松岡宮のブログ

詩でうた作り

三度目の串間の旅 その前のこと(小さな死者の面影を)

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【串間シリーズのあらすじ】

 

独身だった叔父が死んで空き家になった父の実家の片づけをなぜかわたしがすることになった。

 

そこには小さな平屋が2つあり、ひとつは崩壊寸前、もうひとつはそこまで劣化していないものの、中はごみの山で汚れた衣類や猫の死体があるなどひどい状態であった。

 

2度の串間の旅で、ひとまずアルバムなど大事なものは東京に持ってきた。

 

(なお、このブログの記事は創作部分もあり、すべてが実話ではない。)

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九州の蜘蛛はたくましい・・・。

 

 

この記事では3度目の串間の旅について書こうと思うのだが、2度目と3度目の旅のあいだにいろいろな出来事があった。

 

まず相続関係について、司法書士さんが、その土地の登記情報と、相続人関係図を送ってくれた。

 

登記に関しては「共有者」「差押」などの文字もみえ、素人の自分には相続することがとてもおそろしく思えた。

 

相続人に関しては、しばしばいわれるように、関係の少ない(あるいはほぼ知らない)方の名もあった。それらの方にも相続する権利はあり、相続したいかどうか、意向を問わねばならないと言われた。司法書士さんが遺族代表のわたしにそれぞれの方の住所を教えてくれるので、わたしが郵便物を作ることになった。

 

会ったこともない親戚。

ある日受け取る、知らない人からの相続の手紙。

それらの方については寝耳に水、「あんただれや?詐欺?」という郵便物になるだろう・・・そう思われないようにしなくては・・・。

郵便物を作り上げるのにかなり時間を要した。

文章は丁寧に、そして現地の写真を添えて、「串間の実家がこんなふうに崩壊寸前なのですが、相続のお気持ちはどうでしょうか?」という郵便を作り上げ、送った。

 

ほどなく郵便を送ったすべての方より、お電話をいただいた。

みなさん、常識と礼節のある方々で、その点は恵まれていた。

 

とくに小さい頃、お葬式で会ったきりのいとこのお姉さんからのお電話には、懐かしさで胸がじーんとした・・・。気づかいのある声と話しぶり。素敵な思い出が蘇る。

このいとこと没交渉だった理由の一つは父親同士の不仲のせいではないかと疑っている。せっかくきょうだい関係に生まれたのだから、不仲になるのは勿体ないなぁ、きょうだいって助け合うことができ、支えになってくれることもあるし、有難い存在だなぁと思いつつ、浮かれたわたしは「うちの兄貴、独身なんですよ・・・」などとつまらぬことを言った。

 

 

結果的に、いとこのみなさんの意向は「相続放棄」であることを確認できた。

わたしの兄と姉の意向も聞かねばならない。共同で相続するという意見もあったからだ。グループラインでたずねてみると、ふたりともあっさり「相続放棄してもよい」とのこと。

 

そして同時に、実はわたしも相続放棄したかった。

叔父は商売を引き継いでいた代表取締役だったことを思い出し、登記の「差押」の文字を見て不安になってしまったのだ。

 

しかし司法書士さんが言った。

「こうして関わっているあなたひとりが相続人になるのが望ましいです」

と・・・

 

・・・うーむ、借金があったら・・・自分がかぶるしかないのかなぁ・・・。

 

お金のことがあまりわからず、区の弁護士相談に行ったりしつつ、だんだんと、もうこれは自分が相続するしか仕方がないのかな・・・と覚悟をきめた。

 

HAPPY DAYS💛

 

 

3度目の旅の前に、家屋の撤去などを地元の業者に相談してみたところ、たいへん親切に対応してくれた。

「現地を見学したい」というので、「ドア壊れてますので、勝手にどうぞお入りください」と住所を案内したら、すぐに見に行ってくれたようだった。そして見積もりを作成してくれたが、それは予想通りの高額であった。足場を組んだり、通行止めにしたりする必要があるとのことで、それでも良心的な額だったのかもしれない。

 

お金がすべてではない。先祖代々の土地を守り、近所をリスクから守る、意味のある工事なのだと自分に言い聞かせる。そう、すべてはギフトなんだと思うことにしたじゃないか。

 

相続というのは、今や、お片付けの費用が発生する貧乏くじイベントとなる場合が多いのではないか。土地だけならともかく、その上には片付けの必要な「お荷物」がのっかっていることが多く、一時的に数百万の費用がかかる。そこに住んでいれば少しずつ片付けたり修繕したりできるのだが、いきなり遠くの壊れそうな家を相続するなんて、お金も手間もかかり、誰もそんな相続は選ばないのだろう・・・そんな現状を、わがこととして理解できた。

 

(↓)やけになって「負け動産のソーゾクニン♪」という歌をつくりました。

 

youtube.com

 

 

なんで自分だけこんなことしているんだろう?

自分は、自他境界があいまいで、ものごとに適度な距離をおけず、ひとのことを自分のことみたいに考えてしまう・・・できもしないことに口をつっこんでしまい、結局仕事が増えることが多い・・・

 

・・・2017年の父の葬儀に、ものすごく遠いなか、やっとの思いで来てくれた叔父の丸い背中を思い出し・・・それからすぐに認知症になってしまった叔父の親族連絡先になったときからこうなる運命だったのか?

 

でもきっとそれをしなかったら、もっと思い残しもあっただろう。すべて自分が選んだことではある。わたしにはローンがないのでひとまずの出費が出しやすい側面もあろう。しかし、わずかな蓄えの老後資金が減ってゆく・・・。

 

・・・勇気を出して、兄や姉に、「よかったらわたしのCD買って聴いてくれたらうれしい」と言ってみた。

 

しかし、その言葉はスルーされ、CDが聴かれることはなかった。

 

(;;)

 

夫が言った。

 

「聴いてください、買ってくださいというとダメなんだよ、相手を責めてるみたいに聞こえるから。」

 

・・・それなら、黙っていたら音源を買って聴いて貰えるのだろうか?

 

・・・落ちる気分をなんとか持ち上げ、頼まれるままに普通に仕事をし、デザフェスとクロコダイルで普通にしっかりとライブを行い、普通にたくさん音楽作品を作り、普通に働いた。しかし今もずっと消化器に小石が詰まった感じがあり、全体的に食欲がない。第1回の旅で道路の管に落とした小石がこちらに巡ってきたのか、いやはや宮崎の小石が体内にあるのか。

ときには(しばしば)数少ない信頼できる人たちの優しさに救われる、綱渡りの日々。

 

・・・気づくと夫がわたしのCDを買って自分の部屋でずっとプレイしてくれていた。

わざわざどこかのCDショップで買ってくれたようである。

 

そして、君の作品は面白い面白いと言ってくれた。

 

 

 

春ごろ、わたしが正式に相続人となった。

 

相続人となることが決まり、権利書とともに、各相続人に関する分厚い相続関係書類も送られてきた。

 

持ってきたアルバムや書類を参照するうち、祖父や祖母の生年月日、兄妹構成などを知ることができ、また、若い頃の祖父や祖母の顔を認識できるようになった。

 

 

祖父は明治37年(1904年)生まれ、末っ子だったようだ。

わたしにとっては普通の「おじいさん」だった祖父だが、若い頃、ダンディなマスクであったことを知った。

 

昭和2年、23歳かな。

 

どの写真も優しげな雰囲気を持っており、

ときにはイカしたコートでポーズをとりながら写真に収まっていた(左)。

 

 

「おお、おれをよく見つけてくれた、さすが、わが孫だ」

若い頃のおじいさんの写真のまなざしが、わたしの努力をみとめてくれているように感じた。

報われたと感じた。

 

いや、報われたと、感じたかったのだ。はるかな旅路の、疲労の脳裏に。

 

 

(調子にのっておじいちゃんの写真で曲を書いた。)

www.youtube.com

 

一方、祖母はお手紙などを読む限りクレバーな方だという印象があった。

たぶんこれが祖母だろうなと思う写真は以下の1枚であったが、聡明そうな雰囲気である。

 

 

・・・この間の高円寺フリマのときのわたしの服装と似ている。

知らずに祖母をなぞっていたのか?

ありがちな服装なのかもしれないが・・・。

 

 

戸籍を読んでいてわかることがある。例えば、祖父母の結婚はどうやら、長男である父の「授かり婚」だったらしい。

 

また、祖母の父が村長になったことがあったと聞いたことがあったので、その正式名を検索したところ資料があるようだったので、その書類のコピーを国会図書館に求めたりした。そこには顔写真とともに人情に篤い村長であったと書いてあった。

西南戦争のことが書いてあり、自分は歴史や父の故郷について何も知らなかったのだなと思った。

 

2017年6月で止まった叔父の家のカレンダー

 

そして、うすうす知っていた、悲しい出来事。小さな死者がいたということ。

 

あれは2016年、父が死ぬ直前の冬のこと。突然、「宮崎の実家のお骨を厚木のお墓に入れるぞ」と言いはじめ、複数届いた骨壺と、木のお位牌。そのなかにあった、小さな小さな骨壺。

 

それは叔父の弟だったシズオさんのお骨である。

 

・・・いままでこの記録では、先だって亡くなった叔父のことを「末っ子」と書いていたが、じつはその下に、2歳弱で亡くなった叔父がいるのだ。

 

そのシズオ叔父は、昭和19年6月13日、満州国にて出生。

 

以下の写真で、祖父が抱いている元気そうな赤ちゃんがシズオさんである。

 

 

そして、昭和21年6月6日、福岡市にて死亡。

 

わたしが相続人になるにあたり、死亡日と亡くなった地を知った。

 

うちは比較的早めに引き揚げたときいたが、それでも病や死からは逃れられなかったのだ。終戦直後は貧しかったときいたが、そのような中で、祖父母や、父12歳、叔父8歳。小さな弟の死の悲しみは、いかばかりだったろう・・・。

 

今回の掃除でみつけた、1990年代後半の叔父の日記に、それについて短い記述があった。

 

 

シズオの命日。覚えているだけでなにもしてやれない。

 

・・・その死から50年が経過しても、その痛みは消えることはないのだ。

 

祖父母や父の一家は、小さな死者の面影をその心理の奥に隠し、ときに呼び覚まし、おそらくはともに高度経済成長期を生きてきたのだった。

 

奥の深い世界の、ほんの入り口をみたような気がした。

自分はいままで、高齢者を敬う気持ちが足りなかった。年を重ねたひとはそれだけ多くのものをみてきて、その精神にはさまざまな人生ドラマを含んでいるのだ。それに対して敬意をはらい、耳を傾けなければいけなかったのだ。

 

お父さんに会いたい。

 

が、今更言っても遅い。

 

お父さんに会いたい、叔父さんにも会いたい、いろんな話が聞きたい。

 

・・・そう思うときには、手遅れなのだ。

 

今頃、雲の上で、シズオ叔父も含めて、一家で穏やかに過ごしているのだろう。

これもギフトだと思うことにした。

 

 

そして、さっそく下見をしてくれた撤去工事の業者さんが、いちど会って話したいというので、鹿児島空港ゆきの飛行機を予約し、三度目の串間の旅に行くことになった。

 

 

閉所恐怖症のわたし、相変わらず飛行機は苦手で・・・瞳を閉じてやり過ごした。

 

 

(長くなりすぎたので・・・続くっ)

 

 

CD、良かったら、よろしくお願いします ♪

 

LimitedExpress383

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  • アーティスト:松岡宮
  • Candy Recorder
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記事は以上です。以下は投げ銭です。

 

 

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南町田グランベリーパーク駅

miya.o.oo7.jp

 

わたしのいまのホームページの画像は・・・

深い意味はないが2018年12月に駅名が決まった山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」である。

 

山手線ではじめてのカタカナ駅名だということでとても驚き、反対運動が起きたりもした。

今でも、開発中でやや閑散としたその美しい駅にはなじめないのだが、ともかく新しく美しい駅であることは確かである。この綺麗にデザインされた駅は、駅の新しい姿であり、その新しい姿に慣れるのに時間がかかるのかもしれない。

 

 

同時期に、カタカナ新駅がいくつか生まれた。

 

例えば、東京メトロ日比谷線の「虎ノ門ヒルズ駅」もそのひとつである。商業施設の名称が入ったその駅名変更はさりげなく、工事中ということもありあまり目立たなかった印象である。そういえば「三越前」という駅名も商業施設が駅名に入っていることを思い出す。

 

そして今回の主役、東急田園都市線「南町田グランベリーパーク駅」も、2019年10月に「南町田」から駅名変更となった、これも商業施設名が入った駅である。

いちおう東京都(町田市)にあるようだが、多摩川を渡って神奈川県に入ったその先の先、終点の少し手前の郊外にある駅であり、イメージ的にはどう考えても神奈川県。

そもそも町田市は、そのようなイメージであるが・・・。

 

Wikipediaには「東京都でもっとも南にある駅」とあり、六郷土手じゃなかったのか・・・大田区民としては驚いた・・・

なんだろう、なぞの敗北感・・・。

 

あまり洋服などの買い物をしないわたしであるが、グランベリーモールというアウトレットが南町田にできたことは知っていた。

 

そのモールに直結していた南町田駅が、商業施設名を含んだ駅名へと変更されたのであった。

 

この駅名変更、「東急らしくない」とか「東急の品位を壊す」などの声がきかれなかったように思うのは、東急田園都市線にはすでに「たまプラーザ」という強烈な名前の駅があるから・・・かもしれない・・・。

 

gbp.minamimachida-grandberrypark.com

 

 

名称について2点、誤解があった。

 

わたしはなんとなく「ランベリー」だと思い込んでいた。

クランベリーモール・・・ベリーが実る畑があって・・・素敵なカフェもあって・・・なんとなくフルーティーで、美味しそうな響きだと思っていた。「そういえば河村隆一って今何しているんだろう」などと思いつつ、クランベリー」ではなく「ランベリー」であることを、のちに知った。

 

そして駅名も商業施設名も「グランベリーモール」だと思い込んでいたが、すでにアウトレットモールを含む施設全体の名称を「グランベリーパーク」へと変更したようであり、施設名称も駅名も「~モール」でなく「~パーク」なのであった。

 

渋谷にもミヤシタパークという名の商業施設が出来たが、商業施設に公園的機能がそなわり、運動できる場所を含んで拡大しつつある近年の傾向をあらわしているともいえる。

これは例えばサブカルショッピングの集約地のような「中野ブロードウェイ」とはずいぶん違うコンセプトであり、ファミリー層へのアピール、運動・身体性の重視、風景や実際の体験の重視といた趨勢が感じられた。

 

「南町田グランベリーパーク駅」は駅名変更時に平日も急行が停車するようにダイヤ変更がなされたらしい。どうやらこの駅は東急の近年の「推し」駅であり、みんなこの駅に来てくださいと言わんばかりに、スヌーピーの絵の描かれたポスターを矢口渡駅でもよくみかける。質素なシュルツ氏の描線が「東急のるるん商戦」に組み込まれてゆく。

 

その魅力は失わぬまま、巧みに、するりと、情報はこの脳の認知へと進む。すなわち・・・ピーナッツミュージアム行ってみたい!

 

 

この駅名の最大のポイントは「長さ」。東急田園都市線の路線図で確認してほしい。

 

 

・・・他の駅名の2倍はあるぞ!

 

・・・たとえば、あるものが大きすぎて存在感がなくなる場合があるのだが、それと同じで、長すぎて見過ごしてしまいそうな駅名ではある・・・。

 

高輪ゲートウェイ同様、新しい駅のありかたが広がってきている。名づけは最初の大仕事であるが、その名づけはいま、さりげない伝統をそっと置くようなものではなく、これからの意思表明のように長大な名前になってきている印象をもつ。

 

商業はもう堂々と前に出たがっている。ひとを飾り、分類したがっている。シュルツ氏の好感度の高い描線をもって、東急はこういう(美しい時代へ)世界を目指しています、あなたもがんばって東急にふさわしい人になりましょう!との声をしゃれたフォントで届ける、そうですよ、わたしは東急が好きなの、スマートな駅員さんが好きなのよ、なんて、わたしもワンと鳴く、もはや東急の犬だ、だってわたしは青葉台育ちの桐蔭学園卒・・・この郊外文化を浴びて育ってしまったのだから・・・・。

 

「南町田グランベリーパーク」。

この新駅に行くチャンスをうかがっていた。

 

 

そんな折、友人が猫と一緒に南町田グランベリーパーク駅に住むようになった。

ちょっとした機会があったので、こちらからお願いをして立ち寄らせていただいた。

 

目的その(1)

変更された長い駅名を「しか」と見届ける。

 

目的その(2)

友人宅に猫ちゃんがいるので、遊ばせていただく。

 

いずれも友人が了解してくれた。ありがたい。

わくわくしながら猫のおもちゃを手作りした。カバンの持ち手のスペアに魚型ぬいぐるみを縫い付けたものである。遊んでくれるかな?

 

遊んでくれるかなあ・・・。

 

 

ざつな弁当を作って、いざ行かん。

 

 

我が家からは、東横線から大井町線に、自由が丘で乗り換えである。大井町線田園都市線に直通するようになり、便利になった。

 

 

この写真は大井町線自由が丘駅二子玉川寄りの風景。

いままでなんとも思わなかったが、こうして写真を見ると、自由が丘は小さなお店がごちゃごちゃと存在する街である。これから向かう新興住宅街とは違う風景だ。自由が丘も再開発がはじまりつつあるようではあるが、こうした昔から発展してきた人気の町ほど、再開発はあとになるのかもしれない。

 

ちょうどよく、急行の中央林間行きがやってきた。6000系だ。

 

 

ツンとすましたフェイスがかっこいい急行。自由が丘を出たら二子玉川までノンストップのいさぎよさ。レコーディングでよく降りたスタジオのある等々力駅を通過。このあたりは地面をトコトコ走るので沿線風景に溶け合い、スピードはそれほど早くない。

 

すぐにゆるやかに二子玉川駅に到着した。そこから座れたのでタブレットでの読書がはかどる。この日は平日の昼間だったが、比較的すいていた。通勤地獄で知られる田園都市線だが、通勤時以外は風景もよく、すいているときの田園都市線は本当に良い路線だと感じる。そしてやはり自分が育った沿線という気がする。

 

ほどなく「南町田グランベリーパーク駅」に到着した。

降りる人もそれなりにおり、それらの人々について降りた駅の様子は、予想以上にショッピングモールだった。

 

ここでは駅が、施設のひとつなのだ。

駅に何かが付帯するのではなく、ショッピングセンターのなかに駅があるという雰囲気である。

 

駅名表示は予想以上に横長だった。

この冗談のような「みなみまちだぐらんべりーぱーく」のひらがなの列を見ただけでなんだかすごいものを見てしまった気分。じゅげむじゅげむ。

 

横に長い特注の駅名板なのではないか・・・?

 

 

駅の待合室もやけに綺麗で、他の駅の待合室よりも広い印象である。

 

 

そして集客パンダのにおいをさせながら「スヌーピー」がホーム内に鎮座している・・・大きい・・・君は、大型犬だったのか?

 

この写真の左側に少しみえているが、階段には光による「のるるんアート」が色とりどりに変化して昼間からまばゆくきらめいている。その技術は素晴らしいなと思ったのだが・・・

 


SDGsトレインを走らせている東急、この光のアートはいかがなものか・・・と思わないこともなかった。

 

グランベリーパーク自体、初めて来たが、あまりショッピングに関心のない自分にとっては、「駅名が横に長い」ばかりが印象に残ってしまう。

 

このガラスばりの横長駅舎はいつかみたフランスのアヴィニョン駅を思い出した。

 

 

だけど綺麗な新駅は良いものだ。心がフレッシュな気分になる。

 

すぐに友人が迎えに来てくれて、グランベリーパークをあれこれ案内してくれた。(ありがたや)

 

印象としては、見た目より広くて大きな施設だった。

例えるなら川崎ラゾーナや海老名のビナウォークのように、物理的に奥が深く、まるでひとつの街のように多様な施設がそこにあった。

 

わたしは服のブランドにも詳しくないしアウトレットというものもよく分からないのだが、見た感じではそんなにお高いショップが並んでいるわけではなかった。友人と「コムサの黒くない服が3900円だ~」とかはしゃいで、うっかり買いそうになってしまった、というか、買えばよかったかも・・・。

 

カフェもあったし本屋さん、映画館など文化的なスポットもあった。イートインスペースも充実していることを友人が教えてくれた。一日居座って読書するのも良さそうだと思った。多くはファミリー向けの空間で、家族連れをターゲットにしている施設だと感じた。

子供がかけまわったり噴水で遊べるように設計してある広場もあり、たくさんの子が水遊びをしていた。

いかがわしい雰囲気のお店は・・・なかったように思う。

 

友人が、見晴らしの良いところに案内してくれた。

 

 

ススキの穂が夏の終わりの日差しに透ける。

松岡家の墓のある大山がみえる。左右で角度の違うこの稜線、厚木にいたころよく見た風景。なんとなく手を合わせた。

 

 

友人のNAVIによるはじめてのグランベリーパーク探訪、質の良い空間を楽しんだ。

おしゃれな服を買ってみようかな?など、いろんな意欲が生まれてきた。そう考えると、やっぱり服屋さんの多さが印象的だったのかもしれない。

 

 

もうひとつの目的「猫と遊ぶ」も、友人のおかげでとてもうまくやれた・・・(ように思う)。

 

・・・友人宅の2匹の猫ちゃん、遊んでくれるかなぁ・・・と悩んで、叔父の遺した「猫の気持ちがわかる本」を読んでから行った。

 

あまり前に出ず、しつこくせず、さりげなく接することを心がけながら、冒頭に書いた手作りの猫のおもちゃ、ぶらぶらさせると、飛びついてくれたり、走ってきてくれたり、気を使っていたのかもしれないが、ともかく遊んでくれた。

 

あー、よかった。

 

抱っこは苦手な様子だったが・・・

 

 

貴重な猫との時間、調子にのってショート動画を作ったりした。

 

youtube.com

 

2匹いらっしゃったが(敬語)、とても毛並みが柔らかく、改めて猫っていいなあと思わされた。

こちらのライブ告知写真も、友人宅で撮ったもの。

 

 

友人にはいろいろお世話になりっぱなしで、お手数をおかけしたが、わたしのひどい弁当を美味しい美味しいと食べてくれた・・・やさしい。

ありがとうございました。

 

 

そのようなわけで、とても楽しく、発見のあった南町田グランベリーパーク駅の休日であった。

次に行ったら、ピーナッツ関連をはじめ、もっとゆっくり店舗をめぐり、美味しいものをいただきながらのんびり読書したいと思う、が、貧乏性なので仕事とか勉強とかしてしまうのだろうな・・・。

また行く日を楽しみにしています。

 

 

文中にもミヤシタパークの話が出てきましたが、次回ライブは渋谷ミヤシタパーク沿いの「クロコダイル」にて、9月4日(月)です。

 

crocodile-live.jp

 

19時~22時のどこかで15分。今あまりライブはしていないので、この機会にぜひ会いにきてくださいね☆

 

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北中夜市8月号(松岡宮は51歳)

 


今年初めての高円寺・北中夜市。

 

CD販売と「あなたの言葉で唄づくり」をすることは決まっていましたが・・・夜の市ということでなんとなく明るいブースにしたくて、ぴかぴか光る電化製品を安売りすることにしました。

 

名付けて「松岡宮デンキ」。

電子音楽をやってるから、コンセプトとしてはつながってる・・・・かな?

