駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮が描く東京の風景たち◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆

しあわせを踏みつける

まんきつで今日も遅いランチを食べた。

いろんなまんきつがあるけれど、わたしが好きなところは、ひろびろとしていて、放置感があるところだ。

人と目をあわさずに過ごせるところ。

そんなところにいると、まるで想像上の親のお腹のふくろのなかにいるみたいで、安心する・・・。

そして、帰り道げっぷぅ・・・。

じぶんはなんて幸せなんだろうと階段を踏みつける。

定職がある (はい ・ いいえ)

自由がある (はい ・ いいえ)

ひとまず食事できるほどの経済的余裕がある (はい ・ いいえ)

友達がいる  (はい ・ いいえ)

愛する人がいる (はい ・ いいえ)

性欲がある  (はい ・ いいえ)

二本の足で歩ける (はい ・ いいえ)

借金がある (はい ・ いいえ)

誰かがあなたの命を狙っている (はい ・ いいえ)

ときどき死にたくなる (はい ・ いいえ)

電車が爆撃されそうで落ち着かない (はい ・ いいえ)

一日一度は家の外に出ることが出来る (はい ・ いいえ)

今年、新幹線に乗った (はい ・ いいえ)

今日は誰かとしゃべった  (はい ・ いいえ)

これらのすべてに「はい」と言えるわけではないけれど、

わたしは ともかく

幸せなんだと 感じた

自分の母もそうだったが、「癌で比較的早めに死ぬ」という生き方も、ひとつのありがちなモデルとして認識されてもいいように感じる。それはそれで大往生のひとつだと、まあそんな人生もひとつの選択肢だね、とか。残念ではあるがそれはけっして不幸ではないと、そしてありがちなんだと、アタマの片隅においておきたいものだと思う。もっと若くて亡くなってしまう方も多いし、それはそれでそういうことだとそのまま受け入れることが、できるようになりたいわ・・・。そしてわたしはぴんぴんしている。ときどき爆撃は来そうな気がして恐ろしくなるけど、ほんとうにほんとうに、家の外に出てまんきつで安らぎを得られるだけの強さを持っている自分に、感謝というか、幸せだなと思います。

仕事や学校でものすごいストレスを感じているひとは、爆撃来いよ~なんて思っているかもしれません。うかうかしてると死んじゃうよ、ああ、ぜんぜんいまは乱世じゃないよ。乱世、乱世にゃあこがれる、ってひともいるだろう。いよいよメッチャクッチャになるまで放置するのが日本のひとなのね、あんなに言ったのに。ああ、忠告してきたひとはどっかに言ってしまった。

わたしは人間関係のなかで仕事をするってことを半分くらいあきらめてしまったけれど、いまそんな中で心をいためて苦労している方が、ちょっとでも幸せになれますように。そんな方むけの仕事メニューとか、お食事メニューとか、電車のいい席とか、あるといいですよね。そうだそうだ、給料が少なくてろくに食べられない人こそ、電車のグリーン席に座れておいしいものを食べられると、いい。わたしはこの世にお金というものがないかのような世界をなんとかして編み出したいと画策しているのです。落ち葉でお金を代用できるような。ああ、この世からお金という概念を抹殺したい。すくなくともいろいろな何かをお金で換算し評価基準にするような考え方を捨ててみたいのです。お食事が食べられないと困るけど。