駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮が描く東京の風景たち◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆

都内をめぐった

今日は外回り関連の用事をいっぱいすませました。U銀行の口座のハンコはどれだ?とか、新しく銀行口座を作らなきゃいけなかったり、社会福祉協議会で打ち合わせとか、税務署にも用事があったり・・・・。あと、12月に死んだおばあちゃん(母の母)がこっそり隠していた定期預金が出てきて、わたしの母がもういないので、そうするとわたしにもおばあちゃんの定期預金を受け取る権利が(法的には)あるようで、それを放棄するための印鑑証明書を取りにいったりしました(ややこしい)。まあまあスムーズに行ったので、有楽町駅プロントでケーキセットを食べて、L@N赤坂のトリッキーさんイベントに遊びにゆきました。それについてはまた後日・・・。

さいきん、漫画喫茶にはまっているわたしですが、有楽町Prontoにいる人々はぜんぜんまんきつにいる人々と違って・・・・働いているってオーラがいっぱい出ていて、忙しそうで、イキイキしている、なにか、別のところで育てた空気の朝顔を背中にしょっていて、タイトなトレンチコートで空気をかき乱す、という感じで・・・うー・・・・あー・・・・まんきつが悪いわけじゃないけど、まんきつに比べたらずいぶん健康的なところにきてしまったなあと感じました。

友人がすすめる内田樹さんの身体知という本を読んでみたりしました。わたしはこのての本に書いてあるほど、昔が良かったとは思わないけれど、また、身体感覚を超えて言語的に理性で説得しあおうという考えも捨てがたいのだけど、でも身体感覚の重要性はあらためて感じました。駅員もホームにいるときは、10両分の身体を持ち、運転士のセキも車掌のためいきも、駅員にはきっと伝わるのだ。駅員、ラッシュの駅で、輪郭がうすーくなって、拡散してゆく、列車が右に傾けば、ああ、俺、傾く、擦れる、俺を擦るな・・・って思う、そのとき彼は列車そのもの。そうだわ、ホームで駅員に見惚れるということは、他者としてみているんじゃないわ、駅員のなかに包まれて、わたしは駅員に包含される砂のひとつぶとして駅員を見上げているんだなあ。ざわめきのコンコースで、勤務を終えた駅員が身体をしゅっと畳んでいますよ。