デデデン。

 

 

周囲のブースは賑やかでカラフルでした。

ハンドメイド作品を売る方も多く、外国語も聞こえてきました。

ふつうのフリマのような雑然としたブースは少なく・・・そんな古めかしい雰囲気のブースはわたしのところだけかも・・・やっぱり、高円寺、アート風味。

 

みなさん街の常連さんのようで互いに知り合いであるご様子・・・なぜかわたしにも気軽に話しかけてくださいました。いま少しだけ前髪に青色が入っているのですが、その色イイね!なんて言ってくださる方もありました。

 

わたしの売っていたCDを手に取り、わたしのファッションも少し固い衣装でいったので、ガチのアーティストだぁ、なんて言ってくださる方もありました。

 

この街では服装も髪色も、派手にしていいのだなぁと背中を押される街です。

 

通りかかるのは若い方が多いという印象を持ちました。

カップルも多し・・・。

にぎやかだなあと思いましたが、これでも予想より少ないほうだったみたいです。

 

 

路上DTMのノウハウも出来てきました。

昔から、路上でDTMをやりたくて、昨年そのためだけにパソコンを買って、昨年10月の高円寺が路上作曲デビューでした。それから、できるだけ荷物を減らし、バッテリーを加え・・・いろいろ進化しています。鍵盤を置いてますがパソコンのキーボードで演奏することも出来ます。このDELLの音楽用ノートを買ってから、出先やちょこっとしたところで音楽作業をするのがはかどるようになりました。ちなみにパソコンは軽く小さく性能が高いものを探してましたが、ディスプレイに1か所ドットノイズがあり安かった新古品を購入しました。TypeCで充電できます。

このPCを買ったおかげでYouTUBEショートやTikTokの製作もすっかり慣れてきて、DTMを持ち運べ、自分の精神のすべてが歌を生み出すBODYになりつつあるのを感じます。ミュージカルというものがありますが生活上の言葉ってほんとは歌なのではないかと感じられます。岡ノ谷先生の本にもすべては歌から始まったという旨があり、言葉より前に歌ありきだなと思う次第で・・・

 

路上で音楽を売る。

 

そう決めたのです。

 

が、

ただ、

ひとりでフリマだとなんとなく「坊主」を防ぎたくて10円のブツなどを用意してしまう・・・今回も「松岡宮デンキ」のコンセプトにあう不用品をわちゃわちゃと出しました。

でも、結果として、高円寺では10円だからという理由で関心を持つ方は多くなかった印象でした。安いからというより、キャラクターものだったり、オモシロイものとか、そういうものが売れる街という印象を持ちました。

 

ちょっと、なんというか、弱気だった自分に気づきます。

 

この写真の光るEVAのヘッドフォンは、売れそうで売れなかった。とほほ。

 

 

詩人の青条さんが手伝いにきてくれました。わたしには高度な文芸の場所に思える早稲田一文を出た方です。わたしの写真を撮ってくださった。

青条さんの動画とかNOTEとかすごいクオリティのものをすごい分量で作っておられますが、それを見るとわたしも頑張らなきゃと思わされてたくさん作品を仕上げることができ、つまりそれはライヴァルなんだなと気づきました。ライヴァルは敵じゃないのです、高いレベルで認め合うことができる相手。ライヴァルのあることは幸せなことだ!

 

手伝いの方がいらっしゃれば、なんか「坊主」でもいいや・・・・という気になります。でもせっかく創作人が2名いるのならそのコンセプトを打ち出す看板とか店構えとか作れたらよかったと思ったりもしました。(来月はぜひ。)来月すでに埋まってた・・・。すごい人気。

 

子どもさんたちがよく立ち寄ってくれました。

交通誘導の方のもつ赤く光る棒が大人気でした。ちょっとお高い設定にしてあったので、買われることはなかったですが・・・幾人かの子どもさんが、これほしい、これほしい、と、もっとも人気がありました。青条さんが「こういうの好きな気持ちわかります」といって振り回してました。

 

そのほかお子様に、電卓や、ポケモングッズが売れました。

計算が好きという子どもに「1+1ができるの?すごいねー」と言ったら、「100+100もできるよ」って得意そうな顔・・・高円寺学童は優秀です。

 

ブース代が1000円で、格安電化製品が売れないことはなかったものの、予想よりも赤字でした。わたしの人生はいつも計算ミスです。

 

 

いつかのフリマで隣だった方が向かいにいらして、「あの時の方ですよね、前髪の色でわかりました」とか声をかけてくださいました。

前髪の色・・・

高円寺では髪色に関連するイヴェントが多い気がします。(「高円寺のブラックジャック事件」とか)

 

フリマの話などしてなんだか知り合いになってしまった。

いつもぜんぜん売れないですけれど、ひろい東京でもフリマをやっていると顔だけ知ってるとかそういうこともあり、へんに人の輪だけはつながってゆくのでした。

 

それは奇跡のように素敵なことかもしれない。

 

 

活気のあるなかに身を置いて、ふと精神が静かに落ち着くようなときもありました。

自分はいまどこにいて何をやっているのだろう?・・・などと、旅人気分になったりして・・・振り返れば自分には影がないな、この身も消えつつあるのかなと思ったりして・・・。

ほんとに若々しい街、高円寺。

感じのよい、アーティスティックで若い雰囲気に囲まれ、こうしてコロナ前のように、頑張ってブースを出せただけで有難いことだなと思います。

 

ヨシ来月も出すぞ!

来月9月の枠はもう埋まってしまったそうで(はやいな・・・)、9月は参加いたしません。

 

 

お世話になった皆様ありがとうございました。

 

 

高円寺のおとなりといえば中野。中野タコシェさんにも立ち寄り、精算をしてまいりました。

売上を受け取り・・・ぎゅっと握る・・・。

 

お買い上げくださった皆様に心から感謝です。

 

許可を得てわたしのCDコーナー撮影させていただきました。

 

 

松岡宮のアルバム4種(グリーンのCDも松岡作品)、三上寛さんのおとなりで販売しています。

 

こうしてみると、松岡宮はタコシェさんでかなり大事にしてもらっているなあと思います(;;)ありがたい。

中野ブロードウェイ3階に行かれた時にはぜひチェックしてくださいね。

 

なおタコシェ通販ではCDは「エメラルドグリーン区」だけ販売していました。

 

taco.shop-pro.jp

 

 

 

またそのとき、タコシェさんにあった「東京フリマ日記」の在庫を少しだけこちらに

戻し、わたしのBASEのほうで在庫切れだった「東京フリマ日記」の書籍版の販売を再開しました。

 

383.thebase.in

 

この本、かなり好評をいただいておりありがとうございます。

いまなら書籍版がお求めいただけます。

 

CDが売れない松岡が売れないままに人々と否が応でもつながってゆく、そんな悲哀をユーモラスに描いていますが、先日、さる読者さんと話をして、この本に書いてある実家片付けの記事が役立ったようでした。すごい熟読してくださったんだなと感激しました。

 

 

ライブいくつか決まりました(↓)。

クロコダイルでは、はじめてTikTokメドレーを予定しています。戦争体験のメドレーですがマザーグースみたいな感じです。

ライブで聴く音は良いと思います。クロコダイルは禁煙で飲食も充実した、比較的広いところでおすすめです。

ライブ会場でお会いしましょう!

 

 

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

 

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二度目の串間の旅のこと(2)【閲覧注意/猫死体】

荷物ちらかるホテルで自撮り。にゃー。

 

 

【これまでのあらすじ】

 

このシリーズは、独身の叔父が死んで誰もいなくなった父の実家の片づけをしに行った記録であり、この記事は、2度目に行ったときの記録のパート2である。

 

2度目に行ったときの記録のパート1は、こちら。

 

ekiin.hatenablog.com

 

敷地には「母屋」と「離れ」があり、崩壊寸前の母屋に猫の亡骸を2匹見つけたので、仏壇に弔った。

そして「離れ」に来たところから、この記事の、はじまり、はじまり。

 

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「離れ」も母屋と同様、小さな平屋建てである。母屋ほどではないが、中身はやはりどこか荒廃した雰囲気が漂う。

 

前回来た時に少し片付けて、このような状態であった。

 

 

写真にも写っているが、時間をかけて構築された広大な蜘蛛の巣が天井から広範囲に幕を下ろし、室内や窓辺を、ここは人が住めない部屋ですよと語るように飾っている。どこかおそろしい。「魔」がいる。 ”東京から獲物が来たぞ” 目には見えないが虫たちがささやきあっているような気がする。

 

床にはなんだかわからない土くれ、紙くず、わらくず、ティッシュのくず、キャットフードのかけら、虫の死骸、ごみ等が落ちており、歩くとそれらが心身に付着する。ひとが住まう床ではなかったし、簡単な掃除でなんとかなるレベルではなかった。叔父には悪いと思ったが、靴のままで歩行させていただいた。ここを裸足で歩いたら、もう違う世界に吸い込まれて、戻ってこれないような気がして、この世界観とはいくぶん、距離を置いたほうが良いと察知した。

 

そう、なぜかわからないが、ここにずっといると心身が疲弊する。息が苦しくなる、呼吸が浅くなる。何かがそこにいるような気がして油断ができない。6月で止まったカレンダー、7時37分で止まった時計。そこにも蜘蛛の巣がみえる。生き物は何もいないようにみせかけて、この空間は何か生きているものがいまだに漂っているのではないか。

 

”東京から獲物が来たぞ”。

 

とても恐ろしいことが、始まるのではないか・・・。

 

と、そこに、降ってきたのは蜘蛛の死骸!

 

しかも、大きい・・・。

九州の虫は大きい気がする・・・。

 

この一間の離れのもっとも奥には扉のついた事務棚があり、半開きになった扉からは茶ばんだ「知恵蔵」や文庫本たちが見える。この棚は部屋の奥にあるため、1回目に来た時、蜘蛛の巣などに阻まれて手が回らなかった部分だ。

 

今回はきちんと片付けなくては・・・と思った。

 

 

みてのとおり、この部屋は、なんだかわからない道具たちで丘ができて、下着を含む衣類たちで山や谷ができている。からみつく電気ケーブルで川ができており、キッチンの床にはペットボトルの海ができている。

 

・・・晩年、叔父はその海で溺れていた。

もがけども、もがけども、岸に辿り着かず、ペットボトルの潮の流れに吸い込まれる、認知症の叔父の手足、そして意識。

 

・・・本当はこの旅で、床を埋め尽くしていたペットボトルの山を廃棄しようと考えていたのだ。だが、その分量があまりに多く、ペットボトルを前に立ち尽くしてしまった。いずれ家屋全体の片づけを行うと考えれば、そこに労力を割くのは割に合わないと思われた。

 

 

ペットボトルの海のなかに、同じ殺虫剤が何本も立ちすくんでいた。

最初は、なぜ ほとんど減っていない同じ殺虫剤の缶がこんなにたくさんあるのだろうと思った。

 

ふと気づいた、それが認知症なのだ。

 

この同じ殺虫剤の本数が、叔父の苦労を物語る。

きっと、ゴキブリをはじめとした虫たちがこの家には巣くったことであろう。叔父は、なにも虫を気にしないわけではなかったのだ。虫だらけの家が不快だったから、こうして殺虫剤を買って対処しようとしたのだ。

 

「虫が出ないような生活を送るように努める」・・・そんな根本的な対策を行うことができず、誰もそれを手伝うこともなく、つぎつぎに現れる虫に対策をしなくてはいけないと思って買ってくる殺虫剤、殺虫剤、また、殺虫剤・・・・。

 

記憶機能や遂行機能の弱った叔父が取った対策のあかしなのだ、この殺虫剤の山は。

 

人間が自然に圧倒され征服され追い立てられる死への旅路において、わずかに抵抗した剣なのだ、この殺虫剤の山は。

 

そして部屋の片隅に馬糞が落ちている。さすがは都井岬をもつ市である。否、馬糞じゃない。乾ききって、匂いなどは、もう、ない・・・

 

・・・まちの福祉の方には、とても丁寧によくしていただいた。だけどこうして部屋を片付けていると、もう少し早ければ、と、思わないことも、なかった。自分だって何もできなかったし、ときには「また叔父のことで書類が来た、面倒だなぁ」なんて、思ってしまった。

 

 

そう、叔父の生前、病院や施設から、「面倒だな」と思うくらい、書類がたくさん届いた。

 

今わずかに残った書類、病院からの封筒には、「心筋梗塞」、「アルツハイマー認知症」という診断名が残されており、拘束すること(つなぎを着ること)の許諾と、万一のときに延命措置をしないということへの許諾を求めていた。

 

 

こうして亡くなってしまえば、「面倒だな」なんて思った自分を悔いてしまう。ひとつの命が終わるということはその方へと続く星の光の道がそこで終了するという大きな事態である。その方が孤独で類縁に恵まれていないならなおのこと、そこまで続いていたはるかな流れがそこでばっさりと途切れることを意味するのだ。

 

独身、末っ子。叔父の輝きの星の砂を、さらさらと自分に手に包み込む。その弱い光は暖かい温度を放ちながら、虫たちといまは共存し、すっと静かに消えてゆく。わたしに何かを訴えかけるように、とても、暖かい光で。

 

叔父が、というより、目には見えない何かが、自分にギフトを送っている・・・

 

串間に来てから、そんな思いが止められない。

 

亡くなった叔父からのギフトだろうか?昭和54年のお葬式のとき、わたしを遊びに連れてゆけなくて申し訳なかったから、いまこうして串間にきたわたしに、何かプレゼントを届けてくれているのだろうか?

 

たとえば・・・猫ちゃんのごみ捨てを見つけた。

 

 

つくづく、叔父は猫好きだったのだなと気づかされる。

ええ、わたしも猫が好きですよ。叔父さん、ありがとうね。

 

そして奥の棚の整理にとりかかる。

文庫本が詰め込まれた最上段を片付けていると、そこには「ネコと気持ちが通じあうちょっとしたコツ」という本があった。

 

 

つくづく、叔父は猫好きだったのだなと気づかされる(2度目)。

 

・・・いや、猫が好きなわたしに、この本をプレゼントしてくれているのだろうか・・・いま・・・?

 

もしかしてこれもギフトか?と思ってぱらっと読んだら、なかなか面白く、役立ちそうな本であった。

 

そして、「タバコはなぜやめられないか」という文庫本もあって、苦笑した・・・。

 

 

・・・なぜなら、ベッドのマットレスや枕に、タバコの焼け焦げが数多く残っていたからである・・・。灰皿と、吸い殻も多く残されていた。寝たばこで焼死しなかっただけ、運がよかったようだ。

 

・・・この本はギフトではなさそうだな・・・。

 

 

そして、文庫本のなかに、こんな本を見つけて、狂喜した!

 

さだまさし「長江・夢紀行」!

 

・・・ほら、お前、さだまさし好きだったろう・・・?

 

とでも言っているような優しい叔父の顔が浮かぶ。

 

(あ、あ、ありがとう、な、何で知ってるの・・・・は、はははは・・・(照))

 

いやはや、本当に、誰かがわたしにギフトを送ってくれているんだなぁと、このとき確信したのである。ちなみにこの本、読んでみたらすごく面白くて、さだまさしの凄さを再確認したのであった。

 

 

また、奥のほうの床を掃除していたら、蜘蛛の巣とわけのわからない埃や土くれの隙間に、なにやら、ネコのような、あやしい影をみつけた・・・。

 

 

・・・何しろ、これまで2匹の猫死体を見つけてしまったので、ここにも何らかの死体があるのではないかと、身構えてしまったが・・・

 

にゃー。

 

それは、口を開けてかわいらしく鳴いている、仔猫のオブジェであった。

 

にゃー、みつけてよー。

 

うむ、かわいい。

(かわいい かわいい こねこちゅわーん♪)

つくづく、叔父は猫好きだったのだなと気づかされる(3度目)

これこそ、まさに叔父からのギフトで・・・猫好きなわたしのために、ありがとう、と手を合わせる。

 

ちなみにこのオブジェは事務所に持って帰って綺麗に洗い、いまわたしの目の前に飾られてある。

 

 

その日はごみを捨てられる日で、お布団類を捨てたいと思った。

ただ、ゴミ捨て場まで少し離れているなぁと思ったが、そういえば庭に「荷車」があることを思い出した。

 

うち捨てられてあるが・・・。

 

これを使えば、お布団類をゴミ捨て場まで運ぶのにちょうどよいということに気づいた。

からみついた草を引きちぎって、持ち手を両手でもちくるりと返し、ごろごろと引きずる。重たい。当然タイヤにほとんど空気は残っていなかったが、それでも運ぶのにとても役立った。

 

布団をゴミ捨て場に一度に何枚か運ぶことができ、これもギフトだな、ありがたい・・・と思いつつ、すごいことに気づいてしまった・・・

 

・・・これも「ネコ」じゃないか!

 

・・・ネコが好きなわたしのために、叔父や先祖がたくさんのネコを用意してくれたのだと感じることができた。

 

 

この宮崎の地方都市は自然が豊かだ。大きな家のあいだに広々とした草原が広がっており、2月というのに緑濃いその草の風揺れのあいだに地域猫が気持ちよさそうに佇んでいた。

それはまさに、アンドリュー・ワイエスの絵画の世界だった。

ここは猫が住みよい街なのかもしれないと感じ、わたしもここに住みたいような気になってきた。

 

 

しかしこのあと、衝撃的なものを見つけてしまう。

 

 

前半に出てきた写真を再掲する。

 

 

部屋の左奥の本棚。

 

蜘蛛の巣が撚り集められ、茶色にゆらめいてゆく手を阻むが、勇気を出して蜘蛛の巣を切り刻み、空間に風を入れながら片づけを行う。そうすることで魔を払うように。

 

この左奥の棚の片付けもだいぶ進んだ。文庫本を取り出してだんだんすっきりしてきた。さあ、棚の中の片付けもあと少しだ、そう思って棚の上段の奥を覗いたときだった。

 
本棚の最上段にふわふわした白い毛がみえた。
 
文庫本の上に、小さいけれど、確かに哺乳類の頭蓋のようなものが・・・毛皮とともにある・・・
 
 
・・・これは・・・またしても・・・
 
 
 
 
以下、閲覧注意。

 

 

 

 

 

にゃー、みつけてよー。

 

 

 

 

 

それは、棚に入れられた仔猫の亡骸。

それは、本棚のいちばん上にしまわれた、文庫本と同化する、仔猫の亡骸。

 

(かわいい かわいい こねこちゅわーん♪)

 

ギャアアアアアア!

 

見つけた瞬間、叫んでしまった。

 

 

 

ひとりぐらしで認知症をわずらう方が猫を飼ってはいけない!

 

 

 

・・・いや、これも、ギフト、なのか?

 

「ほら、お前、猫が好きだろう、ほらほら、仔猫だよ・・・」って、叔父が、言っているのだろうか?
どうして本棚の奥に仔猫の死骸があるのだろう・・・その経緯を想像したら、身震いがした。亡くなった小さな命たちに申し訳なくなり、また、仏壇に供えて、手を合わせた。
 
 
そろそろ帰る時間となった。
 

 

これは、わたしからこの街へのギフト。
 
「この家は危険であり、入ってはいけない」と伝えることが、その時のわたしにできることであった。
 
「マジックペンないかな?」
そう思ったとたん、散らかった部屋にすぐ見つけることができた。
「はい、ペンだよ。」
これも叔父からのギフトだろうと思い、遠慮なく「ネコ」に描く文字。
 
「キケン 入るな」
 
 

 


これが、わたしにできる、数少ないことだった。
 
 
この日は出来る限りの片づけを行い、一族の写真アルバム、叔父の日記と、いくつかの書類を東京へと送った。
 
この時点で相続については何も決まっていなかったが、司法書士によって相続に関係する人間が誰であるかは知らされていた。親族への連絡等の作業はわたしにまかされていた。まだまだ旅が続くものと思われた。
 
お骨は東京のわたしの家に置かれたままである。
 
 
 
(「二度目の串間の旅のこと」 おわり)
 
 
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◆松岡宮からのお知らせ
 
 

 
芸術の秋、ライブ予定です。
 
 
◆9月4日(月)原宿クロコダイル「ウクレレエイド」
 
19時~22時のどこかで15分
Music Charge 500円+オーダー
(クロコダイルさんは「原宿」と名が付きますが、渋谷のほうが近くて行きやすいです。ほんとによいお店。)
 
◆11月12日(日)Design Festa 58
 
屋内パフォーマンスエリア。15分。夕方です。
 
 
2つのライブは、いずれもTikTok(ショート曲)メドレーに初挑戦します。
楽しみです。
ぜひご覧くださいませ。
 
 
また、8月20日(もうすぐだ)は高円寺・北中夜市。
CD販売&路上で言葉をいただき歌作りいたします(投げ銭)。
今年初めての高円寺、楽しみです。
 
 
無名で若くない女性ソロアーティストが創作やライブを行い続けるのは珍しいといわれる。わたしは自分の作品が好きだし誇りをもってやっているから続けられるのかと思いますが今回の記事によれば誇りじゃなく埃があるのかもしれません、けほけほ。
 
 
 
記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。
 
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本と音楽(8月11日)

このところ読んでよかったなーという本の備忘録です。

 

●カラー図解 脳の教科書

 

この本はフルカラーで、口絵、写真や図がとてもきれいです。珍しくKindleで買ってしまった本でした。

 

比較的新しめの本なので、現在までの脳に関する知見をわかりやすく、ある程度専門的なところに踏み込んで紹介してくれます。脳の障害についての章もあり、ちょっとしたコラムも読み物として面白く、本当にすぐれた「教科書」ですね。

わたしの講義で引用させていただくかもしれません。

 

 

●紛争でしたら八田まで(1)(2)

ウクライナの問題が始まったときに、ウクライナ編を含む1~2巻が無料で、読んだら面白かった本でした。

なんというか、自分は世界のことを何も知らないから勉強になるし、日本ではなく世界のなかに自分は生きてるんだなと思えたし、語学を学ぶことに背中を押された・・・???

世界にはそれぞれの国があり、国や地方には文化があり、紛争がある・・・。その現実に背を向けることはできないのですね。

そして、こういう漫画、好きなんだなと思いました。

 

 

●「不登校の子どもと保護者のための<学校>」

 

 

2015年の本。文科省の統計によれば、そのあたりから不登校がぐいぐい増えています。

 

そのような中、奈良にある不登校専門校ASUの取り組みを紹介する本書ですが、非常にきめの細かい、子どもの心理に寄り添った描写が印象的です。


個別の事例も描写が豊かです。保護者とのかかわりについて、時にネガティブな思いをすることも含め誠実な記述が多い印象があり、また、子供の話を待てずに伝えようとしてしまう「教師のかまえ」から脱却した方の例も印象的でした。


理想論ではない、現実的な記述が多く、そうなんだ!とか、あるあるかもー、なんて共感しながら読ませていただきました。

 

 

●戦争は女の顔をしていない(1)
独ソ戦を経験した女性兵士の語りの漫画化。
生理用品もないのでズボンが血でカチカチになってしまったという、女性ならではの経験に加え、戦争の悲惨さに、寒さが加わる点が印象的でした。例えば狙撃兵になった女性は12時間以上も雪の中に横たわり、体も凍りつきながら人を狙撃したという経験を語ります。朝になって、雪に覆われた死体の多くが手を上に上げていたという記述のリアルさに、戦争の苛烈を感じます。
 
また戦争が終わっても後遺症は重く、「何もかも1からやり直さないといけなかった、スカートをはくのも買い物も」という言葉に表されています、「戦争は真っ黒で何も覚えていない」という言葉にも。
 
そのような中で、恋愛も語られます。死が身近であることは、人を愛させる側面もあるのかな・・・などとつまらぬことを思いました。

 

 

 

坂口安吾の有名な小説ですが、これまで読んだことが無かったので、近藤ようこさんによる漫画化したこちらを読みました(マンが好き)。おかげでこの有名な小説のストーリーを今更ながらはじめて知りました。

 
「男は都が嫌いでした・・・」という言葉が印象に残ります。男の孤独な心象、女にぐらつく優しさというか、弱さが印象的で、なんとなく男のほうに感情移入してしまう漫画でした。

 

 

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」

 

 

わたしの親友がやけに登場するというので読んでみましたが・・・思ったより登場していて笑った・・・活躍やん。

 

目の見えない方とアートを見にいく、という題名ですが、そもそも読者だって筆者とアートをともに見に行っているわけではないので・・・なので実際の絵のコピーが付録についていたのはうれしかった。

 

障害の本というより芸術の本という印象を持ちました。社会的に知らねばいけない負の出来事を、アートで心に刻む・・・芸術の出来ることを実感した本でした。

 

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●感動したSONGなど

 

近年は原則として英語縛りで音楽を聴いており、歌を楽しんでいない気もしますが・・・・そんな中で「いいな」と思った歌の備忘録。

 

今夜はフィジカル

 

youtu.be

 

わたしは最近この歌を、予備知識なく、なんとなく知ったのですが、「なんといい唄だ!」と感動して、2度3度と聴いてしまいました。

こういう派手でポップな展開の歌が好きなのですよね・・・・。

 

この曲が出た83年は日本に居なかったので知らなかったのだなとわかりました。

 

 

●The Windmills of Your Mind

 

youtu.be

 

唄や音楽が好きなわたしは、映画やアニメの主題歌なのに歌だけ知っているということがよくあります。この歌も、華麗なる賭けという映画の主題歌?であったことを最近知りました。

すごく小さい頃からこの曲のメロディだけ知っており、風に木の葉がくるくる回るような美しいメロディがずーっと心に残っておりました。

 

題名も歌詞も分からぬなかで、このメロディに勝手に歌詞をつけたこともありました・・・

 

・・・僕の仕事は掃除すること

・・・完膚なきまで掃除すること

・・・僕の仕事が落ち葉のように

・・・ひらひら踊る ひらひら踊る・・・

 

(・・・変な詩・・・。)

 

最近英語を学んでいることもあって、大好きなこの歌を少し真面目に調べてみました。歌詞をてきとうに訳すと・・・

 

まわる・・・

らせんの中の円のように・・・

車輪のなかの車輪のように・・・

山からの雪玉のように・・・

 

と、意味はよくわからないものの、メロディに合致した回転するイメージが伝わってきました。詩的な歌詞なのだなぁ・・・。

この歌が聞きたくて、ナナ・ムスクーリのCDを買いました。

 

 

●オロチョンパ!

