Miya Matsuoka's Writing

Ph.D., Certified Psychologist, Poem, Musician

「来て」~東京・APIA40から福島・双葉へ

 

1年半ぶりのライブ

 

ライブハウス「APIA40」のブッキングに誘われ、1年半ぶりにライブを行うこととなった。

 

お客さんに「来て」ほしいなと思った。

 

仕事を休んで作品を作りこみ、毎晩スタジオを予約して稽古し、初見の方でも伝わるような明るくわかりやすい作品を組み、歌詞カードにもなるライブ来場者特典の冊子を製作した。詩の暗記が本当に大変だったけど、カンペなど観ずに暗記を頑張って、ちゃんと暗記をこなせた手抜きのないライブ。

 

「来て」

「来て」

 

と思ったがお客さんは殆ど来なかった。

 

ライブハウスに足を運んでいただくのって、なんて難しいのだろう・・・。

 

ライブ活動もうやめようーと涙ながらに帰宅する途上、脳室のなかで「来て」「来て」と囁き往復する巨大な文字があった。

 

それは、駅でみた明朝の文字、あの「来て」だ。

 

 

 

 

そう、福島県公式による「来て。」ポスターの文字。少し前は、都内の駅にもいっぱい貼ってあったポスター。その「来て」の声を、わたしはビンビンと受けてしまったのだ。

 

・・・「行く」か!

 

 

 

今回のライブのために、新作「いわき2019」という作品を制作した。それは、2019年に上野から仙台まで常磐線のみを用いて移動した時のことを書いたが、その頃、富岡ー浪江間は代行バス区間であったので、代行バスから見えた風景を、Bachのトッカータとフーガを原曲に用いた音にのせて歌う作品だった・・・。

 

そういえば、「たびぽえ」という雑誌で「浪江の駅のバス乗り場」という短詩を掲載していただいたこともあった。代行バスを降りて常磐線にまた乗り換えた、曇り空の浪江駅。波打つタクシー乗り場の屋根のこと。掲載されてうれしかったな・・・

 

・・・と、わたしはそんなふうに、2019年にただ一度通り過ぎただけの街を、作品にしたり、情報として消費したりして、自分ひとりでいい気分になっていたのだが、日常のなかではしばしばそれらの地のことを忘れ去り、浪江や富岡に思いを寄せているようでもそれから足を運ぶことはなかった。

 

>2020年3月14日、常磐線全線開通。代行バスは役目を終えた。

 

そのくらいのことしか 知らなかった。

 

あの震災の日からずっと、富岡ー浪江の間の街や、そこから北西にのびた地域は帰還困難区域であり続けた。その長さ、重さ、大変さを思う。そして、近年、少しずつ「特定復興再生拠点区域」を定め、街に人が戻ってきつつあるときく・・・主に、会社などが、少しずつ・・・。

 

調べてみた。

 

福島復興再生特別措置法の改正(H29.5)により、将来にわたって居住を制限するとされてきた帰還困難区域内に、避難指示を解除し、居住を可能とする「特定復興再生拠点区域」を定めることが可能となった。

復興庁 | 特定復興再生拠点区域復興再生計画

 

 

避難指示区域の概念図(令和3年3月31日時点)

(避難指示区域の状況 - ふくしま復興ステーション - 福島県ホームページより)

 

 

だが、こうしてウェブサイトの情報だけでは、実際の様子はわからない。

 

「来て」

「来て」

 

と、福島県がそういうのなら、足を運ぼうじゃないか。

 

 

富岡にいきなり宿泊予約

 

今回のライブでも7作品中3作品に「常磐線」という言葉が含まれており、漢字で書けば「盤」ではなく「磐」であるということ、漢字のそこは「皿」ではなく「石」なのだと初めて知りながら、常磐線を作品にしがちな自分、どんだけ常磐線が好きなんだと思いますが、品川から乗れる常磐線「ひたち号」に乗って富岡―浪江をめぐる予定をたてた。

 

いきなり楽天トラベルで予約できるのかな・・・あ、できた。

GWだったがそんなにお客さんが押し寄せるような場所ではないのだな・・・とわかった。

泊まったのは富岡駅から徒歩5分くらいの、丘の上にあるホテル。仕事を終えて、品川で「ひたち号」に乗り換え、「え、上野から水戸までノンストップなの!?」などと驚きながら、常磐線はすいすいと静かに北上する、海に沿って。

