松岡宮のブログ

詩でうた作り

所属のない教え子

「ほしが きれいですのん」

 

キャベツ畑のなめくじが

夜空見上げて考える

ーあの さんざめく星たちの ひとつひとつに名前があるらしいー

ーまあ それは不自由ねー

ーわたしたちには名前がないから替えがきくじゃないー

ーわたしたちには名前がないから使い勝手がいいじゃないー

 

名前のない なめくじ

かたつむりのように背負うものもない なめくじ

ガード下で のたうちまわる なめくじの群れを

子どもは 見ては いけないよ

身軽なその身体をカーブさせて 

空を見上げる なめくじ

ためいきの なめくじ

忸怩たる思いの なめくじ

 

  

「なめくじフェスティバル」/松岡宮

(アルバム「エメラルド・グリーン区」より)

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名前とは 本人以外の誰かのためのもの。

(王子さま、ひとりの星では、名前は、いらなかったですね)

所属とは、その人の価値を決め、その人を保障する、根っこのようなもの?なの、かな?

(王子さま、ひとりの星では、所属欄は いらなかったですね)

 

なめくじに名札はいらない。個別の存在を支える「名札」、そう、あの、学会などで入場時に書かされる、首からさげる名札はいらない。

(物理的に、名札、無理だし。)

所属がないからさらわれても問題にならないし名前がないから誰かが代わりになれる。

誰でもないこと、替えが利くことは、いつもなめくじの誇りだった。

 

するする するする

なめくじは音もなく移動する

だけどわずかな軌跡をのこす

なめくじの軌跡に今宵の月が反射する

まぶしい光に、溶けちゃおう、のん・・・

 

つん

つん

つん・・・

 

これは

地元商店街で平日限定690円で切られたわたしの毛先である。

 

お安いカット、シャギーもシルエットもなく ただまっすぐに切られ、毛先の分厚いストレート、なんかカツラの髪みたいになった。

髪が多いのは、きっと、恵まれているのだ。

 

 

12時の鐘が鳴ればランチの時間。

 

・・・わあ、お腹ぺっこペコ・・・いただきますのん!

 

これは

正規雇用のランチタイムである。

 

ぐるぐるぽっぽう、ぐるぽっぽう・・・

噴水広場で鳩と同席のランチタイム・・・やだわ・・・鳩がこっちをみてる・・・

落ち着きのない動きで、みてる。奥底のみえない無邪気な黒い目で、みてる、首を動かしながらもこちらをうかがう、いやだわ、わたしに気があるのん?

今日のランチも、お気に入りの、ローソンの低糖質パン。

ルフレジで、Pontaポイントを読ませてから、auPAYのバーコードで買い物をするのも慣れた。

 

膝に乗せたスマホを読みながらパンをかじってコーヒーで流し込む。

 

スマホがワークマンで買ったボトムの膝の上で揺れるのでスマホの裏には摩擦が必要

 

うむ、しあわせだのん。

 

靴のかかとを指であげて、午後からもお仕事、がんばりますよん。

 

 

これは

わたしの事務所に住まう働きものたちである。

 

あなたたちには、何らかの、名前が、あるのだろうか。

じっと見つめていると、オスの顔の白さにも、それぞれ、個性があるように感じる。

Identifyすることに意味はあるだろうかと問うとき、はっと気づく、

 

働きものたちにIdentifyされているのは、わたしだ、ということに。

 

人間社会からスルゥ~される存在でも働きものたちにはIdentifyされる

キケンなビームが出ているか否か

それだけを判断されて

 

大自然には虫たちの息吹

そのただなかで詩をうたう松岡

所属や肩書の通用しない世界に慣れすぎてしまった

のん

 

これは

指導教官(A先生)からの年賀状と

もうひとりの指導教官(B先生)の奥様から来た、喪中はがきである

 

そう、昨年、B先生は亡くなったのだ。

 

そして今年、A先生も亡くなったのだ。

わたしが「今年で紙の年賀状を止めます」と書いたからだろうか・・・(←違う・・・笑)。

 