 

youtu.be

 

この曲も最近何気なく聴いて「いいな」と思ったのでした。

もうとにかく気持ちが良い!

歌詞の意味とかわからないけれど、気持ちが良すぎる!聴くだけで体が踊ってしまう・・・。

1991年の曲ということで、わたし19歳か・・・。自分が若い頃に聞いた楽曲・その時代のアレンジことにリズムパートなどにはやっぱり惹かれるものがありそうです。

あとインドネシア語が何気に入っていて「スラマットパギー(おはようございます)」「アパカバール?(お元気?)」という言葉が懐かしかった。「バイク(元気です)」と答えるのですよね・・・。インドネシア育ちのわたしです。

 

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ひとまず、そんなところです。

 

読書録、つけてるつもりでも、ぜんぜんダメだなぁ・・・・反省。

こうして記事にすることで、これからはもっと丁寧に読もうと思わされました。

 

というわけで(どういうわけ?)松岡宮のショップも、どうぞみてやってくださいませ。

 

383.thebase.in

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

 

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二度目の串間の旅のこと(1)【閲覧注意/猫死体】

 

危険」と書こうとして字を間違える・・・。

 

 

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【これまでのあらすじ】

 

独身だった叔父が亡くなり、なぜかわたしが宮崎県串間市の父の実家の後始末をすることになった。

そこには、壊れそうな「母屋」と、そこまで壊れそうではないものの中は荒れ放題の「離れ」があった。

 

第1回の旅のハイライトは、母屋の押し入れにかわいいネコちゃんの亡骸を見つけたことであった。

 

それがあまりに美しく、東京に持って帰りたいと思った・・・そう、叔父の骨をゆうパックで送ったみたいに。

 

・・・おお、なんと美しいネコだ、これはぜひ壁に飾りたいものだ(by 機械伯爵Miya)。

 

猫をお迎えにゆく旅の、始まり、はじまり。

 

【あらすじ おわり】

 

以下の記事の続きです。

ekiin.hatenablog.com

 

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・・・猫の亡骸を持ち帰りたい・・・ッ!

 

その計画を事務所の「小さな発表会」で述べたところ、猫を愛し、猫の気持ちがよくわかり、時々猫になる詩友(かつ俳優)のおもとなほさんが、こんなことを言ってくれた・・・

 

・・・ネコはその場で埋葬されたがってるのよ・・・

 

と。

 

twitter.com

 

言われてみればそうだ。わたしはどうしてあんなに猫の亡骸にこだわってしまったのだろう・・・。

 

あの1回目の串間の旅、興奮と果てしない片づけの疲労のさなか、立ち眩みの陽光に包まれ、押し入れのなかに見いだされたその財宝はあまりに美しくみえてしまった。それで、われを失ってしまった。欲望の棒が伸びてしまった。末っ子のわたしの寄る辺なさ。猫好きだった幼少期の自分が大人になった今の自分を支配しはじめ、子供らしい判断を行う。1回目の旅、あれを発見したとき、たしかにあの猫は生き物の死体にはみえず、コチコチと石のように硬く、コンクリートで固められた作りものにしか見えなかった。それならば手元に置きたいという気持ちはずっと残っていたが・・・もし亡骸であったなら、埋葬してさしあげよう。

 

そんな思いを抱えて家に向かった2回めの串間。

 

屋根に穴のあいた母屋で、飾っておいた優勝カップたちは不釣り合いなほど金色に光っており、去ったときと同じ輝きを放っていた。

 

しかし、前回、あんなに美しい人形のようにみえた「ネコ形の何か」には、明らかな腐敗がみられた。

 

 

以下、閲覧注意。

 

 

 

 


・・・あれ、こんなに死体っぽかったかしら?

 

・・・やっぱり、もともと生きていた猫だったようだ、この物体は。

・・・埋葬してあげなきゃ。

 

時が流れて庭木のありようも変化していることに気づいた。そして自分の気持ちと風景がリンクしていることにも気づいた。いや、自分の気持ちだけではない。風景は、さまざまにその姿と意味を変え、わたしと交流をしようとしているように感じられた。つまり、この家に存在しこれからわたしが出会ってゆく予定のものは、実は固定しておらず、わたしの心情や動向次第でそれは刻々と変わってゆくように思われたのだ。

 

わたしが疲れていればわたしを楽しませるためのオモチャがおかれ、体力を回復すればそれなりのモノが目の前に現れるというふうに。

 

その考えはいかにも非科学的であるが、そのときのわたしには本当にそんなふうに感じられたのだ。そしてそれは、誰かからのギフトであるのだ。コミュニケーションといってもいいのかもしれない。誰のギフトであるかはわからないが、ともかく誰かが何かを自分に伝えようとして、順次、押し入れや棚にわたし宛の品物を置いてくれているのだと・・・そう思うことで、この理不尽で体力もお金も費やす片づけを納得させようとしていた。

 

崩壊寸前の母屋には、キャットフードの袋が置かれていた。ずいぶん古いものだ。ほんの少し中身が残っていたので、さっきの猫が餓死したわけではないであろうことに、少し、ほっとした。

 

 

母屋のほうのちゃぶ台には、お皿やカップ、お箸やスプーンのほか、スーパーのお惣菜のトレーの山、まだ中身の入っている紙パックの日本酒や、お酒が少し入ったグラスもあった。灰皿には吸い殻も残っており、畳や布団にはタバコで焦げた跡もあった。独身の叔父が飲酒喫煙しながら猫と暮らしていたことがうかがい知れ、しんみりとした・・・

 

しかし、次の瞬間、紙ごみや木くずでいっぱいのちゃぶ台の下に、見つけてしまった。

 

 

もう一匹、猫の亡骸を見つけてしまった・・・。

 

 

閲覧注意・・・。

 

 

 

 

・・・これはもう、なんというか、骨だな・・・

・・・どうもこの家には、猫が数多く出入りしていたらしい・・・

いや、今もか?

 

あわてて360度見渡す。

もしかしたらここは、猫だらけの家なのではないか?

もしや、ここは、生きている猫と死んでいる猫でいっぱいの母屋・・・?

 

「ともかく供養しないといけない。」

誰かがわたしにそう言って促す。

「はい!がんばりますぅ!」

誰からも頼りにされることが無かった末っ子が、実力以上のタスクを行おうと気張る。

 

何しろいま、この空間で生きているヒトは、わたししかいないのだから・・・。

 

そこで、さきほどのミイラと、この亡骸を、お盆のようなものに並べて載せ、落ちていた菊の花も添えた。

 

閲覧注意。

 

 

やすらかに・・・・。

 

 

ひとまず仏壇のあたりにお盆を置き、手を合わせようと仏壇の前にまわった・・・

 

その時!

 

自分の体が落ちた!

 

 

 

? ? ?

 

・・・いったい何が起きたのか、すぐにはわからなかった。

 

要するに畳の床が抜けたのであった。

 

1階だったのでケガはなかったが、家の床が落ちることがあるのかと・・・精神的に衝撃を受けた。

床下まで突き抜けた自分の身が気づけば両手をあげてバンザイをしている。背の低い自分の腰から下が何か別のものに包まれている。

あわてて横に走る支柱に重心をかけ、よいしょっと上がった。自分の髪やコートは、何かよくわからない畳の屑やホコリやチリに包まれていた。

 


しみじみ眺めると、壊れかけのこの母屋の、とくに仏壇周辺の畳の傷みがひどい。畳に暖房器具などが穴をあけていた・・・そしてわたしの体重がまたひとつ穴を増やしてしまった。

 

だが、このときは怖さ半分、好奇心半分でもあった。

奥の押し入れに何が入っているかをまだチェックしていないので、とくに父や祖父母、先祖につながるような資料があれば取っておきたいと思い、今度は落ちないように横に組まれた柱のラインをおそるおそる伝って、奥まで行った。平均台の競技をしているようだ。

 

 

 

奥にはよくわからない小さな空間があり(上の写真はその空間を外からみたところ)、ここにあったのはトイレかなと思ったそうではなかった。押し入れのようなところには大きな箱がいくつかあった。どうしてこの母屋にはトイレが無いのだろうと不思議に思いつつ、その箱を慎重に開けてみたところ、そこに入っていたのは、巨大な提灯と、お盆に使う灯篭であった。

 

祖父か誰かのお葬式に用いたものであろうか?とにかく巨大な提灯で、何か文字が書いてある。

 

キッチンに向かう棚にぶら下げてみた。

 

戒名のようだが、祖父の戒名とは異なっており、結局誰のための提灯であるかはわからなかった。

 

ふと思い出した。

祖父の葬式でここに来た幼い我々。わけもわからず、仏壇からおばけが出そうだと我々兄姉ははしゃいで川の字になって寝たのだが、それはこの仏壇前の空間、そう、いまわたしがズボッと落っこちた場所なのだ。

 

昭和54年の祖父の葬式は人が多く集まり、子供心にも盛大に行われたお葬式であることがわかった。

 

一方、叔父の晩年はどうだろう。

月下独酌。叔父はこの壊れかけの家で酒とたばこをたしなみながら猫を相手に夜を数えていたようだった。やがて認知症を発症し、地域や役所や福祉制度に助けられ、施設や病院を転々としながら、誰もお見舞いに行くこともなく亡くなった。火葬などは天涯孤独な方のために特別にお安くしてくれたそうだが、成年後見人さんは立ち会ってくれたのだろうか。成年後見人さんは、わたしのことを、「こうして気にかけて、わざわざ来てくれる親族の方がいて、松岡さんも草葉の陰で喜んでおられることでしょう」と言ってくれた。しかしいずれにしても、叔父はひっそり逝去し、お葬式も行われず、寂しい晩年であった。

 

ーどうして、盛大に見送ってもらえる方と、そうでない方が、いるのだろうー

 

その差は、人徳や能力ではなく、単に生まれた時代や環境に左右されるのではないかと感じられた。人にはタイミングや運・不運があるのだなと思う。

 

離れていたから無責任なことも言えるが、わたしはやっぱり叔父のことが好きだった。

 

わたしと同じく末っ子で猫好き、穏やかで心が優しく、祖母の手紙によれば祖母を心配させた頼りなさもあるようで、生涯独身、あまり自営の仕事ではうまくやれなかった(?)ようであったけれど、知的に優れ囲碁の上手かった叔父が、わたしは好きだった。

 

少しいたずら心が生まれ、叔父のために、巨大提灯をぶら下げてみた。

 

盛大な葬式のはじまりだ。

 

 

 

 

知識がなさ過ぎて名前はわからないが、堂々たる羽をもった鳥の絵が描いてあった。キジでいいのか?

 

お経は読めないので自分の歌など歌ってみたりして・・・

 

はい、松岡、唄います!

カシコミ カシコミ・・・それは違~う!

死体のみんな、ゲンキ~?

声が小さいぞ!

 

ルンルンルン・・・

 

これをもって、叔父の葬儀に代えさせていただいた。

はぁはぁ。

2月の南九州は寒すぎず、というよりもはやまぶしいほどの日差しが外には降り注いでいた。宮崎は本当にいいところだ。

だがこの家に一歩入れば、ここは黴臭く、外の世界とは隔絶された閉塞感がある。屋根に穴があき、壁にも穴があき、ドアも壊れて開けっ放しなのに、それは解放感を意味せず、家じゅうを風が渡っても決してさわやかではない空間。猫の死体だらけの空間。住機能が崩壊した空間は、どこか異様な雰囲気を醸し出していた。

独居の人を思うのは誰か。

その思いを受け止めるものは誰か。

猫だけか。

孤独な家にはその方の思いが成仏することなく残され、身体は死んでもその思いは聞こえない声をあげ、目に見えない文字を描き、何かを伝えようとしている。冒頭に出てきた詩友で俳優の「おもとなほ」さんがここにいたら、どんな演劇をしてくれるだろうな・・・床が抜け落ち、屋根に穴が開く芝居小屋で、死体と一緒に即興芝居、ハハハ、楽しいな・・・ハハハ・・・・わたしもだんだん現実感が失われてゆくな・・・この母屋に居続けると、だんだんわたしも透明になってゆき、いろんなものの声が聞こえてくるようになる。

 

成仏しなかった皆さん、猫の皆にゃさん、どうか、どうか、安らかに・・・。

 

その頃、風が強く吹いた。家をガタガタと揺らした。

 

ふと見上げると、ここの天井の板も腐って、落ちそうになっていることに気づく。

 

 

そのとき、はじめて気づいた。

 

ここにいたら危ない。

 

それも誰かのメッセージだった:

 

ここにいたら危ない。出ていけ!

 

・・・前回、はじめてここに来たときは、夢見心地だったね・・・田舎の古い家って素敵だなぁ、昭和だねぇ、演劇的な空間が素敵だって思っていた。

他人事のようにわくわくしたその家が、「自分事」となったとき、自分は家に含まれてしまい、家に食べられてしまう、あちら側に自分を誘い込む魔の家と化す。

 

怖い、と、はじめて思った。

 

 

 

まだ外は明るかったが、母屋を去ることにした。

 

「・・・みんな、みんな、成仏しますように。」

 

さまざまなものに手をあわせ、建物としてはまだマシな、もう一軒の建物(離れ)に向かった。

 

 

(続く)

 

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◆松岡宮からのお知らせ

 

●8月20日(日)16時~20時 路上作曲高円寺♪

 

今年はじめて、高円寺の「北中夜市」にてCD路上販売&即興歌作りをします。 

 

 

有名な「素人の乱 5号店」などがある、北中通り商店街です。 

うたでつながることができれば幸いです。

 

 

●クロコダイル「ウクレレエイド」 9月4日(月)19時~22時のどこか 

 

原宿クロコダイル「ウクレレエイド」出演することになりました。

MusicCharge 500円+ワンオーダー。

TikTokでバズった戦争関連の唄をメドレーにしようかなと思っています。

お食事もできる、広くてよいお店ですので、お気軽にお立ち寄りくださいね。

 

 

●デザフェス58 11月12日(日)夕方ごろ 

 

 デザインフェスタ、この秋も室内パフォーマンスステージにて出演させていただきます。

3期連続になりますが、いつも多くの反響と売り上げがあり、ありがたいなと思います。

こちらもTikTok系のショートソングメドレーを入れてみようと思っています。

 

 

松岡宮のCDは、Amazon、BASEのほか、メロンブックスさんでも購入できます。

 

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「ほかの人はこんな商品もチェックしています」がかなり面白いですので、ぜひみてみてくださいませ・・・。

 

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車掌もひとりぼっち

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また松岡宮のグッズはこちらのBASEですべて購入することが出来ます。

変な手芸品もおいてますのでぜひみてやってくださいね。

 

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作品を買い支えて下さる皆様のおかげで創作を続けることができます。

日頃の応援に感謝申し上げます。

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です

 

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二度目の都井岬(都井岬灯台の灯台守)

 

闇の世界で、貴重な光を守る人。

 

灯台守」という言葉には、なんともいえない郷愁と温かみを感じる。

 

都井岬灯台のなかの小さな展示室に「灯台を守る人々」という文章が掲示されていたので引用する。

 

 海に生きるすべての人を見守る灯台

 かつて、この大切な灯台を管理する職員は、「灯台守」と呼ばれ、灯台やその近くに家族とともに常駐していました。

 灯台は人里離れた岬や孤島などに多く、職員とその家族はきびしい環境の中で、あらゆる不便な生活に耐えながら、灯台の灯りを灯し続けていました。

 

 

人里離れた岬や孤島で 灯台の灯りを灯し続けるひと・・・。

 

灯台守の生活のすべてが灯台を守ることにつながっていることが理解できた。

そして、もう居ないということも知った。

 

 

灯台についてまったく何も知らなかったが、図書館から貰ってきた「灯台ミニガイド北海道編(小山心平編著、1995年、さっぽろ文化企画)」という本を読み、一般的な灯台についての知識を得た。

例えば、「2)灯台の生いたち」というページによれば、灯台の起源は紀元前279年にエジプトのアレキサンドリア港に建てられたファロス灯台であり、日本では明治初期に作られた神奈川県の観音埼灯台が最初の洋式の灯台だそうである。何でもそうかもしれないが、灯台の歴史も日本の近代化とリンクしている。

同じ本の「4)灯台の働き」では、「灯台は船が正しい航路で安全に進むための目印である」と書いてあり、改めて灯台の果たす役割の重さを知る。

 

夜闇にくろぐろと波打つ湾があり、航路をたどる船がある。そして、その船を導くものが灯台の光。

光というものは、人のこころを安心させてくれる。

 

なんてありがたいもの、光。

 

だが、四方八方から強烈な光を浴びせてくる不夜城の都会では、灯台のあかりに気づくことはない。それは、闇の中で目をこらしたときに、あるいは瞳を閉じて気持ちを集中させたときに、ぼんやり浮かんでくるものである。その灯りは、黒潮に迷う小舟のような自分の精神を、安全な方向に導いてくれる。

トビウオの群れがきらり、とても自由に舞うのをうらやましく見る。

 

40Km以上先まで届く光を放つひと。わたしのなかにも灯台守がいる。

 

 

「いま、串間に向かってるところだよ」と親友Aちゃんに連絡したら、「串間は奇跡的に原発を追い返したところ」と教えてくれた。

 

調べてみると、90年代に串間原発の構想が現実化を帯び、賛成派も反対派もおり拮抗し、その意思を問う住民投票も予定されていたが、その直前に3.11が起きて住民投票は中止となり、事実上、原発は来ないということになったようである。

 
 
2度目の串間の旅。
また都井岬に行こう。串間温泉にも立ち寄ろう。
欲張りな計画を立てて駅まで向かった。
 
串間のコミュニティバス「よかバス」は小さなオレンジ色の車だった。乗客はわたしひとり。1日乗り放題(400円)の切符を見せて乗り込み、シートベルトを締める。
 
工事中の駅前広場から出発したバスはすぐに左折し、立ちはだかる山のほうへと向かった。川を渡るとき水面に照り返していた2月の太陽のまぶしさが、旅に疲れた自分にエネルギーを注いでくれた。
 
ところで、このバスに乗っているのは自分だけであり、観光客の姿をほどんとみることは無かった。いつもわたしは「CDが売れなくて(;;)」と嘆いているが、お客になるというのはなかなか大変なことだと思う。自分に何らかの余裕がないと、お客になることはできにくいことなのだ。だからこそ、自分はよい客になりたい・・・と思う・・・正直なところ、自分はあまりお金や体力に余裕があるわけでもなく、どこに行っても観光を熱心にするほうではないのだが・・・観光地のためになるのであれば観光めぐりをするのは良いことなのだ・・・旅行支援の機運が高まる2023年初頭、そんなことを思いつつ、都井岬に行く途中にある「串間温泉 いこいの里」に立ち寄ることにした。
 

 

広々とした平地に建つ立派な施設で、入浴代は500円と手ごろ。

バスタオルを借りて、「ミストサウナ室」があるほうに入った。かなり広さがあるが薄暗く、大浴場のほかに電気風呂や寝そべることのできるお風呂、サウナ室もあるようだ。

 
しゃるるらら・・・しゃるるらら・・・
チチッ。
 
ガラス窓の向こうに木々の茂りが幾重にも折り重なり、風にたなびいている。
ときおり鳥が飛んで何かをついばむ。
串間温泉のこの空間で聞こえるのは水流音。
誰もいないのかと思いきや、大浴場の霧の向こうに女性の顔がふいに浮かんでびっくりした。恍惚の表情を浮かべた女性。ミストに包まれたその空間には2~3名ほどいたが、串間の人はもの静かなのか(?)知り合いどうしのようであったがあまり話し声は聞こえない。
 
わたしは空気中を泳ぐ魚になり、薄暗いミストの海のなかを、灯りを頼りにそれぞれの浴槽にゆっくりと浸かった。ほどよい熱さの温泉は気苦労の多い昨今の心身を癒してくれた。
 
 
施設の玄関の池にはたくさんの鯉が泳いでいた。
カツン、カツンと音を立てるわたしの靴音は彼らに何かのサインを与えたようで、ウゾウゾと集っては口を開いてきた。
池の小さな空間に身を固め、押すな押すなと押し寄せる鯉たち、大きく口をあけて水を吐き出し、さあ餌ください、さあ餌くださいと、オペラント条件づけの大合唱をはじめる。人間社会のなかで育って適応した魚たちのウゾウゾ。そんな鯉の期待に対し、何も差し出せるものは無かった。
 
だけどわたしも同じなのよ、餌がほしいときは身をよじらせてただ口をあけるしかないのよ。
 
 
温泉でスッキリしたあとは、ふたたび「よかバス」に乗り、都井岬へと向かった。
 
前回は新しい施設「パカラパカ」で降りたが、今回は終点の都井岬灯台まで行ってみた。
 
ここは、全国でも16か所しかない、登れる灯台である。光会のウェブサイトが参考になった。
 
 

 
 
白亜の灯台は、洋風でハイカラな雰囲気。
もじゃもじゃと茂るソテツの樹に囲まれ、南国ムードを醸し出していた。
 
受付の方に300円を払う。お客はわたしひとりだ。ソテツの歓迎を受けながら、中央の階段を登り、光のもとへ。
 
カツン、カツン・・・
 
天然のリヴァーブだ、かつん、かつん・・・
 
らせん階段を昇れば強烈な足音の反響が薄いコートを包み込み、足音ひとつごとにこの身は天空の光に近づきつつあった。
 

空へと届くきざはしを、無心になって歩みゆく靴。

 

ほどなく到着した展望台から、日向灘が見えた。

 

なんて大きな海。なんて大きな空。

浮かんでみえる船は、海上保安庁の船だろうか。

 日本が四方を海に囲まれた島国であることは、知識として知ってはいても、都民の自分にとってあまり日頃実感していないことであった。しかしこの灯台に立ち海を見渡すと、海はただ広く、陸地のほうが小さく、海岸線は複雑に入り組み、何かがどこかから入ってくることがありうるだろうなと感じられた。

 

日本という国があって自分はその一員であること。国家は日本列島を守っているのだということ。国家というものを地理的観点から意識したのは、はじめてだったかもしれない。
 

 
灯台守は誰ですか
白い制服をまとい
静かに真昼の海をみつめているひとは誰ですか
光をともす可能性だけを制服の内ポケットに隠しながら
日時計になるひとは誰ですか
 
みてください 2月の串間の空の眩しさ
もう春が近いことを教えていますよ
 

 

 
灯台を降りて資料室にも立ち寄った。
冒頭の写真のように、灯台守の存在を改めて知ることができた。
また、都井岬周辺がよい漁場であるということも書いてあった。
 
 
黒潮が北上し東へと向かう海の交差点を、灯台の光が見守っている。
わたしの小舟が心細い旅に出る。
海はあまりにも大きくて、方向を見失ってしまうこともあるが、灯台の光が導いてくれる。トビウオの大群が踊りながらどこかへ向かう。その姿はいかにも自由に思える。
ヒトの足音で集まってくる小さな池の鯉の大群とどっちが幸せだろうと思ったが、無駄な問いであろう。
 

灯台から下をのぞむ。

 

そのあとは、都井岬の中心的な施設「パカラパカ」まで徒歩で下る。舗装された山道を馬糞に気を付けながらテクテクと下り、約20分くらいで到着できた。

 

  

前回来たときよりも、たくさんの馬に出会うことができた。

大きな馬たちに囲まれ、仔馬もむじゃきな姿態で寝ていた。

 

 

馬の、こんなリラックスした姿をみたのは初めて。

ここは馬が住民であり、観光客はいわば、お客様であり、主従でいえば従なのである。

生まれてすぐに立ち上がり歩き出せるというあなたの美しい毛並みに包まれた肉体を、生理的早産と呼ばれ、ただ弱々しく時間をかけて育つヒトが、いまカメラに収めます・・・。