 

ところで、今回のライブでも歌った「ダイヤモンドヘッド茨城」というカバー曲は2019年に茨城の高齢者施設にて慰問ライブさせていただいたときの書きおろしである。

歌詞は「とりで ふじしろ さぬき うしく」、今回もその歌詞で唄ったが、「佐貫駅」はいま、「龍ヶ崎市駅」になっていたことを知った・・・。

 

りゅうがさきし・・・う、歌に乗りにくいな・・・。

 

電車に酔いやすいほうだが、常磐線特急なら本を読んでも大丈夫かなと思い、父の遺品の本のなかから、なぜか勢いで「流れる星は生きている藤原てい)」をもってゆき、時間があれば読んでいた。

満州引き揚げ者の父の遺品には、藤原ていさんの本がたくさんあり、いつか読みたいと思っていたので、良い機会であった。

 

 

私は貨車に乗ったとたんに頭がくらくらッとした。馬糞がうず高く積もった貨車の中は嘔気を催すような臭気が充満していて、その中にぎっしり閉じ込められた人いきれのために息が何度でもつまりそうになった。発車してから雨になった。

藤原てい流れる星は生きている」p185)

 

いわき駅で特急を降り、普通列車に乗り換え、さらに北へ。

自分の作品「いわき2019」と同じ乗り換えパターンを経て、富岡駅に到着したのは20時すぎだった。

歩いている人がいない、駅員もいない、誰もいない駅前。

 

夜の向こうに波がある。

海のそばにある富岡駅。

津波被害のあった駅舎が新しくなって、何もかも、ピカピカと新しい。

本当に海のそばの駅で、ホームから見える海の風景がミニマムな造形美で、風のそよぎも、とても美しい。

そよ、と届く風が、縮毛矯正したてのわたしの白髪を梳いてゆく。

5月の夜風はとても気持ち良い。

駅からの道は暗く、迷ってしまったが、なんとかたどり着いた丘のホテル。GWの土曜日なのに、いきなり宿泊できるほどすいていたホテルも、丁寧なおもてなしをしてくれ、素泊まりで快適に過ごせるお部屋だった。

 

徒歩5分くらいのところにローソンがあるとのことで、闇のなか、国道6号を右折し、食料品を買い込む。このローソンも9時で閉まるそうで・・・21時を過ぎると、本当に静かな闇がこの一帯に訪れるのだろう。

リーリー、じーじー、しゃかしゃか、虫の声が響く。

 

パソコンを持って行っていたので、夜中の0時に英会話を予約し、日曜日のぶんを消化。


・・・I'm on a trip to an area which had been damaged by the earthquake, tsunami, and the accident of Atomic Power Plant in 2011・・・・

 

・・・などと用意した英語は、結局、使わなかった。

 

そして、ベッド際のソケットでスマホの充電をしながら、ふかふかのベッドで就寝。よく眠れた。

 

早朝覚醒の朝、ホテルを出て駅の方に向かい、海を観にゆく。

 

駅員さん、おはよう。

 

写真には写っていませんがすぐ右手が海です。

 

今日も朝のたよりが訪れた駅で、朝陽に向かえば、ああ、まぶしい!

 

銀紙をいちめんに広げたように反射する朝陽、打ち寄せる波の穏やかなリズム。

 

 

この向こうから恐ろしい津波が押し寄せてきたなんて、信じられない。

だが、自然はそんな一面も持っている。そして人間も自然の一部なのだ。

人間も海の一部であり、海も人間の一部である。わたしはいつもつながっている。水温が上がってゆく。低い血圧が上昇を始める。

 

さあ、どこを、めぐろうか。

 

 

とみおかアーカイブミュージアム

 

 

 

旅の予定はこんな感じ・・・(適当な地図です)。

 

 

軽い食事のあと、富岡から徒歩で北上し、国道6号をテクテク歩いて「とみおかアーカイブミュージアム」まで向かう。

 

 

まだ朝の8時台というのに眩しい日差しにクラクラし、日陰を求めて途中で立ち寄ったこの池が、とても良かった。

 

ホーホケキョ

ホーホケキョ・・・

 

・・・なんて声は、都内では駅のトイレから効果音として聴こえてくるだけだが、ここでは本物のホーホケキョがかなり頻回に鳴り響く、人間は誰も聴いていないコンサートをしている、愛する仲間に届けるための声が、透明な楽譜を伴って澄んだ音域で空にほどかれる・・・。

