駅員観察日記(はてな編)

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論文を書く自分が嫌い

ひとは ひとに えらいといわれたい すごいといわれたい・・・ 

それがあるから なにかを作り出せる 今日を前に進める・・・・

それはわたしにもある 

もりもりと・・・・・たくさんある

ある世界でだけ通用する貨幣をたくさん持っていることがお金持ち

だから見えやすい貨幣を集めるのです

・・・・先日、わたしの書いた論文が受理されたことを祝う お祝いパーティーが ありました。

この年になってお祝いなんて めでたいことで・・・・

研究の世界における貨幣、原著論文業績。

これさえあれば研究職は生き延びられるという、特殊な貨幣、原著論文ファースト。

大学院に入れば 生徒はその貨幣を集めるように指導を受ける。

イントロダクション、メソッド・リザルト・そしてディスカッション。

広い世界をうまく縮めて数値を並べていじくって・その結果の許す範囲でまた風呂敷を広げるという仕事、原著論文。

研究者の価値はこの貨幣の量であり

この貨幣を持たないと この世界では生き延びられない、院生はそう教わる。

おもえばわたしが「研究職に居た」といえるのは 2000年までのような気もする

それからは臨床活動が増えつつあったのだが

それからも 論文を ときどき書いた

アリバイ作りのようにときどき書いた

論文を書く自分が嫌い

研究の世界と 地域臨床の世界は パラレルワールドのように 進行し あまり交わることはない

エンパワーメント レジリエンス リカバリー そんな言葉が右から左に流れ去り

どろどろとしたもの・・・・ 近所の人の顔や 経済成長期の思い出や 恥のようなものだけが 残される・・・・

地域臨床において、研究や論文は、貨幣ではなかった!

社会福祉士の方の せっぱつまった活動ぶりに 自分のおめでたさを反省する

地域で活動するなら もう 論文書かなくていいじゃないか・・・・

だれもわたしにそんなもの 望んでいるわけでもないし・・・・

(わたしに望まれるのは・・・イラストの仕事!)

・・・と 思うのだが

それでも論文をついつい書いてしまう自分が嫌い

それを成し遂げることによって どこか誇らしく安心している自分も嫌い

受理されるように丁寧に基礎をかためて書いてしまう自分も嫌い

自分は常識などにとらわれぬ人間だという顔をしながら

わかりやすい貨幣を求めてしまう自分が嫌い

それを自分から誇示するでもなく人に言われるのを待ち・・・「いやあ、たいしたことではないのですよ」などと言う自分も嫌い

(・・・・でも、本当に、大したことでもないと思いますが・・・・・)

無防備に生きているような顔をしながら

足元をすくわれぬよう 多方面に保険をかけながら きわめて安全に暮らしてしまう自分が嫌い

たぶんこころのなかでは ちょっと 誇っている それを褒めてくれる仲間もいて 心強く思う・・・・・そんな自分が嫌い・・・

病 気 だ !

病んでいる・・・・

あっちこっちで 言質を取られぬよう・・・ ああ まっちゃん えらいねと すごいねと 言われるよう レンガを積み上げ わたしはちゃんとやっていますと 言い続けていないと 気が済まない自分が嫌い

   「生きているだけで 人は尊いのですよ・・・・」

・・・・出来ない人間の 味方であるような顔をして 

自分が出来ない人間で居続けることができない

自分は出来る人間なのだと示し続けていないと気が済まない

・・・ほんとうはわたし 家庭教師などをやっていて 自分から努力できない生徒さんが なぜ努力をしないのか ちっともわかりませんでした・・・・

いまもわからない・・・

病んでいるな・・・・わたしが・・・

病んでいるな・・・・

つよいものだけがもつ病があるのかもしれない・・・・・

許してください

わたしのあまりの強さを

りこうな方法で貨幣を集めてしまう

わたしのあまりのずるさを

どうか 許してください

そんなわけで、こんな年齢になってお祝いされました。

ありがとうございました。

本当に論文出るのか、まだよくわかりません・・・・。

最近、どこのパーティーに行ってもFACEBOOKの話が出ます。

わたしはあまりにアヤシゲなことを書いているので、リアルの知り合いは、向こうから申請があれば友達になるという感じでやっておりますが・・・・。

でも、このブログの読者さまなら大歓迎です、ぜひ。