駅員観察日記(はてな編)

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作詞家になりたい

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松岡といえば

「詩の人」というイメージが強いかもしれません

が、

もともとは作詞家をめざしていました。

 

1972年うまれ、80年代歌謡曲で育ったわたしは

80年代アイドルソングで育ち 

月刊歌謡曲などを大事に読みながら 「作詞家」にあこがれていたのでした。

 

 

90年代の(いくぶん)若い頃も、

詩ではなく歌や音楽を前提とした作詞ばかりやっていました。

 

音楽的なことについては何もわからず・・・

鼻歌が浮かぶことがあってもそれを音源や譜面に落とし込めないので

ただ鼻歌として作曲をしている(譜面も書けないので記憶の中に留める)

ような 感じでした。

 

実は いろいろ作詞スクールみたいなところにも行ったりしました。

また、90年代後半は、兄が教えてくれたパソコン通信Niftyサーブ(当時は@niftyではなかった)で詩のフォーラムやオリジナルミュージックフォーラムで、作曲できる方と組んで、たくさん作詞をしていました。

 

パソ通のフォーラムの仲間との共作。

なんとか仲間に曲を作ってもらえるような歌詞を書く日々。

コメントがつくと うれしくて・・・・

誰もが曲を作れる印象がなくて ひとつの曲を作り上げるのに本当にすごい労力を要して・・・たとえば歌詞カードや書類みたいなものが必要だったりして・・・・

 

共作って言葉、最近聞いていなかったように思います。

顔も知らないもの同士が、言葉だけで相手を信頼して行っていたその行為が、とても懐かしいです。

 

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1999年に

詩と音楽系のフォーラムをまたいで行われた@niftyのプレコンテストでは

作詞で最優秀賞をいただきました。

「Another Wing」という、女性が夢を追って男性を振る歌詞でした。

 

穏やかな明日 見えて 戸惑って

誰かの夢のため 尽くすことは 無理だって

わたしの今は 一度きりだって

恋だけを選べず 泣いたのよ

 

はるかTokyoの街が 

グレイに沈んで消えてゆくわ

ありがとう 呟いた涙ごと 

あこがれのあの国へ

 (Another Wing)

 

受賞者ということで Nifty Super Internet誌に載せていただきました。

きゃあああ。

 

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ちょうど20年前くらいの写真、恥ずかしい。

 

しかしこのころはもう、作詞家になりたいとか思っていませんでした。

個人的な感覚なのですが

アイドル冬の時代 あるいはダンスやディーバの時代、セルフプロデュースやアーティストの時代!

作詞家というよりは自分で作るのがカッコイイ感じになっており

作詞家の手慣れた言葉ではなく

歌い手の素の言葉がいいのだ、みたいな流れがあったように感じておりました。

 (たぶん誤解)

 

あの頃 フォーラムの仲間と作品を作り上げるとき

作詞の人がいて

作曲の人がいて

編曲の人がいて

歌う人がいる。

そんな流れが あの頃は 少し古く感じてしまった。

少し言葉はきついのだけどプロの真似ごとをしているように感じてしまったこともあります。

 

「松岡さん この曲のディレクターをやってくれませんか?」と言われた曲もあること思い出しました。

 

自信がないから斜にかまえたりして・・・・

素人で、音楽的なこともわからない、わたしごときが、ディレクターのまねごとを・・・・と思ってしまった・・・。

 

時間がたったいま 答え合わせをするならば

プロのアマの境界線はあまりはっきりしていない!ので

いただいた役割を がんばれば それで よかったのです。

 

いや 大阪までレコーディングに付き合ったりして 頑張ったですけど・・・

自分は何をやってるのだろう?

何がやりたいのだろう?

今もよくわからないことに 悩んでいました。

 

その曲は、甘いボーカルの美しい曲です。

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 今 その頃の共作をきくと 丁寧に作られており 

時を超えて伝わるものがあります。

 

あの頃

みんなとてもきちんと完成度の高い作品を作ろうとしていたんだな・・・

 

ときに万人うけする月並みなテーマ 

そして月並みな言葉たちであったかもしれませんが

平易でわかりやすく 後に残るような綿密な作品を時間をかけて作り上げていた

 

その後のわたしの作品に欠けている部分かもしれません。

 

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 作詞ばかりしていたあのころ 自分が作曲をしてみたいという思いがありました。

なんとか音楽を自分でつくろうじゃないかと思う21世紀の幕開け・・・

演奏できないのでDTMをがんばった・・・。

 

同じころ

駅員にハマっていたので 

駅員を題材にしたポエムを落書きしていました。

 

小田急 小田急 おお脱臼! 

とかね・・・

  

それらは作詞として書いているものより明らかに評判が良かった・・・

それで詩を書き始めた

 

詩を読むのは好きだったけれど書き始めたのは20代後半からか・・・・

 わたしはとても人前でパフォーマンスするようなタイプじゃなかったですが

朗読ブームだったのでそれに乗って朗読を始めた

 

音楽を付けたほうがいいと思ったので何の楽器もできないのにDTMを始めたのも2000年ごろかな・・・

 

そんな流れで今があります。

 

  

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ずっとひとりで自分の表現を追い求めてきましたが

ここ数年 コラボレーションの良さを感じることが多いです。

 

自分一人でやっていたとき 

ほんとうに独りよがりな表現ばかりしており

なんで伝わらないんだ と 

外の人に求めてばかりいた

 

そういう自縄自縛の閉じた表現に

ふと風穴をあけてくれるのが 他者の存在でした。

社会の中で表現をして認められたいなら社会に通じる表現方法でやらないといけない

と思います

 

もちろん 認められなくてもいい という心持ちを獲得することは ほんとうに大事ですね。

 

lbcj.jimdofree.com

 

前置きが長くなりましたがここからが本題です(!?)

 

一昨年 賞をいただいた「おとなのバンド大賞」をやってる大人のバンド倶楽部で

「みんなで曲作りプロジェクト」というのをやっており 

わたしもひっそり作曲部門に出しております。

 

おとなのバンド大賞に応募して 賞をいただいて 思ったのですが

40歳以上が応募条件ということで

みんな なんらかの職を持っており

家庭も持っており

バンド活動・音楽活動を その傍らで楽しんでいる感じがしました。

ああああくー

リア充じゅーじゅー

ボコボコ!

って思ったりもしましたが・・・・

それはみんなを幸せにする音楽活動のあり方なのかもしれませんね。

 

はぁはぁ。

 

そして

「みんなで曲作りプロジェクト」も

ほんとーに 仲間うちのプロジェクトで・・・・

ほんとーに 有名になってやるとかの野心とかじゃなくて・・・

ただバンド活動や歌が好きで演奏が好きという・・・

 

ああ、この感じ、懐かしい、

まさにNiftyのフォーラムでの共作と同じだ

 

って 思ったのでした。

 

コンテストでもないので 賞金が出るわけではないですが・・・・

松岡の作曲したやつをバンドアレンジしてみたいとかいう珍しい方がおられたら

音源と譜面お送りしますのでおっしゃってくださいね。

 

また、一緒に何かやりたい方がおられましたら声かけてください。

わたしもこれからもよい作品づくりがんばります。

 

追伸

もしかしてCD買って下さった方があったような気がします、本当にありがとうございました。

LimitedExpress383

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  • アーティスト:松岡宮
  • 発売日: 2014/06/06
  • メディア: CD