チュンチュン、ざいざい、クエクエ、コエコエ。

そんな自然の織りなす音たちが、日差しのレース糸とともに惜しげなく降り注いでくる。

ときおり車のエンジン音も混ざる。

道路を歩いている人は誰もいない。

 

鳥も 虫も 木々もみな 震災のときは大変だったよね・・・いや、動物はそんな長寿じゃないか・・・。

 

虫たちは原子力災害のことなど、理解することはない、ということも、ない、のかもしれない。

 

私たちは互いにはげまし、どなりあいながら焼けつける道を登っていった。朝から私の周囲をぶんぶん蠅が飛び廻っている。平壌からついて来た蠅に違いない。咲子は背中でひっきりなしに下痢をしている、それを私はかまってやれない。きたないものは私の背中を通し、半ズボンの下まで流れ落ちる。蠅はこの臭気を追ってくるのに相違ない。(藤原てい流れる星は生きている」p220)

 

時間もあったので、この草原で録音をしたり、録画をしたりしつつ、富岡駅から40分ほどで「とみおかアーカイブミュージアム」に到着。向かいの学びの森で顔を洗ったりしながら9時の開館を待つ。

 

 

「とみおかアーカイブミュージアム」は被災ばかりではない富岡の歴史が丁寧に展示してあったが、やはり震災のパートに入ると緊張感が高まる。

富岡駅の被災に関する記述と、殉職した警察官の乗っていたパトカーが、災害の激しさを物語る。

 

 

ミュージアムのパンフレットには、東日本大震災の影響で生じた原発事故は、富岡町で暮らすという「あたりまえの日常」を、突然奪いました」「ご自身がお住まいの地域で、「富岡のような複合災害が起きたら」どうなるか、を想像してみてください」とあった。

 

今回、あちこちで「複合災害」という言葉を見た。

これまでにない要素の加わった複合災害。

もしも自分の街だったら・・・混乱と、悲しみと、怒りと、不安と・・・いろいろな感情が湧いてきそうだが、きっと想像ができない、想像を超えるようなものなのだろう・・・。

 

 

さて、10時10分に「夜の森駅」を出る常磐線に乗らなくてはならない。

それを逃せば、しばらく常磐線の電車は来ない。

 

徒歩40分あれば間に合うだろうとアーカイブミュージアムを早めに出て、グーグルマップと向かい合いつつ、短足でのろのろと歩いていたが・・・歩く道はだだっ広い一面の農地という感じで、5分歩いても10分歩いても風景が変わらず、駅は近づかない。

地図をみたときの距離感が都会とは違うのだ。ここでは駅は果てしなく遠いのだ。新緑のあざやかな生命感に押され、日差しが照り付けるなか、のどが渇いたがそれを補給するすべもなく、走り続ける体力もなく、もう電車はあきらめだ・・・と思ったときに駅がみえ、結果的にはギリギリ列車に間に合った。

 

はぁはぁ。

 

災害前はツツジや桜など花が美しい駅だったということで、少しずつ桜のイメージをもとに戻そうと試みているようであった。

駅の壁面のつつじが綺麗だった。

 

それにしても、夜の森、とても夢想的な駅名。

最寄りの駅は、夜の森です、って、いちど言ってみたい。

 

ほどなく浪江駅に到着。常磐線は便利だなあ・・・。

 

震災遺構 浪江町請戸小学校

 

 

浪江からは「震災遺構 浪江町立請戸小学校」に行く。

タクシーが1台だけ駅前に止まっており、「予約待ちだけど片道だけならいいですよ」と、乗せていただく。

 

親切な運転手さんだった。

 

<ほら、あそこの木は津波の塩害で枯れてしまったのです、この町は人は住めないことになりました。双葉駅周辺も、まだ人は住めないけれど、会社とかは少しずつ出来てきたところです、そうそう、ここは神社だった、このあたりは家がずらっと並んでいたんです、よく見ると家の基礎みたいなものが見えるでしょう・・・>

 

などと説明してくれた。

 

