ぐるっとパスで入場できるところを探し、古賀政男音楽博物館に行くことにした。
場所は、小田急線・東京メトロ千代田線「代々木上原」駅。
若い頃、厚木市民で小田急民だったわたしにとって、代々木上原は偉大な駅だった。
ここまで来たら新宿まであと少しだと思わせる都会の駅。
堂々たる高架線、広いホーム幅、とにかく巨大なイメージのある駅舎であったが、そういえばほとんど降りたことがなかったように思う。
なので、代々木上原駅周辺がどんな感じなのか、土地勘はなかった。
そして、いま東急沿線民となった自分にとって、代々木上原への交通は悩みどころだった。
渋谷から直通副都心線でー原宿(明治神宮前)で乗り換えて千代田線かな・・・
などと思っていたのだが、実は渋谷区コミュニティバス「ハチ公バス」で渋谷から代々木上原まで直通で行けることを知った・・・しかも100円!?
そもそも代々木上原が渋谷区にあるということも、恥ずかしながら初めて知ったのだった。
そんなわけで、古賀政男音楽博物館に行くのだが、「ハチ公バス」も楽しみなお出かけとなった。
◆
ハチ公バスは、渋谷区のコミュニティバスで、以下の4路線がある。
恵比寿・代官山循環 夕やけこやけルート
丘を越えてルート(上原・富ヶ谷ルート)
本町・笹塚循環 春の小川ルート
神宮の杜(もり)ルート(神宮前・千駄ヶ谷ルート)
古賀政男音楽博物館は「丘を越えて」ルートである。本数もまずまずあるようである。
イメージとしては渋谷から北西に広がってゆく楕円をめぐって渋谷に戻る。楕円の端っこが渋谷と代々木上原である。実はあまり行ったことがない区間を通るようだ。
はじめてのハチ公バス、乗るのが楽しみになってきた。
◆
ハチ公バスのバス停は渋谷周辺に複数あるが、東横線からは「宮下公園前」バス停が近いようである。原宿クロコダイルのイベントに出ていたころはしばしば通った明治通りに出ると、すでに春らんまんの、気持ちのいい青空が広がっている。
ちょうどよく来たバスに乗り込み、100円をPASMOで支払う。
右側5列の小さなバスで、最初はすいていたが、だんだんと人が乗り込んできた。
スクランブル交差点の人波を過ぎ、東急本店、松涛美術館等を抜けるとバスは渋滞もなくスムーズに走りだした。混んでくると「電車がいい」と叫ぶ3歳くらいの子どもがいた。
途中、電動車いすの方が乗車された。
その時、運転手は運転席から出て、手際よくセッティングで車いすを乗せる準備をしていた。運転手の制服をみて、あっ京王だ!と感じた。紺色のジャケットのすそで風になびくサイドベンツ、肩口の切り替えデザイン、肩のボタン。鉄道の制服は今、キラキラ系がトレンドのように思われるが(※個人の感想です)、バスの運転手の制服はシンプルで、その輪郭で運転手であることを伝えており、かっこよかった。この「丘を越えて」ルートは京王の運行だと、あとで知った。
◆
渋谷から古賀政男音楽記念館はおおむね20分ちょっとである。
ただ、わたしは初めて乗ったので、「古賀政男音楽博物館」バス停が代々木上原の直前と直後、2つあることに気づいていなかった。代々木上原の次かな?と思い込んでおり、少し時間をロスしてしまった。
やっと古賀政男音楽記念館に降り立った感想は・・
すごい立派な建物だな・・・
右手奥、ジャスラックビルの手前にある円形の建物が音楽博物館。ホールも併設しており、想像以上に立派な建物であった。
コンクリートに囲まれたエントランスから、ぐるっとパスを見せて入ろうとすると・・・ぐるっとパスの機械が壊れているとのことで、手書きでチェックしてもらい、入れていただいた。
ひろびろとした館内、わたしのほかには高齢のご夫婦が来ていたが、あまり客は多くなかった。上階は写真撮影OKとのこと。
◆
まず最初に「大衆音楽の殿堂」コーナーがあった。最近殿堂入りした音楽家として、坂本龍一さん、萩田光雄さん、谷村新司さんなどが印象に残った。
とくに、南野陽子の楽曲ファンだった自分にとって、萩田光男さんはその音楽世界を作り上げる偉大な編曲家であったので名前をみて嬉しかった。
古賀政男家の石畳を模した絨毯の細道を通り過ぎると、古賀政男の家が再現されていた。
すごい豪邸!
