大きいものは 小さいものを 殺すことができる
大きいものは だから 小さいものに 優しい
たとえば・・・男のひとはいつも優しい・・・・そして わたしのまなざしのボタンが少し緩んでいただけで 物理的に襲いかかってきた男性が 多すぎた・・・・これまで・・・
あるいは わたしの首をしめながら
お金をくれようとしたり
名誉をくれようとしたり
する
そんな 大きなひとが 多かった・・・・
わたしに与えたがる人ばかりに出会ってきた
素晴らしい本や音楽 映画や劇場
与えたがる人 教えたがる人 に めぐまれていた
それらのひとが みな ハンサムで 優しかった
のは
あなたが わたしを 殺せそうに 思えたからだろう・・・
・・・ああ、しんせつな人が二度と来ませんように。
わたしになにか、立派なものを、教えに来ませんように。
アナタのことを理解できますとかお金をあげたいですとかいって来ませんように・・・・。
小さくあれ。
小さくあれ。
身体よりも大きいものは 大きすぎるのです・・・アシナガバチの歌を聴こう・・・。
小さくあれ。
小さくあれ。
たとえば ブラのパッドは いらないのに・・・・・
なあ。
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小田急は小田急であるという・・・・それだけでいいものですね・・・・。
今日は車掌を観察していて、車掌の仕事にもリズムがあるのだと思いました。
サインカーブのよう、車掌の緊張感が上下してゆく・・・半袖の腕、きれい・・・・車掌がもっとも緊張しているように見えるのは、停車してドアを開ける時、そしてドアを閉めて出発するとき・・・・。
ヒジが、びくっ、として、緊張感が伝わります・・・
・・・そして、緊張がもっともゆるむのは、もしかしたら、駅でドアを開いた瞬間、かもしれません・・・・電車が停まる、ドアが開く、お客が流れ出る、誰かの望みがかなっている、ネックレスみたいな夕映え、ほんの数秒の、わずかな緩和、ホームという大地を踏みしめた車掌の靴に、太陽が反射する、そしてまた、緊張が高まる、ドクン、ドクン、ドア、閉まります、ドア、閉めますよ、かけこみ乗車はおやめ下さい・・・・。
・・・車掌と書いて 緊張と読む・・・とはいえ ひとは いつもいつも 緊張していられないものです・・・・
ふっと 血色が抜かれる 晩夏の車掌・・・・変態だ、変態、別の、生命体への・・・衣替え・・・車掌の背中の羽が夕陽に透けて、しだいに車掌の身体も透き通ってゆく、ああ、秋だな、と思いました。
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革靴ふぇちの皆様(?)Tさんの革靴の別ショットをどうぞ♪
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