駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮が描く東京の風景たち◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆

おはようございます

昨日は仕事で疲れました・・・夜の12時半ごろ、近くの駅そばのコンビニでお買い物をしつつ駅に目をやると、ほうきとチリトリを持った駅員さんが何名かおられました。終電後のお掃除に向かうのでしょうか・・・駅員さん、鳥たちも眠る夜の駅員さんは、夢の入り口のきわに立って、優しげです。

駅員さんを好きになった頃から、駅員さんのチリトリさばきはステキだなと感じていました。

最近、東急の駅には駅員じゃなく警備員がいることが多く、この間は警備員がほうきとチリトリを持っているのを見ました・・・・。それは、大事な意図があるのかもしれません、駅員も警備員も、似たような仕事をしているようにみえるけれど、東急が、駅員の存在における警備的な部分を抽出して外部に示したいのかしら・・・なんて思ったり・・・・。

駅員というと、列車とホームの隙間にある、なんともいえぬ空間「キワ」と通じ合っている人だなあと思うのです。警備員は警備する強そうな人でステキですが、「キワ」とのつながりはそれほど感じられない・・・むしろ警備員の敵は人間である、その強そうないでたちに、やや寂しさを感じます・・

・・・いや、時々警備員さんにも萌えますけど・・・うひょうひょ。

もひとつ駅員さんを観察していて思ったのは、後姿が若いなあということです。顔は意外に若くない方がおられます。駅員さん体型が若返る若返る、顔だけが老けてゆく老けてゆく、すごい緊張感、交感神経の太いパイプで、駅員さん顔だけ老けてゆく老けてゆく、いつだって敏捷な、身体だけ、若返る。

シルバーウィークは丸芽さんのイベントみにいったりしておりました。最近は客席にいても舞台上から何か(単に歌とかだけじゃなく、抽出されない、何か)を得ているんだな・・・と感じます・・・というよりそういう方面に心身を開く、そんな感覚が少しわかりかけてきました。対人サービス業といえばわたしもそうですが、人というのは項目や下位分類で測られるほど単純ではなく、ナマのもたらすノリシロというか余白こそが決定的だという気がします。演繹法では記述できないものが人には溢れているのかな・・・

「それ以上でも、それ以下でもない」

ということをよく考えます。人間のもついくつかの下位分類が、差別や逆差別をもたらすとき、偏見や過剰な期待をもたらすときに、たとえば女性という属性がもたらすイメージとかについて、女性であることは、女性であること以上でも以下でもない・・・と思います・・・・時々、そこにひっついている概念がなんて多いのかしら、と、あきれてしまう・・・・女はミナト、だとか言われると、「わたしは船着場かい」と思います・・・・・ひとの属性などで誤った先入観を持つことには注意しないといけませんね、それ以上でも、それ以下でもない・・・・・・・・・といいつつ鉄道員には過剰な思い入れと思い込みが止められないわたしです、本当にごめん。