駅員観察日記(はてな編)

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FMサルースありがとうございました

そんなわけでFMサルースでの生放送、無事に終わりました。

上の写真は、たまぷらーざのスタジオでポーズを取る、パーソナリティの藤田さんとわたし。

このお話は、森社長が持って来てくれました。

社長からは、放送に際してこれを持ってこいとか、別に何も言われなかったのですが、

なんとなく、自分で、CDとか、プロフィールとか、今後の活動予定とか、

「作文:わたしと青葉区とか書いて持っていきまして・・・

それがとても役に立ちました。

あと、別にこういう服装で来いとも言われませんでしたが、上記のように鉄道風味のある服装で行ったところ、USTREAM中継があったので、こういう服装してきてよかったなあと思いました。

放送の中で流す2曲は、森社長に選んでもらいましたが、

「〇〇〇を流すと、うちのレーベルは出禁になりそうだからなあ・・・

「×××を流すと、リスナーの誤解を招きそうだからなあ・・・・」

・・・などなど、半分くらいは放送できない曲との判断でした・・・

・・・そうだったのか・・・。

そんなわけで、ほとんど消去法で、

「クシコスしごと」

「FraーFra,EuroーEuro,TGV!」

の2作品となりました。

放送内容は、鉄道のこと、スリーナインの車掌さんのコートを持っている話や、半白髪の話、音楽制作の話、鴨志田町に住んでいたことがあること、など、楽しくて、時間があっという間でした。

パーソナリティの藤田さんのお話がほんとうに上手で、盛り上がりましたね、ありがとうございました。

たまプラーザ、といえば、どちらかといえば中学の頃を思い出します。

あの頃、青葉区は無くて、緑区でした。

思い出したのですが、帰国子女だった中1のわたしは、ひとりで電車に乗るのが怖いというか、

乗り方がよくわからなくて、青葉台ー藤が丘だったか、そんなたったの1駅くらいを、どきどきしながら切符を買って乗ったものでした。

鉄道というのはそのころから、ちょっと怖くて、でも生活のうえで重要で、気になってしかたのないものだったのでしょう。

東急は あまりにさりげなく 生活のなかにある・・・

久々に降り立った「たまプラーザ」駅は、楕円の吹き抜け、銀色のなかに解放感があり、ちょっと副都心線渋谷駅に似ていました(こっちのほうが先だと思いますが)。

あの頃とても特別な都会のように思えた「たまプラーザ」・・・

学校でも家でも居場所がなくてうろついていた 「たまプラーザ」で

ラジオに出演できるなんて、嬉しいですね。

「未来に たまプラーザで いいことあるよ」って あの頃の自分に教えてあげたいです。

「たまプラーザ」駅には、赤瀬川原平先生の言う「トマソン」も発見できました。