「作曲活動の場」などは、いかにも居心地のよさそうな部屋で、自分もこんな部屋に住みたいと思ったものであった。
昭和の憧れという感じ。
赤いじゅうたんにふかふかの応接セットがあって、絵が飾ってあって・・・いいなあ・・・しかし、DTMをバリバリやる部屋だと、こんな感じにはならないだろうな・・・。
そのとなりには和室があり、テレビから映像を流していた。その和室は上がってよかったので、靴をぬいで畳に座り、ひとやすみした。
他にはほとんど客もいない博物館、広々として、なかなかの癒し。
あまり古賀政男について詳しくなかったのだが、明治大学マンドリン部の創設者だと知った。父からもらった明治大学マンドリン部のCD、好きだったな・・・。戦前・戦後ともに活躍し、作曲家では初めて国民栄誉賞をもらったことも知った。
壁に飾ったレコードの前に立つと、古賀メロディの楽曲が流れてくる装置もあった。
ためしに立ってみると、北島サブちゃんがうたう「東京ラプソディ」が流れてきた。
花咲き花散る宵も
銀座の柳の下で
待つは君ひとり 君ひとり
逢えば行く 喫茶店(ティルーム)
楽し都 恋の都
夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京(「東京ラプソディ」作詞:門田ゆたか)
周囲に誰もいないのをいいことに、一緒に小さく口ずさんで踊ってみたりした。
そして、思った。
わたしは昔はこうした昭和歌謡があまり好きではなかったが、今はそれらの歌が心に染みる・・・。
昭和生まれのノスタルジーか、それらの楽曲のもつ力なのか・・・。
もともとうたや音楽が好きなので、またひとつ好きなジャンルが増えたことを、うれしく思った。
◆
古賀政男作品には日本と言う国への愛や誇りがあった。作曲家だから詩の思想とはあまり関係づけられないのかもしれないが、詩を伝えるにあたり音楽は大きな役割を果たすとも思うので、楽曲も数多いのだが、「日の丸愛」が印象に残った。
1943年「勝利の日まで」
1970年「日の丸音頭」
日本人なのだから日本を愛し誇りに思うのは当たり前なのに、自分はそういったことを歌にすることに少しばかりのためらいがあった・・・そもそも、自分には愛国が足りないのだ。炊き立てご飯はこんなに美味しいのに・・・・。
その後、地下の資料室で美空ひばりの本を少し読んだ。
横浜の魚屋さんに住む歌の上手い少女が、戦後の復興とともに歌を育ててゆく過程。
戦後を生きた人にとって美空ひばりの歌はつねに伴走してくれる心強いものであったのだろうということがわかった。
そういえば美空ひばりの楽曲のカバーを頼まれて作ったことがあった。
この地下資料館には30分300円のカラオケルームもあるようで、CDを作ってくれるそうだ。気軽なレコーディングルームのよう。いろいろ役立てそうな気もする。
古賀メロディは、自分とは世代的に少しずれているが、実は聴いている・知っている歌も多かった。歌謡曲もいいものだ、もっと聴いてみようかなと思わせる一日だった。
◆
博物館を出たあとは、代々木上原周辺をぶらぶらしたが、よく考えたら代々木上原でほとんど下車したことがなかった。
小田急民だったころは、高架線で眺めの良い代々木上原を通るたび、この駅を降りれば下北沢のようにカフェやブティックが広がっているのかと思っていたが・・・
そんなことはなかった。
下北沢のように、カフェ・お店がびっしり、ということはなかった。
だけど、路地裏などを歩くのは楽しかった。もう少し詳しくなれば素敵なお店に出会えるに違いない。
結局、この日は駅ビルの「サンマルク」で一休みした。
博物館と違ってここは混んでいた。
座席に座って、駅のコンコースを行き交う人をぼんやりみていた・・・本厚木駅もこんなふうに通路沿いにカフェがあったなと思い出し、もしやこの風景が小田急らしさなのかな・・・などと思い出していた。
そして渋谷周辺の渋滞で数分遅れた「ハチ公バス」に乗って、また渋谷に戻った。
しつこいようだが100円。お安い。
ヒジャブをかぶった女性2名がとなりに座り、楽しそうに会話をしていた。
わたしは窓の外を眺めていた。このあたりの土地勘があまり無いので、車窓の風景が新鮮にみえる。上品な雰囲気のカフェなどもみえる。やがて、大きめの公園が見えてきた。まだ咲いていないが桜の木が並んでいるのがみえ、家族連れが何人か散歩をしていた。あんなに大きな区画の公園あったんだ、穴場だな、知らなかったな・・・と思って調べたらどうやらそれは東大駒場キャンパスだった・・・。
「思い出さ~ん こんにちは・・・」
島倉千代子のそんな歌も、古賀メロディである。
心配された渋滞もなく、文化村を下ってハチ公バスは渋谷に到着した。渋谷につくと、自分の街に帰ったとほっとする自分がいた。
終点間際、「ハチ公バス~だ ワン ワン ワン」といった歌が流れてきた。一度しか聴いてないのにすっかり覚えてしまった。
◆
そんなわけで、古賀政男音楽博物館に行って昭和歌謡が好きになり、ハチ公バスの便利さにも感動した1日であった。
(小田急線に乗れなかったのは、ちょっと残念だった。)
おわり。