 

 
カシャ、カシャ・・・。
 
・・・無防備に寝そべる仔馬のお尻を撮影していたら、女性の大学生の集団から「写真を撮ってくれませんか?」と言われた。快諾し、上から、下から、仔馬を交えたり、遠景に樹々を入れたりしながら、その集団をいろいろな構図で撮った。
 
若い人は自分とは違って若いなぁと思うのだが、自分も若い時はあんなふうに若かったのだろうか?あんな時代などなかったように思った、馬糞を踏んだ。
しかし馬糞を踏んでも悪臭はなく、馬糞まみれになっても、もはや気にはならなかった。だって自分のなかには、みえない灯台守が住んでいるから。
 

喉が渇いたので、ふだんは飲まない糖分の多そうなジュースを自販機で買って飲んだ。
そしてまた「よかバス」で駅まで向かった。
 
緑濃い風景の小高い丘に風力発電の風車がみえた。

 

知り合いもほとんどいないこの街にいると、自分のなかにエネルギーが生み出されてゆくように感じた。

串間がますます好きになった、そんな小さな旅であった。

 

 

この旅はそんなふうに何事もなく終わったのだが、それからしばらく灯台守の存在が心にあった。

 

40Km以上先まで届く光を放つひと、わたしのなかにも住んでいる、灯台守のイメージ。

灯台守は誰だろう。

 

ずっと、この、自分のなかに強固に存在する、灯台守に対する懐かしいイメージは何だろうと思い続けてきたのだが・・・

 

 

ある日、東京の地下鉄で、それがわかったのだ。

 

 

・・・ これだったんだ。

 

四方八方から強烈な光を浴びせてくる不夜城の都会では、灯台のあかりに気づくことはない。だが、その輝きで迷った小舟を安全なほうへ導いてくれる、そんな光が都会にもあるのだということに、改めて気づくことができた。

 

駅がわたしの「のぼれる灯台」。

 

ぼんやりした頭で日比谷線を降りて、光の差すほうへ、そして地上へと階段を登り、なんとか仕事場に向かうことができた。

 

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◆松岡宮からのお知らせ

 

 

TikTokが・・・はかどっている・・・

 

TikTokをひっそりこっそりやっていましたが、とうとう視聴数1万を超える作品が出ました。

TikTokとしては多いほうでもないのかもしれませんが、作品が多くの方に届いてうれしいです。

 

 

 

●8月20日(日)16時~20時

 

今年はじめて、高円寺の「北中夜市」にてCD路上販売&即興歌作りをします。 

 

 

有名な「素人の乱 5号店」などがある、北中通り商店街です。 

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●クロコダイル「ウクレレエイド」

 9月4日(月)19時~22時のどこか 

 

原宿クロコダイル「ウクレレエイド」出演することになりました。

MusicCharge 500円+ワンオーダー。

 

TikTokでバズった戦争関連の唄をメドレーにしようかなと思っています。

お食事もできる、広くてよいお店ですので、お気軽にお立ち寄りくださいね。

 

 

●デザフェス58

11月12日(日)夕方ごろ 

 

 デザインフェスタ、この秋も室内パフォーマンスステージにて出演させていただきます。

3期連続になりますが、いつも多くの反響と売り上げがあり、ありがたいなと思います。

こちらもTikTok系のショートソングメドレーを入れてみようと思っています。

 

 

松岡宮のCDは、Amazon、BASEのほか、メロンブックスさんでも購入できます。

 

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「ほかの人はこんな商品もチェックしています」がかなり面白いですので、ぜひみてみてくださいませ・・・。

 

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LimitedExpress383

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車掌もひとりぼっち

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  • アーティスト:松岡宮
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記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です

  

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一度目の串間の旅のこと(2)【閲覧注意/猫ミイラ】

 

この記事では、44年ぶりに行った串間の旅の、2日目の出来事を描く。

 

前記事「一度目の串間の旅のこと(1)」の続きであるが、創作部分もありすべてが真実ではない。

 

ekiin.hatenablog.com

 

行き帰りの経路のみについての記事はこちらである。

 

ekiin.hatenablog.com

 

 

・・・1日目の夜の英会話は残念ながらキャンセルとした。

 

オンライン英会話はずっと続けていたので強迫的な自分は英語力が落ちるのではないかと不安になったが、隣の宿泊者の気配が届くこんな壁の薄いホテルで英会話が出来るような気がしなかった。

 

だが、この旅のあいだ、不思議なほど気持ちがワクワクしていた。

・・・ここはなんだか素敵な街、わたしをまるごと受け入れてくれそうだ!

そして、実家の世話を任されたような気になり、なんて意義深い旅だろうと感じ入り、大義を得て役立っている!そんな自分に酔っていた・・・

 

・・・誰かがわたしを呼んでいる。

・・・松岡さんに出会いたいよ、見つけてよ、と、この街で、わたしを呼ぶのは、誰・・・?

 

・・・ハイテンションになり、トランクの中から「自撮り棒」を取り出した。

・・・よし、明日は動画を撮ろう!

 

そう思って眠りについた。

 

 

それは2022年の晩秋のこと。

まだまだコロナ禍のなかの旅行にためらいもある時期だった。それゆえに旅行への手厚い公的サービス、具体的には宿泊費の割引や、クーポンがあった。

 
そんなわけで、ホテルのロビーで3000円の旅行支援クーポンを受け取り、おもに都井岬の土産物に使った。
 
1度目の都井岬については、以前の記事に書いた。
 
 
 
さて2日目の朝である。南国・宮崎にしては寒い朝であった。
 
昨夜、大きなショッピングセンターである「ニシムタ」で買った鯖のお刺身と酢の物。ホテルの冷蔵庫に入れておいたが、その温度を下げすぎて凍っていた・・・じゃりじゃりと食べて朝食とする。
 
 
ニュースを見ると、ワールドカップサッカーで勝ったので喜んでいる様子が聞こえた。マスメディアの音はいつも発熱中のように浮遊しており、掌返しで喜ぶことすら予定調和の試し行為のように思えた。情動を左右に揺さぶる情報、酔いやすい自分はなんだか情報の波がしんどくなり、テレビを消した。
 
ネットワークを切れば人間が小さく思えるほどの雄大な山や川が広がり、鳥たちが朝の歌を歌っていた。
 
おはくしー。
 
おはくしー。
 

 

上記「1度目の都井岬」の記事にも書いたが、2日目の朝の大きな仕事は「ゆうパックでお骨を送る」ことである。薄曇りの朝の国道、車輪のあげる砂埃を浴びながら、郵便局が開くのを待つ。すれ違う人は少ないので、自然を挨拶をする。郵便局のガラスに映る自分がみえる。みすぼらしい女がお骨を持って座り込んでいる。

そんな人が珍しかったのか、怪しかったのか?郵便局の方が話しかけてくださった。

その直方体は赤いガムテープでぐるぐる巻きにされ、わたしより先に東京に向かうことになった。

 

 

朝の手続き的なことがあっさり終わり、新しくて立派な「道の駅」で少し休む。

 
舗道では「自転車で日本一周している」らしい自転車があり、乗り手がベンチに腰掛けて何かをモシャモシャ食べていた。自転車の後ろ側には沢山の荷物やネギがみえ、日本一周するときの荷物の多さに驚く。きっと自炊をするのであろう。
 
まだ午前9時台だった。少し観光もしてみたいと思って「よかバス」で都井岬に行ってみたのが上記の記事である。コミュニティバス「よかバス」を使うと、都井岬までお安く行って帰ってくることができる。都井岬では生きている馬を間近で見られて、とても良い体験だった。

 

帰りのバスで道路をふさぐように歩く馬たちの姿が見えてテンションが上がった。

 

「・・・ほら、道路に馬がいるよ。動物好きだったろう・・・。」

 

亡くなったばかりの叔父がわたしに声をかけて指さす。

 

「わぁ。馬さんがたくさんいる。親子かなぁ?親戚かなぁ?」

 

幼いわたしは大はしゃぎ。小さくなる馬の家族をいつまでも見守っている。

馬糞から咲く可憐な花の黄色。

死者はいつでもわたしに優しい。

 

野生馬を堪能したあと、昼には串間駅前に戻ることができた。

 

 

そしてまた、誰もいない父の実家へと向かった。

まだ何も決まっていない。相続をするにあたり、相続人がどのくらい居るのか、万が一、借金があったらどうすればいいのか・・・途方もない道のりに思えたが、少しでも片づけを進めなくてはならない。

 

 

この家には、いずれも小さな平屋建てである「母屋」と「離れ」がある。母屋と離れの双方を行き来しながら、片付けをどうすればいいのか途方に暮れた。

 

母屋は、立派な屋根瓦や外壁に大きなヒビが入っており、建物自体に問題がありそうだった。かつて知的な手紙を残してくれたおばあちゃんがここでご飯を作っていたのかな?と想像させる広い台所は外壁がくずれ、もはや内と外の境界が崩れかけていた。

 

老化とは、劣化とは、道の締まりのなくなること、あるべき境界が崩れることなのかもしれないと思い至る。

 

 

夕食どきで、止まった時計。

 

 

たぶん立派だった食器棚が、中途半端にその窓を開いている。やはり、締まりを、失って・・・。

床に散らばるチリトリや掃除機などの掃除道具が、役目を果たせず無念そうであった。

 

 

一方、叔父が元気な頃に暮らしていたと思われる離れは、まだ建物自体はマシなようであったが・・・中は同じように荒れ放題。

 

印象的だったのは、母屋にも離れにも、からのペットボトルが床を埋め尽くすように捨てられていたことだった。そのそばには、いくつものゴミ袋が中途半端に口をあけており、ゴミ袋の束もあった。

 

 

あとから知ったが、串間市は環境への意識が高く、ゴミの捨て方が(やや)難しいようである(少なくともわたしの住む東京都大田区よりは)。

 

自分でものを考えることが難しくなった叔父が、ゴミ捨てに苦労するようになった、その年月の形跡が、こうして透明な地層を作り上げたのであろう。

捨てようかとも思ったが、自分一人でなんとかできる分量ではなかった。

 

また、離れにあったトイレはあまり近寄りたくない風景を醸し出していた。

 

 

だが、これも、誰かが生きていた証なのだ。生命がそこにあったという印なのだ。

 

トイレのそばにあった本棚には、面白そうな本が並んでいた。新田次郎森村誠一。近所の女性の句集。ナニワ金融道の本。

本自体の傷みも激しいものの、こんな状況でなければ読んでみたいと思う本の数々は、叔父の知性と好奇心を想像させた。

 

 
本を布団の上に広げると、古本屋さんになったようでようでわくわくした。しかしこれじゃあ片づけに来たのじゃなく、散らかしに来たようだなぁと反省しつつ、ここにこういう人がいたという痕跡を残したくなり、本はそのまま広げておくことにした。

 

そういえば父も本が好きで、死んだ後の片づけが大変だったのを覚えていてる(ブックオフに来てもらった)。父は長男であり、貧困のさなか奨学金で高校・大学に行った。そして右肩上がりの時代にサラリーマンとなり、それなりの厚生年金を得ることができた。

叔父は3男、末っ子であり、この家を継いで老両親とともに有限会社を営んでいた。生前、父がよく叔父のことを、「あいつの年金はわずかな国民年金だけだろう」と言っていたのを覚えている。

そんな父の、変な自負心みたいなものが父の子である我々兄姉に乗り移り、我々はどこか叔父のことを、優しいけれど父のように知的で有能ではない、といった目でみていたように思う。

この見方はやがて覆されることになる。

 

それにしても採光の良い家だ。

ガラス窓から晩秋の日差しが優しく降り注ぎ、さらには穴のあいた屋根からも青空がみえ、光のきざはしを作っていた。そのきざはしは抜けた床へとまっすぐに向かうのであった。

 

 
「ギャッ!」
 
段ボールの奥に大きな蜘蛛が動いて、驚いてしまった。蜘蛛のほうも驚いたことであろう。
 
 
生き物は死に絶えたようなこの家にも、少しは生き物がいるのであった。
 

 

窓辺には、カマキリの卵のようなものも見えた。

 

 
生き物はみなこうして、自らが生きた証を次の時代へと残してゆこうとするのであろう・・・そう・・・わたしも・・・
 
ー自撮りでもするかっ!
 
自撮り棒を握りしめ、自分ではなく道路から家の動画を撮っていた。
 
すると、
 
「何してるのー?」
 
と、通りがかった小学生の集団に、からまれた・・・。
そうか、この道は通学路だったか。
 
「自撮り棒?何それー? えー、あっ、映ってる!!」
 
小学生たちがわたしの周りでスマホの画面を観ながら興奮していた。
 
・・・わたしは、小学生なら当然のように自撮り配信してネットで承認欲求を満たしている、そんな文化のうちにあるのだろうと思っていた。しかし(当たり前だが)そんなことはなかった。東京に住む自分に子供がいないから、そんなふうな偏った小学生観を持ってしまったのだろう。
わたしは、こんな知らないおばさんに声をかけて絡んでくる小学生の純朴さに感動してしまった。
 
君らはランドセルを背負った蛾か蝶か・・・。
 
きらきらと眩しく見える。
 
そして、なかなか離れて行かない子供たちと会話をしていたら、坂の上から大人も歩いてきた・・・
 
・・・まずい。このままでは変質者か、空き家に入る泥棒のようではないか・・・。
 
そう思い、とっさに「こんにちはー、わたしはこの家の相続人です。怪しいものではありません」などと、相続人と決まったわけでもないのに言い訳をした。
 
しかし通りがかった人は本当にただ通りがかっただけの人だったようで、「は、はぁ」と困惑しつつ、そのま坂を下りていった。
 
 
子供たちが去ったあと、片づけをしつつ、ゆっくりと動画撮影を行った。
まずは母屋だ。
もう叔父もあまり立ち入らなかったようにみえ、すべてがひっそりと死んでいるような空間。押し入れに段ボールがたくさんあった。
 
それらを引き出してみると、段ボール箱に入っていたものはすべて、囲碁の表彰カップや楯だった。
 
きれい。

 

きらきら輝く、カップカップ、盾、盾。

 
本当にたくさんの盾や賞状。
 
劣化を免れたそれらは金色に輝き続けており、非常に場違いな雰囲気を醸し出していたが、南国の日差しを受けて誇らしそうに深呼吸をしていた。
 
「栄光です。いえ、光栄です。見つけてくれて、ありがとう。」
 
まるで、そう言っているかのようだ。
 

 

父も囲碁が強かったが、叔父も相当に強かったようで、次から次へと表彰状や盾が出てきた。金箔がまばゆい巨大な盾、シルバーの重厚な盾、赤と白の目出度いリボン、それらは叔父の知性をあらわし、叔父の栄光を教えてくれるものであった。
 
叔父はこれほどまでに知性にすぐれ偉大な人間であったのだ。
叔父は素晴らしい人であった。
 
手を合わせつつ、ふと、くだらないことを思いついた。
 
ー畳が腐って抜けた床の穴を、このカップ類で埋めたら面白いのではー
 
もはや誰も来ないであろう家のなかで、その試みは誰も見ないアートのようなものであった。
 
だが、この家に来て心を揺さぶられ、たぶんブログに書くであろうことを予見したわたしは、床の穴に沿って、そっと表彰カップ類を並べていった。
 

 
ギシギシ。
ギシギシ。
音を立て、家がまた一歩崩壊へと近づいていった。
 
空気中を舞いきらきらと輝くのは、埃か、誇りか、言霊か。
光のきざはしをのぼりゆくのは精霊か。
床に穴のあいた部分はちょうど屋根に穴が開いた部分でもあり、優勝カップや表彰状に日差しが注ぎ込む。
 
ーみんな、見てください、こんなに囲碁の得意な叔父さんが生を全うしましたよー
 
 
そして、押し入れのなかのダンボールもあと少しだと思ったときだった。
 
穏やかな冬の日差しが差し込む押し入れのなかに、あやしい影を見つけた。
 
・・・なんか、見えるぞ・・・
・・・もしかして・・・
 

 

手前に囲碁の表彰状、そして、その向こう、箱の中に頭を入れているようにみえるものは・・・

 

もしかして・・・もしかして・・・

 

そう、その、「もしかして」であった。

 

 

 

【以下、閲覧注意】

 

 

 

 

・・・猫・・・だ・・・よね?
 
 
 

 
そう、それは、猫の亡骸だだった。
 
いや、本物の猫ではないかもしれない・・・剥製?置物?ぬいぐるみ?
 
・・・見つけてしまったからには仕方がない。押し入れの毛布でくるみながら、それをゆっくりと引き出して、机の上に置いた。
 
コロッ。
 
それはすっかりカチカチに渇いており、石膏で作ったトルソーのようであった。たたくとコンコンと音がした。悪臭はしない。
 

 
「おはしで ネコを たたく」コンコン。
「ネコで 机を たたく」コンコン。
まるで失語症検査のように、猫をいじる。
 
苦悶の表情を浮かべるでもなく穏やかにお昼寝をしているかのような表情のネコで、わたしはこの「置物」にすぐに好意をもった。そして、無駄な肉のない、スリムで硬いそれを、くるっと裏返したり、持ち運んでみたり、話しかけてみたり、動画撮影をしてみたりした。
 
やっぱり、オモチャみたいだなぁ・・・。海外のお土産ものかしら。
 
ふっと、ある可能性に、思い至る。
 
これは、叔父からのギフトなのだ。優しい叔父がわたしに気を使ってプレゼントしてくれたのだ。
 
「・・・ほら、末っ子のお前はネコが好きだっただろう・・・せっかく宮崎まで来てくれたから、叔父さんから、これ、プレゼントだよ・・・」
 
・・ああ、叔父さん!!そんなに気を使わなくてもいいのに・・・(^^;)
 
・・・だけど、ありがとう。とっても、とっても、気に入りました!
 
・・・すでに命なきものの形跡のみに包まれた、いわば絶命の家に居続けると、自分の生命力もすり減ってゆくのであろうが、自覚的には異様にテンションがあがっており、栄光のカップや盾に囲まれながら、声なきものの声を聴いていた。
誰かがわたしを呼んでいた。だからこの街に来た。呼んでいたのはこのネコだったのかもしれない。「わたしはここにいます、わたしを見つけてください」と鳴く猫の声に呼ばれて、わたしはここまで来たのかもしれない。
 
この家は素敵な舞台なのだ、そしてもはや舞台の幕はあがっており、死者によるリアリティーショーが始まっていた。その舞台の俳優でもあり観客でもあるわたしは、演じられている最中の「死をテーマにした舞台」に引き込まれ、その世界に浸っていた。
 
見つけてくれてありがとう。ネコがそう言った。
いえいえ、どういたしまして。わたしは答えた。そしてカチカチに折れている耳を撫でた。
 
それにしても、なんて綺麗な猫だろう。腐敗もなく、ウジ虫が湧いているわけではない。肋骨がリズミックに配置されている。その細い胴体には臓器を持っていたという気配もない。この猫は、やはり、剥製というか、飾り物なのではないか、このときは本当にそんなふうに思っていた。
 
顔を見ると、目玉が落ちた形跡がある。
 
 
・・・人形にしてはリアルだなぁ・・・目玉を落とし視神経(?)まで造作する人形があるだろうか・・・お茶目だな・・・。
 
・・・この時点では、こんなに美しい亡骸があるはずない、これは作り物だと思い込んでいた、思い込もうとしていた。
 
ー次に来たときには、このネコちゃんのおもちゃ、おうちに持って帰るぅー
 
そう誓って、家をあとにした。
 
ーうん、待ってるよー
 
ネコがそう返事をしたような気がした・・・。
 
・・・またね。

 
帰り際、外から家を眺めてみた。
 
 
裏側からみると、木々が壊れかけの母屋を覆いつくしていた。
すべては太陽の導きのまま、自然の動きのままに育つ枝や葉っぱはむしろ、主を失った家を崩壊から守っているようにも見えた。
 
そろそろ帰らなくてはならない。
 
この時点で相続について何も決まっていなかったが、ともかくまたこの家に来ることになるであろうと思った。
 
ーそう、あの、素敵な剥製を東京にお迎えするために。
可愛いネコちゃん、かならず、お迎えにきますからー
 
そうして家をあとにし、不通の日南線代行バスで乗り継ぎながら、宮崎空港へと向かった。
 
 
帰路については以下の記事のとおりである。
 
 
いちおう予約を入れていた英会話は、この夜もキャンセルすることになった。
 
(つづく)
 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

◆松岡宮からのお知らせ

 

 

メロンブックスでCD販売中です。

 

営業さんがDMを送ってくれたので、なんかフラフラと、音源をメロンブックスさんで取り扱っていただくことになりました。

 

以下、リンクです。

 

melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1859970

 

でもメロンブックスさんって男性向け同人誌に強いようで、自分の音源とか、売れる手だてが分かりません・・・

 

販促をどうしてよいのかわからないのですが・・・クリックだけでも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

◆8月20日(日)高円寺・北中夜市に出店します。

 

 

CD販売とともに、投げ銭の歌作りブースを出すかな?と思います。

16時~20時、路上です。

たのしみです~。

わいわい。

 

 

 

◆11月12日(日)デザインフェスタ パフォーマンスステージ

 

出演決まりました。こちらも楽しみです。わいわい。

 

 

◆新作です。

 

ポエトリー作品「その嘘を信じることができたなら」公開いたしました。

 

youtu.be

 

脳性まひの障害をもつ宮城永久子さんの詩に、音楽・動画をつけさせていただきました。

ほっとするような優しい音ですので、よかったら聞いてみてください♪

 

見た目にはっきりわかる障害をお持ちの方は、偏見にさらされたり、厳しい視線を浴びたりすることもあるだろうなと思い、わたしも至らない人間ですけど、味方であり続けたいなと思います。

 

わたしなどに作品を預けてくださった永久子さんには心から感謝申し上げます。

宮城さんの本の販売ページはこちらです。

 

www.eterunasha.com

 

◆松岡宮のBASEでも物販しています。

 

383.thebase.in

 

ひとにやさしい、小さな再生工場。

廃材バレッタがなかなかイケてると思うのですがまだ売れてません・・・。ははは・・・。

 

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

 

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一度目の串間の旅のこと(1)

 

・・・屋根に穴があいている家を、はじめてみた・・・。

 

 

それはおそらく、令和4年(2022年)9月の台風14号によって破損したものと思われた。宮崎県知事が「まずは命を守ることが最優先です。今いる場所の安全性に不安がある場合は、ためらわずに避難してください。」とコメントを残していた、その猛烈な台風により、もう誰も住んでいない古い家が悲鳴をあげて傷つき、倒れそうになっていたに違いない。だが、わたしは東京におり、その台風がそれほどひどかったことを知らなかった。

 

この猛烈な台風は、日南線「南郷~志布志」間の運行中止(代行バスによる運輸の開始)を残した。

そのことは、台風から2か月後の令和4年(2022年)11月末に、わたしが44年ぶりに串間に行くにあたり、どのような経路で行くかを戸惑わせることになった。

 

 

 

・・・そう、44年ぶり。

串間に最後に行ったのは祖父の葬式であった。

自分が7歳、昭和54年のことだ。

小さかったし、離れて暮らしていたから、祖父のことは写真でしか記憶にない。

 

 

お父さんの実家。

平屋の小さな家だったというおぼろげな記憶。

畳に寝そべって「松本零士大全集」を熟読しながら、「仏壇に供えられたご飯が減ってるよ!」などと姉とはしゃいだ。仏壇はとても怖かったけれどスペースもないので仏壇のそばにお布団を引いて家族で寝そべった。
 
見上げた天井には、もちろん穴はあいていなかった。

 

しめやかなお葬式の意味など、子供にはわからない。「お葬式じゃなかったら、遊園地に連れて行ってあげたいけどねぇ・・・」優しい叔父がそんなことを言ってくれた。

今すぐ連れて行ってくれたらいいのに。

その時はそんなことを考えていた。

 

叔父は父の下の弟で、末っ子であった。ずっと独身で、祖父母亡きあとは一人暮らしをしていたようであった。晩年は年齢もあって病気がちとなり、病院や施設への入退院を繰り返した。そんな時、いつもわたしが家族連絡先となった。

 

「・・・実際に現地に行けなくとも、良好な関係を持ち続ける親族がいることは福祉の助けになる・・・」「・・・関心を寄せる親族がいることは、その方がよいケアを受けることにも役立つ・・・」

 

