駅員観察日記(はてな編)

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唐突に出身高校について語ってみる

にむにょふみふみ。

今日も地味にお仕事をしていました。拘束時間は短いけど、濃い~~~時間。でも、「ひとは愛しいなあ」と思ったり、自分のようなものに仕事を下さるかたがたに感謝をしたり、愛に満ち溢れて終えた日曜日・・・とにかく晴れてよかった。

唐突に学校を語ります。

あー、小学校から書こう・・・。わたしはほとんど、ジャカルタ日本人学校でした。といっても普通に日本人の人数は多かったし、おそらく普通の学校とカリキュラムは同じだと思います。独特の授業(インドネシアの文化とか、英語とか)もありました。わたしは注意散漫だったので勉強はまったくついてゆけず、あと字が汚かったので、母親が「毎日教科書を書き写してお母さんに見せなさい」という課題を出していましたが、絵とか一緒に描いたら「絵はいらん」とか言われて腹を立てたりしていました。

中学は近所の公立でした。わたしは女性らしさもなく色黒な帰国子女だったので男子にはいじめられました。まだ怒ってます。

高校は私立のマンモス校でした。「個性を大事にする」とか「個別にこころをケアする」とかそんな概念からは遠く離れた感じの学校で、校則が厳しかったし、すごく大雑把で雑な感じに扱われていたように思います。そんな自動的な管理体制が、実は嫌いではなかったですけど、わたしはそそっかしくて忘れ物が多かったために、また、寝坊とかG痢による遅刻が多かったために、「始末書」を書いたことがあります。わたしはけっして反抗していたわけでもないのに、制服のリボンを忘れたりしがちなところが反抗的だと思われていたみたいです。

そういえば冬休み前の終業式の日に母も私も寝過ごしたとき、母が「遅刻は心象が悪くなるから風邪で休んだことにしましょう、お母さんが電話をかけるから」といって、なんとなくそのとおりにしたのですが、その後年賀状に「休んでたけど大丈夫ですか?」とか書いてあるのを見て、「ああ、うそはいかん」と反省したものです。

そう、これは父兄が諸悪だ というひとつの例です。貧しいなかでお金を出してくれた親にそんなことを言うのはあれだけど、けっきょく今こんなことになっているのだし、やっぱりうそはいかん、うそはいかん。ばきゃくがいま、ばきゃーーんと。

大学は、公式的には卒業してから10年くらい経過しているように思いますが、本質的にはまだ卒業していないように思います。まだ、遊びほうけているダイガクセーみたい・・・。

自分で「ああ、いまこそ卒業したわ」と思ったら、30代後半だけど新卒として就職活動しますから、企業さまもそのつもりで扱ってくれたらうれしいです、そのうち新卒になりますから!

そう、ラブにたとえると・・・・30代後半だけど、はやくオトナになりたいわ・・・あなたの腕の中で・・・・キミは少し背伸びしているとアナターは言うけどー・・・今夜アナタの腕の中でオトナのわたしを見せるのよ・・・34歳になったの・・子ども扱いしないで♪・・・あなたの腕の中で・・34歳のわたしを・・・・今夜オトナにしてね・・・♪といったあんばいでしょうか。

とりとーないおわり。

ついき

木曜日、ランアカサカでライブです、がんばりますので遊びに来てください。くわしくはここに