駅員観察日記(はてな編)

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まけたりや球児の夏

わたしの卒業した、桐蔭学園硬式野球、夏の神奈川県地区予選・・・あっさり三回戦で、敗れてしまいました・・・。

 

いやあ・・・

「ライブの日、23日に桐光学園と試合だわ!」

・・・なんて書いて お恥ずかしい。

そこまで勝ち進めないじゃないか・・・。

 

「もう強豪校ではない」って ネットのあちこちに書かれて・・・もはや早期敗退のショックすらない段階かも・・・

荒れるのも悲しいが、荒れすらしなくなったらさらに悲しいな・・・。

 

個々の現場はきっと一生懸命で

負けようと思ってやっている人はいないと思いますが・・・

お疲れさまでした。

 

f:id:miya_ma:20170719003035j:plainぽっちゃりまっちゃん。

 

わたしは 高校のとき あんまり楽しくなかったです。

ちょっとした不手際で 不良でもなかったのに始末書とか書かされたりして 

あの頃 家族とも あんまりうまくいってないし

学校は心のケアなどとは無縁のガリ勉スクール、世界史つまらなすぎて、

孤独な思いでいっぱいで・・・

たまるものは こころのラクガキ・・・

教壇で菊池桃子のマネして笑いを取りに行ったり

自分で作詞作曲した曲を休み時間に友人に披露していました・・・・ ←孤独じゃないじゃん・・・

 

にっくき桐蔭学園・・・恨みの桐蔭学園だった・・・

でも いま 不思議なほど 学校のことが気になってしまいます。

女を売り物にするな!という学校だった

女らしさもないわたしは それに共鳴して・・・

ちゃんと男子とは話もせずにがんばった・・・

ワンマン理事長が なくなってから 変わったかしら

だけど 今も かわいげのない女子部のままなら いいな・・・

女子マネージャーとか いないほうが うれしいな・・・

 

f:id:miya_ma:20170719003406j:plainまんまるまっちゃん。

 

すごく昔、ウェブ連載していた「松岡宮の今週の壺」で 桐蔭が甲子園に出た時のことを 書いています。

再掲しますね。

 

◆ 第25回 春のセンバツ高校野球、それから。

 

高校二年の春休み、わたしの通っている高校が春のセンバツ高校野球に出て勝ち進み、全国ベスト4までいったことがあります。

 

甲子園に出場すること自体、

とてもめでたいことで・・・

 

地元の新聞は大騒ぎ、

  もよりの駅も 商店街も

   垂れ幕作って大騒ぎ。

 

わたしたち生徒も、もちろん嬉しくて、

不祥事を起こさないように、

買い食いや学校帰りの寄り道などは、

「多少」減らしたものでした。

 

そして最終的に全国ベスト4まで行ったという快挙に、わたしたち女子生徒は大はしゃぎでした。

準決勝で宇和島東高校に敗れたときは、女子部の仲間はみんなドーナッツのやけ食いをしたほど

みんなみんな、応援にのめり込んでいました。

 

そのときのエースの名前は、高三のワタナベさん

といいました。

 

やっぱりピッチャーは、高校野球の華・・・・。

わたしたちは、たちまちのうちにワタナベさんに

夢中になりました。

 

 若葉茂れる学園前、成長痛がウズウズして。

 

しかし、わたしの高校は、男女別学のマンモス校、男女交際禁止、学園に向かうバスすら男子と女子に乗り場が分かれ、男女が廊下で立ち話をしてもいけないという厳しい学校でしたので、なかなか男子生徒と仲良くなれないのです。そんなもどかしさが、わたしたちに火を付けました。

 

 手の届かないワタナベさん。

 先輩エースのワタナベさん。

 

新学期、女子部体育館はワタナベさんをめぐる噂の糸が絡まり合っていました。

 

・・ワタナベさん、A駅を

八時五分に出るバスに乗るんだって・・・

  ・・・ワタナベさん、カノジョいるんだって。

  ・・・ワタナベさん、サインは禁止だからしてくれないけど、握手はしてくれるって・・・・・

 

そしてその熱気はなんと秋まで続いていました。

覚えているのは数学の授業、わたしの同級生のKちゃんは、ワタナベさんの下の名前を彫り込んだケシゴムを使っていました。

 

また、女子部の学園祭にワタナベさんが来た、となればその教室はあっというまに女子が押し寄せてきました。

 

ワタナベさんだ、背が高い!

ワタナベさんだ、髪の毛が伸びて素敵!

わたしの教室でジュースを飲んでください!

わたしの教室で占いをやってみてください!

 

と、もうその社会ではそれだけで胸がいっぱいになり、そして、大きな学園の小さな世界では、自慢になるのでした。

 

ワタナベさんはその後、プロ野球に進む事もなく、その行方はわかりません。

 

わたしたちはワタナベさんを、誇らしくすてきで、ちょっと恥ずかしい思い出として、ゆっくり忘れてゆきました。

 

 

自分の高校が甲子園に出るなんて 本当は奇跡みたいなことだったのですね。

一生で・・・あと1度くらい 見られるかしら。

 

人生に負けはつきものですが 負けを認めることは 切ないですね。

わたしも負けっぱなし・・・いまだ 認めていない負けも いっぱいあるかと思いますが・・・・

それでも 人生の早い時期に ほどほどに負けるのは 良い面もあるかもしれません・・・。

わたしは恵まれているのかもしれませんが・・・

負けたけどあとから思えば良かった、みたいなこと、たくさんあります。

 

すべてに意味がある すべて生きると 信じたい・・・

 

にっくき桐蔭学園だけど 友情だけは残った・・・みたいな、そんな作品も書きましたね。

こちら。

 

youtu.be

 

あと、桐蔭ー代ゼミ駒場ー本郷、とずっとわたしと同じクラスだった、

もと格闘家の巽宇宙さんとも、最近、仕事の関係でメール交わしています。

 

今は双極性障害と戦っておられる巽さんですが

「桐蔭時代につらい事は・・・別に無かった」そうです・・・お、おぅ(~_~;)

 

このブログを読んでいる双極性障害の方なんて おられないと思いますが

千葉で双極性障害関連の講演会なさるそうです。

 

関心ある方は行ってみてはどうでしょうか。

 

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なんだか個人的で感傷的な記事になってしまってごめんなさい!

 

夫の卒業したセンダンリン高校

西東京でなかなかの健闘ぶりということもあり・・・

これからも球児たちの夏、応援したいと思います。