・・・どこからかそんなことを聞いて、自分など非力であるのに、ついつい返信してしまったのだ、そう、あの、役所からの、扶養照会の書類に・・・5年くらい前のことだ。

 

「(叔父は)自分のことができなくなっているので・・・」

 

役所の方が言葉を選んでそう伝えてくれたこともあった。それからしばらくたち、「措置制度」により施設に入ることになった。ふだん自分が講義をしている福祉の「措置から契約へ」の「措置」か・・と感慨深く思った。

 

この街では、介護福祉に携わる人々がずいぶん親切なんだな・・・。

 

そんな印象は、今も変わっていない。

 

 

 

叔父がその病状に応じて施設と病院を行き来するたびに書類は届き、わたしが何らかのサインをした。親族連絡先。リハビリ計画書。身元保証人。転倒予防の確認書。サイン。サイン。なかには「支払い出来ない場合には数十万円を上限としてわたしが支払います」といった旨の病院からの書類もあった。それには警戒をおぼえ、電話をしたうえでサインしなかった。施設や病院からしばしば電話も届き、その多さにうんざりしてぞんざいな対応を取ってしまったこともあった。

 

2022年の春頃から叔父は意識を失うことがあり、その都度病院から連絡が来た。夏頃には市の方から成年後見人をつけてくれたという連絡があり、その後見人さんと、電話でなんどか話をした。

病院のドクターから電話が来る。全身状態が悪く、冠動脈も詰まっており、いつ急変してもおかしくはない。もしものときに、確認ですが、しない、しない・・・それでいいでしょうか・・・と、確認のお電話もきた。

こんなに離れている身では、「お任せします」と言うほかない。

 

山間部に実りの秋が来る。

西の方から台風が来る。

 

台風14号が来たとき、叔父はまだ存命であった。

 

古い平屋が台風に巻かれて、ひと瓦、ふた瓦、吹き飛ばされてゆく。屋根に穴があき室内を滝にする。翌朝、穴の開いた天井から青空がのぞく。長い歴史のなかで多くの人を寝かせてきた畳の床が腐って抜け落ちる。心筋が梗塞する。家が朽ち果て火葬に向かって歩みだす。時の流れは誰にも止めることができない、だから。

 

 

 

叔父の訃報を受け、あわててスケジューリングした2022年11月、44年ぶりの串間への旅が始まった。

 

その時は鹿児島空港を使うという考えがなく、宮崎空港から入り日南線代行バスを使って串間までなんとか到着した。

 

行き帰り、および都井岬への旅については、以下の記事に書いた。

 

ekiin.hatenablog.com

 
 
 
この記事では、旅の主目的である、叔父亡きあとの諸々の手続きについて記すが、すべてが真実とは限らないことを申し添えておく。
 
 
1日目は成年後見人さん(以下、後見人さん)とお会いしていろいろな手続きを行った。この方は本当に有能な方で、わたしなど福祉制度についてまだまだ不勉強だなぁと実感するくらい、さまざまな制度や書類を的確に紹介してくれた。
たとえば火葬許可書と葬祭費の受け取り、たとえば過誤納付金。相続人代表の手続き、銀行とのやり取りの手配。司法書士の紹介。
そしてお骨の保管。
 
お骨はK病院に安置してくださったそうで、そこまで案内してくれた。
南国らしく木々が鬱蒼と茂るK病院の入り口付近は、(そのころ都内ではすでに薄らぎつつあった)新型コロナウィルスに対する際立った警戒がみられた。感染者数が少ないとかえって警戒心も増すのであろうか。
「このたびは、お世話になりました。」
K病院のご厚意で丁寧に祭壇のようなところに置かれた箱を受け取る。
 
白い布に包まれた叔父のお骨は翌日「ゆうパック」で大田区へと送られ・・・
いま、わたしの隣にいる(!)。
 

 

 
ここに来た理由の一つに、亡き父に関する写真や記録があれば保存したいと思ったことがあった。
 
その旨を後見人さんに告げ、家のカギがあればお預かりしたいとお伝えしてあった。
 
後見人さんも、まだ家には行ったことがないとのことだったので、ともかく行ってみることにした。高台にある市役所でさまざまな用事を済ませたあと、駐車場の坂を下り、住宅地の間をぬって歩く。
 
冬の宮崎は過ごしやすい。
遅く訪れる夕暮れの雲が複雑な抽象画を描いて変化しづけてゆく。
この街は低い建物ばかりで空が大きい。
また、人が少なく、とても静かだ。
 
家には、すぐに到着できた。
 
ブロック塀の向こうに小さな建物が左右に1棟ずつあるのが見えた。
 
敷地内に入ると、奥に庭があり、木々が野放図に茂っていた。
 
手前にはなぜか壊れた洗濯機。そのうえになぜか、オレンジ色の果実。
 

 
左の建物(母屋)は見るからに状態が悪そうであった。壁の一部も郵便受けも壊れ、ドアのガラスが割れており、玄関の扉も半開きのまま動かない状態であった。
 
・・・これなら、カギを心配する必要もなかったな・・・。
 
玄関先で後見人さんは帰られ、ひとりでゆっくりこの家のもつ雰囲気を楽しむことになった。 
 
半分開きっぱなしの扉に身を滑らせると、中の様子が見える・・・
 
・・・ああ・・・・
 
・・・床に穴があいている家を、はじめてみた・・・

 

 

 

すべてが古びた室内には、物品が散乱しているのがみえた。

キッチンの床にはペットボトルが絨毯のように敷き詰められ、蜘蛛の巣が風にきらめいていた。流し台やキッチンのあちこちに無数の汚れた食器がみえた。遠くに食器棚や冷蔵庫も見えたが、床に積まれた物品や床の抜けた穴のために近寄ることは難しそうである。

 

 

 

袋、ふくろ、バケツ、ホース、シャベル、くず、衣類、扇風機の羽根、ゴム手袋、ペットボトル、袋、よくわからない紙、なんだかわからない袋、調味料、くず、フライパン、食品トレー、なべぶた、食器、開封されたキャットフードの袋、新聞、なんだかわからない何か・・・

 

(ねえみんな、昔は名のある”何か”だったの?)

 

そして、囲碁の賞状と盾・・・。

 

英語で言えばStill. 数年間人が入らなかった家の空間は、何もかもが死に絶えた空間のようにみえ、虫すらもそれほど多いわけではなかった。

靴のままですみません、と言いながら、蜘蛛の巣を払い、床の穴に落ちないようにおそるおそる奥へと入ると、おぼろげな記憶がよみがえってきた。

 
・・・そうだ、あそこに仏壇があった・・・。
 
 
 
その仏壇の上の天井も落ちて、仏壇自体も破損しており、周辺には柔らかな線香が散らばっていた。なぜか仏壇まわりの破損がもっともひどいように思われた。
 
多くの人がここにまつられていることを直感的に感じ、手を合わせた。
 
そして、床下に抜け落ちないように畳のヘリを踏みしめながらそっと仏壇に近づくと、その中に写真の額が3枚あった。
 
祖父、祖母、そして見慣れぬ兵隊の写真。
 
これだ、これは絶対持ち帰らねばならぬと思い、持ち帰る荷物にそれらを入れたが、額の裏側の板からよくわからないものがパラパラと落ち、手やカバンを汚した。
それから仏壇の近辺にアルバムも見つけ、それらも持ち帰る荷物に入れた。アルバムもやはり、動かすたびに何かがボロボロと落ちていった。

 

・・・どこか寂しそうな表情の、この兵隊は誰なのだろう。

 

この時点で、わたしは松岡家のことをあまりよくわかっていなかった。ただ、亡き父が、「先祖には村長もいた」と言っていたことが、おぼろげに頭に残っていた・・・。

 

天然のあかりは若干の赤みを帯びながら室内をだんだんと暗くしていった。

”死者は 夜 踊る。”

崩壊寸前のこの家に、なぜか心惹かれる自分がいた。

 

ここで独り芝居でもやったら楽しかろうな・・・そんなことを夢想した。

 

Stillのなかに何かがいて、「・・・ここまで来てくれてありがとう・・・貴女を喜ばせてあげたい・・・」とそんなふうに、見えないものがわたしを楽しませようとしてくれている。

 

割れた扉から外の空気が入り込み、どこかの隙間から出て行った。

もっとこの家のことを知りたいと思った。

 

((2)につづく)

 

 

 

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◆松岡宮からのお知らせ

 

こんにちは。みなさまお元気ですか、わたしは元気に働いて、うたづくりしています。

 

BandCampにもいろいろ新作を出しています。

 

miyamatsuoka.bandcamp.com

 

BandCampは無料で聴けて歌詞も見やすいのがよいですね。

よかったら見てやってください。

 

 

7月9日(日)、蒲田アプリコ「NO WAY MANIACS」にブース(kamataterakoya antique)を出します。

 

 

CD販売がメインですが、この記事でも書きましたように、空き家となった松岡家から見つけ出された逸品を販売します。楽しい手作り品も販売します。

 

大田区民は無料、その他は500円の入場チャージがかかりますが、招待券もあるのでお問合せください。

 

来てみると楽しくて 、おみやげいっぱいだと思います☆彡

ぜひお立ち寄りくださいね。

 

 

 また、メロンブックス様でも松岡宮のCD販売しています☆彡

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1859970

 

面白いからクリックしてみてくださいね。

 

 

はてなブログが記事単位で有料にできるようになりましたね。

 

いろいろ考え、一部の過去記事の一部を有料にしてみました。今のところ、新しい記事は今まで通り無料公開しようかと思っています。

 

全ての記事は今まで通り基本的に無料公開にして、最後に投げ銭機能を入れておこうと思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

 

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新曲リリースしました(サブスク)

最近、売り上げもまぁまぁなので、ハンドメイド頑張っています。古い布のポーチがメインなのですが・・・パソコン廃材でへんなバレッタを作りました。

 

・・・中年女性の白髪を知的に飾りMOS

 

これらの変なグッズは、7月9日、蒲田アプリコで開催される「NO WAY MANIACS(アーティスト系フリマ)」で販売しますね。

もちろん音源やZINEも販売します。

あいかわらず、まとまりのないカオスなブースになりそう・・・。

 

チラシはこちらです。

 

 

 

そして最近は音楽制作もはかどり・・・ひまさえあれば短い新曲を書いています。

 

TIkTok用の短い作品がほとんどですが・・・こちらはアシナガバチの巣にオスがいたという作品です。

見分けにも役立つ動画です。

 

www.youtube.com

 

こちらは、旧満州・独立守備隊の作品。義父のエピソード。

 

www.youtube.com

 

死がそばにある生活は、やっぱり、厳しいものだと思います・・・閉塞感のなかでそんな生活に目を向けてしまう苦しさも、あると思いますが・・・。

 

最近の作品は、もはや、誰かが自分に作品を書かせているなぁと感じます。

もう自分の意志とかなくて、ただ何かが自分の心身を使って作品を書いている感じで・・・それはきっと、長年やってきて、心身が自動書記(自動歌作成機)みたいになっているというもので、とても幸せなことなのかもしれません。

 

 

 

さて新曲2作、本日が発売日です。リリースできてほんとにうれしい。

 

サブスクへのリンクを貼り付けますね。

 

big-up.style

 

big-up.style

 

思えばいずれも鉄道の作品。

傷ついた大地を癒すように縫って走る鉄道のある風景を描いた作品です。

これらも、自分の作品ですが、自分ではない何かに背中を押されて書けた作品だなと思います。

 

 

そして、サブスクシステムを使わせていただいておりますBIG UP!様から「インボイス登録番号を書くように(大意)」言われました・・・。

 

インボイス制度、登録するかどうか悩んでいましたが、意外なところで使わねばいけないことになりそうです。

 

今までも少額ながらサブスク収入があり、「エイベックスから入金」と通帳に書かれることがなんだか気持ちよかった(笑)

みなさまにお求めいただいて音楽収入があり、それで音楽を続けることができます。

日ごろのご支援、感謝いたします。

 

 

これから同世代の女友達たちと会います。

アラフィフの女性たちの多くは子供の学校のことや地域行事、そして親のケアで忙しくて、なかなか顔を合わせることがないので、貴重な時間です。おしゃれなバレッタで行こう。

 

 

串間への二度目の行きと帰り

 

串間市は、宮崎県の南端にある市である。

 

串間への一度目の旅は、こちらの記事に書いた。

ekiin.hatenablog.com

 

この1回目の串間への旅は宮崎空港から行ったのだが、よく見ると串間は鹿児島空港宮崎空港の双方から同じくらいの距離にあるように思え、鹿児島空港からも行けそうに思えた。

 

そして羽田からの航空費用を調べてみると、その季節は宮崎空港よりも鹿児島空港を使うほうが圧倒的に安かった。

 

驚くことに、羽田―鹿児島で片道6000円くらいのチケットがある。

そこで、二度目の串間への旅は行きも帰りも鹿児島空港を使うことにした。

 

 

福岡に住んでいたころのわたしの写真が見つかった。九州のどこかの遊園地であろう。どこかはわからない。

 

 

観覧車がみえるが乗った記憶はなく、おそらく後ろにある芝生の傾斜を滑って遊んでいたに違いない。姉や、兄と、母と、父と、それからほかの写真には叔父が映っていた。

 

昭和47年(1972年)生まれのわたしが6歳ごろだと思われるので、1978年ごろか。

 

九州に住む、平凡な昭和の家庭の、末っ子ちゃんであった。

 

 

ところで、短い新曲つくりました。おっぱいぷるんぷるん。

 

youtube.com

 

15秒くらいの、かわいい唄です。レッツクリック💛

 

 

さて、旅の当日。
あまり眠れず、スマホ2台のタイマーをかけた5時20分より前に起きる。
 
ノロノロとストーブをつけて暖を取り、これからの重労働について思いをめぐらせながらワークマン系の服に着替えた。
数日前のパーティーで頂いたチーズケーキの上に「追いチーズ」をのせて焼き、朝ご飯とし、残りはお弁当にした。
 

 
家を出て、朝の5時54分の多摩川線に乗る。意外に混んでいる。こんな朝早く、鉄道で移動する人がいるのだ。多くは仕事か、旅人か、あるいは飲み明かしたのか。児童はいない、当たり前だ。
東急蒲田駅から、例によって京急まで徒歩で移動する。
JR蒲田駅前にあるリムジンバスの停留所には行列が出来ていた。前回より1時間遅いと、このリムジンを利用する人が多いであろう。
 
立憲民主党の誰かが演説を行う準備をしていた。
政治を志すものは朝型人間でなくてはならないようだ。尊敬する。
 
JR蒲田から京急蒲田へ向かうのだが、距離はそれほどでもない。ただ、まっすぐではない道なので、土地勘がないと迷うかもしれない。蒲蒲線、推進派の新区長になり、どうなるのか。われわれ大田区民はどうしたいのか?地下鉄増築のロマンは点と点なのではないか、地域とは線であり面であり立体であるのかもしれない・・・そんなことを思いながら、ゴミ袋で飾られた夜明けの歓楽街を歩む。そう、東急・JR蒲田ー京急蒲田のいちばんの近道は、綺麗な女性のいるお店が並ぶストリートなのだが、さすがに夜明け頃は客引きもおらず、静まり返った近道を旅の荷物を抱えて歩む旅人の行列が出来ていた。
 
そして京急蒲田がみえてくる、蒲田の街に不似合いなほどの巨大な要塞のような駅舎。
 
やはりここでもれいわ新撰組の演説の準備を行っていた。政治とは朝が早く夜も遅いタフなものだ。
ホームにたどり着くと、今日のはじまりを公式的に告げる光が地平にその姿を現しつつあった。
 

 

京急蒲田でうす赤くなりゆく空、この同じ空の下、日南線も走っているのだろう、そう思った。あとで調べたら日南線には6時台の列車もちゃんとあった。
 
串間が呼んでいるぜ・・・両手に握りこぶしを作る。
いや、嘘だ、勝手に向かってしまうのだ、というか、勝手に首を突っ込んでいるだけのことだ。

 

・・・もう 、そこには、誰もいない、のに。

・・・もう、そこには、誰もいない、から。

 

・・・何のために行くのだろう?とここを読んでいる方は思うかもしれない。しかしわたしもよくわからないのだ。ただ、それをしなくてはいけないと、思い込んでしまうのだ。自分の背中は見えず、歩んだ軌跡も見えず、理由も意義もあとからやってくるのだ。それを見つけにゆくのかもしれない。

 

早朝であるが、要塞のような京急蒲田に次々に列車が滑り込む。空港方面だけではなく、横浜方面、品川方面、うっかりすると千葉県まで運ばれてしまいそうだ。この日も間違って品川方面に乗ってしまいそうになり焦ったが、何台かやり過ごしやっと乗り込んだ空港線はとても混んでいた。

 
終点で降り、スカイマークは第1ターミナルにあるので、後ろ側へと向かう。
 

 

羽田空港にもすっかり慣れてしまった(のであまり写真がない)。空港の案内板をみると、自分が寝ている時間にもたくさんの空の便が行き交っていることに感銘をおぼえる。北ウィングから女満別、南ウィングから広島 福岡 そして徳島・・・わたしたちは行こうと思えば日本中のどこへも行けるのだ・・・ただそういう意識が無いだけなのだ。

 

 

小さな子供が眠って起きて育ってゆく間にどれほどの飛行機が空を交錯したことだろう。

人間は移動して生きてゆくいきものだ、船で、飛行機で、鉄道で、移動、移動、また、移動。

出会い、むつみあい、また別れ、だけど思い出の中であなたに会える、父の故郷で、なにかに出会える、そんな予感がする。

 
末っ子さん、ウェルカム、そんな声を捏造する。
 
そういえば叔父さん、あなたも末っ子でしたね。
 
 
荷物を預けるとき、ドンキで買った安物トランクの取っ手が引っ込まないので困った。「初期故障ですね」という書類にサインをさせられ、哀れなおんぼろトランクには「取っ手故障」のタグがつけられ、ベルトの上を流れてゆく。
 
前回の反省を踏まえ、はさみは預けるトランクに入れ、モバイルバッテリーは手元に持った。
トイレが近いわたしはやたらにトイレに行く。トイレに入ると、どこかの便の最終案内が聞こえる。関係ないのに焦ってしまい、ペーパーをガラガラあわてて巻き取り・・・さあ出発だ!
 
天気はまずまず、いざ鹿児島へ。
 

 
前回ほど「閉所恐怖のあの感じ」が来なかったのは、1時間遅い時間だったからかもしれない。やはり自分は朝に弱いのだ。
機内では、ネスレとのコラボでインスタントコーヒーとキットカットを出してくれた。
 
昨年末のゲンロンカフェで観たイベント「「人文的、あまりに人文的」な、2022年人文書めった斬り!」でリストにあがっていた「東京大学ボーカロイド音楽論」講義 (鮎川ぱて著)をタブレットで読んだ。
 
DTMをやっているのにボーカロイドの世界に馴染みがないわたしにとっては、「・・・ハー、そうなんだ・・・ホー、そうなんだ」と知識や枠組みを得たような気分になったが、当然なのだが音を知らないので、どことなく自分の実感が伴わない読書となった。
音楽で喜ぶときの、あの感じは、文章にはない。
音楽や創作を論理や言語で語ることは難しいものだ、と思った。
 
人文になじみのない自分にとって、人文はいつも「進んだ」考え方の枠組みを教えてくれ、心がなごんだ。現場にその考え方を取り入れようと考えることは、自分に力があることを証明するようで、ウキウキとした。
しかし、自分が思うほど世の中は単純ではなかった。
・・・若い頃からずっと、「心理の人」もしくは「なんだかわからない人」として精神疾患や精神医療の世界に投げ込まれ、現場でもうまく振舞えずにつるんとした表情の裏側で反省ばかりの自分の姿がみえる・・・そんな自分にとって人文には救いがあった・・・精神疾患に関する人文書を「ホー、わからないけどすごい」と読み、その見方などに感銘を受けつづけたこの30年・・・だけどいま、地域にさらされすぎた自分にとって、それらの言葉は新築住宅のカタログのようで、もはやウキウキできない自分がいた・・・古い家にはいろいろなものが積み上げられる、おうちの片づけ、しなくちゃ・・・・
 
・・・音楽もそうだろう、あああっというものが、あああっという言葉では、伝えられない、それが音楽・・・わたしは言葉を使う仕事ではあるけれど、もう自分は言葉ではないようなところに向かってしまい、先祖!先祖!と会話をする日々だ。
 
東京大学ボーカロイド音楽論」講義」の読書体験は、行ったことのない星の案内のようで、どこか楽しい読書体験ではあった。
ボカロ曲はおおむね好きで、聴けば楽しい気分になるので、いっぱい聴いてみたい。
 
・・・そして自分が乗り物に弱いことを忘れていた。
・・・自分が酔ったと気づいたのは、タラップを歩いていたときのことであった・・・
 
よ、よ、よろよろ、げふげふ・・・。
 
予定よりも早く到着した鹿児島空港。ふらつく視界を快晴の朝が出迎えてくれた。
 
 

このいいかげんな地図にあるように、串間は宮崎県の最南端、鹿児島県の志布志に近いところにある。

 

同じ鹿児島県内であるが、鹿児島空港から志布志に向かうまでの距離が長い。空港から志布志まで直通のバスがあり、9時40分発に乗ることができた。所要時間は1時間50分。

 

それは、エアポートリムジンと聞いて想像するようなバスではなく、普通の路線バスのような車体であった。乗客は少なく、空間が広い。荷物が自走しないようにおんぼろなトランクをしっかり固定する。

 

各停留場でこまごまと停車するそのバスは、おおむね住宅街を走り、「霧島」「国分」など、名前だけ知っていた街を走った。それらの街は思いのほか都会で、蒲田にも似ていた。しかしよく考えれば、山や谷には街の名前が書いてあるわけではないので、文字として街の名前が認識できるというのは、都会を走っていることのあらわれなのかもしれない。

 

それにしても志布志

はじめて向かう志布志

上から読んでも下から読んでも志布志

誰かに伝えたい、わたしこれから志布志に行くのよ!って。

 

・・・そこで、なんとなく鹿児島にゆかりのある友人にメッセージを送り、文字のおしゃべりが始まった。

すぐに東京の話題になり、いま自分がいかに東京から離れた場所にいるかを実感した。

 
バスはカーブを曲がり続け、車窓が緑濃い風景になってきた。太陽光パネルの大群がみえてきた。すべてが同じ大きさ・同じ形の大量の太陽光パネルが平原に群れ立つ風景は、なんらかの畑のようであった。
 
 
バスは乗客を少しずつ降ろし、最後はわたしと男性客の2名になった。
 
風景はいま山のなか、都内に住む友人とのメールのキャッチボールを繰り返す、ガッコン、ガッコン、そのうち、ぜんぜん不快感はないのに突然胃が動き出し、ゲップが出てきた。
 
再び思い出す、自分は乗り物に酔いやすいのだということに・・・。
酔いやすい人はスマホをみてはいけない。
 
だが、もはや「気持ち悪さ」が足りないのだ。飛行機の中でも、バスの中でも、それほどに自分が乗り物に酔っていることに気づかなかったのは、気持ち悪いという感覚が少なかったせいだ。だからつい欲望のままに好きなことをしてしまう。自覚が起きないところが加齢であるのかもしれない。大丈夫、大丈夫と笑いながら、次の瞬間、嘔吐する・・・可能性。
 
うう。
 
山道を走るバスのなか、春を告げる日差しにつつまれるバス車内で、内臓から木漏れ日のように漏れ出すこの息は、吐息か、嘔吐の前兆か・・・。
あわてて荷物のなかからビニール袋を探して備えた。
自分がもはや自分のことを管理しきれず暴走する可能性を戒めの綱として、この旅への気持ちを引き締めた。

 

そして到着した志布志は、白さを感じさせる、明るい街であった。

 

ファースト志布志の体験は以前の記事に書いたので、そちらを参照されたい。

 

ekiin.hatenablog.com

 

さて、次は志布志から串間に行かねばならない。

本来であれば日南線で数駅の場所にあるのだが、以下のように日南線が不通となっており、志布志から福島今町までは代行タクシーで行かねばならない。

 

 

一度目の旅と違うのは、福島今町から串間の間は、日南線が復旧していたことである。よって、志布志から代行タクシーで福島今町までゆき、福島今町からは鉄道となる。串間まで(最後の一駅間であるが)鉄道で向かえることになり、テンションが上がる。

 

志布志で代行タクシーに乗り込んだ。バスというよりはワゴンのような小さめの車である。乗客はわたしのほかに2名だったが、そのうちの1名は首にタオルを巻いた男性であり、ほのかに汗の臭いが感じられた。

その方は、「まるちょんラーメンで食べてきたよ」と運転手に話しかけ、運転手も笑顔で返答していた。

 

・・・えっ、みんな顔馴染みなのかな?