わたしには、平和でおだやかな広い平原にみえる。

かつてにぎわった住宅の面影を観ようとするが、背の高いススキが揺れている穏やかな平原が広がっているだけだった。ここに住むのは良いだろうなと思った。海のそばは内地ほど寒くならないだろう・・・気候もよく、広々として食べ物もおいしそうで、良いところだ・・・ここを去らねばならなかったすべての住民の、言葉にできぬ寂しさを思った。

 

生徒が近くの山へ奇跡的に全員避難できた(しかし校舎は津波被害で壊された)請戸小学校。

 

2階のバルコニー、青い看板が、「ここまで津波が来ました」というしるしである。

どれだけ大きな津波だったのか・・・。

 

 

今回、富岡ー浪江の旅をして思ったのは、まったく観光地化していないということだった。

観光客はほとんどいない。ただ、静かに、あの震災は何だったのかと、残された品々を大事にし、震災の風化を防ぐために展示をしているという感じである。

 

津波の被害の激しさそのままに展示されている教室。

 

当時、請戸小学校にいた生徒たちの現在の様子も作文展示されていたが、「現在は愛知にいます」「今は山形にいます」「埼玉にいます・・」など、居住地がバラバラになってしまったのだと知る。

 

それでも、その生徒たちにとっては、こうして痛々しい姿であっても残っている校舎や海が精神のよりどころ、ふるさとなのだろう。

 

 

さて、ここからどうするか。

浪江駅までは5kmくらいあるらしく、徒歩は難しい。

もちろん電話でタクシーを呼べばいいのだが、さっき乗ったタクシーの運転手さんによると、双葉・富岡方面に歩いて2kmくらいのところに「双葉町産業交流センター」という場所があるらしいので、そちらに向かうことにした。

 

「南のほうに、福島第一原発が少し見えるかもしれません。」

 

そうも教えてくれた。

 

 

しかし、直射日光のもと、乾いた大地を歩くとき、原発事故のことを考える余裕はなかった。歩きやすい靴で来たつもりだが、重い荷物を抱えての移動で、だいぶ疲れてきた。水分不足で汗も出ない。

 

 

ふと気づいた、なぜ「流れる星は生きている」をこの旅に持ってきて読んでいたのか・・・その意味を・・・それは、徒歩の旅の疲労感を、わずかながら慰めるための「杖」になるかもしれない、そんな思いで選んだのだという気がした。

 

あの本で描かれた、子どもを3人抱えて半島を南へ下る母の足の痛み。

 

自分のことだけで重たい荷物を抱えて福島第一原発へと向かう自分の、まだまだ綺麗な靴下と、足の痛み。

 

津波に流された町は、いちめんの荒野のようにみえた。

 

しかし、かつては、誰かの家と、産業と、小学生の笑い声が。

 

・・・塩害の腕 荒野の痩せ木「来て」福島へ・・・

 

 

双葉町産業交流センターまでの道は長い。

心を無にして歩いてたが、なんと途中で「立ち入り禁止」の看板が・・・。

 

たぶんここを突っ切って行っても問題なく到着できそうに思ったが「・・・最近、マイナンバー作ったしなぁ・・・」などと考え、戻った自分がいた。

 

いいんだ。

いいんだ。

流れる星は生きている

いつかはどこかにたどり着く。

 

気持ちを立て直し、どこまでも平らな道を戻り、グーグルマップの通りに川をみつけ、新しく整備された橋を渡ると、遠くに産業交流センターらしきものがみえてきた。

周辺にあまりに何もないので、遠くにあっても、すぐにわかるのだ。

 

2つの立派な建物に、なんとか到着。

 

 

双葉町産業交流センター」と「東日本大震災原子力災害伝承館」は隣どうしである。

 

ひとまず、「産業交流センター」にて、一休み。とても立派で新しい建物に、フードコートやお土産もの屋さんがあった。会議室などもあるようである。

 

人の住まない街に、先進的なコングレス施設があるなんて、不思議な感じ。

 

生き返る・・・。

 

そして、どうやらここでは「レンタルサイクル」があるらしいと知った。

それは、とても有用な情報だ・・・それなら自転車で双葉駅まで行けるかもしれない。

 

その前に、時間もあったので、隣にある「原子力災害伝承館」にも行った。

 

 

原子力災害を中心とした展示や語り部講話を通じて、震災の記録と記憶を教訓として防災・減災に役立てる。」とパンフレットにはある。

 

