駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮が描く東京の風景たち◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆

10年前のあの日も川崎にいた

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2011年3月。

 

あの震災のときわたしは川崎にいました。

 

キッチンファーストで感じた長く続く揺れ

となりの席にいた女の子2名組が怖がって出て行ってしまった

そのあと

店員さんに促されて銀柳街商店街に飛び出せば

まだまだ続く余震のなか

みんなも不安そうに京急の線路や商店街のガードを見上げていました。

 

ラゾーナも中から多くの人が外に出ていました。

そのときの写真が こちらです。

 

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川崎駅の様子は こちら。

 

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すべて停まってしまった電車。

あふれだし 戸惑い 連絡を取り合い 情報を求めようとする乗客たち。

困り顔の車掌たち、駅員たち。

 

わたしも どうやって帰ろうかと思ったのですが

この頃は自転車もなかったので、歩いて家まで帰宅したものでした。

都内に暮らす多くのみなさんも、苦労して歩いて帰宅したと思います。

 

国道ぞいのマンションに暮らしていたけれど マンションを西に向かってあるく人なみ・・・

緊急事態になると 人は家に帰ろうとするのだな・・・。

 

そういえば

現代詩フォーラムのスレッドに

記録を書いていたことを

思い出しました。

 

 

po-m.com

 

ここから自分の書いたものを転載しますね。

 

 

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震災のときに居た場所 

川崎駅そばファーストキッチン2階(商店街 京急ガードそば)

 

 

ゆっさゆっさ 小さなゆれではじまった
それがすこーしずつ大きくなっていった
隣の席の若い女性2名が
 うそ、え、こわい、とまんない、こわい、出ようよ、出よう! といいながら出て行った
そのうち揺れによってわたしの机の上のコーヒーがこぼれてきた
(しかしコーヒーが倒れるほどの揺れではない)
あわてて片付けつつ窓から下を見てみたりしていた
するとお店の方が2階にきて、外に避難してくださいと言った

コーヒー飲み干してから外に出ると人がいっぱい
京急の線路が揺れのたびにゴワンゴワンと建物にぶつかっている
駅に戻ったら川崎駅ビルが緊急点検で閉めるとのこと
JR川崎駅は駅員さんいっぱい
もちろんJR東日本はすべてとまってるというアナウンス
そのうち京急も全線とまっているので振り替えできませんという旨のアナウンス
バス停も人がいっぱい
都内の自宅まで歩くことを覚悟して、ひとまずはトイレ!
同じコトを考えている人が多くトイレは行列
ああもうすぐ 個室に入れる・・・


そのとき!
すごい余震がきた!

地震中にトイレはすべきなのかしないべきなのか判らないが
わたしはトイレは丈夫だと信じているので

すかさず和式個室に入り用を足す

余震 余震 揺れつつ 用を足す

ここでトイレが崩壊したらまぬけだなと思いつつ 生まれて初めての地震酔いも体験しつつ なんとか無事に用を足し 
都内の自宅まで歩くことにした

 

みちみち 写真を 撮った

 

その頃はまだ東北の被害もわからなくて 川崎で道路に出てきている人の顔は 苦笑とか 照れ笑いとか そんな感じだ

多摩川の河原から
鉄橋の真ん中に京浜東北線が とまっているのが 見えた
その光景がすっごく怖かった

ああ、あの鉄橋が壊れていたらどうしよう・・・・

といいつつ 何枚も写真を撮ってしまった

歩きながらauIS01ワンセグをずっと見ていた
途中 いつのまにか足指から出血
こんな靴じゃダメだな自転車がほしいなあと思ったが 家に置き場がないなあと考え直し
島忠で歩きやすい靴を買った
道路はすでに渋滞
携帯電話も固定電話も通じない
のべ2時間ほど歩いて自宅に帰る
夫と無事を確認しあう

