駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮が描く東京の風景たち◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆

車の掌

文学フリマをいよいよ日曜に控え、準備しています。

新製品ではありませんが「駅員観察日記」と「駅員観察日記2」を事務所に泊まり込んで増刷しておりました。あまりたくさんは、できませんでした・・・一冊ずつ手で製本しているので、よく微妙に失敗しますが、そういった微妙に失敗した本は、安く売ろうかなと思っています。手製本の本は生き物なんです・・・・なんて、製本が下手な言い訳です、すみません。そのようなわけで、ぐしゃぐしゃの本を売ります・・・来られる方はどうぞよろしくお願いします。

車掌の掌に惹かれます。

大きな、おおきな、その、掌。

ときには握られ、ときには開かれ。

その掌に触れたら、どんな気持ちでしょう、そっと、(恐れ多くも)持たせていただき、それをわたしの体に、当てたい・・・・

車掌の真っ白なその手、わたしの体のさまざまな部分にあてがって、車掌の精を、いただきたい。

しかし、車掌に触れられる、というのは

むしろ、車掌に知られる、ということだろう

ねえ、車掌には「思い」とか「考え」ってあるのかしら?

ねえ、車掌には「人格」さえ、あるのかしら?

車掌の掌に包まれるたび

車掌に吸い出される

車掌に引き出される

わたしは車掌に従います

わたしの体の表面積のすべてを車掌に触れられてみたいのです

わたしの体が世田谷区ほどに広がっても車掌にそれを触れられてみたい

そして、握る、握る、車掌、てのひらをにぎると書いて、掌握、する・・・・・

わたしなど車掌にとっては簡単に握りつぶされるもの

なのでしょう

そうです 乗客は か弱いものですから 一から百まで親切に 教えてあげないといいけません・・・・

・・・ああ、いま わたしが、なにか、ものを知らなくて、だめで、弱いもののように 車掌に 扱われた・・・

車掌の愛は 何回も

車掌の愛は 何度でも

柔らかな声で次の駅をアナウンスした車掌の

親切さの裏返し

わたしの体は車掌に掌握される

車掌の体が熱い、強い、その大きな手に

握られる

きゅ

わたしの体、握られまくる

一駅ごとに 涙がにじみそうな 車掌の愛を 感じています

もう 離しませんよ お客様・・・と

車掌がわたしに触れている

あなたは電車の掌です

ちからづよい

いきぐるしい

おしっこに行きたい

車掌は電車の掌です

事務所に泊まるのは、はっきりいって怖いです。暗いのが苦手なので電気をつけまくりますが、いずれにしてもあまり眠れません。夜が明けてくると、やっと眠れます。夜が明ける朝の光ってすばらしいものですね。

家でおもに使っていたパソコンがDVDドライブを認識しなくなり、ドライバの削除などいろいろしましたが、結局リカバリ中です・・・・。いろんな作業をそれでやっていたので困ったなあ・・この日記は緊急用のパナソニックノートで書いています。

前から少し読んでいた漫画の「闇金ウシジマくん」をたくさん読みました・・・この漫画はすごいですね・・・・・衝撃を受けております。すごい。

わたしは、小さいころから、お金の話はしてはならない、といった雰囲気の中で育ってきました。お金のことを気にしないで育ったというのは幸福なことなのかもしれませんが、それがあたりまえだと思っていました・・・この世にお金で困っている人がたくさんいるというのが、頭ではわかっていても・・・・本当にはわかっていないと痛感します。まだお金についてぜんぜんわかっていないので、わからずに怖い怖いと、そればかりです。

お金の話は、性的な話とおなじく、自分がそれについてどうであるかということを抜きには語れない問題だと思います。なので、いま思うのは・・・だれか、お金の話をしてくれないでしょうか・・・・一般的なお金の話じゃなく、だれかのお金の話でもなく、そのひと自身の、わたし自身の、お金の話を、誰かと交し合いたい、交し合わなくてはならない・・・そんなふうに思いました。

この漫画を読んで、生活にはたくさんの落とし穴があいているということを感じました・・・・普通の生活というのは、ささいなことで崩壊するものだと・・そんな厳しい気持ちになります。同時に、わたしの存在なんて軽いものだなと・・・・・たいがいのことはどうでもいいことかもしれない・・・なんて思ってしまいました。ひとは死ぬときはひとりぼっちだ・・たいがいのことはどうでもいいことだ・・・・・・

漫画に影響受けすぎです。