今振り返っても、この建物のなかにあった展示は・・・確かに事故に関する情報なのだが、なにか自分には消化できないものがあった。自分事として考えるための資料を提供してくれているのだろうと思うが・・・自分に予備知識が足りないため、消化できていない・・・。

 

印象として、原子力発電所がこの町を潤し、この町の発展をささえてきたことがわかった。原発とともにあったのだと感じた。円形ホールのある建物がとても美しかった。

 

そして、事故当時 ネットでよく非難された

  「原子力 明るい未来のエネルギー」

の看板が 裏に飾ってあった。

 

負の遺産として飾ってあるとのことだが、原子力とともに歩んだ街の、原子力に対する捨てがたい思いを感じたりした。

あらゆる過去を口腔内にふくみながら言葉少なに自動草刈り機がかわいらしく仕事をしている。

 

5分間の動画のあと、館内をめぐる。

やはり印象に残るのは、常磐線の全線開通。

駅員たちが持っている垂れ幕の「おかえり常磐線」の文字。

 

うっかり泣きそうになるじゃないか・・・。

 

それから、テレビでよく流れていた、水素爆発の風景が模型になっていた。

 

この「原子力災害伝承館」は、建物も、窓からみえる草原も、ほんとうに、ただ、綺麗だった。そして、観光客はほとんどいなかった。

 

 

レンタルサイクルで双葉駅へ

 

 

隣の「産業交流センター」に戻り、自転車を借りる。

なんと、実質無料・・・100円を入れて鍵を開けるだけ。100円はあとで返却されるようだ。

 

いわゆるママチャリ。

不慣れなサドルとハンドルさばきに苦労しながら、サイクルポートのある双葉駅まで、重いペダルを踏み、向かう。

 

日差しがあいかわらずまぶしく、すいぶん日焼けしてしまった。

車は通るが通行人はいない。

産業交流センターで買ったお土産の袋をハンドルにぶら下げながら、ゆっくりギコギコと西へ。

 

 

 

・・・なんとなくここ周辺は立ち入り禁止なのではないかと思わないでもなかったが、でも駅前で自転車の貸し出しをしているし、いきなり街アートが登場したり、一方で壊れそうな店舗や家があったり、立派な建物が建造中だったり、帰還困難地区でもあったり、電車は走って車も走っていたり、産業交流センターではお土産も売っていたり・・・

 

いまだにそこでの身の処し方がよくわからない双葉駅周辺であった。

 

この春の読売新聞の記事によれば

 

東京電力福島第一原発事故が起きた福島県では今春、帰還困難区域に設けられた「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」で避難指示の解除が始まる見通しだ。唯一全町避難が続く双葉町では、早ければ6月に住民の帰還が実現する。

唯一全町避難続く双葉町、6月にも帰還実現…避難先と行き来する2地域居住も推進 : ニュース : 東日本大震災 : 読売新聞オンライン

 

とのことで、今まさに変化のときを迎えているのかもしれない。

 

誰も歩かない駅前の「ふたば、ふたたび☆」の文字がやけに明るかった。

 

様々な人がさまざまな立場で、双葉のことを考え、動いているのだろう。そのメッセージは、けして単純なものではない。

 

双葉駅周辺に立ち寄る人へのメッセージもあり、今はこんな状況なのかと参考になった。

 

前述のように、双葉駅と産業交流センターの2か所にサイクルポートがある。

ここで自転車を置いて帰りの電車に乗る予定であったが、少し時間もあったので、双葉駅周辺を自転車で巡ってみた。

 

 

衝撃を受けた。

 

本当に11年前のままの建物が多いのだ。

 

つぶれたまま資生堂の看板だけが残るお店。

倒れたままのお寺の門。

屋根瓦がまばらに落ちた大きなお屋敷。

そこには、あの日のままに残されて、時間の流れに風化してゆく建物たちが、あった。

 

残した家のことが気になっても、立ち入りが出来ないなんて、住むことができないなんて・・・・ありえない事態だとわかった・・・それは、どれほどの苦悩であるだろう・・・その事態のすさまじさを実感し、「複合災害」という言葉の重みを、初めて感じたような気がした・・・。

 

・・・ああ、すごい、すごい災害だったのだ。

 

今頃やっと 気づくなんて。

 

 