自宅は西へ向かう大通り沿いなので 
当日は 家の前を たくさんの帰宅困難者が 歩いていた

その後はTVやネットばかり観て 花粉症もあり 仕事はキャンセル 寝て 寝て 寝て 過ごした
IS01地震速報アプリを入れた

 

 

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あれから10年。

住む場所が少しだけ南になりましたが わたしはやっぱり 川崎に通っています。

 

下の写真は2021年3月に撮りました。

3月は晴れない日も多いことがわかります。

 

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あの頃は無かった 北口改札。

川崎駅もずいぶん先進的に進化を遂げ、カワスイ(水族館)も出来て

時代の変化にその身を任せています。

 

あの震災のとき 川崎の駅ビルが早々に閉店したことを覚えています。

「えっ 閉めちゃうの」

と 驚きました。

 

後で知ったことですが駅前コンサートホールのMusaが 

かなり震災で破損したとのこと・・・

 

川崎だって 建物によっては大きな被害が出たのだった・・・

いかん いかん なんか 川崎は大きな被害がなかったかのような 記憶になっている・・・

  

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そしていま、2021年3月

 

やっぱり緊急事態宣言下にある 都下3県、そして川崎。

 

今回は新型コロナウィルス。

 

コロナ禍のもと、駅員が早めにみどりの窓口のシャッターを閉めていた。

(あっ 駅員。)

あまり目立たないように、そっと見上げて閉める、猫のような動作。

リニューアルされた駅員の制服は 静かな色あいになり 

サラサラとした微風を運ぶが川崎の雑踏のなかにそれは消える。

 

以前の制服はゴールドが混ざっており、駅員の存在感と美を輝かせるものであった。

いま、駅員の制服は 鎧のようなものではない。

雑踏に溶け、業務に溶けてゆく、図ではなく地、背景のよう。

 

この世界はリスクだらけでそれを守るだけで誰もが精いっぱい。

 

安全が続くことなどないとわかったわたしたち

 

非常事態はしばしば訪れる

それはそっと傍に寄り添いながら生活を損なってゆく

 

そんなとき

濃いチャコールグレイの制服はいつも壁になっていたように感じる

駅員の制服は いつも 弱い民を 動かす しるしになっていた

目を凝らせばやっと見える6等星

それは 今でも

 

 ★

川崎の高級デパート「さいかや」も無くなった

おしゃれドトールに なりました。

 

そう、「京急のみえるドトール」です。

入ってみました。

 

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普通のドトールよりも 価格は高く(コーヒーブレンド450円)

味はわかりませんが、たしかに 高級感があって 居心地はよかった。

 

長居して・・・うっかりピザトースト頼んでしまった。(480円だったかな?)

電源は使えなかった。

 

久しぶりに読書をして 物書きをして・・・ 

今年はステイホームもあって そんな時間を持つこともなかったので よかったです。

 

やっぱり川崎、過ごしやすい街。

 

 

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3月21日のアート系フリマは、またしても中止になってしまいました。

残念です。

それで、なんかヤケを起こして18きっぷ買ってしまいました。

松本の墓参りを蒲田から飯田線経由で行くと、どんな感じか・・・などと調べてしまいました。

しかし飯田線ってなんかすごいですね、6時間くらいノンストップで走る列車があるみたいで・・・。

 ・・・ふつうに中央線経由で都心から松本に行くだけでも すごい手間ですけどね・・・。

 

   

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話がそれました。

 

これは川崎駅の花壇。

街が花壇を保つことができるのも 大きな災害が無いからですね。

もう 震災が来ないことを祈るではなく

災厄はかならずやってるのだから それに備えておくことが大事なのかもしれません。

 

災害は人の暮らしを脅かす。

居場所のない人が 花壇で憩うことも どうか 許してほしい。

 コロナ禍で社会不安がつのるなか

震災10年 思うことは

やっぱり人と人とのつながりや助け合いが大事なのだなというあたりまえのことでした。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

服も買ったし通勤がんばります。

 

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