・・・まるちょんラーメンというのは有名な店なのかな?

 

自然に話が弾む様子を伺いつつ、違う文化の人の輪の中にいるのだと思い知らされ、手荷物をぎゅっと握る。

あとで調べたら志布志はそれなりに楽しそうな飲食店がありそうなところ。
 
・・・よし、帰りには、志布志の素敵なカフェでランチをするぞ。
 
そう、決意する。
 

そして代行タクシーが「福島今町」駅に到着した。

 

 

駅名表示板などに古さが感じられ、全体的に古びた駅であったが、この駅に降り立ったとたん、胸が熱くなるような懐かしさを感じた。

幼き日の自分が来たことはあるだろうか・・・まだ国鉄だった、あの頃。

 

 

あとで調べたところによると、数年前の串間駅の1日の乗降者数は2桁らしい。

この時刻表をみて、「列車の本数、意外に多いじゃないか!」と思う自分がいた。

 

 

 「福島」は宮崎県串間市の地名である。

父の卒業高校はこの地の福島高校である。

いよいよ串間市に入ったようで、駅の看板に出迎えられる。

 

そして日南線に乗り込む。

珍しい黄色の車両である。トレードマーク(?)のイルカが夏を思わせた・・・いやいや、いまは、冬である、のに。

 

 

黄色にブルー、補色の組み合わせが、海のイメージを強めてくれる。

 

 

電車に乗れば、わずか1駅。わずか数分だが、串間まで鉄道で向かえる、ということがこんなに嬉しいとは思わなかった。

 

 

カメラを取り出し、車窓を録画しようと試みるが、がっこんがっこんと身体が揺れ、うまく撮影できない・・・そして、また酔いそうになる・・・ダメじゃないか・・・。

 

日南線の車窓風景は懐かしい日本の風景という印象であった。ほどなく家々やススキや木々の向こうに目的地が見えてきた。2度目の串間、もう懐かしい気分にすらなってきた。

 

<次は、クシマ、クシマ・・・>というアナウンスの「ク」が低いアクセントであることに気づく。

 

列車が静かに停車する。

 

 

「ああ、とうとう、また、来ましたよ。」 

 

何やら工事中の、低い建物ばかりの駅。出迎えは無い。誰に告げることもなく串間駅で降り立ち、カートを引きずりながら、冬なのに眩しい日差しの恩恵を髪に浴びる・・・

 

恩恵。

ギフト。

Gift。

 

わずか1駅間であっても、鉄道に乗れたこと。その喜びは、なにか、先祖からのギフトのような気がしてならなかった。それはなかなか気づかない。生きている人の有難味がなかなかわからないのと同じで、何もかも無くなってから初めて気づくGiftがある。

 

わたしは誰かに護られているのだ、と、気づく旅となった。

 

 

 

ーようこそ、末っ子ちゃん。ほらほら、鉄道だよ。ゴトンゴトンだよー

 

 

滞在中のことはまた別の機会に書くことにする。

 

 

さて帰りである。

行きとは逆に、串間から福島今町まで、鉄道で向か

う。志布志まで300円の切符を買って、日南線

待った。

 

都民ならば、電車が走ることは水や空気のように当たり前のように感じるであろう。
しかし、1度目の旅のときは、串間駅に向かう日南線が台風被害の影響で不通であった。
そして2度目の串間の旅。
鉄道に乗れることの有難味をかみしめる。

  「日南線も、いつまであるかわからないよな・・・。」

兄の言葉が思い出され、この風景を大事に目に焼き付けておこうと思う。

 

時刻表どおり、いかにも日南線らしい白地に青の車両が来る。

車内の自動放送のアナウンスは「この列車は志布志行き」と言っていたし、表示も「志布志ゆき」なのだが、上記のように不通区間があるので、この列車の終点は福島今町。

 

ずっと乗っていたかったが、すぐに「次は~終点、福島今町です」というアナウンスとともに吐き出される。

 
 
こうして日南線に乗れることが、とてもありがたいと思った。
みえない鉄道員が側にいてエスコートしてくれる幻想を抱く。
窓が開くのにも驚いた、わたしのほかには誰もいない車両に風が入る。
 
誰かが自分を護っている、わたしを、末っ子ちゃんを、喜ばせようと、誰か、大人が守護している、そう感じる旅だった。
 
・・・だが守護霊がいたとしても荷物を持ってくれるわけではないが・・・冗談だ、そんなことまで望むのはよそう・・・
 
こんな旅には背中を押す見えないちからが必要なのだ。
そして、それをたくさん感じたのだ、いや、くじけそうな旅だったので、それをむりやりに感じようとしたのだ。
 
2月なのに夏のような日差し。暖かくてほっとする。ありがとうみなさん。わたしは串間がとてもすきです。
 
 ◆

  

福島今町駅でワゴンのバスタクシーに乗り換える。例の壊れかけのおんぼろトランクをよいしょっと中に入れ、何分かの待ち時間のあと、黒い代行タクシーが出発した。

 

不通区間ゆえ開きっぱなしの踏切が悲しいが、これを書いている現在、この踏切はカンカンと音を立てながら規則正しく仕事をしていることだろう・・・。
 

ほとんど自家用車のようなノリで、親戚じゅうで出かける、とても楽しいドライブのようだ。

 

あっ、海だ!

 

お父さん、叔父さん、みて!

冬の海だ!

 

串間ー志布志は、海沿いの道を走る。

鉄道の車窓風景も良いのだが、クルマの車窓はさらに良い。地図で見ると、道路のほうが線路よりも海に近く、眺めも抜群だ。これもまた、先祖からのGiftであったのかもしれない。

 

 

そして、丘の上に観覧車がみえた・・・

 

・・・えっ、観覧車!?

ウソ・・・・どうしてこんなところに観覧車があるの!?(←失礼)

 

あとから調べたところによると、この丘の上に「ダグリ岬遊園地」というのがあるらしい。鹿児島の観光案内に「ダグリ岬遊園地」があるという旨が書いてあり、ああそうか、もう鹿児島県に入ったのかとわかった。

 
今日は楽しい遊園地。
 
観覧車を見上げて胸を膨らませる子供の顔が見える。
 
ぷるんぷるんとした丸顔、好奇心旺盛な黒い瞳、それは幼き日のわたしだ。
 
冒頭の写真は、時代的にダグリ岬遊園地ではないのだが、またそんなふうに楽しい思い出を作っている末っ子ちゃんが令和の今、いるのだろう。時代は巡りめぐって、古びたものは新しいものに置き換えられながら思いは次の世代へ継がれてゆく。ばらばらになった破片をつなぎ合わせ、片づけ、そうして自分は生きてゆくのだ。
 
やがて、「大隅夏井駅」が見えた。
 
 
撮影時は2月だが、夏の雰囲気すら漂わせる影の濃さ。国鉄の雰囲気を残すこの駅舎、鉄道が走っているときに、またこの駅を利用したいものだと思う・・・
 

「どうぞ、また来てね!」

 

はいっ!

また行きます、必ず・・・。

 

タクシーはすぐに志布志に到着した。運転手さんにありがとうを告げ、また降りる志布志

鹿児島空港ゆきのバスは、2時間後である。

 

駅前のこの広々した感じがとても良い。

 

2月なのになんという日差しの強さであろう。あまりにお天気がよいせいか、道路に寝そべっている若い男性がいた。

急病人・・・ではなく、志布志の空気を楽しんでいるかのように、寝そべって空を見上げている。

 

志布志ではそんなふうに路上に寝そべって空を楽しむことが許されているのかもしれない。いいな。

 

ところで、写真にあるわたしのカートはいっけん可愛いが、実は安物でボロボロ・・・前述のように取っ手が閉まらない。あちこち不調である。そんな荷物を引きずりながら、そういえば志布志には良さそうなカフェもあったのだと思い出し、イタリアンのお店があるようなので、そこに向かった。

 

イタリアントマト・Cafe Jr.や、auショップや、カレー屋さんがある商業ビルの横を通り過ぎた。

CDショップもあるんだ!妙に感動した。

 

 

てくてく、ゴロゴロ。あまり速く進めない。クルマは通るが人は少ない志布志の目抜き通り。

 

 

ソテツが茂る市役所もあった。

 

グーグルマップではイタリアンのお店がありそうなのだが、それらしいお店が見当たらず・・・。

 結局、イタリアントマト・Cafe Jr.に戻り、そこで昼食をいただくことにした。

Cafe Jr.は蒲田サンライズ商店街にもあり、志布志に来てまで利用するのは何か敗北のような気がしたが・・・広大な志布志の地、ほかに食事できそうなお店が見当たらないのであった。

 

ホットドッグとアイスティーをいただいた。

 

 
いつも通りのホットドッグは、とても美味しかった。
このカフェの入っている商業ビルにはさまざまな店舗があるようで、「占い」やら「ヤマハ音楽教室」やら「英語教室」などが混在していた。中央の広場のようなところではまるでフリマのように出店を出して何かを売っているがお客は少なく、従業員同士で楽しそうにトークを行っていた。
 
落ち着いて食事をすることができた。アイスティーの残りを氷ごと水筒に入れ、ホットドッグを半分残して弁当箱へ入れた。行きの道中はチーズケーキを入れていた弁当箱である。
 
食事を終え、トイレをすませ、濃い影と一緒にカートを引きながら駅に戻ったら、さきほど舗道の上で寝そべっていた若者が警察官に囲まれていた・・・
 
・・やはり志布志でも道に寝そべってはいけないようであった。
 
 
 
時刻表通りに、また大きな路線バスが来たので乗り込み、空港に向かう。
 
空港までの1時間50分間、トイレにも行けないのかぁと思うと緊張するが、ほどなく眠ってしまった。
バスは、ごとごとと、山をのぼったり下りたりした。途中の道で、錦江湾が近いことを感じさせる看板があり、目を凝らしてみたが錦江湾は見えなかった。
 
少し客が増えてきた。女性客が多い。
 

トイレが近いわたしは、この日、あまり水分補給をしないようにしていた。
だが、暑くなってきて、空港まであと40分程度になったので、水分を解禁することにし、さっき詰めたアイスティーを飲んだ。氷が入っていたのでとてもおいしかった。弁当箱に詰めたホットドッグの残りも食べた。
 
鹿児島というのは都会だなと思わされるが、とくに国分というところは都会っぽいんだなと感じた。
オシャレなホテルというか、まるでインターナショナル・カンファレンスでも出来そうな建物が見えた。スーツ姿の女性2名が乗り込んでくる、すらりとして、仕事が出来そうだ。その洗練ぶりに、空港が近いことを感じる。
 
滞りなく鹿児島空港に到着した。まだ時間に余裕がある。スマホを充電したくて、ロイヤルホストに入った。
 

 

なんかずっと食べてばかりいるようだが、前回のこともあるので、腹ごしらえをしておこうと思ってしまう。

 

この日は帰りもスカイマークであった。
 
前回のような遅延もなく、無事に帰宅できた。
 

 

その後、知ったことだが、なにやら工事中だった串間駅の駅舎は、新しく素敵な感じになったそうだ。

 

呼ばれている、串間に。

呼ばれている、串間に。

 

というわけで、三度目の旅も予定されている。こうご期待。

 

 

串間の滞在中は、いろいろと心を動かされることが多かった。

受け取るのはたぶん世界でわたしだけしかいないのだろうと思われるGiftを受け取った。

 

ひとの顔は前側についており、自分の背中を見ることはできない。だから、あとから知るのである、自分には尻尾があり、その尻尾はどこかに続いて、誰かにつながっているということに。きっと誰もが尻尾を持っており、その存在を信じられるとき、自分の小ささや透明さに気づき、小さく小さくなれるのだ、おりこうさんになれ、末っ子ちゃん。

 

 

そんなふうに心もじゅうぶん動かされたが、布団を捨てたりゴミを捨てたり、身体も動かされた旅だった。

 

東京に戻ってきてから、左手が少し痛むことに気づいた。串間で骨折でもしたのかと思ったが骨には異常なかった。腱鞘炎と診断された。

 

なかなか痛みがひかず、結局手術した記事はこちらである。

 

ekiin.hatenablog.com

 

・・・やっぱり、串間で力仕事をやったせいだと思うなぁ・・・。

 

これもGiftなのか!?

 

 

以上。

 

串間への二度目の旅の行き返りの記録、でした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

◆松岡宮からのお知らせ

 

 

新曲リリースされます!!

2023年6月18日

「水槽列車」

「いわき2019」

同時にサブスクリリースです。

 

ヤッター!!

 

「作曲・J.S.Bach」とか書いたサブスク申請がRejectされないでよかったなぁ・・・。

 

リリースしたら、サブスク環境の方は聴いてみてくださいね。

 

楽曲の説明と、サブスクへのリンクはこちらです。

 

big-up.style

 

big-up.style

 

よく考えたらどちらも鉄道の作品ですね。

 

なお以下のBandCampでは既に試聴できます。

いちど聴いてみてね。

 

miyamatsuoka.bandcamp.com

 

 

Amazonでも松岡宮のCDが買えるようになりました。

そこそこ売れているようでありがたいです。

お求めの皆さまありがとうございます。

LimitedExpress383

LimitedExpress383

  • アーティスト:松岡宮
  • Candy Recorder
Amazon

 

メロンブックスさんでもこちらのCDを販売しています。

 

メロンブックスさんってすごい品ぞろえですよね・・・ぜひチェックしてみてください。

 

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1859970

 

これからも素敵な作品を作り続けてまいりたいと思います。

おっぱいぷるんぷるん。

 

 

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

 

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デザフェス57出演してきました

むかでだよ。

 

 

少し前、むかでをテーマに、こんなショート作品も作りましたっけ・・・。

閲覧注意。

 

youtube.com

 

ちなみにこの作品の歌詞は別の人です。

 

風林火山とか、わたしには無い発想・・・なんのことだ!?

 

 

デザフェスライブを控えたある日。

 

ライブ前は毎日スタジオ練習に行くのですが、蒲田周辺にあまりスタジオがなくて困っています。

 

それで、川崎のほうで探そうと思い、川崎のアイオンスタジオというところに初めて行ったら・・・なんと無人スタジオでした。

 

監視カメラでセキュリティチェックしているようですが、スタジオもセルフの時代なのですね。

ちょっぴり、怖い、と思う自分もいましたが・・・でも使いやすさはピカイチ。

 

アイオンスタジオ、こちらの写真です。

2畳ほどのボーカルブース、30分で400円。

 

最近はスタジオが取れないことも多いのですが、ここはとにかくすいているので、穴場だと思いました。

 

 

そんなわけで5月21日のデザフェス57 二日目 パフォーマンスエリア

出演させていただきました。

 

日曜日、ビッグサイトは、いいお天気。

 

午前中に準備や最終稽古を行い、12時ごろ出発。

今回は、演出で長いものを持っていたので、運搬がちょっと大変でした・・・。

 

 

なんとか、かんとか、一人で搬入。

会場には14時ごろに到着しました。とにかく暑い日で、日差しがもう夏のよう。

 

出演が17時ごろで、30分くらい前に到着すればいい感じなので、時間はあります、

 

あちこちめぐりました。

 

これは、ノーウェイマニアックスの森さんがライブペイントしていたブースの一部。

 

 

ノーウェイマニアックスは、小型版のデザフェスみたいなもので(?)7月9日に蒲田アプリコで行われます。

わたしも事務所グッズや串間の逸品などを古物商として販売します。

 

出展者募集中とのことなので、ブース出したい方はぜひ。

 

 

今回は、とにかくどこにいっても人数が多かったです。

暗いエリア、明るいエリア、どこに移動するにもエスカレーターが行列し、トイレも混んでる・・・

でも明るく前向きな雰囲気のなかに身を置くのは、イイものですね。

 

ショーステージを上からみたところ。

ここでやったこともありますが、今回は、小さめのパフォーマンスステージというところです。

自分が、出展者のなかに身を置いていることが、とてもうれしい。

 

 

5階の楽屋で準備をしました。

 

楽屋にて。

 

楽屋には、電源、鏡、ハンガーなどがあります。

男女別で、女性が2部屋、あったかと思います

 

 

いつもお客さん少ない~と嘆く松岡ですが、今回は知人がたくさん見に来てくださいました。ありがたい・・・。

 

FICEのえんちん様が、観に来てくれて、写真を送ってくれました。

 

この1枚でなんとなく伝わるものがあります。

 

左のシンバル乗せたスタンドが開始直前におもいっきり倒れて・・・笑えました・・・お客さんたちがわらわら集まって、直してくれたり・・・あいかわらずだな・・・。

 

楽曲は以下です:

緊急地震速報の夜に」、この曲はもっともサブスクで売れているのでやりましたが、そのままでは歌えないので、訓練です、訓練です、と歌詞を変えて唄いました。

「それはどこまでも深い大江戸線たくさんご一緒させていただきましたFICEのファンの方には、馴染みのある曲だったようで、なんとCDも買って下さって・・・ありがたや!こういう定番曲も入れておいて良かったです。

「光が丘公園を小野さんと歩く」2番のみ。区役所の累積医療費詐欺の電話の音声だけは流したいと思って、2番のみを入れました。

「VESPA!」デザインフェスタっぽい曲だなと思って、前回に引き続き、入れました。今回も「スズメーバーチー」で一緒に踊ってくれる人がいるので嬉しかった。

「いわき2019」・・・やや場違いにも思える、この5分くらいあるシリアスな曲を入れたのは・・・やっぱり、3.11のことを忘れないようにという思いもあったかもしれません・・・自分でもこの曲が好きというのもあって・・・無理してフルで入れました。

 

 

本番数日後・・・

Spotifyの人気曲に、演った作品がそろって入っていました。うれしいですね。

ご視聴の皆さま、ありがとうございます。

ちなみにVESPA!といわき2019はサブスクにありません・・・。

 

 

ライブを通じての感想:

歌詞は間違わず、すっ飛ばさず、安定して声を出せました。歌詞間違いは無かったので及第点というところか・・・。

セットが倒れたりしたのもそうだけど、もう少し落ち着いて出来たのでは・・・という反省も・・・でも「訓練」の段ボールはとても良い道具だったと思う。

オケの音量が小さいな・・・と思って本番中に「オケ下さい」と何度か言いました。音との兼ね合いは少し心残り。

髪は束ねた。声の状態はそれほど悪くなかった。本番がいちばんよい出来だったのでは・・・。

CDはそこそこ売れてくれた。事務所の不要布を使ったオリジナルバッグ(ざつなバッグ)を作ってブースに立ち寄られたみなさんにお配りした。意外と好評だった・・・?ありがたい。

これからも販売イベントの時は「ざつなバッグ」を作るのはいいアイデアかも。

お客様から「笑顔なのがいいですね」という感想。

そして帰りしな、偶然お客様と会って、荷物を持ってくださった・・・棒とか。すまぬ。

 

 

 

なんだかんだ精神的に余裕が足りず、あまり買い物は出来なかった・・・Think Different Rainbowの名刺のブース、キーホルダー的なものを購入した。

 

デザフェスで買ったものはいつも宝物になる。

お菓子は差し入れなど。ありがとうございます。

 

帰宅後、「いわき2019」のCDシングル、残ったので、BASEで販売することとした。

 

383.thebase.in

 

 

そして・・・続きがある。

 

翌日、会場で聴いていた方から、「いわき2019を聴きたいが、CDを再生する機器を持っていないのでDL販売してくれないか?」という旨の連絡をいただいた・・・

 

なんと、ありがたいなぁ・・・と思うと同時に・・・CD再生できない人がいることを想定していなかった自分が恥ずかしくなった・・・昭和生まれだな・・・。

 

あわててBandCampとBASEにて、ダウンロードできるようにして、その方に返信をした。

 

miyamatsuoka.bandcamp.com

 

 

383.thebase.in

 

すると、すぐに購入していただき、ありがたい気持ちになった。

 

あまりデザフェス向けとはいえないこの作品が印象に残ったという方がいらしたこと、嬉しかったし、やった甲斐があった!

 

以上です。

 

今回は前回ほど、せっぱつまった感じがなくて、ほのぼのと終わった気がします。

 

ライブの予定はありませんが、今後は作品をたくさんたくさん書いてゆきたいと思います。それから手芸がんばります←突然どうした

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

ライブ見て下さった皆様、ありがとうございました!

 

 

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

 

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デザフェスでシングルCDを販売します

東京ビッグサイトのデザフェスも、いよいよ今週末、もうすぐですね。

たのしみ~。

 

designfesta.com

 

 

わたしは5月21日(日)17時ごろから、南4階の室内パフォーマンスエリアで

ライブさせていただきます。

 

わたしは外見がいちばん地味です。

 

いろいろ準備に追われていますが・・・

今回、はじめてシングルCDを製作・販売することにしました!

 

作品は「いわき2019」。

ボーカル入りのほか、カラオケも収録。

「いわきぃー♪」と歌うのだけど、題材は富岡駅がメインなので、副題は"Tomioka Sta., 2019"にしました。富岡のみなさん、すみません。

 

 

音も装丁も手作りの拙いものですので・・・アルバム「Limited Express 383」をお求めの方&お持ちの方には差し上げます。

それ以外の方には500円で販売します。

 

部数が少ないですので、無くなったらごめんなさい。

 

昨年のAPIA40でのライブが初公開となったこの作品、自分では好きな作品のひとつで、デザフェスで出来ること、とても嬉しく思っています。

 

CDシングルにはカラオケも収録されていますので、なんかいろいろ使ってもらえたらいいな・・・。

 

 

また、福島県公式「来て」ポスターが事務所に届きました。

自分のアルバイト先にも貼ってあり、見るたびにいいなぁ、と思っていたポスター。

近くで見て、感激です。

 

写真は広野の踏切と海。

 

海はいつもこんなふうに優しいのに、ときに津波となって陸地に押し寄せる・・・そんな自然災害の怖さを忘れず・・・事務所として、福島を応援したいと思います。

 

福島のあちこちに、また行くぞ。

 

 

関係ないけど関東鉄道協会のポスターはやけに楽しそうにみえる・・・

その黒目、その黒目。

 

 

串間への一度目の行きと帰り

JR九州のウェブサイトより、日南線

 

串間市は宮崎県の南端の市。

日南線串間駅」が市のメインステーション(であるように思う)。

そんな串間に45年ぶり(!)くらいで行かねばならない用件が出来たのは、2022年秋のこと。

そろそろ来る事態だと覚悟はしていたので、驚きはなかった。

ただ、あまりに遠く、なじみのない場所であった。淡々と、羽田から宮崎空港までの便および宮崎空港からのアクセスを調べた。

 

いつもながら飛行機代の高さとその価格の変動ぶりには驚くのだが、羽田―宮崎空港の間の便は、もっとも安いものでも片道1万5千円くらいであった。なお、自分が飛行機を選ぶ時の基準は価格である。

 

行きは、以下のように、「ソラシドエア SNA051便」に乗ることになった。

 

 

 

6時50分離陸。ずいぶん早朝。

だけどわたしは大田区民。羽田空港までのアクセスは他の人より良いはずなので、我慢しようと自分に言い聞かせる。

 

羽田空港までどのように行こう?家から徒歩15分程度のところに空港リムジンのバス停があり、それに乗ってゆこう・・・と思っていたが、ふと気づいた。「東急の蒲田駅まで電車で行き、京急蒲田まで歩き」、京急で空港に行く方が「安くて早い」ということに。

 

なお、東急・JR蒲田駅前からは空港行きのリムジンもあり便利である、が、安いというわけではないので、今回の選択肢からは外れた。

 

 

上の、大きな文字にした「東急・JR蒲田駅」から「京急蒲田」までの約800メートルの距離を結ぼうというのが、いわゆる「蒲蒲線」である。

 

www.city.ota.tokyo.jp

 

大田区の悲願といわれ、東急も乗り気の計画。東急多摩川線を地下化して京急蒲田につなぐという案で進められている。だから「蒲々線」ではなく「蒲蒲線」と書くのだろう・・・「この蒲とその蒲は同じ蒲ではないのだ」という意味付けのために。

 

2023年4月、区長選があった。

4期つとめた松原忠義区長が勇退を発表し、新人3名が挑んだ。

賛成(継承)派の鈴木氏と慎重派の2名が立候補し、賛成(継承)派の鈴木氏が僅差で当選した。

区民の半数以上は慎重派であることもうかがえた区長選であったが、鈴木氏の勝利により、蒲蒲線はこのまま進んでゆくのであろうと思われた。

しかし実現するにしても数年以上は先の話であり、現時点では東急・JR蒲田から京急蒲田までは歩かねばならない。

 

 

朝まだき。

飛行機に乗り遅れたら大変なので、スマホ2台のアラームをかけ、朝は4時40分にちゃんと起きられた。冬に近づく季節の4時台は、いちばん深い闇の色をしている。
 
12月。夜明け前の旅立ち。静謐な地上駅に、ことさら静かな音を立てながら短い編成の列車が来る。
夜明け前の列車はすいているが、思いのほか高齢者が多かった。働く高齢者であろうか。
どこへ。どこへ。高齢者たちは、ここからどこへ。

 

そして一駅、東急蒲田で降りて、京急蒲田へ、歩く道。

800メートルの、欲と悲しみの経路。

 
・・・そこのお兄さん、居酒屋 カラオケ いかが?
 