「お母さん 僕のをお母さんに上げるよ、お母さんお腹すいておっぱいが出ないでしょう」

 今までじっと見ていた正弘が突然こういって、まだ半分食べ残して歯の跡がついているお芋を私に差し出した。私は正弘が本気でそう言ってくれるのをその眼ではっきり受け取ると、胸をついて出る悲しさにわっと声をあげて泣き伏してしまった。

 七歳になったばかりのこの子が自分が飢えていながらも母の身を案じてくれるせつなさと嬉しさに私は声をたてて泣いた。

藤原てい流れる星は生きている」p103)

 

そのとき「良い客になる」という考えが浮かんだ。

 

良い客になる。

 

それはライブハウスでも、カフェでも、いいのだ。

友人でも、仲間でも、福祉の会でも、いいのだ。

 

「来て」

 

という声があり、自分がそうしたいのであればそれにこたえ、お金を使い、よい言葉を伝える、そんな、良い客になる。それが、もはや若くもない自分に出来ることではないか・・・。

 

そして、今日は福島の、双葉の良い客になろう。

 

というわけで、やたらと買った、土産物。

 

 

袋いっぱいのお土産をガサガサ言わせながら立ち寄った双葉駅の駅舎には「休憩スペース」があり、2名の職員さんがいた。

 

トイレにでも行こうとわたしがふとそこに立ち寄ると「いらっしゃいませ。わあー、たくさん買い物してくれたんですね。ありがとうございます。コーヒーいかがですか?」と親切に声をかけてくれた。

 

紙コップのインスタントコーヒーを作っていただきながら、ぐるりと周囲を眺める。

 

これまでのこと、これからの予定、などが掲示されている。それに加え、これから未来に向けての願いを書いて貼り付けるピンクの付箋と、その付箋で出来た桜の付箋アートがあった。

どうぞ書いてください、とばかりに、ペンが何本か置いてある。

 

わたしはその付箋に、こう書いた。

 

「来て というから 来た。」

 

そして桜の幹が描かれたガラスに、ぺたりと貼り付けた。

 

「双葉サイコー!」「双葉駅好きです」「また来るね双葉」などの文字が書かれた付箋の間に、それは静かに埋もれて、遠目に桜の姿を形作っていた。

 

希望が必要なのだ。

そして、希望のためには、ひとの存在が必要なのだ。

 

復興に向けて、設備を作り、お客をもてなすための人を配置するが、住民もおらず、観光地でもないので客もいない。この雰囲気を描く言葉を知らない。膨大な情報の海のなか、一つの言葉や方向性では語りえぬものを抱えているようだった駅前広場。アートで町おこしをしようと描かれたリアルな人物画の向こうに、消防詰所のゆがんだシャッターもみえた。

 

これは、あの日、あわてて消防救助に出るために停電で開かないシャッターを人力であけたのだと、ネットには情報があった。あれから、ずっと、そのままだったのだ。

 

次に来るときには また違う風景になっているだろうか。

 

「ふたば・ふたたび☆」と、つとめて明るくふるまう双葉駅の周囲ではあちらこちらで建物の建設や工事が始まっていた。

 

そろそろ帰る時間となった。

 

この町で受けた、静かな親切の数々、紫外線の数々、何もないことが美しいと感じさせる風景、苦しいことの想像と追憶、ホーホケキョの森と、背の高いススキの群舞、よく減った靴底、あちこちで貰って来たマップやパンフレットなど、ローソンで買い込んだけどドレッシングがなくて食べられなかったサラダなど、さまざまなものを荷物に詰め込み、鞄のファスナーを閉める。

 

双葉駅のタッチパネルにPASMOを「ぴっ」とかざし、ひとまずこの旅はさようなら。

 

 

線量計は0.078マイクロシーベルト。その意味すら正確には分からず、去る双葉。

 

わたしの乗った常磐線は南へ進み、さらば富岡駅。ひたむきに働く重機たちとも、ひとまずお別れだ。

 

運転士と車掌が前と後ろにいる。

常磐線に乗るというのは、常磐線を信じるということだ。

そうだ、ひとを信じよう。

災害にあってもなお、前向きに行動を起こせる人間の英知を。

自分自身のもつ可能性を、自分のなかにある、ひとを支えることのできるパワーを信じよう。

そして、足を運ぼう。

文字だけの情報で何かをわかったような気になるのはやめて、足を運ぼう。

そして良い客になろう。

ひとに会おう。

ゆっくり足を運んで、ゆっくりと生きよう。

 

