駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮が描く東京の風景たち◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆

醜形恐怖の犬たちのソネット

ゆうべの「たるみ」の記事から、まだ「たるみ」について考えている。

でもそれはたるみだけを考えているのではなく

・・・わたしが鈍かっただけで

この世界には いくつもの物差しが あふれているのだと

そんなことに 感動を おぼえている

だれも そんな尺度があるなんて 言葉にはしない

だれも そんな概念があって

それに対してこう思っています それゆえこんな対策を講じています なんて 率直にはいわない・・・

だけど そこに それはある ような・・・・

そして そこにそれはあって 「それがあることを 誰もが知っている」ことを了解しているような・・・そんな測定評価概念が・・・・

たとえば

空気を読む とか そんな概念がある

たとえば社会性とか そんなあいまいな 用語がある

たとえば対人関係能力とか そんな概念がある

たとえばお化粧をしていると悟られぬようなお化粧をするという能力がある

ああ、それから、メヂカラなどという意味不明の概念がある、

肌のツヤとかそんな概念がある

わたしはよく冗談で、膝頭フェチの話をする。

膝頭フェチは膝頭に対し微妙かつ繊細な観察に基づく評価を与える

彼にとってはよい膝頭とわるい膝頭、おちゃめな膝頭、いろけのある膝頭があるのだ・・・・という、冗談・・・

いや、もう、しかし、それが冗談でなくなっている。

きっと、おんなをはかる概念は、膝頭の美醜も含まれてきていることだろう。

もちろん、脚の小指の美しさ、も。

そしておとこを測る概念にも、ありがちなものに加え、たとえば将来介護を必要とする近親者がいるかいないか、あるいはもはや「毛穴の汚れが少ない」などの新しい評価尺度が加えられているのかもしれない。

・・・・ああ、いそがしい、わはは。

ムダ毛だとかダイエットだとかそんな10代のような概念に拘泥している暇はなかったのだ、わはは。

まだわたしが気づいていないいろいろな評価概念がある、いろいろな評価尺度がある、ゆうべわたしは「たるみ」という概念の重要性をまなんだ、もっともっと重要な概念があるにちがいない、きれいごとを言うのはよそう、わたしだっていわば他人を丹念に観察し、評価することでお金をもらっているのだ、他人を評価するというのは傲慢きわまりないことだ、わたしもよく空気を読めだとか社会性がないだとかさんざん言われたものだ、でもその傲慢さがこの世界ということなのだろう、か?歩くたびに監視カメラの赤外線にふれる、この世界は大変ね。

そうだわ

わたしは

ずっと型にはまりたかった。

駅員の有する型紙どおりの正しいフォルムとムーブメントにあこがえるのだ

押切モエという人のもつ、他人を苦しくさせるだけの、1ミリの余裕のないキチキチした雰囲気にあこがれるのだ

わたしの卒業したT学園の、厳しすぎるわけのわからぬ校則にのっとって正しく生きたい自分がいる

 ・・・・マツオカさんこそ、理想の生徒像・・・・!

 ・・・・みんな マツオカさんを見習いなさい・・・・!

 ・・・そんな先生の声が聞こえてくるよ、

 ああ・・・・

 わたしは歓喜に失禁する

ああ、うれしいよ、気持ちがいいよ、わたしは一ミリも動けないよ、でもそれでいいの、空気中に蜘蛛の色がキラキラ張り巡らされて、わたしを縛るよ、きれいだよ、苦しいよ、楽しいよ、英雄の像は動けないのね、わたしも余計な動きはしませんから、わたしも正しい道だけを選んで進んで行きますから、押切が、代弁をする・大便をする、その大便の重さ分だけ押切はやっと飯を食う、わたしも、数多くの尺度にグルグルと囲まれて、ガンつけられながら、生きてゆくのだわ、わたしのうまれは皇太子、といったようなこころもちで。

ところでさっき醜形恐怖の犬に出会った

99円ショップの真向かいで

わたしがこんなに醜いからわたしを誰も愛してくれないと

顔を電柱にたたきつけて

いた