さっきまで呼び込みの声がにぎやかだったであろう繁華街も夜明け前はシャッターに囲まれて、欲のなきがらを詰め込んだゴミ袋だけが転がっている。猫も寝ている夜明け前の蒲田。
 
 
ガラガラ・・・ガラガラ・・・
京急空港線に向かう人がカートを引きながら蟻のように行列する。
わたしもそのひとりである。
知らない人であるが、同じ目的地に向かうことは明らかであり、どこか親近感を覚えつつ、眠っている「あすと商店街」を、みんなでゴロゴロ、みんなでゴロゴロ。
飛行機までの、少しのつなぎ目を渡る旅人の群れ。
 
こんな風景も、蒲蒲線が出来たら、見られなくなってしまうだろう。
 
歩くこと10分弱、要塞のような京急線に乗り込む。
 
 
ソラシドエアは第2ターミナルにあるので、第2ターミナル駅で降りる。
時計が朝の6時1分をさす。
眠い。
 
 

羽田空港は早朝でもそれなりの賑わいがあった。特に、北陸新幹線が福井にゆくということで大きなキャンペーンを張っていたので、しみじみと見入ってしまった。

 

 

よく考えたら、新幹線は空港のライバル。

ここにこうした広告を張ることは、移動する人へのアピールとして効果的であろう。

そして、わたしはやはり鉄道のほうが好きだな・・・できれば飛行機ではなく鉄道に乗りたい・・・そんなことを思う。

 

恐竜で町おこし?福井の駅員キャラたち。

制服を着こなしているがどうなっているのか物理的によくわからん・・・。

 

コロナ禍もおさまり、だいぶ飛行機も復活してきた。

こんな朝早くに、北へ南へ向かう飛行機がたくさん出ていることを知った。

 

 
早起きでぼんやりした頭で保安所へ。
安全検査で指摘されたのは・・・なぜそんなに詰め込んだのかと思うのだが、モバイルバッテリー、4個。
確かに、結果的にはひとつでよかった。
 
そして、いつも持ち歩いているポーチに入れていたかわいい鋏がまたしても没収された。ああ、いつも預けるのを忘れてしまい、没収される、かわいい鋏。じっと手をみる、こんなちんまりした手で、こんなかわいい鋏で、何も危険なことはできそうにないのだが、決まりなので仕方がない。だが、すこし悔しい。
羽田空港の裏手には、没収された鋏の塚が出来ているに違いない。
 
荷物をゴロゴロ引いて500番出口を抜けると、そこには飛行機ではなくバスが待っていた。ソラシドエア―はバスに乗って搭乗することが多い。意外と混雑したバスに乗って数分。小さめにみえる飛行機のなかに乗り込む。座席は比較的前方。
 
ゆっくりと飛行機が動き出す。わりと混んでおり、狭苦しい。低血圧の自分が慣れない早起きをして、どこかけだるい気分の朝。
離陸までの徐行の数分間、あいつがやってくる。持病の閉所恐怖がやってくる。同じ病を持つ方であればわかってもらえそうだが、こういうときの精神というものは本当にどうしようもないものだ。抑える間もなく何かが飛躍して恐怖を先取りして、震えが訪れ、わけがわからない。やけに冷静な自分がそこにはいて、このことにはなんの根拠もなく、わけがわからず、到着してしまえば笑い話であることも了解しているのに、それでも圧倒的な何かに包み込まれる自分が飛行機のなかにいるのを飛行機の外からぼんやり見ているような自分を感じる・・・今こうして自分の部屋でそれを思い出して書いてもあの気分には届かないのだが・・・そしてそれが服薬によって直るのも了解しているし、何なら服薬しなくてもたぶん収まることも了解している、松岡先生の授業でもそう言った・・・。だが今回のそれは少し程度が強い気がした・・・朝は苦手すぎるし、あー、やだやだ、離陸前の飛行機内はいちばん苦手・・・BZP系の薬物も持ってはいたが、とりあえずなんか飲もうということで、頭痛薬を飲んだ。そして小さな飛行機が離陸すると、自分のなかのそれはいつも収まるのであった。ふわー、ふわー、身体への直接的なGの刺激が、いわゆるパニック発作を止めてくれるような印象。どうしてこんなにバカなんだろう、わたしの身体というものは。
 
 
 
実母(千葉県いすみ郡出身)は飛行機が苦手であった。小学生の数年間、われわれ一家はジャカルタに住んでおり、日本とジャカルタを行ったり来たりしたが、わたしとよく似た母は機内でいつも具合が悪くなった。
母もわたしと同様、乗り物に酔いやすいということもあろうが、閉所恐怖、パニック発作もあったのかもしれない・・・なぜなら、母方の叔父も高速道路が苦手ときいて・・・そういう、神経質で不安の強い気質が似ているのではないかと推察したのである。
 
追憶に浸りながら、少しだけコーヒーを飲んだ。もう何も怖いものはなかった。少し寝ようかと目を閉じているうちに着陸態勢に入り、飛行機はあっという間に宮崎空港に到着した。
 
愛称「ブーゲンビリア空港」というらしい。
不思議なキャラクターが出迎えてくれた。
 
 
ブーゲンビリアの花も飾ってあった。
 
 
以下は日南線の路線図である。
 
本来であれば、串間駅まで日南線で一本なのであるが・・・
 

・・・このときは秋の台風の影響で、日南線の南郷ー志布志間は不通となっていた。

(註:2023年3月15日に全線復旧したそうだ)

 

よって、南郷から先は代行バスに乗ることになる。

結果的には「宮崎空港」ー「油津」までは列車で、「油津」から「串間」までは代行バスで向かうことになった。

 

それにしても都民のわたしは知らなかった・・・・9月にすごい台風が来て、それで電車が不通になったということを。ニュース映像をみると、南九州特有のシラス台地が崩落しやすさにつながっているのではないかという声もあった。地質が違うのかと、それも新たな発見であった。

父の故郷・九州はあまりに遠くなってしまい、宮崎空港から先の鉄道路線がいまいちわからない。事前に兄がいろいろ調べて薦めてくれたとおり、タクシーに乗って、ひとまず最寄りの「田吉」という駅に向かうことにした。

 

 

田吉駅は、田園にたたずむ島式ホームの小さな駅であった。ビニールハウスがぎらりと輝いていた。

 

南方らしく草原のあちこちにヤシの木が並ぶ風景。新鮮な空気を吸い込む。宮崎ではあるが意外に寒い。飛行機の鈍い飛翔音がひっきりなしに降る駅からはビニールハウスとコスモス畑がみえる。鳥の鳴き声がひっきりなしに響く。
 
最初、駅にも周辺にも誰もいないので、本当に列車が来る駅なのだろうかと心配になったが、しだいにだんだん人が集まってきた。なぜか比較的若い女性ばかりだった。
 
やがて大きなカラスが、つややかな背中を見せながら、ふわりと線路に乗った。
都会と比べて食べ物は多いのだろうか?
 
カラスの黒い翼に誘われるように延岡行きの列車が来た。
延岡は北の方向なので、逆だ。この列車に乗ってはいけない。

 

 
そしてもう1台、白い列車がやってきた。そういえば単線区間であり、この田吉駅ですれ違うのだろう。
 
延岡ゆきの列車の扉から濃い顔立ちの運転士が顔を出したので、「串間行きはこれではないですよね・・・?」といちおう確認した。すると、「串間・・・」、運転士の眼鏡の奥の目が心配そうな色をみせ、何ごとか確認のあと、白い列車に乗るようにわたしに指示した。
 
そのとき、なじみのない鉄道員の制服のイメージがふわっとこの身に押し寄せた。ああ、これが、JR九州の制服か、近未来感のあるその制服には不思議なラインが引かれている(←とメモにあるが、何のことだろう・・・)運転士の身体から漂うものは不思議な柔らかみと宇宙の広がり。鉄道員が見慣れない制服を着ていると、遠くに来たことを実感する。
 
ひとまず串間方面まで向かう列車に乗れて、ほっとした。
日南線の列車の真ん中付近、トイレの真横のクロスシートに陣取って、ここから先はパラダイス。タイムマシーンに乗って日差しの海へ、ガコンガコン。
 

九州だから暖かいというわけにはいかず、少し寒い日だった。
 
すぐに、ガッコン、ガッコンと体が上下するのを感じた。
なんて激しい揺れだろう。体が上下に踊らされるのを感じるが、それが気持ちよい。
椰子の隊列が「ようこそ宮崎へ」と出迎える
背の高い絵筆となって空に雲の絵を描く。

孤独な長身の椰子たちは互いに触れられないが見つめることで仲間と風の会話を交わす。

「運動公園」という名の駅に停まった。
この駅の遠景は何か自分の原風景を感じさせた。
 

波はいつまでも打ち寄せる
青島街道に沿って 太陽がやっと目覚める
しだいに晴れてきた空のもと、咲く花の黄色が勢いを増す
ガコン ガコン ガコン 
上下 左右に激しい揺れを感じさせる日南線はまるで体感型アミューズメント

日南線の窓から見える光

父の故郷は父のような風が吹く

やさしい湾の終わらない白波

 

 
バシバシと窓を叩く枝木、窓は閉まっているのに思わず顔をしかめてしまう
よく伸びた木々の枝がたくましく電車の窓や車体を叩いてゆく
植物の成長は早すぎて人間のいとなみをやすやすと超えてゆく
生きた林の手先をすりぬけ白い列車もいさましく走る
南へ
南へ
串間へ!
 
下の写真、ソテツの葉っぱがブワンブワン!

そうなのだ、これが九州という感じなのだ。

 

列車に揺さぶられながらだんだん無心になってゆく自分に気づく。最近、飛び込んでくる情報が多すぎて疲弊していた。こちらの何かを利用しようと近づいてくるメッセージが山のように届き、アンテナを張っている触角に火をつけられ、加速し、燃え尽きて、崩壊するような日々であった。何も考えず、日南線に揺られていたい。いや、トイレに行きたい。
むかしは列車のトイレも穴があいているだけで線路が見えたなぁと思いつつ、さすがに今はそんなトイレではなかったが、用をたすことができた。
 
旅に出るとトイレが使えるときには使うものだという習性が身についた。
 
難しい駅名が飛び込んできた
飫肥(おび)」

新しい街には新しく覚える街の名前がある。だけど歴史ある地名らしい。

 

 

そして、ガコンガコンと揺れながら、白い列車は「油津(あぶらつ)」という駅に到着した。

ここから日南線代行バスに乗り換えるのがよさそうである。

下車して少し待つ。

 

 

それにしても油津という駅名のコッテリした印象よ。

Avuratsu(アヴラツ)と呼ぶことにしよう。

 

アヴラツ駅は広島カープのキャンプ地らしく、赤一色のカープ駅であった。

 

日南市観光キャラクターは、禿頭のおっちゃんだった。
頭頂に華やかなピンクの花を咲かせている。
わたしがここに来る理由となった人にも似た笑顔であった。九州のおぢちゃんの優しさは海のようだと思う。
 
それにしても「代行バス」、またこの響きをきいた。最近、代行バスが多くないか・・・。
 
福島の、震災・津波および原発事故被害による常磐線代行バスを思い出す。
(以下の1年前の記事の最後に代行バスの詞を掲載しました)
 
鉄道がスムーズに走らないこともあるのは、現代の常識なのかもしれない。
それでも代行バスがあることは、2つの地点を結ぶ、ありがたいことなのであった。
 
ここは赤い駅。アヴラツ駅。
 
にちなんぢゃ様と対話しながら油津駅で待っていたところ、11時ごろバスが来た。
「油津から串間まで」と告げると
「660円です」高齢の運転手が静かにうなずく。
 
そして、代行バスの乗客はわたしだけだった。
 
わたしだけなのか・・・・
 
ということは、わたしが乗らなかったら、空気を運ぶことになったのだろうか・・・。
地方都市における公共輸送の限界を少し感じ、だからこそこのバスに乗れる希少な幸福をありがたく思った。
 
ドルルル。
わたしだけを乗せたバスがゆるやかに発車する。
少し眠気がやってくる。
 
やがて通りがかった南郷駅はライオンズのキャンプ地のようであった。スポーツニュースで「宮崎キャンプ」という言葉を何気なく聞いていたが、こんなふうに地元では野球チームが歓迎され大切にされているのだと実感する。
 
 
バスが曇天の下を南下する。風景に、人間の姿が少ない。
日差しがガンガン入ってくる車内は暖かであった。この旅が夏でなくて、よかったのかもしれない。
 
うすぼんやりした思考の奥で難しいことを思う・・・日本の交通機関は携帯電話での通話を禁じているけれど、土地勘のない場所で、あるいは交通が便利でもない場所で、友人とかでない知人との連絡が大事なときがある・・・心身に障害のある人こそ、 慣れない移動のさいには通話できることが助けになるだろう・・・だから交通機関内での携帯電話での通話はOKになってほしいと・・・誰もいないバスの中で考えたのだ。
 
波はいつまでも打ち寄せる。
 
先に述べた福島の「富岡ー浪江間 代行バス」の車窓には壊れかけた店舗の風景がみえて切なくなったが、それは日本の地方都市によくみられる風景でもあった。原発事故がなかったとしても、この九州でも壊れかけの店舗や家がそのままになっていることは珍しくないのだ。そしてそれはもはや、他人事ではないのだ。
 
 
人の営みは途切れても 草の成長はとまらず 木々はその背丈を伸ばし 波はいつまでも打ち寄せる。人間は苦労して自然のなかでやっとのことで生かされている。危ない橋を渡っている。
 
 
うたたねのバスの旅、気づいたら串間にいた。
朝いちで都内を出発し、昼の12時ごろに到着できたのであった。
 
 
45年ぶりの串間は・・・ああ、こんな駅前だったでしょうか。

何もない、わけではない駅前。

 

そこからのことは以下の記事にも書いた。

 

ekiin.hatenablog.com

 

滞在時のことは省略する。

 

以下は東京に戻ったときの記録をのこす。



 
コンタクトレンズを片方紛失し、メガネと裸眼でやりすごす旅の終わり。

 

串間駅のそばには立派な「道の駅」があり、休憩したりトイレに行ったり軽食をいただいたりできる。とても役立つ場所であり、お気に入りの場所となった。

東京に帰る日も、道の駅のベンチに座り、代行バスを待ちながら持ってきたパンで栄養を補給した。

 
大きな街の駅の建物のなかに、机と椅子を備え付けた開放的な広い空間がある。小学生か、中学生か、学年の違う3人の女の子が並んでおしゃべりをしながら勉強している。わたしのほかにはあまり人間のいない空間で、そんなふうにおしゃべりをしながら(もちろん無料で)ノートを広げられる場所があることが、豊かであるということかもしれない。
 
トイレを済ませ、荷物をかついで串間駅に向かい、宮崎空港駅までの切符を買った。
 
さよなら串間。
行きと同じく代行バスの先頭座席に乗りこむ。
 
今度は南郷駅までバスで行く予定である。
 
森と同化した線路の鉄橋の下をくぐるとき、不通となっている日南線の不在を思い、列車が通らなくなった線路付近があっという間に濃い森に変わってゆく自然の脅威を背中に感じた。そんな自然のなか、やっとのことで生活は成り立つ。
 
人間は苦労して自然のなかでやっとのことで生かされている。危ない橋を渡っている。(←2度目)
 
東京よりも遅い日暮れ。
南郷に到着した頃には、空が夕焼けで燃えさかり、雲が不思議な模様を描いていた。
 
 
 
南郷駅から「マリーン号」というしゃれた名前の優等列車に乗ったが、それは1両編成、ワンマン運転普通列車であった。車内にトイレがあったので、ほっとした。
 
車内は暖房がよくきいており、ガッコンガッコンと相変わらず気持ちの良い揺れに包まれ、思わず寝てしまった。
気づくとまわりの乗客もみな寝ていた。
 
ーやすらぎの日南線 いつまでも走っていてー
ー夜に向かう揺り篭の日南線は青島街道を 北へー
 
 
窓の外はとっぷりと暮れ、岬にともる明かりがゆらゆらとその生存を示していた。
 
優等列車らしく青島までは通過する、その長い駅間、暮れる車窓に目を凝らす。光が無いと何も見えないとき、心の視覚を使う。夜になっても波は打ち寄せていることや、そこに生きている自然が存在していることが、恐怖と希望の両面をもったリバーシブルな仮面のように迫ってくる。こんな自然のなかに溶け込んで生きることができたら、それは幸せであろうか、森に暮らすニンゲンになるのは、どうだろうか、と、妄想に入り込むわたしの脳裏に、若い運転士がときおり鳴らす警笛が響き、現実に戻る。
 
日南駅を過ぎたあたりで列車は混んできた。
 
旅の新鮮な風景が日常になれば旅は終わりだ、お別れだ。
 
 
 
最後に立ち寄った南宮崎駅は、想像以上に大きな駅だった。
 
これは・・・ななつ星
やはり格調高く、かっこいい列車である。
 
特急にちりん11号で、宮崎空港に行くことにした。
 
静かに滑り込んできた「にちりん特急」はグレイカラーが堂々たる特急列車であった。
南宮崎から空港まで、自由席なら乗車券でOKらしいのでほっとして乗り込む。
 
遠くに旅をしているとき、帰りの飛行機に乗るための空港に到着できると、ほっと安心する。
この時も、にちりん号の通路に佇みながら、旅が終わったかのように疲労しつつも安心して、短い宮崎の旅を反芻していた。
 
すっかり宮崎の交通に詳しくなった気持ちになり、さあ、宮崎空港に到着だ。
 
からくり人形が旅人を出迎える。
ゆっくり空港を楽しむ間もなく宮崎空港の保安所に向かう。
 
この地で買ったハサミはなんとか預けられたのだが、モバイルバッテリーを預けることができないので、重たいモバイルバッテリーを担ぎつつ、お土産を買う。
 
帰りはANAだった。片道25360円。宮崎から東京に向かう最終便である。
 

 
しかしアクシデントが起こる。
22時羽田到着のつもりでいたが、どうやら飛行機が遅延しているらしい。
 
案内板をみれば、20:20発の予定が21:50発となっている。
1時間30分の遅れか。
羽田空港には23時半の到着を予定しているとのアナウンスに、待っている乗客がざわざわと動揺する。
 

最終便で東京に向かう人は多く、スーツ姿の人々がざわめきながら、サンドイッチを食べている。わたしもなんか食べたい・・・そう思って売店にゆくが、夕食になりそうな品物はすでに売り切れとなっていた。

おにぎり、サンドイッチ・・・そんなものはすでになく、箱に入ったきらびやかなお菓子やお土産が売られているだけだった。

 

そのとき、<ANA618便ご搭乗のお客様にご案内します・・・>とANAからのアナウンスが入った。

遅延への謝罪のあと、「お食事券をお出しします」とのことであった。

すぐに長い行列ができ、わたしもその列に並んでみると、女性の職員が頭を下げながら茶封筒をうやうやしく差し出した。このなかにお食事券が入っているのかと思って封筒を開けてみると、そこには日本銀行の1000円札が入っていた。

 

せっかくなのでお食事券を使おうと思って売店をめぐったが、もう食料はスナックくらいしか売っていなかった。

 

夕食用に、おつまみ鶏皮スナックを購入した。

 

 

「これ、夕食」

 

兄や姉にラインで連絡をしながら、鶏皮スナックをぼりぼりかじった。

そんな夕食は、すぐに食べ終わってしまった。

 

毎晩、英会話をやっており、この日の夜間も英会話の予定を入れていたが、仕方なくキャンセルした。強迫的な自分は英会話レッスンが途切れてしまうことに抵抗があったが、このままでは日付が変わってからの帰宅になると思われ、どう考えても時間が取れなかった。

 

夜のガラスに映る自分の顔がやつれて、ずいぶんすさんでいる。

ガサガサの指先。重たい荷物。ぼさぼさの髪。宿題が増えた生徒のような重たい顔、あるいは人間の世界から離れつつあるような遠い顔をしている。

 

あとでたくさんご飯を食べて、少しだけ人間の世界に戻らなくては・・・そんなことを考えていた。

やっぱり、人間界を離れては生きられそうにない。

 

 

そんなわけで日付を超えて自宅に戻った冬の旅は終わった。

だがそれはあるひとつのプロジェクトの始まりであり、これから何度か行くことになるだろうと思われた。

 

あとから知ったことだが、鹿児島空港にゆく飛行機のほうがはるかに安価に購入できることがあるのだった。

 

・・・よし、次回は、鹿児島空港から行こう。

 

そう決意した。

 

そして数日後、宅急便でお土産が何箱も届けられた。

 

(続く)

 

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◆松岡宮からのお知らせ

 

◆ライブ!

 

5月21日(日)デザフェスの「パフォーマンスエリア」ライブ出演します。

ビッグサイト南館4階です。

 

(↓)前後の方々も面白そうで、楽しみです。

がんばるぞー。

 

メロンブックスでCD販売

メロンブックスさんといえば萌え系のかわいい女の子の本が買える場所・・・。

そんな中に場違いと思いますがCD販売していただいております。

よかったら、ご覧くださいませ。

 

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1859970

 

◆新作をたくさん書いています

 

主にYoutubeショートなどに、短い新作をバンバン書いています。

早く作るのも、訓練だと思って・・・。

 

www.youtube.com

 

他人の詩に曲をつけることも、少し、開始しています。

 

自分の製作技術が人のためになると思うと、嬉しいですね。

 

これからも皆様に愛される作品を書き続けてまいりたいと思います。

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

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初~中級者のオンライン英会話1周年の記録

 

 

 

2022年4月からはじめたオンライン英会話。なんとか1年続いたので、その記録を残す。

 

1.背景

 

自分の実力は・・・初~中級くらいか。

 

「英語」は苦手意識があり、好きではなかった。

勉学の厳しい高校におり、講義についてゆくのに精いっぱいだった。

学校の英語の成績は「良くもなく悪くもない」という感じであり、なんとか東大理科Ⅱ類に受かったのでまったく出来ないわけでもないのだろうが、友人たちが能動的に英語を使って活躍しているのをまぶしく見ていた。

 

20代半ば、とある国立研究所・・・まあ、NCNPであるが・・・3年間だけ研究職をすることになった。研究職に英語は必須であるが、自分の英語力は使い物にならないことを実感する。英語が苦手すぎて、先行研究を読むだけでも苦労の連続だった。まして執筆などは考えられないレベルにいた。研究所の仲間たちは、こんなに英語に苦労をしていないように見えた。それでも研究所での日常会話は日本語だったので、なんとか任期を過ごすことができた。

 

その後、確かに何本かジャーナルに英語で論文を書き、博士論文も英語で書いたが、それらはすごいお金を出して英文校正の方に直していただいたものである。

 

 

どのくらい苦手か・・・。

英語を読んでいると必ず眠気が来る。

先行研究を一生懸命読んでいると、Abstractでもう眠くなる。

そのくらい苦手だ

 

Crowの連続・・・。



リーディングでそんな感じなのだから、リスニングなどはもう異次元。

何を言っているのか、ほとんど聴き取れない状態であった・・・実は今でもそうなのであるが。

 

こんなに音楽の好きなわたしが、洋楽をあまり聴かないのは、英語がわからないからである。

 

親友のAちゃんが、むかし、The Beatlesの「Elenor Rigby」を勧めてくれたことがあった。Aちゃんの手紙の熱意がすばらしく、いい歌詞なんだなと関心を持った。曲がとてもすばらしく大好きな歌になった。

 

・・・ああああああーるかおぞーザろーりリピーポー♪

 

・・・しかし英語を聞き取ることは、やっぱり難しかった。

 

ただそんなふうに洋楽が苦手な中でも、少しはなじみのある洋楽もあった。例えば以下のアーティストが好きで、よく聴いていた。

 

ABBA  

Elton John

ジョンレノン&オノヨーコ(ヨーコの歌のほうが好き)

カーペンターズ 

 

いくつかは、父がよく聴いていたものである。英語を理解できないものの、歌として好きであった。あとから、それらの歌を知っていることが、英語学習にはプラスになることを知った。

 

そういえば、とても若いころ、TOEICを2度ほど受けた。もはや記憶もないが、自分の最高得点が「660」だったことだけ覚えている。

 

人の能力のなかには語学の才というものがあり、自分にはそれが無いことは明らかである。その一方、我が国における英語の必要性はどんどん増しており、英語が出来ることへのあこがれはますますつのった。

 

「いつか英語をきちんとやらねば・・・」という思いはつねにあり、そのきっかけを探していた。

 

2.始めるきっかけ

 

オンラインがここまで進化する前から、リアルの英会話教室にもずっと関心があった。

しかしどれも月謝が高いのでためらっていた。

また、リアルだと通う時間を割ける気がしなかった。週に1度でもきついかなという気がした。

 

近年、オンライン英会話もずいぶん手ごろな価格で利用できるようになったことを知り、やるならオンライン英会話だなと思った。それでも実際にやってみる勇気が必要であった。

 

そんなとき、2021年か2022年だっただろうか・・・?碑文谷APIA40でハルミさんの出演するライブを配信で観た。

 

apia-net.com

 

東横線沿線のAPIA40はほんとによいお店で、配信もクオリティが高くてお勧めのハコ。

(出演者も募集しているよう・・・)

 

アルバム「歌/ハルミ」

 

ハルミさんは良いアーティストで、アルバムも持ってる。

詩的な言葉は小鳥が日常をえぐるよう、こころに染み入る、いい歌をうたう方である。

 

apia40.shop-pro.jp

追記

 

ハルミさんは、いまご病気で療養中とのことです。

 

 

 

どうか、すこしでも快方に向かわれますように・・・。

 

そして、また素敵な歌を聴かせてもらえますように・・・。

 

追記おわり。

 

 

 

 

そんなハルミさんであったが、英会話をやっている感じがしなかったので、オンライン英会話をやっていることをMCで話していたことにとても驚いた。

 

「・・・ライブハウスで出会った仲間が、え、英会話やってるなんて!」

 

・・・それは偏見だ、ごめんなさい!