常磐線は海とともにある。

海とわたしは常磐線でひとつになり、規則正しいリズムを刻む。

そのとき海とわたしと常磐線は、うまく調和し、生きている。

自然はときに過酷だが、天の教えに従って、ダイヤのとおりに今日も駆け抜ける鉄道。

月の教えに従いながら、微妙に上下するわたしの血圧。

 

生きていたことを忘れられてしまう生き物があったとしてもそれは確かに生きていた。

どんな生命にもそこに希望の星があったことを

願う。

 

 わたしの胸に生きている

 あなたの行った北の空

 ご覧なさいね 今晩も

 泣いて送ったあの空に

 流れる星は生きている

 

 私はこの歌を覚えてから、無事に国へ帰りつくまで心の中で歌い続けていた。ちょっとした空虚が出来ると、口をついて出てくるものはこの悲しい歌であった。私だけではなかった。私たちの団体が最後まで歌いつづけた歌がまたこれであった。

藤原てい流れる星は生きている」p65~66)

 

寄せて帰す波もまた、生きている。

わたしもなんとか生きている。

お腹すいた。

帰りの「ひたち号」ではやけに甘いものが恋しくなって、おみやげにと買ったマカロンをあけてバリバリ食べた・・・どっちにしても、パステルカラーのマカロンは、自転車の荷台でガタゴト揺らされ、ボロボロの状態だったのだ。色とりどりの砂糖の粉になってしまっていたが、生き返る甘味だった。

 

福島や茨城から都内へ向かう、少し寂しい心持ちになる。だがわたしにはまだ都内での仕事が待っている。

 

ただいま東京。

 

おお、そういえばライブ頑張ったんだったな・・・。

 

この、383腕章も手作りで・・・やけに頑張ったライブのあと・・・「来て」という声に従って行ったんだった、福島へ。

 

福島との約束、ほんの少し、守れた、かしら?

 

 

それからのこと

 

 

・・・そして家に戻ったら、友人AがわたしのAPIAライブのアーカイブグループラインでみんなにお知らせしてくれていた。

 

 

 

そして、過分な紹介文も・・・(許可を得て掲載)。

 

 

 

・・・「電車は媒体であり」・・・

 

・・・えっ そうだったのか・・・。

 

・・・と作者自身が気づかされるコメント、ありがたい・・・。

 

いつも洞察と文才の素晴らしい友人なのだ。

そして、それをグループラインで知り、観て下さった方から、ちらほらラインが届く。

みんな気を使って「旦那と観たけど旦那が気に入ってたよ」「中毒性ありやな」などと書いて下さり、社交辞令とは知りつつも、ありがたい。今までにない観客が、観て下さったことが、うれしかった。

 

・・・仕事を休んで作品を作りこみ、毎晩スタジオを予約して稽古し、初見の方でも伝わるような明るくわかりやすい作品を組み、歌詞カードにもなるライブ来場者特典の冊子を製作し、詩の暗記が本当に大変だったけど、カンペなど観ずに暗記を頑張って、ちゃんと暗記をこなせた手抜きのないライブ。お客さんの少なさに嘆いていたけれど、こんなところに観てくださったお客さんがいたとは・・・その頑張りが報われるとは・・・。

 

手抜きしないで本当によかった。

 

また、わたしとは面識のない方からの投げ銭と、当日は観られないけれどあとから観るためにひとまず投げ銭してくださった方がいたことを、あとで、知った。

 

ライブへのフィードバックに心から感謝します。

本当にありがとうございました。

 

日頃、質の高い配信を行っているアピアだからこそ、皆様に観ていただけて投げ銭もいただけたのだなとアピアに感謝し、その旨、店長にメールしました。

重たいカメラかついで頑張っている撮影隊の励みになればいいな、と・・・。

 

わたしの出演したアーカイブはもうないですけど、こちらのリンクのAPIA40のチャンネルでは今日もライブが行われています。

 

www.youtube.com

 

良い客になろう。

今度は、わたしが。

 

 

それから数日が経過し、ライブの感想の流れで友人Aとカフェへ行くことになった。

ライブがきっかけになって久しぶりに会え、たくさんおしゃべりして、楽しかった。

 

 

創作の支えになってくれる友人の有難みを実感する。

わたしもそんな人になりたい。ならねば。

足を運ぼう。

ひとに会おう。

お金を使おう。

「良いお客になろう!」

 

