駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮が描く東京の風景たち◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆

都バスの小さな旅/カッコーの巣の上で

今日はアルバイトでした。

さくっと食べられるように、サンドイッチのようなものを作って持ってゆきました。

さて、帰り道・・・・どうやらそのバイト先から、渋谷までゆくバスがあるらしいことに気づきました。一時間に二本くらい、あまり本数は多くありません。

もともとそのバイト先は、そんなに遠くないのに電車の乗継が悪くて、なんか経路でウルトラCはないものかと思っていたので、早速、(20分くらい待って)バスに乗ってみました。

5時過ぎなのに明るい空・・・

イチガヤ・ヨツヤ・センダガヤ・・・・・・・

・・・それで、まあ予想通りといえばそうですが、停留所も多く、わたしも良く知らないような通りをくねくね走り・・・・

ガイエンマエ・メイジコウエン・ハラジュクエキマエ・・・・けっきょく渋谷まで、40分以上かかりました。

帰り道、しみじみと考えました。乗車時間が長いというのは、本来は「お得」なことなのに、なんで損をしたような気になってしまうのだろう・・・地下鉄なら20分、バスなら40分・・・バスのほうがたくさん乗せてくれて「お得」じゃないか・・・と・・・。見たことのない東京の風景もあり、楽しかったです。

帰りはゆっくり、各駅停車で帰りました。

家で「カッコーの巣の上で」を観ました。1970年代の映画で精神科病院を舞台にしています。とても、面白かったです。

いっしょに観ていた夫も、傑作だと言っておりましたが、どっちかといえば存在感たっぷりの婦長に同情したようです。

わたしは、主人公のしたことは、広義のエンパワーメントかと思ったのですが、制度の中でエンパワーが起こりうるのはどんな関係性があるときか・・・・と考えてしまいました。医療職ー患者という役割が固定されているときにもエンパワーが起こりうるのか、もしかしたら日本的なエンパワーはむしろ、そういった役割を固定したほうがいいのか・・・・?などといろいろ考えました・・・いま、仲間たちとメーリングリストでそういったことを議論しているので、制度と精神について、ぐるぐる考えているのです。

小さな頃から些少な逸脱を漏らしてきたわたしは、ささやかにその逸脱が摘み取られる過程を経験しました。制度に沿わないと身が削られそうだ、と切実に思うと同時に、そういうふうに予期すること自体がいちばんの縛りであることを痛切に感じます。逆に、時にわたしは制度を守る立場にもあり、そんなときのわたしは仕事熱心でした。制度の中にあっても関係性は生き物であり可変する、ということを、どこぞの書評で書きましたが、いま「わたし」と「あなた」はどんな関係性にあるのか・・・そんなことを思いすぎて・・・・疲れます(笑)まだまだですが。

この映画のラストは衝撃的ですが、ひとつの現実なのかなあとも思いました。

うまく消化しきれていませんが、印象に残る映画でした。

そんな日々ですが、メルマガ「月報・松岡宮6月号」発車しました。もう誤送信や不手際のないように・・・・努力します。

内容は

 京急高架について

 音楽の未来について

 ウシジマくんについて

 などなど

です。