ふと 美術館にでも 行きたくなりました。
都内の美術館でやっているところはどこかなあと検索したら
という名前が目に留まり
・・・駅員の制服とか展示しているのだろうか・・・
・・・前方、ヨシ!
と思って
暑いなか、行くことにしました。
ローソンチケットで予約してローソンでチケットをひきかえなくてはならないのに
うっかりギャラリーに直接行ってしまい
「ここからいちばん近いローソンは、Kitteの下です」
と言われて あわてて引き換えに行きました・・・
あぶなかった。
Kitteは切手、つまり前に郵便局のあったあたりだろうな・・・と、そういう土地勘があったのでよかったです。
しかしギャラリーは別にJRの品物を展示するだけの美術館ではなく・・・
駅員の制服の歴史が並んでいるわけでもなく・・・(笑)
ふつうに美術館でした。
今日は「きたれ、バウハウス」展。
公式案内文によれば・・・
1919年、ドイツの古都ヴァイマールに、建築家ヴァルター・グロピウスにより開校した造形学校「バウハウス」が、昨年その誕生から100年目を迎えました。ナチスの弾圧を受け1933年に閉鎖されるまで、わずか14年という短い活動期間でしたが、実験精神に満ち溢れたこの学校は、造形教育に革新をもたらし、今日にいたるまでアートとデザインに大きな影響を及ぼしています。
とのこと。
「バウ」は建築という意味だそうで、要するに建築に行きつくための造形美術的な教育を行った先進的な学校・・・という感じでしょうか。
カンディンスキー、パウル・クレーなどの7名の先生それぞれが、造形美術をどんなふうに教えたか、という説明が面白かったです。
美術ってやっぱりとても細かい部分(角度など)を大事にするんだな~
とか
デジタルもない時代なので、アナログな方法で人の体やものごとをとらえようとしていたんだな・・・
とか
1枚の紙から 立体が出来るの面白いな・・・
などなど・・・・。
いちばん印象に残る言葉は うろ覚えですが
「孤高の芸術家を作るのではなく 技術に裏打ちされた 社会とともにある教育をめざした」
みたいな言葉でした。
日本にも「象牙の塔」などという言葉があります。
芸術家や研究者は、よき表現のためには自分の世界に閉じる必要があったり、社会にアピールしたり理解を求めたりすることに抵抗もありますが、この学校は明確に社会のなかで生きることを志向しているのだなあ・・・技術と芸術の(対立でなく)融合、という言葉もあったように思います。
自分もまさにアートではなく実学を教える仕事をしているのですが、何をどのように教えるのか、逆に自分にしか教えられないような個性的な講義をしてもいいような気がしたりして・・・。
・・・教育とは、どんな能力を得てゆくか、教える側がはっきりイメージできていないといけませんね。自分の講義に関して少し考えさせらられました。
下の写真は、階段の壁にある、重文のレンガ!
しげふみ!
しげふみ!
バウハウスで展示されていた品物は、日常的なものが多かったです。
例えばパイプの椅子といった家具や
金属製の茶こしといった工芸品、
存在感のあった織物、テキスタイル、そして壁画や舞台造形、
そして椅子の上の赤ん坊など、日常のスナップ。
わたしたちがいまの生活のなかで何気なく見過ごしている食器や電化製品などにも、ささやかにデザインの花が咲いていることに気づかされました。
わたしなど、すぐに見慣れて新鮮さを実感しなくなってしまうのですが・・・あらためて身近なカップやパソコンや扇風機を見つめてみると、そこにも歴史と美があるのですね。
そして、駅には駅の美があります。
略して駅美!
今日の駅美!
無表情で無機質ななかに静かな美しさを感じます。
このご時世では禁じられた旅情を秘めた文字列が切ないです、ああ旅に出たい・・・。
これも駅美。
東京駅を発着する路線のサインがネックレスのように並ぶ改札口・・・
その多さは改札の幅を超えてしまうほどだ・・・美しい展示物だなあ・・・
って
これはバウハウス関係なかった・・・。
そんなわけでバウハウス面白かったけど
駅員的なものは ないなあと 思っていましたが・・・
ご安心ください!
お子様も喜びそうな品物が売っておりました。
あれこれほしいものが多かったですが、厳選して、「駅員さんおしごと付箋」を買いました。
実はてっぱくでもみた、この品物・・・。駅員さんの仕事ぶりが、シンプルな描線の絵で描かれています。
駅員の美しさがじわっと出ており、素敵な絵だと思います。
JRがこうしてみずからの所属であるところの駅員を前面に出してキャラクターにするのは、隔世の感がありますね。
まるで、地味な女の子が、自分のもつパーツの魅力に気付いて、それを強調するかのよう・・・。
駅員って美しかったんだ!
と
本社も 気づいたようです。
こんなふうな絵柄の付箋です。
よろこんで買ったわたしでしたが、どこかで冷静になっている自分もいます。
「こんなことをする駅員があまりに減ったから商品になるのだろうな・・・」
と
感じます。
よくみればこれは昭和の駅員、昭和の駅員のイメージなのです。
きびしいラッシュに尻を押す駅員のゆるぎない表情、
非正規雇用などではなく、まちがいなく鉄道会社に紐づけられた駅員でしかない駅員・・・
駅員の動作や仕事ぶりが骨の髄まで見についた、何処を切っても駅員になるような駅員・・・
昭和の駅員らしい駅員です。
・・・そしてわたしも 令和の今はもう絶滅しかかっている強くて優しくて制服が美しい駅員のイメージを抱きながら・・・それはもういないという気もしている・・・
「駅員さんおしごとロールふせん」にメモなど書くときに ただそんな幻を追いかけているのかもしれない・・・
いま 駅を守るのは 警備員だ
皇居方面に日が落ちた
警備員の影が長く伸びて
警備員は小さなダンスを踊り始めた
ここは本来ならば観光客でいっぱいになる日本でも有数のダンス・ステージ
警備員のダンスは 駅員ダンスに よく似ているけれど
感染予防の祈りも込めている2020年
夏がほんのり溶けてゆく18時
東京駅の真ん前の広場で
皇居方面に向かって警備員は身を差し出す・・・
<それでもこの東京で生きてゆくしかない>
というダンスを
している
♪