駅員観察日記(はてな編)

◆ポエトリーアーティスト松岡宮の日々の記録◆このブログはアクセスカウント以外のアクセス解析をいたしません◆LIVE予定、11/4大久保ひかりのうま、11/19難波「音」、11/27神楽坂カグラネ、12/7碑文谷APIA40◆

確・定・深・刻

駅のコンコースで歩いている駅員を見かけた

昼休みの帰りかな・・・

リラックスした 雰囲気で 駅事務所に入り込む

手袋をしない 大きな手に 持っていたのは・・・

なんと ハードカバーの 本だった

くまざわ書店の茶色いカバーをかけて

しかも ちゃんと 真ん中くらいに しおりの紐が はさんで ある・・・

勤務中の駅員の体は境界線をなくす

彼の体は プラットホームを守るときには

その主体は針金程度の太さであり

周囲のさまざまな状況に 自分の体を明け渡している

引きずられる駅員の目

引きずられる駅員の耳

駅員の髪、あちこちに呼ばれて、

駅員の毛脛が拡散する

そんな 気がしていた・・・

だから

駅員が読書によって自分というものを耕したり

駅員が豊かな内面を蓄え続けている ということが

駅員に内面や個性というものが あることが

なにやら 不思議な 気がします

自分の性欲を満たすだけの写真に 

顔はいらない

エロ本のすべての顔をモザイクがけするのに

必死

顔などいらない

いらないってば

あるいは世界のすべてが二次元の漫画だったらよかったのに

わたしもそこに入れてください、という、そんな世界が増えるのは、うれしいことです

そんなこんなで確定申告を済ませました。なぜか近所に住んでいる友人のお母さんとお食事をしたりしました。友達のお母さんに出会うと、その親子愛の素晴らしさに心をうたれ、逆に自分がいかに母親から信頼されていなかったかということがよくわかります。

わたしは別に留学しませんでしたが、留学したいといってもわたしの母はきっと反対したことでしょう。大学院進学も反対されましたし(やる気がないのに進学してもしょうがないだろうと両親ともに言っていたようです)、ひとり暮らしも反対され、男女交際も趣味も何もかも否定され、要するに何をしても否定されるなあという感覚がいまだにわたしには残っています。

親がわたしの至らない言動のために恥ずかしい思いをしたり大変な思いをしたのは申し訳ないことだと思いますし、わたしを育て、おいしいご飯を作ってくれただけで感謝しなくてはならないのだと思いますが、家族とか親とかいう概念・言葉に対して、あまりわたしは暖かい感情を持っていないなあと思います。

こんな状態のことを、貧乳と呼ぶのでしょうか←違うよ