駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮が描く東京の風景たち◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆

テレビで「ハンサム・スーツ」を観ておりました

映画はほとんど観ないわたしですが、テレビでやっていた「ハンサム★スーツ」を観てしまった。途中まで面白かったけど「こんなオチだったら怒るぞ」という、そのままのオチだった・・・・最後の10分ですべての説得力を失ったと、そのときは思った・・・・ほんと、大島さんと谷原さんに謝ってほしいくらいだと・・・。

一生、その顔を、その人生を背負うということの重さ、不可逆の海で、重いものをなんとか死なない程度に降ろしつつ、行き先のドアがだんだん閉められる窒息気分のなかで、ひとは生きるしかないのでしょう、それは老いの恐怖におびえる谷原さんだって同じかもしれません・・・。研究職は、それを辞めたら、経歴に穴があいたら、もうなれないと言われますが、その穴を穴として背負ってなんとか前向きに進むしかないのでしょう・・・おおお、意味不明になってきた。

人は顔か、いや顔じゃないのか、とか考えさせられましたが、それ以上に、これまであまり深刻に考えてこなかった顔の善し悪しというモノサシが、いくぶん内在化させられた気がして、ちょっとやりきれない気分です・・・・顔、って、そもそも、あったのか?顔だちって、何?顔立ちなんかに、善し悪しが、あるの?と、そんなモノサシがこの世にあるのはウスウスと気づいていたにしても、それによって大きな影響をこうむっていると解釈することはなかった・・・女として生まれても、女であることを意識しないで過ごせる、きっと恵まれた環境にあったのでしょう、わたしは・・・・けど、人がみなそのようなモノサシを持っているということを、自分が見えてしまうようになったら・・・・・。収入とか、就職先とか、学歴とか、家柄とか、顔だけでなくモノサシはたくさんありますが、何事も、それ以上でも、それ以下でもない・・・・・モノサシがひとりで走り出すのは、あぶない・・だから、だれかが、何かのモノサシを強烈に抱いているということを、知ってしまうと、自分に伝染してしまうそうで・・・・・・こわい・・正直なところ、最近、顔という概念がつよく思考に入ってきて、人の顔の違いが、よくわかるようになってきた・・・・・・(←いいことじゃないか)、だけど、まだ、駅員さんはみんなかっこよい。

とりとめがね。