というわけで朝からおいしいものをモグモグ、完食。

みんなありがとう~。

 

 

 

 

 

 

松岡宮からのお知らせ

 

1)「東京フリマ日記」在庫わずかとなりました。

 

 

中野ブロードウェイタコシェさんから「東京フリマ日記が完売し、問い合わせもあるので、10部補充お願いします」と嬉しいメールをいただきました。

 

しかしもともと50部しか作っていないので、10部補充すると、手元には4冊程度しか残りません・・・。

 

1年で売りきって、本は作らず、あとはPDF販売にするか?とも思っています。

 

依頼された10部はすでに納品ずみです。

現物を読んでみたい方はタコシェさんか、模索舎さんか、以下のみやさんBASEにどうぞ・・・。

 

383.thebase.in

 

2)ディスクユニオンで「Limited Express 383」の販売がはじまります。

 

わたしの代表作アルバム「Limited Express 383」は2014年6月6日リリースなのですが、このたびディスクユニオンさんであらためて2022年6月6日に販売開始してくださることになりました。

 

過分なご紹介のウェブサイトまで、作っていただいて・・・なんとありがたい・・・。

よかったら以下リンク、クリックしてみてくださいませ。

 

https://diskunion.net/jp/ct/detail/DS1122-127

 

 

 

応援して下さってる方はすでにお持ちかと思いますが、まだの方はディスクユニオンさんでもお求めになれます。

 

あるいは前述タコシェさん、新宿PePe島村楽器さん、もしくはみやさんBASEでも通販しています。

 

そういえばCandyRecorderというレーベルだったなあと思い出しました・・・このアルバムだけ自分のレーベルではないので、同じレーベルのCDを見ても、そうそうたる音源で・・・わたしのがいちばんイロモノという感じですが、本当に良い作品集ですので、多くの方の耳に届くことを祈りたいと思います。

 

(ちなみに、これ以外の音源は車掌レーベル・・・わたしが適当に名付けた。)

 

 

楽しみな共作の予定もいくつかあり、これからも詩と音楽を製作してゆきます。

 

これからもどうぞ松岡宮をよろしくお願いいたします。

 

 

いわき2019
(作詞 松岡宮 原曲 J.S. Bach 編曲 松岡宮)

 

 

2019年秋 

上野から仙台まで常磐線で向かう

いわき駅で富岡行きの列車に乗り換え 

もうすぐ終点 富岡駅だ

 

  (ざわめきの音 列車のアナウンス)

 

いわき 2019 

 

いわき 2019

 

点字ブロックのあざやかな黄色 富岡駅から見えたものは 

海だ

階段を上って跨線橋の窓から見えたものも 

海だ

工事中の黄色と黒の踏切のバーの向こうに見えたものも 

海だ 

海だ 

海だ

開通を待つ踏切を背に 

わたしは代行バス乗り場へ向かう

 

ウィンカーを鳴らしながら青信号で右へ曲がり 

途切れてしまった常磐線を結びなおして走ってる

浜通りを 代行バスは 

そして浪江まで

 

背筋を伸ばして両手を広げた送電塔の群れが 

荒野の果てまで連なりながら海へと続いている

浜通りを 代行バスは 

そして浪江まで

 

いわき2019 

 

いわき2019

 

「バス車内での写真撮影はご遠慮ください」

それからシートベルトを締めるように添乗員はいった

青信号を右折したバスは浜通りを北上する

細い川を渡る

黒と黄色に塗られたバーのむこうに重機の群れがみえる

誰もいないドラッグストア 

誰もいないホームセンター 

誰もいないガソリンスタンド

バスがまた 川を渡る

 

透明なサーファーが並んで走ってる

ようこそ福島へ と 笑顔で手を振って

浜通りを 代行バスは 

そして浪江まで

 

透明なランナーが並んで走ってる

ほどけてしまった靴の紐を結びなおして走ってる

浜通りを 代行バスは 

そして浪江まで

 

透明な常磐線が並んで走ってる

透明なひたち号が並んで走ってる

夜の森駅 大野 双葉 そして浪江まで

 

透明な常磐線が並んで走ってる
透明なひたち号も並んで走ってる
夜の森駅 大野 双葉 そして浪江まで
 
いわき2019 
 
いわき2019
 
 
2020年3月14日、常磐線全線開通。代行バスは役目を終えた。