 

ちょっと驚いて、ハルミさんのライブに課金したのち、DMで尋ねてみた。すると親切なハルミさんがオンライン英会話についていろいろ詳しいことを教えてくれた。

 

細かい情報もそうだが、実際にそれをやっている人の存在は大きく、すっかり背中を押された。

 

「いまがはじめどきだ!」

 

と思い、ネットで「オンライン英会話」と検索をした。

すると、「オンライン英会話22社比較サイト」など、たくさんの情報が出てきた。

たくさんサービスがあるのだな・・・と、圧倒された。

 

ただ、正直なところ、英会話教室の善し悪しは自分にはわからなので、単に「価格が安い」くらいの理由でウェブリオ英会話を選んだ。

 

eikaiwa.weblio.jp

 

どんな教室にも無料のお試し期間がある。

ウェブリオ英会話も、契約する前にレッスンを受けることができたので、フリートークをしてみた。その結果、予想どおりボロボロであった・・・英語で話す時間は、時計の進みが遅く感じる・・・ただ相手の先生がうまく導いてくださり、自分はアーティストでYoutubeチャンネル持ってるとかなぜかそんな話までできたような気がする。

 

英語で交流できたのは素直にうれしかった。

同時に、先生方に日本語は通じないということもわかった。日本語が通じないという状況が新鮮だった。

 

・・・もう、やるしかない。

 

半年前納だと安くなるので、毎日行うコースを、半年間エイヤっと申し込んだ。

 

Crowしてます・・・。

 

3.毎日行った

 

通信環境などについては、ウェブリオ英会話は基本的にブラウザ(Chrome)で行う。機材などは、パソコン&ヘッドセットイヤホンマイクがあれば問題なくスムーズに行える。

いろんな条件でためしてみたくて、DTMをやりながらオーディオインターフェース&マイクごしの英会話、タブレットでの英会話、スマホでの英会話などいろいろな環境で試してみた。どのデバイスでもレッスンを受けることが可能であった。

ただ、時々Chromeがマイクやカメラを認識しないときがあった。そんな時はChromeの設定をいじったり、それでもうまくいかないときはPCの設定でいったん禁止にしてから再起動して許可するなど、あれこれ苦労することもあった。

そんなアレコレのせいでレッスンに数分遅れてしまうこともあったが、おかげでカメラやマイクに詳しくなった。

 

そして最悪の場合は、「タブレットだけ」あるいは「スマホだけ」でもなんとかなることがわかった。

 

 

4.時間を作ること

結果として、ほぼ毎日、25分ずつ英会話を行うことが出来た。

 

ただ時間を作るのが大変だと思う日もあり、たとえば同じ夜の「23時からと0時から」で2日分をこなすといったスケジュールで行うことも多かった。

良くも悪くも生活の軸が英会話になり、夜通し遊べない、夜にゆっくり出来ないなどの閉塞感もあったが、もともと夜遊びをするほうでもないので、英会話のある生活にだんだん慣れて来た。

 

旅に出たときは英会話を行うことが難しかった。壁の薄いビジネスホテルで声を出すことにはためらいがあり、出来ないこともあった。

 

しかし2度目の旅では、スマホでひそひそと会話をすることでミッションクリア・・・。強迫なので、行えないと、落ち着かない。スマホで英会話できることは、継続の大きな助けとなった。

 

5.心身の波と戦う

 

誰にもあることだと思うが、自分にも気分や体調の波があり、月に1度くらい、オンラインで学ぶのがつらかった。

 

眠いとき、体調が悪い時、悩みごとのある時 泣きたい夜・・・

 

それでもなんとか続けた。

 

すると、心身の状態が、レッスンの出来具合とくにスピーキングなどにもろに出ることを実感した。つまり、ぼろぼろな気分のときは、単純な読み・理解などはできても、考えて答えを紡ぎ出すことが難しい。英語で答えようとすると、頭が(髪ではない)真っ白になってしまう。

 

前頭葉機能を必要とするより高度な認知機能を用いる課題においては、微妙な心身の状態の影響を受けることを実感した。

 

自分は強迫的な性格ゆえ、あるいはお金がもったいないので休まず続けたが、オンライン英会話の契約をしてなくて独学だったら、気分の波にしたがって休んでしまい、続かなかったことだろうと思う。

 

6.むずかしいスピーキング

 

オンライン英会話では発音をしっかり修正される。RとLはいうに及ばす、D、F、Th、Sh、ときには母音Aも・・・。

She、World、そんな簡単な語の発音を直される日々である。

日本語にない音がたくさんあるということ、いままで使ったことのない口や舌の動かし方をしなくてはならないということを学んだ。

フォニックス」というジャンルがあるのを知り、動画などを観てはいるが、言い分けも聞き分けもまだ難しい。

 

もともとあまり口をあけずに発音する癖があったようだが、英会話ではしばしば口をあけるように指導される。特に、横に「イー」っとしっかり広げるように指導されることが多い。心身が落ち込んでいるときは明朗な口唇動作も明瞭な発声もなかなか難しいものだが、逆に言えば、英語を発声するというのは、顔をあげて、口をはっきり開いて声を出す動作を必要とするようである。

 

なので、もしかしたら英語を発声することで、元気が出てくるということもあるかもしれない。がんばろう。

 

繰り返しになるが、その場で自分で文章を組み立てて話すことは難しいことである。自分の作業能力の遅さを実感し、スピードについてゆけないことを実感している。

気持ちに余裕が無いと、過去形にすることを忘れたり、三単現のSを忘れたりする。そのうえ発音も考えねばならない。それらを考えに入れつつ文章を作り語るのだが、まだ自然にはできず、「うーん、あれはこれで・・・」と考えて応答している段階である。

 

正直、講師にもよる部分がありそうだが・・・いやいや、そんなふうに人のせいにしてはいけないと思い直す。

 

まだまだだ。

がんばれ自分。

 

 

7.英語以外の効果について

 

講師はフィリピンの先生方である。そのためフィリピンという国に関心をもち、また詳しくなった。日本と違って若者の多い国であり、ときには19歳の講師などに教わることもあった。

講師というバイアスもあろうが、多くの先生のなかに濃厚な家族愛があり、仲間とのパーティーやリゾート、カラオケマシーン(?)の話題があった。

フィリピンの先生方の健康な精神が伝わって来た。

 

日本の外に出れば、気候変動への関心があったり、そんなに鉄道が便利でなかったり、フィリピンの方はよく船で移動することを知ったり、四季も桜もない世界があったり・・・別の世界があることを実感する。

 

自分は仕事もフリーランスで、常時オフィスに行くわけでもなく、講師として教えているけれど非正規雇用。貧しくなる日本に呼応しているかのような自分の働きかたを伝えるのは難しかったが・・・。

 

 

そうか、桜を愛しても良いし、桜の美を誇っても良いのだ。

 

日本人でない先生方との会話で、素朴な家族愛や愛国心をもつことは罪ではないということを学んだように思う。「外国の方に日本のことを英語で伝える」といった本はたくさんあるが、それは大事なことなのだと気づかされた。

 

8.オンライン英会話以外の英語に関するアクティビティ

 

最近は、朝起きたとき、Youtubeの英語ニュースを流すようにしていた。

アルジャジーラ、ドイツのDW、フランスのFrance24などがお気に入りだった。

それと、もともとTEDを観るのは好きだったが、TEDICTというアプリで、二重字幕で動画を観たりした。検索ワードは、Brain、Neuron、Scienceなどなど・・・仕事に関係ありそうなものを観た。

 

それらは面白くて知的好奇心が満たされ学びもあったが・・・英語を学ぶという点では現時点では無駄なことだったかもしれない。

 

つまり、ただ流しているだけではダメであり、わからない英単語をしっかりマスターし、細かく聞き取れるまで繰り返す、などの努力が必要であったことに気づいたのである。

 

「多くのものを聴くよりも、少ない素材を繰り返し聴いて、確実に覚えたほうが良い。」

 

TOEICを終えた今、実感していることである。

 

9.そんなわけでTOEIC

 

オンライン英会話を受講して1年になる3月末、メルクマールとしてTOEICを受けることにした。

 

ウェブで「えいやっ」っと申し込むと、日時、必要な装備などについてすぐに返信が来た。場所はすぐにわからず、のちに届いたはがきで、蒲田の東京工科大学であると知らされた。

 

鉛筆、消しゴム、時計、マスクが必要とのこと。鉛筆削りも必要か、何本の鉛筆が必要か、などと考え込んだが、結果的にはニューヨークで買った安いシャーペンが最初から最後まで活躍し、鉛筆の出番はなかった。シャープペンシルはすばらしい。

 

ふだん腕時計をつけないので、どうしようかと思ったが、父の遺品の電波時計を使った。バンドはないけれど、公認心理師の国家試験もこれで乗り切ったものだ。

 

結果的に、その時計を何度も見てしまうことになる。あまりに時間が足りない試験でその時計は本当に役立った。

 

前述のように、若いころTOEICは2度受けたことがあり、自己最高点は660点。

今回は、1年間オンライン英会話もしてるし、もっと良い点が取れると期待をし、目標は700点とした・・・。

 

だが、そんな目標への旅は、開始5分で打ちのめされることになる。

 

リスニング45分が始まった・・・

 

・・・なんじゃーこの速さわああああ!!

 

聴いて選択肢を選んでいたのでは間に合わない・・・先に選択肢を読んでおかないととても解けない・・・。

 

45分間、1000本ノックのような英語を浴び続け、すっかりクタクタになって、やっとリーディングに入った。

 

リスニングはダメなのはわかっていたが、リーディングはマシなのではないかと思っていたのだが・・・ああ、なんという分量だ。なんという難しさだ。ゆっくり読まないと頭に入らないのに、どう考えても分量が多い。自分なりに急いで解いても時間が足りず、最後の10問は間に合わないと思って適当にマークシートを埋めてしまった。

 

そして2時間の試験が終了した。

 

前回超えどころか、大幅に低下する予感に打ちのめされ・・・思った・・・。

 

・・・なんだったのだ・・・わたしの、この1年間のオンライン英会話とは・・・

 

こんなにも、英語が出来ないままだ、なんて。オンライン英会話を雑に受けて、ちっとも血肉になっていないのではないか・・・

 

英語がとても出来る友人のAちゃんが、トホホと嘆くわたしを慰めてくれた。

 

「次は先読みすればもっと上がるはず。わからない問題はあきらめて先読みだよ~。」

 

たしかに、TOEIC試験形式への対策をしていなかったなと思う。友人はありがたい。

 

 

それから2週間ほどたったある日、TOEICの結果がオンラインで戻ってきた。

 

結果は、こちら・・・

 

 

 

 

 

・・・なんとか700点を超えて、ほっとした。

 

開始前「初~中級」だと感じた自分の英語力が、なんとか「中級」になったと言っていいのだろうか。

 

・・・しかしあんな出来栄えで705点だとすれば、705点というのはとてもじゃないが使い物にならない点である。まだまだ、第一歩を歩み始めた段階であろう。

また、リスニングがリーディングよりも低いのは、自分としてもそうだろうと思うし、そんなものだろうと思った。

しかし、全国平均をみると、リスニングのほうがかなり平均点が高いようである。

 

そう考えると、自分の得点は

リーディング>>>>>リスニング

であり、かなりリスニングが出来ないということになる。

 

1年間オンライン英会話をしたのだが、リスニングは、まだまだ低いレベルにあるのだと思い知らされた。

 

10.TOEIC後、勉強法を変えてみた

 

反省の多い1年であった。

なんとなく英語に触れるのでは身にならないことを実感し、英語を学ぶには集中力が必要だと気づいた。

 

リスニングについては、流して聴くのではなく、しっかり確実に聞き取れる努力をしようと思った。

 

アプリのTEDICTも相変わらず好きでPLAYするが、短時間でも集中して観るようにした。

 

英語の歌も、なんとなく聞き流していたが、これを機にちゃんと歌詞を覚えようと思った。

 

最初に取り組んだ歌は、ABBAの「Fernando」。

好きな歌なので・・・歌詞を覚えて歌えるように努力してみた・・・・

 

♪きゃにゅひゃーざだーふぇるなんどぉーありめんばーおざなーあああああああ-----

 

(・・・なんだ難しいな・・・ついてゆけないよ・・・)

 

・・・あとから分かったが、「Fernando」は歌詞が混みいっており、どちらかといえば難しい歌であった。覚えやすい「I have a dream」や「Chiquitita」あたりから始めればよかった。カラオケ行きたい←唐突

 

また、いろいろな本を読んでみたが、とくに「英語で歌おう!スタンダード・ジャズ」という本がよかった。

 

 

 

 

シンプルなピアノをバックに歌われるスタンダード曲がCDに収録されており、繰り返し聴いている。

例えば「マスカレード」「星に願いを」「枯葉」「スターダスト」「マイ・ファニー・バレンタイン」などである。

それぞれが短いので、歌詞をそこそこ覚えられた。

 

そして、それにより、英語の学びだけでなく、いままであまりなじみのなかったジャズの良さを感じさせてくれた。

ジャズのスタンダード曲は、形を変えて、さまざまな場面で耳にする。

ジャズを聴くとき、この本に収録されている曲なら歌詞を覚えているので、歌詞を聞き取れるのだ。

 

・・・よーるくすあー ラッファブー、アンフォートグラファブール・・・

(「マイ・ファニー・バレンタイン」)

 

当たり前ではあるのだが、これが感動なのであった。

 

リスニングについては「歌で英語を覚える」ことの良さに気づいたといえる。あまり手を広げず、限られた歌を繰り返し聴くことで、英語の音を覚えようというのが今の目標。

 

歌や音楽は好きなので、頑張れそうだ。

 

11.読みについて

 

英語の読みが不足しているのは自覚していた。

 

英会話の先生に「英語の本を読みなさい」と言われて図書館から借りてきても、英語はあまりすっと頭に入ってこないので、なかなか読みが進まない。

好きな漫画なら頭に入るかと思って「ブラックジャック英語版」を借りてきたが、それすらひっかかって読みづらいのであった。

結果として、英語をあまり読んでいなかった。

 

こんな駅名の英語ですら、すっと読めない自分に気づく。

 

TOEICを終えたあと、あらためて自分は英語の文章が(たとえ理解できても)早く読めないことに気づいた。

 

自分にとって、日本語はすぐ頭に入り込む言語である。日本語があまりに頭に入りやすく、それゆえに観たくない単語や文章をみて心が痛むこともあるのだが、それも自分の脳が日本語があまりに日本語に適応した結果なのであろう。

 

英語はそのような枠組みが自分の認知のなかに無い。認知の枠組みを作るためにも、ともかくしっかり読もうと思った。

 

それにしても英語はわずか文字数が26のアルファベットですべてを表すのだから、日本語とは違った文字である。こんなに違う言語である英語の文章をすらすら読むためには、英語に慣れてゆかねばならない。

 

要するに基礎的な英語力語彙力が決定的に足りないのである。英語学習ではよく「辞書をひいてはいけない」などと言われ、真に受けてしまっていたが、自分に必要なのは辞書で調べて習得するプロセスだと気づいた。

 

そこで単語帳サービスを使い始めた。

 

まずはWeblio単語帳サービス。Chrome拡張機能ともあわせると便利である。Chrome拡張機能で英単語の意味を出し、あとから覚えたい単語は、単語帳にワンクリックで放り込む。このサービスで語彙力クイズを作ってやってみたら意外に面白くて、はまった。

 

単語帳アプリの良さは、復習クイズをスキマ時間にスマホで行えることである。

もっと早くやればよかった。

 

ただWeblio単語帳は無料だと200単語までであり、不便に感じるようになった。

 

そこで別の単語帳サービスを探し、現在はAndroidの「究極英単語」という無料アプリを使っている。

 

www.easyrote.jp

 

これもスマホでテスト形式の復習ができ、スキマ時間に復習をするのにうってつけである。

 

英語の本を読もうと思っても、やはり現時点では「ブラックジャック英語版」「バイリンガルデビルマン」あたりを読んでいる段階であり、それらの漫画でわからない単語があると、「究極英単語」で調べ、あとで学ぶために残している。

 

英語の読みの学びは、まだまだ模索中であるが・・・感銘を受けたこと・・それは・・・

 

・・・デビルマンの漫画はスゴイ!!

 

・・・英語、関係なかった。

 

12.おわりに

 

オンライン英会話を1年やっても、自分の場合はまだまだ使い物にならないレベルであった。

 

だが、「1年やったんだからわかるはずだ」と信じ、専門分野のYoutube動画や、英語論文などに触れるとき、少しだけ取り組みやすさが出て来たように思う。

 

英語が出来るようになると、すべての夢に近づくような気がする。

何より少し気分がいい。

これからも頑張ってゆくつもりである。

 

ただくどいようだが、進歩を実感するには、自分の頭では「25分×1年」では、足りなかった。

 

あと1年続けて、またTOEICを受けてみたいと思う。

英語よ、どうぞよろしくね。

 

おしまい。

 

 

13.松岡宮からのお知らせ

 

 

1)きやんのTV 出演。

 

あおきりえこ様のオファーで、「きやんのCAT TV」チャンネルに出演させていただきました。

Youtubeが現時点で未公開なので・・・YOUTUBE、公開されました。

改めてみると、お恥ずかしい・・・お見苦しい姿で恐縮です。

 

youtu.be

 

インスタグラムの配信をリンクしておきます。

 

www.instagram.com

 

あおきさんが、クロコダイルで演った「シャープペンシルの芯」という作品を気に入って下さり、なんと、特別バージョンを披露しています。作品を取り上げていただくのは本当にありがたい。

 

作品はすべてが実話ではありませんが・・・

「この作品は・・・いじめ?」と言われると「いじめじゃない、いじめ・・かもしれない、いじめなのかな?でも、いじめじゃない・・・」などと戸惑います・・・

それはきっといじめを受けている方の心理も同じかもしれませんね。

 

いじめだと認めてしまうことの抵抗や、そういう短い概念に吸収されない何か、体験そのもの、言語以前の風景、なにか、自分はそんなものを描き続けているのでしょう。

 

今回のあおき様など、松岡に何らかのオファーを下さる方には、こちらのCDを聴いていただくようお願いしています。ありがとうありがとう!

 

 

LimitedExpress383

LimitedExpress383

  • アーティスト:松岡宮
  • Candy Recorder
Amazon

 

「きやんのCAT」の猫輔さんは、牧伸二さんの甥っ子さんでお弟子さん。

楽器なら何でもでき、音楽講師もなさっている、すばらしいマルチプレイヤー

牧伸二さんがうちの近所で自死にてお亡くなりになったことは、口に出さない秘密のように、通奏低音で流れています。偉大な方だったとあとから知りました。

 

きやんの(かんの)さんも、2018年の神楽坂イベントで、記念すべきユニットライブを行わせていただきました素晴らしい方。

おそれおおくも付き合い長くなりました。

 

すてきなご縁に感謝申し上げます。

 

 

2)5月のライブ出演

 

 

 

◆5月1日(月) 原宿クロコダイル「ウクレレエイド」

19時~22時のどこかで15分。

 

上記の話ともつながりますが、クロコダイルの「ウクレレエイド」がウクレレ以外にも出演枠を広げています。

「松岡さんの知り合いの詩人などぜひ誘ってください」と言われますが・・・誘えるような友達が居なくて・・・とほほ。

 

自分も月曜日は基本的にNGなのですが、5月1日はGWなのでたまたま仕事がなく、急ですが出演させていただくことになりました。

 

こちらのツイッターをフォローすると出演申し込みなどしやすいです。

 

 

・・・人気のポエマーって、誰のことかしら・・・もしかして・・・笑

 

クロコダイルに気軽に出演できるチャンスですので、関心ある方は5月1日に見にいらして。

MC500円とオーダーです。

 

 

◆5月21日(日)17時05分~17時20分

デザインフェスタ57 パフォーマンスエリア

ビックサイト 南館4階

 

 

特別なメドレーを製作中です。ぜひ観てやってくださいませ。

 

物販もいたしますがお取り置きをお勧めします。

 

お取り置きできるグッズはこちらBASEにあるものになります。

 

383.thebase.in

 

残り少ないものも多いので、ご入手はお早めに!

 

 

3)フリマ

 

5月3日、五反田TOC内のフリマに参加することになりました。

EPレコードなど、音楽系の貴重な音源やグッズを持ってゆこうと思います。

歌作りもするかも・・・。手芸品も売ろうかしら。

 

(以下は透明ポケットつきスリッパ・・・左右失認の方などにいいかしら?)

 

 

フリマ、さっき決まったばかりなので・・・またお知らせします。

 

 

4)新作作っています

 

 

「水槽列車」という作品が完成いたしました。

 

「東京フリマ日記」にも登場した詩人の青条さんが北海道旅行に行ったときの映像を見せてくれて、これ使っていいですよーと言ってくれたので、そのイメージにぴったりの「水槽列車」という作品を仕上げてみました。

 

youtu.be

 

自分の創作の根源には雪の中を走る列車の風景がある。

 

まさに自分の表現の根幹を震わすような作品となり、感性豊かな映像を撮って使用許可くれた青条さんに感謝です。

 

なお青条さんのZINEは上記BASEやうちの事務所で試し読み・購入できます。他のグッズもそうですが購入していただくと事務所の運営に役立ちます。

 

そういえば青条さんに「早稲田一文なら英語できるばずじゃろー」とか言ったら「できませんよー」とか返事されたのを思い出します。

 

あれも自分の偏見だったか・・・。

 

 

また、このところ短い音源を作ってTikTokにこっそりアップしているという話はときどきしてますが、最近アカウントがバレた・・・まあいいか。

 

TikTok用に作った12対の脳神経の覚え方ソングが、なかなか面白い仕上がりです。

 

youtube.com

 

こういう感じの曲を、1時間で製作する!くらいのスピード感で書いています。

 

お知らせ、以上です。

 

 

いつもことばを歌い続ける松岡ですが、これからりっぱな国際人になる予定ですのでよろしくお願いします~。

 

 

 

記事はこれで終わりです。以下は投げ銭です。

 

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