そう、わたしには卒論の指導教官が2名いたのだ。

何もやりたいことがなかった大学生の頃、それでも卒論を書かねばならず、何もテーマが浮かばなかった。こっそり作詞の通信教育とか受けていた気もするが、そんなことは誰にも言わず、毛量の多い黒髪を持て余し、日々詩を書くばかりでボンヤリしていたわたしに、2名の指導教官がついた。

 

1名は教室の教授で医師であった。

1名は助手の先生で非医師(心理カウンセラー)であった。

 

ぬぉーーーーーん。

 

それでね・・・なめなめ・・・何を言いたかったのか、忘れちゃったの、うねうね。

 

あ、そうそう・・・A教授が亡くなったときにネ、後輩が音頭をとって、教え子一同で弔電を送る企画に誘われたの。

リンクされたGoogleフォームに行ってみたの。

そのフォームの、入力すべき「名前」のほかに「所属」があったの・・・うん、普通のことよん。

 

・・・なんか文体がへんね、戻そう・・・。

 

その「所属」の欄が、わたしを突き落とした。

 

所属が無いのだった。

 

・・・「こころの健康 研究室」から放たれる光の軌跡、幾筋も夜空に向かって放射線を描く、星まで届きそう、きれいだね、所属とはメダルのよう、所属とは欠けるところのない円形の輝き、中秋の名月。非正規雇用なら三日月のかたちでしょうか。不安定な職であれば、所属はどんなふうに不完全な形態をもつでしょうか。それは裸足で歩いている人だけを傷つける美しいかけらなのでしょうか。新月の日には見えない光。あの頃お世話になった、H先輩、M後輩、今頃どこで、何をしていますか・・・。

松岡は、あなたがたのことを、わすれたくありません・・・。

 

これは、教室の50周年記念誌に、やけに普通のことを書いている松岡だ。

こんな(いっけん立派だけど中身のうすい)文章がすらすら書けてしまうことが、いかにも自分らしいのであった。

 

これは・・・

ドンキで安かったパパイヤ

わくわくしながら剝いたけど・・・もう 苦くて苦くて・・・ 思わず吐き出した・・・うわおおおおおおおお苦い・・・。

 

・・・未熟だったんだね、きみは。

 

 

・・・永遠に成熟しない果実があり未熟なままで腐ってゆく、のん。

 

 

あれは、今から20年くらい前だろうか。

まあるい顔、髪の毛の多い松岡が教授室にやってきたッ!

「A先生、このたび縁あって、わたし、NPOで働きます💛」

そう言ったらA教授は慌てて、「いや、松岡さん、早まってはいけない。今からでもアカデミックポスト探すから、秘書さん、ちょっと空きポストがないか、探して」と言ってくれたのだ。

風船の旅はしぼんで終わる、それを、心配して。

馬鹿な教え子を心配して。

まんまる顔に、まんまるお目々。若いわたしは教授のそんな言葉を不思議に思ったのだ。所属なんてなくても、幸せになれるのに。そして、月の綺麗な雨の夜、答え合わせが やってきたのだ。

 

先生の教え子たちの多くは先生の教えをきちんと踏襲しております。のだ。

 

所属の無いだめな教え子で本当に申し訳なかったのだ。

 

だけどそんな教え子にも年賀状を送ってくれたのだった。

 

来年からは、もう、来ない。

 

 

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『夢の運転士型ロボットと呼ばれていました

専門家が社運をかけて開発しました

工場では技師さんたちが一台一台手作りしてくれました

時間をかけていろいろな教育を受けさせてもらいました』

 

ぼくを 考えてくださって ありがとうございます

ぼくを 設計してくださってありがとうございます

ぼくを 作ってくださって ありがとうございます

ぼくに 夢を託して 未来を託して

社運をかけて 時間をかけてくださって

どうもありがとうございました

ごめんなさい あまり お役に立てなくて

ぼくの たくさんのおとうさんたちへ

 

松岡宮「大きな宇宙の嶋村」より

 

 

「三日月さんが わらってるのん」

 

いじめられない 夢のなか

排除されない 夢のなか

塩 撒かれない 夢のなか

美味しいものに包まれて

虹色の軌跡を残しながら

キャベツ畑のなめくじがしあわせな眠りにつくのだった

のん。

 

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

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