遊民という感じで周囲からの冷たい視線を浴びている。代助が夜桜のよさを語ると、友人の平岡は「いいんだろうけど僕はまだそれを見たことがないし、世の中に出るとそれどころではないんだ」と代助を見下すように言ったシーンがあり(←意訳)・・・おや意外に面白いな・・・それに反論する代助の言葉に、自分を見ているような気になった。
しかし、こんなに落ち着いて読書できたのは、いつ以来だろう。
生産性などを度外視した無駄な時間が大事だなと、旅に出るたびそう思う。
30分ほど読書をして、ほどよい時間となったので手荷物検査に向かった。「脱げ脱げ」と言われて3つほどの籠に自分の荷物や衣類を入れてゆく。コートもカーディガンもブーツも脱がされた貧弱な旅人たちがテペテペとゲートをくぐってゆく。そのとき武器はございません。
今回は8番搭乗口であった。この隣にもパワーラウンジがあり、入ろうかどうしようか迷ったが、しかし、今はロビーにも充電コンセントがあり、おやつを食べたい自分にとって、もはやラウンジを使うメリットがなかった。
ラウンジには入らず、そのあたりの椅子に座って充電をしながらカルパスを食べた。
わたしが乗る飛行機はJALとJTA日本トランスオーシャンの共同運航。アテンダントはJTAのようだ。構内放送によれば、使用機の到着が遅れているらしい・・・強風のせいだろうか、しょっぱなから、大丈夫かな・・・。
「それから」を読み進める。働くことを選ばない代助の神経の敏感さにやはり共感し、それを丹念に描く漱石の筆力にも気づかされる。文豪はすごいな・・・飛行機、大丈夫かな・・・。
結局飛行機は10分遅れ程度で乗客の案内を行った。
優先登場のアナウンスでいつも思うのだが、最後に乗る方がサービスとしては良いのではないかと閉所が苦手な自分は思う・・・何度も何度もトイレに行って、最後の列で飛行機に乗り込む。
相変わらず心配性な自分を乗せて、ほぼ満席のJAL973機はほどなく離陸した。
(つづく)